2010年3月16日火曜日

町を使おう (MA-6)

06.町を使おう
内容
01.子どもの絵... 1
02.自由時間を考える... 1
03.遊び学ぶ・動物園... 3
04.(補論)シマウマはなぜ家畜にならなかったのか... 9
05.(補論)動物たちの自己治療... 10
06.学び遊ぶ・図書館... 13
07.学び遊ぶ・博物館... 15
08.もう一つの学校... 16
09.自由時間の三種目... 18
10.資料編... 19


01.子どもの絵 
▼まず、ウォーミングアップとして、子どもの絵を覗いてみましょう。これは帯広動物園の動物画コンクールでの入賞作品のいくつかです。対象がフレーミングされています。それにズーミングです。気持が動かされ、気に入ったところを、楽しく強く描いています。子ども達は、虫眼鏡を持ち歩いているわけです。両眼でパノラマしてから、虫眼鏡で拡大して捉える作業をしています。そのズーム力が凄いところに驚かされます。小さな虫でも、大きく見える経験は誰でもあります。小さい頃は皆がファーブル昆虫記なのです。視野をパノラマしてからズームする気持を忘れず、です。
▼では、子どもの絵を具体的に見てみましょう。特にネコ科の動物たちが生き生き描かれています。この絵はマンドリルですが、まるでゴロニャーの猫です。実はネコ科といえばライオンも動物園では、昼間は丸太を枕に寝ていたり、足四本を壁に立てかけて、猛獣とは思えないシドケナイ仕草です(アフリカのサバンナでも同様)。「シマウマ」も良く描けていますね。この縞はライオンから身を隠すために役立ちます。ライオンは色を識別できないので、この縞々が草木に紛れてしまいます。また彼らが群れると一頭一頭の区別がつかず、狩が難しくなる。そこでオスが一頭を追い出し、メスが狩をすることになります。この「フクロウ」は賢そうです。よくミネルバのフクロウと言われますね。調べたことありますか。ミネルバはローマ神話の知恵と文化の女神でしたね。ギリシア神話ではアテナにあたり、アテネ市の守護神として名高い。ゼウスの頭の天辺から誕生した永遠の処女神で、フクロウを使いの鳥としていたからですが、いつかは神話に出てくる動物を解き明かしてみようと思っています。と言うように神話や物語にも動物が、よく出てくるので知っておくと楽しみが広がります。

02.自由時間を考える 
▼さて、今回は「町を使う」ことと「自由時間を使う」ことを関連させて、動物園・図書館・博物館の三ヵ所を取り上げてみます。町にあるミュージアムをどう使うといいのかを考えます。その「使い方」が、「遊びながら学ぶ・学びながら遊ぶ」ことに繋げればいいだろうなあ、といつも考えていました。それと遊びの方が広がりを持っているように感じますから、今回の主題は「遊びながら学ぶ」でやってみます。▼ということで、ワタクシゴトから入りますが、私は市役所の仕事についてからは都市計画とか町づくり政策の分野をずーっと担当してきましたが、その後半には図書館・博物館・動物園というミュージアム分野に携わることになりました。まあ、裏方ではいろいろなことがあるんですが、楽しい職場でした。子供じゃないのに動物園にですよ、毎日ですよ、六年間も通っていたのですから、生きているといろんなことに巡り合います。そこで今日は、この三つの分野で知り得たことを皆さんにお話します。経験なくして理論(語り)なしですからね。

▼でも、チョッとその前に、「遊びながら学ぶ」上で前提となる、私たちが自由に使える10万時間の話をしておきます。まずは、自由にならないのは労働時間です。1年間の労働時間はどのくらいなのかと言いますと、狩猟時代は8百時間、農耕時代は1千時間、現代都市社会は2千~2千5百時間、日本の場合は一部の中小企業は残業が多く4千時間も働いています。そんな時代ですから、子供らしい原体験というか原っぱで遊ぶ暇もなく、若者は学歴競争社会に追い込まれ、やがてウサギ小屋の団地を与えられて核家族になり、ハイ・モビリティ社会のなかで転勤しながら働き続けるのです。そして1年4千時間の忙しさのなかにすり減って定年。自分の長い人生スパンに「もう一つの自分を設計」をする暇もなかったことに気づいたのが今の日本人なのです。ですから個人としての日本人はもちろん、とりわけ定年後の男性は退屈さに加えて、周りから持て余されているのです。人生の自由時間に遊んだり、学んだりが不得手なため、何のための人生だったのかという大きな問題を抱えてしまいます。ですから医療や年金も問題ですが、「中高年文化」も大問題なのです。しかも、これは小さい頃からトレーニングが要ることは、これから話します。

▼そこで、チョッと遊びに関係する余暇のこぼれ話を紹介します。よく聞く話です。ゴーギャンが描いたタヒチあたりの風景を想像してください。北半球の文明人が南の島にやってきて、土地の貧しい裸の若者に話かけた。「君もっと働いたらどうなんだ、働けばお金だって手に入るぞ」、若者は言う「お金あるとどんなことできるんで?」、文明人は答える「私のように豪勢な休暇がとれて、燦々とした太陽を浴びて、ゆったりと昼寝ができるじゃなか」、若者つまらなそうに「それなら、おいら、毎日やっているよ」、という小話です。皆さんはどう思いますか。どちらが羨ましいですか。▼さて、仏人はバカンスを楽しむと言われていますね。それを羨む日本人は多いけれど、実態は安宿に泊まって自炊しつつ、普段と同じ生活をしていつもより本を多く読んでいるだけのことで、恐らくは、日本人はこのゆとりというか、自由時間を持て余すだろうなという問題もありますね。私たちの遊び方は、最近の中高年のトレッキングでも見られますが、気楽に始めても、やがて深田久弥の日本百名山を征服しようとし、無理して遭難しえ新聞ダネになってしまいます。求道者のようにその道を究めがちで、ゆっくりできない性分がありますからね。ここをどう考えるか、です。

▼さて、次は今日の主題の一つで、私たちにとって自由になる「10万時間」の話です。これもよく聞く話ですが、人生80年の総時間数は70万時間です。睡眠は1日8時間で25万時間、食事や通勤など生活必要時間は1日8時間で25万時間、労働は30年間で7万時間、学習時間は小学校から大学までで3万時間と意外に少ない。これらを引くと、残り10万時間なんです。かつて将棋の故米長王将は「プロになるには1日3時間くらい、毎日やることが大事なんですよ。まあ、一人前になるには5千時間から1万時間だと思う」。とすると、計算だけなら10万時間あれば一人十の芸を身に着けることができる。ともかく、プロは1万時間、趣味なら5千時間、といったところでしょうか。ここを押さえて置いて下さい。大リーグのイチローだって、フィギアの浅田真央も、少し古いですがサッカーのナカタ、ゴルフの丸山茂樹も努力を続ける天才ですね。世界を舞台に活躍するには、まず続けることです。

▼少し見方を変えます。地方都市に住むと通勤時間はわずかで、都会の人達より1日2時間は得しているな、と都会に出掛けるとつい思ってしまいます。この余った時間を、上手に使い始めたら、個人も、お互いも、もっと楽しくなる筈です。地方都市は自由時間が財産です。通勤時間2時間×250日×30年=1万5千時間の計算になります。趣味三つ分です。通勤時間の得は朝起きの三文より大きいかもしれないという話でした。自由時間の要点の一つ、「地方時間の発見」です。

▼ということで、もう一度、人生80年を整理すると、社会に出るまでの20年という人生第一期、社会に出て30年から40年間働く第二期、リタイアしてから20年間の第三期。その20年を、年老いて二人で、あるいは一人で生き続ける淋しさに耐えることが、普通の日本人に出来るだろうか、という問題です。12年あるいは16年間の学校教育を終えたあとを、生涯学習の面からは、どう考えておくといいのか。身近な図書館・博物館・動物園にどう関わると楽しいのかを、考えてみようということです。美術館も話したいけれど、職場経験がないので今回は除きます。まずは、動物園の話からスタートします。10万時間を過ごすネタは果たして見つかるのでしょうか。始めます。

03.遊び学ぶ・動物園 
《導入》
▼おびひろ動物へは行ったことありますか? 当園の動物コレクションは70種類400点と中規模です。その外にキリンなどの死亡動物の骨格標本などもあります。行事はいろいろあります。冬の動物園や夜の動物園などが人気です。飼育体験などで動物を観察できる機会もありますから、HPを見て参加しするといいでしょう。さて、動物園の裏方を支えるのが飼育係(10名)です。長靴・デッキブラシ・バケツをもち、獣舎の清掃や糞を片づけ、餌を与える。ゾウなどの大型猛獣の担当は動物との付き合いを深めるため、あまり替えないようにしています。さて、皆さん方は、飼育係に遠慮なく尋ねるとよいと思います。孔雀の羽が欲しいとか、カバが口を開けたところを見たいとか、象の鼻に触りたい、アザラシに餌をやってみたい、と飼育係に言ってみるといい。意外と黙って応じてくれるものです。動物園で遠慮は禁物。図々しさも学ぶための一つの能力なのです。
▼さて、動物園のよく知られた昔話を一つ披露します。上野動物園の象の「インディラ」の話です。ご存じの方もいるでしょうが、戦時中、食料難で猛獣類は毒殺され象は餓死しましたが、敗戦後すぐに身近なブタ、アヒル、ニワトリ、ウサギたちで開園しました。でもそれは動物園でないので「ブタ園」と揶揄されそうです。昭和21年に東京の子供たちがインドのネール首相に手紙を書いたところ、自分の娘と同じ名前の象「インディラ」が送られてきて、手紙も添えられていました。そこにはこう書いてありました。「世界中の子供は皆似かよっているが、大人になると異なってきて時々喧嘩をする。インディラはインドの子供たちからの愛情と好意の使者です。象は賢く、辛抱強く、力はあるが優しい。この性質を身につけたいものです」とのメッセージを添えられていました。いい話ですね。動物を通じての国際交流はいいものです。パンダの交流もありますね、パンダはいまは、上野(東京)、王子(神戸)、アドベンチャーワールド(和歌山)です。当園ではオーストラリアとの親善交流からアカカンガルー、探検家植村直己との縁でエスキモー犬の子孫2頭がいましたが、これは亡くなりました。

▼次は「カバ」の話ですが、これは動物園の裏面史でもあります。ともかく、明治期には上野・京都・大阪天王寺の三大動物園からはじまり、その後全国におよそ百カ所が誕生します。ですが動物の側からみると、動物保護のためのワシントン条約が動物の輸出入を難しくさせたことで、国内での繁殖がにわかに多くなりその血を濃くさせています。カバの場合ですが、名古屋の東山動物園にいたアフリカ生まれの重吉・福子夫婦の子孫が全国の動物園にもらわれていきました。帯広にもゆかりの一頭がいましたから、重吉の訃報をききあわてて弔電を打ったこともありました。動物を介しての慶弔もあるんですね。ということで、今では日本ばかりでなく世界の動物園でも七割は動物園生まれなのです。でもオリの中で野性を発露できない後継世代とはいえ、やはりナゼ・ドウシテこういう動物がいるのだろうという驚きが湧いてきます。こういう動物にタッチあるいは観察して野生世界への入り口にたつ人が増えています。これは事実です。動物を感じて、地球の生物を感じているのでしょうか。なぜか獣医をめざす人も微増しているそうです。

▼もう少し、動物園の話を続けます。「四度訪れる動物園」の話です。誰もが動物園に生涯四度訪れます。一度目は子供の頃に親に手を引かれて、二度目はカップルで、三度目は子供を連れて、四度目は孫に手を引かれて。その動物園も二十世紀には人気を博しましたが、これからどこへ向かおうとしているのでしょうか。▼多くの人が動物園とは、アフリカのサバンナから連れてこられ、オリに閉じ込められた「見世物小屋」だと感じています。これは人間の身勝手さともいえますがが、新たな情報系の動物園への動きもあります。東京の上野動物園は、どこの動物園にどんな動物がいて、保護や繁殖はどうなっているのかなどの大事なデータを世界中から集めています。▼国内を束ねる日本動物園水族館協会は動物保護のため失われゆく「種の保存」に力を注いでおり、各地の動物園・水族館に担当する動物がいます。おびひろ動物園はオジロワシが担当。当園の個体は数年前に死んだが、その後も札幌・円山、釧路など全国二十二の動物園にいるこの希少動物の保存のためにデータを集め、繁殖計画を立てている。ですから帯広で「オオワシ・オジロワシの繁殖地サハリンと越冬地北海道の現状」という研究会を開いてもいるのです。▼野生生物はどのくらい絶滅の危機にあるのか。世界中に生息する野生生物で学名をもつものが約百四十万種。このうち絶滅危惧種がレッドデータブックに載っており、哺乳類の17%(五百九十八種)、鳥類の11%(千四十七7種)あります。▼そういう動物たちを動物園はどう展示しているのか。当園ではまだオリの中ですが、横浜ズーラシアはオリがなく、双眼鏡でウォッチできる最先端の動物園です。擬似的サファリであるため楽しく人気があり、生息環境をとり込んだ試みとして評価も高い。その先駆的動物園の増井光子園長(元上野動物園長)は「動物園は勉強にきても楽しめる、遊びにきても学べると考えればとてもステキな場所。楽しみながら自然界の不思議を体験してほしい」と話されていましたが、動物園は、生涯にわたって学習する市民や子供にとって「もう一つの学校」の役割もありそうです。▼動物園は人が動物に気軽に出会える広場です。かつて十勝平野の人々と動物は親しく身近な関係にありました。野生のヒグマが山を下りて民家をウロウロする話はよく耳にしたし、馬・豚・羊・山羊はもちろんのこと、鶏やウサギは軒下で飼っていた。サケも近くの川で産卵できるほど、農村も自然も健康だった。しかし十勝の農業人口が一割をきり大型農業へ変わる頃から、動物たちが姿を消し、農村も都市的な生活様式へと大きく舵をきることになります。このことで人々が失ったものは何か。▼来園者で「馬とヒグマに会いに来た」というお婆ちゃんがいました。懐かしい家畜や動物たちに会いたいという接触欲が残っていたのだろうと思います。でも当園では馬といえばシマウマ、クマとはホッキョクグマだったので落胆していました。▼さて子ども達は、なぜ教えもしないのにトンボを捕るのか考えてみれば不思議です。それに視野を宇宙全体に広げてみれば、太陽系が冷たくなるまで、あと45億年。地球の生き物たちは、折り合いをつけて生き続けることが出来るのだろうか。動物園に行くとそんなことも考えてしまいます。

《動物の食事》
▼動物たちの食事を見たことありますか。動物園では朝の10時台はキリン・シマウマ・バイソン・ゾウなどの草食動物にミネラルたっぷりの青草を与えますが、こちらの方は穏やかな風景です。一方、海の哺乳類たち、アシカにはダイエット運動のためにジャンプさせながら餌をやります。繁殖期のアシカのオスは縄張りを主張するための鳴声がうるさいんですね。潜ったままで鳴いているのを目撃もしました。余りにうるさく鳴くので、通りかかりのオバサンが「あんたウルサイわよ、静かにしなさい」といったら、黙りましたね。ホントですよ。回りの人達も黙ってしまいましたが。わかったのですね、オバサンの何というかスゴサを。でも、これもコミュニケーションの一つです。さて、午後は四時前後にライオンやシロクマの食事が見られます。五キロ骨付きの肉やレバーなどを与えますが、バリバリと砕いて食べています。こちらは肉食動物のスゴサが味わえます。野生の食べる動物たちを知りたければ、竹田津実『食べられるシマウマの正義・食べるライオンの正義』(新潮社)を覗くといいでしょう。このように動物園では、できるだけ動物の食事風景を見せるようにしています。食べる動物からは何かが伝わってきます。

《動物とのコミュニケーション》
▼動物とのコミュニケーションといえば、バイソン・シカ・トナカイなども目が合いますね。ゾウもそうですし、キリンも同じです。チンパンジーなんかはもっと出来る。中型大型の草食動物はなぜかアイ・コンタクトが可能と思われます。カバだって三分もすれば息継ぎの「プファー」がありますから、その時にチラッと目が合ってコミュニケーションができたような気分になります。ウサギやヤギはどちらかというと、通じないかもしれません。それに動物の気取りというかポーズもありますね。大型の草食動物でも肉食動物でも、子ども達が絵を描いたり、写真のバックに撮られるとなると、彼らはポーズをとっているのではと、思われる仕草をします。確かではありませんが、そう感じます。動物園で写真教室や絵画教室をしますが、指導に当たられた先生方もそう言っていました。これも不思議なことの一つです。見られるなら、格好よく美しく見られたいということでしょうか。

《動物の目》
▼少し踏み込んで、動物の目の話をします。鳥の目はまん丸。ヘビの目もまん丸。そうです、鳥は爬虫類の子孫だからです。イヌ・ネコ・ウマなどの哺乳類も爬虫類の子孫。ただし鳥は恐竜の生き残りで、鳥類だけを残して絶滅した。哺乳類は爬虫類を先祖とするが、爬虫類とはかなり違う方向に進化した。体に鱗もなく、卵でなく赤ン坊を生んだり、目も切れ長に改造した。瞳孔の形もいろいろになった。ネコのように瞳孔が垂直についていて、光が強いと糸のように細くなり、暗くなるとまん丸になる。それがかわいいという人もあれば、気味悪いという人もいる。脊椎動物は皆こうやって瞳孔の開閉で光の量を調整している。昆虫の場合は瞳孔はなく、光量調節は目の中の色素を移動して行っている。さて次はヤギの目です。瞳孔は細い長方形ですよ。この目をみていると、われわれはヤギが何を考えているのか解らなくなりませんか。まさかパノラマ写真のように、横に長く見えている訳でもないでしょう。▼ここで「猫の目」をもっと観察します。イヌが臭いで世界を見ているのとは違い、ネコは目で世界を見ている。ネコが目を大きく開いてこちらを見ているときは、関心と警戒心を示しており、瞼を半分閉じているときは、こちらを信用しているときである。目のコミュニケーションがこの動物にはある。サル山では、サルの目を見つめてはいけないと、いわれる。ネコもサルも顔が平たく両眼で見ることが出来るので、人間が見つめることには敏感であるからです(ちなみに鳥は相手を見つめるときは片目で睨みます)。そこでネコと仲良くなろうと思ったら、まずネコの目をジッと見つめて、それからゆっくりと目をつぶる。こちらが目をつぶっている間はネコはそれ程警戒しない。目をつぶっている時は攻撃がないと思っているからです。それからゆっくり目を開く。その時ネコも目を開けていたら、もう一度ゆっくり目をつぶる。これを辛抱強く繰り返していると、ネコもゆっくり目をつぶるようになる。こうなったら、ネコとコミュニケーションが成立したと思ってよいです。この分野は皆さんの方が詳しかったかも知れません。

《動物の性格》
▼さて、次は動物の性格を話題にしますが、興味ありますか。イヌとネコが身近でいいですね。この動物たちは観察しても、付き合っても、飽きることがありません。昔のわが生家は家畜で生業をたてていたがイヌやネコも数匹ずついました。ウシは大勢いましたが気が合うのは子牛の時だけで、成牛になると給餌の時しかなつかない。ウマとは話したことありませんが大雪の時は背中に乗せてもらい通学しましたから分かるんですが、こちらの気持は理解しています。いつも下向いて餌を食べているニワトリやブタやヒツジとは話したことはありません。しかしイヌとは目を見ながら話ができる。ネコは通じるけれども通じない面もある。イヌはタレントのように何でもヤルが、ネコは役者のように何かをやってしまう。ただイヌは何でもやるから忙しくて自分を変える暇がない。尻尾はふるわお座りはするわ、お手もする。ネコはこんなこと一切やらない。いったん目を覚ますと何かをやりたいネコだから、ヒトのオカズは取るわ障子は破るわで、自分も周りもまったく変えてしまうんですね。そして雨の日はとことん眠いネコ。片や人の心を読むイヌ。動物と生活するのはいいものです。

《博物誌》
▼さて、ここで二人の作家を紹介します。まずジュール・ルナールです。『博物誌』(新潮文庫)が知られています。「蝶、二つ折りの恋文が、花の番地を探している」の名文句がその中にあります。博物誌という分野も楽しいものです。もう一人は開高健(小説家)です。奥本大三郎『開高健の博物誌』(集英社新書)に詳しいです。魚の話が多いんですが、ネコの部分を抜粋します。「ネコ」は人の生活と感情の核心へ忍び込んでのうのうと昼寝をするが、ときたまうっすらとあける眼はぜったいに妥協していないことを語っている。媚びながらけっして忠誠を誓わず服従しながら独立している。気ままに人の愛情をほしいだけ盗み、味わい終わるとプイとそっぽを向いてふりかえりもしない。爪の先まで野生である。これだけ飼いならされながらこれだけ野獣でありつづけている動物はちょっと類がない。ペリカンのところもチョッといいですよ、「ペリカン」はさびしくて、強健で、不屈である。さて、奥村大三郎は開高健を、彼は本来のナチュラリストではないという。そもそも何か物が好きという子供は、はじめのうちは誰でも機関車やおもちゃやカブトムシ、ザリガニなどと遊んでいるが、やがて機械や「乗り物」が好きな子と「生き物」の好きな子とに分かれる。それがやがて生涯の職業や趣味になるという。物が好きでない子供の場合はいずれ抽象的なものを弄ぶようになる。つまりそれが文学者、思想家、芸術家、政治家に向かうのだろうという訳です。開高健という人は七歳になってから郊外の池や川で遊びますが、やはり元々都会の人で、生まれながらの言葉の人で、物を詳しく見るより、それについての印象を言葉にして頭の中で練り上げる人であったと思われる、とのことです。
▼ネコやイヌの話が続きましたが、これは町を見る視点にも繋がります。ニューヨークやモスクワはイヌの町、パリとリオデジャネイロはまだネコの町だろうと言われています。十勝はどうでしょうか?牛ですか。他にも応用できそうですね。町や人物を、動物に例えるのは、楽しいものです。でも的確だと、怒り出す人もいますから、なるべく陰で楽しむことです。インターネットでは動物占いも盛んなようです。

《鳴声》
▼次は鳥の鳴声の話です。私は、夜の鳥が好きなのです。鳥の鳴き声をバーコードにした本を機械でなぞることも出来ます。フクロウやコノハズクの声を真似て一芸にしてはどうですか。では聞いてみましょう。聞き做しは「フクロウ」が「ボロ着て奉公」、「コノハズク」が「仏法僧」。でもブッポウソウという鳥は別にいて「ゲゲゲ」と鳴くので、間違わずに。フクロウ類は大きな目なのでわずかな光で物を見る能力があり、さらに顔の前に目があるため物を立体的に見ることもできます。そこで音を立てずに近づきネズミなどを捕るのです。夜鳥ばかりでなく昼間の野鳥も真似して、鳥を呼ぶのは楽しいではありませんか。バードコールもやってみる価値はあります。

《動物の不思議》
▼さて、次は「動物の不思議さ」に思い巡らしてみましょう。動物たちが自然淘汰のなかで進化してきたと思っても、なお不思議さが残るものです。▼「クジャク」の羽の目玉は何個あると思いますか。150個です。デジカメ写真をパソコンで番号を振って数えたんです。鳥のオスはどうしてあんなに過剰に派手でなくてはならないのでしょうか。それはですね、鳥類は色識別できるからだと、密かに思っているのですが、皆さんはどう考えますか。▼「フラミンゴ」はなぜピンク色なのか。実は赤い色素の調理済みの飼料を与えて、あのピンク色を維持しているんです。放っておくと色があせます。野生のフラミンゴはカロチンを含む藻を食べています。雛は他の鳥と違い、食道のそ嚢で作られる赤いフラミンゴ・ミルクで育ちます。▼「キリン」は昔の恐竜時代ならいざ知らず、現在の生き物の中で一番背が高い。首の長さが三メートル。高いところの食べ物を取るには都合よいですが、心臓から血を送るのはどう考えても大変であり合理的でありません。足の先だって血の巡りが悪くなりそうですが、動物園でもアフリカのサバンナでもゆったり生きている。動物学者は心臓のポンプが強いだけで不思議でも何でもないと言う。ではキリンの網目の意味はどうか。孫引きになりますが、寺田寅彦(1878-1935、物理学者・随筆家。漱石『三四郎』の野々宮宗八のモデル)があれは乾いた地面にできる割目と同じ模様で、それ自体には何の意味もないが、あの網目模様がキリンの姿をアカシヤの茂みに消し去ってしまうそうです。▼次は「ラクダ」。人間なら何日も水を飲まずにいると血液が濃縮し死んでしまうが、ラクダは長い間水を飲まずに生きる。でも一度オアシスの水にありついたら猛烈に飲み貯めできる。それを胃袋に貯めるのではなく、水分を失った細胞組織に貯えていくのでラクダはみるみる元の太った体に戻る。こちらは神秘的です。付け加えるなら、動物個体は種族維持など考えておらず、自分のためにだけ生きているというのが、一般的な見方ということです。

▼生き物の中では昆虫も不思議です。「チョウの道」の話をします。モンシロチョウなどは花が沢山あるところは急にゆっくりフラフラと飛ぶ。しかも上下左右と目まぐるしい乱舞にパターンはあるのだろうか。ずーっと気になっていました。この直接の回答ではないがチョウの道というのが解りました。チョウは日の当たっている木の葉に沿ってゆっくり飛ぶそうです。でも光や木の葉とだけ関係があるのではなく、温度とも関係ある。春のように気温がそれほど高くないときは、日の当たっている場所を結ぶ線になる。ところが夏になり気温が上がると、こんどは日陰の涼しいところを飛ぶ。道は一定ではなく、季節によって、天候によって、一日の時間によって、そして気温によって、さまざまに変わる。飛ぶ好みの順序は、裸地より草地、草地より木、日陰より日向である。チョウの道は風か何かで決るのではなく、またナワバリでもなく、食物の在り処でもない。「日の当たるチョウの道」を飛びながら、そこで見つけた花のミツを吸い、見つけたメスと交尾し、見つけた草に卵を産む。チョウの生活は随分とゆきあたりばったりなのである。日高敏隆『チョウはなぜ飛ぶか』(岩波書店)から教えていただきました。夏の原っぱに出て確かめたいですね。それと、この話を知っていれば、公園や街路樹のプランづくりに役立つかもしれません。

▼最後に、ご存じ「アリは働き者か」の話をしましょう。アリは一見働き者のように見えまするが、実は最も怠け者の昆虫です。アリの集団の中で働く固体は2割に限られ、あとの8割は完全に怠けている。では働く2割を隔離した場合はどうなるかというと、やはりその中の8割が怠け始める。その怠けている8割の固体を隔離した場合、その中の2割が働き始める。こうなると生物集団の生命維持原理が見えてきます。このことは仕事に就くとよーく分かります。ということで、我々の肉体でもDNAなどは9割以上は重複情報であり、実用性からいえば全く役にたっていないといいますから、怠け者や役立たずの八割の部分にも生物の存在理由が認められることになるということでしょうか。あなたはどちらのグループがいいですか。もちろん怠けグループがいいとは思いますが、若い頃に働いて、老後に楽しくはどうですか。「先憂後楽」ということもあります。と言うことで「生物の多様性」の話もしました。このことが解るだけでも楽しくありませんか。要点2、動物を知ると「自分も解る」でした。

04.(補論)シマウマはなぜ家畜にならなかったのか 
▼つぎは『銃・病原菌・鉄 一万三千年にわたる人類史の謎』(ジャレド・ダイアモンド、草思社)からです。▼動物の家畜化にも「アンナ・カレーニナの原則」がある。家畜化できている動物はどれも似たものだが、家畜化できていない動物はいずれもそれぞれに家畜化できないものである。これはトルストイ(帝政ロシアの小説家)の小説『アンナ・カレーニナ』の書き出しの部分「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」をなぞったものである。さて、いままでに人類が家畜化に成功した動物は大半がユーラシア産の動物で、シマウマやヘソイノシシなどの大型哺乳類は家畜化できそうで、できなかった。アフリカで野生のシマウマが家畜化されなかったのは、アフリカ先住民に原因があったのか、それとも野生のシマウマに原因にあったのかを考えてみましょう。▼由緒ある家畜14種のうち、大型草食哺乳類の家畜で、メジャーな5種は羊、山羊、牛、豚、馬。マイナーな9種はヒトコブラクダ、フタコブラクダ、ラマおよびアルパカ、ロバ、トナカイ、水牛、ヤク、バリ牛、ガヤルで、南米のラマとアルパカ以外は、ほとんどがユーラシア大陸です。▼ユーラシア大陸では野生の馬が家畜化されたのに、アフリカ大陸ではシマウマが家畜化されていない。ユーラシア大陸で家畜化されたメジャーな5種についていえば、サハラ砂漠以南では、これらの動物が伝わってくるや、さまざまな部族がそれらを家畜として飼育しはじめている。こうした事実は土着の哺乳類が家畜化されなかった原因が、その土地の人々の特性にあるのではなく、それらの地域に生息していた哺乳類の側にあることを示唆している。▼人類が動物を家畜化した年代は、考古学的証拠が見つかっているものについていえば、紀元前八千年から紀元前二千五百年頃に集中している。これは最終氷河期後に定住型の農耕牧畜社会が登場してから数千年内のことである。大型哺乳類は、まず羊、山羊、豚が家畜化され、紀元前二千五百年頃に最後にラクダが家畜化された。それ以降、大型哺乳類で家畜化された重要な動物はいない。家畜化可能と思われる148種の大型哺乳類がそのときまで何度となく試され、その結果、少数だけが実際に家畜化され、家畜化に適さない動物だけが残ってしまったからだと思われる。

▼(つづき)シマウマやその他の家畜化できそうで、できなかった動物について考察すると、つぎの六つの理由がある。▼①「餌の問題」。動物は餌として食べる動植物の一割しか血肉とならない。つまり一千ポンド(450キロ)の牛を育てるには一万ポンド(4.5トン)のトウモロコシが必要である。さらに体重一千ポンドの肉食動物を育てるには、十万ポンド(45トン)のトウモロコシで育てた草食動物が10頭(一万ポンド)必要になる。したがって大型肉食獣は家畜化には向いていない。経済効率が悪いですね。▼②「成長速度の問題」。草食性で、比較的何でも食べ、肉もたくさんとれるのに、ゴリラやゾウが家畜化されないのは、成長に時間がかかりすぎるからである。一人前の大きさになるまで15年も待たなくてはならない動物は飼育できない。▼③「繁殖上の問題」。例えばビクーニャはアンデスの野生のラクダで、その毛は動物の中では最も上質で軽く珍重されている。古代インカ人は、この野生のビクーニャを囲い込んで毛刈りした後は放していた。この動物の雄は別の雄と一緒にされることを嫌う。ビクーニャには年間を通じて、食料をとるナワバリと寝るナワバリとが別々でなければならないことから、繁殖させる試みは成功していない。また、シカやレイヨウの多くは、繁殖期になるとなわばりを主張し、他の個体が自分のなわばりに入ることを極端に嫌う。アフリカ大陸の動物として知られているレイヨウが家畜化されなかった理由はここにある。繁殖期になると群れから離れて自分のなわばりをつくり、雄同士で激しく戦うため、囲いの中で飼うことはできない。▼④「気性の問題」。気性が家畜化に向いていないのが、アフリカに生息している四種類のシマウマである。彼らを荷車につなぐことができたというのが、家畜化の試みにおいてもっとも成功した例である。しかし、シマウマは歳をとるにつれ、どうしようもなく気性が荒くなり危険になる。いったん人に噛みついたら絶対に離さないという不快な習性がある。また、シマウマを投げ縄で捕まえることは不可能に近い。投げ縄が飛んでくると、ひょいと頭を下げてよけてしまうのだ。つまりシマウマに鞍をつけることが無理なのである。南アフリカで熱心に試みられたシマウマの家畜化も、しだいに関心がうすれていった。最初は見込みがあると思われたワピチやエランドも、彼らが大型で危険な動物であり、いつ攻撃的な行動に出るのか予測がつかない動物だったことが影響している。▼⑤「パニックになりやすい性格の問題」。大型の草食性哺乳類は、捕食者や人間に対してそれぞれ異なる反応を示す。動きは素早いのだが、神経質でびくびくしていて、危険を感じるや一目散に駆けはじめるものもいれば、さほど神経質ではなく、動きものんびりしていて、危険を感じたら群れをつくり、それが去るまでじっとしているものもいる。シカやレイヨウの仲間の草食性哺乳類の大半は、トナカイを例外として前者のタイプであり、羊や山羊は後者のタイプである。神経質なタイプの動物の飼育はむずかしい。彼らは囲いの中に入れられるとパニック状態におちいり、ショック死してしまうか、逃げたい一心で死ぬまで柵に体当たりを繰り返す。▼⑥「序列性のある集団を形成しない問題」。実際に家畜化された大型哺乳類は、どの種類も次の三つの社会性を共有している。群れをつくって集団で暮らす。集団内の固体の序列がはっきりしている。群れごとのなわばりを持たず、複数の群れが生活環境を一部重複しながら共有している。シカやレイヨウのように群れをつくって暮らす動物の多くは、はっきりした序列を集団内で持っておらず、リーダーを本能的に刷り込み記憶する習性がない。したがって、人間を群れのリーダーとして刷り込み記憶するようなこともない。▼野生哺乳類のうち、ほんのわずかの動物だけがこうした問題をすべてクリアでき、家畜となって人間といい関係を持つにいたったのである。トルストイは、マタイの福音書二十二章十四節の「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」という言葉を引いているようですが、そういうことです。

05.(補論)動物たちの自己治療 
▼つぎは、「動物たちは植物を食べて自己治療している」話です。食事療法ですね。『動物たちの自然健康法』(シンディ・エンジェル、羽田節子訳・紀伊国屋書店)から引きます。▼動物は生きていくのに必要な化学物質をつくれないので、植物に依存することになる。緑色植物は日光、大気、土壌中の水から、炭水化物、タンパク質、脂質、ホルモン、ビタミン、酵素など、成長や傷の治癒、繁殖に必要なものをつくりだす。この薬理のはたらきのほかに、草食の動物などの捕食から身を守るための毒性もつくる。▼キリンがアカシアを食べると揮発性の物質を発散する。近隣のアカシアはそれを感知し、自分の葉にも渋いタンニンを送りこむ。味がまずくなると、キリンは次を探して遠く移動する。植物は保身のため、さまざまな化学物質をつくる。リンゴの場合だと153種類の化学物質を含み、そのうち67種類に薬効が認められている。▼次は、タンザニアのセレンゲティ平原の話。子連れのヌーの群れは、土や植物にふくまれるミネラルをもとめて、北部から南部の平原に移動し、火山の麓に育つ草を食べる。この火山灰地には、乳の分泌に欠かせないカルシウムと燐酸が豊富。▼さて、ナトリウムはあらゆる陸生動物にとって貴重である。これは尿や汗として失われるので、たえず補充しなくてはならない。それは人間にとっても重要で、ローマの兵士は給料を塩で支払われていた。「サラリー」はラテン語の塩を指す「サラリウム」。草食動物は塩への渇望が強く、それを手に入れるためなら死の危険をもいとわない。猟師たちは獲物をおびきだすために塩の塊を利用してきた。▼動物の食餌は、そのときの気分で選んでいるのだが、自然淘汰は、それなりの感覚を養ってきた。つまり、エネルギー豊かな食物であることをうかがわせる甘い味を好み、毒性を感じさせる苦い味を嫌い、大事なミネラルであるナトリウムの存在をほのめかす塩味をおいしく感じる動物が生き残ってきた。▼動物は動物にではなく、植物に依存してきたことを、つい忘れてしまう。

▼つぎは、「土を食べて毒を消す動物たち」の話です。▼ネコが草を食べ嘔吐するのは知られている。動物が毒を処理するもう一つの方法が、「土食」である。これは草食動物に多くみられる。植物の二次化合物の解毒や、新陳代謝でナトリウムを失うため、ナトリウムをふくむ土を食べて補充する。粘土は昔から料理でも伝統薬でも、解毒作用のある材料として使われてきた。古代文明でも現代でも、粘土は毒を含む食物にまぜて食べてきたし、アメリカ先住民は、昔からタンニンたっぷりのドングリに粘土をまぜてパン用の粉をつくってきた。▼タンザニアの野生チンパンジーは、シロアリの蟻塚の土を口に放り込むし、崖面や河岸にあらわれた下層の土をすくいとるが、キリン、ゾウ、サル、サイなども同じように利用している。これは薬剤師が人間の胃腸障害用に買いつける粘土と同じ種類である。ただし、表土は寄生虫の卵、有害なバクテリア、重金属などで汚染されているので、古い下層土の方が、有害物質がすくない。いろいろな動物が利用する蟻塚の土は、シロアリが地表にもちあげた下層土である。主成分はカオリンで、胃腸障害の特効薬でもある。▼野生動物は、山火事や落雷のあとの、こげた炭に集まる。ミツバチまで焼け跡に群がる。これも消化器の障害を直すためのものらしい。「炭食」は、アメリカ先住民が炭を砕いて水に混ぜて飲んだり、先史時代のネアンデルタール人も炭を食べていたことが、糞の化石からわかっている。かたや家畜や動物園動物には土を与えることはめったにないから、慢性胃腸炎になりやすい。▼人間の私たちも、嘔吐と下痢という中毒にたいする効果的な反応を、投薬によって抑えない方がいいのかもしれない。それに、炭のドリンクや粘土の錠剤、ミネラルウォーターを、自然からの薬としていただくのは、人間も動物も同じ。ともかく、世界中の救急箱に粘土の錠剤を備えることは容易である。
▼つぎは、動物たちが病気になった場合の話です。▼病気になった動物は奥まったところに引っ込み、回復するまで断食する。人の場合でも、伝統医学の薬草医は、絶食は病気に対する自然な、意味のある反応だと考える。感染した身体は、病原菌が必要とする鉄分を減らそうとする。それが断食である。だから病気の動物や患者にむりやり食べさせることは逆効果であり、病気を長引かせることになる。▼動物は痛みを隠す。ウマは激しい痛みにみまわれても、ほんのちょっと姿勢を変えることでしか苦痛をあらわさない。鼻にちょっと皺をよせるか、まぶたを下げるだけである。負傷したキツネは鳴き声をあげることもなく、追手のハンターから逃げつづける。歯に痛い膿瘍ができたイヌもやはりじっとしたままである。このように痛みを表に出さないため、私たちは痛みを感じていないと受け取りやすい。しかし怪我をしたり病気をしたりした動物は、捕食者に気づかれないようにそれを隠す。生き延びるためには、元気であるだけでなく、元気そうに見えなくてはならない。飼われている動物でも、合併症で死ぬまで飼育係や獣医に気づかれないほどうまく隠し通すことがよくある。鳥は傷を隠すのがとりわけ巧妙で、前触れもなく死んでいるのに、飼育係がびっくりすることが多い。▼唾液の効能。イヌが熱心に傷口をなめると、その傷口は清潔になり細菌感染がおこらないことが知られている。イヌの唾液にはブドウ球菌、大腸菌、連鎖球菌などの細菌を殺すことのできる抗菌物質が含まれている。▼ということで、哺乳類の唾液はもっとも身近な消毒剤となる。ベロベロ薬です。

▼つぎは、ゾウの話です。▼アフリカやアジアのゾウたちは、傷口に泥をのせたり、自分の背中に泥を吹きかけたりして、傷口の殺菌をしている。動物たちは、病気の仲間の世話をするが、とりわけ看護上手なのはゾウである。ゾウたちはお互いに刺さっている槍や矢を抜きあい、立ち上がるのを手伝い、密猟者の急襲にあうとお互いに救助しあうことすらある。▼砂浴びは、鳥がよくやる。砂地にうずくまって羽毛と皮膚に土砂をふりいれて砂浴びをする。砂は余分な羽毛の脂肪をぬぐい、皮膚の表面を乾かして、細菌がすみにくい状態にする。土の粒子は、寄生虫の外骨格を壊す。哺乳類のなかでも、ゾウは砂浴びが大好きである。▼動物は独りになって死ぬといわれる。自分の運命を知っているのかも知れません。ネコの飼い主は、愛猫が知らぬ間に姿を消し、屍体を遺さないので弔ってやることもできないと嘆く。死を目前にしたゾウの場合は、群れからはなれてゾウの墓場に行くという説が主流です。しかし、長年野外研究がされてきたにもかかわらず、ゾウの墓場に行くところを見た者はいない。ただ、アフリカの平原の一か所にたくさんのゾウの骨が散らばっていたり、積み重なっているところがある。そこは、木陰や水が近くにあって柔らかく消化のいい植物が生えた場所である。これがほんとうなら、ゾウはいわゆる墓場に、死ぬためではなく生きようとして行くことになります。▼ゾウはゾウの死骸を見かけたら埋葬する。枝や砂をかける。それは、ハエがむらがり感染症をひろげないためといわれる。人間の目からは、弔いの行為にみえますが、それにつけてても、ゾウの生涯に自分を重ねてみたくなりませんか。

▼つぎは、「私たち人類は何を食べてきたか」という話です。▼旧石器時代の人たちは、野生のチンパンジーやゴリラと同じようなものを食べていた。新鮮な果物と水、種子、葉、昆虫、脂肪の少ない野生動物の肉などである。1年間100種類から300種類を食べていたと推定される。現代では健康を意識している人であっても、20殻あるいは30種類以上の植物を食べる人はいないだろう。多様な植物の摂取からは、ビタミンやミネラルだけでなく、予防薬や治療薬のもととなる植物性二次化合物を得ることができる。私たちの体は数百万年にわたって、アフリカの平原で小さな群れをつくって狩猟採取生活をするようにつくられてきた。私たちの遺伝子も、狩猟採取時代の食事をベースに進化してきた。進化と適応は続いているが、狩猟採取民で少なくとも10万世代、農業に依存するようになってからは500世代で、産業革命後は10世代にすぎず、調理済みのファーストフードで育ったのは2世代。もしかすると私たちの体はこの急激な変化に適応してないのではないか。現代病の多くは、私たちの体が進化しきれず、現代の食事および環境との落差から生じているとも言えます。▼今日の栽培作物は、世界の食物の75%がわずか12種と、少ない品目になってしまった。くわえて工業製品ともいわれる加工食物は、栄養価でも薬効面でも質が落ちて、エネルギーとタンパク質しか得られない。▼アフリカのマサイ族は、唯一のタンパク源として牛や山羊の肉を食べ、その血液とミルクを飲んでいるが、西欧人より心臓病が少ない。それには訳がある。動物性食品を摂るときにはかならず苦い抗酸化性の薬草をまぜる。肉のスープには28種類、ミルクには12種類もの薬草をくわえる。マサイ族は、酸化化合物と抗酸化化合物をバランスよく摂取しているのです。▼野生動物たちは、何百万年にもわたる自然淘汰のすえに、健康維持の仕方を身につけてきたということと同じく、私たちもいろんな野草(野菜)を欲しているはずです。野菜・薬草の一坪畑をつくるのもいいでしょう。お互いに交換すれば種類が増えます。

06.学び遊ぶ・図書館 
▼次の停車駅は図書館です。皆さん、図書館はどうも足が向かない。と感じていませんか? あの教訓師・相田みつお(よくトイレの暦に掛っている)言っていますよ。本心、本気、本腰、本物、本願、本の字のつくものはいい。さて、その本のことなら図書館です。帯広市図書館の場合、本のコレクションは40万冊。いまは十勝圏の130万冊がネット化され動いています。大学図書館で50万冊あればかなり充実していると言われますから、それと比較しても遜色ありません。ただ、各町村の本の傾向が似ていて、差し引くと実質ダウンします。でも、もし町村で集める本を分担していくことが出来ればということで、広域図書館ネットワークへの期待が高まっています。▼さて、図書館には一般図書以外にも、自宅の書斎では収納しきれない美術本、写真集、絵本などの変形・大型・重量本も備えられています。蔵書構成は文芸が圧倒し、社会科学、芸術、自然科学と続きますが、各分野の基本図書といいますか、基本になる人達の本を揃えないと、一人前の図書館とはいえません。哲学・歴史・社会科学・自然科学・産業・芸術・語学・文学、それに今だと、環境や町づくりの分野も大事ですね。それぞれの分野の基本図書で五万冊位づつ揃えることが、ライブラリー・ミニマムと踏んでいます。それだけあればまず、第一次資料としては耐えられます。それも地域の皆で選んだらいいですね。選書の目を養うんです。選び取るという作業が、情報蓄積にもつながりますから、一挙両得です。

▼さて、図書館を支えている人達は、「司書」という本を扱うプロたちです。40万冊の本の整理や新しい本の購入、子どもの宿題の問合せ、おばあちゃんの話し相手としてのコミュニケーション(予め知っていることを問合せている人もいる)、道立・国立図書館への照会、レファレンスの対応など、日常業務は多岐にわたり、多忙を極めています。しかし、動物園のように、ちょっと図々しく尋ねてみよう。この本はどこにある、こんな本を読みたい、こんなテーマに関する資料はないか。経験を積んでいますから、大体の見当はつきます。これはあの図書館、これはあの大学、この研究所とかね。だから、調べるときのフレンドとして付き合ってもらったいい。海外資料だって時間をかければ可能です。小さくたたけば小さく響き、大きくたたけば大きく響く「西郷隆盛」のような人達です。司書は優しいお姉さん方がほとんどですが、西郷さんのような体形ということではありませんからね、誤解しないで下さい。あっ、それに、皆さんは一方ではインターネットで調べる方法はもう日常ですよね。これはいろんな補足情報がとれるので、ハードコピーせず、CD‐ROMなどに貯めておき、テーマが終わるまで使うといいですね。こちらのパソコン利用も今となっては大事な道具です。

▼ところで、皆さんは自分で本を買って読みますか? 本屋さんにも図書館にも欲しい本がないことが多いですね。本屋さんに言わせると、店頭陳列期間は三か月で、代理店が主導権を握り書店の自由にはならない。注文しても元締めの代理店から「版元品切れ再版予定不明」と回答があっても、実際には出版社の倉庫に死蔵されていることが珍しくないと言われています。かたや本を書く立場の側からは、林望が文藝春秋01年12月号で「図書館は無料貸本屋か」と問うている。図書館で借りたり、知人から借覧した書物のことは、もうみな忘れてしまった。そんなものなのだ。一夕ビールを呷るなら「本は買って読め」です。書斎派は図書館を頼りにしていませんね。▼ただ、林望はこうも言っている。図書館は同じ流行本を何冊も何十冊も所蔵するものではない。娯楽本は自分で買って読むというのが当たり前。図書館は次第に無料貸本屋の様相だとしたら、館員は納税者たる市民に顔向けできるのだろうか。ですから重複本を制限し別の本を揃え、どんな要望にでも応えられる多面的重層的な蔵書とすべき。全国の公共図書館二千六百館が地道な良書を選書するとしたら、それだけで二千六百部の有効需要が生まれ、流行本の陰で書店からすぐ姿を消す小部数発行本が救われる。図書館が、出版界の衰退を助長し、良書の普及を妨げ、著作権の無料使用をさせているだけの「タダ読み館」だとしたら、これは何とかしなければなりません。図書館にも大きな課題が横たわっています。

▼最後は、図書館のもう一つの顔である「郷土資料室」の話です。少しだけ、地域の歴史を勉強しましょう。1800年伊能忠敬がトカチ沿海を測量調査。1891(明治24)年、十勝最初の地域計画である殖民区画を設定。1893(明治26)年、帯広最初の都市計画である市街地区画を設定。▼この都市設計の特徴は、斜めに幅12間の火防線という防火道路が設けられていること、また斜路の交差地に数ヵ所の広場を設けており、これは他の都市に類例がない。単調な都市形態と景観をうちやぶる設計となっている。またこの斜路と広場の組合せデザインは、大正時代に鉄道の南市街地へ継承されている。1944(昭和19)年には全市の街路網が都市計画決定される。これが帯広の近代都市計画としての最初のプランである。札幌のような公園系統の考えはなく、19世紀の古典的な都市計画の再現といってよい。戦争末期にこのような都市計画が実際に決定されていた事実は驚きます。これは図書館が所蔵していた古い地図から判明したことです。この土地での出来ごとを集めていますから、文芸はもとより、写真、新聞、年鑑、出版物、社史などが、本棚にびっしりとあり、地域の歴史を知ることも出来るし、地域の歩みの広がりやその厚みに、驚くはずです。地域の大事な資料を保管するも図書館の存在理由の一つという話でした。要点3、「調べで困ったら図書館」です。

▼ところで、調べる時は、発想をいくつも持ちながら、やることが良いようです。3+5=8だと答えは一つ。8がどんな数字の組み合わせかというと、それは答えが多様ですね。組合せをあれこれと考えるのが、調べ方のコツだと常々思います。

07.学び遊ぶ・博物館 
▼さて次は、博物館です。博物館は生きていない死んだ展示資料の館と思っていませんか。でもそれは現代に生き延びた資料たちなのです。帯広百年記念館のコレクションは、40万点です。考古38万点、美術450点、植物動物15000点、生活4000点で、いま盛んにパソコンにデータを入力しています。この博物館を支えているのは、学芸員です。考古・民俗・歴史・アイヌ文化・生活民具・生物などの専門の担当者がいます。その他に市民ボランティアがいますから、裾野は人材の分だけ限りなく広いことになります。▼ここでも、調べるためには「学芸員」との付き合い方を知っておいた方がいいでしょう。何でも訊ねれば徹底して調べ対応する人達が学芸員です。博物館の展示室では、ボタンを押しまくり、解説の紙を集める人も多いです。でも理解がその場限りで、わかったような気にはなるのですが、一つもの足りませんよね。その時こそ、博物館の人に聞くのがコツ。電話・ファックス・メールだっていいのです。直接訪問なら、徹底して時間を惜しまず付き合ってくれます。展示はホンの一部で奥にたくさんの資料があり、もしかしたら、見せてもらえるかも知れません。ハンズオンもできるかも知れません。

▼これからの帯広百年記念館は、百年に拘らない「十勝二万年館」のような内容と名称に変わる時期が来るでしょう。これからの記念館の魅力はなんといっても人です。研究も館内外の活動も広報もこなすサービス力のある人材が求められます。記念館の主な五分野は、民族歴史、考古、動植物、民俗生活、美術で、それを学芸員と市民ボランティアとの協力で増幅させています。さらに五分野のデータを集めた「歴史情報館」や市民参加の「五分野地域講座」をより広げ深め、一方では図書館・大学などとのネットワークづくりをしながら、地域のもう一つの学校としての役割を果たすことも大事な課題です。

▼さて、十勝の歴史をさらっと知っておきましょう。北海道は考古学から見ても、縄文・続縄文・擦文・アイヌという2万年の狩猟時代のみで、日本史で大きく扱われる弥生や中世はまったくない歴史特性を持ちます。しかも北海道は、明治以降に本州からの新住民が集まり、日本の伝統様式に無頓着な形で、一世紀の間に一気に地域形成をした。その意味で、この地域は本州(日本)の歴史の発展段階を踏まず「超加速社会」であった。文化・産業面でも隙間だらけの無頓着文化産業といえる。経済的にはもう親というべき国からの仕送りは細ってきましたから、一人立ちのグランド・デザインを描いておかなければならない。公共事業優先の20世紀だったので、公共の地域装備はかなり進みましたが、なんといっても個人装備は充実していない。アメリカ社会は五人に一人はクラフトマンであるといいます。家一軒を作ってしまう。この地域は人口集積からしてもアラスカの人口希薄地帯でありますから、一人一芸を超えて一人が二役も三役もこなさなければ多様な社会は作れません。そのためにはバレーセクション(地形・地理に沿った形での生活・生産形態を見直す~イギリスの社会学者ゲデス提唱)でのコミュニティ・プロダクツを創り出すことが大事とおもわれます。一村一品どころか一村多品、一人多芸をめざす。そこに都市と農村の、つまり北海道・十勝の百年のフロンティアと二万年の狩猟時代を結びつける歴史的課題と展望があります。そのためには、「野生、自立、連携」がこれからの人達にとって必要な資質となります。

▼百年目を迎えた十勝の開拓者たちは、次のような特徴を持っていると言われます。第一に、自然環境が豊かなこともあって、「野性的」である。大きな筏を作って川下りを楽しむ。凍った湖の上に氷の家を作って住む。そういう野性的な遊びを次々考え出している。第二に、十勝の開拓を始めた人たちが福沢諭吉の門下生だったこともあって、独立自尊、あるいは「自立」の気風が強い。気持ちだけそうなのではなく、自分の手足を使って何でもやってしまう実学派の独立人である。岩波文庫の「フランクリン自伝」で知られるベンジャミン・フランクリンのような人間だと考えてよい。第三に、歴史の浅い開拓地だけに一人で出来ることには限りがあるので、「連係」プレイがうまい。このように「野生・自立・連携」という三つ気質が、十勝の開拓者たちから受け継いでいるものである。これは21世紀の十勝人にも日本人にも必要な性質でしょう。

▼何かを探したいなら、地域の宝物探しでも、自分探しでも、何かを感じたくなったら、博物館に足を運んでみて下さい。2万年の歴史巡ると、必ず得る物がありますから、それを大事にして自分の中に育てることです。要点4、「地域を知り、地域を創る」です。

08.もう一つの学校 
さて、一通り、動物園・図書館・博物館の三つの駅に各駅停車してきました。学習社会はスクールを出発点としますが、ギリシア語のスコーレに相当し、余暇までの広い意味を含みます。この学習社会メニューとしては、他に美術やスポーツの分野がありますが、今回は割愛です。さて、今までの話で10万時間を過ごすヒントはありましたか? 新聞にも一面の広告で百項目はあるかと思われるカルチャー講座がありますね。あれも一つの手がかりです。ですから民間カルチャー講座とは違い、「地域文化のストック」を考えているのがこの三つの公共の文化施設なのです。皆さんの自由なテーマを持ち込んで、付き合ってくれるのは、これらの施設しかありません。だから市民が拠り所とし、また市民を大事にする理由がここにあります。皆さんが旅で、どの町に行っても、どこの国に行っても、地域を語る施設として案内されるのは、この三つのミュージアムです。他の地域と比較する。この比較文化こそ、独りよがりでない自分の位置を確かめる作業になります。もう一つの学校の役割を理解していただけましたか。ガッテンですか。簡単に言えば動物の学校、本の学校、歴史の学校、人生を楽しむための学校の充実です。市民文化が盛んなところは、外れなくこれらの施設も充実しています。国内でも外国でも、旅の後は皆そう言います。

▼さて、三つの施設の特徴をもう一度比較しておきましょう。何かの参考になるかもしれません。
区分
Education教育
Study研究
Enjoy楽しみ
備考
動物園

×

飼育技術員
博物館


×
学芸員
図書館



司書

▼これらの文化施設は、皆さんの「調べる、発見する、深め拡大する」などをお手伝いしますが、これらの施設の専門家は、情報提供好きというか、いわゆる説明好きの人が多いので、情報を受信する人は一時的満足に陥りやすいとも言えます。ですから、自分で更に踏み込んで探検というか、そういったワールドに入り込まないと楽しくならないことを付け加えておきます。そして、何か一つを徹底して調べる、まとめる、発表するのもいいですね。手段としてはHPに載せるのもいいですね。一つ始めると、いろんな話が舞い込み、励みになります。始めさえすれば上手く循環する法則がありそうです。生物の多様性を学び、さまざな書物で調べ、地域の歴史遺産から学び、発信するのは楽しい作業となるはずです。

《ちょっぴり歴史1》
▼それでは、ここで皆さんが今まで学校で何度も学習してきた、歴史と現在の問題整理に付き合って下さい。このことを共通にしておくと、いろんな人や出来事との認識のズレ少なくなります。▼まずは、日本列島一万年史を一分で語ると、こうなります。字数は3百字くらいです。一万年前に溯ると、日本人はこの国土で縄文という山岳地帯を中心にした焼畑農業で高い文化水準をもっていた。それが三千年前ぐらいから稲作技術の弥生文化が入ってきて、生活のスタイルや考え方も変化し、日本人に同化してきた。さらに三世紀から十世紀(平安時代)ぐらいまで、中国とか朝鮮半島の文化を取り入れて科学技術を伴って日本の生活が変わってきた。十世紀は、外国からの交流を断ち切って日本独自の文化をつくり、十六世紀(室町時代)になると国際的な交流や国内の激しい開発があって、激動の歴史であった。江戸になると、今度は日本文化を独自に育て、停滞していると言われるけれども、その地域なりの文化をつくる時代が来た。まちづくりは江戸時代にも当然あった。その後、明治以降はドイツの制度とイギリス・アメリカの科学技術と商業を中心とするスタイルが日本に入ってきて、日本が変わっていくと言う具合です。

《ちょっぴり歴史2》
▼さて、この日本列島一万年後の尻尾の一世紀に注目したいのです。20世紀の変化です。この1世紀で人口が3倍、都市人口が10倍。20世紀には極東の島国だった国が世界の10%経済を維持する国にのし上がった。戦争も沢山あった。日清・日露に始まり最後には原爆まで落ちてしまうという1世紀は、日本の歴史に二度とないだろう。20世紀初頭に75%を占めていた第1次産業は20世紀末には7.5%以下になる。聖徳太子が律令国家をつくって以来、20世紀まで70~80%を維持してきた1次産業が突然7.5%になるということは容易ならざること。子供の産み方も20世紀初頭9~10人だったのが、20世紀末は0~1人。20世紀初頭に42歳だった平均寿命が20世紀末には80歳になる。1世紀間に寿命が2倍になることも脅威。前世紀には金持ちや権力者の子供くらいしか中等教育を受けなかったのが、今ではほぼ全員が高等学校にいき、大学にも40%近くが行く。江戸は2百万人だったのが、千葉・埼玉・神奈川を含めた首都圏は2千5百万人の機関車となり日本を引っ張ってきた。20世紀初頭の横浜・神戸は漁村であり、札幌は人の住めるところではなかった。これを線で表すと、横の時間軸、縦に社会変化をとると、グラフが右端だけ垂直に立ち上がるほど、激しい世紀でした。
《ちょっぴり歴史3》
▼その今の日本と言えば、ほんとに「何もかも」、右を向いても左を向いても何もいいことはない。しかし、天を仰げば月が照り、地には虫が鳴き紅葉が燃える。四季のある島国は台風の通路になったり、崖が崩れたり、雨が雪がと大変だ。季節の移りのたびにカゼも流行る。しかし日本人はこの国の自然をこよなく愛してきた。鎖国を解いてからは諸外国の文化をどっと取り入れて、それを日本流に器用にこなして独自の文化を築き、優れた人材も輩出してきた。政治の愚や侵略戦争の過ちも犯したが、とにかくここ半世紀は戦争がない。何もいいことが無いが、いい国だ。という人もいますが、あなたはどう思いますか? ここをこれからどう考えるかなのです。「これまで」の歴史と「これから」の可能性のために、あえて話しました。

09.自由時間の三種目 
▼さあて、終着駅です。その前に、忘れないうちに言っておきたいことは、人から学ぶ時の、大事な約束事があります。相手の話を「ふむふむ、なるほど、それで、それから」と続けて、相手を倒さずに続けることです。これは、なだいなだ氏(医師・小説家)から教わった『絡み学入門』(角川書店)の極意です。使ってみて下さい。それにもう一つあります。それは「動かない」ことです。じっとしていると相手や事柄が向こうから語ってくれます。鳥などのウォッチングでもこちらが動いてはだめです。相手が動くまで待つのです。でも焦れて遂にこちらが先に動いてしまいますね。これは歳を取らないと難しいかもしれませんから、人生の後半にでも試して下さい。

▼これからは、学校教育に頼らず、「自分で」ですよ、自分の経験から学び、状況にポジティブに対処していくことのできる人間でないと、まずい訳です。実践的で実務的な学び方は画一的な「横並び教育」では身につきません。世間に通用するレベルかどうかは、成長のステップ毎に他人の目によるアセスメントが必要です。これが「発表」です。世に問うということです。「発表なくして成長なし」です。方法は先ほどのHPもありますが、仲間同士の伝え合いもありますし、レポートで認めておく方法、もっとグループ志向したければ、研究会、同好会などを作る手もあります。▼そこまでしなくても、私やあなた方がいきなりプロの領域を目指さなくとも、先ずは趣味とか素人の領域でもいいと思います。とりあえず、気に入ったことを楽しんだ後、他の分野に進んでも、それは選択段階ですからいい訳です。ただ、このことは覚えておきたいことです。三つ子の魂百までなどと言いますが、たとえば前の国連難民高等弁務官であのアフガンで活躍している当時75歳を過ぎた緒方貞子先生がいましたね(今はもう八十何歳でしょうか)。彼女のテニス歴は半世紀以上にわたるが、いまでも激務のあいだに時間を見つけてはテニスをなさっていたそうです。たまには緒方杯というテニス大会をしますが、いつも優勝してしまうのは緒方先生という事です。幼少のときに叩き込まれた基本は一生もの、なのですね。だから子どもの頃なら、一番いいのですが、でなければ、それぞれの段階で自分に光るものが見つかったときには、しっかりとそれを磨くことです。いつから始めても10万時間は約束されている訳ですから楽観して下さい。上手ければ上手いほど面白くなるのが「学び」であり、広い意味での「遊び」です。おもしろく遊ぶことができれば、人生も自動的に楽しくなり、周りの人たちも集まってきます。

▼次は、「発信なくして受信なし」の話です。情報はギブアンドテイクです。仲間や友達関係も同じですね。メールだって出さなきゃ返事はありません。送信機がこわれた受信機だけの人間では、いい話やいい事が舞い込んできません。しかも個性を持たない人は国際社会では尊敬されないのです。多くの日本人には意外と思われていますが、世界では、度胸、愛嬌、機転、馬力といった性格と、表現力がものをいうようです。また、横並びの心理ではなく、他と意見や行動を異にしても気にしない習慣を身につけたいですね。私は歳のせいか、どうせ人間、有能か無能かなんて紙一重、この世で決定的な差は上機嫌の人か不機嫌な人か、だけではないかと、いう気のすることがよくあります。欠点があっても一つ目玉商品がある人の方が伸びやすいこともある。友達選びでも、良い所悪い所の差引きで、プラスならいい友達として付合っていいのではなかと思います。

▼さて、もしも話ですが、私がもう一度人生を繰り返せるならと仮定したら、三つしたいと思うことがあります。「語学」を一つ完全にものにしておく、何か一つの「スポーツ」で卓越する、「楽器」を一つマスターしますね。語学とスポーツと音楽に秀でていると、どんな職業につき、どんな所で暮らしていても「得意淡然、失意泰然」という心境になれるような気がします。調子のいい時はあっさりとした気分で、落ち込んでる時は動じないということです。これは、松山幸雄『勉縮のすすめ』(朝日文庫)で読めます。

▼要は、自分を知り、住んでいる地域も知る。自分をデザインし、住んでいる地域もデザインする。この基本形ができればいい訳です。何はともあれ気に入ったことを仕事の合間や勉強の合間にやってみる。やってみたい事であっても、面白くなかったら、それは止める、才能がなかったのです。面白く感じれば伸びます、伸びれば面白くなるのが、遊びと同じ意味で学びと言うことだと思います。私もあなた方も、人生24時間の連続です。「24時間の中で出来ないことは一生かかっても出来る訳がありません」。ということで、要点5、1日24時間の中でやる。これが最後のまとめです。

今日は、これで終わります。「町を使おう」というテーマでした。

10.資料編 
▼写真資料/ライオン、シマウマ、梟、象、カバ、猫、山羊、孔雀、フラミンゴ、キリン、ラクダ、蝶、蟻の13点。
▼書籍資料/ルナール『博物誌』、奥本大三郎『開高健の博物誌』、竹田津実『食べられるシマウマの正義、食べるライオンの正義』。
▼AV資料/『声で聞く野鳥図鑑』(フクロウとコノハズクの鳴き比べ)。

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