和解の方法序説... 3
クリスマスとラマダーン.. 3
コーランの六信五行... 4
初冬の七冊... 5
動物と関わりたい... 6
中世を持たない国 (130) 7
母国語が怪しい... 8
ビンボーが普通... 8
磁石の孤立... 9
山賊ごはん... 9
夏休みの七冊... 10
ひと芝居、打つ。.. 11
抜いた大根で道を教え... 12
コピー&ペースト(2). 13
コピー&ペースト(1). 14
クモの糸(120). 14
広告代理店の関与... 15
炭になった弁当... 16
愛蘭土(3). 17
愛蘭土(2). 18
愛蘭土(1). 19
日曜の雨... 19
けんか... 20
キャベツ畑... 21
お賽銭... 21
本棚をのぞく(110). 22
書抜きの愉しみ... 23
まず現場... 24
屋根裏のムコウ... 25
ナノ?... 26
天皇と領土... 26
出遅れた出発... 27
正月のグローバリゼーション (03年). 28
和解の方法序説
▼ある国で極度の非人道的行為が行われている場合、それに対して他の国や人々が何をしてよいかは不明確である。ひとまず被害者を保護するのか、あるいは加害者に対して武力攻撃をすることまでを含むのか。このことに向きあう『人道的介入-正義の武力行使はあるか-』(最上敏樹・岩波新書)は、薄い本だが重い。▼まずは、国際法や国連憲章は、「武力介入は侵略と同義」であることから出発している。しかし、ソマリアの内戦には、1992年に国連のガリ事務総長が積極介入した。にもかかわず事態は、国連平和維持軍と現地武装勢力との戦争の様相になり、結局、武装解除も治安の回復もなしえぬまま、「人道的介入」は失敗に終わった。▼1994年のルワンダの事例では、国連および国際社会の対応が遅すぎた。早めに十分な武力行使をすべきだったという意味ではなく、早い時期に非武力行使型の兵員および文民警官を派遣していたなら、100万人もの虐殺はかなり防げたのではないか。フツ族とツチ族の部族対立は、歴史的怨念というより斧や鎌を用いた殺人だったからである。▼つぎは、NATOのユーゴ空爆。セルビア人が迫害・虐殺を行っているといわれたコソボや、首謀者がいるといわれる首都ベオグラードへは、出撃回数3万6千回、爆撃回数1万7千回と発表されている。だがこれは民間人への被害が大きかった。NATO空軍機は自分たちに危害が及ばぬよう1万5千フィートの高空から爆撃していた。それだけ高ければ、精確に軍事目標だけを爆撃することは難しくなる。付随的被害は避けがたい。それは過失というより故意に近い。このようなズレのある行動は、「人道的」介入とは呼びにくい。人道的であるというなら、手段もまた人道的でなくてはならない。▼やはり、迫害する人々を攻撃するのではなく、迫害されている人々を守ることである。日本は、迫害されている人々に住まいを確保し、食料と医薬品を届けることである。たしかにそういう活動に軍組織が役割を果たすことがあるが、軍隊だけでそれが出来るわけでもない。その活動の主力は、文民型の国連機関や、国境なき医師団やNGOなのである。国連の合意のもとに、日本は人道的介入を行い、国と国、民族と民族、人と人との和解へとつなぐことでしかない。▼この本は、一気には読めなった。閉じることが多く一ヶ月はかかった。紛争は得意だが、和解が不得手な「ひと・みんぞく・こっか」は、紛争や戦争に終止符をうてずにいる。地球の余命は残り45億年しかないのですよ。十二月二十六日(金)
クリスマスとラマダーン
社会的非対称とは不平等のこと。富む国と貧しい国は、社会的非対称という使われ方をする。イスラム圏にはその貧しい国々が多く、アッラーの教えにもとづき資本主義とは対極の経済をつくっている。コーランは「アッラーは商売を許し、利息を禁じておられる」と説き、貨幣が貨幣を生むことを禁止した。ユダヤ教の場合だと、同族や親類から利子を取ることは禁じたが、異教徒や異民族からは積極的に取り立てることにした。キリスト教は、「三位一体論」の創意工夫をした。「父」が「子」を算出し「精霊」がそこから発出。その精霊の働きが利潤・利子を生む。このあたりの理屈はちょっと理解力がいりますが、まあ、しかしこれで一神教を乗りこえ、資本主義と親和することになった。▼『緑の資本論』(中沢新一・集英社)はこうも言う。キリスト教徒の最大のお祭りがクリスマスであり、イスラムのそれがラマダーンであることは象徴的だ。ローマ人の農耕豊穣の祭りをキリスト生誕日に結びつけたクリスマスは、あらゆる意味で「増殖」をお祝いする祭りである。真冬のこの祭りには霊が沸き立ち、仮面の行列ともに出現した死者たちが、浮遊するシニフィアン(神のロゴスの表現者)をふりまき、来るべき年の豊穣を約束していく。だからクリスマスが資本主義のお祭りとなったのは、当然である。このとき、資本主義社会には、サンタクロースに象徴される「贈与の霊」が徘徊する。クリスマスのめざすものは、増殖なのであり、「毎日のクリスマス」こそが、資本主義の夢なのである。▼その同じ冬の季節に、イスラムはラマダーンの断食の儀式を祝う。ここでは増殖の反対のことが讃えられる。欲望を絶つこと、それができないまでも欲望を減らすことが、神を喜ばせる。もしこの時期に他者が襲いかかれば、「自分は断食している」と二度言えと、説いている。しかし、米国の一国主義は、お構いないで爆撃をした。▼イスラム経済は、なんといってもスークという市場を理解するのが手っ取り早い。狭い通りの両側に間口の狭い店々がひしめきあい、広告・宣伝の類は一切なく、定価の表示もない。スークでの買い物は、くじ引きやゲームのようなもの。その場その場の局面があり、どこへたどり着くかはあらかじめ決定しおくことのできないゲームのようなもの。うまくいかなければ商談は成立せず、お客は買わずに行ってしまう。うまくいけば、お客は喜んで、交渉の結果としてお代を払って、気に入った商品を持ち帰る。少しばかり手間ひまかかる。だが、大量生産、大量消費、流通機構、商品の規格化、一物一価といった近代資本主義がここにはない。イスラムとは、ひとつの「経済学批判」で、一冊の生きた「緑の資本論」でもある。イスラムはわれわれの世界にとって、なくてはならない鏡なのだ。▼クリスマスとラマダーンは社会的非対称のお祭りとはいえ、ずいぶんと向かう先が違う。日本の街にクリスマス・ソングが流れ、お正月をむかえ、やがてあの国に派兵するのだろうか。踏みとどまって、ふりかえれ。十二月五日(金)
コーランの六信五行
イスラム圏にすむ人々は、世界に十三億人。かれらの生活規範となるコーランには何が書いてあるのか。一般教養の指南役、アトーダ先生によるあつらえの本がありました。一読して、コーランは唯我独尊だなあ。でも、これは釈迦もおんなじ。▼『コーランを知っていますか』(阿刀田高・新潮社)から。コーランに先立つ二つの聖典、旧約聖書は古代ユダヤ王国の建国史として、新約聖書はイエス・キリストの伝記として読むことができる。記述の方法は、旧約聖書はこの世の誕生から始まり、アダムとイブ、ノアの箱舟、モーセのエジプト脱出、旧王国の建設、ダビデとソロモンの教え、多くの預言者たち、など時代を追ってユダヤ民族の歴史を教えてくれる。新約聖書は、イエス・キリストについて、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネが伝記を綴っている。じゃあ、コーランの記述はなにに似ているだろうか。歴史ではない。伝記でもない。論文でもない。親父の説教に似ている。「親の意見と冷酒は後になって効く」というではないか。コーランは新旧二つの聖書と違いストリーに乏しい。それに先発の聖典のいいとこ取りのようである。とはいっても、コーランは詩的であり、音楽であり、翻訳では会得できなものがある。やはりアラビア語で詠唱されるのが本筋なのだ。▼宗教は大乗に向かうものと、小乗に向かうものがある。外に向かうものと、内に向かうものといってもよい。コーランの場合、アラーの加護は絶大であり、たとえ敗れても、死に至ることがあっても、心正しい者については、ちゃんとアラーの帳面に記され、最後の審判で祝福される、これが基本ロジックだ。今日の聖戦(ジハード)というのも、もちろんこの理念に裏打ちされている。▼イスラム教には六信五行がある。イスラム教徒が信ずべき六信は、アラー、天使、啓典、預言者、来世、天命。六信を胸に抱いて実践すべき五行は、信仰告白、礼拝、斎戒、喜捨、巡礼をいう。礼拝はメッカに向けて行う。方角はメッカを指す磁石が売られているらしい。ちなみに、メッカが第一の聖地、マホメットの没したメディナが第二の聖地、エルサレムが第三の聖地である。喜捨にはザカートとサダカがある。ザカートは、義務的に課される喜捨で、むしろ税金に近い。商取引の利益、所有する家畜、農作物の収穫、所有する財産などに対して二~十パーセントくらいのザカートが求められる。サダカの方は、慈善的な献納に近く、金銭や物品だけでなく、奉仕活動や慰めの言葉などもこの中に含まれる。▼アラーは、利子を否定している。お金がお金を生む経済を認めていない。商行為は認めるが、金貸しの金融は認めていない。このコーランの掟があるため、アラブ社会には無利子銀行がある。預金者がお金を預けることにより共同経営者になる。これならアラーも商行為として許すということなのだ。▼アラーは人々の生前の行いを帳面につけていて最後に清算することはわかったが、これはエンマ大王もやってますね。ウソをつくと舌を抜かれるぞ。十一月二十八日(金)
初冬の七冊
▼日高山脈は冬本番。〇三年はひと月を残すものの、足早の年でした。市町村合併のむり強いや、日本の世界との関わり方が、官邸主導で瞬く間に転換してしまい、戸惑う年でもありました。辺境の地ですから、ラジオと本が頼りです。といいつつ世の動きから遠ざかりたい気分で読み終えた七冊です。▼まず、『即興詩人のイタリア』(森まゆみ・講談社)から。アンデルセン「即興詩人」の森鴎外訳にそってイタリアを旅する。この人からは、授かることが多い。でも本代しか払っていない。いつかお礼しなくちゃ。▼『ふしぎの博物誌』(河合雅雄編・中公新書)は、いろんな話が詰まっているが、ちょっと地味。編集しなおして楽しく読めるようにしたらいいのに。▼『ミミズのいる地球』(中村方子・中公新書)から。地球上には約3千種類のミミズがいる。オーストラリアには体長3.6mの20年くらい生きる巨大ミミズがいる一方で、肉眼では見えにくい0.4mmのもいる。ミミズは体の一端に口があり、他端に肛門がある。目はないが光には反応する。あのダーウィンが『腐葉土とミミズ』という著書で、もしミミズがこの世にいなくなったら植物は滅亡すると結論している。ミミズは毎日、土を食べて生きている。土はミミズの口から入って外へ出ると、また土になる。このお尻から出た土が大事。第一に、土と一緒に呑み込まれた草やワラなどが、ミミズの体内の分泌液によって豊かな黒い土になって出てくる。第二に、出てきた土は細かい団粒状だから、空気が通りやすく、ふわふわとして柔らかい。ダーウィンは、肥沃な土地はミミズの糞によって、毎年平均して五分の一インチの表土が加わると記している。▼『からくりからくさ』(梨木果歩・新潮文庫)から。伏線はいつでもいくらでも張られているが、それがわかるのは思い出になってからだ。人は何かを探すために生きるんではなく、きっと日常を生き抜くために生まれるのです。▼『裏庭』(梨木香歩・新潮文庫)から。パパとママは真面目に生きているけれど、誇りを持って生きていない。楽しんでもいない。光に向かう真っ直ぐさがない。一番深いところと、一番高いところがつながっていたのよ。▼『日本人の笑い』(暉峻康隆・みすず書房)から。歯は入歯目は眼鏡にて事たれど。あまったを不足へたして人はでき。天は人の上に人をのせて人をつくる。豆腐と鉄とはどっちが物の役に立つか知るまい。鉄は熱くなると柔らかくなるが、豆腐はお熱いのに入れると堅くなる。ここでは、十九世紀の日本人のあけっぴろげが横溢している。庶民の笑いを古川柳から味わいました。▼今年もクリスマスと晦日で一年を〆ますが、何かもの足りない。笑える酒席かな。十一月二十一日(金)
動物と関わりたい
▼若い人たちが、動物と関わりたがっている。十月の初めに、地元の畜産単科大学で動物園の話をしてきた。学生のうち九割は道外で、しかも半数は女子学生でした。将来の仕事を尋ねると、ボランティアでもいいから動物に関わりたいという返事。人間相手の社会が疎まれているのかな、という感じを持ちました。▼動物好きの人は、ファーブルやシートンなどを愛読するが、近頃は動物行動学が注目されている。『ソロモンの指輪』(コンラート・ロレンツ/日高敏隆訳・ハヤカワ文庫)から。動物同士のお互いの階級闘争やらイジメをみていると、その動物的な遺産が人間の中に多く残っていることに溜息がでる。また著者は、飼っていたハイイロガンの雛が最初にロレンツ氏を見たばかりに、親と思い込みヒョコヒョコついて回る、刷り込み理論で知られる。▼つぎに『動物とふれあう仕事がしたい』(花園誠編著・岩波ジュニア新書)から。動物に関わる仕事には、動物園の飼育係、犬の訓練士、動物病院の獣医、動物看護士、動物栄養管理士、トリマー、アニマル・セラピスト、乗馬療法の指導者、動物学者などがある。ここでは動物園の飼育係の仕事を覗いてみよう。飼育係にとってうれしいこと。それは、担当している動物の前で上がるお客さんの歓声。その動物のおもしろい行動をうまく見せることが出来た時には、この仕事をやっていてよかったと思える瞬間だという。飼育係の一日は、まず担当動物の見回りから始まる。一頭ずつ個体に異常がないかを見ながら、当日やるべきことを頭に整理していく。午前中は各動物舎の清掃をするが、単にきれいにするのではなく、糞の状態や、前日与えた餌の食べ具合もチェックをする。問題があれば獣医さんに連絡し、治療の段取りとなる。午後は、おもに餌の準備と給餌。そのほか朝決めた特別な作業、たいていは動物舎の修理や整備をする。また、動物園は入園者がいて初めて動物園として成り立つことから、お客さんの前で動物の話をすることも多い。午後の作業が終わると、その日の出来事を飼育日誌に記入して一日が終わる。そのほかにも解説版を作成したり、動物にとって住みよい環境づくりや魅力的な展示のために、本やインターネットで調べたり、海外の論文を読んだりもする。▼この本では畜産業は省かれていました。動物飼育が産業化するのは不自然な行為ということでしょうか。自然なものを嗅ぎ分け、そこに近づきたい気持ち。これは動物からの大いなる遺産です。十一月十九日(水)
中世を持たない国 (130)
もう一度『新世紀へようこそ』(池澤夏樹・光文社)から。▼テロについて言えば、第二次世界大戦中、ドイツ占領軍に対するフランスの武力による抵抗、いわゆるレジスタンスはドイツから見ればテロ以外のなにもにでもなかった。同じようにして、ロビン・フッドも、ウィリアム・テルも、赤穂浪士も、アラビアのロレンスも、ネルソン・マンデラも、相手の側から見ればテロリストだった。▼アメリカは、アフガニスタンに爆弾と食料を空からばら撒いた。食料がプレゼントなら手渡すのが筋だろう。投げ与えるという振る舞いが今のアメリカの貧国に対する姿勢をそのまま物語っている。アフガニスタンに住む人々は、どんな考えかというと、ヤクザのメンタリティに似ている。信用したらとことん信用する。▼この戦争はなぜ起きたか。カザフスタンには、サウジアラビアの埋蔵量300億バレルを上回る500億バレルの油田が見つかった。しかしこの国は内陸で地政学な難問をかかえる。タンカーを横づけにできない。パイプラインを最短にするには黒海がいいが、ロシア経由ではそのロシアが信用できない。次に短いのがイラン経由でペルシャ湾のルートだが、イランは一癖も二癖もある。最後の手は、隣国トルクメニスタン経由でパキスタンのカラチ港からタンカーに積み込む。しかし一つ問題がある。その間にアフガニスタンが挟まっている。これが資源戦争の疑惑です。▼さて、ヨーロッパには継承という思想がある。それに対してアメリカは過去との断絶から出発した。メイフラワー号は過去を捨て新天地に向けて出帆した。だからこそ彼らは社会の土台としてMayflower Compactという契約を必要とした。従って、アメリカ史には中世がない。近世もない。あるのは近代と現代しかない。アメリカ人が自由奔放にふるまえる理由の一端がここにある。アメリカは、元気で、わがままで、古いものに対する畏怖の念を欠いた、繊細であるかと思えばいきなり粗暴になる、貪欲で、浪費癖のある、セクシーで、魅力的な、コンプレックスに苛まれた、心に病気を持つ、銃を手にした、若い危なっかしい国。▼中世を持たないことでは、北海道も同じ。十一月七日(金)
母国語が怪しい
愛国主義と祖国主義は、混同しやすい。『祖国とは』(藤原正彦・講談社)から。英語で愛国心にあたるものに、ナショナリズムとペイトリオティズム(patriotism)があるが、二つは全く違う。ナショナリズムは他国を押しのけてでも自国の利益を追求する。ペイトリオティズムは、祖国の文化、伝統、歴史、自然などに誇りをもつもので、これが祖国愛である。▼さて、その祖国は何で成り立っているのだろうか。フランスのシオランがいう「祖国とは国語である」なら、小学校における教科の重要度は、一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数、あとは十以下でなくてはならない。しかも、「読む」「書く」「話す」に配分する割合は七対二対一くらいでいい。充分な読書量さえあれば、話したり書いたりは自然にできるようになる。寺子屋の「読み」「書き」「そろばん」は、いまも基本。▼英語がうまくなれば、グローバルに経済活動ができると思っている。世界で最も英語のうまいイギリスは二十世紀を通して経済的に斜陽だったが、最も英語の下手だった日本は前世紀に最大の経済成長をなしとげた。理数系は、国語や社会のように寝転がっては学べない。机に向かってじっくり取り組むという面倒に耐えねばならない。しかし、理数離れより読書離れは重大。理数離れは将来における科学技術力の低下、ひいては経済の退潮を意味するが、読書離れは、国民の知力崩壊を意味する。ゆとり教育が甘やかし教育なら、この国の将来は覚束ない。経済界の提言を取りいれて、英語・パソコンなどを小学生に教えていたら、ただでさえ少ない週二十時間の勉強時間では、国語や数学の基礎力を養うことができない。国語を用いて思考するのである。英語やパソコンが多少ぎこちなくても、文学、歴史、哲学、芸術そして日本人としての情緒などを身につけた者こそが、世界で活躍するための必須の、大局的判断力を備えることにならないか。▼現在、わが日本の政治、経済、社会、教育はどれもうまくいかないでいる。改革もうまくいかず、国家は危機にある。各界のリーダーたちも大局観を失っている。その底流には国民に教養や情緒力の低下があるのではないか。この回復には活字文化の復興なくしてありえない。と、藤原ていの息子さんは言い切る。▼教養と情緒の大半は、読書を通じて育つ。はずなのだが、近ごろの私の脳細胞は年頃ゆえ毎日一万個づつ消え、漢字も名前もふらふら遠のく。母国語が怪しいのは、大人も同じ。十月二十四日(金)
ビンボーが普通
百円ショップの原価は10円程度と言われている。中国の賃金は1ヵ月で1万円。日本人は30万円から50万円。安くてよいモノを作るということでは、もう中国には勝てない。日本の平均国民所得は600万円で、フランスはその6割、イタリアは5割と、欧州勢は年収300万円が平均といったところである。今のところは相対として優位な日本であるが、構造改革の行き着く先の競争社会では、景気はよくなるものの所得階層の多くを占めていた中間層が崩れ、年収300万円クラスが増えるらしい。▼『Bで生きる経済学』(森永卓郎・中公新書ラクレ)から。競争がきつくなる市場経済では、サラリーマンの中間層が淘汰される。その結果、年収3億円以上のA階層が1%、年収300万円程度のB階層が約90%、年収100万円のC階層が約10%の超階級社会が到来する。かつて清水幾太郎が、21世紀は1割のパワーエリートと9割の一般大衆で成り立つだろうと、言っていたがそれを上回ることになる。今まで中間層が築いていた中流生活がなくなり、「Bで生きる」以外に選択の余地がないらしい。でも、ものは考えよう。庶民は背伸びをせず、それでいてミジメでもない生き方。サンダルを突っかけて買い物に出かけ値切り倒す難波のオバちゃんの気概を持つなら、懐はビンボーでプアながら、気分だけはそこそこリッチになれるだろうか。▼給与所得者が年収300万円のB階層で生きるには、子供とマイホームと専業主婦という人生の三大不良債権をできる限り早く処理すべきである。これができれば、人生の重荷から解放されて身軽となり、欧州並みの充実した「B」の人生を送ることは可能になる。でも、それだけでは駄目かもしれない。B階層で気分を豊かに生きるには、まずは「読み・書き・ソロバン」が自分に備わっていなくちゃまずい。自分と周りにその文化素養がないと、ユニクロ着てても心は錦、という具合にはならない。十月十七日(金)
磁石の孤立
あの2001年9月11日のWTCテロから21世紀が始まる。と池澤夏樹は語る。その時に立ち上げたメールマガジンに書き込んだ『新世紀へようこそ』(光文社)を、再読してみた。この2年間の米国一国主義と日本の追随主義がうらめしい。続刊の『世界のために涙せよ』(池澤夏樹・光文社)にしても、米国が、結局あのテロリストたちと同じことをしてきたことを綴っている。イラク戦争前に緊急出版された『イラクの小さな橋を渡って』(池澤夏樹・光文社)は、小さい本ながらイラクの戦争前の人々を写真と文で伝えた。開戦を止めることは出来なかったが、皆の目には留まった。武力より弱い言葉。米英はイラクに、すでに1991年から爆撃とミサイル攻撃を頻繁に行なっている。1999年までに6千回の出撃と450の施設を破壊した。経済封鎖で食料と医薬品さえも止めた。アメリカの高官は、もう壊すべき軍事施設がない、奴らの屋外便所までこわしてしまった、と言っているくらいだ。イラクの大半は砂漠で平らで、偵察衛星で何でも見える時代に、山地もなく一体どこに武器を隠したというのだろう。米国は冷戦後、経済と軍事で一人勝ちの、地球上で唯一の強い磁石となった。その磁石に、くっついているのは日本だけ。他の国々は反発の極にあり、磁石にくっつかない石のよう。池澤夏樹の文の底には、民族や暮らす人々の目から、世界を組み立てようとする非戦の基準というかスタンダードがある。どんな人々や政府でも、イケザワ・スタンダードから話せるなら、道はある。氏は1945年帯広生まれ。十月十四日(火)
山賊ごはん
「山賊ごはん」が懐かしい。懐のさみしい二十歳ころのメシである。電気釜で炊き上がった白いご飯に、生卵を落とし、醤油差しを片手にヘラでかき混ぜ、鰹ぶしをトッピングする。それを、あろうことかヘラで食べる。アルバイトの実入りがいいときは、安売りのマグロをカラシ醤油づけにして、それを載せて食べる。粗野にして簡単。行儀は悪いが誰も見ていない気安さ。その後このメシをどん底に、たまの旅先での稀なる味で幅をひろげたりはしました。生きている間に50トンの食事をするそうですが、ご馳走はどんなに食べても1トンに満たないでしょう。そう考えると、毎日の常食が大事になる。健康の源ですからね。くわえて地産地消といわれ始めましたが、その土地の農産物と海産物を、その土地の風や菌で発酵すれば一番うまいものが出来上ります。そんな食べ方を続けたら言うことない。▼物書きの「食」語りは多数ありますが、その中の『ひなびたごちそう』(島田雅彦・朝日新聞社)から。はしがきに、こんな文を寄せています。「人並みに退廃の極みにあり、日々の退屈を、酒と哲学と家政で紛らわせている。長く自宅にいる職業柄、家政は趣味を超えた生活の知恵の域に達している、と自慢したい。中年が何らかの魅力を誇れるとしたら、退屈を紛らわす知恵と教養くらいである。オヤジが矜持を保とうと思ったら、オヤジには不可能と思われていることをさりげなくやってのける他ない。若者は不器用でも美しければよいが、オヤジが不器用であることは救いようがない」。こんなに卑下することもないだろうに。▼この方は、ひじきやするめや昆布、鰹節や煮干、高野豆腐や切干大根、麩などの乾物に郷愁が残り、胃が疲れると、何となくひなびたものが食べたくなるそうです。しかし、最後に行きつくのはなぜか生卵ご飯ともいう。醤油をからめた鯛の刺身をこの生卵ご飯に加え、もみ海苔を振りかけると、四国は宇和島の名物の鯛めしになるそうだ。あれっ、これは私の山賊ごはんに似てないか。貧しきご馳走。十月十九日(金)
夏休みの七冊
▼低温の夏だったから十勝平野の出来秋が心配。さりとて、なにも出来ず。お盆のころに読んだ本です。▼『いつか王子駅で』(堀江敏幸・新潮社)から。一文が長く言い回しにくせがある。「来ないものを待つこと、必ず来るものを待つことの差異があるとしたら、器の小さい方は後者だろう。待っても詮無いものを待つことにこそ意義がある…。普段どおりにしていることがいつのまにか向上につながるような心のありよう…。いつもと変わらないでいるってのはな、そう大儀なことじゃないんだ、変わらないでいたことが結果としてえらく前向きだったと後からわってくるような暮らしを送るのが難しいんでな、と正吉さんはピース缶を手によくつぶやいていた」。「旋盤でも木工でも、のりしろを残しておく。寸法ではなく匙加減が大事なのだ。なるほど、のりしろか。私に最も欠落しているのは、おそらく心の「のりしろ」だろう。他者のために、そして自分のために余白を取っておく気づかいと辛抱強さが私にはない。咲ちゃんといて疲れないのは、あっはと美しい歯を見せて笑う表向きの明るさや屈託のなさのせいだけでなく、周囲にいる人間にたいしていつも「のりしろ」になれるように、生まれつきの余白が備わっているせいかもしれない」。引用文の多い小説でしたが、味わいがありました。▼『草叢』(津島佑子・学芸書林)は、夢やイメージ、空想的な話がほとんど。現実から浮遊しながらも、この世とぎりぎり接している、そんな心の世界でした。それだから見えるものがあるんですね。自選の十一篇。▼『毎月新聞』(佐藤雅彦・毎日新聞)から。「単機能ばんざい」は今だからこそ肯ける。「おじゃんにできない」もいい。靴の紐を締めてから忘れ物を取り行くときどうするか。新聞を二枚広げて松の廊下「殿中でござる」の裾はこびでズルズルすすむ。靴を脱いでとはならないところが愉快で考え込ませる。▼『おわらない夏』(小澤征良・集英社)から。「過ぎた時間って、一体どこへいくの」。ニューヨークから三時間のタングルウッドでの森の生活。こんな清々しい思い出を持つ人は少ないでしょう。少年期が豊かな人は、老年期をどう始末するのでしょう。▼『ひきこもれ』(吉本隆明・大和書房)から。引っ込み思案ゆえに引っ込んでいても、十年続ければものになる。職人のすすめです。1960年代は、この著者による『共同幻想論』がテキストでした。▼『本の音』(堀江敏幸・晶文社)は、仏文専攻の著者ゆえの読書案内です。日本には枕草子や方丈記などの随筆という短編の伝統があるが、フランスでは書物といえば長編だからこの短編はおもしろそうと、『ビールの最初の一口とその他のささやかな楽しみ』(フィリップ・ドレルム/早川書房)をすすめる。『辻まことの思い出』(宇佐見英治・みすず書房)は、多芸の辻氏を友人がよく寝かせた思念の硬い言葉のノミで掘りあげたものだそうです。『ビル・エバンス』(ピーター・ペッティンガー/水声社)では、規律に基づいたロマンティシズムを求めてやまないビル・エバンスの評伝です。静かな活気が彼の演奏には確かにありますね。気になる本たちです。▼『たましいの場所』(早川義夫・晶文社)から。「あなたが一流で、私が三流なのではない。あなたの中に一流と三流があり、私の中に一流と三流があるのだ」。「話が面白い人は、作品も面白い。音楽もそうだ。話が面白い人は、曲もいい」。「仲間や同僚をライバルにするな。ライバルはお釈迦様かキリスト様にしろ」。『ぼくは本屋のおやじさん』(晶文社)の著者でもある。▼『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(米原万理・角川書店)の東欧報告から。「大きな国より小さな国、強い国より弱い国から来た子供の方が、母国を想う情熱が激しいことに気付いた。都会育ちの人間が、自分には故郷がないと感じているのに対し、地方の小さな村の出身者が絶えず胸中に懐かしい故郷の風景を抱いているに通じる」。「ロシアが優れているのは、才能に対する考え方の違い。西側では才能は個人の持ち物だが、ロシアには皆の宝。他人の才能を無私無欲に祝福する心の広さがある」。▼西側から聞くか、東側から話を仕入れるかで、見方が違ってくる。東欧のセルビア悪玉論にたやすく乗ってしまっている。危ない、アブナイ。八月二十二日(金)
ひと芝居、打つ。
▼芝居はのぞきの一種。劇場の造りがそもそも、それ向きにできていて、観客は壁のひとつを外して集団的にのぞき見している。そんな状態で、演技者と観客の違いがありながらの一体感のなかで、面白おかしく演じられ、ユーモアが発現する。やっかいなことで吊るし上げられている者の、話をかわしたり受け流したりを見守る。戯曲でも、毎日の暮らしでも、大きい小さいはあるが、苦しい場面でのユーモアの織り込み方が試されているし、それが笑いの種になる。どちらにも法則はありそうです。同じ土俵で面倒な勝負だと思えば、別な土俵に移す。そうすれば勝負にならず、同じ次元では調和できずとも異なった次元なら手を打てることもある。逃げるのではなく、肩すかし。それを観客が息をのんで見守る。日々の生活圏でもあります。そうです、あれです、サルシバイ。そう考えると、生活が演劇なのかということになるが、そうもいえるし、劇場で玄人が演じるのも演劇である。双方とも、浅からぬ溜息がでる。▼『シェイクスピアを楽しむために』(阿刀田高・新潮文庫)から。シェイクスピアの戯曲については、観客が面白がるドラマを抜きにしては語れない、それに断じて高踏的な学者先生のためだけの世界ではない、という。トルストイが物語に一貫性がないと噛みついているが、演劇の場合は観客を楽しませる度合いが小説よりずっと強いと言われる。歌を唄ったりダンスを踊ったりと、筋をはずれて展開していくこともあるようだが、これはこれで観衆は満足する。▼そんな訳で、世俗の愉しみごとを捨てるなんてもったいない。あまさず味わいたい。本物の芝居だって猿芝居だって、持ち味は同じ。八月十五日(金)
抜いた大根で道を教え
日本人が身につけたいもの。そして身につかないもの。ないものねだりなのだろうか。『ユーモアのレッスン』(外山滋比古・中公新書)から。▼正直者が勝るわが列島では、老婆は一日にしてならず、下戸にご飯、などひねった言い方がうける。江戸の川柳では、「本ぶりになって出ていく雨宿り」がよく知られている。「抜いた大根で道を教え」なども雑歌の類とはいえ、毎日のくらしに取り込みたい感覚です。かたやアメリカのラジオ番組から。「うちのママは、毎日、早く起きなさい、勉強しなさい、テレビを消しなさい、早く寝なさい。といって、うるさくて仕方ありません。ボクどうしたらいいでしょう」。回答者すかさず「毎日、早く起きなさい、勉強しなさい、テレビを消しなさい、早く寝なさい。以上、サヨウナラ」。これはオウム返しだけですが、あとからこみ上げてくるものがある。次もアメリカ。第二十八代大統領ウイルソンが、次のように言ったとか。二時間の講演なら今すぐでも始められるが、三十分の話だと、そうはいかない。二時間くらい用意の時間がほしい。三分間のスピーチなら、少なくとも一晩は準備にかかる。▼笑いは、面白いことを話すことにあるが、話し方にもある。ちょっと黙るとか、一息入れるところを続けてしまうとき、聞き手との間にズレがうまれ、つい笑いを誘う。▼あちらの国の、パーティでの一番のご馳走は、食べ物ではなく、おいしい話だということになっている。でも、手柄話は概して退屈であり、他人のしくじりを喜ぶのは、国を問わない。人の悪口では、これ。「一度も絵を描いたことない人に美術展の審査員はむり」と言う人にチャーチルは、「私は卵を産んだことは一度もない。それでも卵が腐っているかどうかは、ちゃんとわかります」。最後はアイルランドもの。「ガミガミいわれたけりゃ結婚しろ。ほめられたかったら死ね」とね。八月八日(金)
コピー&ペースト(2)
▼構造主義といえば、それは記号論から始まる。記号は「しるし」と「意味」がセットになってはじめて意味がある。「しるし」と「意味」の間には、意味するものと、意味されるものとの機能的関係だけがある。例えば、将棋をさしていて、歩が一個見当たらないときに、「じゃ、これ歩」といって、ミカンの皮をちぎってそれを将棋盤においても、対局者が合意さえすればゲームは続けられる。でも、ミカンの皮と歩の間には結びつきはない。このデタラメさが「記号」の本質です。言語を語るとき、私たちは記号を使い過ぎるか、使い足りないか、のどちらかになる。言おうとすることがままならず、言うつもりのなかったことが漏れ出す。人間が言語を用いるときの宿命である。言語による作品は、そのひと固有のものというより、自然的あるいは社会的な、さまざまな要素から織られたテクスチュア(織物)と見た方がいい。私たちは、インターネットのテクスト(文脈)を読むとき、それが、もともと誰が発信したものかということに、興味を持たなくなってきている。誰が最初に発信したものであろうと、それはインターネット上でコピー&ペーストが繰り返され、リンクされている間に変容と増殖を続け、もはや「元々誰が?」などと、オリジナルを問うこと自体が意味を失う。これは、ロラン・バルトの「作者の死」と同じ。最近では、私たちがリナックスのパソコン基本ソフトを自由に使うことができる。これは、一人によるオリジナル最終作品ではなく、よってたかって作り上げられ、公開された。▼さて、構造主義の旗手であるレヴィ・ストロースの『野生の思考』から。文明人と未開人は、その関心の持ち方が違う。文明人のように世界を見ないことが、未開人が知的に劣等であることを意味しない。サルトルは歴史の段階的な進化を考えていた。それは未開から文明へ、停滞から革命へと進む、といった歴史過程である。しかし歴史を持たない、新石器時代とほとんど変わらない生活をしている部族はまだこの地上に多く残っている。数千年前から繰り返してきたことを、この先も永遠に反復するだけ。しかし、だからといって、彼らに人間の尊厳や理性が欠如している訳ではない。実存主義は、ここで理論破綻することになる。さて、レヴィ・ストロースの親族論の二項対立から。私たちが自然で内発的と信じている親子、夫婦、兄弟姉妹の間の感情は、実は社会システム上の役割演技にほかならず、社会システムが違うところでは、親族間に育つ感情も違う。私たちは常識的に、人間が社会構造を作り上げてきたと考えている。しかしレヴィ・ストロースは、親子兄弟夫婦の間の自然な感情がまずあって、それに基づいて親族関係を作り上げてきたのではなく、社会構造が人間を作り出すことを、きっぱり言い切った。▼これらの論証は、親族構造における近親相姦禁止と贈与論にありますから、やはりここは彼の『構造人類学』を読むよりないですが、数学も出てくるから難しそう。でもその前に、『はじめての構造主義』(橋爪大三郎・講談社現代新書)で消化しておくのもいい。レヴィ・ストロースの親族論と神話論へ入門させてくれる。我が列島では、山口昌男がトリックスターや贈与論に取り組んでいた。これから、どういうふうに、考えてゆこうかという時、構造主義は避けられそうにない。思考の出直しのためにも。八月二日(土)
コピー&ペースト(1)
私たちは他人の言葉を語っている。▼『寝ながら学べる構造主義』(文春新書・内田樹)から。自分が見えるように他人にも見えているだろうか。懐疑についてはプラトンも、デカルトも、カントも哲学した。でも、それはイスに座して思弁したものである。日常の生き方にリンクする哲学をした人はマルクスが最初といわれ、それは構造主義の源流にもなる。▼まずは、言語論から。言葉を語っている私は、厳密に言えば、私そのものではない。それは私が習得した言語規則であり、私が身につけた語彙であり、私が聞き慣れた言い回しであり、私が読んだ本の一部である。とういう訳で、私の持論という袋に、一番たくさん入っているのは、実は他人の持論です。他人に意見を述べている場合、それは私が、誰かから聞かされたことを、繰り返していることと思って間違いありません。タクシー運転手さんの中には、社会問題について、実にきっぱりと意見をいう人がいるが、彼らが長時間ラジオを聴き続けていることと関係があるでしょう。「私が語る」とき、その言葉は国語の規則に縛られ、語彙に限定されるばかりか、そもそも語られている内容さえ、その大半は他人からの言葉、ということになると、「私が語る」という言い方は気恥ずかしい。私が語っているとき、そこで語られていることの起源はほとんどが、私の外部にあるのですから。▼国家は身体を操作する。ミッシェル・フーコーはいう。「十八世紀になると、兵士は造形されるものとなった。まるでパスタを練り上げるように、兵役不適格な身体を必要な機械に造りだす。姿勢が少しずつ矯正さる。計算ずくの束縛がゆっくりと全身にゆきわたり、身体の支配者となり、全身をたわめて、いつでも使用可能なものに変える。それは、さらに日常的な動作の中にそっと入り込み、自然な反応として根づく。こうして、身体から『農民臭さ』が追い払われ、『兵士の風格』が与えられる」。同じことは日本でも維新後、山県有朋によって徴兵制が導入された。人間の身体を政治的な技術で加工した。身体の支配を通じて、精神の支配をすることこそ、政治技術の最終目的である。それに自らの意思で、自らの内発的な欲望で、権力の網目の中に自己登録するように仕向ける。▼これは、丸山真男の超国家主義の論理と重ね合わせたくなる、くだりです。制度と身体と戦争の連鎖は、もはやこの時代に繰り返されることはないと、タカをくくりたいが、怪しい。この本、寝ながらどうぞ、となっていたが、起き上がってしまった。(つづく) 八月一日(金)
クモの糸(120)
▼クモの巣のむこうに夏空を仰ぎ、巣の張り方を観察する。まずは放射状の縦糸を張り、つぎに真ん中に密度の高い「こしき」をつくる。これはクモの住居部分。その後に足場糸をつくり、外側から内側に向けてネバネバの横糸をゆるく張っていく。これで獲物をとる。クモのなかでもオニグモは、夕方に現れ、残しておいた一本の糸を頼りに巣を張る。夜中に獲物をとり、明け方近くになると巣を取り壊し、集めた糸を口に入れて、一本の糸のみを残して隠れてしまう。毎日、店開きと店じまいをする。ガード下の屋台みたいなものである。▼さらに詳しくは、『クモの糸のミステリー』(大崎茂芳・中公新書)から。クモがつくる巣は、いくつかの種類の違う糸でできている。中でも大事なのは「牽引糸」である。巣に飛来した昆虫の捕獲や、クモ自身が巣から逃げ落ちるときには、中央の「こしき」に固定した牽引糸をつかう。牽引糸は命綱で強い。強度計算では自重で切れる値をもとめると約150km。これなら芥川龍之介『蜘蛛の糸』のお釈迦様の垂らしたクモの糸で、地獄から這い上がることもできるかもしれない。▼クモの糸は、四億年の進化の過程で生みだされた素材で、強度や弾力性などの点で優れている。いまは防弾チョッキや女性用ストッキングなどへの応用が考えられている。特に牽引糸は同質の二本の細いフィラメント(繊維)から作られている。一本が切れても、残りの一本で体重を支えることができる。命綱は二本がミニマム。この自然界の経験則は、エレベーター、橋、飛行機、紐、家屋、トンネルなどの素材の安全率を示唆する。それも二倍の強度が基準で、それ以上は無駄であり、それ以下は危険である。▼クモの糸が教えるこの「二」は、安全を考える上で、大事な値である。記念写真でも最低二回はシャッターを切る。さらに、危機管理を考えるなら、トンネルの場合なら英仏海峡トンネルのように単線二本(青函トンネルはコストから複線)とか、会社の社長と会長は同じ飛行機には乗らないなど、別ルートの「二」が大事になる。▼ところでクモは昆虫と、ずーっと思ってましたが、八本脚の節足動物でした。七月十一日(金)
広告代理店の関与
▼過去の戦争を知るには、証言と資料が残されている。今の戦争を知るには、報道メディアが頼りだ。これがアブナイ。『戦争報道』(武田徹・ちくま新書)から。▼戦争ニュースは情報メディアが、軍発信の情報をベースに従軍記者やフリージャーナリストの情報から組み立てる。ただ、情報の伝え方や内容にカタヨリが感じられる。むしろ『地獄の黙示録』のような映画の方が、戦争の狂気を余すところなく描かれている場合がある。では戦争の報道は、実際にどう作られているのか。「洪水のような情報操作」の元になる情報をパッケージするのは、今ではPR会社が手がける場合が多い。アメリカのPR会社は広告代理店の範囲を超えた幅ひろい仕事をしており、世界各地の地域戦争に関与している。▼例えば、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、ルーダー・フィン社が、サラエボの最新情報とボスニア関係情報のうち、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府に有利なように編集した『ボスニア・ファックス通信』をメディア関係者に送りつける。PR会社がニュース・リリースしたものを、メディアが重要な情報源としていく。ニュースの半分はこうして作られる。戦争広告代理店は、人々の関心を惹きやすいように「セルビア人は現代に蘇ったナチだ」というようにパッケージされた情報を提供する。セルビア人のイメージは一人歩きし、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府の支持を増幅させていく。コトバによる情報管制である。今ではマスメディアが、PR会社の情報操作の対象となっている、この事実。ジャーナリズムが戦争をつくり、戦火を焚きつけている面はないか。▼一方、インターネットで多くのことが知れるようになった時代は、何も信じられない時代である。情報収集のためのインターネットではなく、ジャーナリズムの出力回路としてのインターネットがブロードバンド環境で進むとしたら、希望はもてるかもしれないが。マスメディアは大きなシステムで動き、刺激のある情報を次々と発信する。信頼ある情報が不足してきているにも拘らず、多くのテレビ局、出版社は、危険な場所に自社社員を送り込まず、フリージャーナリストを前線取材に用いている。▼つくられた戦争情報でも、百ぺん繰り返せば真実になる。七月四日(金)
炭になった弁当
▼五月の中国地方へ仕事を兼ねて出かけた。瀬戸内海の魚と酒をいただきながら、北国にはない、のほほんとした人柄が味わえた。ヒロシマの半世紀前を訪ねようと、大勢の修学旅行生に押されながら原爆ドームと原爆資料館にも足を運んだ。その売店で買った『広島・長崎修学旅行案内』(松元寛・岩波ジュニア新書)から。▼著者はだし抜けに、いまは戦後というより第三次大戦の戦前ではないかと問いかける。さて、広島へ投下したウラニユム爆弾は、一般市民への無差別殺傷と思われているが、実は広島の第二総軍司令部(東京が第一総軍司令部)を中心とする軍事施設から数百メートルそれたところに投下されている。アメリカは、敗戦色が強まっていた日本になぜ原爆投下をしたか。ソ連軍が日本に進入する前にアメリカの手で日本を屈服しておきたかった。戦後の極東政治の舞台で主導権争いを想定した動きとの考え方がある。この地方は、毛利氏の戦国時代から明治維新まで特記するような歴史もなく、隣の長州藩のように、尊攘派である松田松陰門下生の高杉晋作、伊藤博文、山県有朋といった人材も輩出はしなかったが、瀬戸内海と中国山地の恵みのなかで、おだやかな気質を持つことになったのかもしれない。しかし、明治以降は、広島の人たちの意思によらない軍事都市としての役割が課せられた。日本が遂行した戦争である日清、日露、第一次大戦、シベリア出兵、満州事変、上海事変、日中事変では、軍人と物資の供給基地となった。ですから、原爆投下された被害者でありながら、知らずに加害者の位置にいたことになる。原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しません」との碑文が記されている。爆心地は原爆資料館の近くの島病院である。そこの説明版には「この病院の約五百八十メートル上空で人類に対する最初の原子爆弾が炸裂した。テニヤン島から飛来した米空軍機B29「エノラ・ゲイ号」が高度八千五百メートルから投下したウラニウム235爆弾であった。この一帯の爆発時の地上温度は、約六千度となり、高熱と爆風、放射線によってほとんどの人が瞬時にその生命を奪われた。時に一九四五年(昭和二十年)八月六日、午前八時十五分であった」。▼広島原爆資料館の展示資料に、炭になった弁当があった。七月一日(火)
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/vist_fr.html
愛蘭土(3)
▼歴史の大筋をもう一度。前四世紀ころケルト人が渡来、五世紀キリスト教が伝来、十二世紀以降イングランドの支配、十七世紀クロムウェルに征服され経済的・宗教的な圧迫をうける。十八世紀初頭からカトリック信教の自由を求める反乱が起こり、一八二九年カトリック解放法が出される。しかし農民の貧困と反抗はその後も続く。アイルランドの人々はそんな訳で、イギリス本国の新教徒をプロテストタント野郎とののしり、怨念を残す。▼しかし、アイルランドは、何んといってもゆたかな言語芸術の国であり、日常のなかでも、皮肉、諧謔、華麗なレトリック、痛烈な自己主張にあふれている。十八世紀、聖職者でありながら『ガリバー旅行記』というきわどすぎる人間批判を書いた厭世家ジョナサン・スウィフトを峰とすれば、くだって十九世紀末にはオスカー・ワイルド、もっと早い時期に日本の能に注目したイェイツ、つづいて二十世紀初頭の演劇に影響をあたえたシング、『ユリシーズ』の作品のジェイムス・ジョイス、そして『ゴドーを待ちながら』のベケット。▼英国国教会が、国王を頂点とする国家宗教であるのに対し、カトリックは普遍的で、ローマ教皇を頂点としている。なにしろ英国国教会は、十六世紀、ヘンリー八世が王妃と離婚したいがため教会をローマから独立させた宗教だから、諸事鷹揚である。初期にはカトリックにゆれたり、プロテスタントになったりしたが、やがて中道で落ちついた。たとえば儀式はカトリック、教義は新教という具合で、この中庸主義が、英国人の生活と文化あるは政治思想に根づよい影響を与えたに違いない。▼アイルランド人は、組織感覚がなく(中世的である)、統治される性格ではなく(古代的である)、大きな組織のなかの部品で甘んじるというところが少なく(近代的でない)、さらには部品であることが崇高な義務だというところが薄い。それらはイギリス人たちが持ち合わせているものであるが。▼魅力的な民族だが、すこし中世的じゃないかと思われる。アイルランドにあるのは、一枚の舌、それに激情。あるいは屈折したこころ。その屈折からくる華麗な言語表現だけである。アイルランド人には古ヨーロッパ人(ケルト人)の意識がある。それは気の毒にも辺境の地だが。アイルランドは、十四・五世紀のルネッサンスを知らず、十六世紀の宗教改革とも無縁で、十八・九世紀の産業革命では被害者の役割しか演じさせてもらえなかった。上代において文字をもたなかったため、歴史においては寡黙である。しかし今も昔も、どこか神秘的で魅力に富んでいる民族である。アイルランド人は普段でも大なり小なり演劇的である。話に興じてくると、直接話法になってきて、話の中の登場人物を、それらしい口癖で語らせたり、表情を入れて話し、演劇的である。▼ジョン・フォードが作った映画『静かなる男』には、アイルランドの人情と田園風景があふれる。そうそう、そもそもウィスキーの起源は、アイルランドであるにせよ、スコットランドであるにせよ、ケルト民族の発明であることにかわりがない。▼アイルランド人は、途方もない意固地さ、信じがたいほどの独り思い込み、底抜けの人のよさ、無意味な喧嘩好きと口論好き、それに瑣末なことでも自己の不敗を信じる超人的な負けずきらい、それに信心深いカトリック教徒でありながら迷信をとびっきり好み、そのくせ子羊のように服従する素朴がある。アイルランドには資源はないが、妖精だけはいっぱいいる。古代ケルトのドルイド信仰ならば、むろんゴーストや諸霊が存在し、人は死後、ゴーストとして、好きな地や古里をうろつく。▼ところで、アイルランド西方のアラン島にもひとは住む。岩だらけの不毛の地なのに。人間もタンポポも同じなんですね。種子が落ちたところが極楽だと思って住んでいる。六月二十三日(月)
愛蘭土(2)
▼さて、古代ローマがやってこなかった、アイルランドの話です。西洋人にとって、ギリシャ・ローマ文明の子孫でないと、どこか小馬鹿にされるのではないか。つまり大なり小なり古代文明を血脈に引く家系を誇示する人は多い。英国における第一級の秀才は、工学部や経済学部を選ばず、ギリシャ・ローマの古典学を専攻する。ギリシャ・ローマは重いのである。アイルランドにはシーザーこそやって来なかったが、その代りにローマに本山を置くカトリックがやってきた。当時のアイルランドに住む人々は、狂喜したに違いない。もしもキリスト教がローマでなくエルサレムが根拠地だったら、こうは広がらなかっただろう。イエスの昇天後、エルサレム教会を守り続けた漁夫のペトロは、晩年イエスを殺したローマ帝国の都に行って布教し、これまた皇帝ネロに処刑された。つづくパウロもローマへ行き処刑されるが、ローマで少しずつ信徒を増やしつづけた。その後ヨーロッパの町や村に広がるが、これは「ローマの宗教」というイメージが魅力だったに違いない。ローマ文明は、民族や階級をこえて普遍的なものだった。▼さて、舞台をアイルランドに移すと、聖パトリックが五世紀はじめに、当地にやってきてキリスト教を伝えた。彼はこの島の人々に、三つ葉のクローバーをかざし、「三つ葉もよく見ると、一枚の葉なのだよ」といって、三位一体のこむずかいしい教義を説いた。父(神)と子(イエス)と聖霊とは一つというものだと。聖パトリックの祝日の三月十七日は、クローバーの緑の服、緑の帽子、なければ緑のハンカチでもよい。(そういえば昨年のサッカー・ワールドカップでもアイルランドのサポーターたちも緑一色でした)。古代ケルト人の末裔のアイルランド人は、本国には約三百万人ほどしかいないが、移民とカトリック的多産のため、アメリカには約四千万人いるといわれている。聖パトリックはふしぎな宣教者だった。絶対神とその厳格な教義を押しつけることなく、アイルランドの土着神を認めているのである。しかしそのお陰で、アイルランドの土着の神々が、妖精として生き残った。大宗教は、仏教でも回教でも、土着の神々を否定する。古代的幻想を否定するのだが、カトリック世界でただ一ヵ所、アイルランドだけは、小人や妖精が生き残ることを許されたのである。森や湖や家の暗がりに住む妖精たちは大よろこびしたに違いない。この島は小さいながら、世界の文学史の中で大きな位置を占めるのは、「アイルランド人は、みな頭のどこかかに幻想をもっている」この民族の能力によるものであろう。詩人イエーツ、小説家ジョイス、ガリバー旅行記のスウィフト、劇作家ベッケト。そして日本に滞在した小泉八雲(ラデカオ・ハーン)も日本にお化けや妖精をみた。▼リバプール発のビートルズもアイリッシュを土壌とする。六月二十二日(日)
愛蘭土(1)
アイルランドを読む旅。『愛蘭土紀行 Ⅰ・Ⅱ』(司馬遼太郎・朝日文庫)から。まずは、アイリッシュ・カトリックのために五十頁を割いている。▼そもそものヨーロッパ宗教史をひも解けば、四世紀頃に西ローマ帝国がカトリック、東ローマ帝国がギリシャ正教へと分かれる。やがて十六世紀、カトリックからプロテスタント(新教)が分離する。当時のヨーロッパでのカトリック信者たちは、暢気なものであった。神については教会にまかせっきり、教会に行って罪を告解してさえいれば、あとは神父がよろしく神に対して処理してくれていた。ところが、産業革命と都市生活が盛んになるにつれ、農村から出てきた者たちに、個人の責任や義務といった、個々の自立が求められるようになった。商品取引は、あくまでも個人が個人に対して行う。神との取引も同様で、ローマ教会という中間業者を外して、神に対し自分がじかに取引せざるを得なくなった。それが新教、プロテスタントであった。マックス・ウェーバーが、その著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で社会学的に研究し、この時期に勃興してきたビジネス文明をささえる精神(エートス)を探り出した。「汝の額に汗せよ」「働かざる者食うべからず」。古代に成立した聖書が、あたかも近代のビジネス文明のために書かれたように、さまざまな聖句の読み直しをした。▼アイルランドはカトリック国であるから、この新教に憎悪がある。ここでややこしいのは、アイリッシュにとって大きらいな英国が英国国教会の国であることである。アイルランドの人々は、ゲルマン系でもラテン系でもなく、ケルト人である。古代ヨーロッパに中西部に住んでいた先住民族で、歴史的に強力な足跡はなく、蛮族と思われていた。古代ローマではケルト人のことをガリと呼び、その地をガリアと呼んでいた。シーザーのガリアの地は今のフランスで、そこにローマの大軍が駐屯し、植民地にした。今なお、フランス人はローマ文明の嫡流だとどこかで思っているらしい。負けたケルト人たちはローマ人と混血して後のフランス人の原型をつくったが、例外がブルターニュ半島に残っている。ほかでは英国本土のスコットランド人とウェールズ人である。次いで北海道ほどの広さのアイルランド島にケルト人が残った。▼日本のアイルランド人は、小泉八雲。アメリカ大統領では、ケネディやレーガンがいる。横道にそれるが、テレビのウルルンという番組で、アイルランドの黒ビールの泡にクローバを描いていたのを見た。なぜクローバなのかは次回に。六月二十日(金)
日曜の雨
▼トマトとナスの苗植えが六月になってしまった。お盆のころには食したいが、こらからの好天と慈雨に頼るほかない。この日曜は雨で、引きこもるには具合がいい。だらだらした気分でインターネットや本を繰っていたら、ナルホドに出くわしました。たいして努力もせず棚ボタのいい日になった。▼まずは、動物の適応色彩。わけのわからない動物の体の奇抜な模様が、その動物の生存にとって大事なことは知ってますよね。シマウマなどは群れになると一頭ごとの識別はムリで捕食されにくい。でも、それはなぜか。輪郭です。サンゴ礁などに群がる熱帯魚の鮮やかな縦じまや、蛾のはねの極彩色の斑紋は、はっきりした模様であるけれど、魚がサンゴ礁のなかを泳いでいたり、蛾が木の幹に止まっているときには、あの派手な配色とデザインのおかげで、体の輪郭がわからなくなる。輪郭が不明になることで、捕食から逃れられる。じゃ、そもそもこの派手なデザインは、しだいに進化したものか、いきなりの突然なのかを考え始めたら、やがて意識がうすれてきた。▼もう一つ。握り寿司はなぜ二個か。回転寿司でも二個一組で皿に盛られて回っている。これ、一カンって言いますね。靴下二枚で一足の要領です。現在は一つずつを一カンとしているようです。カンの字については、昔の貨幣単位の貫からとする説、巻き寿司が元になって巻と数える説とがある。さて、握り寿司はなぜ二カンずつなのか。これは江戸時代の握り寿司が、オニギリくらいの大きさで、そのままじゃ食べにくいというので二つにして出したことが始り。二カンはその名残りです。旧弊をあらためるわけではないが、
ノレンをくぐりオシボリで手を清めてから、畏れ多くも大将に「一カンずつ握って」と言ってみたい。こちらは、いろいろ味わいたいのだから。でも、握るリズムが狂うとかで、いい顔はしないだろうな。しかしこの不景気です。いよっお客さんいいこと言うねえ、こちとら少量多品種で商売繁盛につながるなら一カンずつでも、オニギリでも握りましょう。とかなるといいのですが。やってみる価値はあるだろうか。六月二日(月)
けんか
▼ケンカや格闘技の極意は、間合・殺気・残心にある。まず相手との間合のとり方で、一流か三流かがすぐわかる。スキのない構えでも、殺気がギラギラむき出しでは三流か五流だ。といって、殺気がなかったら、相手に気力を吸いとられて、間合を取ることができない。弱い犬ほど吠えるけれど、人間も自信のない奴ほど肩に力が入りすぎて、一見無造作な間合がとれない。ケンカだけでなく、何事も同じだ。勉強でもなんでも、挑戦するものとの静かでスキのない間合が、大切なんだ。と、『けんかの仕方教えます』((佐江衆一・岩波ジュニア新書)がジュニアに指南している。▼ケンカの話は、『バカの壁』(養老孟司・新潮新書)にも出てくる。武器の開発は、死体を見ずにすませる方向に進化している。面とむかって殺し合いをしている間は、抑止力が直接働いていた。しかし、見るがいい。今は武器による被害の規模は大きくなっていくばかり。それに世界の三分の二が一元論者だということを注意しなくてはいけない。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は結局、一元論の宗教である。さて江戸時代のシクミは、士農工商により支配階級を固定化して、武士だけに武器を持たせ有利にすることで、百姓との力のバランスを取り、社会的ケンカを避けてきた。裏返せば、そのくらい都会の人間というのは弱い存在である。百姓の強さは、人間にとって大事な食うことの前提を握っていることにある。基盤となるものを持たない人間がいかに弱いものか。その弱いところ入り込むのが宗教で、その典型が一元的な宗教といえる。イスラムとアメリカとのケンカは、多神教の日本からは、一神教同士の内輪もめにしか見えない。▼極東の我が列島も、他国とのケンカの仕方の有事三法を、立法府は議論もせず決める算段です。世にケンカの種は尽きまじ。まあまあとなだめる人もシクミも少なすぎて、一触触発の場面ばかり。五月十六日(金)
キャベツ畑
▼初夏のモンシロチョウ。この蝶は上昇したと思えば急降下の乱舞をする。これは捕食されないための目暗ましの動きなのだろうと思い込んでいたが、どうもそうではないらしい。『モンシロチョウ』(小原嘉明・中公新書)は解き明かす。▼モンシロチョウは卵から蛹まで一か月かかるが、蝶になってからは、わずか二週間の寿命。この間に結婚相手を見つけて交尾し、子供を遺す。この蝶は雄と雌が似ていて見分けがつかないが、雄は雌の翅の紫外線を感じて近づくことが解明された。雄は、雌たちがよく集まる花の咲いているところへ行くが、ここは交尾済みの雌が多い。だが、キャベツ畑は違う。ここはアオムシにとって格好の食卓なので、雌はそのキャベツにせっせと卵を産みつける。その結果たくさんの幼虫が発生し、蛹になる。やがてたくさんの雌が羽化する。この羽化したての雌こそ、雄が探し求めている未交尾の雌である。さて、この場面です。ここで雄のちょこまか飛びが始まる。雄はキャベツの葉裏や合間をせわしなく、ちょこまか飛んで雌を探す。上から見ただけでは、キャベツの葉裏に羽化したての雌を発見できない。もしかしたら葉の表でさえ、翅を閉じて垂直に止まっている雌を発見できないかもしれない。だから高度をぐっと下げて見て、雄だったらガッカリして、すぐ上昇し次を探す。これが雄のちょこまか飛びの理由だったのです。▼雌探しにも個性があるという。一日に三十分しか雌探しをしないチャランポランな雄がいる一方、その数倍も長い時間を費やす真面目な雄もいる。チャランポラン雄はなぜ淘汰されず生き残ってきたか。考えられることの一つは、一生懸命に探す雄は寿命が短くなり、生涯に雌を探す時間の合計が、チャランポラン雄と差がなくなることにある。それに雌を探す時間が長いほど、捕食の危険にさらされる。でも観察から、真面目な雄が早死にするという結果は得られていない。まだまだ不思議は山のよう。▼この動物行動学者の推理・実験・証明の手順や筋書きには、わくわくするものがある。推理がアタリなのか、ハズレなのか、こちらの気持ちも乱舞でした。夏になったら、キャベツ畑に行こう。四月二十五日(金)
お賽銭
▼人間、落ち着きが肝心。なのだが、それが続くと感覚もゆるみがち。時々足場をぐらつかせ、汚れを落とすというか覚醒することもしたい。でも足場が崩れてしまうと、感覚はむしろ鈍磨の方向にむかうようだ。今春で術後七年目を迎えた。思えばあの時は、鈍磨のなかで手を合わせた。いくばくかの時をと。その後は定期的に札幌の主治医を訪れている。かかりつけの病院は神社の一角にある。なんでも院長はその神社の娘婿らしい。神社に隣り合わせた病院なのだが違和感はなく、鎮守の杜にヒヨドリや四十雀が飛来して、気がまぎれる。さて当面の無事を診断されると、足は神社に向かう。「おさい銭、百円玉一ツぽんと投げて手を合わすお願いごとの多いこと」(相田みつを)をして、鈴をじゃらじゃら。それにしても、お賽銭の風俗は一体どこから来たのだろう。と道々思いながら、本屋に入ると出会うものです。▼『なぜ日本人は賽銭を投げるのか』(新谷尚紀・文春新書)。贈与が人間関係の基本であることは、M.モースのインデアン社会のポトラッチ研究から知られている。人々は贈与のくり返しで人間関係の絆を強める。ただ日本民族の贈与にはもう一つの意味がある。それは神社の賽銭や厄年の銭撒きの習俗にみられる厄払いである。人々が祓い清めたいと思っている、罪穢れ・災厄・疫病・犯罪・暴力・殺人など生活を脅かすものや、死に至らしめる危険なものをひとまとめにして、ケガレとしている。埼玉県の大野では、お金を供えた神輿を村境に捨て、村の災厄や疫病つまりケガレを祓え清める送神祭がある。神社でお賽銭を投げるのも、厄年の人がお金を撒くのも、ケガレを捨てて、祓い清めているのである。貨幣がケガレを吸引する。そもそも神社は祈願する場所なのだが、一方では賽銭箱にお金を投げ入れケガレを祓う場所でもあると言う。▼そうなると、ケガレの清めにポーンと一つ、お願いごとあるならチップをもう一つポーンということになる。四月十日(木)
本棚をのぞく(110)
▼ひとはどんな本を読んでいるのか。立花隆の『ぼくはこんな本を読んできた』(文春文庫)では、科学モノや社会モノが手広い。本読みをスタッフでやっているのだろうか。それとも氏オススメの拾い読みか。猫ビルでの知的生活もイラスト紹介されている。ある時期、私は立花基準で読んだけれど、いまは自由の身です。その鎖を最後に断ったのが、あのイジワル姉御、『趣味は読書。』(斉藤奈美子・平凡社)の著者です。今回はベストセラー本いじめをやってます。それに岩波新書な人々を「じっちゃん本」って言うんだから、まあ、口減らずの評論家だこと。たとえば『声に出して読みたい日本語』(齋藤孝・草思社)は、朗誦に適したテキストを選んで編んだだけの本である。でも売れた。これは「白波五人男」や「がまの油」も載ってるし、これを買うといえば、はっきりいってジジババでしょう(このわしも買ったが悪かったな)。大きな活字、総ルビ、現代かなづかいという一見子ども向きな編集も、見方を変えれば老眼のお年より向きだ。この本読んで、どうぞ長生きして下さい。とまあ、口悪い人だ。▼次はおもむきを変えて、『快楽の本棚』(津島佑子・中公新書)。二十ページあまりの序からすでに、静かな語りで、深い思索にさそわれる。この人は同世代だが、やっぱり姉御肌。さてそんなことより、中味を次に。一度、私がのぞきこんだ本は、その記憶をいつまでも失わずにいる。物語についての記憶と自分自身の記憶の境がはっきりしなくなってくる。言葉で語られることは、人の感受性に直接つながっており、言葉の経験が体験として記憶される。少なくとも、言葉から自由だった子ども時代が懐かしい。言葉から自由になりたい。言葉の牢獄から逃れたい。そうして一方では、本の中の、無数の言葉によって、生命の喜びを見つけ出そうとしている(あれ、二律背反させといて予定調和させるっていう弁証法を好むんだ)。▼でも、次がいい。論理的なキリスト教文化から生まれた文学から、目に見えるものだけがこの世界ではないという神話的想像力が多いアジア文学が、思いがけない生命力を示すのかもしれない。一八七二年に、イラクの砂漠から粘土板が発掘された。古代メソポタミアのシュメール人の神話が、楔文字で刻まれた、ギルガメッシュ叙事詩である。五千年以上前の物語として成熟し、旧約聖書に吸収されたり、ギリシャ時代にも知られたり、語り継がれ、その流れはやがてモンゴルに伝わり、アイヌに伝わり、日本にも伝わっていく。わくわくします。文学を通じて、時代も場所も違う、すばらしい人たちと「直接」出会うことができた(よくもまあ、この小さい本で世界を股にかけた文学史を講義するなんていい度胸してる)。でも、茶化さないで、このひとの小説を読もうという気になってきた。三月二十一日(金)
書抜きの愉しみ
▼本の抜粋を始めたのは一九九〇年。初めてのパソコン(東芝ダイナブック)の初仕事が書抜きだった。当時の文書作成ソフトの文字変換は、まだ滑らかとは言い難いものだった。それでもブラインド・タッチだけは、ものにしておきたかったので、入力練習にと始めた。自分好みのところを抜粋するのだけれど、年月を経ると、さほどでもないものもあり、骨折り損のことも多い。私の本棚は四・五百冊がやっと収まるくらいなので、書抜ぬかれた本は、どこかに引き取ってもらうことになる。図書館だって迷惑だろうから、今ではリサイクル本で出している。もう会うこともないので惜別の気持をこめて抜粋するのだが、多少自分好みに味付けし、手直しする。だから原文そのものではない。抜粋しようとするのは、これだけは忘れず保存しておこう、いつかはと期待する財形貯蓄のようなものか。こつこつ、ちびちびである。▼僧侶で、書抜きをすすめる人はいます。『心の眼を開く』(松原哲明・祥伝社)から。仕事を退いたら、私なりの設計で小さな書斎を作り、好きな音楽でも聴きながら、今まで読めなかった本を次から次へと読破して、それらの中から好きな言葉をワープロに組み入れて楽しむ。こんな愉快なことはないと今からワクワクしている。「井の中の蛙大海を知らず」、しかし「天の深さを知る」。という説法でした。▼ついでに仏教の無財七施も書き抜きました。眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施。こちらの方は、今ではなく仕事を退いてからの「行い」にしようと思う。それに「千軒あれば共過ぎ」ということもあり、隣人の話を聞き、隣の人にサービスするコトでもあれば、それはそれでいいなあ。無財七施にぴったり、と思い始めている。▼巷間、書抜き出版物はたくさんある。『世界名言集』(岩波書店)からの孫書抜きを。「いいえ昨日はありません 今日を打つのは今日の時計 昨日の時計はありません 今日を打つのは今日の時計」(三好達治詩集・「昨日はどこにもありません」)。三月十五(土)
まず現場
▼難民が増える。地域紛争(局地戦争)で彼らは逃げまどう。その第一次接触者である国連難民高等弁務官の仕事ぶりを、『私の仕事』(緒方貞子・草思社)で知った。緒方さんは、まず現場へ足を運び、話し合い、そこで考えを組み立てた。▼難民は、一九六〇年代の植民地解放、新興独立国における内乱や紛争、飢餓状態からの逃避、外国の軍事介入などにより大量流出した。とくにアジア・アフリカで頻発した。さらに一九八〇年代には、冷戦が第三世界に波及する中で、インドシナ、アフガニスタン、中央アメリカ諸国、さらにソマリア・エチオピア・スーダンなどの「アフリカの角」地域からも流出が続く。一九七〇年には二百五十万人と推定された難民が、一九八〇年代には千百万人となり、その後も増加し続けて、今日では千八百万人に到達している。▼最も犠牲が大きく痛ましかったのはルワンダ難民である。ルワンダは東アフリカの小国で遊牧民のツチ族と農耕土着民のフツ族の争いが歴代続いている。植民地時代はツチ族が登用されていたが、社会革命が起こってツチ族とフツ族が争い、六二年の独立後は多数派のフツ族主導の政権になる。この時はツチ族は同族が支配するブルンジやウガンダに難民として流出している。九四年大統領の飛行機撃墜死をきっかけにフツ族過激派によるツチ族虐殺が起こった。五十万人という大量殺戮である。今度は報復を恐れるフツ族が周辺諸国に逃れた。ザイールに百二十万人、タンザニアに五十八万人、ブルンジに二十七万人、ウガンダに一万人が流出した。コレラの流行がザイールに逃れた人々の命を奪った。ザイールの難民の中には軍人・民兵などの戦争犯罪人も含まれる。戦犯を含めた難民キャンプの経営には、避難轟々のこともあったが、「人の命を助ける」という緒方基準で、戦犯を牽制しながら経営にあたった。その後ルワンダには、避難先のウガンダから帰還した、かつての難民である新しいツチ族政権が誕生した。新政権はザールにいるフツ族の難民保護を避難し、ウガンダに残るツチ族難民に支援を望んだが、難民高等弁務官としては、両族には同じように復興援助した。彼らの家を直し、病院をつくり、学校を建てた。後年ルワンダを訪れたら、大統領が自分たちは若い国で経験が浅く、勲章をだすなどということはやったこともないからと、額をいただいた。「あなたはルワンダの友であることを布告する」と書かれていたそうだ。▼さらに緒方さんは続ける。人間は仕事を通して成長していかなければなりません。そのカギとなるのは好奇心です。それに心がけているのは、現場の裁量を増やすことです。任される裁量の大きさが仕事への動機づけになるからです。裁量が少ないということは、責任も少ないということで、そうすると職員は現場ではなく、本部とか偉い人を向いて仕事をするようになってしまいます。かつての日本の外交官は「スマイリング(薄笑い)、スリーピング(居眠り)、サイレント(だんまり)」の3Sといわれていました。スリーピングは世界共通としても、相変わらず決断が遅いことは、今の外交官にもいえて、国際会議などでは、日本の外交官は、他国がどうするかを調べるのが先、という訓練を受けているようです。こんな舞台ではなかなか主導権を握れず、モタモタした国だと見られるのは、この辺りに起因していると感じられます。と喝破している。▼難民を保護しながら、その主因となる地域紛争を後押ししている米国実情を『アホでマヌケなアメリカ白人』(マイケル・ムーア/柏書房)が告発している。粗野なコトバづかいが気になるが、「ブッシュ」なるものが暴かれている。三月六日(木)
屋根裏のムコウ
▼図書館は、使い方によっては共有だが街の書斎になる。『図書館へ行こう』(田中共子・岩波ジュニア新書)は、上手な利用をやさしく解きほぐしながら、何でも相談に乗ってくれるレファレンスをすすめる。ただし、人生相談・宿題・クイズの回答はダメで、医療や法律に関することも医師や弁護士などの専門家がいるものもダメ。もちろん図書館の本の探し方から司書の仕事ぶりまで丁寧に書かれている。それに、もし本好きで図書館に勤めたいと思っているなら、「人の話をよく聞けるか」どうかで決めたらと、若い人に手ほどきをしている。サービス業だから、お客の話が聞けないとコミュニケーションがとれないばかりか、仕事のことでもうまく教えてもらえないことになる。人の役に立つことが嬉しくないと勤まらない職場のようです。▼さて、個人的な書斎の方は、どう考えるといいのか。『書斎の造りかた』(林望・光文社)から。男たちは会社では会社の論理に押しひしがれ、家に帰れば妻の美学に服従するということになって、知的活動といえば、わずかに通勤電車のなかで本を読むだけという事態である。だから家庭内別居としての書斎をすすめる。まずテレビを捨てて、情報量が圧倒している新聞を選択すること。そしてまだ、取り返しのつく現役のうちになにか試行錯誤をして自己投資をしておく。いわゆるヒミツ練習をやってみて、継続して、ある程度目鼻をつけておく。ものになるには一万時間の投資が必要ともいわれるが、一日三時間程度だったら十年。昔から苦節十年です。十年続ければものになる。その場が書斎。自分時間が足りないからといって、一週間にドカンとやるより、毎日十五分でもやる方が、勘が戻りやすいし練習になる。車の暖気運転みたいなものだ。毎日のなかに虎の子としての自分の時間は必要である。イギリスの図書館には書見台があるが、あれは縦書きの文字を読むには、目の疲労がなくいいし、椅子は座りやすく疲れないOAチェアが一番。パソコンやピアノは両手をまんべんなく使うので脳が活性化される。左手は右脳を、右手は左脳を使う。自分を高めるような投資をしておかないと、その分人生の実りも少なく、人生のジリ貧となる。絵でも音楽でも一年前にやったものと比較すると、確かに上達している。上達は好循環し、下手は悪循環する。いずれの場合も、基礎というかメソッドの習得に起因するから注意のこと。音楽だったら一時間単位でまとめて練習しないと効果がないと思われる。文章の方は、事実の叙述は難しくないが、描写はボキャブラリーも要るから日頃の練習が欠かせない。▼ということで、私の場合は毎日のわずかな自由を、夜空だけみえる屋根裏で過ごしている。小さいパソコンと電気ピアノとオーデオと若干の本、それにラジオだけの根城だが、この分だと目鼻がつくのは、まだ先の話。二月二十六日(水)
ナノ?
▼生物のなぞが解かれつつある。『生き物をめぐる四つのなぜ』(長谷川眞理子・集英社新書)の雌雄の話から。哺乳類では、すべての固体はもともと雌になるように遺伝的にプログラムされているが、染色体がXYのときのみY染色体上にある遺伝子が、男性ホルモンのテストステロンを生産し、雄をつくり出すための遺伝子のスイッチを次々入れていく。それに比べて、女性ホルモンのエストロゲンの場合はごく自然に動きだす。ダーウィンの性淘汰の理論に「雌による雄の選り好み」があるが、これは200年間無視され続けた。しかし、雌は、雄の角・牙や大きな体を評価はするが、それにも増してインドクジャクにみるような装飾に惹かれて配偶者を選んでいることも解かってきた。では配偶者を獲得する競争が、なぜ雄間において激しいのか。雌の方が、卵という配偶子を育てるの時間と、子育てに要する時間が、雄より長くなることにより、雄余り状態が生じることから、雄間の争いが激しくなる。じゃ雌雄はなぜあるのか。親の遺伝子の組成を変えない無性生殖の方が、生きていく上で有利のようにみえる。そうみえるが、雄雌半分ずつ遺伝子を持ち寄る有性生殖の方が、親の世代に生じた遺伝子の傷を修復できるところに、有性の優位さがある。さて、今度は遺伝子の不思議である。ちなみに渡り鳥たちは、風の向きを考慮に入れて修正しながら、子午線に対して一定の方向をとる航法を身につけており、太陽の偏向面を利用した太陽コンパス、特定の星や星座の位置による星座コンパス、そして地磁気に頼りながら飛んでいることが解かってきた。プラネタリウムの中で実験したそうだ。話はそれるが、ヨーロッパからアフリカへ旅立つニワムシクイは、普段は16グラムしかないが、渡りの直前にはどんどん食べて30グラムまでになる。1グラムの脂肪でおよそ200キロメートルを飛ぶ。その飛行力やら確かな方向性には驚くほかない。もう一つ。富山名産でもあるホタルイカは何のために光るのか。海の上が明るいと体が黒い影になるので、ぼーっと幽かに発光しながら周りの明るさにあわせることによって自分の影を消し、捕食から逃れる。これをカウンター・シェイディングと呼ぶそうです。いずれも、生物の遺伝子のなせる技と学習・進化の賜物と理解できました。▼不思議ついでに『ナノテクノロジーの世紀』(餌取章男/菅沼定憲・ちくま新書)の超ミクロの世界から。1ナノメートルは1メートルの10億分の1。地球とピンポン玉くらいの比率を思えばいいそうで、ナノ以下の領域は100種類の原子があるだけの個性に乏しい世界である。ところがその原子を並べることで分子やDNAができる。サルモネラ菌の鞭毛は、ちいさな歯車が大きな歯車を動かす原理で動いており、この生物モーターの大きさは3ナノメートルで、一秒間に1700回も回転している。人間の五感や脳のメモリなどもナノの世界で、ただ今解明中ということも解かりました。生物学は面白いし、知りたい世界ナノです。二月十四日(金)
天皇と領土
たまには社会科の勉強もしなくては。『分割された領土』(進藤榮一・岩波現代文庫)から。日本の領土問題がアメリカ国務省で扱われたのは、真珠湾攻撃一年後の四二年に遡る。そこでは日本の降伏条件が検討され、終戦前夜の四五年ポツダム宣言に引き継がれる。基本的に「日本国の主権は、本州、北海道、九州及び四国並びに諸諸島に局限」の領土不拡大の原則が貫かれた。「諸諸島」とは南北二つの列島、琉球と千島である。当時は中国が琉球を、ソ連が千島の帰属を主張すると思われていたが、他方ではアメリカ軍部も琉球の直接統治を主張していた。四六年のヤルタ会談でルーズベルトは、千島を引き渡すことをスターリンに密約した。ただし、ソ連が南千島(色丹以南)を日本に返還することには反対しない立場をとった。さて、対日講和にあってソ連側が恐れたのは、日本軍国主義の復活ばかりでなく、領土処理によって南樺太と千島の領有権が否定され、南洋諸島と沖縄にアメリカの軍事基地がおかれ、日本が対ソ戦略の一環に組み込まれることであった。一方、四七年九月宮内庁御用掛の寺崎から天皇メッセージがアメリカ国務省に伝達された。「天皇はアメリカが沖縄を始め琉球の他の緒島を軍事占領し続けることを希望している。その占領はアメリカの利益になるし、日本を守ることにもなる」。ここに連合国の対日講和条約によらず、日米の二国間条約によって対ソ戦略を作りあげようとする日米安保体制の原像がある。提案は日本から、それも天皇側から発したものである。極東国際軍事裁判で天皇戦犯問題に決着がついていないのに、である。このメッセージは、沖縄を信託統治方式によらず、潜在主権を残しながら租借する方法であるが、当時沖縄統治の出費に悩む旧日本陸軍とアメリカ国務省の野合とも読める。もう一度整理すると、天皇メッセージはアメリカによる琉球の長期占領(租借)と、片面講和を薦めたものに他ならなかった。もう一つ、アメリカは原爆投下をどこに考えていたのか。すでに四四年段階でドイツではなく日本を選択していたらしい。その背景には、トルーマン語録からみても、ある種の人種差別意識があったのではないだろうか。しかも日本降伏にソ連参戦を求めず実行した。ソ連の南下を食い止めるために。という具合に、戦後処理の文献が公開され分析されるにつれて、日本社会の領土と主権の関わりへのアイマイさも際立つ。二月五日(水)
出遅れた出発
独りで始めて二年。先生はいない。入門用ビデオをみて初歩の初歩を、大人のための省略した楽譜でヨチヨチと、指の鍛錬は脳を刺激してボケないを信じて鍵盤をつついてきた。ついこの間までは両手をバラバラに動かすなんてムリだったのが、出来るようになった。無手勝流で十数曲をものにしたのだが、曲というには程遠く物足りない。毎日はグルダや内田光子を聴いているのになあ。もう少し何とか成らないものかと思案していたら、ありました。若い人に手による独学の本です。『おとなのピアノ独学のすすめ』(広瀬宣道・春秋社)からの書き抜きです。指の負担の少ない取り組みやすい曲は、バッハ「平均律クラヴィーア曲集」第一番、メンデルスゾーン「歌の翼にのせて」、ヘンデル「ラルゴ」、ベートーベン「月光の曲」。練習は、譜面だけ見て弾くブラインドタッチか、もしくは暗譜して曲を深める。二倍の速さでの練習も役に立つ。ペダル踏むなら、これだけは覚えておく。グランドピアノの場合は、左がシフティングペダル(ソフトペダル)で、このペダルを踏むと弦を叩くハンマーの位置がズレて、通常三本叩くところが二本しか当たらず、音が若干柔らかく細かい表現力がでる。ピアニシモの時にいい感じになる。真ん中のペダルはソステヌートペダルで、踏んだ瞬間に押さえていた鍵盤の音だけ持続できるが、これは初心者は使わない。右のペダルはダンパーペダルで、音を段々弱めるもので最も使用する。さて次は指の練習だが、バイエルなんて止めてハノンの曲を抜粋して強化するといい。薬指と小指は特に弱いので、トリルで机をたたき鍛える。オクターブはジャンケンのパーの形で、手首を内側に曲げた距離がちょうどいい。さて打鍵だが、これは手首の緊張をぬいた「マリつき」の要領で脱力すると、澄んだ、芯の透った音になる。フッと溜息をつきながら机の上に何気なく手をポンと置く感じで、弾く意識を捨てる。さて最後に、シャープやフラットの数によって黒鍵は決まっているから、規則性を覚えてしまい「フラットが三つだから、シ・ミ・ラが黒鍵だな」と解かれば、シャープやフラットがズラッと並んでいても、怖くなくなる、と言う。それにしてもいい加減な独学だけでは、音楽に大事な緊張と興奮が足らない。でも、まあこのまま続けよう。そう思いながらも独習仲間を作っている人たちのホームページを覗いては、思案投げ首。http://member.nifty.ne.jp/etude/ecudtop.html
一月二十日(月)
正月のグローバリゼーション (03年)
▼せっかくの正月だからと、餅腹で布団にくるまり天井をみつめていたんですが、何やらもやもやする。下界のことである。現世は米国が地軸となりぐるぐる自転しているよなあ、という思いが段々強くなる。世界の動きをブリ-フィグする『グローバリゼーション・トリック』(舟橋洋一・岩波書店)をめくった。中東やアジア事情に詳しい人である。ちなみに北朝鮮を米国が潰しにかかれば、中国が黙っていないし、北の脅威がなくなると韓国と日本の駐留米軍の意味づけが怪しくなってしまうから、なんじゃかんじゃと外交に持ち込みたいところに米国の立場があるそうだ。新聞をジッと見ていると解かることもある。ブッシュ戦略なのかうるさい国連を尻目に一国主義をみせつけると、EU諸国はあの手この手で抵抗するが、日本は「はいはい」と言うだけ。ドルと安全保障に支配され身動きできない。そうこうしているうちに、中国が世界第三位の経済大国として、公害や貧富の差を抱えてながらも台頭してきた。果たして十三億人が食いっぱぐれのない国づくりができるのだろうか。この地球にとっては未経験のスケールである。そこで私は中国や日本にも愛読者の多いという『水滸伝』(施耐庵・岩波少年文庫)を生まれて初めて読んでみた。幼少のころは本より魚釣りだったので、この年になって読書挽回である。これ、全編が争いの物語。仁義を重んじる儒教らしきものは感じたが、やはり覇道というか武断政治が中心の武闘の国である。中国人は容赦なく、しかも絶対に謝らない人たちとの確信を持った。これが朝鮮半島の人たちにも受け継がれているとしたら、周りのアジアの人たちとの付き合いはタフにならなくては、どうしようもない。ワールドカップがいい見本でした。トルシェ・ジャパンは隣の国々に比べて、ガッツが不足し守備が粘っこくなかった。こちらが百パーセント出力人間にならないと太刀打ちできない人たちだなあと思う。▼さて次は、食のグローバリゼーションですが、これはBSE(狂牛病)に極まります。『食の世界に何がおきているか』(中村靖彦・岩波新書)に詳しい。BSE発生の原因は、一九七三年の第四次中東戦争で油の値段が暴騰したことに始る。動物を再利用するレンダリング工場では、骨などを溶かすためのテトロクロエセリンという物質を入れていたが、これを入れると時間が余計にかかるので、燃料を節約するため止めた。さらに煮沸する時間を短くして温度も下げた結果が、病原体プリオンが活性化したまま肉骨粉に残ってしまい、それが牛の餌として与えられたと推測されている。あと気になるのは、巷にあふれている遺伝子組み換え食品だが、もっと追跡報告が欲しい。▼正月の最後の本は勧められるままに読んだ『不肖宮嶋・踊る大取材線』(宮嶋茂樹・新潮文庫)で、痛快体当たりのカメラ取材と前世紀末の報道写真を味わった。これは前二冊の文筆記者と違い、カメラを抱えて世界各地の現場に飛び込み、その瞬間を待つ。その瞬間というのは突然、なんの前触れもなくやってくるというものではないらしい。必ず何らかの前兆がある。ネコが走る。枯葉が落ちる。スズメが飛び去る。その瞬間の緊張が伝わってくる。江夏豊投手に会って怒られた話も印象に残る。バチバチ写真を撮り始めると「おもまえもプロやったら、一発で決めんかい」。一月八日(水)
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