よかったね2.. 2
よかったね1 (380) 2
粘菌クマグス... 3
美人投票の経済... 3
壊れるアフリカ.. 3
侵略の手口... 4
vibaじぶんち.. 4
ダークサイト.. 5
rentier. 6
小津の魔法... 6
sentimental journey. 7
盆踊りはだれと踊っているのか (370) 7
フロイトの苦手な〈母娘関係〉. 7
土器は足し算... 8
心身バラバラ極意2.. 8
心身バラバラ極意1.. 8
笑いの詐欺... 9
解けない... 9
文楽知らずして... 10
執筆生活... 10
低所得社会を生きる.. 10
まちづくり先駆 (360) 11
富田玲子の世界... 11
金子勝の視点... 12
日英無常... 12
池田清彦の「生きる」2.. 13
池田清彦の「生きる」1.. 13
kaigo(2). 14
kaigo(1). 14
細胞の内部では... 15
いずれ地球は凍える.. 15
人生ミスマッチ (350) 16
お金ちょっぴり、時間たっぷり3.. 16
お金ちょっぴり、時間たっぷり2.. 17
お金ちょっぴり、時間たっぷり1(347) 17
よかったね2
▼人類は葬礼という習慣をもつことによって他の霊長類と分かれた。ではなぜ、葬礼を行うのか?理由はひとつしかない。それは葬礼をしないと死者が「死なない」からだ。死者は生物学的に死んでも、私たちのまわりにとどまる。私たちは、死者の使った道具にその「魂魄」を感じ、死者のいた部屋に入ると、その気配を感じ、死者に祈ると、その声がきこえる。私たちは死者の祟りで苦しめられ、死者の気づかいで護られる。旧石器時代に、私たちの祖先は死者と生者のあいだに境界線を引くために葬礼の制度をつくった。▼死者という概念を私たちの祖先がつくりだしたのは、死んだ人間は「モノ」ではないという人間特有の幽かな感覚を基盤にして、「他者」という概念を導出するためではなかったか。「他者」という概念をもつものだけが共同体を構築することができ、「他者」を感知できるものだけが交換や分業や欲望や言語を創出することができるからである。▼親子や夫婦の関係のほんとうの価値は、「楽しい時代」にどれほどハッピーだったかではなく、「あまりぱっとしない時代」にどう支え合ったかに基づいて考量される。政治運動だってある意味それと同じである。落ち目のときに誰がどんなふうにその運動に付き合い、誰がどんなきちんと「葬式」を出したかということは運動の価値に決定的に関与するのである。▼原理主義者は「リソースは無限である」ということを前提にして、至純にして最高のものを求める。機能主義者は「閉じられた世界、有限の時間、限られた資源」の中で、相対的に「よりましなもの」を求める。どちらがよりよい生き方であるかは決しがたい。けれども、無人島に漂着したとき、どちらが生き延びる確率が高いかはすぐわかる。▼私自身は人間の社会的価値を考量するときに、その人の年収を基準にとる習慣がない。どれくらい器量が大きいか、どれくらい胆力があるか、どれくらい気づかいが細やかか、どれくらい想像力が豊かか、どれくらい批評性があるか、どれくらい響きのよい声で話すか、どれくら身体の動きがなめらかか、そういったさまざまな基準にもとづいて、私は人間を「格づけ」している。▼「女性的なもの」の本質は「無償の贈与」である。見返りを求めない贈物のことである。ユダヤ神秘主義の創造説話によると、神の最初の行動は「おのれ自身のうちに退去し、そこに空間を作った」ことである。つまり、神さまが席を立って、その空席に「はい、どうぞ」と被創造物を贈ったことによって天地は始まったと教える。レヴィナスはこの「女性的なもの=神的なもの」のうちに、人間と社会性、つまり共生のチャンスを根源的に基礎づける「倫理の最初の一撃」を見いだした。しかし、この「無償の贈与」という考想はいまのフェミニズムからずいぶん遠いものであるように私には思われる。▼むかし原理主義、いま機能主義。十二月二十日(土)
よかったね1 (380)
『こんな日本でよかったね-構造主義的日本論』(内田樹・バジリコ)から。▼私が二十二歳の時に書き飛ばしたアジビラの主張のほとんどに一片の共感も覚えもなかった。にもかかわず「人を挑発する仕方」、措辞の選択、語調やリズム感は、まぎれもなく私のものであるが、それが伝える「メッセージ」は、当の私でさえ覚えていないくらいだから、たぶんそこらで聴いた誰かの話の受け売りである。ということは、そういう「言い方」こそが私にとっては一次的なものであり、「言いたいこと」、コンテンツの方が副次的、派生的なものだということになる。▼強い言葉があり、響きのよい言葉があり、身体にしみこむ言葉あり、脈拍が早くなる言葉があり、頬が紅潮する言葉があり、癒しをもたらす言葉がる。現に、そうやって読み手書き手の身体を動かしてしまうのが「言葉の力」である。たくみな「言葉づかい」になるためには、子どものときからそのような「力のある言葉」を浴び続けることだけが重要なのである。その経験を通じて、はじめて「諧調」とは何か、「響き」とは何か、「論理性」とは何か、「抒情」とは何かということが実感としてわかるようになる。論理的な文章は「気持ちがよい」が、非論理的な文章は「気持ちが悪い」から、わかるのである。それを判定するのは身体的な感覚である。それは幼いころから美しい音楽を浴びるように聴いてきた子どもが演奏の半音のずれを「不快な音」として聴き咎めてしまうのと同じである。論理性を身につけるためには、論理の運びが美しい文章を浴びるように読む以外に手だてはない。「力のある言葉」を繰り返し読み、暗誦し、筆写する。国語教育とは畢竟それだけのことである。▼創造というのは自分が入力した覚えのない情報が出力されてくる経験のことである。それは言語的には自分が何を言っているのかわからないときに自分が語る言葉を聴くというしかたで経験される。自分が何を言っているのかわからないにもかかわらず「次の単語」が唇に浮かび、統辞的に正しいセンテンスが綴られるのは論理的で美しい母国語が骨肉化している場合だけである。それが言葉の力である。▼カランによれば、私たちが語るとき私たちの中で語っているのは他者の言葉であり、私が他者の言葉を読んでいると思っているとき、私たちは自分で自分宛に書いた手紙を逆向きに読んでいるにすぎない。▼母国語運用というのは、平たく言えば、ひとつの語を口にするたびに、それに続くことのできる語の膨大なリストが出現し、その中の最適の一つを選んだ瞬間に、それに続くべき語の膨大なリストが出現する、というプロセスにおける「リストの長さ」と「分岐点の細かさ」のことである。「海の香りが…」という主語の次のリストに「する」という動詞しか書かれていない話者と、「薫ずる」「聞こえる」という動詞を含んだリストが続く話者では、そのあとに展開する文脈の多様性に有意な差が出る。分岐点のないストックフレーズだと、ある語の次に予想通りの語が続くということが数回繰り返されると、私たちはその話者とのコミュニケーションを継続したいという欲望を致命的に殺がれる。「もう、わかったよ。キミの言いたいことは」というのはそういうときに出る言葉である。▼ストックフレーズを大量に暗記し適切なタイミングで再生することと、言語を通じて自分の思考や感情を造形してゆくという(時間と手間ひまのかかる)言語の生成プログラムに身を投じることは、どちらも巧みにある言語を操ることだけれど、実はまったく別のことである。十二月七日(日)
粘菌クマグス
『クマグスの森・南方熊楠の見た宇宙』(松居竜五・とんぼの本/新潮社)から。▼熊楠は、生物を個別の現象としてではなく全体として理解しようとしていた。「諸草木相互の関係ははなはだ密接錯雑致し、近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出て来たりおることに御座候(川村竹治宛書簡、1911年11月19日付)」と書く熊楠は、生態系という新しい概念をきわめて正確にとらえ、日本で初めて本格的に生態学を取り上げることにつながった。▼熊楠の神道とはタブーの体系であるという考え方は、神社合祀反対運動の理論的な背景となった。小さな神社や祠こそが、そのまわりに人間がタブーによって立ち入ることのできない神の領域を作り出し、結果的に人の手が入らない「神林」を作り上げ、自然と人間の関係を調和させていると熊楠はいう。▼和漢三才図会を筆写し、毘沙門天の申し子と言われた少年時代。フロリダ、キューバを放浪、孫文と交わり、殴打事件を起こす外遊時代。帰朝後も、神社合祀反対運動、ミナカテルラ菌の発見、昭和天皇への御進講などエピソードは途方もない。▼このクマグス案内に『森のバロック』(中沢新一・講談社学術文庫)はどうだろうか。十一月十七二日(月)
美人投票の経済
『閉塞経済』(金子勝・ちくま新書)から。▼どの経済学の教科書にもバブルは正面から取り上げていないが、ケインズだけは『一般理論』のなかで「美人投票論」を提起している。たとえば美人投票をやって、一位の人に投票した人には何か懸賞が当たるとします。すると、自分の好みの美人に投票するわけではなく、「みんなが美人だと思う人」に投票するようになる。つまり、「この人ならみんなが美人だと思うだろう」という予測のもとに、その人に投票するので、票が集中するのです。美人を株や土地に置き換えると、「みんなが土地や株の値段が上がるだろう」と思うと、そこに向かってみんながお金を投資する。すると、みんながお金を投資してそれを買おうとするから、価格がますます上がってもうかるので、ますます土地や株の需要が増える。▼バブルが繰り返される理路と、マクロ経済をよく理解させてもらえる書です。十一月九日(日)
壊れるアフリカ
『アフリカ・レポート』(松本仁一・岩波新書)から。▼指導者は、「敵」をつくり出すことで自分への不満をすりかえる。アフリカでよくみかける構図だ。ルワンダの大虐殺もジンバブエの経済崩壊も、そうして起きた。ルワンダはフツ族85%、ツチ族15%。で、1973年にフツ族の国防大臣がクーデターで政権を握ると、絶対多数を背景に独裁を続ける。90年代に入り政府有力者の腐敗に不満が高まる。それに対し政権側はラジオなどで「悪いのはわれわれではない、ツチだ」とする宣伝を開始。大統領の飛行機が何者かに撃墜されると、宣伝にあおられた部族憎悪が一気に噴き出し、大虐殺につながった。ジンバブエでも「1300万人の国民は苦しい生活を続けているが、見てみろ、人口の1%にも満たない白人が全農地の20%を所有し、あんな裕福な生活を楽しんでいる。お前たちが苦しいのは政府のせいじゃない、あいつらのせいだ」と宣伝・扇動した。ムカベ政権は、白人農場を接取したが、その農場から大量の失業者を生み出し、経済は崩壊した。▼アフリカは多部族国家がほとんどだ。選挙は出身部族の人口比で決まってしまう。国益より部族益が優先される。ジンバブエのムガベ大統領は人口8割を占めるショナ族の出身だ。ショナ族に有利な政策をとっていれば選挙に敗れることもない。政権は長期化し、腐敗する。国づくりは放置され、指導者が私物化した巨額の公金は海外の銀行に蓄財され、国内の市場に出回らない。蓄財した金が社会資本として回転しないため、経済の進展もない。さらに利権を握るグループと、排除されたグループとの対立が激化する。2007年末のケニアの大統領選挙では、それが部族間憎悪となり、殺し合いにまで発展した。▼現代アフリカの最大の問題は、先進国の無関心や、当事者国の累積債務などではない。「公の欠如」なのだ。それが部族対立、民族対立を生み出している。水や電力、警官や教師の確保といった公共政策に向かわない、このことが問題なのだ。▼中国には2億人の余剰労働者があふれ、国外脱出をうかがっている。しかも、入り込む余地のない先進国でなく、政府が自国の経済を保護しようとしていないアフリカに向かって流れ込んでいる。それにアフリカの中国人は商売がうまい。黒人商人は、売れ筋をつかんだ場合でも、在庫が切れるまで注文しない。次の商品が届くまで時間があき、売れ筋が変わってしまう。決定的なのは、商品を安く仕入れるルートをもっていないことだ。中国本土の生産現場と直結する中国人卸商とは、はじめから大きな違いがある。卸売りの分野では、中国商人の天下は続くだろう。▼アフリカの指導者たちは、勤勉な勤労者を育てるよりも、利権目当てで外国企業の進出を優先させた。中国商人も入り込んできた。国家指導者がうまい汁を吸っている間に、アフリカの富は国民に行きわたることなく、他者に奪われていく。▼壊れていくアフリカであるが、光るものもある。ジンバブエの農業NGO「ORAP」である。農業の事業資金は政府に頼らず、自分たちで稼ぎ出し、生産と販路を決定していく。その事業方式は隣国にも影響を与え始めた。十一月三日(月)
侵略の手口
『反米大陸』(伊藤千尋・集英社新書)から。▼米国の領土拡大の先兵となったのが海兵隊だ。海軍は海上で戦闘するが、海兵隊は海軍の艦艇で運ばれて敵地に上陸し、陸上で戦う。日本では江戸幕府に開港を迫ったペリー提督の船に乗り込んでいた海兵隊200人がその途中に琉球に上陸し、首里城を占領した。だが、海兵隊がもっとも多く出動したのは中南米だ。最初は1806年、当時スペイン領のメキシコで、その後は手近なカリブ海はもちろん、1832年には「アメリカ市民の生命と財産の保護」を理由に、アルゼンチン沖のフォークランド諸島に上陸している。帝国主義時代に入った20世紀初頭には、武力介入が増え、とくに運河をねらった中南米のニカラグアとパナマ、カリブ海の通商権をねらってのドミニカやキューバ、ハイチへの上陸、占領など、毎年どこかの国を侵略した。中南米だけでも150回近くも出動している。▼アメリカの侵略と軍事介入の手口。①アメリカに都合の悪い政権を非難する。その口実は共産主義、あるいはテロリスト、悪の枢軸、民族浄化などのキャッチコピーだ。②反政府放送局を設けて、謀略宣伝を流す。③アメリカの言うなりになる兵士を集めて、傭兵として反政府ゲリラを組織し、自分の手は汚さずに気に入らない政権をつぶす。兵士の多くは元の独裁政権の軍人だ。指導者にはアメリカ人、あるいはアメリカで訓練された軍人を充てる。④ゲリラに周辺から侵攻させる。ゲリラの兵力が少なく頼りないときは、米軍が軍事顧問団として支援する。⑤領土の一部を占拠すると、アメリカの言うことに従う人を代表にして、傀儡政権を樹立させ、その政権からアメリカに支援要請させる。⑥その要請に応える形で海兵隊が出動し、武力で制圧する。▼中南米がたどってきた「反米」、日本がたどってきた「従米」。十月二十七日(月)
vibaじぶんち
内田樹のブログから。▼そのあと6、7回パリに来ているが、いずれも語学研修の付き添いであり、日程の最後の頃にはつねに疲弊し果てており、早く日本に帰って、「viva じぶんち」でごろごろしたいと涙ぐむ。今回も同じ。別にパリに文句があるわけではない。これがハワイでも、バリでも同じである。私に1週間以上海外旅行をさせることに無理がある。地上に3分間しかいられないウルトラマンと同じく、私も「じぶんち」を離れては長く生きていられない人間なのである。しかし、幸いに今の自分には「仕事」という逃げ道がある。ipod でモーツァルトを聴きながら、Mac Book Air のキーボードを叩き、心に浮かぶよしなしごとを書き連ねてゆけば、いつのまにか日は暮れている。▼自分の家にいれば幸せなのである。朝、大学に行くのが面倒だなあと思うこともしばしばある。むろん大学が嫌いなわけではない。行けば行ったで、楽しいのである。しかし、それも我が家でごろごろしている幸福には比較すべくもない。ごろごろと掃除をし、ごろごろと洗濯をし、ごろごろとアイロンをかけ、ごろごろと本を読み、ごろごろとご飯を作り、ごろごろと仕事をし、ごろごろと酒を飲み、ごろごろと映画を見て、ごろごろと漫画を読みつつ眠りに就く。「ごろごろと昼寝をし」というのが抜けているのではないかと疑問に思われる方もおられるであろうが、上記の文中の「ごろごろ」は擬態語ではなく、総じて「昼寝をしつつ」という意味なのである。私はほんとうに「昼寝をしながら飯を作る」というようなことをするのである(蕎麦をゆでている間にソファーで3分間のまどろみ…というように)。アイロンかけはさすがに危険があるので昼寝は避けているが、「縫い物」などの場合は、しばしば途中でふと気づくと、手に針を持ったまま眠っている。世間の人は私のことをハイパーアクティヴな人間のように思いなしているが、実は私は「ハイパーごろごろ」の人なのである。この「ごろごろ」の間に、私は夢を見、よしなき想像をめぐらせ、半睡半覚の夢幻境にある。私が「変わったことを言う人間」だと思われている理由の過半は、実は私が「半睡半覚の夢幻境」において得たアイディアをそのまま紙に書いているからなのである。「現実から離脱する」ことが現実を解析する上できわめて重要であると信じる点で、私は荘子に深く同意するものである。▼そうなのである。十月二十二日(水)
ダークサイト
『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(内田樹・角川文庫)から。▼権力や威信には必ずその「ダークサイド」がついて回ります。余禄があり、インサイダー情報があり、収賄のチャンスがあります。そういう部分込みで社会ポストというものはあるわけです。▼漱石の小説は、そのほとんどすべて連載小説でした。新聞連載ですから、毎回読みきりでオチがないといけません。そういう制約の中で、『虞美人草』『それから』『こころ』などの傑作が生まれたわけです。無条件より制約を受けた方が創作意欲が湧くというのは人間の場合にはあるのです。それに、定型があるものの方が「飽きない」のです。▼仮に本が一冊もなく、全部の情報がパソコンに入っているとしたら、自分自身の知的なストックってどれくらいあるのか、ほんとうのところ確信が持てなくなるのではないでしょうか。だけど、本棚に何百冊かずらっと並んでいると、毎日何とはなしに、ほんの背表紙と顔を合わせることになります。そうすると、マルクスとかフロイトとかサルトルとかいう文字をみるたびに、ああ自分はこういう本を読んで大きくなってきたんだよな、という自分の精神史を確認できます。自分自身の知的なポジションとか、発達プロセスをビジュアルに確認できます。▼ある著者の愛読者というのは、その人の「新しい話」を読みたくて本を買うわけじゃない。むしろ「同じ話」を読みたくて本を買うんだと思います。志ん生の落語を聴きに来る人は、「前に聴いたのと同じの」を聴きにくるわけです。「まくら」が同じだと言って喜び、「落ち」が同じだと言って喜ぶ。現に、志ん生が「まっ、ここはあたしに任しておいて下さい」というと会場はわっと湧きます。音楽も麻薬みたいなもので、同じ曲想の音楽を何度も聴きたいんです。同一のものが微妙な差異を含みつつ反復することのうちに快楽があるわけです。同じものの反復服用が快感なんですね。▼「できるけど、やらない」というのが「らしさ」の節度であり、そこからにじんでくるものが、「身の程をわきまえている」人間だけが醸し出す「品格」というものなのです。自分のありのままをむき出しにするという作法は、その人にどれほどの才能があろうと能力があろうと、「はしたない」ふるまいです。▼他人に対して優しくするにはいろいろなやり方がありますが、「ほっっといてあげる」というのは、その中でも一番難しい接し方です。でも、適切なしかたで「ほっといてもらう」ことほど人間にとって心休まることはないのです。ほんとうに親しい人たちの間では、ときに「何もしない」ということが貴重な贈り物になることもあるのです。でも、こういうことには、「コミュニケーションとは贈与である」という、ものごとの基本が分かっていないと、なかなか理解が及ばないでしょうね。▼身も蓋もない言い方をすれば、人間は期待していたよりバカだったのです。「もう制約をしないから、これからは自分の好きな生き方をしてごらん」と言ったら、みんなお互いの顔色を窺い出して、お互いを真似し始めたのです。人間の欲望は本質的に他人の欲望を模倣するものです。変態で猟奇的な犯罪も、先行する犯罪を「コピー」している。人間は自由であればいいのですが、うっかり自由にしてしまうと、人間のあり方が全部同じになってしまいます。多様性を確保するためには、固体を一人ひとり好き勝手にさせておく方がいいのか、それともある程度の固体をひとまとめにして「型」で縛る方がいいのか。「オリジナルな欲望」というものが存在しないから、誰かの欲望を模倣し、誰かに自分の欲望を模倣されるというかたちでしかコミュニケーションを立ち上げることができないからです。これが自由と制約をめぐるすべての問題の起源にある人間的事実です。十月十二日(日)
rentier
『街場の現代思想』(内田樹・文春文庫)から。▼酒井順子『負け犬の遠吠え』は、フランスのrentier(ランティエ/国債による金利生活者)を連想させた。ヨーロッパではデカルトの時代から1914年までは、貨幣価値がほとんど変わらなかった。ということは、先祖の誰かが小金をためて、それでアパルトマンと国債を買って遺産として残すと、相続人は、贅沢さえ云わなければ、無為徒食することができた。そういう人々がフランスだけで何十万人か存在した。仕事をしないでひねもす肘掛椅子で妄想に耽っている。なにしろ彼らは暇である。しかたがないので、本を読んだり、散歩をしたり、劇場やサロンを訪れたり、哲学や芸術を論じたり、殺人事件の犯人を推理したりして生涯を終えるのである。もちろん結婚なんかしない。せいぜい同性の友人とルームシェアするくらいである。ホームズとワトソンのように。しかるに、このランティエこそヨーロッパにおける近代文化の創造者であり、批評者であり、享受者だったのである。▼それも当然である。新しい芸術運動を興すとか、気球に乗って成層圏にゆくとか、「失われた世界」を探し出すとか、そのような冒険に嬉々としてつきあう人間は「扶養家族がいない」「定職がない」「好奇心が強い」「教養がある」などの条件をクリアしなければならない。「ねえ、来週から北極に犬橇(そり)で出かけるんだけど、隊員が一人足りないんだ」「あ、オレいく」というようなことがすらっと言える人間はなかなかいない。ブルジョアジーは金儲けに忙しく、労働者たちはその日暮らしと革命の準備で、そんな「お遊び」につきあっている暇はない。残念ながら、このランティエという遊民たちは1914-18年の第一次世界大戦によって社会階層としては消滅した。インフレのせいで金利では生活できなくなってしまったからである。彼らはやむなく「サラリーマン」というものになり、世界からホームズたちは消えてしまった。▼「ありあまる時間と小金の欠如」という理由から、今日の人々に「ランティエ」的生き方を禁じている。これが現代の文化的衰退の大きな原因であることはどなたにもお分かりいただけるであろう。しかし、ここに「負け犬」という新しい社会階層が登場したのである。彼女たちは「パラサイト」であるか一人暮らしか、同性の友人とルームシェアしているか、とにかく「扶養家族」というものに縛られていない。職業についても男性サラリーマンに比べて、はるかに流動性が高く、「定職」というものに縛られていない。扶養家族がなく、定職への固着がなく、ある程度の生活資源が確保されていると、人間は必ず「文化的」になる。「衣食足りて礼節を知る」いうが、「時間と小金」があると人間は、学問とか芸術とか冒険というものに惹きつけられてゆくものなのである。▼人間の体はリアルタイムで動いているのではない。ちょうどリールが釣り糸を巻き込むように、「未来」が「現在」を巻き取るような仕方で動くのである。私たちは、輪郭の鮮明な「未来像」をいわば「青写真」に見立てて、その下絵のとおりに時間をトレースしてゆく。だからネガティブな未来像を繰り返し想像する習慣のある人間は、その想像の実現に向かってまっすぐ突き進んでゆくことになる。▼強く念じたことは必然する。それに暇と小金です。十月五日(金)
小津の魔法
『大人は愉しい』(内田樹・鈴木晶/ちくま文庫)から。▼ところで、暮れからお正月にかけて、日本のテレビ全局が小津安二郎全作品「だけ」を一週間ぶっつづけで朝から晩まで放映する、ということをしたらどうなるでしょう。それしか見るものがないし、ちょっと見始めると面白くってもう止まらないので、全日本人が一週間のあいだ、朝から晩まで小津漬けになってしまうんです。そして休みが明けて学校や会社に行くと、みんな小津安二郎の映画の中みたいなしゃべり方になっているんです。若い男は佐田啓二みたいに前髪をかきあげながら「いやあ」と微笑み、若い女は原節子みたに「ふふふ、そうですかしら?」と問いかけ、おじさんたちは笠智衆みたいに「やあ、どうも」と帽子を脱ぎ、おばさんたちは杉村春子みたいにぱたぱた走り回るのです。日本人全員の「小津化」、すてきだと思いません?▼小津ごっこ、いいですね。では、さっそく。九月十七日(水)
sentimental journey
『感傷教育』(武谷牧子・日本経済新聞出版社)から。▼今でも思い出せば、何か喚いてその辺を駆け回りたくなるほど格好の悪い出来事だが、その類の不細工なことを、和久井は彼女の前で数え切れないほどしてしまった。多分、彼女は、誰よりも多くの和久井の恥部を見ているだろう。肉体的にも、精神的にも未熟な部分を、彼女には洗いざらい見せてしまい、彼女から泣かれたり、笑われたり、怒られたり、愛されたり、いろんな喧嘩をして、謝ったり謝られたり、仲直りした。和久井も怒ったし、泣いたし、笑ったし、慰めたし慰められたし、愛したし、愛された。あんな四年間は、最初で最後だろう。学生だったから、学問的な意味で学んだし、知識量は確実に増えた。でも、彼女との生活で醸成されていった感傷教育は、和久井により多くを与え、より深くを学ばせた。喧嘩もたくさんした。▼柴田翔『されど我らが日々』は40年前。九月十六日(火)
盆踊りはだれと踊っているのか (370)
『古代から来た未来人 折口信夫』(中沢新一・ちくまプリマー新書)から。▼柳田國男が共同体に同質な一体感をもたらす霊を求めていたのにたいして、折口信夫はそれと反対のことを考えていた。折口は神観念のおおもとにあるのは、共同体の「外」からやってきて、共同体になにか強烈に異質な体験をもたらす精霊の活動であるにちがいない、と考えたのである。そこから折口の「まれびと」の思想は、生まれたのだ。▼芸能者は死者たちの息吹に直に触れている。それと同時に、芸能者は若々しく荒々しいみなぎりあふれるばかりの生命力にも素手で触れている。彼らの芸は、生と死が一体であることを表現しようとしている。別の言い方をすれば、芸能者自身が死霊であり荒々しい生命であるという矛盾をしょいこんでいる。だから、彼らはふつうの人たちとは違う、聖なる徴を負っている人々として、共同体の「外」からやってくる、「まれびと」としての性格を持つことになったのだ。折口は村々に残された古い芸能のかたちを深く探求しながら、芸能者の原像を描き出そうとした。▼そのような「芸能者の原像」を「鬼」があざやかに表現している。鬼は共同体の外からやってきて、死の息吹を生者の世界に吹きかけ、そこに病や不幸をもたらすこともある。しかし、荒々しい霊力を全身から放ちながら出現してくる鬼の存在を間近に感じるとき、共同体の人々は、自分たちの世界に若々しい力が吹き込まれ、病気や消耗から立ち直って、再び健康な霊力にみたされ、生命のよみがえりを得ることができたように感ずるのである。▼『死者の書』では、そうやって死霊の世界が生者の世界に、有無を言わさぬ力をもって迫ってくるのである。小説は古代社会の末期を舞台としている。古代人の世界では、生者と死者はおたがいがごく身近なところにいた。縄文人たちは自分たちの村を円環状につくり、その真ん中にできた広場に、死者を埋葬していた。昼間は広場に立ち入ることを慎んでいた人たちが、夜になると広場に集まり、死者を埋葬した上で、踊るのである。踊りのステップに合わせて、地中から死霊が立ち現れてきて、生者といっしょになって踊りだす。いまの盆踊りの原型である。▼その昔「やっぱり柳田國男とオリクチノブオだね」と訳知りにいったら、そのノブオって誰、と失笑を買った。九月一日(月)
フロイトの苦手な〈母娘関係〉
『シズコさん』(佐野洋子・新潮社)から。▼叔母には社会という認識がないのだ。世間どまりで、何より家族を愛していた。そしてそこには、悪意など一かけらもないのだった。▼母は愚痴をこぼしたし、人の悪口も云ったが、しょぼくれた母を見たことはない。体が頑強であったように、精神もタフで荒っぽかった。子供の話をしみじみ聞くことはなかったから、子供は母と話をしなくなった。しかし他人の話はしみじみ聞いたからこそ、人にも好かれたし、便りにもされていた。家族とは非情な集団である。他人を家族のように知りすぎたら、友人も知人も消滅するだろう。▼ああ、世の中にないものはない。ごくふつうの人が少しずつ狂人なのだ。少しずつ狂人の人が、ふつうなのだ。
土器は足し算
『情報の歴史を読む』(松岡正剛・NTT出版)から。▼なぜ、日本は土器文化に執着したのか。これは謎です。石器は「削る文化」です。石をどんどん削って道具にする。鋭く強い道具ができますが、いったん壊れるとつかえません。これにたいして土器は土を盛りあげ、ふくらます。加除修正も自由です。たしか木村重信さんだったと思いますが、「石器は引き算型、土器は足し算型」といっていたかと思います。このような土器を日本人は一万年にわたって愛用した。いや、縄文以降も愛用し、さらに茶の湯の文化というまったく独自な文化を確立して以降のいまもなお、日常生活でも、芸術生活においても、われわれは「やきもの」に執着し、その「用の美」を尊んでいる。▼世界では「やきもの」よりも銀器や金属器やガラス食器を愛用している国々のほうが多いのです。韓国料理を食べにいくと、ロースやカルビがのっているお皿も冷麺が入っているボールも箸もスプーンもみんな金物ですね。日本では金属器でごはんを食べる人はめったにいない。それでも日本も明治時代になると、福沢諭吉がなんとかして洋食器の導入をはかるんですが、そしてわれわれも洋食器に慣れてしまってもいるのですが、けれどもどこか心の底では「やきもの」派なのです。▼土の器、それに木の器を加えたい。八月二十六日(火)
心身バラバラ極意2
▼『兵法家伝書』には、弓を射るときは、弓を射ようと思うな、と説明している。言い換えれば「弓を射る」という一つの動作を、ふたつに切り分けなさいということである。つまり、「弓を射る」という身体の動きと「弓を射る」という心の動きをリンクしてはいけないということである。不安や恐怖を身体能力の低下に結びつける回路は技法的に切断できる。伝書は「心と体はばらばらに使え」「精神と身体を切り離せ」と教えている。心と身体がばらばらに動けば、心がいくらマイナス思考をしても、運動能力に悪い影響を及ぼさない。この状態を伝書は「木人花鳥に対するが如し」というメタファーを使って説明する。目の動き、形の動き、足の動きなど、身体の徴候が「いまから攻撃します」という合図を出してから動いたのでは、物理的にどんなに早い動きも捕捉され、回避され、反撃されてしまう。だから武道では、絶対に身体的な動きの前に予備動作を行ってはならない。ごく日常的な身体の動きがなめらかに連続しているうちに、予告なしに、動きの質が「いきなり」変化する。これが「無拍子の動き」なのである。▼私の荷物は他人に担いでもらい、他人の荷物は私が担ぐ。これが、burden sharing である。多くの人は、他人の荷物は重たく、自分の荷物は軽い、と思っている。それは違う。逆である。自分の荷物は重たいが、他人の荷物は軽い。レヴィ=ストロースがそう言っている。「人間は自分の望むものを他人に与えることによってしか手に入れることはできない」とも言っている。この先生はつねに明晰な人です。だから、楽になりたかったら、自分の荷物を放り出して、他人の荷物を担げばいいのです。▼霊的、というのはその人個体の生命を超えたものに価値を見出すということだと思います。宇宙のなかのあなた、人類の歴史におけるあなたを意識する、ということが霊的である、ということでしょう。「人生五十年」という閉じられた時間のなかに自分の存在を限定しないで、もっと、時間、空間的に個体を超えた広がりを持った生命のあり方を想定しているんだと思います。DNAなどもそうですが、人間は個体であると同時に、脈々とつながっている存在でもあるわけです。ある長いリンクのなかの一片なわけです。その長い流れのなかで自分はいったい何なのか、どういう価値があるのかを考えるということでしょう。人間元気がでるのは「死んだらおしまい」という物語ではなくて、「君は死ぬ前も死んだ後も、ずっと連続しているし、死んだ後も他者とつながってるんだよ」っていう物語ですからね。サッカーでいうと、皆がゴールする必要はないわけです。いいアシストをすれば、次に誰かがゴールを決めてくれる。そのことを「自分に関係ない」と思うか、ともに喜べるかが分かれ目ですね。そういうパッサーとしての位置づけを喜んで受け入れるようになることが「霊性を高める」ことだと思います。自分の個体の生命の枠を超えて、自分自身の位置づけや意味を考える、そういう習慣ってなかなかないと思うんですが、とても大切なことだと思います。▼自分の荷物も、他人の荷物もさほど担がずにきてしまった。八月十八日(月)
心身バラバラ極意1
『私の身体は頭がいい』(内田樹・文春文庫)から。▼ですから中枢的な運動はダメなのです。武術的な身体運用とは「現場処理」する身体です。仕事をする身体部位だけが仕事をして、とりあえず用がない部位は「じゃあ、ひまだから別の仕事でもすっか」というばらけた働きをすると、その身体が「何をしょうとしているのか」ということが予測できなくなります。身体を中枢的に統御せず、個別的に仕事をしてもらう、ということが大切だ。おおわくの指示だけ出しておいて、「あとは、現場でよろしく」ということになると、現場には一種の「自己完結」性が求められます。それが「群雄割拠」的身体図式とおらずなるわけです。これまで中央の指示に従ってツリー状に組織されていた身体各部が、「地方自治」的、「軍閥割拠」的にランダムな動きをするようになります。▼「絶対的な稽古」というのは、いわば「交響楽に身を委ね、それに乗って演奏する」ような身体の使い方を学ぶことである。誰がどの音を演奏しているのかというようなことはどうでもよろしい。奏者の仕事は、「結界」に入ってくる楽音に「乗る」ことだけである。それは「反撃する」でもないし、「防御する」でもないし、「躱(かわす)」でもないし、「捌(さば)く」でもない。応じてはいるけれど、囚われてはいない。聴き取ってはいるけれども、固執してはいない。楽音に合わせて、自在に先を取り、拍子を合わせ、気が向けば裏に入る。そういう自在な応接は、「宇宙的な和音」のなかに「私」も「敵」も、すべてが、かけがいのないファクターとして含まれているというふうに考想することによってしか達成できないのである。私たちがめざしているのは、この「絶対的な稽古」である。そのためには、剣や杖を稽古することはたいへんに効果的なのである。▼澤庵禅師の武道の極意を説いた『不動智神抄録』でこう論じている。「〈止まる〉とは、なにごとによらずあることに意識が固着することである。あなたの武芸に関連して言うと、打ち込んでくる刀を見て、それに合わせて反撃しようとすると、相手の刀に意識が固着して、自分の動きが相手に筒抜けになってしまい、切られてしまう。これを〈止まる〉というのである」。意識が身体に局所的に徴候化することが武道においては絶対の禁忌であることは、これでお分かり頂けると思う。▼武道の身体所作の奥義をもっと知りたい。何か掴めそうです。八月十二日(火)
笑いの詐欺
『必笑小咄のテクニック』(米原万理・集英社新書)から。▼劇評家が演出家に。「昨晩は君の演出した舞台を見たせいで、夜は一睡もできなかったよ」「うれしいことを言ってくれるね。シニックな君の心をそこまで揺さぶったとはねえ」「いやあ、劇場でぐっすり眠れたおかげなんだけどね」。お気付きのとおり、オチを演出するためには、つまり落とすためには、先に持ち上げなくてはならないのだ。▼小咄で相手を倒す。落語のオチとは話法が違う。八月七日(木)
解けない
『脳と日本人』(松岡正剛×茂木健一郎・文芸春秋社)から。▼そこには中心と周辺と異界があって、そして、ヒアとゼアが川一本とか山一つで分離されていて、そのどこかに異界が想定されていたんですね。最初は自分たちのムラやクニがヒアで、その外側はすべてゼアでした。能の橋掛りの向こうが異界になっているような、そういう構造ですね。異界すら理想化したんですね。仏教では、死後に理想の国が待っているという願いをこめて、浄土を想定した。その浄土も東西南北があるとされていて、東には薬師如来のいる瑠璃光浄土、西には阿弥陀如来のいる極楽浄土、北には弥勒菩薩の浄土、南には釈迦如来の浄土が想定されていたんです。浄土だって多様だったんです。そして、そのような浄土に行くことを「往生」といった。▼いま、ぼくは「菩薩」にひっかかっているのです。菩薩は悟りをひらかない、如来にならない仏様なんです。自分ではゴールまで行かないで、他人のためにウエイティングしているんですね。▼わからないんだよね。だいたい民族と言語と国民国家がずれあっているわけです。それにもかかわらず、その一方で国際連盟や国際連合のようなオーバーステートが、国家を平等な一票の単位にしながら、主導権をとる安保理事国のような数か国だけは残したわけね。それが自由民主主義の象徴になっている。そういうことと、アダム・スミスが言うような「見えざる自由な手」によって、資本がうまく需要と供給のバランスをとれるということで、自由資本主義が大手をふってグローバル・スタンダードになっている。この程度の国民国家と、金融の横暴を許容している程度の資本主義とが完全に結びつくという理由が理解できないんですね。▼日本には、たとえば、野坂昭如『骨餓身峠死人葛』だとか中上健次『枯木灘』とか、そういう物語に「いるのにいないとされた人間たち」が出てくるわけです。もともとカフカの文学がそういうものでしたよね。そういう物語や小説が、近代国家の矛盾を言い当てていると批評したいところですが、ぼくは、現代国家が抱えている問題は、その程度では解けないと思っているので、お手上げなのです。でも、何か大きな「まちがい」があるのはあきらかです。▼そうです。解けません。七月二十九日(火)
文楽知らずして
『誰も知らない 世界と日本のまちがい』(松岡正剛・春秋社)から。▼中国・明の時代の鄭芝龍(ていしりゅう)と鄭成功(ていせいこう)、この波瀾万丈の親子の顛末をみごとに描いたのが、近松門左衛門の超名作『国姓爺合戦(こくせんやかっせん)』です。国姓爺とは鄭成功のことですね。芝居のなかでは「和唐内(わとうない)」という名前になっている。日本とアジアの関係の意味が、そして近松の日本論が、とてもよくわかります。見ていない人は日本人のモグリです。近松は、人形浄瑠璃を創造したことでもすごいし、大阪弁で戯曲を成立させたこともすごい。私は文楽(人形浄瑠璃)を世界で最も高度な芸術だと思っているんですが、とくにそれをナラティヴィティ(物語構造性)として陶冶しきった近松に最高の賞賛を贈りたいと思っています。▼私は、日本人のモグリです。七月十三日(日)
執筆生活
『そうか、君はもういないのか』(城山三郎・新潮社)を読んだ河瀬直美の文から。▼「茅ヶ崎で執筆活動に専念する日々を過ごしていた時間のことが鮮明だ。原稿に向き合って水泳と午睡をはさむだけの単調な日々。訪ねる人もなければ出かけることもない。そんな中で城山さんの作品は生まれでる」。▼単調な日々と作品。そうか、そうだったんだ。七月九日(水)
低所得社会を生きる
『年収崩壊』(森永卓郎・角川新書)から。▼結局、構造改革で何が起こったかと言えば、大企業が従業員をどんどん非正社員に置き換え、中小下請け企業への発注単価を引き下げ、利益を増やし、その利益を使って役員報酬や株主への配当を増やした。その結果、中小企業は出口のない不況に追い込まれ、すでに働く人の三人に一人を超えた非正社員は、年収100万円台という低所得を強いられている。▼ヨーロッパの労働時間が短いもう一つの理由は、そもそも彼らが長時間労働を好まないからです。いかに人生を楽しむかとうことを真剣に考えた結果、彼らがたどり着いたのが、「なにもしないでボーッとしていることこそ、最大の幸福なのだ」という結論でした。パリのカフェには、カフェオレ一杯で、ただ道行く人を眺めている中高年がたくさんいます。実はそうした時間の使い方こそが、最高の贅沢なのです。▼ヨーロッパのサラリーマンの標準年収は300万円程度です。ただ、彼らはそれ以上を望んでいません。それで十分に暮らしていけるからです。成功への夢を追いかけ、明日に向かって走り続けるアメリカ型と、貧しいながらもゆったりと夕日のなかでうたた寝するヨーロッパ型。知り合いのギリシャ人は言う。「ギリシャは貧乏だけど、ほとんどの人が、おいしい料理とおいしい酒とステキな恋人をもっている。これ以上働いて、いったい何が欲しいと言うんだい」。▼お金持ちは働いて稼いだ人ではなく、お金に働かせて稼いだ人なのです。欧米ではお金持ちは働かないというのが常識です。日本では稀でしたが、格差社会に入ってからは増えてきています。▼定期預金は、セブン銀行・ソニー銀行・イーバンク銀行や信金などのキャンペーンによる高金利銀行へ短期運用、5年満期の固定金利型個人向け国債、主要国のソブリン債への分散投資としての投資信託、老後資金の安定のための分散した株式投資などあり。▼私が携わった高齢者生活の調査の経験では、いつまでも元気で生き生きと老後を過ごしている高齢者の特徴は、自分の活躍できる場、あるいは自分を必要としてくれる場を持っていることです。会社で培った人間関係は驚くほど早く消え去ってしまします。定年後には定年後の人間関係を築かなくてはいけないのです。定年後にどのような場を築くのかは、その人の人生観に依存します。自分でビジネスを立ち上げたい、田舎暮らしをしてみたい、ミニコミ誌をやりたい、大学に入り直したい、海外に留学したいなど。お金のかからない生きがいであればよいのですが、たいていのことにはまとまった資金が必要になります。だから、まず定年後にやることの資金計画を作るべきなのです。ある程度の退職金の額があるなら、預貯金、株式、債券、外貨に分散投資して、公的年金で生活費が不足するようになった場合に、少しずつそのとき有利なものを売っていくというのが効率がいいでしょうが、ただある程度の金融知識は要ります。▼勝ち組はプール付きの豪邸に住んでいるかもしれませんが、プールサイドでゆったりと本を読む暇などはまったくないのです。最初から勝ち組になろうなどと思わなければ、年収300万円あれば、人並みに食事はできるし、普通の服も着られ、家電製品もひととお揃えることができる。マイカーも持てる。何が勝ち組と違うかといえば、見得の部分が違うだけです。勝ち組は高級スポーツカーに乗りますが、負け組みは大衆車に乗る。勝ち組は高級スーツですが、負け組みは紳士服の量販店で買う。勝ち組はシステムキッチンですが、負け組みは流し台。それだけのことです。▼節約は、住宅費、生命保険、教育費、電話代、自動車関係費、電気代などで工夫すべし。スモールビジネスや趣味で小遣い稼ぎをし、トカイナカ(都会と田舎)生活。▼私はシンクタンクの研究員時代、多くの高齢者の方々と話をしてきました。そのなかで痛感したことは、定年後の幸福を決めるのは、お金よりも生涯を通じてやることを持っているかどうかだということでした。なんでも構いません。自分が生きがいを感じて、自分を必要としてくれる場を持つことが、幸せな定年後を迎えるために必要なのです。▼それにしても、ここにきて資源と食料の双子の高騰は、著者のいう低所得社会をも崩壊させるのだろうか。七月二日(水)
まちづくり先駆 (360)
『ボローニヤ紀行』(井上ひさし・文芸春秋)から。▼日常の中に楽しみを、そして人生の目的を見つけること。商店街へ出かけてうんと買いものをしたり、遊園地へ行ったり、温泉やなんとかランドへ出かけたり、そういう非日常の方法でしか楽しむことができないのは、少しおかしいのではないか。ただし、日常の中に人生を見つけるには、みんなでそれを叶えてくれる街をつくらねばならない。別にいえば、一が家族、二が友だち、三がわが街、この三つの中にしか人生はない。トレヴィーゾで過ごした一週間でそう教わって、そこで、とりわけ積極的に街づくりをしているボローニャに行き着いた。▼さっそくボアリーニ氏は仲間と組んでフィルム修復のための組合会社「チネテカ」をつくりました。なにかあるとすぐ組合会社をつくる。この組合会社のことを社会的協同組合と言うときもあるが、これも「ボローニャ方式」の秘訣の一つです。組合会社にはいくつもの特典があります。一人立ちするまでは税金を納めなくてもよろしい。市や県や国からの援助がある。銀行や企業などの財団から堂々と資金援助を仰ぐことができる。このへんの事情をもっとくわしいのが、岡本義行『イタリアの中小企業戦略』(三田出版会)。▼この本はボローニャ紀行ではあるが、ボローニャのまちづくり読本でもある。ということで再訪できたらなあ。六月二十一日(土)
富田玲子の世界
『小さな建築』(みすず書房・富田玲子)から。▼大学に招かれて話をする機会があると、私は学生たちに、「若いうちにできるだけいろいろな空間を体験したほうがいいですよ。そして、いいなあ、嫌だなと率直に感じるクセをつけてください。いいなあと思ったら、どうしていいのかをつきとめてください。いつも巻尺をもっていて、その空間の高さや広さを、窓の位置や大きさを測るクセをつけましょう。それがどんな材料でできているかを見て、触ってください。これは私が学生時代にできなかったから勧めるんですよ」とお話しします。▼吉阪隆正先生の奥さん・ふく夫人は、先生に劣らずユニークな方でした。主婦がする家事は一切なさりません。それでも三人の子どもたちからはとても尊敬されていました。子どもたちの友人の人生相談にものってあげて、家族だけに愛情を向けた人ではなかったのです。「玲子ちゃん、仕事が終わったらいらっしゃい。きょうはご馳走なのよ」といって、缶詰の大和煮を缶ごと出してくださいます。▼象設計集団の仲間たちは、各地に広がっています。神戸の「いるか設計集団」、鹿児島の「アトリエ・熊」などです。それを動物たちが集まった動物園「チーム・ズー」と呼んでいます。もしも動物園の設計を依頼されたら、みんなで全体計画をつくっていきながら、それぞれの事務所が自分の名称と同じ動物の小屋を設計することができたらいいなと思っています。▼施主だった富田玲子さんからの年賀状がすごいんですよ。「今年はどこを直しましょうか」って書いてあるんです。完成させる気がない建築家がいるんだと最初は本当に驚きました。友人も「象に設計を頼むと孫の代までつきあうことになるんだよ」とも云われました。▼当方は、富田玲子さんの旦那さん林泰義さんから、おだやかな、しかしあきらめない「まちづくり」を教えていただきました。五月十一日(日)
金子勝の視点
『戦後の終わり』(金子勝・筑摩書房)から。▼投機が繰りかえされる現象はカジノ資本主義。株価や地価は将来の収益を見込んで決まるので、しばしば実体経済と乖離する。過剰なマネーは投機マネーとなって頻繁にバブルを引き起こす。株価や地価はなぜ上がるのか。それは、みんなが上がると思うからである。では、なぜ株価や地価は下がるのか。それは、みんかが下がると思うからである。言い換えてみよう。神はなぜ存在するのか。みんなが、神はいると信じているからだ。それは、かつてマルクスが批判したフォイエルバッハの世界こそが正しいといっているかのようだ。▼農業の安全性と効率性。宮崎県都農町の三輪晋氏の土づくりの話から。病害虫に強く、連作障害にならない、微生物が活性化しやすい土づくりには、まずは浅い耕耘(こううん)である。通常は20~30センチを掘り下げるところを、わずか10センチしか掘らない。そこに完全には熟成していない大量の堆肥、生ゴミを資源化した菌体肥料グリーンガイヤ、そして緑肥を混ぜた有機肥料を施肥する。そうすると微生物の働きが活性化して、土が団粒状になり、縦根より栄養分を吸収する上根(毛細根)が発達する。そして微生物(土着菌)が窒素を分解してアミノ酸、ビタミン、ミネラルなど副資材を作ってくれる。深く掘らないので機械も傷まない。土中にはたっぷりマイナスイオンが残る。深く掘った土地に熟成しない堆肥をまくと、微生物の分解に伴って土中で熱が発生して根が腐ってしまう。あるいは縦根ばかり伸びて背が大きくなる割に実がよくならない。さらに月の満ち欠け(月齢)に合わせて窒素を投入する。▼監視社会化の動きは「国境」や「入国」だけに限らない。都市内部でも、駅前商店街、学校、集合住宅など至る所に監視カメラが張りめぐらされている。さらに、空港や都市に設置された監視カメラと顔認証システムが一体化して、住民基本台帳ネットワークに、自動改札機とICカード、GPS(全地球方位測定システム)機能付きの携帯電話などが結びつけば、監視する側が個人情報をくまなく掌握できる、ハイテク監視システムができあがってしまうのだ。問題は、いつのまにか多くの人々が監視する側の目線に立って、監視されることを受け入れてゆくのである。そうした事例は、町々における自警団の組織化にも現れている。▼今の日本社会(2005年末)は持続可能でない数字で埋め尽くされている。国の借金残高は約703兆円、地方の長期債務は約200兆円、フリーターは400万人、出生率も1.29に落ち、まもなく人口が急激に減少する。▼現天皇は靖国神社を参拝せず、日の丸・君が代を強制しないようにと発言し、第二次大戦の激戦地サイパンを訪問した際にも、韓国人や沖縄出身の戦死者の墓参りをした。気がつけば、皇室が憲法改正の最後の歯止めになっている。何という歴史の皮肉であろうか。▼『市場』(金子勝・岩波書店)では「ウエーバーとマルクス再論」と「市場原理主義の暴走」を熟読し、市場を見つめると、氏の反グローバリズムとセフティネットへの考えがわかる。四月十七日(木)
日英無常
『遥かなるケンブリッジ』(藤原正彦・新潮文庫)から。▼まず、ジョーク。無人島に男二人と女一人が漂着した。男たちがイタリア人なら殺し合いになる。フランス人なら一人は夫、一人は愛人となってうまくやる。イギリス人なら、紹介されるまで口をきかないから何も起こらない。そして日本人なら東京本社にファクスを送り、どうすべきか問い合わせる。▼イギリス文化は、土着のケルト文化を包含したアングロサクソン文化と、ルネッサンス期に頂点に達したラテン文化との結合である。アングロサクソンはゲルマン民族であり、その特徴は、長く暗い冬を体現した文化である。それはドイツ人気質を最も表すと言われる「ニーベルンゲンの歌」に見られるような、過酷な宿命感の文化である。この二つの潮流がぶつかって成立したのが英語である。シェイクスピアは、この二種類の語彙を状況に応じて使い分ける名人だった。彼の作品には、悲劇であれ喜劇であれ、涙と笑いが、厳しさと優しさが、明と暗が同居している。そしてこれらを結合させるのがユーモアであった。そのシェイクスピアの影響は、イギリス人の五臓六腑に染みわたっている。▼彼らのユーモアは、単なる滑稽感覚とは異なり、人生の不条理や悲哀を鋭く嗅ぎとりながらも、それを「淀みに浮かぶ泡沫」と突き放し、笑い飛ばすことで、陰気な悲観主義に沈むのを斥(しりぞ)けようというのである。「いったん自らを状況の外へ置く」姿勢で、「対象にのめりこまずまず距離を置く」という余裕からそれが生まれる。そのことは、究極的には無常感に通ずる。イギリス人の大部分は一応キリスト教ということになっているが、実際には無宗教に近い。教義というものに対する距離感覚は、プロテスタントにもカトリックにもつかず、中道のイギリス国教会を作ったことにも表れている。▼イギリスに独裁者が出現したことがないのは、他のヨーロッパ諸国と比べてめだつが、やはり独裁者につきものの教義に対する距離感覚と言えまいか。イギリス政治の一貫した特色である現実主義は、理念とかイデオロギーに対する距離感覚と言えるし、哲学におけるイギリス経験論は、原理とか原則に対する距離感覚と説明できるのではないか。それは葬式にも表れている。柩が運び込まれ、全員で賛美歌を合唱し、牧師が故人の徳を讃えるくらいで、ものの二十分くらいで終わるらしい。つまり溢れる涙をこらえ痩せ我慢をしている訳です。▼出世競争はイギリスでは流行らない。そんな競争に巻き込まれて自分を失うくらいなら、地位や名声はなくとも、田舎で趣味に生きていた方がまだましと考える。「俗悪な勝者より優雅な敗者」を選ぶのである。競争に距離を置くから、ワーカホリックなイギリス人というのはめったにいない。▼イギリス人は何もかも見てしまった人々である。食料や衣料への出費は切り詰めているが、精神的余裕の中に、静かな喜びを見出している。不便な田舎の家の裏庭で、樹木や草花の小さな変化に大自然を感じ、屋根裏を引っかき回して探し出した、曽祖父の用いた家具に歴史を感じながら、自分を大切にした日々を送っている。もちろん悲しみや淋しさを胸一杯に抱えてはいるが、人前ではそれをユーモアで笑い飛ばす。シェイクスピアの「片目に喜び、片目に涙」である。▼日本は、イギリスのいつか歩いた道を歩んでいる。イギリスは、日本のいつか歩むであろう道を歩んでいる。それは、ずっと以前に、日本人が歩いていた道にも似ている。四月一日(火)
池田清彦の「生きる」2
『正しく生きるとはどういうことか』(池田清彦・新潮文庫)から。▼今から一万年前がまだ狩猟採集民だった頃、世界の総人口は四百万~五百万人くらいであった。人々は五十人程の集団で定住をせずに暮らしていたらしい。寿命は極めて短かったが、階級はなく基本的に人々は平等だった。人々はアニミズムを信じていた。すなわちすべての自然物に霊魂が宿り、自らも自然物の一部であると信じていた。従って死後の世界は約束され、死の恐怖はさしてなかったと思われる。現在でもマレーシアのムゾーのセマイ族は、男は主に狩猟に従事し、女は山菜取りに従事している。セマイ族は森を大切にし、森の多様性を充分活用している。豊かな森の恩恵をうけ、一日に三~四時間しか働かない。現代人は一日に何時間働けば気がすむのか。善く生きるためには、金沢城のヒキガエルたちのように、なるべく働かないでボーッとしていることが大事だと私は思う。不必要に働くのはちっとも優雅じゃない。大体エコロジカルじゃない。しかし、私を含め、大部分の人はバカなので、人生に目標を立てて、頑張ったりしないと善く生きられないのである。悲しいことである。▼飢えと病気がなければ狩猟採集民やセマイ族の生活はユートピアのような世界である。しかし、それが崩れる。人類は農耕を発明した。肉や魚は腐ってしまうから貯蔵向きでないが、穀物は簡単に貯蔵できる。貯蔵した穀物は、社会全体にとっては富である。この富をめぐって人々の思惑は錯綜する。力の強い者、権謀術数にたけた者は富をより多く蓄え、ここに貧富の差が生まれた。戦争が起こり、敗れれば奴隷が発生した。軍隊もできた。農耕技術の発明は貧富の差と階級と小規模な国家を生み出した。こうなると狩猟採集民の人たちが不幸だったといえるだろうか。▼縄文時代の気分はまだ私には残っていた。三月十五日(土)
池田清彦の「生きる」1
『他人と深く関わらずに生きるには』(池田清彦・新潮文庫)から。▼ボランティアはしない方がカッコいい。ボランティアで老人ホームを慰問している人たちは、どこかのホールを借りて有料で演奏会をして義理以外で入場してくれる人がいるかどうか、一度考えてみたらいい。ほとんどお客さんが来ないようであれば、今度老人ホームに行く時は、ただではなく老人たちにお金を払って見て頂くようにしましょうね。ボランティアする方は楽しいかもしれないが、される方は迷惑ということもあるのだ。自分の楽しみのために人に迷惑をかけてはいけないのである。▼退屈のすすめ。私が自宅で朝早く目が覚める。夏であれば、四時過ぎにほんのり空が白み始めたところで、まずカラスが啼く。耳を澄ましていると、カラスは二羽か三羽いて、飛びながら啼いているらしい。しばらくすると、ヒグラシがカナカナと鳴く。それを合図にひとしきりヒグラシの大合唱になる。雀が啼き出し、新聞配達がやってくる。そういった自然の営みに耳をそば立てて、私もまた自然の中のささやかな一員であることを実感する。退屈とは何とぜいたくな楽しみであることか。誰ともつき合わなくとも、お金がなくとも、人生の最高のぜいたくを味わうことができるのである。試してみなければ損ではないか。▼究極の不況対策。所得税をやめて消費税を二十~三十パーセントにする。それと消費財を買ったお金をすべて例外なく必要経費として認めればよい。この波及効果は本書百十一ページに。原則平等が保たれている限り、自分一世代で稼いだ所得に累進課税は間違っている。大金持ちに対する税を極大にしなければならないのは、世代を継続する相続税と贈与税であって、所得税ではない。公正な競争で得た所得に対して税をかけるのは間違っている。稼いだ金を消費する段階で税をかけるべきである。税金は、相続税と贈与税と消費税のみというのが一番合理的なのである。原則平等と結果平等をはきちがえてはいけない。▼税の考え方はこれでいいし、すっきりしている。三月八日(日)
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▼『老人介護じいさん・ばあさんの愛しかた』(三好春樹・新潮文庫)から。▼老人介護現場の法則。年をとって手足が不自由になり、誰かの介護が必要になったとしよう。ヘルパーや寮母とうまくやっていける度合は、体の重さに反比例し、人柄に比例する。つまり、体重が少なくて人柄がよければ一番いい条件だ。体重は重いわ人柄もよくないわ、となるとこれは大変である。▼ナイチンゲールの『病院覚書』に「病気の多くは、それも致命的な病気の多くは病院内でつくられる」とある。これを彼女は“病院病”と名づけていた。▼車イスを使うためには段差が障害になると思われている。しかし、車イスは一段だけあれば、30センチを超える段差でもたった一人の介助で降りたり上がったりできるのである。コツさえ知っていれば、スロープなんか使うよりはるかに簡単でしかも安全である。▼そうなんです。ここで、隣気のおばあちゃんを乗っけた、介護タクシーのオジサンの車イスの扱いをメモしておきます。まず段差を上がるコツは、段差のある所まで前輪を持って行き後輪の所にある棒に足を掛け前輪を浮かせる。その後、後輪を段差の所まで持って行き後輪を上げる。降りる時のコツは、段差に対して後向きの状態にして、後タイヤをゆっくりと降ろし、その際に膝の部分のチョット脇を車椅子に乗った方の背中を支える。この“膝のチョット脇”っていうのがポイントで、背中に膝をあてがうのは車椅子の方に安心感を与える。それに膝を正面から背中に当てると痛いので、チョット脇です。▼若さから解放され、老いを獲得することを、土屋賢二は『われ笑う、ゆえにわれあり』(文藝春秋社)で云う(孫引)。まず、美的観点からみて、老人の方が優れている。年をとると動きに無駄がなくなる。場合によっては必要最小限の動きもしなくなるほどである。抑制のきいた、極度まで無駄を排した動きは能の美しさを思わせるものがある。無駄がきりつめられるのは動作だけではない。精神面でも無駄がなくなり、余計なことをいつまでもだらだらと覚えているということがなくなる。例えばさっきまで自分が話していたこととか、ひとの名前とか、自宅の電話番号とか、自分の名前とかいった、覚えるに値しないことを忘れるようになるのである。意識を適当に不明瞭にしたいときも酒の力を借りることはない。そのままでかなり朦朧としてくるのだ。▼介護した話はギョウサンありますが、された側の話はまだ聞いていません。まーっそのうち体験することになるのですが。二月二十三日(土)
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『母の介護』(坪内ミキ子・新潮新書)から。▼あまりの辛さに「お願いだから、夜だけでもおむつをして!」と、ためしに水を紙おむつに吸わせて見せながら泣いて懇願すると、「お願いだから、それだけはやめて!」と母も涙で懇願し返してくる。お互いに相手の気持ちを慮(おもんぱか)るゆとりはなく、我が身の辛さだけを相手に判らせようと喚(わめ)き合っていた。▼ある時、N先生の勧めで「エンシュア・リキッド」という、経腸栄養剤を補助食品として使ってみた。一缶二百五十ミリリットルで二百五十キロカロリー分の栄養があり、バニラ味やコーヒー味がある。これを、一日三缶を目安に「栄養水」と称して飲んでもらう。試しに飲んでみたが、決しておいしいものではない。これも拒否されたらどうなっていたか判らなかったが、幸い大した文句も云わず欠かさず飲んでくれたので助かった。以来、最後までこの「エンシュア・リキッド」が母の命を支えてくれることになる。▼病室の母は、「さみしい。帰らないで」「体全部が苦しい」「もう充分生きた」「ここで、一生すごすの?」などと云いだし、気持が落ち込んでいくのがよく判る。あまり「死にたい、死にたい」を連発するので持て余し、ドクターに話したところ、「老人の死にたいは、“おはよう” と同じようなものですよ。一種の挨拶だと思えばいいんですよ」と言われ、なるほどと笑ってしまった。▼両親揃って昔の話をすることが少なく、年寄り特有の「昔はこうだった」的な愚痴もあまり聞いたことがない。後ろを振り向くことがあまりないのである。いつも前を向いて生きてきた人生だったのだろう。だから、母の場合と同じで、父も「前」に広がるものに望みがないと悟った時、一生懸命生きてみせるといった気力を失ってしまったのだろうと思う。母はその絶望感に「攻撃」の形をとって抵抗したけれど、父は「無」になることで自分を納得させようとしたのかもしれない。遺言としての書状には、「葬式いらず、墓いらず、すべてを無に帰してくれ」書いたりしていたのである。うず高く積まれていた蔵書はそれまでに殆ど自分で処分していたし、もとより財産はないし、希望どおり「無」ではあった。「ばあさんをよろしくたのむ」と書いた手紙と、日記と写真だけが残った。▼点滴がとれただけで病人から抜け出せるのだろうか。しっかりしてきたのは嬉しいが、その分注文も半端ではなくなってきて、「お水」「足さすって」「肩が寒い」「腰が痛い」「向きを変えて」「甘いもの何かない?」と人使いがさらに荒くなった。私のいる四時間余の間で一回も椅子に座れない日もしょっちゅうだった。▼歳をとると赤ん坊に戻る、とよく云われるが、なるほど、おむつをあてがい、食べ物を食べさせ、身体を拭き、爪を切ってあげて、耳、鼻も掃除してあげ、こうした世話は、赤ちゃんにするそれと何ら変わらない。食事だって、ミルクから離乳食へ、を逆行しているようなものだ。それ故には、ともすると世話をする方が赤ちゃん扱いをしてしまうのである。「おくすりですよー。あーんてお口をあけてください」。たしかにやさしい響きではあるけれど、云われた方は嬉しくはないだろう。▼母も辛いだろうけれど、会話もなく、することといったら下の世話と食事の世話、身体を拭き、目やにや鼻クソをとり爪を切り、褥瘡(じょくそう)予防に体位を一、二時間ごとに変えることばかり。ちょっとベッドの側を離れると、その時だけは目を開けて「側に居てくれるっていったじゃないの」とご機嫌が悪いのだから、外の空気を吸って束の間の気晴らしをしたいと思ってもできない。ヘルパーさんの仕事も辛抱強くなければ続かない職業である。▼映画『蕨野行』の方は、江戸時代の村の飢饉窮乏が舞台で、60歳になった老人は村を離れ山暮らしとなり、やがて絶えるというものでした。二月十七日(日)
細胞の内部では
『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一・講談社現代新書)から。▼DNAは単なる文字列ではなく、AとT、CとGの対構造をとっている。この二本のDNA鎖はペアリングしながら、さらにラセン構造になっている。これは生物学的にどのような意味を持つのだろうか。それは情報の安定を担保するということにつきる。DNAは紫外線や酸化的なストレスを受けていて、配列が壊れることがある。ATAAという部分的な配列がなくなったとしても、相補的なもう一方の鎖にTATTとう構造が保存されていれば、自動的に穴を埋めることができる。事実、DNAは日常的に損傷を受けており、日常的に修復がなされている。そしてこの構造が自己複製されていく。生命の自己複製システムである。これは三十八億年前からずっと行われてきた。▼膵臓は大きく分けると二つの働きをしている。ひとつは大量の消化酵素を生産して消化器官に送り出す作業(外分泌)、もうひとつは血糖値を監視してそれを調節するホルモン(インシュリン)を血液中に送り出す作業(内分泌)である。でもこれは実際、このようにさらりと説明できるほど簡単なことではない。なぜなら細胞は、細胞膜というしなやかできわめて薄く、しかしとても丈夫なバリアーで覆われた球体であり、これによって外部環境から防御している。それゆえ、細胞の内部から外部へ物質が分泌されるためにはきわめて精巧なメカニズムが働いているに違いない。それが「内部の内部は外部」という動きである。本書200ページの図解はナットクできる。▼ということで、せっかく生きているのだから、生物と宇宙と歴史は知っておきたい。二月九日(土)
いずれ地球は凍える
内田樹のブログから。▼池田清彦さんによると、二酸化炭素の排出が急激に増加したのは、1940年から70年までであるが、この時期に気温は低下している。温暖化の主因はむしろ太陽の活動の変化にあるのではないかと池田さんは書いていた。たしかに地球の温度にいちばん関係があるのは太陽活動である。太陽は63億年後には赤色巨星段階に入り、膨張を開始する。水星と金星はこの段階で太陽に呑み込まれて消滅する。一度縮んだあと、また膨張を始め、最終的には現在の200倍にまで膨張し、その外層は地球軌道に近づく。このとき地球にまだ人類がいたとして、「温暖化」などと悠長なことは言ってはおれないであろう。そのあとは白色矮星となって、何十億年かかけて冷えてゆく。最終的には地球はたいへん寒い状態になる。なにしろ太陽がもうないんだから。地質学的なスケールで考えても、現在は「間氷期」である。地球は氷期と間氷期を交互に経験する。最後の氷期が終わったのが、約1万年前。黙っていても、いずれ次の氷期が訪れて、骨が凍えるほど地球は寒くなる。そのときには海岸線がはるか遠くに退き、陸の大部分は氷に覆われ、動植物種も激減するであろう。だから、私は温暖化にはそれほど怯えることもないのではないかと思っている。地球寒冷化よりずっとましだと思う。▼また池田さんは、「二十五歳でリベラルでない者は情熱が足りない。三十五歳でコンサヴァティブでない者は知恵が足りない」と言ったのはチャーチルだが、そのコンサヴァティブ(保守)とは、現行のシステムをすぐに変えようとしないで、ダマシダマシ使う大人の知恵のことだと付加えている。▼以上は内田さんを通じての孫引きですが、その池田清彦さんが書いた『新しい生物学の教科書』(新潮文庫)から。知られる限り最古のサピエンスの化石は南アフリカから出土した26万年前のものであり、最古のネアンデルタール人の化石はスペイン出土の30万年前のものだ。ミトコンドリアDNAの解析から、現生人類とネアンデルタール人の分岐年代は60万年前と推定されており、すべての現代人の共通祖先は14万年前と推定されている。すなわち、すべての現代人は14万年前のアフリカを起源とし、エレクトスやネアンデルタール人は現代人に連なることなく絶滅したと思われる。サピエンスがアフリカを出たのは10万年前ごろと推定されている。現代人を特徴づけるのは、ネオテニー(幼形成熟)と脳の巨大化と前頭葉の発達であるが、これらは自然選択ではなく、発生システムの変更により生じたのではないか。▼ともかく、いま地球温暖化が取りざたされているが、いずれ骨が凍えるほど寒くなる。二月三日(日)
人生ミスマッチ (350)
▼内田樹のブログから。▼人生はミスマッチである。私たちは学校の選択を間違え、就職先を間違え、配偶者の選択を間違う。それでもけっこう幸福に生きることができる。チェーホフの『可愛い女』はどんな配偶者とでもそこそこ幸福になることのできる「可愛い女」のキュートな生涯を描いている。チェーホフが看破したとおり、私たちには誰でもどのような環境でもけっこう楽しく暮らせる能力が備わっているのである。それでいいじゃないか。「自分のオリジナルにしてユニークな適性」や、「その適性にジャストフィットした仕事」の探求に時間とエネルギーをすり減らす暇があったら、「どんな仕事でも楽しくこなせて、どんな相手とでも楽しく暮らせる」汎用性の高い能力の開発に資源を投入する方がはるかに有益であると私は思う。▼と、私も思う。一月二十五日(金)
お金ちょっぴり、時間たっぷり3
▼ある朝ぽっくりを願っても、そうは問屋が卸さない。どんなにPPKを願っても、人間の生き死にに予定どおりはない。人間のような大型動物はゆっくり死ぬ。小鳥やハムスターなどの小動物のように、ある朝突然冷たくなっていたということが少ない。まず足腰が立たなくなり、寝返りがうてなくなり、食べられなくなり、嚥下障害がはじまり、そして呼吸障害が起きて死に至る。このプロセスをゆるゆるとたどるのが人間の死で、そうなれば寝たきり期間は避けられない。たとえ要介護度5になっても生きていられる社会に生まれたことを、なぜ喜ぶ代わりに、呪わなければならないのだろう。▼介護を受ける作法と技法。プロのヘルパーさんはこちらの基準に合わせようと気をつかってくれるが、結局、ヘルパーさんの基準にこちらが合わせるほうがスムーズにいく。▼ユーモアと感謝を忘れない。介護されるのはつらいものだ。でも自分をつきはなして第三者的に観察することも大事だ。「へえー、麻痺した脚ってこんなに重いんだ」とか「これが自分の手とはねえ」とか。ユーモアとは、自分を現実からひきはなす、「ずらし」の精神から生まれる。そうなれば介護者と要介護者はいっしょに笑える。▼未来に投資する楽しみ。歴史学者の脇田晴子さんは、自分の受け取る年金の一部をあてて、女性史学賞を創設した。夫も子どもいて、京都にりっぱなご自宅のある脇田さんは生活に困らない。自分で審査委員を指名し、自分で顕彰した若い歴史学者が育つのを生きている間に目にできる。なるほど、こういう手もあるのか、と感心した。▼残すと困るものもある。歴史家の色川大吉さんが「自分史」いうことばを発明して以来、ブームになった。自分史は「自慢史」ともいわれ、自分の人生を粉飾決算する誘惑にうちかつのはむずかしい。ペットも困るし、パソコンや携帯のメモリは要注意である。じゃ、人間は死んで何を残すか。それは、ひとは死んで、残ったものに記憶を残す。そして記憶というものは、それをもったひとが生きているあいだは残るが、そのひとたちの死とともにかならず消えてなくなる運命にある。▼監察医が語る理想の死。死体を検視解剖する監察医長の小島原は、「孤独死~ニーチェに学ぶ」で、高齢者にアドバイスしている。①生を受けたものは死を待っている人。よって独居者は急変の際早期発見されるよう万策を尽くすべし。②皆に看取られる死が最上とは限らない。死は所詮ひとりで成し遂げるものである。③孤独をおそれるなかれ。たくさんの経験を重ねてきた老人は大なり小なり個性的である。自分のために生きると決意したら世の目は気にするな。④巷にあふれる「孤独死」にいわれなき恐怖を感じるなかれ。実際の死は苦しくないし、孤独も感じない。⑤健康法などを頼るな。ひとは死ぬときには死ぬ。ひとの死は常に偶然にゆだねられなければならない。▼死んだら葬式である。旅立ちの支度だから、どこか遠くの国へ旅行に行くように、あれこれ楽しく準備すればよい。私はバッハの音楽のファンだから、マタイ受難曲かヨハネ受難曲でも流してもらえればそれでよい。▼ひとは生きてきたように死ぬ。一月十九日(土)
お金ちょっぴり、時間たっぷり2
▼孤独とのつきあい方。可処分時間が長い、時間持ちのひとの調査でわかったこと。①時間はひとり「では」つぶれない。②時間はひとり「でには」つぶれない。時間をつぶすには、いっしょに時間をつぶしてくれる相手と、時間をつぶすためのノウハウがいる、ということだった。つぶし方がわからないのに目の前にひろがるヒマな時間は、ひとによっては地獄になる。▼ひとり暮らしにいくらかかるか。社会保険料や光熱・通信費は欠かせないから、現金のない暮らしは考えられないが、それを入れても寒冷地で月5万円で暮らしているひとをわたしは知っている。省エネのパッシブソーラーハウスで、寝室付きのワンルーム住宅。家庭菜園があり貯蔵食品も自家製。▼ケア付き住宅は、食事がついて1ヵ月12~15万円程度。つまり高齢シングルの年金の範囲で暮らせるように設定してある。ぜいたくをしたいと思わなければこれでやっていける。ピンの方でも月額30万円程度で、ちがいは、部屋の大きさや設備の豪華さ、食事の質くらい。▼年金はいくらもらえるか。勤続40年の標準的なサラリーマンが受け取る年金の予想額は約23万3千円(2007年度)。専業主婦の妻は、夫が死亡したときに夫の年金の4分の3にあたる遺族年金を受け取れる。熟年離婚の場合は、婚姻年数に応じて、上限は夫の厚生年金部分の2分の1まで。というわけで妻の受領額は、死別なら月額12万5千円、離別なら11万7千年。▼ゆとりをどう捻出するか。おひとりさまの暮らしにかかるおカネは、年金プラスアルファのゆとりだ、ということがだいたいわかってきた。その「ゆとり」も月に数万円。そんなにとんでもない額ではない。といはいえ、高齢の女に仕事はないが、たいがいのおひとりさまは、他人に教えることのできる特技のひとつやふたつはもっているものだ。お茶やお花の先生をするとか、毎週、公民館で俳句教室の講師をつとめるとか、近所の子どもの勉強を見るとか、週末ビジネスでも月に数万円は入る。それに元気なら、自分より高齢者のお世話を週に数時間するとか、配食サービスの有償ボランティアをするとか、年齢を問わないコミュニティ・ビジネスはいろいろある。一月十二日(土)
お金ちょっぴり、時間たっぷり1(347)
『おひとりさまの老後』(上野千鶴子・法研)から。▼ひとり暮らしの経験のある男性は一般に家事能力が高く、自然にカラダが動くので、家事分担がうまくいく。また、中高年男性のひとり世帯率も上昇しており、ひとり世帯は、未婚者のものだけではない。▼個室を経験した身体は、もとのように雑魚寝へは戻れない。個室で育った若いカップルは、新婚のときから夫婦べつべつに個室を持っているひとたちもいる。▼実際にはメディアがあおりたてるほど、日本では凶悪犯罪や殺人事件が増えているわけではない。自分の身のまわりで起きたわけでもないのにむやみに怖がってもしかたがない。調査によると、新聞をよく読むひとほど世の中に対する不安感が強いことがわかっている。▼ひとり暮らしの基本のキは、ひとりでいることに耐性があること。わたしの仕事は基本的に、「読む」と「書く」の座業。昔風にいえば、錺(かざり)職人や版画の彫師のような居職(いじょく)である。ラジオをかけっぱなしにしたり、音楽を聴きながら仕事をするひともいるが、わたしにはかえって邪魔になる。しーんとした、だれもいない空間で好きなことに集中できる時間ほど、至福の時間はない。ひとり暮らしの達人は、ひとりでいることだけでなく、ほかのひととつながることにおいても達人だ。ひとりでいることの快楽だけでなく、不安もよく知っているからだ。▼友人にはメンテナンスがいる。必要なときに駆けつけてくれ、自分を支えてくれ、慰めてくれ、経験を分かちあってくれるからこそ、友である。だからこそ、友人をつくるには努力もいるし、メンテナンスもいる。メンテナンスがいらないのが、家族と思っている向きもあるようだが、これはカンちがい。家族のメンテナンスを怠ってきたからこそ、男は家庭に居場所を失ったのだ。ほうっておいても保(も)つような関係は、関係とはいわない。無関係、というのだ。▼いっしょにいて楽しいひとは?と書くより、「いっしょにいてキモチがよい」と言ったほうがよいかもしれない。寡黙だったり、おだやかだったり、他人の話をよく聞いたり、要所でぴりりと反応を入れたりするひとが、キモチよい。要は、きちんと相手の話を聞いてコミュニケーションがとれるということ。一方的に自分の話ばかりするひとはきらわれる。自慢話、他人の過去の詮索好き、説教癖のあるひとは、はやがて外される。▼恋の決め手はカオか、コトバか。インターネットが変えた異性の魅力とは、ルックスはいまいちだが、チャットのおもしろい子が選ばれる。▼ベッドメイトよりテーブルメイト。しかもメシがうまくなる相手と少人数で。いっしょに食べるなら、おしゃべりのおもしろい、気の置けないひとたちと5~6人までの食卓を囲みたい。ひとつのテーブルで全員が話題を共有できるのはこの程度。▼女同士の食卓に男は呼ばない。男が来ると食卓の話題が変わるからだ。元気のいい男ならそいつの自慢話を、元気のない男ならそいつのグチを聞かされるはめになる。▼本当に大切な友人はたくさんはいらない。近くにいなくてもよい。自分の理解者だと思える友人がこの世のどこかにいて、いつでも手をふれば応えてくれる。そう思えるのは、どんなに幸せなことか。老いるとは、こういう友人がひとり、またひとりとこの世を去るさみしさかもしれない。一月五日(土)
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