自転車3.. 2
自転車2.. 2
自転車1 (180). 3
米国ウォッチ3.. 3
米国ウォッチ2.. 3
米国ウォッチ1.. 4
ユーラシア冷戦... 4
経済、もう一つの道... 5
二つの経済... 5
気負わず... 6
人はみな肌が黒かった3.. 6
人はみな肌が黒かった2.. 7
人はみな肌が黒かった1(170). 7
ええーっ.. 8
弱肉強食のホント.. 9
旅する本... 9
文学賞は就職試験... 10
同じパターンの同じミス... 10
重大なことを軽く決める.. 11
書評3.. 11
書評2.. 12
書評1.. 12
メッセージ (160). 13
動物たちの自己治療5.. 13
動物たちの自己治療4.. 14
動物たちの自己治療3.. 14
見て見ぬふり.. 14
動物たちの自己治療2.. 15
動物たちの自己治療1.. 16
すべてを持ち歩くオバサン.. 16
神は細部に宿る.. 16
泥脚傭雲... 17
町のヘリテージ(150). 17
インターネット・ラジオ... 18
魂の銭湯... 18
ランボーと俊太郎... 19
捨てちまった教科書... 19
山に向かう、川に向かう.. 19
一を聞いて十を知る.. 20
文学は実学... 20
あれあれ... 21
真夜中のトリオ... 21
夜は学芸王国(140). 21
家ホタル... 22
イワナミ文化... 22
パンキョーって... 23
とんぼの本(136). 23
自転車3
つづき。▼いま生きている三千万種の生物はすべて共通の祖先から進化してきたのだ。最初は同じであったものがこれだけ多種多様になってきたのはDNAのなせる業だ。DNAの得意技はいくらでもコピーを作れるということだ。しかしいつでも間違いなく同じものを作っていたら、生物はこれほど多様にはならなかったはずだ。遺伝子の正体はDNAで、化学分子である。紫外線、放射線、環境ホルモンなど他の化学物質によって構造に変化がおき、コピーミスをする。このコピーミスがあるからこそ変異があり、進化があって、これだけの多様な生物が生まれたのだ。でたらめコピーは、いい方向に進化するとは限らない。進化は進歩ではない。▼生物たちは、お互いに複雑に連絡しあい、依存しあって生きている。チベット仏教の最高僧ダライ・ラマ十四世は、「地球上のあらゆるものがつながっていて、何ひとつとして関係性のないものはない」と言う。一本一本の木々はその拡散に多くの動物の世話になっている。害虫を駆除するために幾種類かの鳥類が、受粉のために幾種類かの昆虫が、その種子を糞と一緒に散布するのに幾種類かの動物が寄与している。そしてこれらの鳥類、昆虫、動物が必要としている生物もそれぞれ何種類、何十種類あるいは何百種類とある。このように生物はお互いに複雑に絡みあい、支えあい、絶妙なバランスのもとに生態系を維持している。チベット仏教の高僧の行きついた地球観と、科学者の観察から得られた生物の実相は似ているのだ。▼宇宙カレンダーからみると、百五十億年前のビックバン(宇宙の大爆発)から現在までを一年として、地球史をみると、恐竜が生まれたのがクリスマス、人類は大晦日の午後十時半に生まれたことになる。人類史というスケールでみると、農耕を始めたのがやはり大晦日。地球外生命体が地球を見たら、案外ペットや家畜が地球の主人で、それをせっせと世話する人間が雇われていると見るかもしれません。▼人口では二割に満たない人びとが、八割近いエネルギー資源を使っている。南の人たちが都市住民と同じに暮らすなら、地球が三つも四つも必要になる。▼再び、成長の限界を思い知る。十二月十日(金)
自転車2
自転車で南米からアフリカまで旅する人もいる。『グレートジャーニー・原住民の知恵』(関野吉晴・知恵の森文庫)から。▼モンゴルのエルデネメチグさんは、長い旅で出会った人のなかでも、とくに印象的な人だった。母親としてなんでも包み込むような暖かさと温もりがあった。遊牧民としてのたくましさと、ほとんど当てもなく盗まれた馬を長期にわたって探しに行く、楽天性と行動力を持っていた。▼ペルーのマチゲンガの人たちは川を中心に生きている。彼らは、頭の中に私たちと違う地図を持っている。地球という概念はない。国という概念もない。世界は森と川からできていると思っている。仲良くなると、彼らから尋ねられる。「あんたはどこの川からきたの?」「その川にはどんな魚がいるの?」。▼チンパンジーの交尾には、メスが必ずしも強いオスだけの交尾を望んでいるとは限らない。強いオスの目を盗んで、結構弱いオス、あるいは若いオスとの交尾に積極的になることが多い。弱肉強食だけではない動物の世界がある。▼二十万年前にアフリカで生まれたわれわれの直接の先祖である新人(ホモ・サピエンス)は、五万年ほど前から世界中に拡散していった。なかでも難関は海と極北だ。海はおよそ五万年前に航海術を身につけて進出を始め、四万年前にオーストラリアまで達した。極北に進出するためには、植物食を中心とする雑食から、肉食に切り替えなければならない。北に行けばマンモスなどの大型哺乳類がたくさんいる。その捕獲技術と肉食への代謝能力が必要だ。寒さへの適応、衣服と住居の改良。およそ三万年前、とうとうそれをやり遂げた人びとの子孫がアラスカに渡り、アメリカ大陸を南下して、南米大陸に達した。人類は、欲望と好奇で旅したということか。▼アフリカ、カラハリ砂漠のブッシュマンやピグミーは、採取・狩猟民だが、モノを蓄えない。この社会で最も大切なことは、「モノをあげたり、貰ったりすること」と「人びとが集うこと」だと言う。人びとの結びつきを強くしておく。人のネットワークを強固にしておくことが、将来の蓄えとなる。十二月九日(木)
自転車1 (180)
自転車はどこを走るか。原則は車道であり、緊急措置として歩道を使うことができる。実際は両使い。ということで、自転車は法の強い規制もなく自由の身である。これがペダルを踏むときの快感となる。著者のおかげで、みずからの古い自転車を見直し油をさすことにした。その『自転車ツーキニスト』(疋田智・知恵の森文庫)から。Webサイトは次を。http://japgun.hp.infoseek.co.jp/welcome.html ▼鍵の話。イタリア映画「自転車泥棒」では鍵なしを乗り逃げられたが、いまはチェーンロック。それでも盗まれる。鍵をかけるときに四桁数字の右端の一桁しか動かさない。これは誰でも覚えがある。泥棒たちはそれを知っていて、リングの鍵を一回転するうちに外してしまう。人の癖を知る泥棒。▼自転車の移動には、駐車料金も要らないからお金がかからない。自転車に乗っていると、何となくお金を使わなくなっている自分に気づく。▼自動車評論家の徳大寺有恒は、あのプリウスだって、やっぱり排気ガスはだすんだよ。ボクはもう二十年間も「小さなクルマの方が良いんだ」って言い続けてきた。だけど日本が豊かになるにつれて、クルマはどんどん大きくなった。本来ね、クルマの排気量は1リットル、それ以上はいらない。クルマに乗るなら、リッターカーに乗るのが一番格好いいんだよ。自転車に乗るのはもっと格好いいけどと、おっしゃる。▼サイクリストにとっては、テントを張るという行為の「大地ある限り、どこで俺の寝床だ」という感覚がたまらない。▼初心者にオススメの自転車は、ロードとMTBの中間、街乗りに特化した「クロスバイク」がいい。前輪サスペンションつきで、細めのタイヤを履き、スピードもそこそこで乗り心地も悪くない。▼通勤には自転車。会社までは意外に簡単に行けるし、それを毎日続けて行くことで、自分なりのノウハウがたまっていく。坂道の上がり方、風が強いとき、交差点での車との渡り合い方、その他のコツはいろいろあるが、実践で身につく。▼私流の着替え。通勤で着替えがムリな人は、背中にタオルを差し込んでおいて抜き取れば、すっきりしますよ。十二月八日(水)
米国ウォッチ3
つぎは、世界の多極化の動き。▼ネオコン・タカ派が中東を不安定化させていくのを尻目に、国際協調派が中東の外側の周辺地域を安定化させようとする動きは、リビア、イラン、トルコ、キプロスなどでも行われている。それらを行っているのは、アメリカの国務省、国連、EUという、国際協調派連合である。このように、国際協調派はアメリカ以外の国が国際的に力を持つことで世界的なパワーバランスをとり、外交によって国際問題を解決できる状態をつくり、アメリカが単独覇権主義者に牛耳られても世界が混乱しないようにしようとしている。いわゆる多極化である。▼すでに、アメリカが異常であることは誰の目にも明らかである。これからもアメリカによる支配状態が長く続く可能性もあるが、その逆に金融危機などによってアメリカの支配があっさりと崩壊する可能性もある。日本はアメリカの敵にされないように注意しながら、いつ異変がおきてもいいようにしておく必要がある。▼どう考えても、世界システムは多極化に向かう。またその方がいい。生物の多様化同様に、元々の地球システムではないか。十一月二十八日(日)
米国ウォッチ2
つぎは、国務省と国防総省の対立から。▼アメリカのネオコンはイスラエル右派を支持しているが、そのイスラエル当局はイラク占領が泥沼化するのと歩調をあわせるように「シリアがテロ組織を支援している」としてブッシュ政権にシリア制裁を強化させたり、「イランは核兵器を開発している。イスラエルはイランの原発をミサイル攻撃するかもしれない」と言い出している。ネオコンとイスラエルは、アメリカの戦線をシリアやイランにも拡大させ、戦争の泥沼に沈めようとしている。▼90年代当初のソ連崩壊後は、国連を強化して国際紛争の解決役にしようとする、パウエル国務長官の国際協調主義の立場が強かった。その後、ボスニアなどで国連の紛争解決がうまくいかず、国連には任せられないといった主張が幅をきかせ、アメリカは世界最強なのだから、国連など無視して外交をやればいいとする単独覇権主義が1996年ごろから強くなってきた。ラムズフェルド国防総省長官の登場である。▼協調主義は、世界は一国だけが強い状態ではなく、多国間の力がバランスしている状態の方が安定する、という均衡戦略の概念にもとづき、アメリカは第二次大戦後に世界最強の国になった状態に固執せず、他の国々が強国になることに手を貸すべきだという考えに立つ。そのパウエル長官は、イラク・イラン・北朝鮮が悪の枢軸なら、ロシア・インド・中国を「ユーラシア安定の枢軸」と考える。中国に対しては2003年初めに北朝鮮問題は北京中心で解決していくことを決めた。中国も自国を中心に東アジアを安定させようとし、韓国とタイはすでにこの体制下で自国の外交を行っている。▼9・11事件から「アメリカはおかしい」と世界の多くの人びとが思い始めた。アメリカに頼らない国際社会づくり、ゆるやかな非米の同盟体がつくられつつあるように感じる。十一月二十七日(土)
米国ウォッチ1
アメリカの動きを、日本の新聞だけで理解できるだろうか。インターネット記事から国際情勢を広範囲に読み解く人がいる。既存の記事、各国当局や他の勢力の発表をよみ、その上で出来事の意味を考える。公開されている情報が歪曲されていないか、騙されていないかを吟味する。『非米同盟』(田中宇・文春新書)はそれを実践している。▼さて、2001年の9・11事件の犯人をめぐるおかしな話。この計画に参加したとされて起訴された人物のほとんどが証拠不十分で釈放されていることはご存知だろうか。奇妙なことだ。いろいろな角度から分析していくと、この9・11は「奇襲」ではなかったのではないか。アメリカ政府の上層部は、この大規模なテロ事件が起きると知りつつ意図的に放置したか、もしくはテロ事件そのものに関与していたと考えたくもなる。アメリカは仮想敵として「世界的な悪」がほしかった。ソ連崩壊は対立すべき「悪」の対象を失わせた。しかしイスラム過激派という敵が存在することにより、アメリカ政府は戦略的に重要だと思われる世界のあちこちの国に対し「テロ防止のために貴国に米軍を駐留させたい」と宣言することができる。かたや米国内では、景気が悪化しても連邦政府の軍事予算を拡大することができ、政界と結びつきが深い関連産業が潤う。▼9・11事件には、ハンチントンの「文明の衝突」がよく引き合いにだされる。彼の国づくりの考えは次のとおり。危機を誘発させ、民主主義を超える超法規的なパワーエリートとなる大統領直属の千人が、非常時の交通通信、マスコミ、発電所などのエネルギー施設などを押さえ、議会を通さず法律を制定し、裁判所に代って司法権を発動し、国民を兵役その他の仕事に強制動員させる。非常事態においては、政策決定に時間がかかる民主主義より、こうした独裁に近い体制の方が効率がよい。これを自国や他国に応用させる。ブッシュ政権は、このハンチントンの考えに沿って、2002年に「国土安全保障省」という新しい巨大な官庁をつくった。職員数18万人、年間予算5兆円の巨大組織の誕生である。▼スパイというか、ウォッチの仕方には常道があるようです。敵深く侵入して活躍する映画ダブル・オー・セブンのタイプもあるにはあるが、英国MI6がやるように新聞や公式発表の情報分析が決め手になる。十一月二十六日(金)
ユーラシア冷戦
▼東アジアの安全保障はどうなっていくのか。ロシア語を短波ラジオで習得したという下斗米さんは粘り強く、ソ連崩壊後の公開資料を分析する。ユーラシア・レポートである『アジア冷戦史』(下斗米伸夫・中公新書)から。▼四九年に中国革命があり、同じ四九年、劉少奇・スターリン会談でアジアの個別の問題は中国に委ねることに決めた。五〇年、中ソ同盟で再確認。とくにソ連は、北朝鮮の扱いを中国に任せた。だが中ソ対立の間をぬって、金日成は抑圧社会への度合いを強め、中ソの思惑を超えた航路をたどり始めたのである。特に核をめぐっては熾烈であった。▼人民中国が作られ、ソ連が核開発を成功させた四九年は、冷戦のもっとも緊張した時期であった。そのソ連から技術提供を断られた中国が核開発を成功させた六四年以降、毛沢東は国内の親ソ派を一掃する文化大革命を発動させる。それらの動きを見ていた北朝鮮も、ソ連・ロシアとの同盟条約がなくなる九〇年代に「核の傘」を提供されなかったことから、九〇年代はじめに核開発を進めた。核はいまや最貧国が先進工業国を威嚇する手段となった。弱者の恐喝である。同時にコストのかかる核開発は数百万人単位の餓死者を出した。▼この核問題を抱えながら、アジアは多極化していく。七六年に周恩来、つづいて毛沢東が亡くなった。アジア全体に大きな変動をもたらしたし、偉大にして残酷な指導者の時代が終る。毛の死後、中ソは接近する。この冷戦終焉の過程で、東アジアの社会主義国は、それぞれ独自の道を選んだ。モンゴルの民主化、中国共産党による経済成長、北朝鮮の抑圧社会化など、それぞれの手段で冷戦後の政治危機を乗り切ろうとしてきた。▼九一年のソ連崩壊後のロシア連邦は、民主化や市場経済へ移行したが、結果はプーチン大統領が二〇〇〇年当初に認めたように、中国経済の五分の一となる。風向きが変わって米国が唯一の超大国となり、アジアは多極化へ向う。東西両方にまたがるユーラシアのロシアが極東でパートナーを求めるとすれば、日本と中国であろう。しかし経済の規模からすると、韓国経済の方がパートナーとしてふさわしい。朝鮮半島問題をめぐる六者協議(日米中ロ)と東アジアの安全保障への期待は高いが、首脳会談にまではこぎつけていない。▼眉が焦げ始めた朝鮮半島問題はあるが、ユーラシア全体が多極構造になれば「力の均衡」への期待がつながる。十一月十九日(金)
経済、もう一つの道
▼この国にも意気高い小企業やベンチャー企業がある。『共生の大地-新しい経済がはじまる』(内橋克人・岩波新書)から。▼しのぎを削る情報産業のなかで、福武書店(現在はベネッセコーポレーション)に惹かれる。二万六千人の主婦による「赤ペン先生」がなんといっても出色。通信教育の「進研ゼミ」を支えるのは、教員免許を持ちながら、教職に就くことのできない主婦たち。すなわち在宅勤務の赤ペン先生である。なぜ赤ペンなのか。コンピュータではなく一人ひとりの在宅教員がすべて肉筆で答案に添削をほどこすからである。生徒たちから寄せられる相談事にも「おばさん」が親身になって答える。東京・多摩にある本社には千六百人の社員が勤める。事務机は桜材、床はコルク、各自の机を仕切るやわらかい感触のパーティション、机上には電話がない。かわって各フロアにはセクレタリーが三十五人に一人の割合で配置され、電話を一括とりしきる。外部への電話は特別のブースでかける。このオフィスにはQタイムと呼ばれる時間がある。毎日午後一時半から三時半まで「考える」ことを妨げるようなことは、電話をはじめいっさい行わない。上司が部下を呼びつけることもない。社員は誰に妨げられることもなく、企画・編集をはじめ自分の仕事に没頭できる。「日本の事務所で行われているのは仕事ではなく、作業です」と社主の福武総一郎氏は言う。▼わが身の場合は、九割が雑事と作業で毎日が暮れる。十一月十二日(金)
二つの経済
アメリカの保守主義とリベラリズムの差異はどこにあるか。市場万能、自助努力と自己責任、小さな政府、低福祉低負担、これが保守主義の経済理念。かたや、市場は不完全ゆえに、政府介入による経済安定、高福祉高負担による不均衡是正はやむを得ないとするのが、リベラリズムの経済理念。この二つの流れを『市場主義の終焉』(佐和隆光・岩波新書)から。▼二つの立場を象徴している経済学者は、「政府の市場介入は害あって益なし」というのがハイエクで、対極にいるのがケインズ。政府の財政政策で市場介入しなければ、失業、インフレ、貿易赤字などの不均衡は解消されないとする。このケインズ主義をどこの国も採用してきた。が、やがてアメリカ、ついでイギリスは財政赤字と国債発行増にうめき、70年代から80年代は、反ケインズを旗印とするサッチャリズムやレーガノミックスへと風向きがかわり、市場主義が強くなる。▼さて、21世紀当初の十年間に起こる「変化」はなにか。第一に、ポスト工業化がすすみ不確実性とリスクが増大する。その結果、少数の勝者と多数の敗者が生まれ、社会の結束がゆらぎ、犯罪が増え、新興宗教への帰依者が増える。市場主義の競争に負けないためには、反市場となる不正なインサイダー取引が横行する。第二に、情報技術革新が、個人間、国家間の生産性格差と所得格差を途方もなく拡大する。政府は、個人所得の累進課税や福祉予算の拡大による所得の再分配にだけに頼ることはむりである。福祉のあり方や、平等・不平等などを見直し、第三の道をさぐらなくてはならない。第三に、自由競争の結果が「一人勝ち」なる。マイクロソフト社の基本ソフトは追随する応用ソフトの余勢をかい、閾値を超え市場占有率を一気に高め90%を超えてしまう。ウィンドウズが他の基本ソフトより優れていたためではない。▼経済学の祖・アダム・スミスが言うところの、市場での神の「見えざる手」の予定調和は、地球上の二百余国の市場経済までは手がまわらないようだ。グローバリゼーションは短期資本(ヘッジファンド)のひんぱんな移動をうながし、97年から98年にかけての東アジア通貨危機から国債金融危機を誘発させた。もともとは、東アジア諸国が80年代に工業化社会への離陸をとげ、工業製品の供給能力の過剰が通貨危機をおこしたと言われている。しかも、途上地域の中東・アフリカがその製品を飲み込めないでいる。グローバルなデフレ現象である。▼そんな潮流のなかで、経済的に落ちこぼれた人たちの弱者救済としてのセフティネットをどうするか。失業保険や再教育により敗者復活の機会を与えることである。建前はそうであるが、能力なき人たちには、無理に働いてもらうより、公的資金をつかうセフティネットで、惰眠をむさぼっていてもらう方が、再教育でコストをかけるより社会的費用は安くてすむ、という市場主義者もいる。▼しかし、市場主義と機会均等だけでは、結果の不平等をうみ、社会が安定しない。税と福祉による所得分配の平等化をめざすケインズ経済学を修正するような経済政策はないのだろうか。資本主義経済の活力源は、不確実性とリスクへの挑戦にある。リスクに挑戦するひとに報奨金を与えたり、リスクに挑戦して失敗した人へは補償したりが大事になる。失業保険は、労働力の再配置のため、転職というリスクへ挑戦への報奨金とみなすことである。▼90年代に世界の市場経済がそれなりに機能し、また98年に勃発しかけた国際金融危機を回避できたのは、強大な軍事力と経済力をもつアメリカが、グローバル市場経済のガバナンスをしたからである。しかし、そのアメリカも陰ってきた。▼グローバル資本主義のガバナンスを司る国際機関の創設へと向かわざるを得ないのだが。ブッシュ再選で保守主義の経済政策がさらに濃くなり、二つのアメリカは揺籃していく。平和と安全はまだまだなのだ。もしかしてないものねだりか。十一月六日(土)
気負わず
語り口は気負わず。日常からくみ上げるのがうまい。ひんやりと味ある井戸水かな。飲み、いや、読み心地がいい。『ゼロ発信』(赤瀬川源平・中公文庫)から。▼ぼくの美術の楽しみ方。ぼくは展覧会に行くときはポケットに五十億円ほど持って行く。持っているつもりで、ピカソやマチスやゴッホのどの絵を買おうかと思ってみると、思想やその他の知識で見るのとは違って自分の本心があらわれてくる。それから、展覧会は短く早く、三十分ぐらいの早足でさっと見る。そうするとムダな知識の干渉のいとまがなくて、これも自分の本心が得られる。▼現場は待ってくれない。時間も迫るし、手詰まり状態であっても、逃げるわけにはいかぬ、とにかくやらなければというぎりぎりのところで、乱暴力が発揮される。人のセンスというのは、結局はそこで出てくる。そうじゃないと、人間はどうしても逃げたがるのだ。余裕があると結局計算ばかりして、人のセンスも姿を消してしまう。▼そうだ、動物園に行こう。動物を見たかったんだ、動物を見るのは気持ちいい。動物を見ることが、何だかからからに乾いた口の中に、ごくごくと水を飲むような実感があるのだ。頭の中が理論ばかりで固められて、仕事が詰まり過ぎていたのか。人間の生活とはまるで違う象や、山猫や、オランウータンが、現実に目の前で生きて呼吸をしている。その生態を目の当たりにすることが、凄く気持ちいい。一つの型に固まりそうな気持ちが、ぐすぐすとほぐれていく。だってあんな考えられないような生き物が、とても考えられないような生活をしているんだもの。じーっと動かなくても、その体の中にとんでもない動きを秘めている。その窺いしれないものの存在に、何故かこちらの気持ちがほぐれて、気持ちの肩凝りがすーっと消えていく。これからはときどき動物園に行こうと思った。動物園では一人で無口に、じーっと動物を見ているのがいいように思った。自分は生きもので、向こうも生きもので、両方呼吸している。これがぱっと入れ変わったら、どんな感触だろうか。そんな妄想で、こちらの気持ちに、空気の入れ換えが出来るのである。▼世の中、何が隠れているのかわからない。隠れているものは見ようとしないと見えないから、一生それを見ずに終ることもある。でも見えてしまうと世界は深まり、深まるというのは世界が広がることである。▼きのうは腹を下したあとの無気力感を、立ち食いそばに救われた。十一月三日(水)
人はみな肌が黒かった3
▼石器を作ったのは誰か。二百五十万年前にヒトが初めて石器を発明し、それが全アフリカに伝わったことは間違いないだろう。石器は、人類が手にした初めてのテクノロジーであった。目的はいうまでもなく、肉を切るためである。▼気候変動で、東アフリカの森林が縮小し、サバンナが広がれば、ライオン、ヒョウ、チーター、リカオンなどの肉食獣は活動しやすいが、樹上の猿人にとっては危機的だ。新たな環境に適応するしかない。環境の大変動に適応できずに大量の動物は死に絶えるが、同時に爆発的に種を新生させるチャンスともなる。この混沌の中から脳の大きな雑食性のヒト属が選択されのだろう。ヒト属は肉食動物の食べ残しを漁ることになる。肉は高蛋白、高カロリーの完全食品である。従来からの果実、根茎類などの植物食に加えて、肉食を大幅に採り入れた雑食化によって、ヒト属が脳を拡大させたのは確かである。▼肉食には、石器が不可欠である。この石器でいきなり初期ヒト属が狩りをしたわけではない。大型の草食獣を狩猟する実力などなかったので、まずは死肉あさりである。サバンナに野垂れ死にした動物の死体を見つけ、ハイエナ、ハゲワシに先んじて、石器で厚い皮を裂き、肉片に切り分けたのである。▼ヒト属はなぜ、肉にこだわったか。肉がうまいからだけではない。生理学的に脳は、ひどいエネルギー消費型の組織なのである。現代人の場合、体重の二%ほどしかない脳が、全代謝エネルギーの二十%を消費している。脳を養うために高栄養の肉を食べざるをえなかったのだ。こう考えると、脳の拡大→石器の発明→肉食化は、密接に関連しあい、おそらく同時に始まったことなのだろう。どの歯車が狂っても、ヒト属の進化は頓挫したに違いない。▼さて、ヒトはどうしてアフリカを出たのだろうか。明快な答えはないが、おそらく百五十万年前頃、大型ネコ科動物がユーラシアに分布を広げた。基本的に死肉あさり屋だったヒト属は、彼らの後を追ったという可能性もある。▼最古のホミニドはアフリカでうぶ声をあげ、ヒト属の進化もアフリカで起こった。そしてホモ・サピエンス化もまたアフリカで進行し、この中の一部がついにユーラシアに進出して、やがて世界に分布したのである。十月二十四日(日)
人はみな肌が黒かった2
▼ヒトはなぜ直立したか。手が歩行から解放されれば、自由になり、道具を作れるようになる。直立すれば遠目がきく。ライオンやヒョウなどの捕食動物に対し、自らの体を大きく見せることができる。サバンナ暮らしには有利だ。しかしこの考えは、人類の誕生の場がサバンナでなかったことから破綻した。▼最近の説は、脳を冷やすために直立したという考えだ。脳は活発に活動する組織だから、常に冷やす必要がある。それには頭を高い位置にした方が、風に当たって有利だ。それに、熱帯雨林で覆われていた東アフリカの気候が悪化し、ジャングルが狭まり、パッチワークみたいになった森から森を移動するために、樹上性のヒトの祖先がやむなく直立二足歩行を始めた。▼一千万年前以降、地球のプレート運動によって東アフリカに大きな地溝帯が形成されつつあった。広大な熱帯雨林が東西に分断され、東は乾燥化を始めた。この雨林に棲んでいた化石類人猿は、東西に分断されたために遺伝的に隔離され、互いに別々の進化をした。西に残された集団はチンパンジーへと進化し、東の集団がヒトになった。と言う筋書きもある。▼チンパンジーはヒトに進化するか。その可能性はない。なぜなら共通先祖から分岐して以来、ヒトはますますヒトらしくなり、ついには現代人になったように、チンプもますますチンプらしく進化・特殊化し、今日に至った。極端に特殊化したグループが、反対側の極端に特殊化した別のグループのようになる事態は、進化という生物史の中ではありえない。特殊化とは環境に適応しようとした生物側の努力の結果である。適応できなかった個体群は死に絶え、その数は生き残った種数よりはるかに多い。その流れを逆流させ、別方向へ進化するなどという芸当はありえない。逆流すれば、その過程で当然に自然淘汰で排除されてしまう。▼二足歩行のためには、内臓をきっちり受け止めるボール型の腰が、絶対必要だ。チンプのような骨盤だったら、重力を受けて下がり落ちようとする内臓を支えきれない。だから現代人の腰痛と痔は直立の代償なのだ。十月二十三日(土)
人はみな肌が黒かった1(170)
死蔵本のほとんどを廃棄・リサイクルしたら、本棚がスカスカになった。持ち物が少なくなり気楽になる。軽くなるとちょっと重めのものが読める。『ネアンデルタールと現代人-ヒトの500万年史』(河合信和・文春新書)は、ヒトのソモソモをあつかう。▼人類は、起源地であるアフリカから旅立った。「出アフリカ」は、おそらく百五十万年前頃で、その五十万年後にはヨーロッパにたどりつく。最近では七十八万年前の人類化石が、スペインとイタリアで見つかっている。▼十九七〇年代の分子生物学は、ミトコンドリアDNAを利用して人類の進化系統樹をつくりはじめた。このミトコンドリアDNAは、母親からしか受け継がれないのが特徴。つまり母方の系統を精確に追跡していくと、現代人(ホモ・サピエンス)はアフリカの一女性に行きつく。この遺伝子の証拠からみて、起源的現代人が二十万年前にアフリカにいたのは動かないところだろう。▼それでは、何がホモ・サピエンスを生み出したのだろう。繰り返される氷河期をのりきるために、彼らは骨の針をもつことになる。ここが大事な点。これで毛皮を縫い防寒とした。間氷期になれば、サハラは砂漠が小さくなり、緑になるのでホモ・サピエンスが集まるが、気候の寒冷化とともにやがて中東に向かう。人類の西進である。▼クロマニヨン人の現代的特徴の起源はアフリカにあり、南アフリカとエチオピアで遅くとも十万年前には暮らしていた。その子孫がヨーロッパに進出してクロマニヨン人を出現させた。数千年間はヨーロッパのネアンデルタール人と共存し、その後交替した。▼ヨーロッパの白人もかつては黒人だった。人類の西進とともに、黒い皮膚を白い皮膚に変えた。強烈な太陽光のアフリカでは、肌が黒いことは、有害な紫外線をカットできるから適応的だ。しかし陽光の乏しいヨーロッパなら、肌が黒いままではカルシウム代謝に必要なビタミンDを合成できない。それでは、くる病によって早晩絶滅せざるをえない。また、瞳も、青く変わる必要があった。▼氷河期ヨーロッパでの、ネアンデルタール人とクロマニヨン人(ホモ・サピエンス)は競争的共存をしたが、石刃技法や骨角器の細工においてクロマニヨン人が優れていた。クロマニヨン人の骨角器は本格的なもので、マンモスの牙、トナカイの骨、食肉獣の歯を素材にして、道具をつくりあげていた。この差は、生存技術の上でかなりの差となり、ネアンデルタール人はひっそりと死に絶えた。人類誕生以来、少なくとも二百五十万年前以降は、ヒト科には常に複数種が共存していたが、このネアンデルタール人の絶滅で、ホモ・サピエンスは唯一種のヒトとなった。こうして残ったホモ・サピエンスに、地球の未来が委ねられることになったのである。十月二十二日(金)
ええーっ
職場の上司をあつかったこの新書は、本屋の一等地に何冊も平積みされている。薄い本ながら会社と社会を写し取り、現場からの上昇気流に期待が込められている。『上司は思いつきでものを言う』(橋本治・集英社新書)から。▼部下と上司とのすれ違いの原点はつぎにある。部下の提案が、上司の責任と過去の怠慢に結びつく場合は、うまくことが運ばない。それに現場を統括する管理職は、現場の都合と会社の都合の両方を股にかける立場にあり、ここで二つの流れは当然のように衝突がつきまとう。▼ところで、どうして上司は思いつきでものが言えるか。寒流と暖流のぶつかるところは、思いつきの魚場になる。たとえば会議で、この会社はこのままでは駄目だと、現場と会社の都合がぶつかり、寒流と暖流がぶつかる。だいたいの事実認識が共通になりそうなところで、「じゃ、そういうことで。わが社も安閑としていられないので、あとは各自それぞれ、何かを考えるように」で締めくくられる。その後はふっきれたように、上司はほとんど連想ゲームのように思いつきで反応することになる。そしてそれがまかり通る。▼会社からの風と、現場からの風はどう吹くか。建設的な提言は、ほとんど現場から吹きます。逆に会社からは、現場は努力せよの命令です。会社からの風だけだと、現場はやせます。しかし、会社はこれに無頓着です。理由は会社が上から下への命令系統によって出来上がっていて、下から上への現場の声を反映しにくいようになっているからです。でも部下の建設的な提言は、辛抱強く提案すれば必ず受け入れられます。だたし、上司の思いつきも招き寄せます。企画書を見た上司は「いいじゃないか。ところで、ここなんだがね」と必ず「思いつき回路」を作動させる。上司と現場は断たれているが、上司もかつては現場が故郷だったので、部下の提案に自分の限られた権限を振り回してみるのです。上司の優位性の誇示。これが、上司の思いつきが発動される主因です。▼上司とは、現場を離れてなおかつ現場を包括する能力のある者で、だからこそ部下は、上司に対し「ちょっといいですか」と言って、そのチェックを求めてくるのです。上司とは命令するものである、などという考えは捨ててもらっていいのです。▼さて、思いつきでものを言う上司にはどうしたらいいか。あきれればいいのです。「ええーっ」と言えばいいのです。ちゃんと練習をして、途中でイントネーションをぐちゃぐちゃにして、語尾をすっとんきょうに上げてください。上司は部下にあきれられた経験がありません。上司にあきれるためには、声の出し方だけでなく、どこが理論矛盾を発見しておかなくてはなりません。でもこれで論争に持ち込んではだめです。▼上司への企画書は、上司の頭のレベルにあわせて、分かるように書かなければならない。これが書き手の原則です。上司をバカにせず、バカかもしれない可能性も考えて書くことです。会社には二つの風が吹いています。暖められた空気は下から上へ、上がると冷えて重くなって下がります。同じ空気が下から上へ、上から下へと循環します。それには温度差があって当然です。これは初めからあるのです。▼そういうことだから人間の社会には厄介が起こる。十月十九日(火)
弱肉強食のホント
アフリカ・サバンナの写真やレポートは楽しい。▼『食べられるシマウマの正義、食べるライオンの正義』(竹田津実・新潮社)から。まずはアフリカのザイールでの話。ムブティ族(ピグミー族とも)は、捕獲したオカピのための餌集めの仕方がなんともポレポレである。オカピの餌となる植物は30種を超える。ある朝その採集作業につきあった。なかなかに楽しい。急ぐでもなく、競うでもなく、そのくせ仕事をさぼることもしない。皆が小さな鼻歌を歌いながらあちこちと立ち止まり、登り、しゃがんで、その日の必要な量を採集する。立ち止まり、背伸びし、下草に鼻をつっこんで、野生のオカピの菜食リズムを真似ている。各自が1種類を採集するために、集まる餌の種類はその日の出番の人数による。作業が終ると、集めた食草を頭にのせ、列をつくって帰ってゆく。静かに低く、歌をうたいながら。森の民ですね。▼つぎは、草食哺乳類の死亡要因。セレンゲティ公園内の調査では、捕食によるものは全頭数の3分の1程度だとわかった。残りは病死か餓死だというのだから、死体は肉食哺乳類の主要な餌であると考えられるというのだ。人類も道具の発達していない初期の段階では、屍肉食者であったはずである。人間もスカベンジャーだった。スカベンジャーの代表選手みたいに言われるハイエナは、研究者の報告によると、ライオンなどと同じ程度の狩をやっているという。▼さてつぎは、弱肉強食の話。野生の生き物たちに流行病がほとんどみられない。タンザニアのセレンゲティやマサイマラの自然保護区は、野生動物と人間、それに家畜との接点は無数にある。事実サバンナを歩けば、マサイの飼育する牛とヌーは隣り合わせの生活をし、草も水も同じ場所。ロバとシマウマ、ヤギとガゼル、皆んな共通の場を利用しあっている。もしそれが、あの100万頭をはるかに超えるヌーの中に発生したらどうなるか。だが現地の人に尋ねても、大感染で大量死なんてことは見たことがないという。チーターは、うじゃうじゃいたトムソンガゼルの中の一頭をめがけて狩をはじめた。どうも最初からターゲットを決めている様子。走り始めて一番弱そうなものをねらったのではない。狩るべき相手を決めてから走り出している。なぜか。同行のマサイ族のガイドは、「おいしそうに見えた」といった。そうなら、狩られる、殺される者たちがおいしそうに見せたりすることがあるとしたら、狩りをする側は、ただその表現に応えているに過ぎないということになる。さてそこでです。一般に伝染力の強い病気であっても、感染直後ではその個体は他者に対して伝染能力を持たない。一定期間の潜伏期をへて発病する。発病することによって初めて病原菌は外に飛び出す。ウィルスにしても菌にしても、発病前では体外に出ることはまずない。発病前に殺され、食べられたら、病気はその個体だけで終る。いかなる病原体であっても、流行することはないと考えられる。このシステムが野生動物の中に存在するんじゃなかろうか。もしそうなら、どんな流行病であっても単独個体で終息することになる。このメデタシ、メデタシのシステムを存在させるために感染個体は早く殺されなければならない。そこで編み出した形としてとったのが、「美味しそうに見せる」行動ではなかったのか。美味しいよと出す信号に、ただ応えただけに過ぎない行動。それが狩りであったんじゃなかろうか。そうすると弱肉強食、そんなものは皆んなウソ。死ぬのは正義なら、殺すのも正義。そして皆んな健康になる。▼これは竹田津実さんの仮説です。サバンナの狩りは、弱肉強食ではないかもしれない。いいなあ、今夜はぐっすり眠れそう。十月十日(日)
旅する本
出かける旅は日常をおき去りにした分だけ、気分が熱気球のように膨らみ上昇していく。それがふたたび日常に降りたつと、あれあれという間にしぼむ。この致し方ない気分。でもなんとか手入れさえしておけば、ある程度は膨らむ。膨らむように、ちょっと関係のありそうな本を探す。▼ケニアのマサイマラ動物保護区への旅行記がありました。『マサイマラに楽園をみた』(降分小鹿・文芸社)から。ここには電話がない。テレビがあるけれどそれはビデオのため。日本で生活しているときよりも感覚が鋭くなってきた。風、空、光、大地から受ける視覚、聴覚、臭覚、味覚、そして心の感覚すべてがマサイマラに訪れてから変わってきた。フィラデルフィアからきたおばあちゃんは「もう七十三歳なの。先が長くはないと思うけから、どうしても今のうちに野生の動物をこの目で見るのが夢だったの」「フィラデルフィアで生活していた時より、旅に出てから心も体も調子がいい。いつも飲んでいた薬を飲まなくてもね、不思議だわ」。「まあ残念、もう帰るの。せっかく初めて出来た日本人のお友達だったのに」。旅には出会いもある。▼つぎは、『世にもマニアな世界旅行』(山口由美・新潮社)から。旅は、その場にいる臨場感が大切なのに、南の島を訪れる日本人ダイバーは、概して魚の種類をたくさん見ることにこだわる。それにトラベルの語源がトラブルなんだから、多少のトラブルは楽しむくらいでないと。▼次の本は出かける本ではなく、こちらへ来た本。D・H・コラールの「アジアの旅」(未来社1967年)から。ヨーロッパの朝は厚いカーテンを開けるといちどに光が満ちるが、日本の朝は障子から徐々に光がさしこみ目覚めがゆるやか。▼かつてのおだやかな日本。古い日本の生活に旅したい。十月九日(土)
文学賞は就職試験
このひとの本を読むと、論証もうまく、そうかもなあと思えてきてしまい、結局は説得されてしまっている。▼『読者は踊る』(斉藤奈美子・文春文庫)から。今の若い人たちにとって一発当てるには、まんが家かミュージシャンの方が効率がよいのだが、そっちの才能がないので文章が選ばれる。だが本格的エンタテイメントには技と知識の蓄積がいる。ノンフィクションには取材が不可欠。シナリオも多少は勉強が必要だ。手間暇かけず、日本語が書けるだけでイケそうな分野って、身辺雑記的なエッセイか純文学くらいなんだよね。▼じゃ、そんな流れのなかで、芥川賞・直木賞とは何なのか。選考委員が全員作家である点に注目したい。つまり両賞は、新しい作品を見きわめて励ますためのものではない。新人作家の中から自分たちの仲間に入れてやってもよさそうな人材を一方的にピックアップする、一種の就職試験なのです。選考委員はいわば文壇の人事部で、だからこそ受賞予備軍の人たちが結果に一喜一憂するのです。どうみても会社の人事ですよ、これは。▼そういっちゃ身も蓋もないと思うが、そういうことなのだ。十月八日(金)
同じパターンの同じミス
▼ひきたいんですか、できますよ。大人になってからでも、だいじょうぶ。音楽産業のY楽器などは、「もしもピアノが弾けたなら」というおっさんを、そそのかすように営業のウィングを広げている。以前は四、五歳ではじめなければものにならないと言っていたのに、それがこのごろは、四十代、五十代からでもたのしめると、甘言を弄する。▼『アダルト・ピアノ』(井上章一・PHP新書)は、そこを突く。ピアノ教室の先生は、譜面を見ながらひけという。いつまでも暗譜にたよっていると、譜面がよめないままでおわりますよ。これが中年からのピアノ学習者にはつらい。幼児からピアノをひいてきた人は、言語でいうところのネイティブ、つまりネイティブ・ピアニストなのだ。彼らを基準にして、おじさんたちのレッスン法を考えるのは、まちがっている。ではなぜ、ネイティブのピアノ熟達者は、鍵盤を見なくてもひけるのか。それは、彼らが小さいころから、ハノンの練習できたえられているからである。八十八個ある鍵盤の位置を、彼らは体でおぼえこんでいる。だから、極端にいえば目をつむっていても、正確にひけるのだ。そんなことを、おじさんにもとめられても、こまる。バイエルもそうだが、ハノンのたいくつな練習なんか、大人につづけられるわけがない。▼ピアノをやっていると、どうしても指がうごいてくれない展開なんかがでてくる。ピアノの前へすわって、何度練習をしてもひっかかる。いつもそこで失敗してしまうという箇所が、かならずある。家族にいちばんめいわくがられるのも、そういうところだ。同じパターンの同じミスをくりかえし聞かされる。家族が悲鳴をあげる。▼基礎練習は大事か。だいじである。だが、たいていのピアニスト志望者は、基礎練習をつみかさねることで、表現をうしなう。そして、ごくまれに規律の圧倒的な重圧下に、表現すべき自己を堅持する。そういうひとにぎりの人びとだけが、ステージ・ピアニストなりおおせるのだ。考えてみれば残酷な世界である。基礎訓練という名のもとに、生徒は自分をおさえることが、まずもとめられる。最終的には、その規律をはねかえす才能がもとめられる。そのはねかえす力のない音大生が大勢いる。技術だけはあるというピアニスト断念者が死屍累々と存在する。ピアノ教室の先生になったりするのは、たいていこういう人たちだ。▼中高年のピアノ入門者は、技術ではなく、数十年の人生とそれゆえの情感をこそ、かもしだしたいのである。それこそ音大生とはちがう、大人のピアノのひびきをもちたいのだ。それにはハノンの基礎練習より、コード理論。コード進行の理論につうじておれば、むずかしい譜面の音を省略できるし、お好みのサウンドを加算できる。自分なりに編曲できるのである。それにクラッシクの鑑賞がゆたかになる。バイエルやハノンは指の鍛錬をめざすが、コード学習は和音の把握につうじる途である。中高年の学習者よ、コードでたのしめ。▼ほほーっ、コードか。いいかもしれない。十月六日(水)
重大なことを軽く決める
▼『すばらしい新世界』(池澤夏樹・中公文庫)から。▼冒険したほうがいいよ。同じ仕事を十年もやると疲れがたまるから。▼ともかく、私はこの小さな風車という計画に力を注ぐと決めた。ネパールのナムリンという小王国に行って、小型風車を作る。現地の人々が管理できるよう、理科と技術の教育もする。重大なことは軽く決めたらいい。▼そうそう、『朗読者』(ベルンハルト・シュリンク、松永美穂訳、新潮文庫)にも、決断の話が出てきた。人生においてぼくはもう十分すぎるほど、決断しなかったことを実行に移してしまい、決断したことを実行に移さなかった。ガールフレンドたちからときおり、ぼくには自発性がなくて、頭ばかりでものを考え、お腹で考えることがないと非難された。とあった。▼ふたたび、池澤の本に戻る。もう人は畑に行かないのです。土の匂いを嗅いで、あの湿り気を足の裏に感じて、全身の筋力で耕して、芽が出るのを待つ。そういう喜びはもうないのです。みんな抽象的な、たよりにならないバリューだけを相手に、宙に浮いた生活をしているのです。それが畑を捨てて都会に出てきたことの報いなのです。畑の祈りは単純でした。豊作を願い、かなえられたら感謝する。不作ならばまた祈る。しかし、都会の祈りにはそういう手応えのある対象がない。抽象的にならざるを得ないから、それだけ強力な神を作り出すようになった。強力で危険な神々。しかし魂の問題は火薬のようなもので、うまく使えば山を崩して道を造れるけれど、間違えるとたくさんの人が死ぬ。気をつけなければいけない。▼小型風車で電力を提供できれば、山の木を切らないですむ。木を切って燃やす限り、いずれは限界がくる。どこの古代文明もそれで滅びた。その先はないんです。▼今、先進国の市民は百人の家内奴隷をかかえたローマ帝国の貴族よりもずっと贅沢な日々を過ごしている。ローマ皇帝とて夏場にアイススケートをすることはできなかった。一日にして千キロの旅をすることはできなかった。▼豊かな暮らしという欲望に技術は十分応えた。この一世紀間くらい、成長なし戦争なしで一息つかないと、地球がもたない。みな疲れてるし、太平の安楽だってわるくない。九月二十四日(金)
書評3
わたしは、手軽な千円以下の本を好むから、新書の書評にも目が向く。▼われわれの起源についての本がある。『ネアンデルタールと現代人』(河合信和・文春新書)は、結局ヒトの歴史を遡ればすべてアフリカに戻ってゆくことを説く。ホモ・サピエンスはアフリカで誕生し、われわれの祖先をたどると、二十万年にアフリカにいた一人の女性に帰するというミトコンドリア・イブ説は相当に確実である。ではなぜ彼らはアフリカを出たのか。これも先端の話題である。▼『物理学と神』(池内了、集英社新書)は、物理学がどうやって神の領土を少しずつ縮めてきたか、という視点からすべてを語り直している。神は創造主ですべてを造り、その後もずっと運営してきた。だから人は畑に十分な雨が降るよう神に祈った。やがて、神は創造主ではあるけれど、その後の運営には関わっていないと人は気づいた。スタートボタンを押したところで退場したのではないか。自然は自動的に進行する自律的システムであるらしい。▼『市場主義の終焉』(佐和隆光、岩波新書)は、要は金の動きを論じながらどこかで金を超える理念に展開。経済学の門外漢ならなおさら必読。これだけの内容が頭に入っていれば毎朝の新聞紙面が二割くらいくっきりと見えるという意味でこれは優れた啓蒙書である。▼『歴史とはなにか』(岡田英弘、文春新書)は、一読三嘆。自分の歴史観を解放する、快刀乱麻のような読後感。▼『戦争を記憶する』(藤原帰一、講談社現代新書)は、日本人の歴史観や戦後処理の混乱をみごとに整理してくれる本である。▼『民族とは何か』(関廣野、講談社現代新書)は、なぜイギリスが最初に近代国家として離陸しえたのか、フランス革命はどこでつまずいたのか、なぜドイツの政治は極端に左右に分裂し、その中からナチスが台頭したのかが、具体的に論理的に展開されている。それと日本民族の課題。▼つぎは、文庫本から。『読者は踊る』(斉藤奈美子・文春文庫)は、ある分野に関する本を一通り読んで、誉めるでもなく叩くでもなく、その本の束全体を論じながら、そんな本が出る今の日本を評論するという豪腕の書評である。▼『朗読者』(ベルンハルト・シュリンク、松永美穂訳、新潮文庫)は、相当の傑作で、読後感もすばらしくいい。九月六日(月)
書評2
▼『死んでいる』(ジム・クレイス、渡辺左智江訳、白水社)は、死体が海岸の小さな生物に発見され、少しずつ食われ、また微生物によって分解され、非生物化してゆく過程を、抑制された叙情の筆致で美しく描く。これがとてもいい。イギリスの無常観がある。だいたい普段からわれわれは自分たちがしていることに意味を与えすぎる。神を発明し、うぬぼれ鏡を見ながら歴史を書き、偶然をおおげさに評価し、一回ずつの食事を讃え、お互いの顔色を誉め合い、親しい者の死を嘆く。しかし、ことはなるようになってゆく。それだけのことだ。▼『ヒツジの絵本』(武藤浩史編、スズキコージ絵、農文協)は、農と牧の楽しさを子供に伝える。トマト、ナス、ジャガイモにはじまって、ナタネ、アサガオ、シイタケまで三十五点。動物はカイコ、ヤギ、ニワトリとこのヒツジ。人間に衣食住のすべてを提供してくれる動物はヒツジしかいない。衣と食はわかるとして、住は何か。モンゴルに人びとが暮らすゲルという大きなテントはフェルトで作るのだ。これ一冊を手元におけば、ヒツジが飼える。▼『人類最古の哲学』(中沢新一、講談社選書メチエ)は、神話という言葉をぴかぴかに磨きなおす名著だ。▼『ゼラニウム』(堀江敏幸、朝日新聞社)は、短編六編とも隙のないよくできた構成で、文体も心地よい。▼『セーヌは左右を分かち、漢江は南北を隔てる』(洪世和、米津篤訳、みすず書房)は、フランス社会が持つトレランス(寛容)の資質を高く評価し、まだまだ未熟な韓国社会を激しく批判している。美の問題では、学校に通う子どもがなぜ石膏デッサンをしないのかと洪は教師に尋ねた。理由は、一つのモデルを注入すべきではない。石膏像は一つのモデルにすぎない。それは唯一の真理ではない。石膏像を見てデッサンさせると、価値観を画一化させる恐れがある。それでは創造的な個性を生かすことはできません。それに、一つの対象をもとにデッサンをすると、子どもたちはお互いに描いたものを比べます。子ども同士が優劣を競うのはいいことではありません。だいたい、三十人の子どもが一つの死んだ静物を眺める姿は、少しも美しくありません。そうじゃないですか。と若い教師は云う。▼『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』(上野千鶴子、平凡社)は、住宅を通じて家族を問いなおす本である。衣と食は商業資本に、住は国家管理された、その間に挟まれた家族や個人の自由を挑発している。▼『だから、国連はなにもできない』(リンダ・ポルマン、富永和子訳、アーティストハウス)は、オランダ出身の女性ジャーナリストによる優れたルポルタージュで、ソマリアやルワンダなどこの十年に国連が抱えた紛争地の現地レポート。実態はまこと惨憺たるものだ。国連の決定の裏は知らない方がよいかもしれない。ホットドックと一緒で、ソーセージの製造過程を知ったら食えなくなる。九月五日(日)
書評1
わたしは、文理系をあわせもつ池澤夏樹の書評を好んできた。今回は『風がページを』(池澤夏樹・文藝春秋社)から。▼『水俣病の科学』(西村肇・岡本達明、日本評論社)は、在野の研究者による、はじめての科学的な解明の書である。あれだけの大きな社会問題になっていながら、科学的な解明は済んでいなかったことがわかる。▼『図説インド神秘事典』(伊藤武・講談社)は、一見軽く見えて実はずっしりと重い本。ヒッピーの旅行記ではなく、もったいぶった学者の解説書でもない。インドについてこんなにもすごい本が書かれるようになったかと感心した。▼『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰訳、草思社、上下巻)は、各大陸の人間が置かれた自然の違いが、今という時点におけるこれだけの違いを生んだ。子供でもちゃんと理解できるよう検証していく。人類が採取狩猟から農耕へと進んだのは誰でも知っている。では、なぜ新大陸と旧大陸との間に、文明の差が生じたか。新大陸に渡ったモンゴロイドも野生植物の栽培を試みた。しかし、小麦や米やマメ類のような、人間にとって都合のいい植物が新大陸にはなかった。大型の草食動物を家畜化しようとしても、新大陸には馬や牛に相当する動物がいなかった。北アメリカにバイソン(野牛)はいたけれど、性格の点で家畜化はムリだった。アフリカでもシマウマは従順性を欠いているから家畜にはならない。現代科学の目で見ても、家畜になる動物はすべて家畜になっており、そうならなかった動物にはそれなりの理由があった。それ以前に、ユーラシア大陸がアフリカや南北アメリカに対して格段に有利だった理由が一つある。地図を見れば一目瞭然だが、ユーラシアは東西に長い。アフリカと南北アメリカは南北に伸びている。この違いが重要。東西に伸びた大陸がなぜ有利かと言えば、ある地域で確立した農業技術が伝播しやすいのだ。東西に移動しても気候はあまり変わらない。品種の選び方、播種の時期、収穫期などについて、前の土地の知識がそのまま応用できる。南北方向の移動ではそうはいかない。気温や降水量、日照時間といった基本的な条件が移動につれ大きく変わる。だから北米・中米で穀物に似た位置をしめていたトウモロコシは南米には普及しなかった。食糧供給の量が文明のサイズを決める。▼『日本とは何か』(網野善彦、講談社「日本の歴史」シリーズ初回本)は、網野の描く日本は地方がそれぞれに元気で、農民以外の庶民、つまり商人や職人が元気で、全体として沸き立つようだ。古代から無数の高田屋嘉兵衛たちがいたのだ。司馬遼太郎の日本像も悪くないが、しかし彼が描いたのは才覚によって功名をあげた者ばかりだった。その群像を以って元気だった日本を垣間見させた。終身雇用のサラリーマン社会を活性化するのには力を発揮した。▼『縄文の生活誌』(岡村道雄、講談社「日本の歴史」シリーズ初回本)は、弥生人は来なかったという。縄文人がいたところへ稲作文化を持った弥生人が来たというのが今までの日本列島史の常識だが、しかし岡村は、文化は伝わったが弥生人が多数渡来したわけではなく、縄文人が水田稲作や食生活などの変化によって形質が変化して弥生時代の人、すなわち弥生人になった、という。九月四日(土)
メッセージ (160)
▼池澤夏樹からの配信メッセージです。十年以上住んだ沖縄を引き払って、この夏からしばらくフランスで暮らすらしい。今後の日本について、雑誌に不吉な予言を書いていた。▼「十年後」(月刊『現代』7月号)から。毎月この欄で悲観的なことを書いている。政治家の質は落ちる一方だし、今や国政には論旨というものがない。違憲的な政策が議論もなくどんどん決まってゆく。食言は無視され、政府の目くらましを有権者は素直に受け入れる。全体が右へ右へとシフトする。「心のノート」とか国歌強要とか、国は国民の心の中に踏み込むようになった。景気はよくならない。「リストラに成功した」会社ばかりが黒字に転化し、社会ぜんたいでは失業者が増える。中高年男性の自殺者は減らないし、未来に希望がないのだから出生率が下がるのは当然。この先、事態はいよいよ悪くなるとしたら、具体的には何が起こるか。経済が低迷し、社会不安が増す。それに対して有効な策を持たない分だけ国は強権化し、内外に対して攻撃的になる。中では私権が制限され、外に向かっては資源と市場を確保するために武力の役割が強調される。アメリカへの依存は変わらないが、そのアメリカは冷戦以来の影響力を大きく削がれていよいよ武力に頼るようになる。その傭兵としてやがて日本軍は中南米あたりでゲリラ掃討作戦を請け負うだろう。国民が硝煙の匂いに慣れたころ、ちょっとしたきっかけで起こった隣国との小競り合いが意外に大きな規模の戦闘になり、戦死者の数と共に軍の存在感は増す。原発の事故が起こり、被曝した周辺住民の封じ込めのために核戦争装備の兵士が出動する。個々の現象としてこのままではないかもしれないが、そちらに向かう流れは歴然とある。根底にあるのは個人に対する国家の優位の思想だ。国民のための国家ではなく、国家のための国民。兵士が国のために死んでいるのだからきみたちも文句を言わずに奉仕しろ。悲観論が好きなわけではない。願わくば十年後にこの文章を読み返して、ことごとく外れと知り、不明を恥じたいものだ。▼この国はあやうい。気になるのは誰しも。八月二十七日(金)
動物たちの自己治療5
私たちは、進化してきた。といえるのならいいが。▼旧石器時代の人たちは、野生のチンパンジーやゴリラと同じようなものを食べていた。新鮮な果物と水、種子、葉、昆虫、脂肪の少ない野生動物の肉などである。1年間100種類から300種類を食べていたと推定される。現代では健康を意識している人であっても、20殻あるいは30種類以上の植物を食べる人はいないだろう。多様な植物の摂取からは、ビタミンやミネラルだけでなく、予防薬や治療薬のもととなる植物性二次化合物を得ることができる。私たちの体は数百万年にわたって、アフリカの平原で小さな群れをつくって狩猟採取生活をするようにつくられてきた。私たちの遺伝子も、狩猟採取時代の食事をベースに進化してきた。進化と適応は続いているが、狩猟採取民で少なくとも10万世代、農業に依存するようになってからは500世代で、産業革命後は10世代にすぎず、調理済みのファーストフードで育ったのは2世代。もしかすると私たちの体はこの急激な変化に適応できなかったのではいか。現代病の多くは、私たちの体が進化しきれず、現代の食事および環境との落差から生じているようでもある。▼今日の栽培作物は、世界の食物の75%がわずか12種と、少ない品目になってしまった。くわえて工業製品ともいわれる加工食物は、栄養価でも薬効面でも質が落ちて、エネルギーとタンパク質しか得られない。▼アフリカのマサイ族は、唯一のタンパク源として牛や山羊の肉を食べ、その血液とミルクを飲んでいるが、西欧人より心臓病が少ない。わけがある。動物性食品を摂るときにはかならず苦い抗酸化性の薬草をまぜる。肉のスープには28種類、ミルクには12種類もの薬草をくわえる。マサイ族は、酸化化合物と抗酸化化合物をバランスよく摂取している。▼野生動物たちは、何百万年にもわたる自然淘汰のすえに、健康維持の仕方を身につけてきた。おなじく、私たちもいろんな野草(野菜)を欲しているはずだ。野菜・薬草の一坪畑をつくろう。お互いに交換すれば種類が増える。八月十三日(金)
動物たちの自己治療4
つぎはゾウの話。▼アフリカやアジアのゾウたちは、傷口に泥をのせたり、自分の背中に泥を吹きかけたりして、傷口の殺菌をしている。動物たちは、病気の仲間の世話をするが、とりわけ看護上手なのはゾウである。ゾウたちはお互いに刺さっている槍や矢を抜きあい、立ち上がるのを手伝い、密猟者の急襲にあうとお互いに救助しあうことすらある。▼砂浴びは、鳥がよくやる。砂地にうずくまって羽毛と皮膚に土砂をふりいれて砂浴びをする。砂は余分な羽毛の脂肪をぬぐい、皮膚の表面を乾かして、細菌がすみにくい状態にする。土の粒子は、寄生虫の外骨格を壊す。哺乳類のなかでも、ゾウは砂浴びが大好きである。▼動物は独りになって死ぬといわれる。自分の運命を知っているかのように。ネコの飼い主は、愛猫が知らぬ間に姿を消し、屍体を遺さないので弔ってやることもできないと嘆く。死を目前にしたゾウの場合は、群れからはなれてゾウの墓場に行くという説がまかり通っている。しかし、長年野外研究がされてきたにもかかわらず、ゾウの墓場に行くところを見た者はいない。ただ、アフリカの平原の一か所にたくさんのゾウの骨が散らばっていたり、積み重なっているところがある。そこは、木陰や水が近くにあって柔らかく消化のいい植物が生えた場所である。これがほんとうなら、ゾウはいわゆる墓場に、死ぬためではなく生きようとして行くことになる。▼ゾウはゾウの死骸を見かけたら埋葬する。枝や砂をかける。それは、ハエがむらがり感染症をひろげないためといわれる。人間の目からは、弔いの行為にみえる。ゾウの生涯に自分を重ねてみたくなる。八月六日(金)
動物たちの自己治療3
動物たちが病気になった場合。▼病気になった動物は奥まったところに引っ込み、回復するまで断食する。人の場合でも、伝統医学の薬草医は、絶食は病気に対する自然な、意味のある反応だと考える。感染した身体は、病原菌が必要とする鉄分を減らそうとする。それが断食である。だから病気の動物や患者にむりやり食べさせることは逆効果であり、病気を長引かせることになる。▼動物は痛みを隠す。ウマは激しい痛みにみまわれても、ほんのちょっと姿勢を変えることでしか苦痛をあらわさない。鼻にちょっと皺をよせるか、まぶたを下げるだけである。負傷したキツネは鳴き声をあげることもなく、追手のハンターから逃げつづける。歯に痛い膿瘍ができたイヌはやはりじっとしたままである。このように痛みを表に出さないため、動物たちが私たちと同じように痛みを感じていないことと受け取られやすい。しかし怪我をしたり病気をしたりした動物は、捕食者に気づかれないようにそれを隠す。生き延びるためには、元気であるだけでなく、元気そうに見えなくてはならない。飼われている動物で、も、合併症で死ぬまで飼育係や獣医に気づかれないほどうまく隠し通すことがよくある。鳥は傷を隠すのがとりわけ巧妙で、前触れもなく死んでいるのに、飼育係がびっくりすることが多い。▼唾液の効能。イヌが熱心に傷口をなめると、その傷口は清潔になり細菌感染がおこらないことが知られている。イヌの唾液にはブドウ球菌、大腸菌、連鎖球菌などの細菌を殺すことのできる抗菌物質が含まれている。▼ということで、哺乳類の唾液はもっとも身近な消毒剤となる。べろべろ。七月三十日(金)
見て見ぬふり
▼藤原道長に追い落とされた、関白・藤原道隆の側に仕える清少納言。しかも、道長側の女房・紫式部からは思いっきり悪口を書かれる。この敗北感と哀しみが通奏低音として流れているのが、枕草子。その随筆をとりあげた『枕草子REMIX』(酒井順子・新潮社)から。▼この時代の貴族女性達は、やたらと「待って」いる。当時の貴族にとって、結婚は男性が女性のもとに三日連続して通うと成立した。婿取り婚なので、結婚しても夫が妻のもとに通うことになる。今のようにいきなり夫婦同居ということはなかった。それゆえ結婚しても妻はやはり、「今日は来るのかしら…」と、夫を待たなければならなかった。それに誰かと連絡一つとるにしても、その唯一の通信手段は、文すなわち手紙。使者が急いで相手方に届けに行く。▼当時の和歌は毎日の暮らしに欠かせないものだった。待ち心を詠む。旅をすればその感動や感情を詠む。今で言えば、写実と通信を兼ねたカメラ付きケータイといえる。▼さて、平安時代の宮中にプライバシーはあったか。というと、なかった。清少納言のような宮仕えの女房は、宮中に住み込みで働いていた。彼女たちの居場所は「局」というが、ワンルームマンションのような寮があったわけではない。渡殿(わたどの)とか細殿(ほそどの)といった廊下兼用の場所を、几帳(きちょう)、障子、御簾(みす)、といったパーテーションで仕切って住んでいた。となれば声も漏れましょう。気配も感じましょう。完璧なプライバシーなど、ハナからありません。それでは平安時代の宮中におけるプライバシーは何によって守られていたのかといえば、それは鍵とか壁ではなく、人間の意識によって。几帳(きちょう)の向こうに人がいるのはわかっていても、その几帳をむやみにめくらないという意識。夜に隣の局で人の気配、それはすなわち男性の気配であるわけですが、あっ、誰かが来ているのだな、と思っても、それ以上は詮索しないという意識。その手の不文律化した意識が、宮中の暮らしには存在した。とはいっても「見えてません」「聞こえてません」とシラを切る習慣もなく、「覗き」は日常のことであったようだ。▼さらに、この時代の服装の特徴は、「とりあえず型は決っている」ことにある。清少納言のような女房が着るものは、まずは単衣(ひとえ)、その上に袿(うちぎ)を何枚か重ね、さらに打衣(うちぎぬ)、表着(うわぎ)、唐衣(からぎぬ)という順で、下半身は袴と裳(も)であり、これがいわゆる十二単。とまあ、こんな風に型が決っている。どこでセンスを表したかといえば、それは衣の色。たくさん重ね着している衣をどのように配色するかによって、おしゃれが判断される。その配色のことを「襲(かさね)の色目」という。染色は貴族女性の仕事でもあったので、配色を限りなく楽しんだに違いない。▼まったくの自由な状況下にいるよりも、ある程度の「型」が存在していた方が、日本人の想像力は活発になり易いのでしょう。平安貴族の服装は「制服だけど、色は自由」というところに妙味がある。千年前の人たちと今のわたしらも同じなかと思えるところあり。七月二十三日(金)
動物たちの自己治療2
土を食べて毒を消す動物たち。▼ネコが草を食べ嘔吐するのは知られている。動物が毒を処理するもう一つの方法が、土食である。これは草食動物に多くみられる。植物の二次化合物の解毒や、新陳代謝でナトリウムを失うため、ナトリウムをふくむ土を食べて補充する。粘土は昔から料理でも伝統薬でも、解毒作用のある材料として使われてきた。古代文明でも現代でも、粘土は毒を含む食物にまぜて食べてきたし、アメリカ先住民は、昔からタンニンたっぷりのドングリに粘土をまぜてパン用の粉をつくってきた。▼タンザニアの野生チンパンジーは、シロアリの蟻塚の土を口に放り込むし、崖面や河岸にあらわれた下層の土をすくいとるが、キリン、ゾウ、サル、サイなども同じように利用している。これは薬剤師が人間の胃腸障害用に買いつける粘土と同じ種類である。ただし、表土は寄生虫の卵、有害なバクテリア、重金属などで汚染されているので、古い下層土の方が、有害物質がすくない。いろいろな動物が利用する蟻塚の土は、シロアリが地表にもちあげた下層土である。主成分はカオリンで、胃腸障害の特効薬でもある。▼野生動物は、山火事や落雷のあとの、こげた炭に集まる。ミツバチまで焼け跡に群がる。これも消化器の障害を直すためのものらしい。炭食は、アメリカ先住民が炭を砕いて水に混ぜて飲んだり、先史時代のネアンデルタール人も炭を食べていたことが、糞の化石からわかっている。かたや家畜や動物園動物には土を与えることはめったにないから、慢性胃腸炎になりやすい。▼人間の私たちも、嘔吐と下痢という中毒にたいする効果的な反応を、投薬によって抑えない方がいいのかもしれない。それに、炭のドリンクや粘土の錠剤、ミネラルウォーターを、自然からの薬としていただくのは、人間も動物も同じ。ともかく、世界中の救急箱に粘土の錠剤を備えることは容易である。七月十六日(金)
動物たちの自己治療1
動物たちは、植物を食べて自己治療している。食事療法である。▼そんな話を『動物たちの自然健康法』(シンディ・エンジェル、羽田節子訳・紀伊国屋書店)から。動物は生きていくのに必要な化学物質をつくれないので、植物に依存することになる。緑色植物は日光、大気、土壌中の水から、炭水化物、タンパク質、脂質、ホルモン、ビタミン、酵素など、成長や傷の治癒、繁殖に必要なものをつくりだす。この薬理のはたらきのほかに、草食の動物などの捕食から身を守るための毒性もつくる。▼キリンがアカシアを食べると揮発性の物質を発散する。近隣のアカシアはそれを感知し、自分の葉にも渋いタンニンを送りこむ。味がまずくなると、キリンは次を探して遠く移動する。植物は保身のため、さまざまな化学物質をつくる。リンゴの場合だと153種類の化学物質を含み、そのうち67種類に薬効が認められている。▼次は、タンザニアのセレンゲティ平原の話。子連れのヌーの群れは、土や植物にふくまれるミネラルをもとめて、北部から南部の平原に移動し、火山の麓に育つ草を食べる。この火山灰地には、乳の分泌に欠かせないカルシウムと燐酸が豊富。▼さて、ナトリウムはあらゆる陸生動物にとって貴重である。これは尿や汗として失われるので、たえず補充しなくてはならない。それは人間にとっても重要で、ローマの兵士は給料を塩で支払われていた。「サラリー」はラテン語の塩を指す「サラリウム」。草食動物は塩への渇望が強く、それを手に入れるためなら死の危険をもいとわない。猟師たちは獲物をおびきだすために塩の塊を利用してきた。▼動物の食餌は、そのときの気分で選んでいるのだが、自然淘汰は、それなりの感覚を養ってきた。つまり、エネルギー豊かな食物であることをうかがわせる甘い味を好み、毒性を感じさせる苦い味を嫌い、大事なミネラルであるナトリウムの存在をほのめかす塩味をおいしく感じる動物が生き残ってきた。▼動物は動物にではなく、植物に依存してきたことを、つい忘れてしまう。七月九日(金)
すべてを持ち歩くオバサン
月刊PR誌「ちくま」の巻頭言に書かれていたこと。ふだんは、世の活字離れを嘆いているくせに、嘆いた自分にあぐらをかき、ついうっかり映画と音楽とインターネットに山ほど時間を捧げている。買ってきた本は置き去りにされ、新聞は届けられたままの姿で折り重なっていたりする。文字を追った記憶はパソコンの画面上にしかない。▼まったく同感だなあと思って、この人の本を読んだ。『針が飛ぶ』(吉田篤弘・新潮社)から。乗客の少ない午後一時の電車の中。たまたま前に座っていた初老の女性。彼女はすべてを持って歩いていた。鞄はふたつ。その中に彼女の「すべて」がしまってあるのだ。彼女はその鞄の中からまず朝刊を取り出す。それから林檎。豪快にかじっている。それから辞書を出してきて調べもの。新聞に気になる言葉があったのだ。もちろん虫眼鏡も出てくる。ここまではまだ序の口。その次に彼女が取り出したのは洗濯ばさみのついた細いロープ。それを吊り革三つに通し、さらに取り出された湿ったハンカチ二枚を見事に干してみせた。ぱんぱんと手でひとつふたつ叩き、それから眼鏡と編みかけの毛糸玉を出して優雅に何かを編みはじめる。その間にもせんべいを食べたり、ラジオを出してきてイヤホンを耳にさし、編み物を中断して葉書をかいたり。なんだか、うらやましいかぎり。後日、銀座でF氏と偶然ばったり。コーヒーを飲みにゆく。さっそくこのあいだ見た「すべてを持って歩くおばさん」の話を披露。するとF氏、感極まって「それでよいのです!」と大きな声。コーヒー屋の客、全員こちらを振り返る。▼ゆくゆくは、こんなオバサンをめざすことにしよう。七月二日(金)
神は細部に宿る
本の題名はケッタイだが、愉しめた。▼『文学的商品学』(斉藤奈美子・紀伊国屋書店)から。モノを観れば作品がわかるということで、小説でのモノの描かれ方が暴かれている。とくに現代の男性作家の、食べもの、着るものへの表現が乏しいとミソクソ。ところで風俗小説は評価が下にみられがちだが、これは知力も体力も情報収集力も必要な、たいへんにパワーの要るジャンルだ。芸術映画だと安上がりの自主制作でもつくれるが、娯楽大作映画は衣装代やセット代に莫大な費用がかかるのに似ている。神は細部に宿り、小説はモノの表現に宿る。▼ところで日本文学の世界では、野球小説であっても、「痛快」より「哀愁」、「ゲーム」より「人生」の方にウエイトがかかる。しかも日本人は「敗者の美学」を好む。『平家物語』しかり『忠臣蔵』しかり新撰組しかり特攻隊しかり全共闘しかり。▼この著者、「小説はどんな風に読んだっていいんだ」と、あるとき気づいた。小説を読んで感動するときは、主人公が形而上の悩みにもだえ苦しむときでも、ヒロインが世紀の大恋愛に身を焦がすときでもない、「ここんとこのお洋服の書きっぷりが、すげえ気合がはいってんな」と感じたりするときだったりする。モノの記述に気合が入ると、小説はおもしろくなる。▼という訳で、平成の作品ばかりでなく、明治の作品と引き合わせたりで、服飾の比較社会学のような本だなあと思いながら読了。六月三十日(水)
泥脚傭雲
自治体の懐は底をつき、まちづくりを支える人達の言動も弱まっている。下降ぎみではあるけど、まちづくりを捨てるわけにはいかない。町を居心地よく、長持ちするように、住民の負担を考えながらが、基本です。▼そんな自治体の現場経験から、『自治体まちづくり-まちづくりをみんなの手で!』(原昭夫・学芸出版)が、政策の立て方とやり方の報告している。▼まずは、人口構成から町をみる。人口予測では、おもに地域にどのくらいの人びとが、どんな生活様式や居住形態をもって住んだり、働いたりするのだろうという、マクロな把握をしてみよう。現地を知るには、自転車。裏通りまで小まめに調査できる。地図の縮尺にも慣れること。5万分の1の地図は、分母の末尾の0を二つとり、それにメートルをつける。それがその地図での1センチの長さとなる。都市地図によくある2千5百分の1は、1センチが25メートルとなる。あとはボディ・スケール(身体尺度)を身につける。自分の両手の広がり、歩幅などを知っておくと便利。伊能忠敬にもなれる。それに地図のたたみ方も知っておくと便利。見たいところを広げておける楽しい折り方がある。本編57頁を参照のこと。▼まちをつくる手法は、自治法に定める「基本構想」に始まるものと、都市計画法に定める「都市計画マスタープラン」がある。いずれも長い間、しっかりした担当者がその仕事をし続けることが大事。都市防災についても、危機管理のプログラムとシミュレーションの実験をしておこう。▼学校の総合学習で「まちづくり」を取り上げられないか。ボディ・スケールを使って、公園を歩行実測したり、新旧の地図をならべて見比べたり。まちづくでは、「人づくり」より「人になる」ことである。まちづくりの当事者になることである。吉阪隆正はそれを「泥脚傭雲(でいきゃくよううん)」といった。頭はつねに雲の上において大所を見渡し、足はつねに泥の中にあって地面を這えということである。これには修行がいるが、プランナーなら、この境地に立たちたい。▼まちづくり十二の原則。計画感覚を磨け。まちへ出ろ。都市の出来事に興味を持て。「地域型」で仕事を進めろ。市民との共同をはかれ。皆で仕事をせよ。自分の仕事を他の仕事につなげろ。アンテナを敏感にしておけ。つねに「やる方向」で考えよ。失敗・クレーム・紛争から学べ。職場のよい人間関係をつくろう。仕事は元気に面白くやろう。それに、プランナーの四つの資質としては、好奇心、現地主義、発見的方法、施策化への意欲が欠かせない。▼私なりの私家版「まちづくり手帖」なるものをつくろうと思っていたが、この著者がおおむね記したことだし、止めにした。この知人からは、おおらかな人柄と、おだやかな計画づくりを学んだ。六月四日(金)
町のヘリテージ(150)
▼古い建物は古い友だち。自分の町に由緒ある建物があり、それにまつわる物語があるのは楽しいし、自慢できる。ヘリテージのない、新しいだけの都市には風格がない。▼町の古建築を残す。そのやり方と運動の持続の話を『東京遺産』(森まゆみ・岩波新書)から。人は町のどんなところに愛着を感じているのか。路地の中の稲荷や井戸や植木や電柱といった身近な「小さな環境」に愛着を感じている。それに古くからある建物といった「大きな環境」も大事に思っている。建物が残れば、それだけでなく、文書も絵草紙も位牌も人も、そして何より物語が残る。▼不忍池の景観を守るため、「しのばずの池算数プログラム」を企画した。大人だけの文学散歩をしてもはじまらないと思い、子どもと一緒に戸外で「体で算数」をやろうという試みである。東照宮の石段の数を数えたり、一段の高さから山の高さを計算したり、不忍池周囲の木の数を数え、その間隔からその周囲の長さを手で測ったり、池の面積を掛算したり、といくつもの問題を用意し、子どもたちと歩いて好評だった。▼景観の保護に手を染めたお年寄りの一人は云う。「この十年はとても勉強になりました。この年になって、樹の名前、鳥の名前を覚えた。するとまた面白くなって勉強し、という風に深みにはまっていったんです」。風景遺産を守る運動が思うようにいかないこともある。「富士山は永遠にそびえているが、マンションなんてのは五十年、百年の命だ。次の建て替えのときはあんな高いビルが建たないように、今から運動していきましょう」と云いきったおじいさんがいた。▼残った古建築が、例えば古い酒屋が小体(こてい)な飲屋に変わって生き延びてもいいのです。まちづくりの今昔を味わえるなら。五月二十八日(金)
インターネット・ラジオ
ひさしぶりだなあ、こんなハウツー本を手にするのは。▼『超英語法』(野口悠紀雄・講談社)から。英会話学校で話す練習をするのは、浮き輪を使って泳ぐ練習をするようなもの。自己紹介から始まり、あとはなんとかなるだろうは、イリュージョンである。実用的な英会話に必要なのは、「聞く訓練」である。「話す訓練」ではない。聞くことができれば話せる。そして、「聞く訓練」は自分だけで出来てしまう。その方がはるかに効率的だ。ここには、英会話学校の出番はほとんどない。▼いまや、外国とのやりとりは、電話でなくeメールが多く、会話ではなく文章英語の重要性が高い。英会話ではなく英作文である。▼正式な英語を聞き取るのは楽だが、正式でない英語を聞き取るのは非常に大変である。聞き取れないのは「早い」からではなく、「正式でないから」なのだ。▼ヒアリングの注意点は、子音の消失。b、d、g、k、p、tなどの子音が語尾に来るとサイレントになる。それに暗いエルは消える。battery、waterのt音がr音に変化するように。▼日本人になじみがない表現は次のようなもの。He has → He’s got his own house. I must do it. → I’ve gotta do it. ▼ハンバーガー屋では、注文後おばさんは必ずpotatoes ? と聞く。食べたくなければ no と答える。すると、おばさんは必ずno potatoes? と再確認してくる。このときもno なのだが、yes と答えたくなる。この場合は、no potatos とオウム返しする。私の場合は、right とかcorrect と答えることにしている。▼つぎは日本人の癖。「例えばどんなもの?」と質問する場合に、For example となりがちだが、これはLike what?という。これとIt’s a kind of ~. It’s something like ~.を駆使すれば大抵の説明場面には十分である。これはぜひ使いたい。▼リスニングの勉強法としては、同じ内容を何度も繰り返し聞くのがいい。慣れてきたら、口に出さずサイレント・シャドゥイングを試みる。せめて2年はは続けることになるので、「面白いからやめられない」条件をつくり上げることだ。「こういう内容のことを聞いたのだが、いったい日本語で聞いたのか英語で聞いたのか」が区別できない。そうした段階に達するまで、ぜひ勉強を続けたいもの。▼インターネットのニュース英語サイトは、VOA special Englishをダウンロードして繰り返し聞くのがいい。トランスクリプトもついている。PBS Online Newshourのessays & dialoguesも飽きない。▼映画はスラングが多くて、難しい。「ローマの休日」なら正式英語に近いから、聞きやすい。DVDの字幕を消して聞くのもいい。文章丸暗記もいいものだ。最初さえ思い出せば、あとはイモずる式に思い出す。記憶で重要なのは、「覚えること」ではなく「思い出すこと」なのだ。▼トルストイは老年になってからイタリア語を習得した。シュリーマンは六十四歳になってからも新しい外国語に挑戦した。仕事でつかう投資としての勉強もいいが、勉強そのものが面白くてたまらない、「消費」としての勉強もいいものだ。私は、映画の英語がすべて聞けるようになったら、新しい外国語に挑戦したい。イタリア語はそのために残してある。オペラの台詞が聞けるようになれば、どんなにか楽しいだろう。▼語学は惜しげもなく時間を費やすから、覚悟しなさいといったところか。五月二十一日(金)
魂の銭湯
北緯43度で生活していると、首都はさておき、西日本ひいきになりがち。▼『森まゆみの大阪不案内』(森まゆみ・筑摩書房)から。地元の人は「大阪は見るとこおまへんなー」というが、東京人にとって大阪のイメージは、多く歌謡曲で作られる。大阪生まれで大阪育ちの河島英五が四十八歳で亡くなった日、私はずっと「酒と泪と男と女」を口ずさんでいた。そしてこの歌は標準語で書かれているのにメロディーの揺すり方がBOROの「大阪で生まれた女」にそっくりだ。どっちもせつない。酔うほどにこの二つの歌は混ざっていく。最近、大阪は、高村光太郎風にいうと私の「魂の銭湯」になってしまった。大阪の友達と焼肉やら何やらたらふく食べ、五穀粥でお腹を癒し、そのあとカラオケ「うたっちゃえ」で盛り上がる。それが私の大阪欲望解放戦線。大阪では高くてうまいのは当たり前、安くてうまいところがたくさんあって、それを若者もサラリーマンも目的別に使いたおしている。「ほな、今日はオッサンバージョンで行きまひょうか」。▼首都の話もついでに。『明治・大正を食べ歩く』(森まゆみ・PHP新書)から。高村光太郎は、どなたも扱いが一緒の入れ込み式の店、浅草にある米久の牛鍋屋を「魂の銭湯」とまで呼んだ。ここでは誰もが正直まっとうな食欲をあからさまにし、心を丸裸にしてしゃべりあう。銀座ライオンのビヤホールの場合は、昼間、晴れた日は、高い窓から日が射して、さながら銭湯の洗い場にいるようだ。人が働いている時間にビールを飲むという至福。▼とまあ、森さんの舌で列島のニシ・ヒガシを味わいました。さて、ちょっと出かけてくるか。近くの三百八十円の銭湯へ。五月十四日(金)
ランボーと俊太郎
▼かつては出発のことばかり考えていたような気がする。ゴールを考えずにきたためか、気もちの捨てどころを失ったきらいがある。▼『地獄の季節』(ランボオ・岩波文庫)の「出発」から。見飽きた。夢は、どんな風にでも在る。持ち飽きた。明けても暮れても、いつみても、街々の喧騒だ。知り飽きた。差し押さえをくらった命。ああ、『たわ言』と『まぼろし』の群れ。出発だ、新しい情と響きとへ。▼さて、力まない『谷川俊太郎詩集』(ハルキ文庫)からの抜き書きを。「昨日のしみ」~まっさらみたいに思えても 今日には昨日のしみがある。「朝のリレー」~カムチャッカの若者が きりんの夢を見ているとき メキシコの娘は 朝もやの中でバスをまっている ニューヨークの少女が ほほえみながら寝がえりをうつとき ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウインクする この地球では いつもどこかで朝がはじまっている ぼくらは朝をリレーするのだ 経度から経度へと そうしていわば交替で地球を守る 眠る前のひととき耳をすますと どこか遠くで目覚し時計のベルが鳴っている それはあなたの送った朝を 誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ。「おならうた」~いもくって ぶ くりくって ぶ すかして へ ごめんよ ば おふろで ぽ こっそり す あわてて ぷ ふたりで ぴょ。「うんこ」~うんこよ きょうも げんきに でてこい。▼ご両人の語り口は、いまも響く。四月二十三日(金)
捨てちまった教科書
▼あわれ花びらながれ をみなごに花びらながれ をみなごしめやかに語らいあゆみ うららかの跫音空にながれ をりふしに瞳をあげて 翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり み寺の甍みどりにうるほひ 廂々に 風鐸のすがたしづかなれば ひとりなる わが身の影をあゆまする甍のうへ ▼これは、三好達治「甍のうへ」ですが、高校の国語教師が暗唱させた詩です。今でもたまに諳んじたくなります。かつて教科書に載っていたものを、『教科書でおぼえた名詩』(ネスコ編・文藝春秋)から抜き書きすると。▼丸山薫「汽車に乗って」~汽車に乗って、アイルランドのようないなかへ行こう。人々が祭りの日かさをくるくるまわし、日が照りながら雨の降る、アイルランドのようないなかへ行こう。まどにうつった自分の顔を道づれにして、湖水をわたりトンネルをくぐり、めずらしい顔のおとめや牛の歩いている、アイルランドのようないなかへ行こう。▼山村暮鳥「春の河」~たっぷりと 春の河は ながれてゐるのか ゐないのか ういてゐる 藁くずのうごくので それとしられる。▼中原中也「骨」~ホラホラ、これが僕の骨だ、生きてゐた時の苦労にみちた あのけがらわしい肉を破って、しらじらと雨に洗われ ヌックと出た、骨の先。…生きてゐた時に、これが食堂の雑踏の中に、座ってゐたこともある、みつばのおしたしを食ったこともある、と思えばなんとも可笑しい。… ▼茨木のり子「自分の感受性くらい」~ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて … 初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった … 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ ▼佐藤春夫「雪」~太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降り積む。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降り積む。▼尾崎放哉~咳をしても一人。▼ということで、もうとうの間に捨ててしまった教科書と詩を、なつかしむことができました。四月十六日(金)
山に向かう、川に向かう
▼山歩き、岩魚釣りの名手である辻まことの本をのぞきました。▼『あてのない絵はがき』(小学館ライブラリ)から。小鳥たちの声を聴くと、よくあんなちっぽけなノドから大きな音がでるもんだと感心してしまう。ウグイスなんか一息でケキョケキョを三十回ぐらい続けるのがいる。専門家に言わせると、小鳥は歌っているのではなく叫んでいるので、領有空間の宣言だそうだと、ちょいとその方のことに詳しそうな人はすぐ教えてくれる。もう何十人もの人から聴かせられてこっちはマタコイツモクダラヌ学説信者ダナとおもう。一定の目的がなければ行為はあり得ないと考えるのは、いかにもガリ勉の優等生の意識だ。行為があったためになんとなく目的が生じることだってある。なんだか楽しくてじっとしていられないから唱歌する小鳥がいたってちっとも不思議ではない。人間だってタレントばかりが歌っているわけではなかろう。▼一人旅というのは見かけだけで、むしろ一人のほうがよっぽど仲間のお世話になり、それに頼ったりしているのだ。えっちらおっちら山路を歩いているボクの頭の中に先達友人の言葉が、姿が、たえず出没し、見知らぬ著者の本のページがひるがえる。そのとき彼らはすべてわがパーティの一員である。しばしば時と国を超越し俊英を一堂に網羅した大パーティである。▼辻まことの、釣り人や川、魚の絵には、静かでひたひたするものがある。なかにはブリューゲルを思わせる絵もある。四月九日(金)
一を聞いて十を知る
▼辻まこと、って誰だろう。人も知る、諸芸万能、スキーの名手、稀な風刺家、著述家、ギターの名手らしい。すでに故人。なかでも『虫類図譜』などの風刺画が知られている。例えば知識人という風刺画では、絵の脇に短い文が添えられる。彼は近眼であった。それでいつも彼自身の視野は書物に遮断されていた。という風に。▼彼の友人が著した『辻まことの思い出』(宇佐見英治・みすず書房)が、氏のエピソードを伝えている。著者が辻まことに、一を聞いて十を知るという諺があるが、どう思うかと訊いた。こう答えた。「いや、僕はちょっと違うな。一を聞いて、いや三でもよいが、十を知るというその想像力は大したものではない。ましてそれで『知った』と思うのは大変危険だと思う。そうではなく、十の経験を重層してたった一つを知りうるのはまだいい方かもしれない。その一つさえ知りえない、それが現実かもしれない。しかしもし反復して、さらに反復してただ一つのことでも知りえたら、想像力よりもそれはもっと尊いことではあるまいか」。▼つぎは、著者自身の文から。大抵の人は朝、目覚めるとまもなく新聞を開いて頭を共通の世界になじませ、それから家を出て、電車に乗り、会社や学校に通う。共通の尺度である時計と集団の通念によって自己機制を行い、社会や家族の中で自分を定位する。ときに分別や目算が狂うと、人間は感情の動物であるとか、俺はお前たちが思っているような人間ではないとかわめき、感情の密室のドアを閉めたり開けたりする。しかし、結局は同じ電車に乗って同じ道を歩き、同じ家のなれたベッドにもぐり夢うつつに寝てしまう。多くの人は住みなれた世界を一層住み慣らすことを正常だと考える。▼自分の鏡像は自分にとっては異邦人。私だが私ではないと思う。自分はこの顔に閉じこめられているようなものではないと思う。鏡に映った顔のような物になることは拒みたい。もっと茫洋とした雰囲気みたいなのが自分なのだ。▼何も死んだからといって、いなくなるわけではないからと、生前、辻まことは言っていたそうです。四月二日(金)
文学は実学
本のなかでも、みすず書房のは少々値は張るが、ぴったりくるものが多い。▼『忘れられる過去』(荒川洋治・みすず書房)から、まねの話。人間には、二通りしかない。まねをする人と、まねをしない人。しない人は、おそらくこんな人だと思う。人前ではまねなんて笑われてしまうから、しない。あるいは、プライドがあって、自分がそのときだけでも、自分以外のものになりかわること、化けることが、とても恥ずかしいのである。そんな身体表現は、はしたないと思うのでしない。する人は、しない人より心が自由であることは確かだ。いつまでも自分をにぎりしめていないからだ。まわりを見渡すと、しない人が最近は多いように思う。自己愛が進んでいる証拠であろう。ひとつしか自分の姿をもっていないためだろう。話していることのなかみや考えはとてもやわらかいのに、しない人がいる。ほんとうは心がそれほどやわらかくはないのだろうと思う。これからもしない人はずっとしないだろう。人が体をつかって、たとえちょっとした何かを表現するとき、その場の空気は明るくなる。光がひろがる。それによって世界が、具体的に見え出す。それは自分にとっても、まわりの人にとっても、いいことであり、楽しいことなのである。でも、しない人はしない。▼つぎは、文学の話。文学は実学である。文学は、経済学、法律学、医学、工学などと同じように、実学なのである。社会生活に実際に役立つものなのである。社会問題が、もっぱら人間の精神に起因する現在、文学はもっと「実」の面を強調品ければならない。この世をふかく、ゆたかに生きたいのだ。漱石、鴎外ではありふれているというなら、田山花袋「田舎教師」、徳田秋声「和解」、室生犀星「蜜のあわれ」、安部知二「冬の宿」、梅崎春生「桜島」、伊藤整「氾濫」、高見順「いやな感じ」、三島由紀夫「橋ずくし」、色川武大「百」、詩なら石原吉郎など、なんでもいいが、こうした作品を知ることと、知らないことでは人生がまるっきりちがったものになる。それくらいの激しい力が文学にはある。読む人の現実を生活を一変させるのだ。▼と、抜き書きしてみたら、これらを一編も読んでいませんでした。知ると知らないでは、まるっきり違ったものになる。こう云われてしまうと。三月十九日(金)
あれあれ
▼あれあれ、あの人なんていったっけ。そのつど思い出さないと、神経が修復しないらしい。誰だったかなあ。池澤夏樹の父親、誰だったかなあ。疎開先の帯広で教えていた作家。伊藤整なんかと仲良しだったはず。だめだ、インターネットにお世話になろう。ありました、その人の名が。ちかごろはインターネットに介護されることが多い。▼『神も仏もありませぬ。』(佐野洋子・筑摩書房)は、もの忘れを痛快に嘆いている。その中の一編。人からもらったものも、あげたものもすぐ忘れる。いつかマリちゃんのところに、どこからかもらった漬物を持って行ったら、「ヤダ、これ私があげたものよ」と云われた。もの忘れトラブルが絶えない。じゃどうする。どうにもならん。と、この居直りも清々しい。つぎはもの忘れとは関係ない話。友人の購入する古い民家の平面図を見せてもらった。「この部屋は?」「わたしの部屋」「これは」「これもわたしの部屋」「じゃこっちは」「これも」「ヒロナガさんのとこは?」「納屋、納屋」。こぶしの花にまみれて、本当に女は偉い。とか、近所の農家の話もいい。「百姓はむずかしいもんだ。俺が五十年百姓しても五十回しか経験は出来ねエんだよ。トマトならトマト五十回しか経験できねエんだよ」と云われた。などなど、著者は周りのことを料理して食べさせるのがうまい。なだいなだ、と似たとこあります。▼地元出版の『木呂子俊彦著作集・鳥の目みみずの目』(木呂子俊彦・ふるさと十勝)は、八百八十ページの確かな記憶と記録の大著。中ほどのソ連抑留は圧倒する。ここに氏の始まりがありますが、いまだ鎮魂してはいない。忘れることができる過去と、忘れ去られてしまう過去がある。三月十二日(金)
真夜中のトリオ
▼ジャズのピアノ・トリオなら、ビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』のアルバムを挙げる人は多い。やさしく簡潔でメロディアス。一日が終わろうとするころ、ほろ酔い加減でこのライブ盤を聴くのが愉しみ。エヴァンスのピアノとラファロのベースが絡む。モチアンのドラムが囁くように、ときに煽るようにリズムを保つ。正確で邪魔にならないドラムを土台に、エヴァンスとラファロは心おきなくインタープレイする。▼エヴァンスはどんな人だったのか。『ビル・エヴァンス』(ピーター・ペッテンガー/相川京子訳、水声社)から。エヴァンスは感情で表現することはあっても、感傷的にはならなかった。彼はクラシックの技法と、ジャズの文法を基礎として、規律に基づいたロマンティシズムが最も美しい形であると考えていた。彼は観客を喜ばせる演奏努力をしなかった。内向的でサービス精神のなさは、多くの観客を遠ざけたから、オスカー・ピーターソンやデイヴ・ブルーベックのような有名人にはなれなかった。エヴァンスにとってのジャズとは、方法なのだ。特定のラインや、感情的な、あるいは厳密にいうと音楽的な内容を必要とせずに演奏することだった。もしピアノの前で何かをしようと熟考して、五分の曲を書くのに五時間かかったとする。それは作曲された音楽になる。これはクラシックだとか、作曲された音楽に分類されることになる。つまり音楽には、「作曲された音楽」と「ジャズ」というのがある。彼にとっては、ジャズで用いる方法を使って音楽を作る人が、ジャズを演奏している、ということなる。クラシック音楽で失われてしまった即興音楽をもちだし、それをジャズとした。もちろん瞬間の音楽を演奏する能力があっての話だが。▼エヴァンスは、マイルス・デイビスに認められた数少ない白人ピアニストのひとりであったが、薬づけと波乱の生涯でもあった。初期の『ポートレイト・イン・ジャズ』をついでに聴いたりすると、その日を跨ぐことなる。三月五日(金)
夜は学芸王国(140)
▼高校の夜学は下火らしいが、社会人むけの夜間大学院はどこも盛況のようす。かたや身近な仲間たちと縄のれん談義、あるいは外出せず自分だけの、寝るまでのわずかの時間を学芸に費やすなら、それはそれで自分なりの夜学ということになる。▼そんな夜学タイプもあれば、自由時間をもつようになったオジサン・オバサンたちがテーマを掘り下げ発信している姿もある。『パソコンでいきいき人生』(荒川じんぺい・岩波書店)は、そんな人たちのホームページを紹介。多くは絵や写真に文をそえて、草花鑑賞や山歩き、農園・菜園、ボランテアなどの出来事をこまめにレポートしている。植物の詳細や紅葉の時期などを載せ、自分でも時々読みかえし再確認するという。サイトに残すことで、質問にもすぐ答えられ、知人友人にパソコン画面で見せることもできる。趣味と実益を兼ねるのがうまいのがオジサン・オバサン方。うきうきしながら発信している。それを受信し、返信する。この手のコミュニケーションは増えるばかりで、サブカルチャどころか本流の勢いとみた。▼さて、前から気になっていた教養の源流を探してみました。村瀬章「東北は唱う」(筑摩書房)から。西洋文化のなかには、アカデミズムとともにリベラル・アーツliberal artsの伝統がある。それは、ヨーロッパ中世の大学における科目群なのだが、古代ギリシアの、肉体労働から解放された自由人にふさわしい教養という考え方にまでさかのぼる。ローマ末期の四~五世紀には七つの科目に限られ、言語に関する三科すなわち文法、修辞学、論理学、それと数に関連した四科すなわち算術、幾何、音楽、天文学である。それがキリスト教世界の法学や医学の、さらには神学の基礎科目となる。文法はラテン語の基礎から古典文学の理解まで、修辞学は話し言葉より書き言葉に重点をおき、公文書の作成法から歴史や法律の知識までを含む。論理学はアリストテレスが大成した形式論理学をおもな内容とした。算術は、はじめ教会暦の祝祭日の算定法が主であったがしだいに内容が広がる。幾何はユークリッドの体系を学ぶことが中心であったが地理や博物の知識も含んでいた。音楽は聖歌の歌い方と作曲法に限られていたが音楽理論や音楽の歴史にまで広がり、天文学は古代の天体運行の数量的記録よりも占星術の性格が強かった。その後、多少の変化はあるが、近代に至るまで西欧の知的エリートの教養を支配することになる。▼リベラル・アーツは、日本で教養と思われている範囲よりもはるかに広いものです。リベラル・アーツを教養と訳するより、自由学芸とする方がぴんとくる。夜の自由の王国で、たっぷり学芸をたしなむ。でも夜は眠いからなあ。二月二十七日(金)
家ホタル
▼寝静まった部屋。棚に、机に、台所に、いるいる。ぼんやり浮かぶ家ホタル。家に棲みついたこのオレンジ色の発光体は、家電の通電や予約を知らせている。どこの家でも五、六匹は飼っていて、ソニー、松下、日立、東芝生まれが多い。なかでも、あのソニーはどんなカンパニーだろうか。▼『ソニーの壁』(城島明彦・小学館文庫)から。ソニー社員といえば、まずは買い手にうったえかける訴求力を持ち、他社が嫌がることでもずけずけ言うらしい。正しいのだか、辟易する。高飛車。ちなみに前大賀社長の五か条は、リーダーシップ、言語の明瞭さ、語学力、国際性、カレントな技術にたいする嗅覚、だそうです。それにプレゼンテーションは、偶数より奇数の方が耳に残り、目に焼きつく。三匹の子豚、五つの銅貨、七人の侍、という具合に、三、五、七の奇数で、提示の仕方まで気を配っていたようです。この会社は、世の中の生きていく上で必要なものとしての洗濯機や冷蔵庫を作っているのではなく、AV機やゲーム機のように無くてもよいものをムリヤリ買わせている。という意識を全員がもって仕事をしているところが凄い。また、「要らないものを作る」という危機意識から出発しているので、商品企画も鋭い。▼でも今は、ソニーより、白モノに強くて基礎技術を蓄えてきた松下の方に分がある。白といえば、パソコンも白が主流で、家電扱いされている。▼さて、1分あたりの生産コスト(02年)をアジアの国々で比べると、比べようもない数字が浮かぶ。中国1~2円、インドネシア2~3円、タイ3~4円、マレーシア4~5円、日本50円。ということで、これからも日本以外のアジア・ホタルが増える。二月二十日(金)
イワナミ文化
パンキョーが幅を利かせていた時代があった。『教養主義の没落』(竹内洋・中公新書)が、ここ五十年間の教養主義をざっと見わたしている。▼かつての『中央公論』『世界』に代表される総合雑誌は、社会科学論文から小説、映画、音楽まで多くの分野をふくんでいた。人々は総合雑誌で教養主義者になり、教養の共同体を形成していった。掲載された論文やエッセイは、しばしば学生同士の話題となり、週刊誌の『朝日ジャーナル』や『平凡パンチ』と併読されていた。それにカバンの中の岩波文庫も、教養主義の担い手だった。▼この教養主義は、歴史、哲学、文学など、人文系の読書を中心としたものであり、旧帝大文学部が奥の院であった。教養主義の別名は岩波文庫主義ともいわれる。岩波文庫を何冊読むかで、自分の教養の目安にした。ただ、岩波書店は破壊的文化を担ったのではなく、既存文化の高尚さを担い尊重された。そういう意味で教養主義であった。岩波文化は、東大や京大の教授の著作を出版することで、官学アカデミズムの正当性を賦与された。また、官学アカデミズムは自らの正当性を証明するために岩波文化によりかかった。岩波文化と官学アカデミズムは象徴資本(シンボル)を増幅させた。▼私が上京した1966年頃は、まだ教養主義が規範文化として残っていましたが、70年代に入るやそれも衰退し、よく読まれる雑誌は『スクリーン』『文藝春秋』『プレイボーイ』『平凡パンチ』『少年マガジン』へと変わり、もはや『中央公論』『世界』『エコノミスト』は登場しなくなった。80年代には、『ぴあ』『少年ジャンプ』『FOCUS』といった立ち読み本が主になる。また、この頃の大学生が選んだ日本の代表文化人は、第一位が夏目漱石、二位がビートたけしである。才に富んだガキ大将「たけし」は、教養主義を笑い殺した。今の若い人には「読書で人格形成」という考え方がわかりづらい、らしい。そうこうしているうちに時代は変わり、松下圭一氏が見抜いたように、身分的特権をもつ教養インテリは没落し、専門知識を駆使できる政策インテリへと転換していく。▼そのいずれにも属さず、定期購読雑誌のない私は、二、三の出版社のPR誌だけを毎月のぞく。大きめの本屋なら無料配布なので、時々失敬している。二月六日(金)
パンキョーって
いまの大学は、パンキョーと呼ばれる二年間の一般教養カリキュラムはなく、高校の勉強をもう一度しているらしい。教養学部の老舗では、国際基督教大と東大が知られている。でもねー、教養ってなんだろうと思いながら、『無敵の一般教養』(島田雅彦・メタローグ)を読みました。▼まずは、地球物理学での話です。地球と似たような惑星が存在するとすれば、ある程度の大気と、海をもちうる惑星は地球くらいの大きさということになる。重力とか、太陽からの距離はけっこう重要な意味をもつ。熱過ぎず、冷た過ぎず、大き過ぎず、小さ過ぎず。その地球の場合です。現人類は、生物圏のなかに「人間圏」をつくり生き始めた。しかも言語をつかい、神とか、貨幣、民主主義、市場経済、人権などの概念や制度について、脳のなかに「共同幻想」をもちながら、生きるようにつくり上げた。▼つぎは言語学の話。英語を学ぶのは、英語や英米文学に興味があるというよりは、それを知っていると資本主義の身過ぎ世過ぎに有利ということがある。近頃は、結論を先に求める感じがあって、ショートカットばかり。悶々として悩む時間がないと、言語が洗練されないんじゃないか。▼この対談集は、斯界の人たちとの話ですから、ほほーっ、でありました。知っておいて損はないと思いましたが、教養を身につけるための手ほどきはありませんでした。知識、品性、感性の三位一体が教養だと、手元の辞書には載っています。なら反意語は、無知、下品、愚鈍となるわけで、これだと、世の中の大半がこれです。教養を中心には動いていない。無教養の力の方が圧倒している。自分の中の大半もこれです。中をくりぬいた、餡のないドーナツだってうまいじゃないか。といったらコジツケですか。一月三十日(金)
とんぼの本(136)
穏やかで何もない正月は、新潮社の『とんぼの本』が手ごろと思い、三冊仕入れる。▼まず、『やさしく読み解く日本絵画』(前田恭二・新潮社)。雪舟などの日本絵画は、ルネッサンス絵画と同じなんですね。読み解き本があると、倍、愉しめる。▼つぎは、『向田邦子・暮らしの愉しみ』(向田邦子&向田和子・新潮社)から。妹さんの店「ままや」の黒幕だったそうですが、いまは閉めてしまった。ただ、当時の板前だった人が新橋に「向嶋」として、その味を受け継いでいるらしい。それに彼女の行きつけの店は、庶民レストラン「たいめいけん」と東京ラーメンの老舗「直久」というから、うれしくなるね。さて選書の一冊に『男のだいどこ』(荻昌弘・文藝春秋)がありましたが、この本、懐かしいなあ。向田邦子の世界は、手軽でありながら、きちっと生活の質を感じさせるものでした。いいですね、こういうの。▼さいごは、『アイルランドへ行きたい』(深谷哲夫&リチャード・ホートン&月川和雄・新潮社)から。ご当地は、メキシコ湾流の暖流のせいだろうか、頻繁に表情を変える雲の流れが、光をさらに微妙にさせる。そんな光と雲が、ケルトの妖精たちを生んだという。さして高くない山の、その下を雲が流れる。風や光がそれを縫うようにすり抜けていく。宇宙や自然が循環する一部に、自分が内包されているんだという風景の中で生活している。そんなアイリッシュは、恥ずかしがりやで、お人よし。それにビール好き。一月九日(金)
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