四つの教え.. 2
まず、謝る。. 2
市民セクター (290) 2
五石六鷁の法.. 3
弱い関係.. 4
本と映画.. 4
ピカソとホヤ.. 4
一日三百回の虫運び.. 5
対称性人類学5. 5
対称性人類学4. 6
対称性人類学3. 6
対称性人類学2. 7
対称性人類学1 (280) 7
悲しみは疾走する.. 8
発想と回想3. 8
発想と回想2. 9
発想と回想1. 9
シマウマはなぜ家畜にならなかったのか2. 10
シマウマはなぜ家畜にならなかったのか1. 11
風の男.. 11
芸術人類学ⅳ.. 12
芸術人類学ⅲ.. 12
芸術人類学ⅱ (270) 13
芸術人類学ⅰ.. 13
通奏低音.. 14
裏庭の縄文.. 14
60年代のワタシ.. 15
野垂れ死なら二十万円.. 15
椅子取りゲーム.. 16
エイコ・デザイン.. 17
神との契約6. 18
神との契約5. 18
神との契約4 (260) 18
神との契約3. 19
神との契約2. 19
神との契約1. 19
降臨2. 20
降臨1. 21
志ん生のクスグリ. 21
交喙の嘴(いすかのはし). 22
キる.. 22
ズー・日本一.. 23
巫女はどこへ (250) 23
世界の神さまⅣ.. 24
世界の神さまⅢ.. 24
世界の神さまⅡ.. 25
世界の神さまⅠ.. 25
おにぎりの裏側.. 26
大人のイソップ.. 27
憂国2. 27
憂国1. 27
読むより詠もうⅡ.. 28
読むより詠もうⅠ (240) 29
見立ての芸.. 29
メモリアルの木.. 29
かけがえのない場所.. 30
ぴあにすとⅡ.. 30
ぴあにすとⅠ.. 31
転型期Ⅴ~文化②.. 31
転型期Ⅳ~文化①.. 32
転型期Ⅲ~自治体財務.. 32
転型期Ⅱ~自治体法務.. 33
転型期Ⅰ~公共政策 (230) 33
タクシーの耳学問が小うるさい.. 33
れていても れぬふりして られたがり (228) 34
四つの教え
『梅原猛の授業・仏教』(朝日新聞社)から。▼仏教での、精進、禅定、正語、忍辱。やさしい言葉でいえば「こつこつ努力をする」「集中力を養う」「正直であれ」「辱めに耐えろ」。この四つがあれば、人生は生きていけます。▼そうなんですが、禅定と正語はゆるぎ、忍辱にはうろたえてしまう。せめて、精進だけでもと思う。十二月晦日(日)
まず、謝る。
『神様から一言』(荻原浩・光文社文庫)から。▼電話クレームの相手には、「まず謝る。二つはどんな話だろうが最初は辛抱強く聞く。あいづちはこまめに。三つは聞き手は熱くならない。冷静に。何を聞いてもヘイヘイホー。次は、こちらが喋る番だが、まず相手の電話に感謝すること。貴重な意見をありがとうございます。ヘイヘイホーってね。責任者に替われって言われても、簡単に替わるな。自分が責任者であるという態度で接する。でも責任をとると言ったらいかん。責任をもって伝えます。こう言う。責任持てるのは、あくまでも伝えるってことだけ。ここ、ポイントな、メモしとき。とにかく基本はあくまでも低姿勢だよ。電話口でお辞儀をする。声の質が違ってくる」。▼クレーム相手の謝罪訪問の場合は、「向こうさんの家に着いたら、まず第一声は『申し訳ございません』だ。ほんで、お辞儀。こちらの落ち度に合わせて角度を変える。うちに責任のないお門違いのクレームでも、とりあえず四十五度。五分五分なら九十度。全面的に非がありそうな場合は九十度以上。限界まで腰を折る。そう、膝に額をぶつけるつもりでね。うちが全面的に悪くて、なおかつ賠償だの告訴だの世間へ公表するだの、やばい状況になってる場合は、さらにそれ以上だ」「それ以上って」「土下座だよ」。十二月二十五日(月)
市民セクター (290)
『戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方』(田中優・合同出版)から。▼自分の預けた郵貯はどこに使われているか。途上国に一番カネを貸し付けているのは日本。途上国への債務の返済を厳しく取り立てる、世界銀行とIMFに最大の融資をしているのも日本。日本のODAのプログラム援助は、世界銀行とIMFが途上国に押しつけている「構造調整プログラム」という返済計画に従わないと貸さないことになっている。なぜ日本だけが「援助」と称して「金貸し援助」ばかりしてきたのか。国の一般会計つまり税で、援助することができなかったからだ。税金なら返済を求めない援助もできただろう。しかし税収は公共事業に使われて余裕がない。そこで日本政府は、郵貯を中心とした財政投融資の資金に手をだした。人のカネを使うのだから、相手から返してもらわなければならない。この結果、日本だけが特別に、金貸しのODAの比率が高い国になってしまった。▼タイの東北部のイーサン地域の「市」。イーサン地方は、ごく最近になって農民が入植した土地であるため独自の経済圏がなく、農家は生産物を首都バンコクからきた仲買人に売り、必要なものは同じバイヤーから買っていた。安く売って高く買っていたから、貧しい生活であった。そこで農民がやったのが「朝市」だった。この市で売り買いしていると、自分のカネが減っていかないのだ。市で行われているのはカネを尺度にした物々交換なのだ。農民は生産物を持ってきて、他人の生産物を買って帰る。市で生産物をカネに変えたとしてもまた別の機会にその市でモノと交換するから、結局は「時間のずれた物々交換」だ。こうして一つの村で始まった市は、瞬く間に周囲に広がった。▼社会の三つのセクター。PO(産業セクター、profit organization)は利益が動機で産業以外は行政を含めすべてNPOになる。GO(行政セクター、government organization)は統治が動機で行政以外はすべてNGOになる。よってNGO/NPOは市民セクターということになる。この三つのセクターは、たとえば、公立の保育所、24時間や企業内保育園のような営利保育園、そして市民共同保育所が並存していることを考えればよい。銀行なら公立銀行、民間銀行、非営利バンクや労働金庫もある。この三つ目の市民セクターが入ることによって、三つのセクター間にチェクアンドバランスが起こる。マイクロソフトが怯えるのは市民が無償で提供するリナックスだし、公的施設が怯えるのは効率よく親切に運営する非営利の施設だ。▼市民セクターには、二つの型がある。行政に代替するのがNPO法による「特定公益活動法人」で、産業に代替するのが中間法人法による「非営利ビジネス」である。公益型NPO(所得再配分型NPO)は、カネを持たず、出資なしの寄付と融資だけで運営するので「高貴なこじき」といわれる。日本では税控除がないことから個人寄付が弱く、行政の下請化しやすい。産業型NPO(非営利ビジネス)の方は、中間法人ということから配当を禁止する代わりに有限責任にすることができ、出資を受けられ、業務の範囲は有限会社同様に広い。NPO法の面倒な承認が不要で、共益法人であるから外から入ろうとする者を排除できる。乗っ取りの心配はない。これは「得しないビジネス」といえる。▼実務的にカネを扱う非営利活動をするなら中間法人とNPO法人の、二つの顔を併せ持つ団体にすればよい。縦横に動ける。十二月十九日(火)
五石六鷁の法
▼中井久夫『日本語を組み立てる』(岩波書店「図書」06年11月)から。▼中国の史書『春秋』の「五石六鷁(ごせきろくげき)」記事文の注釈から。「春、王の正月戊辰、朔、宋に隕石あり、五つ。是月、六鷁退飛して宋の都を過ぐ」。この古い注釈書「公羊伝」によれば「なぜ、まず隕といい、次に石というか。隕石とは記聞(聞こえたことの記録)である。まず何かが隕(お)ちた音が聞こえる。次に調べてみて石と知る。次に数えてみると五つである。だから隕石…五という文になるわけだ」「なぜまず六といい、次に鷁というか。六鷁退飛とは記見(見たことの記録)である。まず何かが飛んでいるのが見える、六つである。よく見ると鷁の鳥である。なおもよく見ると後方へ飛び去っていく。だから六鷁退飛…という文になるわけだ」と説き、論理や文法の上でも記事文一般に取って模範とすべき表現法を有するものと見ている。▼初めて読んだ時の私は目が覚める思いであった。私は一見単純な叙述文の持ちうる深みを知った。この注釈事態は深読みに過ぎるかもしれないが、一般に書き手の認知の順序に語順を選ぶことは、書く者の見え方を読む者に再現させるに違いない。因果関係、前後関係、主張したいこと、相手(読者)との関係、その他、文を組み立てる最終段階、いわば検閲の段階で働く原則は他にもいろいろあるに違いないが、読者に通じる文章に仕立てるためには「五石六鷁の法」を念頭に置くことは欠かせないと私は思う。▼五石六鷁の法に学んで有益な場合は文章に限らない。数例を挙げれば、講演、放送、原稿、対話である。もちろん『春秋』のような簡潔な表現ではない。実際にはうんと冗長な形になるだろうし、それでよいのである。「まず、落下物あり、音響が聞こえ、調べてみるとある物質で、数はいくつだ」という語り口、「何が見え、次に個数が数えられ、よく見るとある種の物体で、なおよく見るとある挙動をしている」という語り口は臨場感を大いに向上させる。放送をよく聴いていると、この手法がよく用いられているのに気づく。▼文章が通じ、会話が滑らかにゆくためには、意味だけでなく、イメージや構図の伝達がなされる必要がある。そうして初めて主題や主張が通じてゆくのである。日本語はもっと建築的になりうる可能性を持っていると思う。十二月十八日(月)
弱い関係
『樹をみつめて』(中井久夫・みすず書房)から。▼人生は長くなった。親密関係を維持すべき歳月が半世紀前の二倍になった。弱い関係を保つことの大切さはもっと評価されてよい。夫婦も、親友も、長い間には行き違いを生じる。強い関係は強い葛藤を生じ、烈しい争いに終わることもある。弱い関係に絶交はない。▼戦争は自分の後始末ができない。文化人類学で報告されているポトラッチのごとく、嬉々として有形無形の貴重な財を火中に投じるのである。秩序を維持するほうが格段に難しいのは、部屋を散らかすのと片づけるのとの違いである。戦争では散らかす「過程」が優勢である。戦争は男の中の散らかす「子ども性」が水を得た魚のようになる。戦争勃発のリスクは、前の戦争を経験した世代の引退とともに高まる。▼戦争のことで、人間は変わらないんだ、学ばないんだ。とラジオでも言っていた。十二月九日(土)
本と映画
『本の資格とは』(鷲尾賢也・岩波書店「図書」06年11月)から。氏は03年講談社を退任し、現在は同社顧問。▼最近、友人が次からつぎへと定年退職してゆく。ゆとりのできた彼らと合うと、「おもしろいのは、結局、本と映画だけだな」とのたまう。むかしは、やれゴルフだとか、海外旅行だとか御託を並べていたのに、いまや、年間100本の映画を見るなどといった友人もめずらしくない。▼あるいは再度、漱石をすべて読破するのだとか、買ってあったドストエフスキーに挑戦しているといった話も聞く。私は、このところ寝る前の就眠儀式として山本周五郎を読み続けている。新潮文庫版であと残り数冊になってしまった。▼特別な古書趣味はなくても、彼らの何人かはディパックを背負ってときおり神保町などに出陣している。そしてべらぼうに古書が安いと眼を輝かす。『斉藤茂吉全集』(全三十六巻・岩波書店)が一万円で売られている時代だ(つまり一冊三百円)。少し前の小説など百円から積まれている。▼掘り出し物を見つけては、背中に納め、帰りにコーヒーやビール片手に、買った本を読みながら時間を過ごす。歩き回るから運動にもなる。しかも安上がりだ。好奇心も満足する。帰宅した後の「本が増えて困る」という奥方の苦情は少々気になるが、それさえクリアすれば、こんな時間の使い方は最高だろう。十二月三日(日)
ピカソとホヤ
▼ピカソの見方。池澤夏樹は配信メールで言う。ピカソの年譜を読んでいると、運動感こそが彼を律していたという気がする。スタイルを替え、住む場所を替え、共に住む女を替え、しかし絵を描くという行為は変わらずにどこまでも続く。泳ぎ続けなければ体内に酸素を取り込むことができなくて死んでしまうある種の鮫のように、描き続ける。世界は絵によって表現できるという確信がまずあって、あとはひたすらその変奏。その駆動力の中にエロスと暴力があったことは見てとれる。▼生物の進化の歴史から見ると、鳥類と哺乳類は新参者で、およそ2億5千万年以前は爬虫類だった。その前は両生類、その前の魚類まで遡って5億年近く前、脊椎動物の歴史のスタートにたどり着く。では私たちの祖先は魚かと言えば、さらにその前に無脊椎動物や単細胞生物の時代もある。最近の研究では、脊椎動物の前はホヤのような動物だったということになっている。いずれにせよ、46億年といわれる地球の歴史から見れば、私たちが下等と見なしている生物ほど、じつは先輩にあたると言え。共通の先輩と言える爬虫類の鱗を、鳥は羽に変え、私たち哺乳類は毛に変えて今日に至っている。鱗も羽も毛も、ケラチンというタンパク質でできていることがその証。哺乳類の一部がサルになり、さらにその一部がヒトになるわけだが、チンパンジーと分かれて二足歩行を始めたのがおよそ数百年前で、猿人、旧人を経てホモ・サピエンスの誕生が推測されている。3万年前の壁画が、ホモ・サピエンスならではの芸術性の発現のように聞いていたが、先日テレビで、8万年前のデザインが刻まれた石が02年に見つかったと報告していた。十一月二十七日(月)
一日三百回の虫運び
『スズメの少子化、カラスのいじめ』(安西英明・ソフトバンク新書)から。▼小鳥の歩き方。スズメは跳ねる(ホッピング)。ヒバリは歩く(ウォーキング)。カラスは両方やる。▼小鳥の飛び方。スズメは、断続的な羽ばたきで、下降すれば再び羽ばたいて上昇するので、飛び方は波状になる。ムクドリは羽ばたきを休んでも体が下降せず直線的に見える。ヒヨドリは下降上昇を繰り返す大きな波状。スズメはその中間。シジュウカラやカワラヒワもスズメに近いが、スズメと比べるとアクセントがあり、細かな波が感じられる。▼小鳥のくちばしは、細めで長めのピンセット型が多く、虫が食べやすい。スズメはどちらかと言うとペンチ型で、タネのような硬いものをカミカミできる。春夏の子育てには虫を必要とするスズメだが、主食は草のタネ。だからこそ米を目あてに、人家の周りで暮らすことになる。▼スズメの鳴き方は、ウグイスと違って、地鳴きとさえずりが区別しにくい。どちらも「チュン、ピ、ジ」などと声の質がさまざまで、鳴き方にもバリエーションが多い。またスズメにはさえずりのように複雑に続ける声で鳴き交わす「おしゃべり」という行動もある。繁殖期に限らず、茂みの中で群れてやるのだが、何のための行動なのかは、よくわかっていない。スズメの警戒音はジジジと聞こえる濁った連続音。ヒナの声は、シリッ、シリッと区切って鳴くしわがれ声。▼スズメのお宿はどこか。かつての茅葺や瓦の屋根が少なくなってからは、竹薮で、秋冬は集団ねぐらをつくり賑やかになる。茂みがなければ、昼はタカ、夜はフクロウに狙われることになる。北海道には竹薮がないが、公民館の壁に這うツタの茂みや、住宅地の庭のイチイ(北海道ではオンコという)の茂みにいたのを見た。▼スズメの子育て。スズメの巣作りは雄雌が協力する。ジジュウカラはメスだけが巣造り。長いものを運んでいたら外装の作業中で、それが次第に短くなれば内装に取りかかっている。羽や毛を運んでいたらそれは卵を産み落とす産坐になるので、完成が近い。10日ほどで産坐までできると、メスが産卵を始め、1日1個ずつ生む。これは鳥の原則。空を飛ぶ都合から体を軽くするため、まとめて生むことができないのだ。4~7個の予定数を生み終えてから抱卵に入る。1個目、2個目で抱かないのはなぜか。先に生んだ卵ほど早く孵化したら、ヒナが不ぞろいになってしまう。スズメはオスも抱卵し、約12日の抱卵の後、ヒナがそろって孵化する。ヒナの羽がそろって巣立つまで、わずか2週間ほど。この間、親鳥がエサを運んだ回数は2週間で4200回。1日300回の虫運びとなる。▼スズメの少子化。かつては4~5羽のヒナが繁殖していたが、都市部では多くて3羽、2羽や1羽がめずらしくない。▼小鳥たちは弱いかというと、繁殖期の親鳥は強い。巣に近づくカラスやトビにも果敢に立ち向かう。なわばりの主が勝つ確立は格段に高い。勝敗を分けるのは、大きさや技術ではなく、守るべきものがあるか、ないかという気持ちにありそうだ。▼セキレイは、昼は一羽ずつで過ごすが夜は集団。秋冬のシジュウカラは逆に、昼は群れていて、夜は穴で一羽ずつ寝る。▼小鳥の体重。スズメの体重は20gで、シジュウカラは15g。ツバメはスズメより大きく感じるが10g強で、絵葉書4枚分。十一月十九日(日)
対称性人類学5
▼禅宗の龍安寺の石庭を眺めてみると。この庭には、砂と石と石にへばりついた苔しかありません。石は全部で十五個。左にある二群の石は、右にある三群の石よりも、全体的に大きいものが配置してあります。非対称にもとづく石組みの配置が、微妙な均衡をつくりだしている。石はとり立てて面白い形をしてはいません。そこに座り込んだ人は、石そのものに関心を引きつけられるよりも、石と石の関係や、全体の配置のなかでの個々の石の位置のほうに、注意がいくように配慮されているように感じられます。つまり、これらの石には「自性」がないのです。仏教思想の構造と庭園の構造とがあまりにみごとに照応しあっていることに、驚かされます。しかし、それぞれの石にはほかの石との関係から発生するところの、全体的関連性のなかでの独自性の感覚がそなわっています。無「自性」なのに、そこにはたしかにものがある、という存在感を生み出しているわけです。▼交換は分離し、贈与は結びつける。▼大脳のスペックは変わっていません。神話を語っていた頃からコンピュータを操作し遺伝子の操作まで行っている現代にいたるまで、人類の思考する能力には、なんの変化もおこっていません。▼「一神教」「国民国家」「資本主義」「科学」、これらがひとつに有機的に結合できる条件をそなえていたのは、地球上に近代の西ヨーロッパをおいてほかにありませんでした。西ヨーロッパ世界は、社会のすべての領域で、数百年をかけて「形而上学革命」をとことんまでなしとげていたので、こういうことが可能になったのです。これらの四つの形而上学は、いずれも同型で、超越性をめぐる人類の思考に形而上学化をほどこせば、そこからキリスト教の一神教が発生します。権力についても、経済的価値についても、まったく同型の作用を加えれば、そこから国民国家や資本主義が生まれるようになっています。同型による支配が全面化されていくこと、これがグローバリズムの正体だと思います。どうして世界はグローバル化していくのか。それはホモサピエンスの心に、形而上学化へ向かおうとする因子が、もともとセットしてあるからです。その因子がはらんでいる危険性を昔の人間はよく知っていたので、それが全面的に発動しだすのを、対称性の原理を社会の広範囲で作動させることによって、長いこと防いできました。それを最初に突破したのが、一神教の成立だったのです。その意味では、モーゼとヤーヴェの出会いほど、人類の命運に重大な帰結をもたらしたものもないでしょう。宗教をゆめあなどってはいけません。十一月十六日(木)
対称性人類学4
▼仏教は私たち一人ひとりが、宇宙の中でのかけがいのないたったひとつの個体であることの認識から、仏教は出発します。西欧的な思考も同じように、個体性のかけがえのなさの認識から出発して、個体の確立という思想に向かい、個体性というもののベースに潜在している非対称性を、あらゆる思考の基礎にすえようとしている。実際アリストテレスはそうやって、個体性というものを自分の哲学に出発点にすえました。そうすると、非対称性の論理学を使って、多くのことが矛盾なく説明できるように思われたからです。▼しかし、仏教はそこから反転して、自分はこの宇宙でたったひとつのかけがえのない存在なんだという、個体性の鋭い意識をもったまま、すべてのもの(存在)のあいだに同質性をみいだそうとする対称性の思考を作動させることによって、宇宙のなかの極小部分としての個体や個人の自由ということについて、考えてみようとしたわけです。そのことを最初にとり組んだのが『華厳経』です。そこではまず、仏教思想の基本にのっとって、ものには自性(そのものとしての本質)はない、という認識から出発します。「もの」と「もの」を区分し、分離する非対称的な意識を止めて、そこに対称性の思考を働かせます。そのうえで、改めて今度はものには自性はないけれども、しかもものとものとのあいだには区分があると、ということを言い出すのです。対称性の論理を作動させた直後に、非対称性の論理を動かして、この二つを同時に稼動させているのです。▼そのことを『井筒俊彦著作集9』から。「すべてのものが無「自性」で、それらの相互の間には「自性」的差異がないのに、しかもそれらが個々別々であるということは、すべてのものが全体的関連においてのみ存在していること。つまり相互関連性そのものなのです。根源的に無「自性」である一切の事物の存在は、相互関連的でしかあり得ない。関連あるいは関係といっても、たんにAとBとの関係という個物間のことではありません。すべてがすべてと関連しあう、そういう全体的関連性の網がまずあって、その関係的全体構造のなかで、はじめてAはAであり、BはBであり、AとBとは個的に関係しあうということが起こるのです。「自性」のないAが、それだけで、独立してAであることはできません」。この文章には、華厳経に展開されている思考において、流動的知性=対称的無意識のしめす世界の認識(ものには自性がない)と、その流動的知性のとらえる世界の全体性のなかで、ものの個体性が生み出されてくる様子をとらえる非対称性の意識が動き出すプロセスが、じつに正確に言い当てられています。じつに高度なバイロジックが働いています。十一月十五日(水)
対称性人類学3
▼華厳経は無意識の奥に開かれてくる「法界(完成した無意識)」の構造を、現代の無限集合論とそっくりのやり方で説明している。「菩提を求める心を発するならば、微小な世界が、すなわち大世界であり、大世界が微小の世界であることがわかるのである。…仏の一毛穴の中には、一切世界がはいり、一切世界を見ることは、仏の一毛穴で知ることである」。ここでは部分と全体が一致するというような内容が語られている。▼これは現代数学が無限集合を説明する論法とそっくりです。自然数をはじめから順番に、1、2、3、4…といった数え上げはどこまでも続けられるから、無限集合Nを形成します。つぎに偶数をやはりはじめから数え上げると、2、4、6、8…この偶数の集合は2Nであらわすことができる。偶数の全体はあきらかに自然数の全体に含まれます。ところが、集合Nと集合2Nのあいだには一対一の対応をつけることができます。1には2を、2には4を、というようにしていくと、自然数と偶数を完全に一対一で対応させることができる。そうなると、自然数の集合と偶数の集合は、完全に一致しています。すなわち、部分と全体が一致しています。▼十九世紀に活躍した数学者デデキントは、こうやって無限集合を定義した。「集合をそれ自身の真部分集合と一対一に対応させることができるとき、またそのときにかぎって、その集合は無限である」という定義ですが、華厳経の法界の構造も、まったくこの無限集合の定義をなぞっています。このように厳密なことを言い出したとしても、法界は無限であると言い切れます。ということは、私たちの心もまた無限としてのなりたちをしていることになる。仏教思想家たちはロマンチックでいい加減な表現に走るのを嫌って、じつに論理的・数学的な構造をとして、それを表現している。その際に仏教の思考は、部分と全体のあいだに一致を見出そうとする、対称性の論理を駆使しています。非対称性の論理は、1,2,3…と伸びていくようなタイプの無限をつくりだすのは上手です。しかし、それよりも微細な構造をもったもう一ランクも二ランクも上の無限を思考することにかけては、対称性の思考にはかないません。仏教はもっとも発達した対称性の思考として、「心」をそのような高ランクの無限として表現することができた、と言えるのではないでしょうか。十一月十四日(火)
対称性人類学2
▼大宗教はどれも、新石器型の野生の思考を否定することによって、新しい文明型の宗教をつくりだしてきた。とくに一神教の場合、野生の思考を否定してきたために、そこに発達した文明はどれも手のつけられないほどに頑固な「非対称性」の特徴をおびました。ところが仏教だけは、野生の思考がもつ対称性が求められた。▼フロイトは宗教の本質は神経症にあると喝破していた。それはユダヤ教やキリスト教のような一神教のことをさしていますが、超越的で完全なる神を人間の外に立てることで、そうした宗教は人間の心を脅迫神経症的な状態に追い込んでいくというのが、彼の基本的な考えでした。そうしみると、仏教は宗教ではないといえます。仏教は原初的抑圧に対しては否定的な見方をします。達磨大師の言葉を借りれば、原初的抑圧は無心をたちどころに心につくりかえ、妄想の世界に巻き込まれることになってしまう。仏教は現生人類の心の基体である無意識を抑圧せず、その働きを完成に近づけていこうとしている。▼仏教の歴史をみますと、『般若経』のあと『華厳経』に結晶していく。般若経では、仏教という思想の主題は流動的知性にあるといい、アリストテレス型の論理、すなわち過去・現在・未来の時系列にそって経験を秩序づけ、私と他者を分離したり、部分と全体を切り離したりする言語的知性の論理では、この世界におこっていることを部分的にしか理解できないことを、はっきり示したあとで、般若経は流動的知性の働きを全面的に発達させたときに、人間の心にあらわれてくる知性を「空(くう)」と名づけて、この「空」にもとづいた生き方を探求しようしています。華厳経はこの「空」の内部構造のさらなる探求をしたものです。十一月十三日(月)
対称性人類学1 (280)
『対称性人類学』(中沢新一・講談社)から。▼ネアンデルタール人は、現生人類より咽頭が高い位置にあり、ゆっくり限られた音声しか発声できなかった。それに子供の時期が短かったことも関係するのだが、しゃべっていた言語は、現生人類に比して初歩的であったばかりでなく、比喩や象徴などの詩的表現にいたる「無意識」がなかったと思われる。ネアンデルタール人は高度な技術ですぐれた石器をつくりだし、意思伝達としての言語をもっていたには違いありませんが、象徴的思考の能力の跡を示す装飾品も宗教的遺物も、ほとんど残されていない。▼ネアンデルタール人の大脳は、技術的領域、社会領域、博物的領域などに分かれた知性だったが、私たちの直接の祖先である現生人類になって、ようやくニューロンの接合が横断的に自在に動き回るようになった。これが流動的知性である。思考が理解のしやすい形へ「翻訳」されるたびに、そこには圧縮や置き換えの現象がおきることになる。比喩であれば、隠喩(メタファー)と換喩(メトニミー)である。夢はそうやって製造される。象徴的思考も同じプロセスを利用してつくられる。これはフロイトが「無意識」と呼んだものに他なりません。現生人類は初めて無意識を持ってこの地上に出現したヒトであると定義できます。現生人類の「心」の本質をかたちづくっているもの、それは無意識なのです。こうしてヨーロッパに出現した現生人類の心の活動が、初期の爆発的な表現を獲得したのがラスコー洞窟の壁画なのです。▼私たちの心はこの対称性の無意識と、それを基体としてかたちづくられる非対称的な働きをする意識とが協同する、バイロジックで動きます。二つの異なる原理のバランスとれた協同作業によって、文字をもたない社会、国家をもたない社会は、同時に神話的思考をおこなう社会として、三万年以上もの長いあいだ、地球上に人間の生きる比較的慎ましい領域をつくりあげてきました。しかし、贈与から交換(資本主義)の社会へと移行するにつれ、流動的知性である無意識の働きに制限や抑圧が加わり、現生人類である私たちの心の基体に、重大な作動不全を生み出してきました。十一月五日(日)
悲しみは疾走する
『モーツアルトと日本人』(井上太郎・平凡社新書)から。▼山田耕作にとって、音楽を除く他の芸術は、すべて描き出すものであるが、音楽だけはわかるものではなく、味わうものであった。▼小林秀雄の『モーツアルト』から。ト短調の弦楽五重奏曲K516の譜例を出して、「モーツアルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」という言葉の様にかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家は、モーツアルトの後にも先にもない。まるで歌声の様に、低音部のない彼の生涯を駆け抜ける」。おなじくト短調のシンフォニー第40番K550の譜例を示し、「もう二十年も昔の事を、どういう風に思い出したらよいのかわからないのであるが、僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニーの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。僕がその時、何を考えていたのか忘れた。いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬の様にうろついていたのだろう。兎も角、街の雑踏の中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏したように鳴った。僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄えた。百貨店に駆け込み、レコオドを聞いたが、もはや感動は還って来なかった」。▼河上徹太郎の『ドン・ジョヴァンニ』から。私がモーツアルトの「ドン・ジョヴァンニ」にいつ頃から感激したか、はっきり覚えていない。おそらく何ごともそうである如く、私にとっての感激は、突然の啓示としてやって来たのではなくて、いつの間にか積もって動かし難い確信となったものに違いない。或る日気がついて見ると、この作品は、あらゆる洋楽、あらゆるオペラの中で類を異にする傑作であり、のみならずモーツアルトのものの中でもずば抜けて完成されたものに見えた。十月二十三日(月)
発想と回想3
▼ここで留意いただきたいのは、私の二十歳代のヨーロッパ政治思想史研究の延長線上に、その後の日本政治研究、ことに自治体改革の構想があったのではないことです。私は三十歳前後から自治体改革を起点に日本政治の構造改革にとりくんだが、これはヨーロッパ政治思想史にサヨナラ、つまり断絶したうえではじめている。日本の政治の研究については、新たに日本の政治家、政党職員、政治ジャーナリスト、ついで官僚、自治体職員、また経営者、法曹界、市民活動の方々との交流・討論のなかから、既成政治・社会理論の批判をおしすすめ、理論の再構築をみずからの課題としていった。いわば、「書物」から離れる、あるいは「研究室」の外に出るという、私自身の生活スタイル、いいなおせば「経験」の再編が不可欠でした。事実、大学でも研究室をもたないようにしてきた。外国研究の延長ないし応用という考えからぬけでて、私は日本の文脈ないし課題に直接とりくみ、そこから出発している。外国モデルの日本へのアテハメでは、戦前から今日までつづいているような、理論不毛となってしまう。▼また、法政大学法学部政治学科で、助手以来、定年までの長い間仕事ができたことも幸せに思っている。戦後、中村哲先生ならびに阿利莫二さん、藤田省三君など同僚の方々がはぐくまれたリベラルな学風のため、都市型社会への移行にふさわしいカリキュラム再編や人事改革まで、いち早くとりくむこともできた。大学図書館には左右を問わず内外の文献・資料がそろっていたこともあって、市民政治理論の現代的転換にもとりくむことができた。法政大学にいなければ、とくに「現代的転換」の仕事はできなかったであろう。年齢をかさねることは、責任のかさなり、また反省のかさなりになるとしみじみ考えている。十月十八日(水)
発想と回想2
▼私の市民自治という考え方は、まず、私たち市民一人ひとりがもつ権限・財源を最初に市町村に信託する。政府は基礎自治体の市町村からの出発となります。市町村でできない課題は、広域自治体の県が補完する。県もできないことは国が、国ができないことは国際機構がさらに補完するわけです。これを補完原理といいます。市町村や県は、国からの派生ではありません。今日では、この市民からの補完原理は、EUの『地方自治憲章』や国連系の『世界地方自治憲章(案)』の考え方となっており、国際常識となっています。▼ですから、私たち市民は、個人で解決できる問題は「個人自治」で解決します。だが、個人解決できないときは公共政策で解決し、とくに基幹課題は政府政策となるため、市民は基本法にもとづいて、「納税と選挙で」で政府をつくります。個人自治を補完していくのが、自治体→広域自治体→国の政府で、複数信託ということを理解しておくことです。▼日本で「国家」という言葉は死語になりはじめましたが、つい最近までは国家はシクミとしての政府装置ではなく、国家共同体とみなされていました。ここでは、「個人」は「私」にすぎず、「公共」はオカミあるいは、「官」ないし「国家」とみなされていた。2000年代の今日、国家論が崩壊したため、これにかわって「公共論」の流行をみていますが、この公共もまた「公私」というタテの関係がみられ、「官民」「国家・社会」もまたタテの文脈です。そこでは都市型社会への移行をみる今日も、私のいう市民の相互性、つまり市民自体が公共で、政府はこの公共としての市民が組織・制御する「道具」だという発想がまだ成熟していません。▼憲法改正の争点の実質は、九条二項の「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」の論点だけです。外国が攻めてきたらどうするとう問いがあります。ですが、自給性の強い農村型社会とは異なって、都市型社会ですから、日本を占領したら侵攻軍は日本の一億二千万人を食わせなくてはならないのです。日本もEUと同じく都市型社会ですから、もう戦争はできない社会・経済構造になってしまっている。それゆえ、問題の中核はすでにテロとミサイルに移ってしまっている。とすれば、時代オクレの発想をもつ自衛隊をめぐって、理論・組織・装備の再編こそが問われています。よって、『日本国憲法』については、国権の最高機関である国会の課題として、自衛隊法をふくめて憲法関連法の改革、つまり今日的整備という「整憲」こそが重要です。2000年分権改革をめぐる地方自治法大改正は、まさにこの整憲でした。憲法関連法としての情報公開法や公職選挙法、行政手続法、あるいは国会法や内閣法、裁判所法また公務員法などなどの大改正による整憲という考え方が、緊急・不可欠と考えるべきです。そのなかで、必要がでてくれば、個別憲法条文についての「修憲」「加憲」を行えばよいと考えます。十月十七日(火)
発想と回想1
自治・分権の市民政治の成熟に向けて発言し続けて、その半世紀余を回想した『現代政治*発想と回想』(松下圭一・法政大学出版局)から。▼市民政治理論の形成というジョン・ロックの古典としての位置は、自由・平等の個人を主体に、社会契約というかたちで市民社会観念の原型を構築し、この市民社会の信託によって組織される政府の設定にあります。政府の道具性があきらかとなってはじめて、市民社会は国家に従属されることなく、市民の信託による政府にすぎなくなり、市民社会自体が公共ないし社会として自立しえたのです。▼1950年代の私の研究課題は市民政治理論の古典的形成とその現代的転換でした。工業化・民主化による大衆社会の成立と自治体の発見。市民社会から組み立てる理論構成。市民信託による政府の三分化(自治体・国・国際機構)。市民社会における市民立法などの制度開発、環境指標やITマッピングなどの情報開発。「情報なくして参加なし」は、市民の日常生活や市民活動、ひろく政治はもちろん、理論・研究レベルにおいても「公共」をかたちづくる基本と考える。▼マンハイムについては、ドイツ語系の発想による『政治学は学として可能か』『イデオロギーとユートピア』などは、知識社会学では今日でも著名です。しかし、イギリスに亡命後のマンハイムの新版では、別人かと思われるほど、私からみて思考方法の転換がおきていました。いわゆる観念論のドイツ語系と経験論のイギリス語系のセンスないし問題構成の変化が、そこに歴然としていました。▼その触発もあって、私自身、日本における政治・行政の経験を基本として、六十歳前後に現代の都市型社会における『政策型思考と政治』をまとめることになります。▼しかし2000年代になっても、各省庁をはじめとする行政組織は、時代の急速な変化に追いつけないため、時代錯誤となるだけでなく、「先送り」と「不作為」の怠け者となり、自己革新にも取り組めていない。特に立法改革は今日でも時代に後れて行っていますが、社会変化の速度に対応しうる、たえざる、かつ大胆な、しかも先見性のある立法改革が不可欠です。この立法改革がない限り、政官業学の既得権とむすびついた現行法規の時代錯誤性はつねに深刻となります。法はもはや天・神あるいは国家観念によって聖化される永遠の規範ではなく、都市型社会における市民の生活問題について、各政府レベルで分担した政策・制度の策定という、市民相互の社会工学的手法となってきました。いわゆる行政法は、基本法としての憲法、あるいは市民社会としての民法・刑法と異なって、たえず改定される政策法です。▼自治体の基本条例の制定では、最初から総合プログラム法としての制定があってもよいのですが、市民参加・情報公開、また行政手続、住民投票などの制度・手続条例、あるいは自治体議会の運用条例、市民会議・市民員会の設置条例といった関連条例をしっかりつくりながら、やがて総合基本条例をまとめるという考え方もあってよいと思います。十月十六日(月)
シマウマはなぜ家畜にならなかったのか2
▼シマウマやその他の家畜化できそうで、できなかった動物について考察すると、つぎの六つの理由が認められる。▼①餌の問題。動物は餌として食べる動植物の一割しか血肉とならない。つまり一千ポンド(450キロ)の牛を育てるには一万ポンド(4.5トン)のトウモロコシが必要である。さらに体重一千ポンドの肉食動物を育てるには、十万ポンド(45トン)のトウモロコシで育てた草食動物が一万ポンド必要になる。したがって大型肉食獣は家畜化には向いていない。経済効率が悪い。▼②成長速度の問題。草食性で、比較的何でも食べ、肉もたくさんとれるのに、ゴリラやゾウが家畜化されないのは、成長に時間がかかりすぎるからである。一人前の大きさになるまで15年も待たなくてはならない動物は飼育できない。▼③繁殖上の問題。例えばビクーニャはアンデスの野生のラクダで、その毛は動物の中では最も上質で軽く珍重されている。古代インカ人は、この野生のビクーニャを囲い込んで毛刈りした後は放していた。この動物の雄は別の雄と一緒にされることを嫌う。ビクーニャには年間を通じて、食料をとるナワバリと寝るナワバリとが別々でなければならないことから、繁殖させる試みは成功していない。シカやレイヨウの多くは、繁殖期になるとなわばりを主張し、他の個体が自分のなわばりに入ることを極端に嫌う。アフリカ大陸の動物として知られているレイヨウが家畜化されなかった理由はここにある。繁殖期になると群れから離れて自分のなわばりをつくり、雄同士で激しく戦うため、囲いの中で飼うことはできない。▼④気性の問題。馬とアフリカノロバは、これまで家畜化に成功している。しかし、オガナー(アジアノロバの亜種)は、さまざまな点でロバの祖先にあたる動物に似ていたにもかかわらず、気性の悪さから、家畜化されることはなかった。より気性が家畜化に向いていないのが、アフリカに生息している四種類のシマウマである。彼らを荷車につなぐことができたというのが、家畜化の試みにおいてもっとも成功した例である。しかし、シマウマは歳をとるにつれ、どうしようもなく気性が荒くなり危険になる。いったん人に噛みついたら絶対に離さないという不快な習性がある。また、シマウマを投げ縄で捕まえることは不可能に近い。投げ縄が飛んでくると、ひょいと頭を下げてよけてしまうのだ。つまりシマウマに鞍をつけることが無理なのである。南アフリカで熱心に試みられたシマウマの家畜化も、しだいに関心がうすれていった。最初は見込みがあると思われたワピチやエランドも、彼らが大型で危険な動物であり、いつ攻撃的な行動に出るのか予測がつかない動物だったことが影響している。▼⑤パニックになりやすい性格の問題。大型の草食性哺乳類は、捕食者や人間に対してそれぞれ異なる反応を示す。動きは素早いのだが、神経質でびくびくしていて、危険を感じるや一目散に駆けはじめるものもいれば、さほど神経質ではなく、動きものんびりしていて、危険を感じたら群れをつくり、それが去るまでじっとしているものもいる。シカやレイヨウの仲間の草食性哺乳類の大半は、トナカイを例外として前者のタイプであり、羊や山羊は後者のタイプである。神経質なタイプの動物の飼育はむずかしい。彼らは囲いの中に入れられるとパニック状態におちいり、ショック死してしまうか、逃げたい一心で死ぬまで柵に体当たりを繰り返す。▼⑥序列性のある集団を形成しない問題。実際に家畜化された大型哺乳類は、どの種類も次の三つの社会性を共有している。群れをつくって集団で暮らす。集団内の固体の序列がはっきりしている。群れごとのなわばりを持たず、複数の群れが生活環境を一部重複しながら共有している。シカやレイヨウのように群れをつくって暮らす動物の多くは、はっきりした序列を集団内で持っておらず、リーダーを本能的に刷り込み記憶する習性がない。したがって、人間を群れのリーダーとして刷り込み記憶するようなこともない。▼野生哺乳類のうち、ほんのわずかの動物だけがこうした問題をすべてクリアでき、家畜となって人間といい関係を持つにいたったのである。トルストイは、マタイの福音書二十二章十四節の「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」という言葉を引いている。十月十日(火)
シマウマはなぜ家畜にならなかったのか1
『銃・病原菌・鉄 一万三千年にわたる人類史の謎』(ジャレド・ダイアモンド、草思社)から。▼動物の家畜化にもアンナ・カレーニナの原則がある。家畜化できている動物はどれも似たものだが、家畜化できていない動物はいずれもそれぞれに家畜化できないものである。これはトルストイの小説『アンナ・カレーニナ』の書き出しの部分「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」をなぞったものである。トルストイの指摘はひとつの原則であり、男と女の結婚生活以外にも、いろいろなことに当てはまる。いままでに人類が家畜化に成功した動物は大半がユーラシア産の動物で、シマウマやヘソイノシシなどの大型哺乳類は家畜化できそうで、できなかった。アフリカで野生のシマウマが家畜化されなかったのは、アフリカ先住民に原因があったのか、それとも野生のシマウマに原因にあったのかを考えてみる。▼由緒ある家畜14種のうち、大型草食哺乳類の家畜で、メジャーな5種は羊、山羊、牛、豚、馬。マイナーな9種はヒトコブラクダ、フタコブラクダ、ラマおよびアルパカ、ロバ、トナカイ、水牛、ヤク、バリ牛、ガヤルで、南米のラマとアルパカ以外は、ほとんどがユーラシア大陸であった。▼ユーラシア大陸では野生の馬が家畜化されたのに、アフリカ大陸ではシマウマが家畜化されていない。ユーラシア大陸で家畜化されたメジャーな五種についていえば、サハラ砂漠以南では、これらの動物が伝わってくるや、さまざまな部族がそれらを家畜として飼育しはじめている。こうした事実は土着の哺乳類が家畜化されなかった原因が、その土地の人々の特性にあるのではなく、それらの地域に生息していた哺乳類の側にあることを示唆している。▼人類が動物を家畜化した年代は、考古学的証拠が見つかっているものについていえば、紀元前八千年から紀元前二千五百年頃に集中している。これは最終氷河期後に定住型の農耕牧畜社会が登場してから数千年内のことである。大型哺乳類は、まず羊、山羊、豚が家畜化され、紀元前二千五百年頃に最後にラクダが家畜化された。それ以降、大型哺乳類で家畜化された重要な動物はいない。家畜化可能と思われる百四十八種の大型哺乳類がそのときまで何度となく試され、その結果、少数だけが実際に家畜化され、家畜化に適さない動物だけが残ってしまったからだと思われる。十月九日(月)
風の男
『風の男 白州次郎』(青柳恵介・新潮文庫)から。▼GHQ相手の戦後処理に気骨ある対応をした白州次郎。ケンブリッジに留学し、滞英九年の歳月が「白州次郎」にさせた。反骨とプリンシプル。▼白州次郎は文学に興味はなく、小林秀雄とは、彼の著作なんか読んだこともなく、そんなことを一切ヌキにした付き合いをしていた。小林秀雄に正面からぶつかって、己を磨きあげられたのは、むしろ正子夫人であった。正子夫人は古典文学においては小林秀雄にぶつかり、古美術においては青山二郎にぶつかっていった。▼白州と親しかった人々は、吉田茂、佐藤栄作、正力松太郎、出光佐三、小林中(あたる)、小林秀雄、今日出海、河上徹太郎など。留学先で知り合った親友のロビン(ストラッドフォード伯爵)からは、英国の思想の源を学ぶ。次郎とは正反対の、地味な人柄で、目立つことを避けていた。身ごなしといい、教養といい、古きよき時代の英国の紳士の典型人であった。いつも同じシャツ、同じスーツを着、同じ靴を履いている。何着、何足もっているのかは知らないが。正子夫人がギリシャに旅した際、偶然にホテルのロビーで遠くから見ただけで、彼を見出せるといった按配である。一見よれよれのスーツに見えるが、それは真新しいスーツをきるのが野暮だということをわきまえたお洒落であった。新しい靴をある程度履きならすための靴の履き屋までがイギリスにはあった。正子夫人は「言ってみれば、本当のお茶人ね」と評した。▼新潮社カセットテープ『小林秀雄講演』の別巻「現代思想について」にこんなのがある。「自分は来年還暦を迎えるが、年齢に見合った思想というものを切に考える。若者には若者らしい思想があるように、老人には老人らしい思想があるべきであり、老人が若者に媚びたようなものの考え方をして、あの人は若いなどと言われるような老人の存在では意味がないのではないか。還暦を迎え、赤い頭巾を贈られたなら、赤い頭巾に似合うものの考え方をしたらいいのではないか。落語に現れる「横丁の隠居」だって、普段は小言幸兵衛とけむたがられ、また馬鹿にもされているが、何かことがあると、どうすればいいか誰もが聞きにいくのは「横丁の隠居」の所である。私は隠居にあたる言葉を考えてみようと思って、英国に長いこと暮らし非常に英語の堪能な男に、英語で何と言うのか聞いてみたのです。そうしたら彼は『カントリー・ジェントルマン』というのだと答えました。しかし日本の隠居はカントリーに行かず、横丁にいるんです。おそらく隠居というのは東洋独特なものだろう」と話している。この『カントリー・ジェントルマン』と告げた男が白州次郎であった。彼も三十八歳にして職を辞し、小田急沿線の鶴川村に引き籠り百姓を営んだ。しかしこのカントリー・ジェントルマンは、毎朝、新聞を読み、つねに中央の政治に目を光らせ、「いざ鎌倉という時には、中央へ出て行って、彼らの姿勢を正す」のである。事実、吉田茂とともに戦後処理の表舞台に立った。十月二日(月)
芸術人類学ⅳ
▼ネアンデルタール人の脳は、現世人類よりも大きな容量をしていた。これは脳を動かしているコンピュータが社会的知性・博物的知性・道具的知性のような各機能に特化されていたために、それらを並べておくために大きな容量を必要としていた。しかし、現世人類の脳におこった革命的進化によって、ニューロンに新しい結合組織があらわれ、いくつものコンピュータを横断的につないで、中央で全体を制御する新しい脳の組織ができた。異なる領域を横断的につないでいく「流動的知性」は発生することになった。その結果、脳はスリムになり、私たちの知っている「心」が発生するようになったのである。この「流動的知性」こそ、右脳的無意識の特徴を示すものではないだろうか。▼流動的知性はリズム(律動)にしたがって活動する。それは視覚や聴覚がとらえた律動的運動を正確に、即座に認識する能力をもっているために、経験を言語の構造にしたがって統合する以前に、非言語的表現手段をとおして、表現することができるのである。その意味では、ラスコーとその周辺の洞窟にあのみごとな壁画を描いた人々こそ、最初に出現した右脳的人間だったことになる。▼宗教学にとって「苦行と快楽」というテーマは、言語学・詩学にとってのアルチュール・ランボーの詩に匹敵するような、挑戦をはらんでいる。ランボーの詩は近代フランス語をとおして、私たちの世界に轟々たる太古の風を吹きつけてくる。それと同じように、「苦行と快楽」というテーマを追っているうちに、私たちは知らず知らずのうちに、「ヌミノーゼ(一切の合理的理解を越える強度の体験)」が顕現する原初的な場面へと、連れ出される。九月二十五日(月)
芸術人類学ⅲ
▼人間の脳は、三層構造になっている。これらの構造は進化のプロセスに対応している。深い古層には爬虫類脳、次の古いタイプの哺乳類脳の特徴を示す大脳辺縁系、新しい層には人類に形成された新皮質である。この新皮質は働きを異にする右脳と左脳に分かれて、いくつかの通路で連結されたような構造になっている。それらすべての部分の働きにエンドルフィンが大きな役割を果たしている。▼最古層の爬虫類脳にこの物質が働くと、痛みを和らげる無痛効果を発揮する。古いタイプの哺乳類脳である大脳辺縁系に、エンドルフィンが作用すると、強い安心感がもたらされる。脳がみずからアヘン類似物質であるエンドルフィンを出しているという。宗教や芸術の領域に立て籠もってきた「神秘」は、脳内の物質過程として説明がついてしまうのだろうか。しかしそれ以上に重要なのは、この新皮質は現世人類の「心」が生み出されてくるのにもっとも重要な働きをしている。ここで言語をしゃべり、視覚イメージを合成し、想像したり思考したりする能力がつくられている。左脳は言語的な構造にしたがって働く知性と関係があり、右脳は非言語的で情動的な知性の働きと結びつきをもっている。▼現代人の「心」では、論理的思考をおこなうための左脳の機能が、直感的で情動的な右脳の機能を圧倒している。しかし、脳内にエンドルフィンが分泌されている状態では、言語的知性を抑えて非言語的知性の働きが活発化してくる。これは宗教の世界での、瞑想にせよ反復的な身体運動にせよ、修行の過程で深い陶酔感を味わっていることとも関わってくる。▼非言語的な無意識の活動と脳内の物質プロセスとのつながりを研究するためには、現世人類の絵画表現の能力について調べてみるのがいいだろう。▼ラスコー洞窟でおこったこと。私たちの直接の祖先である現世人類(ホモサピエンス・サピエンス)が、はじめて物質的な痕跡として残した「人間の徴」は絵画であった。彼らは今日のフランスのピレネー地方の洞窟を住まいや宗教的儀式の場として用いたが、その壁画に驚くほど完成度の高い、たくさんの絵を描き残していた。おもに動物の姿を活写したそれらの絵は、ネアンデルタール人から飛躍するばかりか、現代の画家たちの技量を凌駕するほどの完成度を示している。どうしてこんな第一級の芸術家に変身できたのか。九月二十四日(日)
芸術人類学ⅱ (270)
▼仏陀の時代よりもずっと前のヒマラヤ山麓に住んでいたアジア系の人々は、基本的にはまだ新石器的な特徴を多く残している社会に暮らしていたはずです。おそらくは東南アジアからヒマラヤ山麓部にかけての広大な土地には、共通の文化が発達していたはずで、日本列島で言えば縄文時代の文化がこれにあたります。つまりブッダが紀元前五百年頃の北インドで説き始めた新しい思想は、じつは日本列島の縄文人たちも抱いていた可能性のある、新石器時代の思想だと言うことになるでしょう。▼私たちの直接の先祖である現世人類(その前まで全盛をほこっていた人類であるネアンデルタール人のことをホモサピエンスと呼んでいますから、彼らと区別するため現世人類はホモサピエンス・サピエンスと命名されています)は、新石器革命をおこして農業や国家をつくりだす以前には、ネアンデルタール人のつくっていた石器を真似た「旧石器」を使っていました。彼らは洞窟などを住居や祭儀の場として利用しながら、狩猟採集の暮らしをしていました。その人々がピレネー山脈の麓一帯に点在する洞窟の奥深くに、たくさんの絵画を残しています。そうした絵画のほとんどは動物の走る姿などを写実的に描写したものですが、その中にまったく創作意図の不明な、抽象図形が描かれていることは、前から気づかれていました。▼旧石器時代の人々は、よく洞窟の奥の暗闇を利用して、宗教儀礼をおこなっていたようです。動物の増殖を願う儀礼が主要なもので、おそらくは子供が大人になるためのイニシエーションの儀式もおこなわれていたのでしょう。若者を日の差さない真っ暗闇に長時間放置して、恐怖を体験させる。すると視神経の内部で、外からの光の情報にまったくよらない、哲学の言い方をすれば「先験的な」状態で自己励起がおこって、内部から光が放射されるようになります。その光は流動しながら、さまざまな「かたち」をとります。その流れる光が抽象図形となり、後の考古学者が旧石器の遺跡に見出すことになるのです。九月二十三日(土)
芸術人類学ⅰ
『芸術人類学』(中沢新一・みすず書房)から。▼私たちの心の内部には、まだ「野生」の沃野が残されています。どんなに合理的な社会管理や経済システムが世界を覆い尽くす勢いを見せているとはいえ、私たちの心から現生人類への最初の飛躍を記念するあの偉大な徴は、消え去ってはいません。どんなに社会の形態は変化してしまったとはいえ、心の本質は不変です。数万年もの間、人類の心の基本構造はいっこうに進化も変化もとげていないのです。私たちは同じ脳の構造をもち、同じ「バイロジック(複理論Bi-logic)」を生き続けています。私たちの中にはいまだに野生の領域が生きています。それどころか、人間としての私たちの本質をつくっているものは、そこにしか存在していません。▼人類学は人間がほんらいは「バイロジック」によって思考する複雑で重層的な心をもった生き物であることを強調してきました。その学問は、神話的な思考というものの意味をあきらかにしてきましたが、その研究によると、神話は無時間的でものごとをくっきり分離してしまわない「対称性の論理」と、ものごとを物語の秩序にしたがって配列しながら語っていくことのできる論理能力との結合体に他なりません。そのために、神話はふつうの論理には絶対あらわれない、独特の「ねじれ」をもった神話特有の論理で語られるのです。▼伝統的に人類学が対象としてきた社会の人々は、このように「対称性の論理」と合理的判断を可能にしてくれる「非対称的な論理」とを対等な立場において、社会生活の場面に応じて、自在に組み合わせて使う能力に恵まれた人たちだったのだ、と言うこともできます。別の言い方をしてみますと、「対称性の論理」というのは一般に「右脳」に特有な働きであり、「非対称的な思考」は「左脳」がつかさどっていると言われていますから、人類学は「右脳」と「左脳」のバランスのとれた「バイロジック」を実現しようしてきた学問であると、考えることもできます。▼そういう意味で言ったら、芸術は「バイロジック」の典型的な形態です。「バイロジック」の活動をつうじて、芸術は表現に秩序をあたえる論理的な能力と、そこからあふれ出る流動的で多元的な、自由な活動を行う「流動的な心」という二つの知性形態を結合し、新しい表現領域を開こうとしているからです。したがって芸術はつねに新しく、そしてつねにもっとも古い知的活動をあらわしている、とうことに気づいたと思います。つねに真新しい表現を生み出そうとしている一方で、芸術は人類の知的活動のもっとも古い層、人類の心にいまも確実に残されている野性の野に触れている。九月二十二日(金)
通奏低音
『丸山眞男』(苅部直・岩波新書)から。▼丸山は、荻生徂徠のなかに「近代的な思惟様式」を見つけている。徳川時代の身分制支配を正当化するイデオロギーと考えられる「朱子学」は、天地自然の法則と人間界の秩序は同一の理法が貫いているととらえ、その両面の「道」を身分道徳に従属させた。これに対して徂徠は、儒学が説く人間の「道」とは、あくまでも統治のための制度として、中国古代の君主がつくったものであり、自然界の理法とは別物だと切りわける。そして人間界の秩序と個人の関係についても、公的=政治的なものと、私的=内面的生活とを切りわけた。ここに丸山は、制度に枠づけされた秩序のもとで、さまざまな信条への寛容を確立することが、「近代意識の成長」だと説いて、徂徠から宣長にいたる思想の系譜には、その萌芽がみられるとした。「政治の発見」である。▼32歳の丸山は、1946年5月号の『世界』の巻頭論文に「超国家主義の論理と心理」を載せる。昭和の世に軍部と政府と国民をおおいつくした、暴力的なナショナリズムの解明を試みた。それは、明治時代の教育勅語いらい、日本の近代において、国家が倫理価値の独占的決定者とされたことに根ざしている。真理や道徳に対して国家が中立を守るヨーロッパの近代国家とは異なって、そこでは国家が人間の内面へ無限に介入し、反対に、「私的利害」が国家権力をたやすく動かす。公私の領域をわかつ近代国家とは、まったく程遠く、より上位の者へと随順する「権威への依存性」が、国民の一人ひとりから、軍人や官僚や政治家、そして「皇祖皇宗の遺訓」によって統治する天皇まで浸透しているのである。こうした精神構造は、近代日本が封建社会から受け継いだ最も大きな「遺産の一つ」であり、日本の開闢から日本にしみついた「権力の偏重」と福沢諭吉が指摘したものであった。丸山はその三年後の論文「軍国支配者の精神構造」では、極東裁判の記録を用いて、軍人や官僚の心理に「無責任の体系」を描き出していく。▼60年安保を境に政治のアマチュア化が始まり「市民」が登場してくる。哲学者、久野収は「市民主義の成立」を見ているし、60年代半ばになると、丸山の演習の出身者である政治学者、松下圭一が、経済の高度成長と都市化の進展を背景に、生活水準があがり余暇が拡大したことによって、現代の日本社会に生きる人々が「市民感覚」を成熟させていると説くようになる。久野や松下の主張は、60年代以降、さまざまな地域と問題領域で展開する「市民運動」の原理として、広くうけいれられていった。▼丸山は、1972年の論文「歴史意識の「古層」」において、日本思想の原初的思考様式を説明している。古事記や日本書紀の神話をもとに、歴史意識・倫理意識・政治意識からの分析である。いつもそのつどの「今」の時代に、共同体の秩序からの背反を「罪」とみなす倫理意識、支配機構の上位者への奉仕として統治活動をとらえる「まつりごと」の発想が、古代からずっと、日本人の思考の底流に流れつづけているというのである。▼日本人にある歴史の古層意識は、バロック音楽の通奏低音という人もいる。九月十八日(月)
裏庭の縄文
縄文海進期が東京のすがたを決めた。『アースダイバー』(中沢新一・講談社)から。▼東京の現地形がかたちづくられたとき、地球はまさに温暖化の真っ最中だった。南極や北極の氷が溶けて、海の水位は氷河期に比べると、百メートル以上も高くなった。そのおかげで、それまで大陸と地続きだった日本列島の多くの陸地が、海に沈んだ。東京湾はいまよりもずっと内陸に進出して、都心部の広い範囲にわたって、みごとなリアス式地形が広がっていた。そこに現日本人たちが暮らしていたのである。▼そのリアス式の海岸に突き出た岬に、なにかにつけその「さきっぽ」の部分に人間は昔から、深い関心を持ってきた。縄文人はここを貝塚、埋葬地、聖地にしてきた。そういった場所にまた神社や寺が建てられる。縄文思考と現代思考は連続している。▼生命はもともと怪物的なところをもっているのに、人間の世界はますます自分の中に棲む怪物を抹殺する方向に向かっている。近代的な都市の敵はバロックである。バロックはいたるところに細かい襞をつくり、小さな突起物の中に恐ろしく大量な情報を仕込んで、いびつで怪物的な美をつくりだそうとしてきた。そういうバロックを否定して、都市環境はつくられてきた。ものかげに潜んでいる怪物も、ここでは棲みにくい。このつんつるてんの現代都市の中に、もういちどバロック的なものを組み込んで、都市に複雑さを取り戻す必要がある。いたずらに複雑さを削り落として、情報を減らしていくだけでは、生物である人間の暮らすのにふさわしい空間は、なかなか生まれない。▼花街や歓楽街は神社の門前に発達することが多い。神社のもつ浄化力と花街の浄化力のあいだに、密接なつながりがあるからだ。神社にでかけ、神様の前で手を合わすだけで、それまで抱えていた悩みや苦労が、短い時間すっと消えて、気分が軽やかになってくるような体験は、誰にでもある。神さまはこの世にあるものを何でも吸い込んでくれる「無」だから、その前に立つだけでも、心の中にたまった疲れや汚れが「無」に吸い込まれて、心が浄化されるような気分になってくる。花街にもそれとよく似た浄化力がある。女性には「無」の吸引力が、生まれつきそなわっているが、お水の女性にはとくにそういうタイプが多い。男はそれにひきかえて、「有」の世界の出来事に気をひかれていて、そのために心に「有」の塵や芥をためやすく、またそれを自力で消してしまうことができないでいる。花街というのは、心に蓄積された「有」の塵芥を、女性にそなわった「無」の力で吸い込んでもらうためにつくられた、古くからのセラピー空間なのである。その癒しが、ことばを交わしたり、いっしょに食事をしたりするだけでなく、からだの交わりをとおしてなされるとき、花街のセラピー効果は最高点に達する。▼神社の神様というのは、もともと姿形をもたないものであった。神様にはほんらいは名前しかなくて、神を描いた像や絵はないというのがもともとのあり方だった。神社の神様は森の中にいて、姿形ももたない。それは、アッラーやヤーヴェのような一神教の神様と同じように、天の高みにいるのと似ている。ところがそこに仏教が像や絵を持ち込んできた。仏教の御仏は、洞窟のような場所の奥まったところにいて、洞窟の向こうに広がる世界とこの世とを橋渡しするような場所に立っている。目に見えない世界と物質的な世界の、ちょうど真ん中、それが仏像の立っている場所である。九月十一日(月)
60年代のワタシ
『団塊ひとりぼっち』(山口文憲・文春新書)から。▼「どうしょうもなく独りが好き」と「どうしょうもなく人恋しい」が同居しているのが団塊世代の心性で、言い換えれば「自分勝手で協調性がない」が、そのくせ片方では「すぐ群れたがる」。巻末年表で来し方を重ねてみることもできる。1947年は総人口7800万人。1966年から1969年の私の学生時代をなぞると、66年はビートルズ来日、中国・紅衛兵百万人集会、人口1億人突破。67年は「オールナイトニッポン」放送開始、68年は東大紛争・日大全共闘、三億円事件。69年は東大安田講堂封鎖解除、新宿西口フォークゲリラ、アポロ11号月面着陸。70年は私の就職一年目で大阪万博、三島由紀夫割腹自害。三島の辞世句は、「散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐」、「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へし今日の初霜」。▼三島の市ヶ谷自衛隊乱入の様子は、地元の居酒屋のテレビが知らせていた。画面にくぎづけになり、そういう処し方もあるのだなと思いつつ、その夜はうろうろとハイカイした。その後、やはりうかうか過ごし、イマがある。九月四日(月)
野垂れ死なら二十万円
『冠婚葬祭のひみつ』(斎藤美奈子・岩波新書)から。▼冠婚葬祭とは「生物としてのヒト」を文化的な存在にするための発明品だったのではないか。冠婚葬祭という儀礼の衣を剥ぐと、その下からあらわれるのは生々しい身体上の諸現象なのだ。結婚とは一皮むけば性と生殖の公認にほかならず、葬送は肉体の死。元服を迎える十五歳前後は第二次性徴期である。すなわち冠は「第二次性徴の社会化」、婚は「性と生殖の社会化」、葬は「死の社会化」、そして祭は「肉体を失った魂の社会化」。儀礼は生理を文化に昇格させる装置だったのではないか。▼葬式と仏教が結びついたのは江戸時代からで、それ以前は、婚礼と同様、葬式も宗教者が介在しなかった。もともと仏教の教えに葬式という発想はないのだそうだ。釈尊は出家者は葬儀にかかわるな、葬式などは在家の者に任せておけと、いい残したという。▼散骨などの新しい埋葬法に目を転じれば、その共通点は「継承者が要らない」ということである。「墓離れ」ともいえるこの現象も、あきらかに家族の形の変化による。少子化が進行している現在、せっかく高いお墓を建てても、二代かよくて三代で無縁墓となる可能性は高い。親から子へと継承していく代々墓は、もはや現実性を欠く。墓とは「家」をビジュアル化したものだとすれば、「墓離れ」は「家離れ」の象徴とみてもいいだろう。▼高度成長期が「多婚少死」の時代だったとすれば、現在は「少婚多死」の時代である。このまま行けば、高齢者だけの世帯、非婚や離婚による単身者世帯はますます増加し、血縁に頼らない「個人」単位の相互扶助が否応なしに必要になるだろう。現在もうすでに、社会学者の落合恵美子らがいう「双系(そうけい)制」社会がはじまっている。双系制とは、男系男子で財産や祭祀を継承してきた「父系制」にかわり、夫婦ともに両方の親をみるようなシステムのこと。一人っ子同士で結婚した場合、二人で四人の親をみなければならない。▼以後半世紀の間は、結婚の二極化も進むだろう。子どもなしの事実婚を選ぶ高学歴・高所得層と、若年の「でき婚(のち離婚)」に流れる低学歴・低所得層とに。また高齢・多死社会では、高齢者だけの単身世帯が増え、経済格差がさらに広がったら、葬儀を出すこと自体が困難な層が増えることが予想される。せっかく建てた墓だって、やがて無縁墓となるなら、そのリサイクルも考えなくてはならない。ポスト墓の救世主のようにいわれる散骨も、海や山に粉にした骨を撒いたところで、環境問題とのかねあいは必ず出てくる。▼目いっぱいシンプルな弔いなら、この方法です。通夜も葬儀も告別式も行わず、火葬だけを行う方法。「直葬」「密葬」などと呼ばれている。近頃では「火葬プラン」などの名前でセットを組んでいる葬儀社もある。税込み二十万円。▼高齢化社会の現在、最後はみんな独居老人になる可能性が高い。あなたが残した大量の衣類や家財道具はどうなるのだろう。自慢のコレクションは捨てられてしまうのか。考え出すとクラクラして、死ぬに死ねない気持ちになる。高齢者が「老いじたく」と称して急に身辺整理をはじめたりするのは、そのためだったかと思い知る。遺品整理のプロ・松島如戒は、家系・家族中心の社会から、個人を中心に動く社会になると、生活を支える道具も一代限りにならざるを得ない。単身者や家族を頼れぬ人のために生前契約制度(NPO「りすシステム」)を立ち上げた。▼死ぬための費用は、最低限の葬儀でも百万円、世間並みなら二百万円、余裕をもって考えるなら三百万円が目安。▼遺骨の解決法の究極は、「収骨をしない」ことである。課症状に遺骨の全部あるいは大部分を置いてくるのだ。欧米の火葬では一般的な方法という。遺骨に執着するかしないかは、それぞれの文化が決めることではあるが。▼世の中には「オレの理想は野垂れ死にだから」みたいな願望を口にする人が、意外に多い。でも誰が後始末をするのだ。それでも「野垂れ死に」したいのなら、せめて火葬費用相当の現金二十万円くらいをポケットに入れて死になはれ。八月二十八日(月)
椅子取りゲーム
田中宇の配信メールから。▼ブッシュ政権で支配的な権力を持っている勢力を私は「自滅派」と呼んだが、これは「多極主義者」と同じものである。アメリカが自滅していくと、代わりに中国やロシアなど、他の大国が台頭し、世界は多極化する。先日、フィナンシャルタイムス(FT)の中国特派員をやっていたイギリス人の講演を聞く機会があったのだが、彼は「中国の勃興は、欧米の大企業や、その経営者である大金持ちにとっては、非常に嬉しいことであるはずだ。10数億人が、貧民から消費者になっていく過程は、世界の大企業を長期にわたって儲けさせるものだからだ。半面、欧米の労働者にとっては、中国の勃興は、労働市場の競争激化につながるため、悪影響が大きい」という趣旨のことを言っていた。同様の分析は、英エコノミスト誌でも見たことがある。この分析は、中国だけでなく、インドやブラジルなどにも当てはまる。世界の多極化は、これまで貧しかった20数億人の人々を中産階級に向けて豊かにしていくことであり、世界の消費者数を激増させる。環境問題や資源の枯渇などの懸念はあるものの、投資家や企業経営者にとっては、嬉しい話であるはずだ。この件と、ブッシュ政権の自滅派の動きは、関係しているのではないか、と私は考えている。儲けを拡大するために世界の多極化を求めるアメリカの大手の投資家や多国籍企業が、政治献金などによってブッシュ政権を動かし、ゴールドマンサックス出身のPFIAB(「外交情報顧問評議会」(President's Foreign Intelligence Advisory Board)のフリードマン座長のような人を大統領顧問として送り込み、アメリカを自壊させる数々の行為をやらせているのではないか、というのが私の推察である。▼ブッシュ政権とそのとり巻きを見ていると、イラク戦争の不始末、双子の赤字の未解決、エネルギー政策の無策、どれをとってもアメリカの国は敗れても資本家だけ残るように展開されている。という見方があるのです。八月二十日(日)
エイコ・デザイン
『私デザイン』(石岡瑛子・講談社)から。▼十三歳で父親からトランペットを送られ、スタートの早かった天才少年マイルスが六十五歳でこの世を去るまで、スポットライトを浴びた時代は大きく分けて、「クール」「ハードバップ」「モード」「エレクトリック」と、音楽的に四つに分けることができる。そしてそのすべての時代において、彼は先駆者だった。幸いに私は、その四つの時代の目撃者となりえただけでなく、「TUTU」という傑作アルバムのアートワークに創り手として参加できた。この仕事は、白人のアーヴィング・ペンと、黒人のマイルス・ディヴィス、そして日本人の私の能力が結合してできあがった、言ってみればハイブリッドな表現の一例でもある。ある日、ランチを一緒にとりながらマイルスに聞いた。「貴方は若い才能を育てるのが上手いですよね。マイルス・スクールと言われているくらいに、彼らを貴方はどうやって導いていくのかしら?」「ただ一緒に音楽を創るだけさ」。▼私は、デザインの重要な要素の中に、どのようにしてエモーション(感情、感動、感激)を取り込むかということに常に気を配る。頭で冷静に計算した部分と、エモーションを、五分五分で盛り込むことの結合にこだわるといってもいいかもしれない。▼日本の演出家は、最初にコンセプトをはっきり説明し、自分の考えの通りに皆をしたがえていくタイプが多いそうだ。私とオペラ「忠臣蔵」で組んだヴェルナーはもっとカジュアルだ。はじめに演出上の大まかなことを言うだけで、あとは、いくつもの選択肢の中から良いと思うものを選びながら進めていく。演出しながら考え、考えながら演出していくタイプと言ってもいい。▼演出家はとにかく口説きの天才でなくてはならない。俳優を口説き、スタッフを口説き、プロデューサーを口説き、観客を口説く。映画の監督をしたいなどという野望をもつ人間は、まず口説きの訓練をしてもらいたい。▼人によりけりを英語で、depends on the person と表現するが、国や人種でああだこうだと大雑把に分析することは危険で、しばしば間違いを起こしやすい。ドイツ人の歌手のひとりに「日本人のオペラ歌手は喉から声を出すけど、私たちは腹から声を出す。その違いは大きいね」と言われたが、私は個人差にこだわりたい。▼リサーチ資料は、あくまでも考えるための引き金になれば十分なのだ。リサーチ資料を噛み砕いて、外からの情報を自分の内側に変えていく。その結果、ユニークな考えが姿を変えて、体内から出てくるというプロセスが大切である。これは、という考えが生まれるまでが、楽しくそして苦しいプロセスだが、そこを通らなければ本当の意味でオリジナリティのあるデザインは生まれない。最後に自信の持てる考えが生まれて、どうだ !I got idea! とパッと見得をきる。そういううれしい瞬間が来るまで、あきらめないで練りつづける。だから私のデザインはマニュアル化できない。▼表現を試みる人間の脳の構造は、半分の無分別さと半分の分別さが同居しているのがのぞましいと私は常々感じている。無分別差によって興奮の瞬間をつくりだし、分別さによって冷静さを保つことができる。▼大多数の観客は、スターで見る映画を選ぶ。少し映画通になると、監督で映画を選び、もっと通になると、プロデューサーや脚本家で映画を選ぶ。デザインへの興味で映画館に足を運ぶ観客は、残念ながら数のうちに入らない。▼私が、自分で自分のデザインが正しい答えになっているかどうかをチェックするとき、マントラのように唱える言葉があります。それは、Timeless Originality Revolutionary の三つです。▼私が特にテレビ映像に注目する瞬間は、敗者や落伍者にカメラが向けられた時だ。私は敗者の視点からオリンピックを見てみたい。競技という世界には、勝者以上に敗者が生まれ、彼らもまた価値観のアングルを変えて見れば、私にとってのヒーローになり、そしてヒロインとなる。▼スケート競技のトップアスリートの話によると、レーシングの理想は裸で滑ることだそうで、そのため素材は限りなく薄くしてほしいと言う。したがって、実際にデサントがソルトレイクオリンピックのために開発した素材は、まるで女性のパンティストッキングのように薄いものだった。▼不思議なことに、ニューヨークでデザインを考えていると世界の臍の中で世界を透視している感覚になり、東京で考えていると、世界を外側から見ている感覚がある。八月八日(火)
神との契約6
▼このように西洋的なキリスト教の二重の社会構造は、安定化し広範化した。神の支配の現実が情報でしかなく、神の直接の介入が部分的でしかないという状況においては、社会全体として神との関係が存続することを保持しながら、人による人の支配という教会体制の中で、神との直接的繋がりがある者もそうでない者もそれなりに満足できる宗教社会のしくみが、この二重構造なのである。▼しかし、神の支配の現実の告知にはじまるキリスト教の運動は、神の全面的な介入のないまま、近代における科学技術・産業革命の進展を迎えるが、この新しい事態には対応しきれてはいない。▼神が全面的に介入しないという状況が長く続く中で、世俗的自由の容認は、近代の科学技術の進歩をもたらした。この進歩が続く限り、人による人の支配という体制の意義は失われず、むしろ有意義なものと言えるのかもしれない。変化しているのは世俗領域の人間生活の方である。このことに柔軟に対応できるのは、神の全面的な介入がないのなら、やはり人間なのだろうか。あるいは、神についての科学的アプローチがこれからあるのだろうか。もっとも神の側からの全面的な直接介入という事態が将来何らかの形で生じるならば、人間の方の努力は不要になるのだが。▼小さな本でしたが、神学の組み立てが多少なりとも分かりました。ユダヤ教やキリスト教は論理学なのです。しかも独特の「ねじれ」をもった宗教特有の論理です。七月二十二日(土)
神との契約5
▼なぜイエスは神格化されたか。それはイエスの高挙(復活、昇天、神の右への着座、再臨)といった奇跡だけではない。当時のエルサレム初期共同体でそのメンバーになることは、「イエスに従うこと」だとされており、イエスが神的なものとされることで、イエスに従うことは人間であるイエスに従うことでなく、神的権威に従うことになる、というものである。イエスの神格化は、エルサレム初期共同体の成立・存続の神学的根拠となってゆく。▼さて、イエスやその弟子たちを神格化することは、一神教の原則と矛盾しないだろうか。神的とされる者が複数存在しているキリスト教は、一神教であるユダヤ教の多神教的適応といえる。それは一神教であるはずの神が、その支配を十全に実現していないことに起因している。▼「神の前の自己正当化」の問題を回避するため、ユダヤ教においては神殿における儀式と律法という書かれたテキストを権威化したが、キリスト教においては人による人の支配を行った。このことで、キリスト教の主流である教会においては、人間が二分されてしまう。神との直接的な関係をもつ者(指導者たち)とそうでない者(信者たち)である。しかも、キリスト教の聖書主義・儀式主義は、神との直接的な繋がりのない人々を、教会という制度の中の指導者たちの下に位置づけることになった。▼上の領域に属する者が下の領域に属する者を支配する、いわば人による人の支配がキリスト教の最大の特徴である。この二重構造のとらえかたは、キリスト教が西洋世界全体を管理するため採用された。四世紀にはキリスト教がローマ国教となり、その後もキリスト教の教会における二重構造(指導者たちと一般信者たち、聖の領域と世俗の領域)が全体の枠組みとなり、西洋世界は安定していく。七月二十一日(金)
神との契約4 (260)
▼洗礼者ヨハネとイエスはエッセネ派的傾向が強かった。イエスについては、地上のイエスすなわち処刑前のイエスと、神格化されたイエスを区分しておく必要がある。イエスの活動の中心は、つまるところ「神の支配」の現実の告知だった。やさしく言い直すならば神が世界の面倒を見るということである。そして神がそのように動いたということは、罪も消えてしまったということである。したがって神との断絶がなく、神の支配を認めるなら、「罪の告白」などといったことが今も教会で強制されるのは、おかしなことになる。神の前では、契約とか罪とかが意味をなさなくなるためである。▼この神の支配の現実についての告知は、「神が一方的に動くしかない」という結論から生じたものである。神は支配する側であって、人が神に対して優位に立っているのではない。ご利益宗教的なあり方においては、神よりも人が優位に立って、さまざまな神を人が選択するといったことがあるために多神教的状況が生じたが、このような事態が生じる余地は、神の支配の現実においては根本的にはあり得ないことになる。▼このように、キリスト教は、イエスが告知した「神の支配」の現実が事実である可能性に賭けている流れである。これに対して、ユダヤ教は契約という唯一の関係によってヤーヴェとの繋がりを確保しながら、キリスト教の賭けが成功に至るかどうかを見守っている流れである。七月七日(金)
神との契約3
▼イエスと初期キリスト教の時代のユダヤ教は三派で、サドカイ派が神殿主義、ファリサイ派が律法主義、エッセネ派が荒野の修行者たちである。このなかでエッセネ派だけがユダヤ人社会から距離を置いたのは、既存のユダヤ教の枠内に留まると神殿支配・律法支配のもとに取り込まれてしまい、そこには神との断絶の問題解決の可能性がなくなるからである。そして彼らは荒野で共同生活をしながら、神との直接的な関係の実現を模索した。それは神が勝手に動くということにある。人間の側が勝手に自分は正しいと思い込んで「自己正当化」に陥ったり、神殿主義・律法主義に苦しんだりする。そうした人間の側の動きがあろうとなかろうと、そんなこととは関係なく神が一方的に動くという可能性が残っている。神は神である。人間の状態に応じて、神が動くのではない。契約の概念を神と人との間に導入したために、人間の側に誤解が生じたのである。契約の概念を導入することは、契約によって神を拘束することになってしまう。神は人間が考え出した契約の概念などに拘束されないはずである。エッセネ派がこのことに気づくのは、前八世紀のイスラエル北王国の滅亡してから、七百年ほどの時間がたった前一世紀頃のことである。神の前での正当化のためには、人間の側からは何もなす術がない。エッセネ派が行き着いたこの結論は、後一世紀後半のユダヤ戦争およびそれに続く混乱で消滅してしまう。こうした段階になると、残る関心事は、神の側からの一方的介入のあり方が具体的にどのようなものになるかということだけである。エッセネ派の結論が前一世紀前後に生じて、それに続く時期のユダヤ教における神学的な事件は後一世紀におけるキリスト教の出現である。その中心的意義は、神の新たな介入が生じたという主張にある。七月一日(土)
神との契約2
▼つぎは「神の前での自己正当化」について。神の前での正しい態度がどのようなものであるかを人間が決められるのかという問題である。知恵がつき、神の前での義の問題を、さまざまに考えを巡らせる。それは真面目で真剣なものであるに違いない。しかし神の前で何が正しいのかを決めるのは神自身ではないだろうか。もし人間が自分の知恵で何が正しいのかについて知ることができて、そのように発見された掟が神の前で正しければ、人間は神にではなく、その掟に従えばよいことになる。そしてそのような掟に従っている人間を、神が義としなければならないということになる。神は、人間が発見した掟の原則に服従すべきだとされているのであって、いわば人間は自分の掟を神に押し付けているのである。権威をもっているのは掟であって、人間も神もその掟に従うべきだとされている。これはつまるところ、人間の知恵が神を支配できるとする立場である。これが「神の前での自己正当化」の問題である。▼ユダヤ教の聖書の第一部である律法は、「一字一句も変更できない」ものとされている。律法はユダヤ教において公式に「正しい」とされている掟である。ところで、掟を守るためには、掟に何が定められているかを知らねばならない。しかし律法はなすべきことを箇条書きにしたようなものではなく、全体として物語になっている。物語が掟とすると、律法は複雑きわまりないテキストである。律法に何が定められているかがはっきりしないことを証拠づける最大の事実は、二千年以上におよぶユダヤ教・キリスト教における聖書研究において議論が絶えないということである。つまりテキストの意味がいまだはっきりしていない。しかも「一字一句も変更できない」律法は、すでに律法として定められた分のテキストは変更できないという意味であって、他の文書を律法の一部として付け加えるということは可能である。ますます複雑になる理由がそこにある。六月二十三日(金)
神との契約1
『一神教の誕生』(加藤隆・講談社現代新書)から。▼ユダヤ教の分派としてキリスト教は生まれるが、次の流れは押さえておきたい。①イエスの活動は後三〇年の十字架事件以前のものである。②十字架事件以降も弟子たちは活動を続ける。③六六~七〇年にユダヤ戦争。④七〇年以降にユダヤ教はファリサイ派的・律法主義的なものとなる。⑤イエスが始めた運動はこれらとは異なる流れになるが、それが「キリスト教」と呼ばれるようになる。▼分厚い聖書の冒頭には「天地創造」の物語が記されているが、まずこれがユダヤ教・キリスト教の基礎としてあった訳ではない。ヤーヴェを神とする古代ユダヤ教はもともと民族主義的であったし、ずっと後になってから神を「創造の神」とすることで普遍的になっていく。かたや、神はユダヤ人だけの神ではなく、神は全人類の神である。キリスト教は「分け隔てしない神」なのだ。それらのことをイエスは「神の支配の到来」と宣べ伝えた。でも実際に到来したのは教会の支配だった。教会は、神の支配を十全に実現できず、「分け隔てしない神」の権威を背景にして世界を支配しながら、人間の間に「分け隔て」を生じさせる組織となっていく。▼ユダヤ教の成立は、前十三世紀にヤーヴェの導きによって「出エジプト」が実現し、カナン(パレスチナ)の地を民に与えたことに始まる。その後、前八世紀のイスラエル北王国の滅亡を契機に「契約」の概念が出てくる。神と民の契約は、神は民に恵みや救いを与え、民は神を崇拝するという関係で成り立つことになっているのに、北王国は滅亡した。神は民に恵みを与えなかった。神は動かず、沈黙していた。この事実をどう考えたらよいのか。この神はだめな神なのか。いやそうではなく、神が沈黙していたのは、民の態度が不適切だったから生じたのではないか。この論理を採用すれば、神は救われることになる。しかしこの契約の概念を導入すると次のことが問題になる。①神が義とされ、民が罪の状態となる。②罪の状態にある民にとっては神の前での義の実現が最大の課題になる。③神と民の間に断絶が生じる。民が罪の状態にあるのでは、いつまでも神は沈黙を続けることになる。④ヤーヴェ以外の神々を民が選ぶことができず一神教的態度になりやすい。▼ヤーヴェとの契約を破棄し、一神教の枠組みから出る方法もあるが、これはヤーヴェを見捨てることなる。契約を破棄することは、ヤーヴェを駄目な神だとすることを意味してしまうから、ヤーヴェのみとの関係をもつということで一神教的な態度を維持するしかなくなる。六月十六日(金)
降臨2
▼人間は生れ落ちた時から、他者の視線なしにはやっていけない。生まれたばかりの赤ん坊が、にっこり微笑みかけると微笑み返す。人間は白紙で生まれて来るのではない。他者とのコミュニケーションを取りたい、という強い欲望を持ってこの世に産み落とされてくる。プールの飛び込み台の女の子がなかなか飛び込まない。プールサイドに寝そべっている母親が自分を見てくれないからだ。母親に見られていない行為など、存在しないのも同然だ。人間の脳は、他者の視線を報酬として必要としているのである。▼一九三六年に発表されたベンヤミンの論文『複製技術時代の芸術作品』が今日でも影響を持ち続けているのは、「最高の完成度をもつ複製の場合でも、そこには〈ひとつ〉だけ抜け落ちているものがある。芸術作品は、それが存在する場所に、一回限り存在するものなのだけれども、この特性、いま、ここに在るという特性が、複製には欠けているのだ」というところにある。私たちは、この文章の「芸術作品」を、「私」と読み替えてみることもできる。▼イギリスの箴言に言う。オックスフォード大学を卒業した人間は、世界は自分のものだと思う。ケンブリッジ大学を卒業した人間は、世界が誰のものでもかまわないと思う。それぞれが、人文科学、自然科学を中心とした大学であることを背景としたジョークである。「世間知」を求める者と、「世界知」を求める者の差でもある。▼約六千五百万年前、小惑星が地球に衝突し、恐竜たちが絶滅した。その結果、古い世界は消え、廃墟の中から新しい生物の種が次々に誕生した。その中に、私たちの祖先となる哺乳類たちがいた。ほんの少し軌道がずれていれば、小惑星は衝突軌道をそれ、恐竜たちは今でも地球上を闊歩していたかもしれない。沢山書かれた文字を帳消しにする黒板消しのように、偶然がもたらした太古のたった一つの衝突が全てを変えてしまったのだ。衝突が風景を一変させるのは、天体現象だけの話ではない。惑い、流れ、うごめきながら生きる私たちもまた、衝突によって人生が一変することを、何度も経験している。「衝突」こそが、人生を描く文学の究極のテーマのひとつだといっても過言ではない。進学、就職、転職。未知なるものとの「衝突」をもたらす人生のイベントは多々あるが、誰でも知っているように、多くの場合恋愛こそが人生において最大の衝突をもたらす他者との衝突である。六月九日(金)
降臨1
脳と文学の話が主題です。『クオリア降臨』(茂木健一郎・文芸春秋)から。▼動物園で見るペンギンがプールに飛び込む順番を譲りあっている光景は微笑ましい。が、ペンギンがなぜ水辺でなかなか飛び込まないのか。目の前に水面が広がり、その向こうにはおいしい魚が泳いでいる。でも海の中にオットセイなどの捕食者がいるかもしれない。できれば安全だとわかってから飛び込みたい。そうは言っても、誰かが飛び込むだろうといつまでも飛び込まないとエサをとれずに死んでしまう。オットセイに食われるのも困るが、飢え死にするのも困る。他に誰も飛び込まなければ、自分が真っ先に飛び込むしかない。これが微笑ましいしぐさの実際なのです。科学は、あるアルゴリズムに従って飛び込み続ければ、死ぬ確率は10%で、遺伝子が残る確率は90%などと教える。一方、一羽のペンギンにとっては、死ぬ確率は0%か100%のいずれかである。オットセイに食われてしまえば、それでお終いである。私たちも同じで、常に0%か100%かの個別を生きている。▼人間は、頭蓋骨の中の小さな脳の活動を通して、世界の森羅万象を志向する。脳の中の一千億個の神経細胞が電気的、化学的活動をしているだけだが、その活動が「私」の意識をつくり出し、意識に浮かぶクオリア(質感)をつくり出し、意識の中の時間と空間をつくり出す。脳の中の物質たちの舞踏が、目の前のコップになり、下の上のチョコレートになり、はるか彼方銀河になり、宇宙のどこにも存在しない一角獣になる。私たちが、個別を生きつつ、普遍を志向せざるを得ない存在であるということを直視した時に、文学の切なくも力強い可能性が浮かび上がってくる。▼非日常にあこがれる思春期の純粋さは、あっという間に過ぎ去ってしまう。文学のような仮想の世界に遊び、現実においても様々な経験を積み重ねることで、やがて人々は次第に日常と和解し始める。何も特別なことが起こらない日常を肯定することができるようになる。文学がその非日常のとの行き交いのメディアを提供する。▼毎日同じことを繰り返しているように見えても、人間はいつか変わっていく。瞠目すべき突発事件によって、新展開がもたらされるのではない。何も起こらないかのように見える日常の繰り返しの中でいつの間にか取り返しのつかない形で変化してしまうからこそ、人生は興味深いし、また恐ろしい。その恐ろしさを描くところに、小津映画における日常の凄みがある。『秋刀魚の味』での、父親の問いかけに娘(岩下志麻)がゆっくりと、不自然でぎこちなく緩慢に振り向く。何も起こらないどころか、すべてが起こっている。六月二日(金)
志ん生のクスグリ
お父さんは凝り性の飽き性なのよ。と『三人噺/志ん生・馬生・志ん朝』(美濃部美津子・扶桑社)で長女が明かしている。▼つぎは『世の中ついでに生きていたい』(古今亭志ん朝・河出書房新社)の末っ子・志ん朝から。最近、あたしの咄と親父のを較べてみて、これは人物が出てない、と思うようになったんです。親父と自分の違いをテープを聴きながら考えたんです。親父のもあんまりいい出来のはないんですが、でも「ああそうか」と思ったのは『火焔太鼓』の道具屋の人物が、うちの親父の咄を聴いているとスーッと浮かんでくるんですよ。とてもおかしい人間でね。あたしの場合、調子で笑わせようとか、あるいは妙な口の利き方だとか、すっとぼけた声を出すとか、ほかのことで一生懸命苦労してやっていたんですけども、「なんだそうか、これはそれなりの人物が出ていないのが笑いに結びつかないんだ。だから言うことがなんか不自然になるんだ」と。そう感じたら、とたんに親父のクスグリが全部いいやすくなったんです。たとえば、道具屋がカミさんに脅されて、ちょっと行くのがイヤんなって、「むやみに儲けよう儲けようと思うと、おまえさん、しくじるんだよ」「そうか、うー、わかったよ」って、そういう気の小さいところがあって、それでもカネが欲しいから殿様のところへ太鼓かついでいくでしょう。で、カミさんに言われたことが頭をよぎって、「ああそうだ、ここでしくじっちゃいけない」とか思いながら行くと、よけい太鼓が汚く見えてくる。それで心配になるから、殿様に見せられない。といって、そのまま持って帰りたくない。カネにしたいから、「あなた買ってくれませんか」という、そういうクスグリやなんかは人物を考えると、自然に、何の抵抗もなく言えるんですよね。親父のあの人物の描きかたはすばらしいもんだなと思ってね。小僧の年をごまかしたりね。ああいうふうによく考えて、人物をださなきゃいけない。そうすれば自然にそういうせりふが言えるし、誇張もできるんでしょうね。▼その他にも、『落語名人会 夢の勢揃い』(京須偕充・文春新書)は昭和三十年代のラジオと落語の話が、『古典落語CDの名盤』(京須偕充・光文社新書)と『古典落語 これが名演だ!』(京須偕充・光文社新書)は、演目解題の上下巻となっている。ピックアップ版なら『今夜も落語で眠りたい』(中野翠・文春新書)で、志ん生が入眠に適しているそうです。ところで、小沢昭一は「落語は老人芸」という。多くの人々にとって落語は、ある程度の生活体験とか文化体験を経てからでないと、心底わかるというわけにはいかないのではないか。一日の終わりに楽しむ娯楽。グデーッと寝そべり、目を閉じ、放心した状態でも楽しめる娯楽。人生の後半、いや終盤になるほどネウチがわかる娯楽。いろいろな意味で、落語こそ最終娯楽といってもいい。▼夏は志ん生、冬は文楽という人もいる。おわかりですね。五月二十六日(金)
交喙の嘴(いすかのはし)
韓国事始。『心で知る、韓国』(小倉紀蔵・岩波書店)から。▼韓国人は、日本人は「本音」をいわず、長い間付き合っても「建前」しかいわないので信用できない、と思っている。韓国人は仲がよくなれば、何でも包み隠さずに吐露して「情」の関係をつくろうとするのに、日本人はそれを嫌がる。韓国人は「心の二重性」を嫌い、「心はひとつであるべきだ」という強烈な信念がある。このような儒教的な心性を強く持つ韓国人であるが、実は多くの日本人が、「韓国人って何か二重性を持っている」と感じ、戸惑うことがある。たとえば「昼間の韓国人と夜の韓国人は違う」という印象を持つことがある。昼間は口角泡を飛ばして議論をし、相手の間違った部分を仇敵のように面罵する。これでもうこのビジネスは終わりだな、日本人が思って荷物をまとめて帰ろうとすると、韓国人はおもむろに「メシを食いに行きましょう」という。そして一緒にメシを食べはじめると、さっきの態度とは打って変わって相好をくずし、肩を組んで「おれたちは友達だ」と宣言する。日本人にしてみれば、昼間と夜のどちらが「本音」なのか、わからない。懊悩が始まる。しかし、これはどちらもが「本当」なのだということがわかってくる。▼では、どうしてこのような「二重性」が生じるのだろうか。これは儒教、特に朱子学の「理」と「気」からくる。解りやすくいえば、「理」は理屈の理、「気」は気持ちの気ということになる。この世がすべて「理」と「気」から成っており、人間関係において、この「理」を前面に出すか、「気」を前面に出すか、によって、「理屈っぽい韓国人」と「感情的でハートフルな韓国人」というものが分離してくる。しかし、どんな人でも「理」も「気」も百%持っている。そのどちらを今、前面にだしているか、ということなのである。だから本人は、どちらが嘘でどちらが本当、という区分は全く意識していないのである。いわば韓国人は、自分たちの二重性に全く気づいていないのである。▼「外交はセールスといっしょ。いずれも断られたときから始まる」。と言われるが、本音と建前の比較文化をしておくと、外交やビジネスで躓かないですむこともある。五月十九日(金)
キる
サタカがキる。村上春樹の小説には、民族や国家の問題が登場しない。政治や社会のわずらわしい問題を避けてワンダーランドしている。上からの視点の司馬遼太郎と、市井に生きる藤沢周平。司馬は天皇制の問題を避けている。だから政財界人は安心して読める。などなど、『タレント文化人筆刀両断』(佐高信・ちくま文庫)は遠慮がない。▼弁護士・遠藤誠が九四年春、山口組本部で渡辺芳則組長と暴対法裁判の話をしていたら、渡辺が「遠藤先生は左翼だから、弁護団長を頼んでいると、山口組も左翼にされてしまうのではないかと心配する者がいる。そこでお尋ねするんですが、共産主義諸国が崩壊した現在、左翼と右翼はどこが違うんですか?」と質問してきた。それで遠藤が、「太平洋戦争の見方が一つの分かれ目で、侵略戦争とみるのが左翼で、正義の戦争とみるのが右翼となっています」と答えると、渡辺はすかさず、「そりゃ、あの戦争は侵略戦争に決まってますよ。だって、日本の軍隊が、中国や東南アジアというほかの国に攻め込んだわけでしょう。ほかの国の縄張りを荒らしたら、侵略になるのは決まってますわな」と言った。それで遠藤が、そうしたら渡辺さんも左翼だということになりますよ、と続けると渡辺は、「それが左翼だというなら、私も左翼ですなあ」と応じたとか(『月刊レコンキスタ』九四年十月一日号)。▼私は、細川護熙と彼がが尊敬しているらしい細川の「母方の祖父」近衛文麿が嫌いだ。とにかく血筋によって成り上がった人間に対しては、『フィガロの結婚』の中の、「エライと言ったって、自分の力でなったわけではない。生まれる手間をかけただけじゃないか」という言葉を呈したい。▼竹内好に、卓抜な「ニセ札論」がある。ニセ札が出るとジャーナリズムは鑑別法や図柄だけを問題にしているが、たとえホンモノであっても「必要流通以上に放出される通貨はすべニセではないのか」と鋭く指摘したものだった。五月十三日(土)
ズー・日本一
GWの動物園。のなかでも日本一になった動物園の成功物語がつづられた『旭山動物園革命』(小菅正夫・角川新書)から。▼日本の動物園には、動物園を管理しようとする傾向がある。原因は、あまり動物園のことを知らなかったり、野生動物を飼育した経験のない職員が人事異動で回されてくることと関係しているかもしれない。これは1980年代半ばくらいからの傾向である。ともかくそれまで園長は皆、生え抜きであった。しかし、今は往々にして管理する傾向にあって、それは職員や、ひいては動物たちにも伝わるのではないか。もし伝わるとしたら、動物園からイキイキとしたものが消えていく。管理社会に生きる人間が、同じように管理された動物園に来ても、魅力を感じないであろう。1882年に東京都恩賜上野動物園は、博物館の付属施設としてオープンしたことを再考してみてはどうだろうか。▼石狩川水系淡水生態館への夢を叶えたい。旭川に降った雨は、石狩川に流れ込み、海に注ぐ間に、森の栄養を運びながら、小さな動物をはぐくんでいく。川の水は海に流れ込み、北海道の海に栄養を与える。磯焼けを起こさず、豊かな海であるということは、アザラシが生きていける環境が保たれているということだ。アザラシをエサにしているホッキョクグマにしてみれば、好都合である。旭川から流れる水は、さらに深層海流に乗って、北極から南極に流れていく。そこでペンギンと出会う。その水が汚されていなければ、ペンギンも安心できる。地球は水の惑星といわれる由縁なのだ。▼全国の動物園の動物は、個々の動物園の所有物ではない。全国の動物園は一つの組織のようなもので、個々の動物をたまたま預かっているという認識なのだ。ということを知っておいて欲しい。▼もう一冊。『いま動物園がおもしろい』(市民ZOOネットワーク・岩波ブックレット№623)のあとがきから。「飼育担当者も動物園の一部」と小菅園長は言う。動物園の動物たちには人間の暮らしのために改良された家畜やペットと違い、高い飼育技術が必要です。動物園の歴史は、飼育技術向上にかけた飼育担当者や獣医の歴史でもあるのです。病気にかからず健康に寿命をまっとうできるように、時にはうまく繁殖させるために、飼育担当者は毎日、動物たちの世話をします。環境エンリッチメントは、そうした日々の積み重ねの中で生まれた努力や工夫ともいえるでしょう。▼そうなのです、動物を長生きさせることと、来たお客さんに喜んでもらう。動物園はこの二つなのです。五月五日(金)
巫女はどこへ (250)
何かが起ころうとするとき、人々は「女」の予言者性、巫女性を思い出し、そこにすがりついて、自分たちの行動を正当化しようとするものらしい。あのフランスの愛国少女ジャンヌ・ダルクにしても、同類の事情が働いていたのかもしれない。だからこそ、ことが収まったのちは、火あぶりの刑にされる運命にあった。再思考させられる本です。『女という経験』(津島佑子・平凡社)から。▼古き良き、巫女の力に支えられる日本の神々の世界は、開国で大きく変わる。日本社会はキリスト教文化を背景に持つ男女の社会的役割分担を積極的に受け入れるようになる。これは「女」の解放どころか、実際はキリスト教に根ざした男性の圧倒的優位の概念のもとに、「女」は家庭の天使になれ、慈しみ深い母になれ、「男」のために尽くす存在となれ、とそれがあたかも「福音」であるかのように、新しい「道徳」として女たちに押しつけられた。▼キリスト教では、聖パウロが熱心に説くように「一夫一婦制」がとても重要な神との「契約」として位置づけられている。それまで神との接触といえば、いけにえを捧げ、巫女からは神託を聞くという形でしか考えられていなかったこの地中海の世界に、ユダヤ教から引き継いだ「契約」の概念を持ち込んだこと自体がまず、革命的な変化だった。そして、人間の性愛を一夫一婦制として神の契約のもとに閉じこめようとすることも、当時(ローマ帝国)としては、びっくり仰天の社会改革だったらしい。ローマ皇帝から地方の長官や貴族、金持ちにいたるまで、男も女も等しく、生涯、決まった相手としか性交してはいけないと定めることで、当時の世の中の乱れをただそうとしたのだろうし、一夫一婦制を守れば嫡出子を簡単に認められるけれど、そうでもしないと、王侯貴族や金持ちにとっては相続の問題が必ずこじれて、殺し合いが頻発したりする。男と女が性交すると女は妊娠する。欲しくもない子どもがどんどん生まれれば、捨て子や子殺しがはびこる。そもそも人々が「淫行」にふけって遊んでばかりいたら、その社会はどう考えても生産的なものにはならない。▼神との契約を性愛にまでおよぼしたキリスト教の出現は、のちの近代的産業社会を生みだす基盤ともなっていく。神との契約という概念は、供物を捧げる対象としての神との関係と比べ、人間との生命観をも大きく変える結果になったのではないか。▼だいぶ前に、「神は死んだ」と述べた作家がいた。でも今になってみると、神を中心とする制度は「死んだ」かもしれないが、かえって神は元気なって、人間社会を通信衛星のように監視しつづけている、と思えてならない。神が死ぬことを、結局、人間たちは望まなかったし、今でも神の存在を人間たちは期待しつづけている。女がなぜ「女」なのか、男がなぜ「男」なのか、その意味を知るために。自分たちの生のよりどころを確保するために。少なくとも、私たち人間はこのひとりひとりに与えられた「性」という要素のおかげで、今でも、退屈だけはしなくてすんでいる。そして、これからもたぶん…。四月二十八日(金)
世界の神さまⅣ
▼仏教では宗教の中身が知らされていない。だから信仰のしようがない。キリスト教だったら神父さんや牧師さんがくりかえし聖書を読んで、わかりやすく解説して「信じなさい」というわけです。コーランは誰が読んでもすぐわかる。それで人々は納得する。だけどお経は内容が難しいうえに、一般の人にはさっぱりです。何を言っているのかぜんぜんわからない。逆に「わからぬ経ほどありがたい」といわれるくらいです。ともかく多くの日本人はいまも念仏を唱えているが信仰があるかどうかはわからない。▼いまアメリカ人やドイツ人が一般に「教会に行っているか」といえばそうでもない。「じゃ無信仰か」いえばそうでもない。既成宗教を信じてないから信仰がないのではない。アメリカ人は「合衆国憲法」をよりどころとし、ドイツ人の心は「ゲーテ」や「ワグナー」ではないか。またイギリス人には「住まい」がある。つまり宗教はなくても信仰はあるのです。だが日本には宗教に代わる信仰がない。▼阪神大震災の直後、炊き出しをやっていたのは、キリスト教と天理教だけでした。仏教はやっていなかった。アラブ人ならみな自分の家を提供しただろう。困ったものを助けなければならないのがかれらの宗教ですから。日本の庶民は信じられるが、日本仏教は庶民救済をやらない。▼日本の寺はなぜ鐘をつかないのか。これでは日本仏教はよみがえらない。一方、いまでも古い神社では山や森を「ご神体」として拝んでいる。でも山や森は神さまが居られる場所であって神さまそのものではない。依代(よりしろ)です。これをアニミズムと解することもできるが、自然への畏敬ならマナイズムでしょう。日本人のカミサマ信仰は呪術と思われ、呪術というのは、道具や方法を用いて「超自然的な力」を身につけようとするものです。縄文時代の巨木や土偶などはみなそうです。この呪術が、為政者により新しい神さまとなって「国家神道」につながっていった。▼友人の経験話から。アメリカ人から宗教について聞かれたとき「無神論だ」と答えた。すると「ではこの宇宙をつくったのは誰か?」と聞かれた。「何かの法則で自然にできたんではないか」といった。すると件のアメリカ人は「何かの法則でできた自然を神さまと考えてはいけないのか」と重ねて聞いたという。友人はしかたなく「それでよい」と答えたそうです。▼西洋人はなぜそんなに神さまとか宇宙とかを問題にするのか。日本人はどちらかというと、「心の問題」に関心がある。「荒海や佐渡に横たう天の川」。こういう「奥の細道」の芭蕉の句に接すると「日本人の心の奥底には、あるいは日本人の心の支えにはこの国の天地自然があるのだ」と思われる。それが「日本人のカミサマ」なのだと思います。▼西洋の近代化に疑問の目を向け、サムライに執着した人に西郷隆盛がいる。「何事も至誠を心となし…」という。誠とは「嘘、偽りのないこと」「まごころ」「赤心」といっていいか。じっさい「まごころ」とか「正直」とかいうことが普通に通用する国は、世界には非常に少ない。「契約」は大事にされても「正直」の方はそれほどではない。この西郷の「誠」が、じつは日本のサムライが700年間、死をかけて守り抜いた名誉の中身だったのです。かつての誠の心をもったサムライが仕えたものは主君だったが、陽明学によってそれが天に変わった。よく考えてみれば、天も、天道も、天物もみな自然ということです。それはかつてこの日本列島に一万年にわたって住み続けてきた縄文人の徳目であり、世界であり、また生死観ではなかったか。するとサムライは「刀をもった縄文人」ではないかと、わたしはかねがね考えていたのです。四月二十一日(金)
世界の神さまⅢ
▼ユーラシア大陸の東西にある二つの平原、中国平原とヨーロッパ平原は、地政学的にたいへん似ている。そこに支配的に住んでいたのは、漢民族とアーリア民族というほぼ単一民族である。その両者の歴史は古く、ともに大部分を農耕民族として過ごしている。また宗教は、中国平原においては儒教、道教、仏教、景教、回教、ゾロアスター教、マルクス主義など諸宗教が入り混じる。ヨーロッパ平原は、ケルト・ゲルマンの神々に始まってキリスト教に移行し、そのキリスト教も新旧に分かれ、さらに幾派にも分裂し、またユダヤ教徒やイスラム教徒も多く抱えている。ともにいろいろな宗教的経験をへている。▼二つの平原と民族性や文化性はよく似ているが、決定的な違いがある。それはヨーロッパ平原の方は、国家が四分五裂に分かれてきたのに、中国平原の方はおおむね統一国家だった。おわかりでしょうが、中国の「皇帝」は武力で天下をとったあとは、「文」で天下を治めた。その文を支えたものが、官僚であり、その官僚を育てたものが儒教であった。中国の官僚を育成した科挙の制は儒教を聖典としていた。これに反してヨーロッパ平原の方は、神聖ローマ皇帝のような皇帝がいるにはいたが、その多くは、官僚をもたず、首都をもたず、宮殿すらもっていず、列侯の思惑に翻弄されていた。四月十四日(金)
世界の神さまⅡ
▼つぎは自然現象に神さまを見るマナイズムの話を。3千年前にイランで生まれたゾロアスター教の特徴は、中央アジアに広がる草原を移動する遊牧民の世界空間の認識にある。世界は球体で、その内部の上半分を透き通った天、下半分を水とするもので、大地はその水の上に水平に浮かんでいる。大地の中央には聖なる高い山がある。古代のアニミズム世界に囲まれたなかで、マナイズムは突出した展開をしていく。その中心のゾロアスター教は、数ある自然現象の中でも光を大いなるカミサマとし、対極に闇を置いた。そしてそれもカミサマとした。「光を善の神とし、闇を悪の神」としたことで、ゾロアスター教は、いわば「二神教」の方向へ歩みをすすめた。この二神教のうちの「闇の神さま」を切り捨てて「光の神さま」いわば「善の神さま」だけにしたのがユダヤ教ではなかったか。その「光の神・善の神」という「万物創造主の神」とユダヤの民は契約を結び、それ以外の宗教を否定した。こうして一神教が登場したのです。キリスト教も、イスラム教もそれに倣います。この一神教は、のちに資本主義と科学を装備して全世界に猛威をふるいました。▼西洋人は無神論を極端に嫌がります。アリストテレスの自然法、つまり「人間社会には人間を人間たらしめる自然の掟がある」という秩序信仰が固く信じられている。そうしないと多民族が混交する社会は保たない。だからアナーキーが嫌いです。日本人が無宗教といったら、座が白け、極端なことをいえば、いっしょにエレベーターに乗ってくれません。「無神論者といっしょだと何されるかわからん」と思っている。それは欧米だけでなく、中近東やアジアだと、じつはもっと嫌われる。ときに犯罪者扱いにされます。そういうことを戦後の日本人はあまり考えたことがない。宗教のないのがモダンだと思っている。あるいは科学的だと考えている。しかし、その科学も資本主義も、民主主義でさえも、キリスト教から生まれたものです。四月七日(金)
世界の神さまⅠ
この度は建築家から宗教を教わる。『神なき国ニッポン』(上田篤・新潮社)から。▼アメリカがなぜ宗教国家なのか不思議です。そればかりか北方のアーリア人が、つまり北方出自のヨーロッパ人がどうして「砂漠の宗教」であるキリスト教に魂の底までいかれてしまったのか。しかもローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を公認していらい千七百年にもわたる長い間、一貫して、熱烈に。新約聖書を読み返すと、イエスは家族も部族も否定している。残るのは神と個人しかいない。その神さまと人間を結ぶのは愛しかない。コーラン、旧約聖書はいずれも家族主義なのに。▼日本の神道や仏教の神さまは「助ける神さま」ですが、西洋の神さまは「契約する神さま」です。それは資本主義に現れるだけでなく、社会生活をみても、たとえば結婚式でも、男女がそれぞれ別々に神さまと結婚の契約をしている。当事者どうしが契約しているのではない。▼イギリス場合は民主主義と宗教とは深い関係がある。「イギリス国教会」は、ヘンリー八世がローマ法王に破門されながら、カトリックでも、プロテスタントでも、もちろんギリシャ正教でもない「第四のキリスト教」をつくった。ではどうしてイギリス国教会がそんなにいいのかというと、イギリス国教会で最高権威をもつものは、ローマ法王でも、カトリック大司祭でも、プロテスタント教会の牧師でもなく、実は国王であって、その国王を議会が操縦しているからです。権威は国王が持ち、権力は議会がもつというバランスがイギリス議会制民主主義なのです。▼イギリスはなぜ家に執着するのか。人生の九十パーセントを過ごすかららしい。たしかにイギリス人はアメリカ人のようによく働かないし、フランス人のようにバカンスにも行かない。また日本人のように休日にせかせかと出歩かない。かれらはいつも家で家族といっしょに静かな時間を過ごすのを好みます。家の窓から見る風景、読書と音楽、趣味の交歓、友人との談笑、アフタヌーン・ティー、地域のボランティア活動。それがイギリスの個人主義の究極の理想です。そうして彼らは、家の中でいつも盛装して暮らしている。日本人のように半パンツで過ごしたりはしない。それがマグナカルタを創り、ローマ法王と決別し、王様の首をチョン切り、七つの海を支配した彼らの精神と行動のよりどころだったと、思われるのです。▼ドイツの場合は、歴史的にみると、ドイツ民族の中核であったザクセン族は、千五百年にわたる「戦国時代」のなかで、キリスト教、とくにローマ・カトリックには抵抗していた。ドイツ人の心はもっと他のところにあるのではないか。ドイツ人は休日によく森を散歩しますが、それは日本人が考えるようなピクニックではなく、ネクタイを締め、ドレスを着用し、正装で出かける一種の儀式なのです。それが習慣になっている。ゲルマン人は古来、太陽、月、風、嵐といった自然現象、とりわけ雷鳴のような超自然現象に神さまを見るマナイズムだったからでしょう。それを音楽にしたり詩にしたりする。感性的には日本人の和歌や俳句の自然賛歌と一致します。詩人のリルケも「万象に神は宿れり」とくりかえし歌っている。自然に神性を感じるのでしょう。三月三十一日(金)
おにぎりの裏側
コンビニの鮭おにぎりの、裏側にはたぶん「PH調整剤」「グリシン」「調味料(アミノ酸等)」と表示されている。三種類で少なくみえるが、これは一括表示のためで、添加物はもっと多い。PH調整剤は食品の変質・変色を防ぐもので、「クエン酸ナトリウム」「酢酸ナトリウム」「フマル酸ナトリウム」「ポリリン酸ナトリウム」といった添加物の集合体で、4~5種類は使われている。「香料」「イーストフード」という表示も、一括表示だと思って間違いない。これらのことが、『食品の裏側』(安部司・東洋経済新報社)にごっそり載っている。▼「調味料(アミノ酸等)」も「等」を隠れ蓑としている。「グルタミン酸ナトリウム(化学調味料)」「DLアラニン」「グリシン」などのアミノ酸系はもちろん、アミノ酸系以外の「核酸」なども「等」に入る。何種類入れてもいいので、加工する側としては非常に便利。そもそも「グルタミン酸ナトリウム(化学調味料)」と書いてしまうと、化学調味料入りがばれてしまうが、それをごまかせる。そればかりが、最近はアミノ酸ブームなので、アミノ酸は健康によいとさえ思ってしまう。一括表示にするため、わざわざ余計な添加物を増やすことさえある。日本人は一日平均10グラムの添加物を、年間4キロ摂取している。食塩の摂取量とほぼ同量と言われる。▼もう一度、添加物は少ないはずと思われているコンビニのおにぎり、今度は昆布の佃煮のおにぎりの場合だと、「調味料(アミノ酸等)」「グリシン」「カラメル」「増粘多糖類」「ソルビット」「ステビア」「ポリリジン」は入っている。さらに、おにぎり自体に甘みを出しておいしくするため「アミノ酸」などの化学調味料や「酵素」を、保存性を高めるため「グリシン」などを入れる。それ以外にも照り・つやを出すために、またフイルムからするっと抜けるように、「乳化剤」や「植物油」が使われている。▼つぎに旨みの素である、「たんぱく加水分解物」は安全性について。これは酵素を使う方法と塩酸を使う方法がある。問題なのは後者。醤油や味噌が麹でゆっくりたんぱく質を分解していくのに対し、こちらは塩酸で強引にアミノ酸分解させる。塩酸は劇薬であり、これを使うことによって「塩素化合物」の発がん性が疑われている副産物ができる。日本人は味噌・醤油などアミノ酸に旨みを感じる食文化を持っているため、この「たんぱく加水分解物」を好む。特に子供たちは、この物質の非常に濃厚で強い味を、「おいしい」と覚え込んでしまっている。▼「塩」「化学調味料」「たんぱく加水分解物」の三点セットは、あらゆる加工食品に使われている。明太子、ちくわ、ハム・ソーセージ、漬物、インスタントラーメン、レトルト食品、冷凍食品、カレールー、瓶詰・缶詰、チルドハンバーグ、ミートボール、各種インスタントスープ、ふりかけ、お茶漬けの素、○○のタレ、○○の素、スナック菓子、せんべい、駄菓子などに。▼食品添加物はどんなものなのか。それは台所にないものと思っていい。台所には、醤油、味噌、砂糖、塩、酢などの基本調味料のほかに、「化学調味料(グルタミン酸ナトリウム)」とか「重曹」「ベーキングパウダー」くらいはあるかもしれない。これを前提に食品の裏側の表示をみるのです。「食品添加物=台所にないもの」を念頭に、一つひとつを確認していけばいいのです。三月二十四日(金)
大人のイソップ
今さらなあ。でもこの本、『新譯伊蘇普物語(しんやくいそっぷものがたり)上・下』(上田萬年編訳・はる書房)は、明治期の復刻でしたが、読み心地よいリズムがありました。▼「蜜壷の黄蜂」の話から…。一群の黄蜂がありまして、或る日蜜壷のなかえ飛込み、思う存分に甘い蜜を嘗めて、しきりにし舌鼓をして居ましたが、余り嘗めすぎて腹が膨れた其上に、羽が蜜にくっついて、如何にもこうにも身動きが出来ません。黄蜂わ、是でわいくら甘いものを食べても詰まらぬ、と云うことをつくづく悟つたようですが、もう追い着きませんでした。▼漢字にルビがついていて読みやすく、百六十話もの話が人間個々の、あるいは人間関係の陥りやすいことを、訓言とともに認めている。狐と狼と羊の、いや、大人のイソップでした。三月十七日(金)
憂国2
▼欧米は「自由」というフィクションから出発する。大思想家ジョン・ロックは、1688年の名誉革命を擁護し、王権神授説を否定するために書かれた『統治二論』には、労働により得たものに関する財産権や所有権をはじめて確定し、「万人の万人に対する闘争」のホッブスとは違い、国家とは国民の自由で平等な契約によって作られる、とした。国民主権のことです(でも筆者は国民は永遠に成熟しない、と思っている)。また、「人間は生まれながらにして完全な自由をもつ。人間はすべて平等であり、他の誰からの制約を受けない」とも言っている。近代の自由主義と資本主義の祖といわれるゆえんです。それに「個人は快楽を追及してよい、全能の神が社会に調和をもたらしてくれるから」とも記しているが、これはカルヴァン主義の予定説の流れをくむものです。救済されるかどうかは、神の意志により予め決められている、とする無慈悲な説で、人によっては救われないかもしれません。救われるためには、いや救いの不安から逃れるために、神から義務として与えられている職業(天職)に励むことになります。利益のチャンスがあったら、それは神が意図し給もうたものだから、積極的にそのチャンスを生かさなければいけないのです。金儲けに倫理的栄光が与えられたのです。また、経済学の出発点になるアダム・スミスの「個人は利己的に利潤を追求すると、神の見えざる手に導かれて社会の繁栄が達成される」も同じ流れで、さらにプロテスタンティズム、とりわけカルヴァン主義が資本主義を進めたとの見解は、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で明らかにしたことです。ただし、禁欲的なカルヴァン主義では、儲けた金をぜいたくに使ってはいけません。その金を生産やサービスを高めることに費やすことが、隣人愛となるのです。それまで不浄だった金銭は、これで「神聖なもの」となりました。カトリックやギリシャ正教では、今でも、金銭はどちらかというと不浄なものです。こうして、市場経済を闊歩する、自己確信に満ちた、金銭至上主義者たちが誕生したのです。ですから、カトリックの諸国より、プロテスタントのドイツ、イギリス、アメリカなどの方が繁栄してます。▼しかしこうした欧米の教義は、ようやく破綻を見せはじめました。そこで日本の登場です。ここで著者は熱く語ります。経済も文化も論理の限界を知るべきだ。卑怯を憎む心、惻隠の情の大切さを思い起こしてほしい。跪く心を忘れない、武士道精神の復興こそ世界を救う。これは日本人だから出来る。それに、知識や技術は蓄積するが、情緒力は蓄積しません。人間としての賢さとか情緒力は一代限りです。したがって、論理と合理のみに頼っている限りは、歴史的に証明されたごとく、戦争をやめることはできないのです。▼武士道をどのように復興するかは書かれていませんでしたが、経済と社会への理解は深い。三月十日(金)
憂国1
数学者から論理や金融、思想史を学ぶこともある。よく売れている『国家の品格』(藤原正彦・新潮新書)から。ただし主論の武士道のところは省きました。▼論理の連鎖。風が吹けば桶屋が儲かるの場合。風が吹けば埃が立つ。埃が立つと目を患う人が多くなる。すると目が見えない人が多くなる。目が見えなくなった人の中から三味線弾きが出る。三味線弾きが多くなると三味線の需要が増える。三味線の皮は猫のものなので猫の需要が増える。町から猫が少なくなる。するとネズミが増える。増えたネズミが風呂桶をかじる。だから桶屋が儲かる。長い論理は危うい。すべてのステップアップは灰色の仮説から始まっている。▼さてさて、資本主義がとてもアブナイ段階にきている。理由の一つは、市場原理の申し子とも言える金融派生商品(デリバティブ)の存在です。これは元々リスクヘッジ、すなわち商品価格や金利や為替など、先行きが不透明なものに対するリスクを回避するためのものでした。しかし最近では、これが投機目的化している。▼例えば、Aさんは現在千円のB社の株が三ヶ月後には値上がりすると思っているとします。Aさんは三百万円しか現金を持っていませんが、デリバティブを用いると、その三百万円を証拠金として差し出すだけで、三ヶ月後にB社の株を現在と同じ千円で十万株買う権利を買うことができます。たった三百万円の証拠金で一億円の株を買う権利を買ったのです。▼もし思惑通り株価が上がり、千五百円になったとします。すると、Aさんは時価一億五千万円の株を一億円で買えるのですから、五千万円引く三百万円も儲かるのです。値下がりした場合、Aさんは権利を行使しなければよく、証拠金の三百万円を損するだけですみます。▼一方、AさんがB社の株価は下がると考えたとします。Aさんはさっきと同じく三百万円の証拠金で三ヶ月後に現在値と同じ千円で十万株(総計一億円)を“売る”権利を買うことができます。ところがこちらは、三百万円の証拠金をもらう代わりに売る権利を放棄できないことになっています。思惑通り値下がりすれば儲けになりますが、もし逆に千円の株価が千五百円に値上がりすると、さっきの裏返しで、時価一億五千万円で株を調達しそれを約束の一億円で売るわけですから、五千万円引く三百万円の損害となります。▼これですまない場合もあります。千円の株価が五千円になれば、損害は四億円引く三百万円となるからです。▼デリバティブには、たった三百万円の元手で億単位の損得が生ずる可能性があるのです。これは「レバレッジ(てこ)効果」と呼ばれます。このおかげで1995年にはイギリスの名門銀行ベアリングズが、二十八歳のトレーダーによるデリバティブの大損で倒産しました。2001年にはアメリカで超優良とされていたエンロンという会社がデリバティブにより致命的な大損害を出しました。デリバティブは、権利を売買しても損得は発生していないので、貸借対照表には記載されません。従って、大企業が突然破産してしまうということがあり得るのです。▼新聞等ではなぜかあまり騒がれておりませんが、このデリバティブの残高が、国際決済銀行の発表によると2004年時点で一兆円の2万5千倍と言われています。多分、二京五千兆円とでも言うのでしょうか。数学者でさえ呼び方が分からないような単位まで金融商品の残高が膨れあがっているということは、あきらかに異常です。実体経済とはかけ離れたマネーゲームとなっているのです。デリバティブは、確率微分方程式というかなり高級な数学を用いた経済理論にのっとっています。論理の権化とさえ言えるものです。それが現状では最大級の時限爆弾のようなものとなり、いつ世界経済をメチャクチャにするのか、息をひそめて見守らなければならないものになっています。これは論理の破綻です。論理自体に内在する問題があり、これは永遠に乗り越えられません。▼これらは、金融工学の話です。だぶついたお金が地球の資源(鉄鋼・石油・天然ガスなど)の先物買いをしている。資源が枯渇していないのに灯油が高いのはこのためです。三月三日(金)
読むより詠もうⅡ
▽「ののしりの果ての身重ね 昼の闇」;韻をふむ。▽「墓の下の男の下に眠りたや」;自分が一番おもしろい題材。家族、職場、同僚、飼っている犬や猫、窓から目に入ってくる木々や虫まで、川柳の題材にはこと欠きません。しかし、これらを詠みつくすと、やがて作者は自分の内側を眺めるようになります。そして、一番おもしろくて訳のわからない題材、自分と出会うのです。▽「ポケットの手を出しなさいお別れです」;下六の押し。中七は厳守ですが、下五を少々重い下六することも効果的です。▽「稀にある美しい日が今日だった」;平明にして深く。技巧の前に大切なのは心なのです。何を言いたいか、自分に問い、胸にあふれてくるものを素直に書く。それが川柳です。▽「劣等感一途に烏賊のわたを抜く」;劣等感は優越感。劣等感と優越感、それは心に住む同居人なのです。▽「六月の闇霊魂が信じられ」;心の闇。文芸は夜生まれる。つまり、心の中に夜をもつことから文芸は生まれる。夜とは、闇、すなわち一人の世界です。心に闇をもつことは、難しいことではありません。目をつぶるだけで夜がつくれます。▽「私たちもう十分に生きました」;言い切る。▼以上が、川柳の入門編。ただ、日記のように川柳をつけることが身についてしまうと、技巧は上達するかもしれないが、心を吐くというテンションが下がってしまう。文芸としての姿勢から外れてしまう。なお注意点としては。六七五とか七七五とか、頭でっかちにするのは問題ない。上五は六音でも七音でも、中七下五が守られていれば、ちゃんとリズムが生まれます。▼「寝転べば畳一帖ふさぐのみ」(麻生路郎)、「仕事ほど体に悪いものはない」(不詳)、「煙草の火つけたとたんにバスが来る」(志ん生)。一句一訴。二月二十五日(土)
読むより詠もうⅠ (240)
下手でもいいから、なるべく早いうちに、自分の目と言葉で、五七五の川柳にする。文芸一般の上達法として言われるように、たくさんの作品を読むことはない。他人の句を読むことも大切ですが、自分でつくってみることはもっと大切。「できない、書けない」という前に、まずはペンを持つ。最初は指を折って、音数を数えながら書く。書いて書いて書きまくる。そのうち自然と五・七・五のリズムが身に付いてくる。時実新子のお弟子さんたちによる『川柳の学校』(杉山昌善・渡辺美輪、実業之日本)から。▼川柳のご先祖さまは一体どのような句を残しているか。『柳多留』から。「なきなきもよい方をとるかたみわけ」「本降りに成って出て行雨やどり」「寝てとけば帯程長いものはなし」。『末摘花』から。「あわび取りなまこのくくるこころよさ」「三味線の代わりに枕二ツ出し」「いなかいしゃへびを出したで名が高し」。つぎは七・七の『武玉川』から。「鳶までハ見る浪人の夢」「人の命を医者の手習い」「女の誉める女少なし」。▼つぎは新子句を題材にして。▽「いちめんの椿の中に椿落つ」;川柳は発想だが、誰もが思いつく第一発想は捨てる。▽「嘘のかたまりの私が眠ります」;自分を他人の目で見る。▽「こんないい月夜を救急車が走る」;幸福感と危機感。▽「スイスイと空の燕も無職かな」;推敲で気をつけることは、あれこれいじりすぎ、句の姿はよくなっても、肝心の訴える力が殺がれしまうことです。川柳は一呼吸の詩型、一気に吐いてそのままがよい場合が多いのです。▽「ぞんぶんに人を泣かしめ粥うまし」;意地悪精神。自分の意地悪な心を裸にする。▽「直角に沓履くミイラ夜は起つ」;事実でない怖さ。▽「何だ何だと大きな月が昇りくる」;あそびの心。▽「人形の かの人形の 熱き乳房」;擬人化。風景を詠むのが俳句なら、人間を詠むのが川柳。二月二十四日(金)
見立ての芸
だじゃれ好き、荻野アンナの『むだ口の効用』(NHK出版)から。▼落語は、地口(じぐち、言葉遊び)で落とすものもありますが、意外に数は少ない。たしかに落語は言葉の芸ではあるが、言葉で遊ぶだけじゃない。客との間には空間があり、空気がつまっている。志ん生に、絶品のマクラがあります。男がでかい茄子の夢を見た、というのです。相手は「どんなんだい?」と訊ねる。「このくらいかい?」「いいや」「じゃ、このくらいか?」「もっとだ」この部屋くらい、この町内、と規模がエスカレートして、ついには「闇夜にヘタをつけたようなの」に行き着くのです。落語は相手に創造させる芸なんです。落語は見立ての芸であり、お客に察してもらうのが本筋です。見立てやすくするには、具体的な情報を、コテコテ与えてはいけない。正体を限定しないでアバウトに。あとは観ている人が膨らませてくれる。▼でも、妙チクリンに長いのもあります。前座噺で「寿限夢」。寺の住職に、赤ん坊にめでたい名前を頼んだら、たいそう長い名前をつけられた。「寿限夢寿限夢五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶら小路ぶら小路パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助」。▼ラジオで雑煮の話を拾いました。急に雑煮を食べたくなったら、お椀のなかに焼いた餅、とろろ昆布、梅干の種をとったの、ワサビをいれ、醤油をたらし、熱湯をそそぐ。これは伊丹十三がやってたらしいです。▼夜更けの雑煮と落語のとりあわせ、ってこともある。三月十七日(金)
メモリアルの木
「ゆき姐(ねえ)」でおなじみの兵藤ゆきさんが、毎週NYからネットに書き込んでいる。その中から。▼ニューヨークにいると、宗教のことを日本にいる時よりよく聞かれる。息子の学校の父母たちからも、さりげなく聞かれたりする。どう答えようが、それによって態度が変わるような人たちにはまだ幸い会ったことがないが、こちらも答える時は慎重にしたほうがいいとは思っている。さて、アンドレス(息子の友達)に「ユキは神さまを信じてる?」と聞かれた。どう答えよう。私はそこで、彼にこんな話をしてみた。私の母は、私の息子、すなわち彼女の孫が生まれるほんの10カ月ほど前に残念ながら亡くなってしまった。母はきっと孫に会いたかったと思う。私も会ってほしかった。息子も会いたかったと思う。亡くなった母や祖父、祖母のために、私の日本の家の中には「仏壇」といって、小さな家のようなものが置いてある。その中には、祖父、祖母のメモリアルの木と、母のメモリアルの木の置物などが置いてある。そこに毎朝お茶とご飯をお供えして、彼らをいつまでも忘れないようにしている。そして彼らはいつも私たちを見守ってくれている。か、どうかはわからないが、私はこの話をした。アンドレスの質問の答えにはなっていなかったかもしれないが、彼は話を聞き終わると「ユキ、僕はその話が大好きだ。いい話を聞かせてくれてありがとう」と、今にも泣き出しそうに、目にいっぱい涙をためて抱きついてきた。まあ、なんと愛らしい。▼しばらくしてから、アンドレスの家に遊びに行ったとき、この話を彼のお母さんにしてみた。すると彼女はこう言った。「私たちがコロンビアではなく、NYで子どもを育てようと思った理由のひとつに、まさにこういうことを子どもたちに経験してもらいたかったということがあるんです。NYには世界各国から移民してきた人たちが生活している。そして、そういう人たちと交わることにより、世界にはいろいろな人たち、いろいろな考えの人たちがいるということを、小さいときから目で見て、耳で聞いて、肌で感じて、心の広い人間に育ってほしいのです。ユキ、アンドレスにちゃんと話をしてくれてありがとう、感謝します」。▼神々のことは以前から気にはしていた。田舎育ちだから自然神なら受け入れる素地はある。二月十日(金)
かけがえのない場所
日本各地でその土地の人々と出会う。『プライド・オブ・プレイス』(森まゆみ・みすず書房)から。▼この地方では、お正月は神さまの役割である。男がつかさどり、神棚を清め、お札を貼り、お神酒をあげて酒を飲む。一方、盆の方は仏さま。女たちが嫁いだ家の先祖の霊を迎え、それをなぐさめるために踊る。男たちは一切かかわらない。それは年に一度、女たちが解放される日でもありました(「清光館哀史」)。▼農民が三百万人、猟師がかあちゃんとあわせて二十九万人、三パーセントの人口で、一億二千六百万人を食わしているんだから、自給率四十パーセントなんて、よくやってるもんだと思うよ(「半農半漁」)。▼京都や奈良で仕事があっても、ついつい足は大阪へ向かう。市場では、「一つなら九百八十円、二つ買うならなんぼや」「よし、まけとこ、千五百円」。であっという間に商談が成立する。そのあと「ゆ」に行けば、「あのおっさんもついに捕まらはったなあ」「あれだけ、好きなことやらはったら満足やろ」とおばちゃんたちの評定。のうのうと湯につかりながら聞いていると、なんとフセイン元イラク大統領の話らしい。まるで隣の長屋の住人のように、そんなところが好きである(「気の会う町、大阪」)。▼台湾では社区総体営造(まちづくり)が盛ん。台湾人は決断が早く大胆だ。私たちのように地域社会のボスの鼻息をうかがいながら、根まわしをして、慎重に完璧にすすめるのではなく、いいと思ったらすぐやる。それもアバウトに。それだからエネルギーの消耗が少ない(「台湾紀行」)。▼人間交流の原点は、そこにしかないものを食べさせる。いちばん自慢できるものを見せる。自分の一番得意技を披露する。私には自作の品も芸もないなあ(「続、台湾紀行」)。▼「わたしはここにいる。私がいるべきところに」(イサク・ディーネンセン)。人はどんな土地にも住む権利がある。しかし実際には、たまたまその土地と遭遇したり、あるいはたまたま代々住んできたにすぎなかったりする。しかし、それはその人にとってただの空間(スペース)ではない。住むことによって、そこはかけがえのない場所(プレイス)になるのだ(「小樽への旅」)。二月三日(金)
ぴあにすとⅡ
▼アルゲリッチがピアノを弾いている姿は、超一流のアスリートの美しく無駄のない動きを連想させる。まず、座り方が美しい。背筋をすっとのばし、体重は完全に臀部に乗っていて、肩にも肘にも手首にもどこにも無駄な力がはいっていないから、腕は前後左右上下自由自在に動く。安川加壽子の演奏する姿とよく似ている。フランス風にさらさらと優雅に弾いていく安川と、いかにも南米出身らしい情熱的な演奏をするアルゲリッチとでは正反対のように思われるが、ルーツはどちらもラテン系のピアニズムである。共通点は多い。逆に大きく異なるのは、旋律の歌わせ方だ。テンポをくずさず、さらさらと弾きすすんでいく安川に対して、ベルカント奏法をみっちり仕込まれたアルゲリッチは、ねばり気のあるタッチで心ゆくまで歌いこむ。単音でメロディを歌うところなど、本来音のつづかないピアノで弾いているとはとても思えないほどだ。▼ピアニストとしてのアルゲリッチは、女流の域をはるかに超え、骨太な技巧、緩急自在な指さばき、本能的なツボをおさえた表現力、スケールの大きさ、何よりも圧倒的な音楽の推進力を持っている。しかし、音楽家としてのアルゲリッチのあり方は、多くの女流演奏家の中でもとりわけ女性らしいと思う。彼女自身、男性の知的な構築性、冷静で理詰めな思考に魅力を感じているふしがある。アルゲリッチが室内楽で多くの優れた男性アーチストたちと共演しようとするのも、ステージの上で張り合いたいという気持ちとともに、彼らの中に自分にはない構築性を求めているからではなかろうか。▼アルゲリッチはなぜソロを弾きたがらないか。なぜ協奏曲なら弾くのか、なぜ室内楽の相手をころころ変えるのか。双子座で相対思考だからなのか。それもあるが、アルゲリッチが自分からピアノを弾きたがらないのは、いつも「影」のように、何かがないと自分も何かであることができないからだ。グルダのレッスンを受けているときも、彼が先に弾かなければ自分も弾かなかった。「私が始めないわけ?他人が始めると、うん!私ってことになるの。私っていつも反射的に動くの」。▼フランソワは、リヒテルやアルゲリッチと違って、ステージに恐怖はなかった。自分は、芸術と生活を分けない。コンサートで弾くことは、日常生活を何ひとつ変えずにつづけることだ。自分の部屋で練習しているものの延長がステージなのだ。だからといって、フランソワのステージが日常の垢にまみれていたわけではない。むしろ反対で、自分の家でもステージでも、いつもトリップしているのが彼にとっての「日常」だった。一月二十八日(土)
ぴあにすとⅠ
ドビッシー弾きの青柳いづみこさんの著、『ピアニストが見たピアニスト』(白水社)から。▼リヒテルは言う。演奏は見事でも、すべてを皿に盛るように出してしまうピアニストが沢山いる。いい演奏なのだが、演出が足りない。不意なもの、思いがけないものこそが感銘を生むのに。グールドのバッハは少しばかり輝かしすぎ、外面的過ぎる。バッハの音楽はもっと深く、厳しいものだ。ポリーニのショパンは二頭筋が発達しすぎていて、ポエジーも繊細さもなく、即興的な感興が感じられない。▼さて、ミケランジェリの「感情移入しない」演奏、これは彼の完璧主義からくるのだろうか。演奏中にあまり気持ちを出すと、完璧に弾けなくなる。では、どうしてそんなに完璧に弾きたいのか。ピアニストはもともと完全試合願望がある。私だってステージに上がるときはどの音も完璧に弾き、どの表現も完璧にこなし、曲の構造も完璧に組み立てるつもりで臨むのだ。何によらず「間違えるのが嫌い」なミケランジェリは、いかなる弾き違いも、ど忘れも、そればかりか、ほんのかすかなタッチのばらつき、発音の不鮮明すらも自分と楽器に対して許さなかった。それに、ミケランジェリの演奏が冷たいのは、あまりにも練習のしすぎ、作品を果てしなく磨きあげすぎたせいだ、という説がある。同じことをほんとに何百回もさらう。徹底してさらっていた。▼アルゲリッチは、リハーサル中、とても調子がよさそうにニコニコとご機嫌で弾いていても、いざ本番になって時間がきたら、楽屋の扉を固く締めて出てこないことがある。「今日は弾けないからやめる」と言い出す。これは多分、リハーサルで気持ちよく弾けすぎたのがよくなかったのだ。リハーサルではむしろ乗りすぎないように、なるべく気分が高揚しないように注意しながら、暗譜の確認や楽器の調子などを点検して本番に備える。ところが、何かの間違いで調子よく弾いてしまったりすると、かえってこわくなる。▼霊感は一晩に二度も降りてはこない。一月二十七日(金)
転型期Ⅴ~文化②
▼自治体における文化を考えると、市民の文化活動は、いまだ文部科学省、自治体教育委員会の系列による外郭行政団体に組織されがちで、そこに国・自治体を問わず文化をめぐる政官業複合をかたちづくってきた。かたや都市型社会では、あらたに文化団体の自立叢生、文化産業や国際組織の成立がある。この意味で、文化活動も分権化・国際化するとともに多元化していく。ここにきて、私たちの今日の生活様式自体が文化でもあるため、産業の文化水準は市民・地域の文化水準、市民・地域の文化水準は産業の文化水準という循環関係となる。地域のみずぼらしさは、地域における文化産業あるいは文化関連産業のみずぼらしさによっている。それゆえ、日本の観光は旧来の名所旧跡と温泉に限られ、人々が生活する都市や農村それ自体が誇るべき観光資源となりにくい。▼自治体には、世界共通文化とか地域個性文化をつくるという発想が成熟していない。行政全体を変えていくには、自治体であれば社会教育行政を廃止し、行政全体の文化化をおしすすめ、首長の部局に「文化室」を新設し、現教育委員会は学校問題に特化させていいのではないか。市民の文化水準はすでに国の官僚・自治体の職員よりその水準は高いのである。社会教育は終焉したのである。ついで既存のハコモノの活用転用、運営管理の見直しが急務である。支える人材には、熟度の高い中高年専門家の募集もはじまってきたが、市民型発想の専門家は今後急速に登場してくるであろう。▼日本の地域景観、まちづくりは、いまだに貧しい。それは人材養成の大学にも問題がある。公共空間を設計するにしても、建築学科は建物の「点」が中心、道路や河川をつくる土木学科も「線」が主流、造園学科も地域景観への広がりをもたず、地域を「面」としてとらえる公共設計にかかわる学科編成のタチオクレがいちじるしい。この公共設計にかかわる職種は、先の法務・財務とともに自治体の戦略職種をになっていくのである。地域と大学とのかかわりも地域文化戦略の柱となる。一月二十四日(火)
転型期Ⅳ~文化①
▼今日のさまざまな「日本文化論」は、温泉につかり「日本に生まれてよかったネ」式の私文化型独善におちいっているのではないか。日本各地おける「公共空間」ないし「公共設計」はミジメな状況である。外国人の観光でも、古都は訪れるが、みなさんの街に訪れることはない。街がミジメだからである。「鬼は外、福は内」の公共空間ゆえである。生活態度では、まだムラ社会特有の横ナラビ・先オクリをひきずりながら、都市社会のミンナオナジという同調性がひろがっている。テレビ番組、マスコミ論調、学説までをふくめて、そのいちじるしい画一化を想起してほしい。テレビなどで、日本の文化がいかに豊かにみえても、これでは幕府専制のもとでの元禄文化にすぎない。日本で文化を語るとき、文化とは戦前の国家重圧下では文字どおり私文化の「内面」「精神」「教養」どまりであった。戦後も官治集権を原型として、画一化するテレビ、新聞の論調にみられるように、大衆政治というかたちでの同調をおしすすめてきた。ことに、マスコミ論調では、政官業複合に寄生する「記者クラブ」、また有力政治家など特定個人にぶらさがる「番記者」の日本型閉鎖性を強調しておきたい。さらに、テレビなどでは電波割当など、所管省庁での政官業複合も問題となる。政党間政権交代の未熟とあいまって、これでは情報公開、政治批評は不毛にとどまることになる。この点、問題点が厳しいとはいえ、ITをめぐって「市民情報流」の今後の可能性には留意しておく必要があろう。一月二十三日(月)
転型期Ⅲ~自治体財務
▼日本は二○○○年前後、経済は低成長となるのみならず、国・自治体あわせてGDPの一・五倍の借金をかかえてしまった。この状況下で、自治体・国の政府間による財源の「分権化」という財政問題が先鋭化してくる一方、個別の自治体ではさしあたり、目前のヤリクリとしての「財務」問題が緊急となる。今日の自治体の財政課は、個別自治体で不可欠となっている財務技術としての、原価計算・事業採算の手法開発、時価方式による連結財務諸表の作成、ついで予算・決算の款項別から施策別への再編、また官製談合すらある入札の透明化など、時代の要請にたいするタチオクレがいちじるしい。この実状では、市民の財源つまり公金をめぐって自治体職員がコスト意識すらもてないでいる。財政職員の責任は大きい。総務省が急ごしらえした自治体バランス・シートも「計算あってゼニ足らず」で、黒字でも倒産する役立たずの計算式になっている。この自治体財務技術の開発は、自治体法務技術とともに、明治以来はじめて直面した未開・未知の問題領域である。自治体財務をめぐる従来の一般指標となっている旧自治省・現財務省系の経常収支比率、公債費負担比率、などの財務指標は一応の目安となるが、これは地方公社や第三セクターなど「行政外郭組織」の財務実態と連結していないので、カクレ借金などがわからない。そのうえ、日本の官庁会計は、いまだに単年度大福帳方式にとどまるので、借金も収入なのである。時価による行政外郭組織との連結財務諸表の作成・公開がなければ、市民、首長、議員、職員すらもわが街の借金総額をはじめ財務実態がわからない。▼とすれば、財務改革には、まず、長期財務指数の作成、たとえば、将来にわたる年次ごとの人件費ないし退職金の予測、おなじく将来の年次ごとの公債償還額ならびにその交付税措置予定額の予測、あるいは施策・施設別の人件費をふくむ原価計算・事業採算、ついで連結財務諸表の作成、また入札改革、徴税コスト削減、法定外収入開発、さらに共通経費の算定・縮小ならびに自治体間比較といった、緊急あるいは長期にわたってこれら新課題にとりくむ少人数の「財務室」の設置が、法務室の設置とならんで不可欠となる。一月二十二日(日)
転型期Ⅱ~自治体法務
▼官治集権のトリックを廃止した二○○○年分権改革により、市町村は国に対して独自課題をもつ「政府」となる。これまでの国家統治をかざす日本の憲法学は行きづまり、自治体はみずからの政府としての基本法、いわば自治体の憲法となる「自治体基本条例」の制定から、自治体づくりを始めることとなった。自治体の職員は、従来のようにヨコナラビ、サキオクリの手法だけでは立ち往生してしまうであろう。▼日本の危機管理諸法についても考え方は逆さまである。官治集権の現行「有事法」を再編し、市町村の自治体から出発する自治分権型の法整備が緊急なのである。日常の事故、災害あるいは感染症、核・生物・化学兵器などの国際テロや各種ミサイル攻撃までを含めて、国の政府は日本の各地についての土地カンもなく、とりわけ東京が大震災ないしテロ・ミサイルなどで崩壊するなら、国の政府・省庁も同時崩壊するため、官治集権型では危機管理などできるはずもない。つまり、震災時の救援車の邪魔になる電柱の地中化、ボランティアの動かし方など、市民生活からの発想による政策・制度構想こそが不可欠なのである。▼なぜ、自治体の法務が必要なのか。二○○○年分権改革によって、新たに「政府」としての責任をになう市町村が、「法務・財務なくして分権なし」という事態に至った。機関委任事務というトリックの廃止によって、自治体はその活動の全域において、あらためて国法の「自治解釈権」をもつだけでなく、また条例の制定という「自治立法権」をもつことになった。ここから、これまでの自治体の「事務」つまり「行政」は、自治体が政府として、みずからの政策・制度を策定・実現するという「政治」となったのである。とすれば、各自治体独自の政策・制度の策定・実現をめぐって、この自治解釈、自治立法についての「自治体法務」が急務となり、「政策法務」がその中核をしめるのは当然となる。一月二十一日(土)
転型期Ⅰ~公共政策 (230)
溶解しはじめた日本のかたち。その基軸をどこにおけばいいのか。『転型期日本の政治と文化』(松下圭一・岩波書店)から。▼公共と政策は、市民の生活現場から組み立てるものであり、プラグマティックな思考が求められる。第一に、公共課題をめぐっては、都市型社会の福祉・都市・環境の新課題だけでなく、古来からの治安・軍事・徴税・財務という古典課題が広がっている。第二に、基本法としては、自治体基本条例、憲法、国連憲章が、政策公準となる。第三に、合意手続きとしては、従来の議会手続のほか、情報公開、市民参加など多様な制度開発が始まっている。この公共政策領域は、実務型の社会工学といえるが、日本はまだ中進国段階で、官治集権から自治分権へは転換しきれていない。しかし二○○○年分権改革は、全国画一行政を国家・公共の名で強制した「機関委任事務」方式のトリックが終わり、この機関委任事務にもとづく通達・補助金行政は、財政破綻とあいまって終焉をむかえる。そのことで自治体は再構築を必然とした。一つには、機関委任事務・通達の廃止にともなう「自治体法務」、二つには財源緊迫にともなう「自治体財務」が、新たな課題領域となった。この法務・財務に習熟して初めて、国の省庁から自立する「自治体政府」になり得る。▼都市型社会の理論構成は、神のごとく全能で絶対・無謬の国家から、市町村の自治体が派生するという国家統治が終わり、市民や市民社会を起点に市町村、国、国際機構へと、順次、政府課題を補完するとともに、市民が各政府レベルの政策を組織するという「市民自治」に変わらざるをえなくなる。これは近代の市民政治の理論をくみたてた、ジョン・ロックのモデルでもある。また、都市型社会では、農村型社会の基底をなすムラが崩壊し、マス化にともなう「大衆政治」といいう固有病理をもち、個人孤立や大衆同調、ついで麻薬、犯罪、新宗教、テロの社会技術の条件が、深化・拡大していく。マスコミ論調の画一化も留意すべきであろう。▼毎朝の新聞はお祈りのようなものなんですが、それを裏読みするとか、他の情報源がないと、どうしても自分の考えも同調しがち。「なめらかな君の語りは朝読んだ」。一月二十日(金)
タクシーの耳学問が小うるさい
さて、川柳のいまは。『川柳うきよ鏡』(小沢昭一・新潮新書)から。▼「死ぬときに欲しがるものはただの水」「、「本心を聞いてみたさのお茶を注ぎ」、「ついて来い言った亭主がついて来る」、「客帰り関白の座に戻る妻」、「素朴さも一皮剥けばただの野暮」、「戦争をやめさせるため戦争し」、「天災は忘れぬうちにやって来る」、「知ったふり知らぬふりする聞き上手」、「多機能種使える機能二つ三つ」、「タクシーの耳学問が小うるさい」には拍手ゥ。「終電車働き過ぎと遊び過ぎ」、「メガネだし俺の新聞覗いてる」、「妻旅行電話も人もぴたり止む」、「定年後家事手伝いを肩書きに」、「栓抜きを帯にバツイチ口にせず」、「悪口を言いつつ贈るお中元」、「遺憾です二度とこんなこと三度四度」、「人間は悪くないがと悪く言い」、「威勢よい奴に限ってない品位」、「銭湯で洗う順序にある個性」、「ほんとうの私を知っている枕」、「あの世とは良いとこらしい行ったきり」、「後半は足早になる美術館」、「断って二度目の誘い待っている」、「帰省して妻が入らぬ墓洗う」、「その件は最高裁のママに言え」、「もうこれに乗れば安心霊柩車」、「三面鏡三面ともにブスはブス」、「成り行きに任す外なし寝るとする」、「さりげなく女よこがお盗ませる」、「最近のテレビぶっても直らない」、「阪神と政治はどうして駄目なのか」、「この辺が俺の場所だなクラス会」、「慰めも励ましもせぬ友が好き」、「よく見たら外人だった茶髪の娘」、「図書館で一番人気はスポーツ紙」、「リモコンを炬燵の妻の背に向ける」、「万札は人に上下のあるを説き」、「女房の尻を輪ゴムの的にする」。▼川柳はナマな表現でなく、笑いをさそい、ひとひねりして刺す方のがよろしいようで。一月十三日(金)
れていても れぬふりして られたがり (228)
江戸古川柳を漫画でたのしむなら、『風流江戸雀』(杉浦日向子・新潮文庫)。▼「馬子唄に二人ひれふす麦の中」、「花の留守大の字になる居候」、「くどかれてあたりを見るは承知なり」、「四角でも炬燵は野暮なものでなし」、「笑って見ぷんとして見る鏡の間」、「寒い時おまえ鰹が着られるか」。▼すこし系統だったものといえば、箱入りの『誹風柳多留』(新潮日本古典集成・宮田正信校注)があり、脚注なんかも優れている。その中でよく知られたものをモジって一つ。「本降りになって落ち着く立ち飲み屋」。一月六日(金)
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