2010年3月28日日曜日

自治体学入門 (MA-10)

10.自治体学入門
内容
Ⅰ 自治... 1
01.自治体学の誕生・特徴・課題... 1
02.市民にとって自治体とは何か... 2
03.自治体の成立と必然性... 4
Ⅱ 歴史... 6
04.戦前-中央集権と自治体... 6
05.戦後-民主主義国家と自治体... 6
Ⅲ 政策... 7
06.中央政府の限界... 7
07.政策形成主体としての自治体... 8
08.政策の課題と手段... 9
Ⅳ 経営... 10
09.地域経営と組織経営... 10
10.財務と運営... 11
Ⅴ 主体... 14
11.市民と市民組織... 14
12.首長、職員、専門家... 15
13.議会と市民投票... 16
Ⅵ 展望... 17
14.地方分権から地域主権へ... 17
15.資料編... 18


▼この分野での一人者である田村明(地域政策プランナー、法政大学名誉教授、「まちづくり」と「自治体学」という名を広めた)さんから教わります。かれの『自治体学入門』(岩波テキストブックス)から抜粋してお伝えします。これは大学の地域政策論などの講義にテキストとして使われているようです。如是我聞。

Ⅰ 自治 
01.自治体学の誕生・特徴・課題 
▼「自治体学」は自治体を市民による身近な政府として捉えることから始まる。学者・研究者だけが研究する従来の学問の枠に閉じ籠らず、市民や自治体職員の立場からも考えてゆく実践的な学です。
▼自治体学への始動。1995年の「地方分権推進法」から具体化し、1999年に475の関係法を改正する「地方分権一括法」が成立し、翌2000年4月から施行された。その一連の動きにみるように、自治体が力をつけ「自治体学」を求める方向に進んできた。▼自治体に関する研究や書物がとくに多くなったのは、第二次大戦後である。それは新憲法に「地方自治」のⅠ章が加わり、「地方自治の本旨」に基づき新しく地方自治法が制定され、自治体は戦前とは違うまったく新しいものに生まれ変わったからである。
▼しかしまだ呼び名は「地方公共団体」。その地方自治法では「自治体」とはいわずに「地方公共団体」という言葉が用いられている。中央政府は、自治体とは認めず下部機関という扱いで、実際にも「機関委任事務」という制度もありましたから、各省庁の出先機関としての役割が強かったし、自治体側も、中央政府を「本省」と疑問なく呼んでいた。▼しかし、1960年代になると、その考え方も見直しが始まり、「地方公共団体」や「地方自治体」という用語ではなく、自治体の自立性や主体性をハッキリさせる「自治体」という名を用いる動きが強くなってきた。▼正面から自治体学という用語を使ったのは、1978年に横浜で開かれた「第一回地方の時代シンポジウム」での、長洲一二神奈川県知事が初めてであった。知事は「地方の時代」と「自治体学」を提起した。そのころ国では、大平首相が「田園都市国家構想」を提出していました。実質執筆者は下河辺淳(国土庁事務次官、国土計画のドンと呼ばれる)さんです。▼「自治体学」および「自治体学会」が設立されるのは、知事提唱から9年後の1987年です。▼自治体学の課題。松下圭一氏は自治体学の問題領域として、①理論研究(自治体とは何か)、②実証的研究(自治体の実態分析)、③政策的研究(自治体改革の総合的手法、自治体施策の個別的手法)の三つを挙げ、なかでも「政策研究」が期待される分野であるとしている。

02.市民にとって自治体とは何か 
▼住民は自治体をどうみているか/住民は自治体をどのように考え、自治体とどのように付き合っているのだろうか。もっと突っ込んで考えれば、自治体は住民にとって本当に必要なものだろうか。まず、自治体のなかでも一番身近な市町村について考えてみよう。戦後の憲法では住民によって首長や議員を直接選び、地域の必要なことは自前で共同して処理し、住民が自らを治める身近な自治体になったはずである。だが、住民の側からは、戦前と同じように「役所」「役場」あるいは「行政機関」にみえるのではないだろうか。住民は引っ越すと住民票の手続きにしに市町村の窓口に行く。結婚したり子供が生まれれば届ける。必要があれば住民票や印鑑証明を取りに行く。しかしそれ以外はほとんど窓口に行くことはない。最近はコミセンなどで証明書類を簡単にとれるから、ますます市町村の窓口に行かないですむ。必要がなければ「役所」はあまり行きたいところではない。
▼ヨーロッパの例/ドイツのハノーバー市役所の様子を話します。これはどこでも大体同じでしょう。古い古典的な風貌をした大きな建物を入ると、入口の高い吹き抜けのあるホールには、市の各時代ごとの大きな模型がある。そこには小さな城郭に囲まれていた時代もあるし、第二次大戦で瓦礫になった姿もある。回りには説明のパネルがあって、小学校や中学校の先生が生徒を引率して説明している。2階には立派な議場があり、子供たちが覗きにくる。屋上のドームの塔に上がると、先に模型でみた全市の姿がそのまま見渡せる。まさしくここは市民の城であり、市民は自治体の歴史と実態を学び、自分たちのものだと実感できるであろう。ドイツのエッセンとかフランクフルトでもそうでしたね。
▼市町村の仕事/もう少し現在の市町村の実態をみてみると、住民に日常的にさまざまなサービスをしている。生活になくてはならない上水は市町村によって提供され、生活から出たごみを回収して焼却したり処分し、下水道を整備して処理している。これらがきちんとした仕事をしないと、市民生活は直ちに困ってしまうだろう。▼大きな幹線以外の道路は大抵は市町村道である。家の前の小さな道もそうで、市町村が整備し維持管理をしている。身近な公園も公立の保育園も市町村が運営する。小学校、中学校もそうだが、先生たちは都道府県という自治体の一員である。公立の病院も市町村が建設し運営するものが多い。日常の消費物資を流通させる野菜や魚の市場も開いている場合もある。人間一度はお世話になる火葬場や墓苑も市町村が運営しているものが多い。火事がおきたりする急病人が出たときに駆けつけてくれる消防車や救急車は、市町村やその連合体によって運営されている。大きな都市では市営バスや地下鉄を運営しているし、小さな過疎村では民営バスがないために、町村で運営しているところもある。所得の低い人々のために公営住宅を供給する。公立の老人ホームもそうだ。国民健康保険や介護保険も市町村によって行われる。収入がなく生活に困ったときや、母子家庭になったりしたときに援助してもらうのも市町村だ。▼市町村だけでなく、都道府県もまた自治体である。公立学校のほとんどは都道府県によって運営されている。国が管理しているものを除くと、大抵の幹線道路は都道府県が管理し、または国から管理を委託されている。警察も、都道府県の公安委員会で運営し、交番や警察署も都道府県という自治体の予算で建設される。警察官も、国家公務員である少数の幹部職員を除き自治体職員である。▼ということで、まだまだその範囲は広くて、とても全部を挙げることはできないが、このように身近なサービスの大半は市町村、少し規模の大きなものは都道府県という自治体によって提供されている。住民の生活は、多くのことで自治体に依存して成り立っている。ですから、住民と自治体は、住民の生活が円滑にできるように自分たちで治める自治体であるはずです。市民に役に立つ所としての市役所。ガッテンですか。

▼制度上の自治体/日本国憲法では、新たにⅠ章を設けて「地方自治」を保障し、住民は自治体の首長や議員を直接選挙し、自治体はその地域については、財産を管理し、事務を処理し、行政を行う権能を有し、条例を制定することができることになった(憲法第93条・94条)。憲法と同時に制定された地方自治法では、二層制の自治を定めた。①基礎自治体(市町村、特別区:東京都)、②広域自治体(都道府県)。
▼連邦制への課題/都道府県が中途半端な存在としてみられ、不要論なども出てきている。現在のように交通や情報のネットワークも充実し、実質的な生活も著しく広がっている時代には、広域自治の単位も再編成する必要があるだろう。日本でも「道州制」が議論に上がっている。これは広域自治体で、その長は住民の直接選挙によるし、自らの議会をもつ。これは現行憲法のままでも、自治法改正で対応できるだろう。しかし、これは連邦制といっていい。「連邦制」で大事なことは、形式的に現行の府県の合併によって州にするということでも、実質的には、現在の国の抱えている内政上の権限のほとんどを州に分権するということである。つまり、1999年の地方分権一括法でも徹底を欠いた地方分権を、本格的に行うための単位をつくることである。現にネットワークが必要な国鉄も分割できた。現在の都道府県は中二階的な存在になっているから、その役割は一部を除いて大部分は市町村に分権する。市・州・国・国際機関という単純明快な構成にして、あとは任意に市の広域連合と、一方では「日常生活自治体」としての「コミュニティ」をおけばよい。州をいくつかにするかは問題だが、7~10くらいが適当だろう。沖縄は小さくても一つの州になるのがよいだろう。連邦制はまだ具体的な日程には上がっていないが、広域自治体論として研究されるべき課題です。もし連邦国家になれば、現在問題になっている首都移転は全く異なった様相の議論になる。首都そのものの意味が変わり、中央政府も、内政に関してはほとんど自治体に関与しないことになる。

03.自治体の成立と必然性 
▼集まって住む人間/人類はその発生以来、集まって住み、小さな共同体をつくることによって生活を維持してきた。集団の規模、内容や形態は変化してきたが、集団生活をやめたことは一度もない。これが基礎自治体の起源である。原始の集落でどのような社会生活が営まれてきたかの確証はない。しの遺跡の跡をみると、多くの人々が共同作業をして集落をつくったこと、互いに何らかのルールがあったことが推測される。重要なことは「集まって住む」とは、ただ群がるのではなく、お互いに協力しあう共同体だということである。つまり、構成員もリーダーも、それなりのルールに従い、自分たちで集団を維持し、その利点を活かそうとする「自治」の心がある集団で、「集まって住む」には原始的な「自治」が前提であった。それは「共同体」であると同時に「協働体」であった。協力して働かなければ集団の力は弱い。▼縄文時代には大権力者はなく、比較的平等な社会であったとされてきた。最近の発掘では埋葬などに違いがあり、すでに身分差が発生していたという説も出てきたが、三内丸山の遺跡などをみても、大きな集会場以外は、家々も比較的平等だし、リーダーは存在したにせよ、集団の内部では一種の自治が行われていたのではないかと思われる。とくに大きな問題が起きたときには、全員の気持ちが一致しなけれ対応できないから、集団討議にかけた決定が重要だったはずだ(アイヌのチャランケ)。「集まって住む」力を発揮するためには、集団内部の「自治」的な要素は欠かせない。

▼近世以前の日本の自治/日本では古代に「律令国家」という中央集権体制が確立してゆく。地方を60余りの「国」という単位に分け、そこに守(かみ)とか介(すけ)という中央からの「代官」を派遣した「官治」である。しかし地方は中央から遠い。中央政府が隅々まで地方を直接把握することは不可能だ。租税を徴収できればよいとして、中央派遣の役人もだんだん現地に行かなくなる。あるいは地方の者を任命する。いずれにしても地方を、それなりに自治的な運営にしておいた方が、中央の官治側でも都合がよかっただろう。▼平安時代の貴族たちの荘園制は、中央の有力貴族が自ら中央集権的な律令体制を壊して、地域に自分たちの私的な自主運営をし始めたものである。しかし、貴族が実際に現地に行くことはないから、荘園を管理運営する武士層が一種の自治権を得て力をつけてゆく。武士たちも自ら開拓した土地を形の上では貴族や大寺院に寄進して、実質的に自ら管理する。次第に武士が力を得ると、中央政府からの自立を求めて、自分たちのリーダーである平将門や藤原純友を立てて戦った。これは中央からみれば「乱」と呼ばれたが、地方が自立し中央からの離脱をはかったものである。▼地方の自立度はさらに高まり、武士たちはついに源頼朝を立てて鎌倉に幕府を開き、武家政治を始めた。これは、地方の開拓農民であった武士たちが、中央政府や貴族たちの支配から脱して自立しようという運動で、当時の「地方の時代」であったともいえよう。都からみれば全く草深い田舎でしかなかった鎌倉に幕府を開いたのも、その象徴である。
▼時代を経て中世になると、農村部では「惣」という一種の自治組織が生まれる。初めは特定の特権層の支配だが、次第に集団指導の平等原則が強まる。混乱した社会のなかで、自分たちの集団利益を守るために自ら「掟」をつくり、内部の統一をはかる。応仁の乱で社会が乱れると、いっそう自治自立が必要になってきた。京では「町衆」という自立の集団が生まれる。町人ばかりでなく下級の公家なども含めていたようだが、政府の力は弱くなり当てにできないので、自分たちの手で共同して集団の安全と利益を守った。▼戦国時代末には、町に堀を巡らして集団で自衛する堺のように、西欧の自由都市に近い、町人が自立した都市が生まれた。この町の運営は有力な36人衆が行い、大権力に属さない自主性・自立性を求める「自由都市」である。そこに、利休などが独特の文化を創造した。一向一揆も、本願寺を中心に民衆や地方武士が自立して戦国大名と対等に対峙した。これらは「他治」を排除して、抗争のなかで「自立」を内外に認めさせ、「自治」を行い「自主」を勝ち取っている。ただし、これらは戦国時代の収束によって体制に組み込まれ、西欧のように自治を維持することはなかった。▼戦国時代が終わり、徳川幕藩体制が成立すると、士農工商という強固な身分制を定着させ、自治的な組織を制限していった。しかし、まったく自治がなくなったわけではない。民衆を押さえつけ過ぎると反発を招くので、自然に生まれていた村にはある程度の自治は認めていた。そこに名主、庄屋、年寄りなどという村役人がいる。役人といっても百姓で、世襲もあるが、一部では選挙もあった。彼らは封建支配体制の最末端の「官治」機関である代官の支配の下に年貢を徴収し、必要な触れを民衆に伝達した。だが、この人々はもともと住民代表でもあって、百姓一揆のときに訴えの先頭に立ったのは庄屋や名主が多かったのをみると、限定的ながら自治組織であった。▼封建大名は、領国のなかで独自の法令をもち、藩札という紙幣までも発行した自立度の高いものだった。もちろん封建時代の藩は、住民の政治参加を認めたわけではない。だが、地域ごとに独自の施策を行って、個性ある文化を育てようとする自立性があったし、藩にもよるが村には相当な自治を認めていた。▼人間の集まるところは、ある程度の自治を与えなくては成り立たない。人間それぞれに本質的に個性と自立性があるからであろう。それを認めない人間集団は、軍隊、警察、監獄ぐらいなものである。

▼自治の必然性/近代国家にもさまざまな形態があったが、国民国家をつくり上げたのは民衆の力である。アメリカが州国の独立、フランスの大革命、その前のイギリスの名誉革命などは、いずれも市民側が民主主義的な原則を当時の権力者に実力で承認させていった。その過程を経て、近代国家は民主的な国家として成立し、民衆が主権者としての地位を勝ち取ってきた。市民が地域の自治を行うのは、民衆的国家の形成と同じ流れにあるので、地域の「自治」は自然であり当然のことである。▼だが、日本の場合には、市民によって民主主義国家を認めさせたという歴史がない。明治維新も民主革命ではなく、幕藩体制から明治政府への上部権力の交代であった。第二次大戦の敗戦によっていきなり外から「民主主義」と「自治」が与えられたが、住民が自前で得たものではないから、民主主義にも自治にも戸惑った。しかし、日本国憲法では「地方自治」の一章を設け、それに基づく地方自治法で自治は規定されている。しかし地域共同体は、国家も憲法も法律もない時代から存在し、どの時代でもそれなりの自治を行ってきたという人類の歴史からみても、集まって住むという人間の本質からみても、自治的な集団生活は固有のものであろう。

Ⅱ 歴史 
04.戦前-中央集権と自治体 
▼版籍奉還と廃藩置県/統一中央集権国家をめざした明治政府が最初に行ったことは、1869(明治2)年の版籍奉還である。各藩主の「版(土地)」と「籍(人民)」に対する統治権を、すべて朝廷に返還した。日本全国は9府20県273藩、合計302に分けられた。その後府県の数を次第に整理し、1876(明治12)年には、現在より少ない3府35県1藩(琉球だけは藩)にまで圧縮した。現在の47都道府県ができたのは1888年で、以後110年間全く変わっていない。▼戸籍法の制定/廃藩置県に先立つ同じ1871(明治4)年に制定し、翌年から施行された「戸籍法」は、富国強兵策の一環の「徴兵制」実施のために、国民の現状を把握するのが目的である。▼「市制」「町村制」/地方制度がまだできていなかったため山形有朋の強い主張もあって、1888(明治21)に市制・町村制が公布された。その山形は「わが国の立憲政治の運営を円滑にするには、国民を啓発訓練する必要があり、そのためには地方自治は最高の学校である」と述べている。▼明治の町村大合併/この市制・町村制に合わせて行ったのは、町村の合併である。中央統制のもとに町村を組み込むには、あまりにも町村の数が多すぎた。この結果、1888年に71,314町村であったのを1889年には15,820に圧縮した。▼フランスでは、日本の市町村のような区分はなく、大きなもの小さなものもすべてコミューンと呼ばれる基礎自治体だ。フランスは日本よりも強い中央集権制だといわれるが、1990年現在でも36,551のコミューンがある。そのうち人口1000人未満が12,534、1500人未満になると15,162もある。現在の日本の市町村は約3,200、フランスの人口は日本の半分だから、自治体の平均人口規模はフランスでは日本の20分の1以下という小さなものである。行政効率という面よりも、身近な単位の「自治」が尊重されている。これに対して日本の自治体では、自治の立場からの単位よりも、国を区分する行政単位としての効率性が重視されてきたといえよう。
▼中央集権の功罪/このように、強引ともいえる中央集権体制は、「自治」の意識を育てず、「オカミ」の指令に黙々と従う地方機関をつくってきた。しかし、明治初期の日本にとって中央集権がすべて間違いだったということはできない。鎖国体制と封建的な身分体制のなかにいたものが、突然に欧米大国から開国をせまられ、いかにして欧米諸国に追いつくかということのために「富国強兵」政策をとらざるを得なかった。政府は身分にとらわれずに能力のあるエリートたちを選抜して欧米に派遣し、技術・制度などあらゆる先進的なものを貪欲に学ばせた。必要と思われるものを取り入れ、それを全国に普及させた。中央集権によって全国に「義務教育」を行い、学制を整備し、また近代技術を取り入れた官営の工場をつくり、民間に払い下げるなどして近代工業の発展をもたらした。この時代は中央集権体制が効率的であり、富国強兵策も功を奏し、国民生活は相当に向上したといえる。▼この頃の帯広の開拓史(晩成社の民間人開発)と重ね合せると時代背景がわかる。

05.戦後-民主主義国家と自治体 
▼戦後民主主義は、民主的な地方自治が必要だという占領軍総司令部の強い意向によって、「地方自治」というⅠ章が、1947年の日本国憲法の中に制定された。92条から95条までの4カ条です(資料参照)。その後1949年にシャウプ博士が来日し、税制改革を含め行財政全般の「シャウプ勧告」を出した。その中に、地方財源の充実とか、自治体間の財政の不均衡を是正するための「地方財政平衡交付金」の制度化などがもり込まれた。しかしせっかくのシャウプ勧告で得た自治体の自主財源も、大きな経済変動に対応できず、国はさまざまな補助金を各省各局競争で新設あるいは増額し、自治体はその枠に完全にはめ込まれた。機関委任事務も毎年増加し、都道府県行政では7~8割、市町村行政でも4~5割といわれるほどになる。▼市町村合併のその後は、昭和の大合併、平成の大合併を経て、平成22年3月31日には1751(市783町780村188)が予定されている。▼さて、次は地方分権の時代にさしかかりますが、1999年の「地方分権一括法」により、国の関与の廃止縮減と自治体の自己決定の確立のための、懸案であった機関委任事務を全面廃止した。国と自治体は、これまでのように「上下・主従」の関係ではなく、「対等・協力」の関係に位置づけた。憲法の原則からすれば当然のことであるが、ようやく本来の自治体へと転換できることになった。機関委任事務を廃止し、自治体の責任で処理する必要のあるものは「自治事務」とした。ただ全国的な統一性を確保すべきものは「法定受託事務」とすることで決着した。

Ⅲ 政策 
06.中央政府の限界 
▼自治体の必然性/これまで述べてきたように、人間らしく自主的に生活できる社会システムとして「自治体」は人間社会にとって必然である。だが日本の実態は、明治以来現在まで、中央集権と官僚機構により全国を統治し、自治を最低限しか認めないシステムをつくってきた。今日になって、やっと地方分権が叫ばれているが、これがなぜ望ましいシステムなのかを、もう少し突っ込んで考えるのも「自治体学」の課題である。▼中央集権型の政治行政の限界の一番の理由は、その制度疲労にあります。かつて効率的であった中央集権が、非効率なものに変わってきた。より多くの地域の人々の知恵と行動が必要になってきたからです。いくつかの例を出します。①画一行政。小中学校といえば全国一律マッチ箱を並べたような無愛想な校舎になってしまう。林業の盛んな地域でも木造校舎は認められなかった。駅前はどこも同じ個性も顔もない街になってしまった。北海道から沖縄までを全国一律で押し込めるのは原理的にもともと無理で、しかも中央集権ではいちいち地域の個別事情に細かく対応できない。②バラバラ行政。これは福祉・建設・環境などどの分野でもみられます。中央集権では、国で決めた施策は、国・都道府県・市町村の流れの中で、ほぼ同じ名称をもつ担当部門別の「系列」(企業も系列!)を通じて実行される。一口に国といっても、その実態は各省各局各課別の縦割り施策であり、それらが相互に関連もなく、自治体は縦割り施策のまま行う。ですから地域の事情を加味した、あるいは総合的な施策を展開できずにきた。例えば足の不自由な人に装身具や松葉杖を厚生省が半額補助する制度がある。北海道のある自治体が、氷の上で滑らないように杖の先端に金具(アイスピック)をつけようとしたところ、「マニュアルと違うから、厚生大臣に申請せよ」といわれ、手続きをしているうちに時間がかかり雪が溶けてしまった。現場での判断に任せておいてよい話である。国は外交・軍事などに絞っていい時期である。このように国が地域の個別事情を中央で判断するのは所詮無理である。③よって、地域運営は住民に直接対応し、個々の事情にもこまめに対応しなければならない。それは中央政府では不可能で、自治体の運営能力に期待するほかない。
▼都市型社会の到来/現在のわれわれの社会は完全に農村も含め「都市型社会」に入っている。1世紀前までは農村中心の「農村型社会」であった。それがいまや「都市化社会」を経て「都市型社会」へ移っている。とくに交通・通信の発達はさらに都市化に拍車をかけ、ついに人口1000万人を超える超巨大都市を出現させた。東京大都市圏は、東京、神奈川、千葉、埼玉、茨城県の一部にまたがる3200万人の世界最大の都市圏を形成している。▼さて、この都市化現象で都市はますます便利な存在になっていったから、集団ではなくても独りで自立して生きられるようにみえる。だが実態はその逆で、都市型社会ではますます集団の力で出来上がった装置やサービスの援助なしには暮らしていけない。農村社会と違って、個人の力では生活に必要な水・食糧・エネルギーの自給自足は全く不可能だし、生活必需物資から廃棄物の処理にいたるまで、すべてを共同システムに頼らざるを得ない。戦前・戦中の東京都の区部(地方都市も)では、まだ人力で汲む井戸に頼り、下肥(しもごえ)を使って小さな畑をつくることもできたが、いまではとても考えられない。▼現在の人間は独りでは何一つできない弱い存在になっている。文字通り「揺り籠から墓場まで」を、地域共同体をはじめ多くの力に支えられなければ生きてゆけない。それなのに意識としては共同体に頼らず、独りでも勝手に生きてゆけるような便利さと気軽さを享受できると思っている。こうした錯覚をもたらすのが現代の都市型社会である。生活単位が大きくなりすぎ、あまりにも技術が発達して便利になり、共同体も共同装置も日常では実感しにくくなってきた。税金を負担し、必要な料金を支払えば各種のサービスを利用できるから、目にみえるかたちで共同体に参加しなくてもすむ。都市の住民は、地域の共同社会に関心がなくなってきた。だが、いったん災害がおき、事件が発生して都市装置が働かなくなって初めて共同社会の存在に気がつく。都市型社会が住民の目を曇らせていることに気づかなくてはならない。

07.政策形成主体としての自治体 
▼自治体の立場/いままで話してきた、中央集権の制度疲労、都市型社会、民主的な市民社会といった課題に対応するには、市民の自覚(参加)による自治体づくりがその答となる。自治体は、①「市民の事務局」として自治体の政策・運営や市民生活にかかわる情報を発信・提供し、また市民のさまざまな声を受け止め、その苦情や要望に対応する。②「共同装置・サービス提供者」としての円滑運営、③「強制力のある市民政府」として市民ルール徹底と無限に膨らむ市民要望をコントールする、③「市民の調整者」として多様な市民間の調整、④「地域経営者」として地域資源を生かし政策を実行する、⑤「組織管理者」として、これらの仕事を行うための自治体組織を整え効果的な運営をする。▼中央政府の限界がはっきりした現在、自治体に求められる重要な点は、政策主体として機能することである。
▼市民政府としての自治体/自治体は市民の事務局であるとともに、市民に身近な「市民政府」として、中央政府ではできない役割が期待される。法的・財政的に権限や財力が不十分だとしても、地域のために理念を提示し、政策を提案し、実行しなければならない。自治体が政策主体になることで次のことが期待される。①市民参加・市民主体の政策(自治体が政策主体になることは、市民が参加し市民政府の実感がもてることである)。②地域個性的政策(全国画一をやめ地域ごとの施策展開となれば地域の独自文化を育てることにもなる)。③総合的政策(各省ごとのばらばら施策に振り回されることなく、地元の諸施策をつなぎ合わせ効果的に政策を展開できる)。
▼市民政府運営の基本/①市民参加(自治体の政策と運営に参加できること)、②情報公開(市民が判断できる情報が常に予め提供され、必要に応じて進行形の情報も公開されること)、③説明責任(政策内容、理由、方法、効果、経過などが市民に対し十分に説明されていること)、④市民監視(行政の不正を防止し、外部の公平な眼でチェックされるシステムを具えていること)、⑤市民投票(重要問題については、市民が直接判断を行える機会があること)。

08.政策の課題と手段 
▼政策の調整/市民の共同装置として、下水処理場、塵芥焼却場、最終処分場、葬祭場などはどうしても必要だが、設置しようとする地区では「迷惑施設」として拒否され排斥される(国レベルでは原子力発電所が典型)。最近はその範囲が広がり、幹線道路、高齢者や障害者の施設、学校、保育園、公営住宅なども拒否されることがある。これら迷惑施設は共同生活に必要なものであり、施設立地と市民感情との調整が大きな課題となっている。また都市型社会では矛盾・対立事項が多く、日照やプライバシー問題、車と歩行者、自転車と駅前、生活者と生産者の衝突などがある。これは市民同士では片付かず、自治体という共同体で支援し解決すべき課題である。▼よって、自治体の政策を進めるに当たっては、市民の意見を積極的に聞かなくてはならないが、すべてを無条件に受け入れる「御用聞き行政」になることは避けなくてはならない。市民の要望には相互矛盾もあり、資源や資金の限界から全部がそのまま受け入れることはできない。自治体は市民の声を調整し、市民とともに考え、有効な政策提案を行うべきである。▼また、その政策主体に変わっていくためには、①首長のリーダーシップ(中央政府の言いなりにならず、自前発想で市民政府を引っ張っていく器量)、②企画調整能力(縦割りのバラバラな行政組織や施策を、総合的にまとめ動かす仕組みと、職員の政策形成能力の養成)、③市民参加の組み込み(情報なくして参加なし、市民生活環境マップ)など、市民政府と市民参加の両輪を動かす条件を整える。▼とくに、企画調整部門(政策マン)は、①将来へ向けての大局的な方向性を戦略的に組み立て、関連する人々や部門を巻き込みつつ、個別事業や施策を動かす「忍者」の役割が必要、②総合計画などの計画立案過程に、政策に関連する職員参加を行いながら、タテ割りから横につながる総合政策を展開する「タテをヨコにする能力」、③政策実現のために他の多くの企業・団体・公的機関などに働きかける「プロデュース能力」が求められる。
▼政策の評価システム/自治体のなかで、行政評価システムの先導的な役割を果たしたのは三重県(北川知事)で、1995年度に「生活者起点の行政運営」をめざして「さわやか運動」を始めた。「さ」はサービス、「わ」は分かりやすさ、「や」はやる気、「か」は改革(既成概念を捨てて白紙から出発する)、という四つを合わせた造語です。いままで惰性で動いてきた職員に、生活者の視点にたつ意識をもち、自治体改革につなげる。こしたなかから「事務事業評価システム」が生まれ、3000本以上の事務事業を評価した。評価は厳格な目標把握から始まる。何を「対象」にして、どういう「手段」で、対象をどのような状態にしたいのかという「意図」と、それによりどんな状態になったのかという「結果」について評価が行われ、その妥当性、有効性、効率性ができるだけ数値的に判定される。それは、今後の事務事業の改革すべき方向を示すことなる。これは全国の自治体が何らかの方法で取り入れることになります。▼この政策評価が情報公開されると、さらに市民参加が強まるでしょう。今は自治体も国も事業仕分け過程を公開し始めました。

Ⅳ 経営 
09.地域経営と組織経営 
▼自治体の地域経営/自治体の重要な役割は市民政府としての政策の立案と実行であるが、別の角度でみると、自治体は「地域の経営主体」である。経営にはカネやヒトという資源を組み合わせ活用することになる。地域資源には、土地、自然、ひと、資金、知恵、ノウハウ、仕組み、歴史、文化などがあります。地域資源を有効活用するということでは、地域経営は企業と同じだが、違うのは、目的が利益を上げることではなく、市民生活の向上と保全にあることです。それと地域全体の質を上げることです。▼地域経営の主体は、江戸時代には領主であった。大名は領国を支配し、年貢の米を取り立てていたが、経営が立ち行かなく、上杉鷹山(江戸時代中期の大名、出羽国米沢藩を倹約と学問で再建)、恩田木工(江戸時代中期の松代藩家老、有能な人材登用と財政改革)、二宮尊徳(江戸時代後期に報徳思想を唱え農村復興政策を進める)などという優れた地域経営者が立て直しを行った。これらは経営主体である大名のためのものであったが、地域の人々全体の生活を豊かにしてゆくものでもあった。この時代でも、大名個人のための権力的な経営では、民衆を貧しくさせ、地域を疲弊させ、財政も逼迫させることにもなった。▼また、国の省庁なら、政策は個別的であり、予算を獲得し必要な法律を国会で通せば、その実施は自治体などに予算を配分すればすむので、経営感覚や経営能力はほとんど必要でない。これに対して自治体の場合は、政策に伴う充分な資金が得られるとは限らないし、実行上の権限や資源は少ない。政策の利害関係者も複雑であるし、実行を妨げる要素も多い。こうした現場を踏まえて実行するには、国の行政とは違い、優れた経営能力が必要とされる。
▼民間経営と自治体経営の相違/民間と自治体で経理上の違いもある。たとえば自治体では当初予算で予定していた土地の購入ができないと、資金が余るから黒字になる。企業の会計ではそんなことはない。土地が買えれば資産だし、買えなくても現金または預金という資産だから赤字黒字には関係ない。また、自治体では起債という借金をすると黒字なる(不思議でしょう)。これが企業では長期の借入だから、資金繰りはよくても金利支払いという経常的な負担が増えて、それだけの利益が上がらないと経営的に不健全になる。ところが自治体はドンブリ勘定だから、起債は自分の懐に金が入った感覚で扱われる。年度末に支出が遅れれば黒字が残り、なぜ使い切らなかったのかと責められ、補助金は返還を求められるから、効率が悪くても高くついても、無理に金を使い切って黒字を出さないように無駄遣いがおきる。民間企業では考えられません。もちろん、制度上でも継続費や明許繰越、事故繰越などで次年度にわたって予算を使うこともできるのだが、原則は単年度主義だから不合理がおきてしまう。▼自治体会計にも民間企業と同じ複式簿記の貸借対照表や損益計算書が採用されれば、こうした問題は解消されるでしょう。いま自治体の会計制度の見直しが始まっていますが、しかし、問題は形式的な帳簿上のことではなく、市民の税金が、どのような目的に有効に使われてるかが、端的に検証できる仕組みになっていないことにあります。
▼経営のための計画・プロジェクト・条例規則・要綱など/▼三層の計画/地域経営の方針と方向や具体的な手段を長期にわたって示めす計画づくりが1960年代に現れ始めた。その後69年の地方自治法改で「市町村はその事務を処理するに当たっては、議会の議決を経てその地域における総合的かつ計画的な行政運営を図るための基本構想を定め、これに即して行うようにしなければならない」(第2条第5項)と規定した。ですから70年代は小さな自治体を含め、基本構想と基本計画が策定され、それに連動した短期の実施計画と合わせた三層の計画を作りはじめます。▼一方、国の法令や指導が入り乱れながら、各省庁ごとの「都市計画マスタープラン」「緑のマスタープラン」「市街地整備基本計画」「都市再開発方針」「住宅マスタープラン」「都市交通体系マスタープラン」「老人保健福祉計画」などが自治体でつくられが、これらが自治体の自らの計画をあい変わらず縦割りにしていくのです。本来の総合計画は自治体に一つあればよいので、あとは各論に位置づけ直すべきでしょう。▼戦略的プロジェクト/総合計画では網羅的すぎるので、戦略的なプロジェクトを設けることは有効です。北海道のワインプロジェクト(丸谷町長)、帯広市の市民の森(吉村市長)、横浜市の6大プロジェクト、掛川市の生涯学習都市(榛村市長)、滋賀県の琵琶湖条例、大分県大山町のNPC(New Plum and Chestnut)運動などが、地域経営のよく知られたプロジェクトです。▼条例・規則/条例・規則は自治体自ら定めたルールとしての「都市法」と言える。現在の自治体は、国でいえば憲法に当たる「憲章」をもつべきとして、市民政府としての基本になる、他の条例の上位になる「基本条例」づくりが進んでいる。道内のニセコ町が先駆ですね。▼条例づくりでよく問題になるのは「法令に違反しない限り」という法律との関係です。松下圭一氏はこれを法律による「制限原理」とみるよりも、地域独自の課題をになう条例と全国最低基準としての法律との「調整原理」とみることを示唆している。公害関係の法律のように、明らかに実態において自治体が国に先行しているために、自治体の「横出し」「上乗せ」を認めているものもある。▼要綱・協定/法令の不備を補ってきたのが、自治体の知恵による要綱や協定である。宅地開発要綱はよく知られていますが、これは民間企業の開発行為に道路整備、水利施設など一定の開発負担をしてもらうものです。強制ではありません、あくまでも協力の形です。協定企業と自治体が結んだもので「公害防止協定」が典型的です。紳士協定ですが誠実に守られてきています。このように条例以外の法に基づきませんが、地域の経営主体としての取り組みの積極性がここに現れています。▼その他には、市民同士が結ぶ建築基準法に基づく「建築協定」があります。宅地開発や市街地整備の際に、建築物の規模・高さ、広告の出し方、ごみ収集、壁面線、緑化、ポケットパークなどの空地などについての「市民同士のルール」です。これはヨーロッパの流れをくむ都市法とみてよい。都市法の起源はそういう市民協定にあったわけですから。▼イベント/地域経営の手法として比較的手軽に使えるのが、各種のイベントです。伝統的な祭り、博覧会、見本市、スポーツ大会、文化行事、各種会議やシンポジウム、学会・研究会などさまざまです。イベントでは関わった多くの人が地域の情報発信になるし、また新しい人々との交流を呼び覚ますことになります。新しい街づくりへ踏み出す機会をつくります。▼情報の発信なくして受信なし(清成忠男)ということです。

10.財務と運営 
▼自治体の財政/予算は、①一般会計、②特別会計に分かれており、特別会計のなかに公営企業会計がある。同じ自治体でも別々の財布をいくつも持っている。さらに自治体は、特殊法人や第三セクターという会社や財団法人を設立し事業を行っている。こうした機関には、本家である自治体が出資や出捐を行い、債務保証している場合が多い。そうなると赤字のツケは自治体に回ってくるので、外郭団体を含めてみないと財政の健全度は測れない。最近破綻の多い第三セクターや、土地開発公社の借入金などは、こうした問題である。▼自治体の予算は、地方財政法によってきめられている部・款・項・目に分類された膨大な予算書に示されるが、わざと分かりにくくしているのかと思うほど、一般の人には極めて分かりにくい。いや職員にも担当以外は分かりにくいのです。最近は市民に分かりやすい予算書をつくるようにはなってきたが、まだまだの感です。歳出は「目的別分類」と「性質別分類」があり、目的別は総務費、民生費、衛生費、農林水産費、商工費、土木費、消防費、警察費、教育費、公債費に分かれる。性質別は、①義務的経費(人件費、生活保護等の扶助費、地方債の元利償還費等)、②投資的経費(道路・公園・公営住宅・学校などの普通建設事業と災害復旧事業費など、③その他の経費(物件費、維持補修費、補助金、積立金、他の会計への繰出金)に分けられる。▼よくある問題は首長が任期中にハコモノを含めた建設事業を行いたがることです。これは投資額も大きく将来の効果や他の施策とのバランスを考えた上で決定されるべきです。そこでの起債は貰ったカネではなく、元利返済もしなければならないし、維持管理のための人件費、物件費、補修費など継続的な必要経費がかかってくる。一次的な首長の業績のために将来を犠牲にしてはならないのです。市民投票だって必要かもしれません。
▼自治体の歳入と税/自治体の歳入は、①地方税(地方譲与税を含む)、②地方交付税、③国庫支出金(補助金など)、④地方債、⑤手数料・使用料など、⑥その他に区分される。市民の立場からみると、納める税金のうち地方税に3分の1、国税に3分の2である。三割自治という言葉はここから生まれたが、最終的な支出は逆に地方が3分の2、国が3分の1となる。この逆転は、国に入った税金が、地方交付税や補助金として自治体に回るからです。そんな面倒なことをせず、税金が自治体に直接入れば、自治体財政は自主的にいちいち国の指図に従うことなく地域に会った効果的運用ができるのですが、いまだ国のコントロール下に置かれたままである。▼標準税率を超える課税/現在の地方税は、都道府県レベルでは事業税と都道府県民税が基本であり、市町村レベルでは個性資産税と市町村民税が主体である。地方税法では標準税率が設けられ、これを超えるときは上限の制限税率までは議会に諮ってアップできる。これを超過課税という。1997年度では、46道府県が道府県法人税で、1471自治体が市町村民税で、283自治体が固定資産税で超過課税を行っている。▼アメリカの自治体では、一定の施策を行うのに必要な財源として税率アップをリンクして住民に示し、投票で決めることが多いが、これは市民にとって負担と受益の関係が明快なので、政策を判断しやすい。
▼地方交付税/自治体によっては、地方税では運営に必要な収入が得られない地域がある。歳入には差があるから、シャウプ勧告でも不均衡をカバーする「地方財政平衡交付金」という制度があったが、現在は地方交付税に変わった。国税のうち所得税・法人税・酒税3税の32%と消費税の29.5%、たばこ消費税の25%をこの財源に充てている。いわば、自治体全体の共同財源として国で徴収した税収のなかから保留しているわけだ。地方交付税は、1997年度では自治体収入の17.1%という大きなものである。この交付税は自治体が自由に使える一般財源であることだ。これに対して補助金の場合は使途が限定された特定財源である。ただこの交付税が最近、自治体の単独事業としての起債を認め、その利子や場合によっては元金の償還まで地方交付税算定で面倒をみるという「地域総合整備事業債」のような制度もできて、どんどん第二補助金化して新たな国のコントロールも行われているのことも覚えておいてください。
▼補助金/補助金は中央官庁の各局各課別に所管され、厳しい基準によってヒモつきで交付されるから、機関委任事務と並んで自治体を縦割りにする制御する手段になった。中央の地方支配になるからとシャウプ勧告は指摘したが、中央からみれば自治体コントロールの有効手段だから、次第に増加していった。しかも、法律に基づく「法律補助」だけでなく、予算が国会で通ればすむ「予算補助」もあり、補助金をつくる自由度がありすぎて、どんどん増えてしまう。▼これが、議員バッチ族の暗躍と集票装置の温床となっているのが、日本の政治実態である。
▼地方債/地方債とは自治体の借金である。赤字財政になれば、自治体を会社のように破産させることはできないので、会社更生法のように、自治体の場合は「財政再建団体」として都道府県は自治省、市町村は都道府県が厳しい監督下に置くことになる(▼夕張市の事例。鉛筆一本まで監督される)。この財政再建団体にならないまでも、そこへ転落する恐れのあるものは「起債制限団体」として起債ができなくなる。その指標は、①一般会計の財政赤字が都道府県で5%、市町村で20%を超えるもの、②公債比率(公債の償還金が一般会計に占める割合)が20%以内、③地方税の徴収割合が90%に達しないところ、などである。日本の制度では、地方債といっても、前に話した交付税により措置されるものもあるし、一般の地方債のほかに、特別法による財源不足を補う「過疎辺地健全化債」、地方交付税を補完する「財政対策債」「減収補てん債」、国庫補助金の代わりとして発行される「特別事業債」、借換えのための「借換債」など、多岐にわたり起債が認められている。しかし市民には理解できないものばかりであり、財政の内容がだんだん不明瞭になっている。財政白書のような形で、自治体の借金財政とこれから自由になる政策経費を明らかにして、市民の判断材料とすべきである。
▼第三セクター/日本式の第三セクターは、公的機関と民間企業などが共同して株式会社あるいは財団法人などを設立し、半公共的な仕事をやらせようとするものです。これまでの第三セクター方式は、自治体側も民間側も無責任な体制を生み出し、リゾート開発、宅地造成、テーマパークなど多くの分野で破綻をきたしている。うまくいっているところは優れた経営者がいたり、責任体制がしっかりしているところだけであった。今後は民間企業に任せるものは任せ、第三セクターをつくるにしても、無責任体制を改め、その経理を市民に明らかにしておくべきである。第三セクターとは、第一セクターの公的部門、第二セクターの民間企業とは異なる第三者的な次元にいるセクターのことで、協会、組合、市民団体などである。
▼民間資金とPFI/地域経営は、公的な資金や機関で行わなくても、地域の資源として民間の資金やノウハウを有効活用すべきである。ちなみにイギリスの例を引くと、1992年から小さな政府をめざして行ったPFI(Private Finance Initiative)という、民間の力を活用する方式が導入されている。法律までつくって、規制緩和、政府資金の無利子貸付や債務保証等の支援、行政財産の使用の承認などの優遇措置を与えようとしている。対象となる事業は、廃棄物処理・リサイクル・発電施設、物流基盤施設、有料道路、公園住宅、公園、一般街路、美術館から庁舎に到るまでなんでもある。設計・建設にとどまらず、維持から運営までも、民間企業が複数で結成する企業体で行ってもらう。従来は当然に公共で行うものと考えられていたものでも、この方式が効率がよいと認定されたときに採用されるわけだが、企業体に対しては自治体から使用料などを支払うことになる。▼日本でも、駐車場整備や学校整備などに導入されているが、博物館や動物園など社会教育施設での検討も進んでいるが、現在は指定管理者制度が主流である。
▼市民管理、市民運営、市民委託/すでに始まっているが、公的な施設でもできるだけユーザーまたはそれに近い現場に運営を任せることである。市民のNPO団体とかコミュニティが管理運営するという方法である。小さな市民施設は市民による管理運営が多くなってきたが、市民ホールのような大きなものについても、市民団体に委託して全体の運営に当たらせる事例がでてきた。▼これからは、民間企業、市民団体、自治体行政との協働作業が活発に行われてよい。自治体行政はサポート役にまわり、民間ではできにくい全体の戦略と調整のプロデュースの役割を負うべきである。

Ⅴ 主体 
11.市民と市民組織 
▼市民の所以/住民は自治体の主権者である。ただ住んでいるのではなく、自分たちが自治体をつくり上げているのだという自覚と責任をもって初めて「市民」になる。自治体の構成員である市民はさまざまだから、責任はその人の力と状況に応じて果たせばよい。金のある人は金、特技のある人は特技、サービスができる人はサービスなど、さまざまな形で責任を果たすことができる。責任には税金のように強制を伴うものもあるが、強制されなくても地域社会を自分たちのものと認識し、それを支えるために「出来ることを果たそう」とするのが基本です。子供のころから公園の緑や花を大切に扱うことを教えるのは、将来の市民としての責務を果たせるようにするためである。イギリスでは乳母車でも車椅子でも地下鉄に乗れるが、電車への出入りをサポートするのは、乗り合わせた乗客である。それも市民の責務だろう。
▼市民参加/自治法は住民が直接行動をおこす場合には、①条例の制定改廃請求、②事務の監査請求、③議会の解散請求、④首長のなどの解職請求である。④は、いわゆるリコールの直接請求であるが、その条件は、有権者の3分の1の署名という厳しいものである。その他の直接請求は50分の1だが、小さな自治体ならともかく、大きな自治体ではこの数は難しい。この制度が使われないと、住民は次の選挙まで4年間待たなければならない。時間とともに関心が薄れ、自治体へ無力感・不信感だけが累積してゆく。市民参加が常時行われれば、自治体との共感は強まることになる。▼直接民主主義には、スイスやアメリカ東部のニューイングランドの小自治体などで、議会を置かずに住民総会(タウンミーティング)で運営している例がある。▼市民参加の段階/市民参加の度合いは、①関心、②知識、③意見提出、④意見と応答、⑤審議(予め提出された案の検討)、⑥討議(市民同士の討議)、⑦市民立案、⑧市民運営、⑨市民実行、の9段階になる。初めは市民政府の政策や行動について関心をもち、情報を得る程度だが、次第に意識を高め、より高次の次元になり、市民が責任をもって政策を決定し、それを自主的に実行してゆくという段階に進む。ですから、市民政府の方も、できるだけ早めに市民の意見を取り入れてゆく「早め意見取り入れ型」が行われるようになったり、ワークショップとなどという「共同作業政策立案型」の手法も開発されるようになってきた。▼情報なくして参加なし/北海道ニセコ町の事例では、市民に配布した「もっと知りたいことしの仕事」では、町の行う仕事を、細かい個所づけを含めてすべて毎年明らかにしており、最も進んだ情報提供といえる。さらに、ニセコ町が98年に制定した情報公開条例の前文では「まちづくりの基本は、その主体である私たち町民が自ら考え、行動することにあります。そして、私たちが自ら考え行動するためには、まちに関するさまざまな情報やまちづくりに対する考え方などが充分に提供され、説明されていなければなりません。このことは民主主義の原理であり、住民自治の原点でもあります」と記されています。このような前提のもとに、市民の自由な討議と、行政側の適切な問題点の提示、政策課題の提供がなされる市民参加なら、政策決定のプロセスが市民の目でみえる場で行われることになる。情報公開は決定された結果の公開だけでなく、政策が決定される過程の公開が重要であり、市民参加自体がその手段にもなるだろう。▼法人市民/市民とは「個人市民」を意味するが、企業や他の団体も「企業市民」であり「法人市民」である。法人は税の負担義務だけでなく、地域社会に貢献することに期待したい。先進国では常識になっている。▼市民活動とNPO/いまや市民活動のボランティアへの期待は大きい。そこで、各種の市民活動を行っている団体の活動を支援するために、公益法人のような難しい条件ではなく社会的に認知するために法人格をとらせ、寄付金も得やすい税制上の優遇が考えられた。それが97年の「市民活動促進法」(NPO法)制定につながる。▼コミュニティ/都市型社会になると、都会も農村も古い地域社会は崩壊するなかで、住民はかなり大きな規模の単位になる行政機関としての基礎自治体とだけつきあうだけになってしまった。裏返せば、もっと身近で「集まって住む」ことが実感できる単位が必要になっていた。しかし、そうしたコミュニティは、戦中の町内会・隣組のように上から指導して強制してつくるものでもない。都市型社会にふさわしいコミュニティを創造することは、市民の成長によるほかない。▼イギリスでは、所によっては基礎自治体よりも小さいパリッシュという、だいたい500人以下の規模で顔が見える小さな自治単位がある。これは伝統的な地域組織だが、民主的に運営され、選挙で役員を決め、なかには課税権をもち、簡単な事業などを自ら行っているものもある。遊歩道の整備、街路照明の維持管理、墓地・火葬場の管理、コミュニティホールの提供、公衆浴場・プールの提供、宝くじの運営等である。▼ですから、自立性ある市民のいるところでは、基礎自治体より小さなもっと市民に身近な単位で経営することがあってもよいのではないか。

12.首長、職員、専門家 
▼首長「大統領制」の役割と問題点/何といっても自治体のカギを握るのは首長である。中央政府から統制を受けるとはいえ、その権限は強い。予算の編成・執行、契約の締結、財産の管理、行政の執行、条例案の策定、規則の制定、職員の人事、組織の編成、福知事(福市長)・出納長(収入役)などの任命(議会同意が必要)、外郭団体・第三セクターなどの編成と人事、などを首長の意思で実行できる。▼大統領制の首長は、市民の直接選挙で選ばれる市民代表である。議会も市民の直接選挙で選ばれるが(これを公選首長と公選議会の二元制という)、議会は複数の議員によって意思が決まるのに対し、首長は単独で市民の代表であり、かなり強力に先進的施策を実行できる。アメリカの大統領には議案の提出権はなく拒否権があるばかりで、議会の解散権も招集権もないのに対し、日本の首長にはこれらのすべてをもっている。自治体首長の大統領制を強く勧めたのはGHQだが、アメリカの自治体で日本のような大統領制をとるところは少ない。議会が首長を選ぶものの、議会と執行機関を兼ねたコミッショナー制、「市支配人(シティマネジャー)を議会で決めて専門家に自治体運営を任せるものもある。それぞれの自治体が憲章を定め、どの方法をとるかを決めているのが普通だ。日本の自治体の大統領制は、アメリカの制度そのままというわけではない。ヨーロッパでは、首長は自治体議会が選び、日本の首長よりも議長のような立場にある場合が多い。ですから国の法律により一律にその制度運営の方法を決めるのでは、市民政府とはいえないのかもしれない。
▼首長の資質/首長として期待される資質は、「自治体は市民による市民のための市民政府である」という自覚と実行力があること、市民感覚があること、中央政府と対等の関係で話ができること、先を読んだ先駆的な政策を提供できること、目先のバラマキではなく全体のバランスと個別の無理な要求を拒めること、市民・職員にわかりやすい言葉と政策でリーダーシップを発揮できること、などである。▼職員の資質/自治体を現実に動かしている職員に求められる資質は、その地域への思い、市民感覚、新しい問題に対応できる柔軟性、文化的な感性、市民政府の基本は人間を相手にするので人間的魅力、などである。特にこれからは、専門的知識も必要だが、政策をつくりだしそれを市民や関係者を巻き込みながらプロデュースする能力が求められる。▼自治体の管理職/どこの組織でも大きくなるほど昇進とともに保守的になり、マンネリと自己保身に陥りやすい。とくに自治体では、民間と違って実績が評価しにくく、減点主義の評価が行われるから、失敗を恐れて消極的になる。これからは、政策形成とその実行能力を高く評価して、上層幹部ににはこのような人を登用すべきあろうし、管理職ポストの公募制もあってもよい。▼専門家/政策形成の調査活動などでも、専門家の役割は大きくなっている。シンクタンク、コンサルタントなどの専門機関や専門家も増えた。しかし、どんなに大きな組織でも実際に担当する人はごく少数だし、資本金が仕事をするわけではない。専門家といっても、結局はその担当者の関心、愛着、誠実さなどが大きくものをいう。▼村瀬章さんは当地に3か月住み込んで、町の調査をした。▼オンブズマンと外部監査/97年自治法改正で新たに20条もの条文を追加して「外部監査制度」を導入した。第三者の民間監査法人に委託して監査してもらうという従来にない方法だが、契約で委託するのだから、完全に公正な第三者機関として働いてもらえるかには疑問が残る。また、市民の政府に対する苦情を受け、行政運営が適正に行われているかを調査し、必要な意見や勧告を行うものをオンブズマン(行政監査専門員)という。もともとはスウェーデン発祥ですが、第二次大戦後各国に広がった。従来の行政制度にある監査請求、陳情、請願、行政不服申立てなどがあるが、それだけでは充分でないため、各市が導入を始めた。だが、行政から任命されたオンブズマンの場合は、その役割を忠実に果たそうとすると行政や議会との対立を生じ、再任されなくなる。任命方法や任期にも工夫が必要である。こうした行政からの任命によるオンブズマンではなく、市民自らがオンブズマンとなって行政のあり方をチェックしようという動きが全国に広がっている。これを「市民オンブズマン」という。闇給与やカラ出張などで自治体の恥部が取り上げられていることはご存じのとおりである。

13.議会と市民投票 
▼議会の役割/日本の自治体も首長と議会を市民が直接選ぶ二元代表制をとっているが、議会は政策に関して積極的な役割を果たしていないし、二元制が有効に働いてきたとはいえない。議会の役割は二つある。①強力な権限のある首長をはじめとする行政に対するチェック機能で、そこに二元制の大きな意味がある。②自ら政策主体として機能することで、自治体立法を通じて政策を立案することであるが、これがとくに弱い。執行機関に対するチェックは現行制度でも、検査権、監査請求権、説明要求権、意見陳述権、同意権などがあり、最も強いチェックは首長などの不信任議決だ。代わりに首長は議会解散権をもち、議会と首長は相互チェックの関係にあるのが二元制の特色である。▼現代の議会は、チェックに名を借りて、政治的に対立している立場の首長に対する嫌がらせ的反対に終わることも多く、市民からみると生産的な議論にはなっていない。また、福知事(福市長)の選任には議会の同意を得ることになっているが、これらはいわば首長と一体の職務であり、首長が選挙で選ばれた以上、原則的にはその選任は任せてよいはずである。それを議会の同意を必要としたために、首長を牽制する目的で議会が同意しないことがよくある。いたずらに仕事を停滞させたり、議会の反対のない無難な迎合的な人を選任するのは、市民のためには疑問である。また、チェックに名を借りて、議会が行政にたいする要求・モノトリになり、利益配分を受けようとするのでは、有効なチェックが働かない。その一方では議員の議会質問を実は行政の職員がつくるという例もある。これではチェックどころか馴れ合いにすぎないいし、議員無用論まで招きかねない。これは事実です。▼議員には、正式の議会内活動のほかに、市民との集会を開いたりの議会外の活動がある。こんなこともあります。市民の個別の権益に関わることについて、議会活動とは別に、行政に陳情要求したり圧力をかける議員も多い。議会や他の公開の場で行われるのならいいが、ごく個人的に行われる。行政側も、この機会にできるだけ議員にサービスするのが得策だとして馴れ合いになり、議員と行政の関係を不明朗なものにしている。とくに有力議員と行政幹部との癒着が進行し、正常な議会活動とは別な場で個別的な取引や決定が行われていると、議会としてはますますチェックできなくなる。これには議員の個別行動を含めた情報公開が必要だが、できるかどうか。▼議会への期待/議会には議案の事前説明と審議を兼ねた、議員全員が出席する「全員協議会」というものがある。これは正式の議会ではないから、比較的自由にモノが言いやすく、日本的な合意形成には便利に有効に作用する。ここでは非公式に実質審議が行われるのだが、公開されていないのが問題である。全員協議会も公開するか、それとも正式の議会でも、お互いに思い切った討論を市民の前で行えるような政治文化を形成しなければと思いませんか。▼議員にはもっと自由な発想が必要だから、国会議員のように政策秘書をという意見もあるが、それは現状では選挙対策に使われてしまうでしょう。それよりも議員は、支持する市民グループとともに政策を考え、議会事務局を強化して予め必要な資料を充分に整えておくことの方が必要だ。議員が市民グループの政策提案を支援するのす。
▼イニシャチブ(市民発案権)/政策を立案するのは、主権者である市民でもよい。これがイニシャチブ(市民発案権)であり、その判断を行うのがレフェレンダム(市民投票権)で、市民主権を実現させる両輪である。直接民主主義的な制度である。自治法では条例制定の直接請求を使って市民が政策の発案をすることができる。今日話題になっている住民投票は、自治法の中には定められていないので、新たに「住民投票条例」を制定しなくてならない。発案は行政でも議会でもよいのだが、多くの場合は自治法に定められた住民の直接請求により提案された。しかし、必要な署名数(50分の1)を集めてもそのほとんどが議会で否決されている。議会としては自分たちの審議権を奪うと考えるからであろう。しかし、直接請求による住民投票条例が通った例も少数ながらある。95年の新潟県巻町の原子力発電の立地、97年の沖縄県名護市の米軍海上ヘリポート建設などである。▼アメリカの自治体では、日本のように劇的な争点ではなくても、普通の政策の選択について住民投票が行われている。

Ⅵ 展望 
14.地方分権から地域主権へ 
▼地方分権は国の権限をどれだけ自治体に下すかを議論しているが、本来は主権者である市民がどれだけの自覚と責任をもって自治体を市民政府として動かしてゆくかが課題なのである。市民の水準が首長や議会の水準を決め、自治体の水準をきめる。▼EU統合では、「補完性の原則」が謳われた。市民に近い自治体がまず責任をもち、そこでできないことを広域自治体さらに国、国でおさまらないことをEUが行うというものである。権限はまず基礎自治体がもち、順次それよりも大きな単位で補完してゆこうという原則である。この考えを徹底化すると、分権ではなく、市民主権へと進む。▼補完性の考え方は、すでに明治の初めに福沢諭吉の『分権論』にも示されているし、雑誌『日本』を主宰するナショナリストの陸羯南も、身近なことは自治体にやらせ、国はそこでできないことを補うべしと主張していた、ということもありました。以上、自治体学の入門を終わります。

15.資料編  
▼書籍資料/田村明『自治体学入門』(岩波テキストブックス)、新藤宗幸『自治体学入門』(ちくま学芸文庫)。

0 件のコメント: