2010年3月6日土曜日

都市と文化 (MA-3)

03.都市と文化
内容
1.都市文化を考える... 1
2.文化は辺境から... 3
3.異質なものを導入する... 5
4.社会教育の時代は終り、地域教育と国際教育へ... 8
5.(補論)低所得社会の市民文化(第5・7講再掲可)... 11
6.(補論)市民文化のリロン整理... 12
(1)自治体の今日的文化状況... 12
(2)都市型社会における三文化形態... 13
(3)市民文化の三政治文脈... 14
(4)市民文化活動の自立と水準... 16
(5)自治体による地域文化戦略... 17
7.資料編... 19


1.都市文化を考える 
▼今日は、都市文化あるいは市民文化についてお話します。地方自治体行政で、文化が問題なるのは、たいてい学校の統廃合や建て替え、教育委員会行事とか学校行事、おもに制度にかかわることです。文化や教育の内実そのものが地方行政レベルで深く問われることはありませんでした。戦後の教育委員会制度も、その実際は教育行政の承認機関であって、その土地独自の教育文化を生み出すことはできませんでした。▼教育委員会は、GHQ指導のもと「教育は政治の上にあり」といったプラントンの考え方のように、行政に介入されない教育をということでしたが、いまは、行政の下請け教育の模様です。本来はもっと独自に地域型の教育を考えていいのですが。ドイツのシュタイナー教育で実践している「エポック授業」なども参考になります(子安美知子)。また北海道の開拓史とかアイヌ文化を調べ・発表する、とった歴史の調べ方・学び方の方法を知ることがポイントになります(参考「アイヌ文化の基礎知識」引用)。▼しかしながら行政が人間個人の内面に介入したり、介入しすぎるのは住民の精神的自由を損う恐れがあります。「内面の自由」の保障はしなくてはなりません。▼さて、文化には生活のための「生活文化」と、心を満たすための「芸術文化」とがありそうです。他の動物と違って人間は芸術文化を持ちます。これは生活文化の高度化したものとも云えるかもしれません。よく「文化で飯が食えるか」と言われますが、仮に空腹であったとしても心を満たすものが欲しいのが人間です。

▼ここで、モーツアルト曲を聴いたつもりになってください。評論家の小林秀雄『モーツアルト』ではこう言ってます。ト短調の弦楽五重奏曲K516の譜例を出して、「モーツアルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡(うら)に玩弄(がんろう)するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」という言葉の様にかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家は、モーツアルトの後にも先にもない。まるで歌声の様に、低音部のない彼の生涯を駆け抜ける」。これはよく知られた一節ですね。▼おなじくト短調のシンフォニー第40番K550の譜例を示し、「もう二十年も昔の事を、どういう風に思い出したらよいのかわからないのであるが、僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニーの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。僕がその時、何を考えていたのか忘れた。いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬の様にうろついていたのだろう。兎も角、街の雑踏の中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏したように鳴った。僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄えた。百貨店に駆け込み、レコオドを聞いたが、もはや感動は還って来なかった」。
▼このように、モーツアルトの音楽は、どんなに苦しいときでも、ひもじいときにも静かに心を満たしてくれます。私はベートーベンの弦楽四重奏を好みますが、皆さんはどんな曲ですか。▼ということで、視聴覚機材を用意しましたので、ここはやはりモーツアルトの「ト短調の弦楽五重奏曲第4番K516」のアレグロをだけ聴くことにしましょう(約10分)。演奏はアルバン・ベルク四重奏団、1986年録音です。

▼さて、ともかく文化というからには日本の文化状況をざっと見ておきましょう。皆さんにも言い分はあるでしょうから「ああだこうだ」と発言してください。日本の文化創造力が衰えてきたのは、戦後の経済至上主義のせいばかりでなく、おそらくは「内省的環境」が失われてきたためと思われます。その証拠の一つは、芸術文化に属する種目のうち、その国の社会状況をもっとも直接的に反映するのは「映画芸術」であるといえます。映画は工学的技術を使う近代的な芸術メディアで、世界の大量の享受者に同時発信できる市場性をもった芸術文化です。日本の首相の名は知らなくても、黒澤明の名を知っている外国人は大勢います。▼日本映画はかつて異例の輝きを示しました。1950年代前半でした。「羅生門」「七人の侍」「生きる」の黒澤明、「雨月物語」「近松物語」の溝口健二、「麦秋」「東京物語」の小津安二郎など、世界の映画史上に残る白黒映画の傑作を矢継ぎ早に送りだしました。その後も今村昌平や大島渚など新世代の映画監督が1960年代までは、“世に問う”という感じの映画をいくつか発表しました。その熱気も失せて30年を経て、1992年周防正行の「シコふんじゃった」など特殊日本的な感覚の映画がいくつかありましたが、世界に問いかけるというような志を持ってというものは出てきませんでした。でもここにきて、宮崎駿監督の「千と千尋」、07年カンヌ国際映画祭では河瀬直美監督の「殯(もがり)の森」、09年米国のアカデミー賞で滝田洋二郎監督・本木雅弘主演の「おくりびと(デバーチャーズ・旅立ち)」が記憶に新しいですね。いずれも死者を送る映画で、静謐というか、静かな「Q型人間」の映画です。これが世界基準になりつつあるということでしょうか。

▼内田樹の正月の小津映画で、Q型の静かさを知る人間になろうということについては前回話しました。それと、作家・監督・音楽家などはまず十中八九、必ず静かなところ、山麓とか海とか田舎で思考作業をしていますね。それは間違いありません。ただし発表は都会です。ですから東京や大阪の大都市は、コミュニケーションにはいいですが、思考に向きません。▼「発表は集中すべし、思考は分散すべし」「情報は分散すべし、権力は分散すべし」ということで文化も政治も地方分権型
に向かっているようです。
▼一方、アジアの隣人たち、つまり中国、台湾、香港、それにインドなどの新しい映画が、ベネチアやベルリンの映画祭で次々とグランプリを獲得しています。中国映画では個人的ですが「山の郵便配達」がよかったです。これも静かな映画です。▼世界的にはいろいろ試みているようですが、どちらかというと静謐なQ型に向っているのでしょうか。

▼一方、映画以外の「音楽芸術」も衰弱しています。日本のレコードやコンサートの市場は極めて大きく、またピアノなど楽器の普及率はアジア諸国のなかで抜きん出ています。音楽の裾野の広さは、韓国や中国に比べものにならないくらい広大です。しかし、世界のトップ・クラスの音楽家に注目しますと、日本も韓国も中国も同じくらいです。ここでは、裾野が広いと頂点が高いという、原則が当てはまりません。▼国内外で堅実な活動をしている日本人演奏家が多数いますから、あまり市場性ばかりで判断はできませんが、ドイツ・グラモフォンとか、オランダ・フィリップとか、英国のEMIやデッカなどの世界的なレコード会社からCDが出ている演奏家を指標にすると、日本人ではオーケストラ指揮者の小澤征爾とピアニストの内田光子(個人的には全CD所蔵)がいて、韓国人にバイオリニストのチョン・キョンファと指揮者のチョン・ミュンフン姉弟がいて、中国人にチェロのヨーヨー・マとバイオリンのチョーリャン・リンなどがいます。まだ、日本人にはバイオリンの五嶋みどりが評価を高めつつありますが、トップだけを拾うと日韓中同じくらいです。▼それと日本には若くして演奏技術にはすぐれた層がとても厚く、国際的な新人コンクールでもしばしば入賞するんですが、大演奏家にはなかなかなれない。日本の若い演奏家は譜面どおりにうまく弾くけれど、例えばクレッシェンドになるとき、なぜこの曲のこの部分でクレッシェンドになるかを考えずに弾いている。技術の向上には邁進するけれど、芸術の内奥あるものを見つけようと志向や環境が、いまの日本には失われている。▼先ごろの話題になりました、「第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で日本人初の優勝を果たした全盲のピアニスト、辻井伸行(20)の快挙がありました。超絶技巧と音楽性の両方を具えていたように思いますが、今後の評価が待たれます。

▼「文学」でも1970年に三島由紀夫が45歳で割腹自殺して以降(辞世の句「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へし今日の初霜、散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と小夜嵐(さよあらし)」)、わが国で世界の文学史に残るような小説が一編でも書かれましたか。いやノーベル賞候補の村上春樹がいましたね。彼の「ノルウェーの森」にしても政治とか国家や戦争の問題が出てこないのが特徴だという人もいますが、これも静かな小説です。

2.文化は辺境から 
▼そこで、これからの芸術文化というか、日本の文化創造を東京だけに任せておくのは危ない、という話をします。東京はたしかに芸術文化を享受するには便利です。展覧会や演奏会などのマーケットという点でも世界的都市です。しかしじっくりと芸術の創造活動を行うのにふさわしい場所ではありません。▼「活動は地方で、発表は中央で」。「情報は集中すべし、権力は分散すべし」は、先ほど話しました。これは辺境と中心の問題です。そして、辺境から動きが始まることが多いのです。

▼海外をみるとニューヨークやロンドンやパリには、まだ内省的になる都市環境があるんです。東京は皆無でしょう。だから、高度な芸術創造の場を地方で生み出していく必要があります。文化創造の場は、欧米では国土にあまねく分散しているのが普通です。典型的なのはドイツです。ドイツの地方都市は小さくて魅力的ですね。小型分散しています。▼米国だと文化芸術以上に、文化産業が分散されています。ニュース専門テレビ局のCNNやコカ・コーラ本社がアトランタに、スーパーコンピューターの代表的メーカーであるクレイ社はミネソタ州に本社があり、西海岸のロサンゼルスには、ご存じ映画産業がある、という具合です。

▼いま芸術文化の世界でもっとも興味深いのはパフォーミング・アーツつまり「舞台芸術」でして、その中でも刺激的なのは「舞踊」だといいます。それも古典的なバレエではなく、モダン・バレエとかモダン・ダンスとかの新しい音楽と新しい振付の舞踊です。言葉がないため万国共通に楽しめます。「パフォーミング・アーツ」には、日本の歌舞伎、能、文楽、中国の京劇などの伝統劇、バリ島のガムラン音楽を伴うバロン・ダンスや合唱劇のケチャ、アフリカの芸能など地球規模の多彩な種目を加えていいわけです。これらは時間芸術ですから、観る者に強烈なカタルシス(感情の解放・浄化)を与えるという特徴があります。

▼地方での文化振興が必要な一番目の理由は、日本もいまの欧米のように芸術文化や文化産業は「地方都市に多極分散」し、静かな空間で思考・芸術することです。古典芸能や伝統美術・工芸が関西など西日本にあることは当然として、秋田県田沢湖畔のわらび座、佐渡の鬼太鼓座や鼓童、富山県利賀村の劇団SCOT(旧早稲田小劇場)、長野県松本市の小澤征爾指揮による臨時編成の「サイトウ・キネン・オーケストラ」、舞踏家の田中泯は山梨県の白洲町を拠点に活動するなど、舞台芸術や音楽が地方分散に向かっています。十勝には、どんな人たちが来ているか調べてみるといいですね。音楽家ではクニ河内、名前は失念しましたが絵本作家の方もいます。▼ということでこれまでの事例は、音楽、舞踊、芸能などの時間芸術でしたが、空間芸術である美術はどうなっているのか。海外の評価からみると、平山郁夫(前芸大学長)、加山又造らに代表されるように日本画が主なもので、油絵は裾野が広いものの世界の潮流を作っていくような突出した画家はなかなか現れにくいようです。美術は音楽演奏などの再生芸術以上に芸術家の思想が問われる分野で、少しくらいうまく描いたからってどうということはない世界なんですね。技法の点で日本人に有利な日本画はともかく、美術家には困難な時代と言えます。

▼地方での文化振興が必要な二番目の理由は、「地域の活性化」ということです。この活性化というと、だいたいは地域の伝統や文化を調べ、それを掘り起こそうとします。しかしそれだけでは元気になりません。その地域が異質な文化と遭遇しなければ活性化は起きません。まちづくりに、「よそ者、若者、バカ者」が必要といったことと同じです。▼例えば、西洋史におけるルネッサンスは中世の伝統社会がイスラムの技術文明と出会って花開いたものです。20世紀のアメリカで黒人が生み出した音楽は、ゴスペル音楽、ブルース、ジャズへと変容してきた音楽であり、あるいはソウル・ミュージックもそうですが、元々はアフリカから新大陸へ連れてこられた黒人の文化がキリスト教と出会って生まれたものです。

▼わが国でも民族学の知見によると、近代化以前のきわめて閉鎖的な農村においては、マレビト(客人)、ホイト(祝人)などは、村人につねに歓迎されています。自分たちのもっている文化や情報とは異質なものを潜在的に求めていたということです。▼折口信夫と柳田國男のマレビトの違いが、中沢新一の『古代から来た未来人 折口信夫』に詳しいのでちょっと引用します。柳田國男が共同体に同質な一体感をもたらす霊を求めていたのにたいして、折口信夫はそれと反対のことを考えていた。折口は神観念のおおもとにあるのは、共同体の「外」からやってきて、共同体になにか強烈に異質な体験をもたらす精霊の活動であるにちがいない、と考えたのである。そこから折口の「まれびと」の思想は、生まれた。▼芸能者は死者たちの息吹に直に触れている。それと同時に、芸能者は若々しく荒々しいみなぎりあふれるばかりの生命力にも素手で触れている。彼らの芸は、生と死が一体であることを表現しようとしている。別の言い方をすれば、芸能者自身が死霊であり荒々しい生命であるという矛盾をしょいこんでいる。だから、彼らはふつうの人たちとは違う、聖なる徴(しるし)を負っている人々として、共同体の「外」からやってくる、「まれびと」としての性格を持つことになったのだ。折口は村々に残された古い芸能のかたちを深く探求しながら、芸能者の原像を描き出そうとした。▼そのような「芸能者の原像」を「鬼」があざやかに表現している。鬼は共同体の外からやってきて、死の息吹を生者の世界に吹きかけ、そこに病や不幸をもたらすこともある。しかし、荒々しい霊力を全身から放ちながら出現してくる鬼の存在を間近に感じるとき、共同体の人々は、自分たちの世界に若々しい力が吹き込まれ、病気や消耗から立ち直って、再び健康な霊力にみたされ、生命のよみがえりを得ることができたように感ずるのである。

▼このように、人間の社会はつねに、あるいは時々異質な人や文化と出会い、異質な時間を導入しなければ活力を維持できない仕組みになっております。ですから今日、地域の活性化をめざすとき、自分たちが慣れ親しんでいる地域の文化をことさら発揚したとしても、それだけでは地域は動かないということです。

3.異質なものを導入する 
▼こうしたことから、地方が文化事業を行うときは、その地域にこれまでなかったような異質なものを導入することが効果的です。地域に縁もゆかりもないものを何故やるのかという人も一部にはいますが、それでよいのです。東京から文化人や評論家がきて「地方は東京のマネをするな」とよく言いますね。そういう人は決して地方には住まないと思いますが、これは間違っています。だいたい東京には何でも、新しいものは特に何でもあります。▼いま時の地方の若者は、たとえ東京に住みたいとは思わなくても東京にある面白い情報はちゃんと入手しています。アンテナを張って東京発のイキのよい情報をいち早く手に入れるのが地方の活性化に有効です。ですから、むしろ「東京のマネをせよ」です。今は国際化時代ですから、ニューヨークの情報もロンドンの情報も手に入れやすくなっています。東京を経由しないでニューヨークやロンドンのマネをできたらもっとイイわけです。

▼かたや、西洋クラシックやオペラ、現代美術とかは分らないという人もいます。しかし、外からやってくるような文化はそもそも分かりません。分らないからよいのです。おそらく音楽の専門家でも複雑な構成のクラシック音楽を一度聴いて全部分ったといえる人はいないでしよう。聴くたびに新しい発見がある。それがいいのです。つまり、分ろうとして精神の活性化が起こるのです。人々の精神の活性化という過程を含まないで地域の活性化ということはあり得ません。▼ベートーベンの弦楽四重奏のCD8枚組を10年聴いていますが、いまでもあちこちに発見があり、新鮮。それも同じ曲を三つの四重奏団で聴くんです。ブタペスト四重奏団、スメタナ四重奏団、アルバンペルク四重奏団といった具合です。

▼これが西洋のクラシック音楽ではなく、日本の演歌や民謡だったらどうか。演歌や民謡はだれにでも気持よく聴けますし、全部わかったような気がします。気持よくはあっても、心の中での格闘はありませんから精神の活性化が行われません。ですから演歌では村や町おこしはできないと思います。同様にスポーツでも村おこしはできません。スポーツは、プロのトレーニングは別にして、気晴らしになり生理的に気持ちがよいものです。いわば放電型の行為です。これに対して古典音楽を聴くような芸術的な行為は充電型です。いまの若者には日本の古典芸能も異質な文化ですし(実は私も同様ですが)、放電型の遊びに飽き足らない若者が歌舞伎をみる傾向が出てきているそうです。
▼全国には住民によるイベントが盛んな地域がたくさんあります。それが地域の活性化に結びつかないのは充電型のイベントをやっていないからです(地域コミュニケーション研究所の鈴木信次の指摘)。
▼温泉も気晴らしになり生理的に気持ちのよいものですが、充電型にならないから地域の活性化に役立ちません。でもこの温泉地のパターンを塗り替えたのが別府の奥座敷の由布院町で、音楽祭や映画祭などの充電型文化を導入して成功しました(亀の井別荘の中谷健太郎がキー・パースン)。それと、住民がそこを訪れた客の召使(サーバント)になるような村おこしはダメです。ホスト(主人)がゲスト(客)を迎えるような関係でなければ、地域のほんとうの活性化などはできません。客に尊敬されるような観光地で、かつ従来の遊興型・非紳士的な行楽地を転換しなければ、子供の教育にもよくありません。尊敬されるというのは、充電型の文化活動つまり文化創造がそこで行われているということです。

▼自信があれば外の文化を受け入れられます。パリと京都を引き合いに出すと、パリは中世以来、欧州の文化の中心としての自負がありますし、外からどんなものが入ってきても怖くない風土があります。19世紀末から20世紀初頭にかけてさまざまな美術運動がパリを中心に起きています。▼エコール・ド・パリと日本の画家たちの話です。1920年代から30年代にかけて、多くの日本人画家がパリに渡航しています。最盛期は数百人の画家が滞在していたといわれます。美術留学生はもちろん、大家と呼ばれるような画家や、伝統的な日本画家もパリの街に引き寄せられました。当時のパリでは、美術だけでなく音楽や演劇、文学など、さまざまな芸術が花開き、世界の文化の中心としての様相を呈していました。画家たちにとってパリは、憧れの場所だったのです。萩原朔太郎のパリに行きたし思えど、の詩がありますね。時代はまさしくエコール・ド・パリ。シャガールやキスリング、パスキン、ユトリロなど、世界各地から集まった画家が、華やかで魅力に富んだ作品を描き、それぞれの個性を競い合っていました。日本人の画家の中には、藤田嗣治のようにその渦中に飛び込んで一躍エコール・ド・パリの寵児となった者がいたかと思うと、一方ではエコール・ド・パリの喧噪に背を向けた者も少なくありませんでした。また、次々と日本に帰国する美術留学生たちは、新しい美術思潮を持ち帰り、日本の美術界に新たな時代を画しました。

▼日本では、京都がこれ近いかもしれません。千年間首都であった京都には町衆(まちしゅう)と呼ばれる市民階級が形成されるなど、今日まで固有の都市文化をもっています。地元の人たちはそれなりに自信がありますから閉鎖的ではありません。全国からどんどん人材を呼び寄せ京都の人材にしてしまいます。学者や文化人の類もそうですが、産業でもその成果が表れています。ハイテクの京セラ、オムロン、村田製作所、バイオテクノロジーのタキイ種苗、ファッションのワコール、テレビゲームの任天堂など人口130万人程度の都市に全国的・国際的な先端産業がたくさん生まれています。

▼ここで、地域に異質な文化を導入するための手だてを考えてみましょう。文化施設をつくってコンサートや美術展などの催事をするのもいいのですが、高度な芸術文化は原則として個人、つまり特定の名前のある人が担っているので、「ひと」に注目するのが有効です。生活文化は無名な人々が担い、芸術文化は特定の人によって担われているといっていいでしょう。芸術文化は、高度なものに接しなければ、高度な文化は生まれません。あの才能がうなるピカソやダリでさえ、若い時は文化的環境を求めてパリに出ています。▼そう考えると、日本の地方でもアーティストを輩出するような地域づくりをめざすなら、本物のアーティストに身近に出会えるような機会を増やすべきで、アーティストを地域に招いて住んでもらうのが地域の文化振興の一番の早道です。▼そんなアーティストは何人いるか。個人名が看板になって生計を立てている音楽、演劇、美術、工芸、デザイン(建築デザインであれば象設計のような)、写真、映画、テレビなどの分野のアーティスト、あるいは小説家や脚本家その他の文学者などは、全国に5万人から10万人くらいでしょう。▼欧米ではアーティストの地方住居が当たり前になっていますが、日本でもこうしたアーティストのうち、やや余裕のある層が地方にも自分の拠点を持ちたいと考えるようになってきています。つまりアトリエやスタジオなどの仕事場を地方に持ちたいという欲求が出てきたわけです。▼コンピューターでロマンチックな音楽をつくっている「喜多郎」は長野県の田舎に住んだあとアメリカのコロラド州へ移住しました。いまはどこにいますかね。

▼このように芸術家の地方住居が進行していきますから、アーティストの定住ないし季節的住居を受け入れることが、地方の文化振興にとって戦略的に有効と思います。これを「地域帰化人方式」と呼んでみます。コミュニティとのつきあいの中から、地域の文化活動の教師になって面倒をみてくれることもあるでしょうし、地域の子供たちがこうした芸術家と日常的に接することで、隠れた才能が開花する機会が増えます。地方であろうと農村であろうと、千人に一人くらい、特別の個性や能力を持った人がいると、福沢諭吉がどこかで言っていました。▼大都市のアーティストが定住ないし季節居住したくなる理由のひとつは、その地域の人々とのインフォーマルな繋がりがもてることがあります。仙人みたいに人けのない大自然に住みたいというのではなく、地方のコミュニティつまり地場の人との交流を望んでいます。地元に多少ともそのアーティストの専門分野の話を知っている人や、少なくともそうした知識を得ようとする前向きの人がいるとか、あるいは世話好きな人がいることがきっかけになります。役場が土地と家屋を斡旋するだけではだめで、民間人がかかわる必要があります。それと、夜遅くまで開いている飲み屋があることも大事な要素です。
▼地域の農産物を加工して味噌、漬物、焼酎などをつくっても、子供や若者の目が輝くような未来が見えてくるわけではない。地域の個性や魅力が未来のために異質な人材を外から呼び寄せられるようにすること、地域をそのように変えていくことが、いまの段階ではいちばん大事なわけです。

4.社会教育の時代は終り、地域教育と国際教育へ 
▼さて、これから話すことの結論を先に申し上げます。「社会教育は終焉」しその役割は終わったということです。地域の文化振興は戦後ずっと社会教育という範疇で各自治体で進められてきました。そのハードウェアが公民館です。社会教育のソフトウェアとしては、住民の生活を文化的にするという目的で、公民館活動や各種講座などが啓蒙という視点で行われました。啓蒙が主眼ですから講座などには多くの住民を集め、いわば広く浅く知識を伝える必要がありました。そうした観点から公民館は市町村に一カ所の中央公民館と各地区ごとの分館が設けられるようになりました。このように戦後長く、文化と啓蒙がくっついた概念でしたし、憲法の前文が、あの文化的生活の保障ですから、これが後押ししました。
▼この社会教育に対して「学校教育」という分野があります。その地域の学校教育と社会教育を統括する組織として教育委員会が設けられ、主に民間人から教育長や教育委員が任命される仕組みになっています。教育長の任命権は市町村長にあり、また教育委員会の予算も行政が措置しますが、建前上、教育委員会は市町村行政から独立した存在となっています。不可侵の聖域という雰囲気がありますから、そのため地域の教育文化行政は社会の変化に対応しにくい体質になっています。

▼しかし、昭和40年代からは公民館とは別に、より高度な文化活動の住民欲求にこたえるため、文化会館とか文化センターが作られるようになります。また、昭和50年代には、民間の社会教育施設という色彩をもったカルチャー・センターが大都市を中心に展開されます。お金を払ってでも学びたいという新しい学習ニーズです。西武デパートの「池袋コミュニティ・カレッジ」などは大学の教養課程以上のカリキュラムでした。これはいずれ地方都市にも波及します。▼また、NHKなどの放送メディアは「教育セミナー」「人間大学」なども動き始め、社会教育は「生涯学習」へと変貌します。戦後、公民館が担ってきた社会教育は役割を終えました。

▼さてここで、「地域教育」とは何か。地域を支える人材の養成を考えてみます。いわば「国家人材」を養成するために制度として学校教育があったわけですが、しかし今日必要なのは、国家人材のほかに、「地域人材」と「国際人材」の養成が必要です。学校教育の場で、地域で生きていくのにどん能力が必要なのかが問われたことはありませんでした。そのツケが例えば地域の産業とくに農業を若者が軽んじるということに現れたと思われます。これが地域人材を養成する教育が必要な理由です。いまの小中学校及び高等学校のカリキュラムつまり国家教育の部分を半分にして、四分の一を地域教育、四分の一を国際教育に充てることです。

▼日本に限らず国民教育のための学校モデルは軍隊です。大勢の生徒に一斉に何かを教える方法は、それ以前には軍隊しかなかった。もちろん大学のモデルは違います。西洋では今から千年も前に修道院のようなところから大学が生まれ、古典的な学問を継承する機関として機能してきました。まずは聖書の書き写し、いわば写経ですね。社会教育の社教ではありませんよ。▼国民教育の学校モデルが軍隊だといわれてみると、確かに合点がいく。昔の木造校舎は軍隊の兵舎に造りでしたし、男子生徒が着用している詰襟の黒い学生服は戊辰戦争や西南戦争の兵士の服のようです。女子生徒のセーラー服も文字通り水兵服ですね。こちらはまあ可愛らしいですが。でも、生徒たちが望まないなら廃止した方がよいでしょう。

▼欧州にあっては、特にドイツのシュタイナー教育のような個人授業が主です。欧州では、小学生の場合は、登下校時はかならず親が付き添います。学校の門を出たら責任はすべて親にあるわけで、先生たちは学校内部のことだけを考えていればよいわけです。親の授業参観はありません。先生たちは最良の授業をやっているので親に見せる必要も親の意見を聴く必要もないということです。その代り、子供の躾に類することは学校ではいっさい面倒をみません。仮に生徒が騒いで授業を妨害するようなことがあると、先生は親に連絡して直すようにと伝えます。それでも直らなければ、学校に来ないようにと親に申しつけます。いいシステムです。▼それに、生徒を集団としてまとめて面倒をみるという雰囲気が全くなく、先生が生徒一人ひとりを相手にしています。▼フランスの絵画授業では、石膏デッサンはないそうでうす。石膏像をみてデザインさせると、価値観を画一化させる恐れがありますし、一つの対象にすると互いに描いたものを比べて、優劣を競うのはいいことではありません。だいたい、三十人の子どもが一つの死んだ生物を眺める姿は美しくありません。フランスには哲学教育の伝統があるため、最高の知性が高校の哲学教師になっている。ボーボワールやサルトルも、みな高等師範卒で高校哲学の教師の経験があります。

▼ところで、アジアのネパール南部の、インドに近いバイラワ市とルンビニ(釈迦の生地)をつなぐ道路を走っていましたら、道路沿いの牧草地の大きな菩提樹の木陰が野外の学校になっていました。そばに牛が寝そべっており、菩提樹に黒板をくくりつけて若い男の先生が五十音のような文字を教えていました。粗末な紙に印刷されたものでしたが、どの子供も教科書をもっていました。みたところ五、六歳の子供も十歳を超えた子供も一緒です。教育というのは、かくも自由、いろんなスタイルでやれるものだなと感心しました。▼こう見てくると、日本の子供が世界でいちばん不幸かもしれません。学校では医務室や保健室に避難する子供が多いですが、たぶん医務室や保健室が欧州の学校のように扱ってくれるのでしょう。

▼ここで学歴社会の終焉ということにもちょっと触れておきます。21世紀になってもまだ学歴社会の影を感じますね。大学で何を学んだかより、どの大学を卒業したかがまだ問題にされています。でも、いずれ若い人たちや子供の意識が変わるはずです。難しい大学に入り大企業・一流企業に就職しても、その本社のほとんどは東京の都心部、丸の内や大手町にあります。比較的若い時期に家を持てば、片道二時間、往復四時間の鮨づめ通勤(痛勤)は避けられません。しかし、いまの若者は無理と不自然が嫌いでしょうから、その通勤をイヤだと思う人が増えるでしょう。

▼さて、いよいよ地域教育と国際教育のソフトウェアをどのように作り出すかを、中間的にまとめてみます。市町村立の小中学校といっても、市町村が立てたのは学校の建物つまりハードウェアだけです。市町村立といいながらソフトは国と県です。教員の人件費と教科書代は国が持ち、教員の人事権は都道府県の教育委員会が握っています。▼これからの教育を考えるなら、市町村「営」小中学校を構想すべきです。市町村が私立学校のように学校法人をつくり、独自に教師を雇用して児童・生徒を募集すればいいのです。モデル的に各自治体に一つか二つの市町村営小中学校をつくり、その地域にほんとうにふさわしい教育の理念と方法を生み出すのです。これも何度も言いますが、国家教育を二分の一、地域教育と国際教育をそれぞれ四分の一といったバランスが望ましいと思います。

▼まず、「地域教育」から話します。読み書きソロバン、つまり国語(藤原正彦、水村美苗の言い分参照)、算数・数学、日本史、世界史、地理、とある程度科学的な知識などは国家教育(国レベルの教育と表現しますか)としますと、基礎的な部分は国家教育でかなりカバーできますから、地域教育としては具体的で実地の教育がふさわしいということになるでしょう。▼子供が将来その地域で人生を送るための基礎として地域にどんな産業があり、将来どんな職業があるかを学ぶことです。地域のさまざまな職場を見学するカリキュラムです。そこで働いている大人たちの仕事の苦労や喜びをじかに語ってもらう。将来その地域で成り立ちそうな職業については、経済的な先進都市に見学に連れて行きます。このようなことを小中学生のうちに体得しておけば、農業はイヤだとか、3Kは避けたいとかの漠然としたホワイトカラー志向はかなり改善されます。▼職業とともに大事なのは社会奉仕です。例えば二、三人のグループを組ませて高齢者の世帯を訪ねさせ、まずしばらく一緒に過ごさせて、そのお年寄りが何に困っているかを子供たちに発見させ、それを自分たちで解決する方法を考えさせるような地域教育プログラムです。こうした経験はのちのち成人した後もごく自然に高齢者を助けようとする気持ちが動きます。よって、交差点のあのウルサイ信号音は不要となり、やっと欧州並みになり、静かな町を取り戻せという話につながります。

▼先駆的なドイツの事例を紹介します。ミュンヘン市にあるバイエルン州立美術館の中に博物館教育センターという機関があり、そこで開発された地域教育プログラムをお伝えします。これはミュンヘンにあるいくつかの博物館を生かした校外教育のプログラムです。学校が休みの日に自由に参加できるもの、市内の学校と提携して授業時間の中で行えるものなど、さまざまなものがあります。▼その一つは、子供に中世の絵画を見学させて、これと同じように描いてみようというものです。模写ですね。子供たちは当時の絵具がどんなものであったかを研究し、それが岩石を水で溶かしたものであるとわかる。そうすると色の出る石を探しに山に行こう、となるわけです。こうした推理と行動を子供ができるようにするのがインストラクター(指導者)の役割です。▼また、古代のパンを焼いて食べようというのもあります。科学博物館のような施設に行って古代に栽培された品種の麦を手に入れ、半年かけて畑で栽培し収穫します。さらに古代のパン焼き窯をつくりパンを焼くのです。▼ほかには、「ミュンヘン都市四重奏団というのがあります。子供を四人組にして市内の歴史的な建造物などを探検・調査させるものです。▼子供たちがギリシャ・ローマ時代の演劇を当時の服装でやるものもあります。▼まさにシュタイナーのエポック授業です。日本と世界の子供たちは、この地域教育で差がつきます。国際交流したら話題と行動に当然差が出てくるでしょう。▼大人たちが知恵を出してその地域にふさわしい地域教育プログラムを作ることです。地域でのそうした主体的な取り組みがないと、地域の教育状況は変わりようがありません。

▼最後は地域で行う「国際教育」です。異文化理解教育ですから、外国人と交わる機会を与えることです。儀礼的な交流ではなく生活を共にするようなプログラムが望ましい。外国人との交流はできるだけアジアの人々、韓国、中国、台湾、香港、東南アジアなど近くから始めるのもいいでしょう。ですから地元JICAの協力がポイントになります。▼外国語(英語限らず中国語や韓国語などアジア語)の慣れも、そういった人たちとの日常的な接触から学んでいくことは、いまの地域の状況では十分可能です。

▼これまで国民教育に加えるべき市町村の地域主権としての、地域教育と国際教育を強調しました。自分の地域に自信と誇りをもつ人材が東京を経由しないで直接世界とつながる活動を行える状況をつくっていくことが、日本の各地方がこれからも生き延びていくための決め手になること間違いありません。ということで一応中間的な「都市と文化」の話を終えますが、補論として「市民文化」をどう理解したらいいのかを理論整理しておきたいと思います。

5.(補論)低所得社会の市民文化(第5・7講再掲可) 
『年収崩壊』(森永卓郎・角川新書)から。▼結局、構造改革で何が起こったかと言えば、大企業が従業員をどんどん非正社員に置き換え、中小下請け企業への発注単価を引き下げ、利益を増やし、その利益を使って役員報酬や株主への配当を増やした。その結果、中小企業は出口のない不況に追い込まれ、すでに働く人の三人に一人を超えた非正社員は、年収120万円台という低所得を強いられている。▼ヨーロッパの労働時間が短いもう一つの理由は、そもそも彼らが長時間労働を好まないからです。いかに人生を楽しむかとうことを真剣に考えた結果、彼らがたどり着いたのが、「なにもしないでボーッとしていることこそ、最大の幸福なのだ」という結論でした。パリのカフェには、カフェオレ一杯で、ただ道行く人を眺めている中高年がたくさんいます。実はそうした時間の使い方こそが、最高の贅沢なのです。▼ヨーロッパのサラリーマンの標準年収は300万円程度です。ただ、彼らはそれ以上を望んでいません。それで十分に暮らしていけるからです。成功への夢を追いかけ、明日に向かって走り続けるアメリカ型と、貧しいながらもゆったりと夕日のなかでうたた寝するヨーロッパ型。知り合いのギリシャ人は言う。「ギリシャは貧乏だけど、ほとんどの人が、おいしい料理とおいしい酒とステキな恋人をもっている。これ以上働いて、いったい何が欲しいと言うんだい」。▼お金持ちは働いて稼いだ人ではなく、お金に働かせて稼いだ人なのです。欧米ではお金持ちは働かないというのが常識です。日本では稀でしたが、格差社会に入ってからは増えてきています。▼定期預金は、セブン銀行・ソニー銀行・イーバンク銀行や信金などのキャンペーンによる高金利銀行へ短期運用、5年満期の固定金利型個人向け国債、主要国のソブリン債への分散投資としての投資信託、老後資金の安定のための分散した株式投資などあり。▼私が携わった高齢者生活の調査の経験では、いつまでも元気で生き生きと老後を過ごしている高齢者の特徴は、自分の活躍できる場、あるいは自分を必要としてくれる場を持っていることです。会社で培った人間関係は驚くほど早く消え去ってしまします。定年後には定年後の人間関係を築かなくてはいけないのです。定年後にどのような場を築くのかは、その人の人生観に依存します。自分でビジネスを立ち上げたい、田舎暮らしをしてみたい、ミニコミ誌をやりたい、大学に入り直したい、海外に留学したいなど。お金のかからない生きがいであればよいのですが、たいていのことにはまとまった資金が必要になります。だから、まず定年後にやることの資金計画を作るべきなのです。ある程度の退職金の額があるなら、預貯金、株式、債券、外貨に分散投資して、公的年金で生活費が不足するようになった場合に、少しずつそのとき有利なものを売っていくというのが効率がいいでしょうが、ただある程度の金融知識は要ります。▼勝ち組はプール付きの豪邸に住んでいるかもしれませんが、プールサイドでゆったりと本を読む暇などはまったくないのです。最初から勝ち組になろうなどと思わなければ、年収300万円あれば、人並みに食事はできるし、普通の服も着られ、家電製品もひととお揃えることができる。マイカーも持てる。何が勝ち組と違うかといえば、見得の部分が違うだけです。勝ち組は高級スポーツカーに乗りますが、負け組みは大衆車に乗る。勝ち組は高級スーツですが、負け組みは紳士服の量販店で買う。勝ち組はシステムキッチンですが、負け組みは流し台。それだけのことです。▼節約は、住宅費、生命保険、教育費、電話代、自動車関係費、電気代などで工夫すべし。スモールビジネスや趣味で小遣い稼ぎをし、トカイナカ(都会と田舎)生活。▼私はシンクタンクの研究員時代、多くの高齢者の方々と話をしてきました。そのなかで痛感したことは、定年後の幸福を決めるのは、お金よりも生涯を通じてやることを持っているかどうかだということでした。なんでも構いません。自分が生きがいを感じて、自分を必要としてくれる場を持つことが、幸せな定年後を迎えるために必要なのです。▼それにしても、ここにきて資源と食料の双子の高騰は、著者のいう低所得社会をも崩壊させるのだろうか。低所得社会の生き方と文化は、現在の大きなテーマとなりましたので、敢えて取り上げました。

6.(補論)市民文化のリロン整理 
さてここでは、「市民文化のリロン整理」(別途資料配布)をしてみます。窮屈な言い回しや、退屈なところも仰山ありますが、まあ、耳だけは起きていて下さい。いつかは役立ちますよ。日本はまだ市民文化成熟への過渡期の段階なわけですから、戦後から引きづってきた「社会教育の終焉」を確認し、「市民文化成熟」への展開といった視点で話を進めてみます。松下圭一『自治体再構築』(公人の友社)の中の「市民文化と自治体の文化課題」という論文を下敷きにレジュメを作りました。

(資料)市民文化のリロン整理

(1)自治体の今日的文化状況
▼日本は今日、都市型社会に移行して先進国段階に入りはじめたために、「夢」を見る時代は終わりました。夢をみることができるのは、先進国を未来モデルにできる後・中進国段階で、その状況はといえば、暗中模索が毎日で先が見えず文化も政治もまだ時代錯誤の官治・集権型の傾向にあります。では、今の日本の自治体の文化状況の現実はどうか。①緑が少なく、広告の氾濫から林立する電柱、赤茶けた道路フェンス、劣悪な公営バスのデザインなどから街並みをふくめて、みじめな地域景観です。②赤字垂れ流しの文化ホール、博物館、美術館、音楽ホール、スポーツ施設など、また暴落した美術品をもっている場合もあります。③公民館から国民体育大会、国民文化祭をふくめて、文化施策をめぐる中進国型オカミ主導といったありさまです。▼日本の各自治体は競って、各省庁の補助金などに煽られて借金をかさねながら、単品の文化施設をつくりましたが、地域の文化状況は前述のような悲惨な状態なわけです。21世紀になっても、まだ日本の地域生活のみすぼらしさは、日本の市民自体がこの実情に無関心で、ともすれば地域づくりはオカミないし土建業のシゴトとみなしてきたからです。しかし、地域づくりは農村をふくめ、市民がつくりだす政策・制度であり、とくに市民文化の成熟との関係で考えることが不可欠です。

(2)都市型社会における三文化形態
▼長いながい採取狩猟段階をへて、1万年前に私たち人間は定着農業がはじまり、やがてメソポタミア、エジプト、インド、中国の四大文明、つづいてインカなど地球各地が地域文明となる「農村型社会」に移行しました。ついで、16~17世紀にはヨーロッパが、また18世紀末にはアメリカが「国家(state)」を形成し、工業化・民主化をおしすすめ、農村型社会の共同体・身分を崩壊させていきます。国家を媒介ないし推力としたこの工業化・民主化が、いわゆる「近代化」だったのです。この欧米からはじまった工業化・民主化の結果、やがて20世紀後半には、市民型人間を大量醸成する、新しい文明段階としての「都市型社会」を生みました。日本も19世紀末の明治国家の形成によって、この近代化をすすめてきましたが、1960~1980年にかけてこの都市型社会に移行します。
▼この都市型社会の特性は、①工業化によって農業人口は10%を切りやがて数%になり、サラリーマンを大多数とする個人が、都市化のなかで「民主化」の主体となる市民化を推し進めます。②また、都市型生活様式は、農業地区をふくめ全般化します。③100万人単位から1000万人単位の巨大都市の出現によって、鉄道・航空・高速道路、電気・ガス、電話・マスコミ、ゴミ・下水道など、社会の工学的組織技術が一変します。社会のこの新しい組織技術は、戦争・テロ、災害、犯罪、感染症などにはモロイため、危機管理という新たな課題を作り出します。
▼都市型社会の生活様式は、農村型社会の共同体・身分の習慣を切り崩すため、政策・制度によるシビル・ミニマムの公共整備を必要とします。しかしこのシビル・ミニマムの公共整備は国だけではできず、自治体の「発見」、国際機構の「新設」となり、政府は自治体、国、国際機構へと三分化します。この政府の三分化のため、絶対・無謬とされてきた近代国家の観念は崩壊し、そこには国レベルの政府があるだけとなります。政府の三分化とみあって、文化形態も相互に移行・変容をふくみながら、「地域個性文化」「国民文化」「世界共通文化」の三類型に分化します。文化といえば「日本文化」といったような国民文化単位のみで考える時代は終わりました。

A 地域個性文化/農村型社会の数千年の時代のなかで、各地域につちかわれる「伝統文化」「風土文化」あるいは「エスニック文化」などの、いわゆる「基層文化」が地域個性文化です。しかしこれも時代の推移とともにゆっくり変容します。現在は地域特性をもつエコロジー、地域史、デザインという現代的座標軸で、地域個性文化を作ろうとする市民文化活動や自治体文化戦略によって、地域個性文化の再評価・見直し活性化が加速しています。具体では、自然保護、町並み保存、再開発による多様な地域空間・景観の再生から、さらには地域雇用力、地域生産力の整備・拡充をめざす新しい地域産業の形成にとりくみ始めています。
B 国民文化/日本の場合、近代化以前の多様な各地の地域個性文化を基盤として、中国やインド、あるいは「南蛮」などの外来文明をたえずとりいれ、そこからの刺激もあって、奈良・平安以降の寺院、雅楽、仮名文学など、室町以降のお茶、お花、能など、織豊以降の城郭、武士道、国学など、それぞれの時代の支配層文化が、明治になって「日本文化」の精華というかたちで、国家神話にくみこまれるわけです。庶民レベルでも明治以降は新しく、和食、和服、邦楽などといった範疇がつくられます。近代に入って成立する国民文化は、近代国家や建国に参加した政治家・官僚・知識人が「和」や「禅」を神秘化して、人工的に国民文化をつくりだすということをした。これは共同幻想ですね。ですから「日本人」とか「日本文化」とは何かと問われたら、まとまった共通理解での答えはできません。この点は、どこの国でも同じです。ということで、都市型社会に入った今日では、いわゆる国民文化自体の分解あるいは空洞化が、社会の分権化・国際化にともなう「地域個性文化」の自立、「世界共通文化」の展開のなかで進行します。
C 世界共通文化/世界共通文化は、今日の不変文明原理となった工業化・民主化を原型としている文化形態です。とくに20世紀の第二次産業革命による大量生産・大量交通・大量消費の展開が世界共通文化を生み出します。さらに今日の第三次産業革命にともなう大型ジェット機、IT技術などがこの世界共通文化をさらに加速し、地球規模での生活様式の平準化をつくりだします。事実、国連による「国際人権規約」から、ジュネーブ条約やラムサール条約、対人地雷禁止条約などの国際条約など、世界共通文化が成立し始めています。また、市民団体や企業は国境を越えて、環境問題、危機管理、災害救助をはじめ、突発する新型感染症対策など地球規模の世界共通課題にとりくんでおり、国際政治機構の国連や数十の国際専門機構による「世界政策基準」としての国際法の立法が進んできています。これらの世界政策基準なくして、私たちの日常生活がなりたたなくなってきているのです。▼かつては日本の江戸前の地域個性文化であった「握りずし」は今や世界共通文化ですし、日本の年末のクリスマスやベートーベンの第九はヨーロッパの地域個文化であったわけです。こうして三文化形態は相互に移行し転換しあい国際共通文化へとなっていくのです。

(3)市民文化の三政治文脈
▼市民文化の発生条件は、①工業化に伴う人口のサラリーマン化を基盤に、大量生産・大量交通・大量消費から促がされる生活様式の平準化です。②民主化に伴う自由と平等という価値意識の定着と選挙からくる政治における個人権利の平等化です。次いで、市民文化の成立条件は、①人々の「教養と余暇」の拡大、②シビル・ミニマムの公共整備です。都市型社会での生活条件の整備には、農村型社会におけるような共同体・身分の慣行によってではなく、「政策・制度」による「シビル・ミニマム」の公共整備が不可欠になります。この公共整備をめざした、市民ないし市民活動の品性・力量は「教養と余暇」に伴う活動ないし参加によって訓練されます。ですから農村型社会で、朝には星をいだいて出て、夕には月を仰いで帰る、では日常の市民活動はできません。実は、いまのモーレツ社員も同じなんですが。それはともかく、2000年の地方分権改革によって、「機関委任事務」方式という、明治国家が作り出し、戦後も再編されてつづいてきた官治・集権のトリックの廃止がきまり、各市町村、各都道府県それぞれが、政策・制度改革の発生源となる、自治・分権段階へと移行がはじまりました。日本でも「市民政治」への枠組みが整いました。この政治文脈を踏まえて、次の三つの文化的緊張をもたなくてはなりません。
A 自治文化/「発想形態」をめぐっては、自治文化と官治文化の緊張が基本です。さしあたり、20世紀のマスメディアがつくりだした国民神話ともいうべき大衆ドラマをめぐって、自治文化ではアメリカの「西部劇」、官治文化では日本の「水戸黄門」を想起してください。▼西部劇では、先住民への過酷な迫害の歴史がくみこまれていますが、白人の世界だけでみれば、問題解決をめぐってアメリカ人は「いつでも、どこでも政府をつくる」と、かつてJ.S.ミルが述べたように、失敗をかさねながらも自己武装による庶民の自治能力を示しています。原始民主政治における自治の幻影がそこにはたえず再生して描かれます。▼これに対して、水戸黄門では、黄門の既成権威によって官僚の助さん、格さんがたちまち問題を解決します。だが、そこにいる庶民は問題解決についての自治能力もなく、ただただペコペコ土下座しているだけではありませんか。自治の誇りなき、いわば日本原人の姿が大衆ドラマの作りだした「土下座」です。日本における政治としての自治の歴史としても、一時、政治が分権化する室町・戦国時代前後の惣村・惣町、とくにこの系譜にある一揆、あるいはいくつかの自治都市のかすかな記憶が残るだけです。
B 公共文化/「空間感覚」では公共文化(イクステリア文化)と私文化(インテリア文化)の対比となります。▼日本人は花や緑を愛するという伝説がありますが、街には花や緑はありません。この伝説は床の間の切花あるいは塀に囲まれた庭の中での私文化幻想にすぎません。いわば、市民の公共生活をかたちづくる公共文化という発想がなく、個人として内向きとなる私文化に閉じ込められています。戦前は知識人の「教養」、庶民の「趣味」というかたちでの私文化でしたが、戦後はマスコミによる私文化感覚の相互同調としての「大衆文化」への埋没となります。▼公共空間では、最近再開発などの特定地区では変わり始めましたが、しかし依然として町並み、広場、歩道、駅、バスストップの貧者さ、また電柱の林立、広告の氾濫、デザイン水準の低い道路フェンスというのが、今日も日本のみじめな中進国型の地域景観の実態です。公共空間が官僚を中核とした政官業複合に統御されるとともに収奪され、その底辺ではムラを行政が再編した町内会・地区会にがんじがらめにされているかぎり、市民の誇りを示す公共空間を造形できなかったのは当然でした。個人は「鬼は外、福は内」とならざるを得なかったのです。これが私文化です。▼日本ではまだ、市民のヨコの相互性が公共であり、政府は公共つまり市民がいつでも作り変えうる「道具」にすぎないという、先進国系譜の「市民社会論」型の発想が育っておりません。個人の相互性、つまり市民自治・市民共和の文脈による公共善ないし共通規範の構想から、新しい多元・重層の市民型「公共」が成立します。
C 寛容文化/「生活態度」では、まだムラ型の横ナラビ、先オクリを基礎において、マス型のミンナオンナジという同調性が広がっています(頂点同調主義)。テレビ番組、マスコミ論調や学説までをふくめて、その著しい画一化、あるいは経済における省庁主導の護送船団方式を想起してください。日本の政治でも、まだ複数政党制による政権交替が未熟という中進国段階にとどまります。最近はようやく、都市型社会の成立から、市民参加型政治家あるいは逆に大衆追従型(迎合)政治家(ポピュリスト)の登場を時折みるものの、全体としてはまだ、市町村・都道府県、国を問わず、国の官僚を中核に各政府レベルでの官治・集権型の政官業複合が政治を実質掌握しています。▼この政官業複合をささえるミクロ政治のムラ型と、それと重なるマクロ政治のマス型の同調文化は、市民の自立ついで経済・政治・文化の多元性・重層性、つまり「分節社会」をめぐる「寛容文化」とは異質です。しかも、寛容こそが、多元・重層の分節社会における合意手続きである「討論」の土壌なのです。▼ですが、市民活動を可能とする「言論の自由」が基調にあるはずのこの個人自由ないし寛容が、たえず復調するムラ型ついでマス型の同調性の前で危機にたつのが、都市型社会におけるマス・デモクラシーの問題性です。ここから、基本的人権、ついで社会分権・地方分権、また権力分立によって、多元・重層構造をもつ「分節政治」をかたちちづくっていく自治体・国・国際機構の各政府レベルでの「基本法」の策定、ついでそのたえざる再認識が、都市型社会ではつねに要請されます。▼日本での「公共」とは、これまでは、市民のヨコの相互性を排除した、市民と対立するタテのオオヤケなしオカミ、あるいは「官」ないし「国家」でした。だから、明治以降つい最近まで、日本の思想軸は、分節政治をかたちづくる「現代」以前、つまり「近代」の「国家対個人」にとどまってしまったのです。公共事業も「市民自治」からの地域づくりではなく、今日も「国家統治」による行政の土建事業あるいは景気対策にすぎないわけです。

(4)市民文化活動の自立と水準
▼1960年代以降、市民活動の出発段階では、①国の政治・行政ないし法制が「農村型社会」を原型とする時代錯誤のままのため何でもハンタイ型、あるいは②都市型社会への移行にともなうシビル・ミニマムの量的充足をめざしたモノトリ型とならざるを得ませんでした。しかし2000年代の今日ともなれば、①では、市民活動ついで自治体改革がおしすすめてきた機関委任事務の廃止という地方自治法大改正による法制改革が第一歩を踏み出します。また②でも、シビル・ミニマムの量充足はムダヅカイをした自治体の下水道をのぞいてほぼ終わるため、その質的整備があらたに課題となります。この①と②から、都市型社会本来の市民文脈がもつ、政治・行政、経済・企業、文化・理論の再編、つまり官治・集権型から自治・分権型への政策・制度改革が新たな課題となります。官僚組織を中核におく明治以来の「国家論」という虚妄は終わって、各レベルの政府にたいする「市民管理」つまり市民主体の「公共政策」再編という「実学」に転換すべきなのです。
▼ついで、明治以来、国の政治・行政による文化の制度化の終りにも注目すべきです。明治の教育勅語以降、帝国憲法とあいまって、いわゆる国家という名で政治・行政が文化統制の大枠をかたちづくり、最後には戦時中の国民精神総動員となったことはご承知のとおりです。だが、日本国憲法の戦後でも、旧来のムラ文化を基盤に、行政が主権者市民を教育するという官治型の倒錯した考え方を、「社会教育行政」がになってきました。1960年代以降の市民活動の出発は、それゆえ、社会教育行政つまり「国家」ないしオカミに対する、市民文化活動の自立となっていきます。このことを中心論点に松下圭一は1986年『社会教育の終焉』(筑摩書房)を著し、その直後の1988年、当時の文部省は実態は変わらないのにもかかわらず、社会教育局を生涯教育局と看板を書き換えます。
▼こうした背景から、市民文化活動を起点に、たえざる自治体改革、つまり既成自治体体質の自治・分権型への転換、さらに国自体の政治・行政の分権化・国際化が急務となっていくのです。とくに自治体では、行政の文化水準を上げるため、①「行政(自体)の文化化」という行政文化の見直し、ついで世界共通文化を視野にいれた地域個性文化の創出と、これにともなう②「地域文化戦略」としての地域雇用力・生産力の拡大が求められました。しかも、この地域文化戦略には、地域個性をもつエコロジー、地域史、デザインをふくみながら、その結集としての自治体計画による展開が求められます。▼文化の政官業複合とは、たとえば市民が自主性をもって開いているはずの展覧会などにも、情けないのですが、オカミからの総理大臣賞、文部科学大臣賞など、また知事賞などが出ているではありませんか。あるいはイベントなどでは教育委員会後援がアタリマエになっている政治風土(文化風土)がそこにあります。
▼1980年代頃の政治行政の基本課題は、国の通達・補助金を基本手法とするシビル・ミニマムの量充足をめざした大型土木・建築による新開発はほぼ終わります。ついで財政緊迫の2000年代に入り、ようやく各自治体独自の「地域文化戦略」による、人材やハコモノなど既存政策資源の再活性化によるシビル・ミニマムの質整備に課題が変わります。農村地区では近くの川や海を豊かにするエコ森林の造成、都市地区では防災、景観、環境の水準上昇をめざした大小の緑の導入といった、市民生活の質整備こそが市民ついで自治体の戦略の基本になります。
▼もちろん、行政の文化化では、長・議員、また官僚・職員それぞれの文化水準も問い直されます。自治体職員も、自治・分権型の発想による地域個性文化をかたちづくるプランナー型・プロデューサー型へと変わらざるを得ません。

(5)自治体による地域文化戦略
▼前述した都市型社会の市民文化活動が成熟すれば、政治行政から、あるいは企業からも自立し、サークル型ないしクラブ型を原型とした、地域からの自由な市民文化活動が基本となります。また加えて、①文化団体の自立、②文化産業の成立がつづきます。①については、スポーツをふくめて文化団体の類型化がむつかしいほど多様です。②の文化産業(日下公人氏が提起)については、マスコミ、出版、音楽、映像あるいは企画、デザインなどの企業、さらには美術館、博物館など、また研究所、大学、文科系専門学校などだけではありません。農林漁業をふくめ多くの産業が文化関連産業となっています。とくに建設・土木産業、緑化産業、看板・印刷業、IT産業、観光・レジャー産業、流通産業、飲食産業、服装産業あるいは交通・自動車産業など、広く考える必要があります。地域金融もありますね。つまり、私たちの今日の生活様式自体が文化であるため、産業の文化水準は市民あるいは地域の文化水準、市民あるいは地域の文化水準は産業の文化水準という循環関係にはいります。
▼松下圭一氏は1986年の『社会教育の終焉』で、社会教育課あるは社会教育行政を廃止し、行政全体の文化水準をおしすすめる、「行政の文化化」と「地域文化戦略」の構築をめざした文化行政を、長の部課に新設する「文化室」の担当とすることを提起するとともに、教育委員会を緊急性をもつ学校問題に特化させることを合せて提起しました。
▼その『社会教育の終焉』では戦後再編された社会教育行政について、次の五つの問題提起をした。
①主権者である成人市民を、行政が子供モデルで教育するというのはマチガイである。生涯学習と名称を変えても社会教育行政の温存をはかるにすぎない。
②社会教育行政の講座は広く浅い。思いつき型のナンデモヤにとどまる。もし子育て講座、地域づくり講座など市民が必要な講座の設置であれば、長の専門各部課が担当すべきで、そうなれば講座で発言する市民と自治体政策との間に市民参加の連携・緊張が可能となる。
③小型の公民館は文化室担当の貸し部屋に徹し、専従職員をおかず、市民運営・市民管理とする。この市民参加自体が市民の文化・政治塾度を高める。
④大型・中型の専門文化施設も、当然、市民参加を基本とし、タテ割り文部科学省から解放されている文化室の担当にする。
⑤長期・総合の自治体計画のなかに、地域の文化アセスメントを踏まえた、自治体による地域文化戦略の構築、位置づけが不可欠である。

▼くわえて以下の三論点は争点として公開されるべきであろう。
A 既成資源である旧来のハコモノの再活性化
①少子高齢段階への移行によって、人口急増地区をのぞき、子ども向けの保育園、幼稚園、学校は余りますが、高齢者向け施設が足りませんから、すでに旧厚生省・文部省の通達がでているように、空き教室などは改修したうえでの転用が求められます。
②世代別・階層別の児童用、婦人用、老年用などの多様な施設は、世代・階層ごとに活用時間などが特定されアキ時間が多く不効率になっているため、設置目的の見直し・再編が不可欠です。専従行政職員の必要性も改めて問題とすべきで、市民管理・運営に移行してよい分野です。
③専門施設としての音楽ホール、美術館、博物館、図書館、スポーツ施設などでは、その運営管理をめぐって市民参加の導入、これにともなう専門スタッフ、研究スタッフの資源ないし熟度、また責任が改めて問い直されるべきです。しかも、いずれも公立である必要はありません。個人や団体、企業がすでに設置していますし、あるいは民設公営、公設民営でもよいのです。
④ハコモノの運営管理は、人件費をふくめて毎年各施設ごとに、原価計算、事業採算の公開をすすめて市民とともに討議し、さまざまな手法の検討、あるいは廃止もふくめて、その管理運営方法の検討が緊急になっています。

B オマツリ型の文化イベントの見直しとその再活性化
▼ここでの再活性化の基本は、「文化行事」から「市民文化活動」への転換にあります。自治体からの補助金あるいは職員派遣によってしか維持できない文化行事はマンネリ化そのものです。自治体文化戦略からみて不可欠である特定のイベントあるいは文化財保護関係をのぞいて、自治体による「支援」ないし「協働」の廃止は当然となります。市民文化活動は、本来、行政からの自立が基本です。※この市民と行政の協働という言葉は、課題や責任の分担・ネットワークづくりは当然なのですが、最近はいつのまにか、行政による支援に化け、最後には行政による指導・育成にという官治スタイルに逆流しているのが実態です。

C 文化関連の自治体資源の見直しあるいは廃止
▼国による必置規制の廃止、緩和とあいまって、従来の社会教育主事、公民館主事、学芸員や司書など、また各種指導員などの資格要件についても、市民文化活動の活発となった今日、国基準をふくめて、各自治体独自の見識による実質廃止をふくめた見直しは当然です。資格要件と専門熟度とは別です。最近は熟度の高い中高年専門家の公募もはじまりましたが、従来の「資格職」養成・採用ルートとは異なった市民型発想の専門家は、市民型発想の大学教授と同じくいまだ少ないとしても、今後急速に登場してくるでしょう。
▼それと、これまで地域景観の貧しさを述べてきましたが、公共空間の公共設計という問題意識も1970年までは未熟だったため、建築という「点」中心の建築学科、道路や堤防などの「線」中心の土木学科が主流だった日本の大学では、地域を「面」としてとらえる公共設計にかかわる学科編成がたちおくれ、造園とともに、いまだに理論未熟・人材不足といってよいでしょう。この公共設計にかかわる職種は、法務・財務とともに、これからの自治体の戦略職種を担います。
▼地域個性をもち生活の質をかたちづくる地域文化戦略というこの課題領域は、遠く離れている国レベルの政府・官僚では対応できません。そこでは地域の文化活動をめぐる熟度やスキルを市民・自治体が身につけるといった「市民文化」の力量が問われているのです。
▼都市型社会にはいりますと、文化をめぐっては、市民活動の自由・自治を基本に、時間のゆとり、空間の豊かさを、生活ないし地域にいかにつくるかが問われます。人間は地球規模での仕事や観光、研究などで飛び回っていても、地域から解放されることはありません。人間は結局大地に帰ります。地域に帰るのです。以上で、市民文化の理論整理を終えます。

7.資料編  
▼写真資料/「ルンビニの野外学校(ネパール)」、「劇団SCOT(富山県利賀村)」。
▼音楽資料/モーツアルト「ト短調の弦楽五重奏曲第4番K516」アレグロ(約10分)。
▼印刷資料/「(補論)市民文化の理論整理」。

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