2008年12月20日土曜日

よかったね 2

▼人類は葬礼という習慣をもつことによって他の霊長類と分かれた。ではなぜ、葬礼を行うのか?理由はひとつしかない。それは葬礼をしないと死者が「死なない」からだ。死者は生物学的に死んでも、私たちのまわりにとどまる。私たちは、死者の使った道具にその「魂魄」を感じ、死者のいた部屋に入ると、その気配を感じ、死者に祈ると、その声がきこえる。私たちは死者の祟りで苦しめられ、死者の気づかいで護られる。旧石器時代に、私たちの祖先は死者と生者のあいだに境界線を引くために葬礼の制度をつくった。▼死者という概念を私たちの祖先がつくりだしたのは、死んだ人間は「モノ」ではないという人間特有の幽かな感覚を基盤にして、「他者」という概念を導出するためではなかったか。「他者」という概念をもつものだけが共同体を構築することができ、「他者」を感知できるものだけが交換や分業や欲望や言語を創出することができるからである。▼親子や夫婦の関係のほんとうの価値は、「楽しい時代」にどれほどハッピーだったかではなく、「あまりぱっとしない時代」にどう支え合ったかに基づいて考量される。政治運動だってある意味それと同じである。落ち目のときに誰がどんなふうにその運動に付き合い、誰がどんなきちんと「葬式」を出したかということは運動の価値に決定的に関与するのである。▼原理主義者は「リソースは無限である」ということを前提にして、至純にして最高のものを求める。機能主義者は「閉じられた世界、有限の時間、限られた資源」の中で、相対的に「よりましなもの」を求める。どちらがよりよい生き方であるかは決しがたい。けれども、無人島に漂着したとき、どちらが生き延びる確率が高いかはすぐわかる。▼私自身は人間の社会的価値を考量するときに、その人の年収を基準にとる習慣がない。どれくらい器量が大きいか、どれくらい胆力があるか、どれくらい気づかいが細やかか、どれくらい想像力が豊かか、どれくらい批評性があるか、どれくらい響きのよい声で話すか、どれくら身体の動きがなめらかか、そういったさまざまな基準にもとづいて、私は人間を「格づけ」している。▼「女性的なもの」の本質は「無償の贈与」である。見返りを求めない贈物のことである。ユダヤ神秘主義の創造説話によると、神の最初の行動は「おのれ自身のうちに退去し、そこに空間を作った」ことである。つまり、神さまが席を立って、その空席に「はい、どうぞ」と被創造物を贈ったことによって天地は始まったと教える。レヴィナスはこの「女性的なもの=神的なもの」のうちに、人間と社会性、つまり共生のチャンスを根源的に基礎づける「倫理の最初の一撃」を見いだした。しかし、この「無償の贈与」という考想はいまのフェミニズムからずいぶん遠いものであるように私には思われる。▼むかし原理主義、いま機能主義。十二月二十日(土)

2008年12月7日日曜日

よかったね (380)

『こんな日本でよかったね-構造主義的日本論』(内田樹・バジリコ)から。▼私が二十二歳の時に書き飛ばしたアジビラの主張のほとんどに一片の共感も覚えもなかった。にもかかわず「人を挑発する仕方」、措辞の選択、語調やリズム感は、まぎれもなく私のものであるが、それが伝える「メッセージ」は、当の私でさえ覚えていないくらいだから、たぶんそこらで聴いた誰かの話の受け売りである。ということは、そういう「言い方」こそが私にとっては一次的なものであり、「言いたいこと」、コンテンツの方が副次的、派生的なものだということになる。▼強い言葉があり、響きのよい言葉があり、身体にしみこむ言葉あり、脈拍が早くなる言葉があり、頬が紅潮する言葉があり、癒しをもたらす言葉がる。現に、そうやって読み手書き手の身体を動かしてしまうのが「言葉の力」である。たくみな「言葉づかい」になるためには、子どものときからそのような「力のある言葉」を浴び続けることだけが重要なのである。その経験を通じて、はじめて「諧調」とは何か、「響き」とは何か、「論理性」とは何か、「抒情」とは何かということが実感としてわかるようになる。論理的な文章は「気持ちがよい」が、非論理的な文章は「気持ちが悪い」から、わかるのである。それを判定するのは身体的な感覚である。それは幼いころから美しい音楽を浴びるように聴いてきた子どもが演奏の半音のずれを「不快な音」として聴き咎めてしまうのと同じである。論理性を身につけるためには、論理の運びが美しい文章を浴びるように読む以外に手だてはない。「力のある言葉」を繰り返し読み、暗誦し、筆写する。国語教育とは畢竟それだけのことである。▼創造というのは自分が入力した覚えのない情報が出力されてくる経験のことである。それは言語的には自分が何を言っているのかわからないときに自分が語る言葉を聴くというしかたで経験される。自分が何を言っているのかわからないにもかかわらず「次の単語」が唇に浮かび、統辞的に正しいセンテンスが綴られるのは論理的で美しい母国語が骨肉化している場合だけである。それが言葉の力である。▼カランによれば、私たちが語るとき私たちの中で語っているのは他者の言葉であり、私が他者の言葉を読んでいると思っているとき、私たちは自分で自分宛に書いた手紙を逆向きに読んでいるにすぎない。▼母国語運用というのは、平たく言えば、ひとつの語を口にするたびに、それに続くことのできる語の膨大なリストが出現し、その中の最適の一つを選んだ瞬間に、それに続くべき語の膨大なリストが出現する、というプロセスにおける「リストの長さ」と「分岐点の細かさ」のことである。「海の香りが…」という主語の次のリストに「する」という動詞しか書かれていない話者と、「薫ずる」「聞こえる」という動詞を含んだリストが続く話者では、そのあとに展開する文脈の多様性に有意な差が出る。分岐点のないストックフレーズだと、ある語の次に予想通りの語が続くということが数回繰り返されると、私たちはその話者とのコミュニケーションを継続したいという欲望を致命的に殺がれる。「もう、わかったよ。キミの言いたいことは」というのはそういうときに出る言葉である。▼ストックフレーズを大量に暗記し適切なタイミングで再生することと、言語を通じて自分の思考や感情を造形してゆくという(時間と手間ひまのかかる)言語の生成プログラムに身を投じることは、どちらも巧みにある言語を操ることだけれど、実はまったく別のことである。十二月七日(日)

2008年11月17日月曜日

粘菌クマグス

『クマグスの森・南方熊楠の見た宇宙』(松居竜五・とんぼの本/新潮社)から。▼熊楠は、生物を個別の現象としてではなく全体として理解しようとしていた。「諸草木相互の関係ははなはだ密接錯雑致し、近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出て来たりおることに御座候(川村竹治宛書簡、1911年11月19日付)」と書く熊楠は、生態系という新しい概念をきわめて正確にとらえ、日本で初めて本格的に生態学を取り上げることにつながった。▼熊楠の神道とはタブーの体系であるという考え方は、神社合祀反対運動の理論的な背景となった。小さな神社や祠こそが、そのまわりに人間がタブーによって立ち入ることのできない神の領域を作り出し、結果的に人の手が入らない「神林」を作り上げ、自然と人間の関係を調和させていると熊楠はいう。▼和漢三才図会を筆写し、毘沙門天の申し子と言われた少年時代。フロリダ、キューバを放浪、孫文と交わり、殴打事件を起こす外遊時代。帰朝後も、神社合祀反対運動、ミナカテルラ菌の発見、昭和天皇への御進講などエピソードは途方もない。▼このクマグス案内に『森のバロック』(中沢新一・講談社学術文庫)はどうだろうか。十一月十七二日(月)

2008年11月9日日曜日

美人投票の経済

『閉塞経済』(金子勝・ちくま新書)から。▼どの経済学の教科書にもバブルは正面から取り上げていないが、ケインズだけは『一般理論』のなかで「美人投票論」を提起している。たとえば美人投票をやって、一位の人に投票した人には何か懸賞が当たるとします。すると、自分の好みの美人に投票するわけではなく、「みんなが美人だと思う人」に投票するようになる。つまり、「この人ならみんなが美人だと思うだろう」という予測のもとに、その人に投票するので、票が集中するのです。美人を株や土地に置き換えると、「みんなが土地や株の値段が上がるだろう」と思うと、そこに向かってみんながお金を投資する。すると、みんながお金を投資してそれを買おうとするから、価格がますます上がってもうかるので、ますます土地や株の需要が増える。▼バブルが繰り返される理路と、マクロ経済をよく理解させてもらえる書です。十一月九日(日)

2008年11月3日月曜日

壊れるアフリカ

『アフリカ・レポート』(松本仁一・岩波新書)から。▼指導者は、「敵」をつくり出すことで自分への不満をすりかえる。アフリカでよくみかける構図だ。ルワンダの大虐殺もジンバブエの経済崩壊も、そうして起きた。ルワンダはフツ族85%、ツチ族15%。で、1973年にフツ族の国防大臣がクーデターで政権を握ると、絶対多数を背景に独裁を続ける。90年代に入り政府有力者の腐敗に不満が高まる。それに対し政権側はラジオなどで「悪いのはわれわれではない、ツチだ」とする宣伝を開始。大統領の飛行機が何者かに撃墜されると、宣伝にあおられた部族憎悪が一気に噴き出し、大虐殺につながった。ジンバブエでも「1300万人の国民は苦しい生活を続けているが、見てみろ、人口の1%にも満たない白人が全農地の20%を所有し、あんな裕福な生活を楽しんでいる。お前たちが苦しいのは政府のせいじゃない、あいつらのせいだ」と宣伝・扇動した。ムカベ政権は、白人農場を接取したが、その農場から大量の失業者を生み出し、経済は崩壊した。▼アフリカは多部族国家がほとんどだ。選挙は出身部族の人口比で決まってしまう。国益より部族益が優先される。ジンバブエのムガベ大統領は人口8割を占めるショナ族の出身だ。ショナ族に有利な政策をとっていれば選挙に敗れることもない。政権は長期化し、腐敗する。国づくりは放置され、指導者が私物化した巨額の公金は海外の銀行に蓄財され、国内の市場に出回らない。蓄財した金が社会資本として回転しないため、経済の進展もない。さらに利権を握るグループと、排除されたグループとの対立が激化する。2007年末のケニアの大統領選挙では、それが部族間憎悪となり、殺し合いにまで発展した。▼現代アフリカの最大の問題は、先進国の無関心や、当事者国の累積債務などではない。「公の欠如」なのだ。それが部族対立、民族対立を生み出している。水や電力、警官や教師の確保といった公共政策に向かわない、このことが問題なのだ。▼中国には2億人の余剰労働者があふれ、国外脱出をうかがっている。しかも、入り込む余地のない先進国でなく、政府が自国の経済を保護しようとしていないアフリカに向かって流れ込んでいる。それにアフリカの中国人は商売がうまい。黒人商人は、売れ筋をつかんだ場合でも、在庫が切れるまで注文しない。次の商品が届くまで時間があき、売れ筋が変わってしまう。決定的なのは、商品を安く仕入れるルートをもっていないことだ。中国本土の生産現場と直結する中国人卸商とは、はじめから大きな違いがある。卸売りの分野では、中国商人の天下は続くだろう。▼アフリカの指導者たちは、勤勉な勤労者を育てるよりも、利権目当てで外国企業の進出を優先させた。中国商人も入り込んできた。国家指導者がうまい汁を吸っている間に、アフリカの富は国民に行きわたることなく、他者に奪われていく。▼壊れていくアフリカであるが、光るものもある。ジンバブエの農業NGO「ORAP」である。農業の事業資金は政府に頼らず、自分たちで稼ぎ出し、生産と販路を決定していく。その事業方式は隣国にも影響を与え始めた。十一月三日(月)

2008年10月27日月曜日

侵略の手口

『反米大陸』(伊藤千尋・集英社新書)から。▼米国の領土拡大の先兵となったのが海兵隊だ。海軍は海上で戦闘するが、海兵隊は海軍の艦艇で運ばれて敵地に上陸し、陸上で戦う。日本では江戸幕府に開港を迫ったペリー提督の船に乗り込んでいた海兵隊200人がその途中に琉球に上陸し、首里城を占領した。だが、海兵隊がもっとも多く出動したのは中南米だ。最初は1806年、当時スペイン領のメキシコで、その後は手近なカリブ海はもちろん、1832年には「アメリカ市民の生命と財産の保護」を理由に、アルゼンチン沖のフォークランド諸島に上陸している。帝国主義時代に入った20世紀初頭には、武力介入が増え、とくに運河をねらった中南米のニカラグアとパナマ、カリブ海の通商権をねらってのドミニカやキューバ、ハイチへの上陸、占領など、毎年どこかの国を侵略した。中南米だけでも150回近くも出動している。▼アメリカの侵略と軍事介入の手口。①アメリカに都合の悪い政権を非難する。その口実は共産主義、あるいはテロリスト、悪の枢軸、民族浄化などのキャッチコピーだ。②反政府放送局を設けて、謀略宣伝を流す。③アメリカの言うなりになる兵士を集めて、傭兵として反政府ゲリラを組織し、自分の手は汚さずに気に入らない政権をつぶす。兵士の多くは元の独裁政権の軍人だ。指導者にはアメリカ人、あるいはアメリカで訓練された軍人を充てる。④ゲリラに周辺から侵攻させる。ゲリラの兵力が少なく頼りないときは、米軍が軍事顧問団として支援する。⑤領土の一部を占拠すると、アメリカの言うことに従う人を代表にして、傀儡政権を樹立させ、その政権からアメリカに支援要請させる。⑥その要請に応える形で海兵隊が出動し、武力で制圧する。▼中南米がたどってきた「反米」、日本がたどってきた「従米」。十月二十七日(月)

2008年10月22日水曜日

viba じぶんち

内田樹のブログから。▼そのあと6、7回パリに来ているが、いずれも語学研修の付き添いであり、日程の最後の頃にはつねに疲弊し果てており、早く日本に帰って、「viva じぶんち」でごろごろしたいと涙ぐむ。今回も同じ。別にパリに文句があるわけではない。これがハワイでも、バリでも同じである。私に1週間以上海外旅行をさせることに無理がある。地上に3分間しかいられないウルトラマンと同じく、私も「じぶんち」を離れては長く生きていられない人間なのである。しかし、幸いに今の自分には「仕事」という逃げ道がある。ipod でモーツァルトを聴きながら、Mac Book Air のキーボードを叩き、心に浮かぶよしなしごとを書き連ねてゆけば、いつのまにか日は暮れている。▼自分の家にいれば幸せなのである。朝、大学に行くのが面倒だなあと思うこともしばしばある。むろん大学が嫌いなわけではない。行けば行ったで、楽しいのである。しかし、それも我が家でごろごろしている幸福には比較すべくもない。ごろごろと掃除をし、ごろごろと洗濯をし、ごろごろとアイロンをかけ、ごろごろと本を読み、ごろごろとご飯を作り、ごろごろと仕事をし、ごろごろと酒を飲み、ごろごろと映画を見て、ごろごろと漫画を読みつつ眠りに就く。「ごろごろと昼寝をし」というのが抜けているのではないかと疑問に思われる方もおられるであろうが、上記の文中の「ごろごろ」は擬態語ではなく、総じて「昼寝をしつつ」という意味なのである。私はほんとうに「昼寝をしながら飯を作る」というようなことをするのである(蕎麦をゆでている間にソファーで3分間のまどろみ…というように)。アイロンかけはさすがに危険があるので昼寝は避けているが、「縫い物」などの場合は、しばしば途中でふと気づくと、手に針を持ったまま眠っている。世間の人は私のことをハイパーアクティヴな人間のように思いなしているが、実は私は「ハイパーごろごろ」の人なのである。この「ごろごろ」の間に、私は夢を見、よしなき想像をめぐらせ、半睡半覚の夢幻境にある。私が「変わったことを言う人間」だと思われている理由の過半は、実は私が「半睡半覚の夢幻境」において得たアイディアをそのまま紙に書いているからなのである。「現実から離脱する」ことが現実を解析する上できわめて重要であると信じる点で、私は荘子に深く同意するものである。▼そうなのである。十月二十二日(水)

2008年10月12日日曜日

ダークサイト

『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(内田樹・角川文庫)から。▼権力や威信には必ずその「ダークサイド」がついて回ります。余禄があり、インサイダー情報があり、収賄のチャンスがあります。そういう部分込みで社会ポストというものはあるわけです。▼漱石の小説は、そのほとんどすべて連載小説でした。新聞連載ですから、毎回読みきりでオチがないといけません。そういう制約の中で、『虞美人草』『それから』『こころ』などの傑作が生まれたわけです。無条件より制約を受けた方が創作意欲が湧くというのは人間の場合にはあるのです。それに、定型があるものの方が「飽きない」のです。▼仮に本が一冊もなく、全部の情報がパソコンに入っているとしたら、自分自身の知的なストックってどれくらいあるのか、ほんとうのところ確信が持てなくなるのではないでしょうか。だけど、本棚に何百冊かずらっと並んでいると、毎日何とはなしに、ほんの背表紙と顔を合わせることになります。そうすると、マルクスとかフロイトとかサルトルとかいう文字をみるたびに、ああ自分はこういう本を読んで大きくなってきたんだよな、という自分の精神史を確認できます。自分自身の知的なポジションとか、発達プロセスをビジュアルに確認できます。▼ある著者の愛読者というのは、その人の「新しい話」を読みたくて本を買うわけじゃない。むしろ「同じ話」を読みたくて本を買うんだと思います。志ん生の落語を聴きに来る人は、「前に聴いたのと同じの」を聴きにくるわけです。「まくら」が同じだと言って喜び、「落ち」が同じだと言って喜ぶ。現に、志ん生が「まっ、ここはあたしに任しておいて下さい」というと会場はわっと湧きます。音楽も麻薬みたいなもので、同じ曲想の音楽を何度も聴きたいんです。同一のものが微妙な差異を含みつつ反復することのうちに快楽があるわけです。同じものの反復服用が快感なんですね。▼「できるけど、やらない」というのが「らしさ」の節度であり、そこからにじんでくるものが、「身の程をわきまえている」人間だけが醸し出す「品格」というものなのです。自分のありのままをむき出しにするという作法は、その人にどれほどの才能があろうと能力があろうと、「はしたない」ふるまいです。▼他人に対して優しくするにはいろいろなやり方がありますが、「ほっっといてあげる」というのは、その中でも一番難しい接し方です。でも、適切なしかたで「ほっといてもらう」ことほど人間にとって心休まることはないのです。ほんとうに親しい人たちの間では、ときに「何もしない」ということが貴重な贈り物になることもあるのです。でも、こういうことには、「コミュニケーションとは贈与である」という、ものごとの基本が分かっていないと、なかなか理解が及ばないでしょうね。▼身も蓋もない言い方をすれば、人間は期待していたよりバカだったのです。「もう制約をしないから、これからは自分の好きな生き方をしてごらん」と言ったら、みんなお互いの顔色を窺い出して、お互いを真似し始めたのです。人間の欲望は本質的に他人の欲望を模倣するものです。変態で猟奇的な犯罪も、先行する犯罪を「コピー」している。人間は自由であればいいのですが、うっかり自由にしてしまうと、人間のあり方が全部同じになってしまいます。多様性を確保するためには、固体を一人ひとり好き勝手にさせておく方がいいのか、それともある程度の固体をひとまとめにして「型」で縛る方がいいのか。「オリジナルな欲望」というものが存在しないから、誰かの欲望を模倣し、誰かに自分の欲望を模倣されるというかたちでしかコミュニケーションを立ち上げることができないからです。これが自由と制約をめぐるすべての問題の起源にある人間的事実です。十月十二日(日)

2008年10月3日金曜日

rentier

『街場の現代思想』(内田樹・文春文庫)から。▼酒井順子『負け犬の遠吠え』は、フランスのrentier(ランティエ/国債による金利生活者)を連想させた。ヨーロッパではデカルトの時代から1914年までは、貨幣価値がほとんど変わらなかった。ということは、先祖の誰かが小金をためて、それでアパルトマンと国債を買って遺産として残すと、相続人は、贅沢さえ云わなければ、無為徒食することができた。そういう人々がフランスだけで何十万人か存在した。仕事をしないでひねもす肘掛椅子で妄想に耽っている。なにしろ彼らは暇である。しかたがないので、本を読んだり、散歩をしたり、劇場やサロンを訪れたり、哲学や芸術を論じたり、殺人事件の犯人を推理したりして生涯を終えるのである。もちろん結婚なんかしない。せいぜい同性の友人とルームシェアするくらいである。ホームズとワトソンのように。しかるに、このランティエこそヨーロッパにおける近代文化の創造者であり、批評者であり、享受者だったのである。▼それも当然である。新しい芸術運動を興すとか、気球に乗って成層圏にゆくとか、「失われた世界」を探し出すとか、そのような冒険に嬉々としてつきあう人間は「扶養家族がいない」「定職がない」「好奇心が強い」「教養がある」などの条件をクリアしなければならない。「ねえ、来週から北極に犬橇(そり)で出かけるんだけど、隊員が一人足りないんだ」「あ、オレいく」というようなことがすらっと言える人間はなかなかいない。ブルジョアジーは金儲けに忙しく、労働者たちはその日暮らしと革命の準備で、そんな「お遊び」につきあっている暇はない。残念ながら、このランティエという遊民たちは1914-18年の第一次世界大戦によって社会階層としては消滅した。インフレのせいで金利では生活できなくなってしまったからである。彼らはやむなく「サラリーマン」というものになり、世界からホームズたちは消えてしまった。▼「ありあまる時間と小金の欠如」という理由から、今日の人々に「ランティエ」的生き方を禁じている。これが現代の文化的衰退の大きな原因であることはどなたにもお分かりいただけるであろう。しかし、ここに「負け犬」という新しい社会階層が登場したのである。彼女たちは「パラサイト」であるか一人暮らしか、同性の友人とルームシェアしているか、とにかく「扶養家族」というものに縛られていない。職業についても男性サラリーマンに比べて、はるかに流動性が高く、「定職」というものに縛られていない。扶養家族がなく、定職への固着がなく、ある程度の生活資源が確保されていると、人間は必ず「文化的」になる。「衣食足りて礼節を知る」いうが、「時間と小金」があると人間は、学問とか芸術とか冒険というものに惹きつけられてゆくものなのである。▼人間の体はリアルタイムで動いているのではない。ちょうどリールが釣り糸を巻き込むように、「未来」が「現在」を巻き取るような仕方で動くのである。私たちは、輪郭の鮮明な「未来像」をいわば「青写真」に見立てて、その下絵のとおりに時間をトレースしてゆく。だからネガティブな未来像を繰り返し想像する習慣のある人間は、その想像の実現に向かってまっすぐ突き進んでゆくことになる。▼強く念じたことは必然する。それに暇と小金です。十月五日(金)

2008年9月17日水曜日

小津の魔法

『大人は愉しい』(内田樹・鈴木晶/ちくま文庫)から。▼ところで、暮れからお正月にかけて、日本のテレビ全局が小津安二郎全作品「だけ」を一週間ぶっつづけで朝から晩まで放映する、ということをしたらどうなるでしょう。それしか見るものがないし、ちょっと見始めると面白くってもう止まらないので、全日本人が一週間のあいだ、朝から晩まで小津漬けになってしまうんです。そして休みが明けて学校や会社に行くと、みんな小津安二郎の映画の中みたいなしゃべり方になっているんです。若い男は佐田啓二みたいに前髪をかきあげながら「いやあ」と微笑み、若い女は原節子みたに「ふふふ、そうですかしら?」と問いかけ、おじさんたちは笠智衆みたいに「やあ、どうも」と帽子を脱ぎ、おばさんたちは杉村春子みたいにぱたぱた走り回るのです。日本人全員の「小津化」、すてきだと思いません?▼小津ごっこ、いいですね。では、さっそく。九月十七日(水)

2008年9月16日火曜日

sentimental journey

『感傷教育』(武谷牧子・日本経済新聞出版社)から。▼今でも思い出せば、何か喚いてその辺を駆け回りたくなるほど格好の悪い出来事だが、その類の不細工なことを、和久井は彼女の前で数え切れないほどしてしまった。多分、彼女は、誰よりも多くの和久井の恥部を見ているだろう。肉体的にも、精神的にも未熟な部分を、彼女には洗いざらい見せてしまい、彼女から泣かれたり、笑われたり、怒られたり、愛されたり、いろんな喧嘩をして、謝ったり謝られたり、仲直りした。和久井も怒ったし、泣いたし、笑ったし、慰めたし慰められたし、愛したし、愛された。あんな四年間は、最初で最後だろう。学生だったから、学問的な意味で学んだし、知識量は確実に増えた。でも、彼女との生活で醸成されていった感傷教育は、和久井により多くを与え、より深くを学ばせた。喧嘩もたくさんした。▼柴田翔『されど我らが日々』は40年前。九月十六日(火)

2008年9月1日月曜日

盆踊はだれと踊っているのか (370)

『古代から来た未来人 折口信夫』(中沢新一・ちくまプリマー新書)から。▼柳田國男が共同体に同質な一体感をもたらす霊を求めていたのにたいして、折口信夫はそれと反対のことを考えていた。折口は神観念のおおもとにあるのは、共同体の「外」からやってきて、共同体になにか強烈に異質な体験をもたらす精霊の活動であるにちがいない、と考えたのである。そこから折口の「まれびと」の思想は、生まれたのだ。▼芸能者は死者たちの息吹に直に触れている。それと同時に、芸能者は若々しく荒々しいみなぎりあふれるばかりの生命力にも素手で触れている。彼らの芸は、生と死が一体であることを表現しようとしている。別の言い方をすれば、芸能者自身が死霊であり荒々しい生命であるという矛盾をしょいこんでいる。だから、彼らはふつうの人たちとは違う、聖なる徴を負っている人々として、共同体の「外」からやってくる、「まれびと」としての性格を持つことになったのだ。折口は村々に残された古い芸能のかたちを深く探求しながら、芸能者の原像を描き出そうとした。▼そのような「芸能者の原像」を「鬼」があざやかに表現している。鬼は共同体の外からやってきて、死の息吹を生者の世界に吹きかけ、そこに病や不幸をもたらすこともある。しかし、荒々しい霊力を全身から放ちながら出現してくる鬼の存在を間近に感じるとき、共同体の人々は、自分たちの世界に若々しい力が吹き込まれ、病気や消耗から立ち直って、再び健康な霊力にみたされ、生命のよみがえりを得ることができたように感ずるのである。▼『死者の書』では、そうやって死霊の世界が生者の世界に、有無を言わさぬ力をもって迫ってくるのである。小説は古代社会の末期を舞台としている。古代人の世界では、生者と死者はおたがいがごく身近なところにいた。縄文人たちは自分たちの村を円環状につくり、その真ん中にできた広場に、死者を埋葬していた。昼間は広場に立ち入ることを慎んでいた人たちが、夜になると広場に集まり、死者を埋葬した上で、踊るのである。踊りのステップに合わせて、地中から死霊が立ち現れてきて、生者といっしょになって踊りだす。いまの盆踊りの原型である。▼その昔「やっぱり柳田國男とオリクチノブオだね」と訳知りにいったら、そのノブオって誰、と失笑を買った。九月一日(月)

2008年8月28日木曜日

フロイトの苦手な〈母娘関係〉

『シズコさん』(佐野洋子・新潮社)から。▼叔母には社会という認識がないのだ。世間どまりで、何より家族を愛していた。そしてそこには、悪意などひとかけらもないのだった。▼母は愚痴をこぼしたし、人の悪口も云ったが、しょぼくれた母を見たことはない。体が頑強であったように、精神もタフで荒っぽかった。子供の話をしみじみ聞くことはなかったから、子供は母と話をしなくなった。しかし他人の話はしみじみ聞いたからこそ、人にも好かれたし、便りにもされていた。家族とは非情な集団である。他人を家族のように知りすぎたら、友人も知人も消滅するだろう。▼ああ、世の中にないものはない。ごくふつうの人が少しずつ狂人なのだ。少しずつ狂人の人が、ふつうなのだ。八月二十八日(木)

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2008年8月26日火曜日

土器は足し算

『情報の歴史を読む』(松岡正剛・NTT出版)から。▼なぜ、日本は土器文化に執着したのか。これは謎です。石器は「削る文化」です。石をどんどん削って道具にする。鋭く強い道具ができますが、いったん壊れるとつかえません。これにたいして土器は土を盛りあげ、ふくらます。加除修正も自由です。たしか木村重信さんだったと思いますが、「石器は引き算型、土器は足し算型」といっていたかと思います。このような土器を日本人は一万年にわたって愛用した。いや、縄文以降も愛用し、さらに茶の湯の文化というまったく独自な文化を確立して以降のいまもなお、日常生活でも、芸術生活においても、われわれは「やきもの」に執着し、その「用の美」を尊んでいる。▼世界では「やきもの」よりも銀器や金属器やガラス食器を愛用している国々のほうが多いのです。韓国料理を食べにいくと、ロースやカルビがのっているお皿も冷麺が入っているボールも箸もスプーンもみんな金物ですね。日本では金属器でごはんを食べる人はめったにいない。それでも日本も明治時代になると、福沢諭吉がなんとかして洋食器の導入をはかるんですが、そしてわれわれも洋食器に慣れてしまってもいるのですが、けれどもどこか心の底では「やきもの」派なのです。▼土の器、それに木の器を加えたい。八月二十六日(火)

2008年8月25日月曜日

link-3 (museo)

link-3 (museum)
■保管するミュージアム
正倉院:http://shosoin.kunaicho.go.jp/
奈良国立博物館:http://www.narahaku.go.jp/
エジプト考古学博物館(カイロ/エジプト):http://www.egyptianmuseum.gov.eg/
イラクリイオン考古博物館(イラクリイオン/ギリシャ)①:http://www.ancient-greece.org/museum/muse-iraclion.html
イラクリイオン考古博物館(イラクリイオン/ギリシャ)②:http://pws.prserv.net/jpinet.okeiji/1994gre-irak.htm
アクロポリス博物館(アテネ/ギリシャ)①:捜索中
アクロポリス博物館(アテネ/ギリシャ)②:http://www.joyphoto.com/japanese/abroad/2006aegean/athens/acropolis03.htmlデルフィ考古学博物館(デルフィ/ギリシャ)①:http://en.wikipedia.org/wiki/Delphi_Archaeological_Museum
デルフィ考古学博物館(デルフィ/ギリシャ)②:http://homepage3.nifty.com/odyssey/25c8c001.html
グレコローマン博物館(アレクサンドリア/エジプト)①:http://www.grm.gov.eg/
グレコローマン博物館(アレクサンドリア/エジプト)②:http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/kaigai/ejiputo/gureko.html
ヴェルサイユ美術館(ヴェルサイユ/フランス):http://www.chateauversailles.fr/jp/サー・ジョン・ソーン博物館(ロンドン):http://www.soane.org/
アカデミア美術館(ヴェネチア):http://web.tiscali.it/wwwart/accademia/english/ind_engl.htm
スフォルツェスコ城博物館(ミラノ)①:http://www.milanocastello.it/ing/home.htmlスフォルツェスコ城博物館(ミラノ)②:http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/8931/sforzesco.html
ブレラ絵画館(ミラノ):http://www.brera.beniculturali.it/HomePage
アカデミア美術館(フィレンツェ):http://www.polomuseale.firenze.it/accademia/
ウフィツィ美術館(フィレンツェ):http://www.polomuseale.firenze.it/uffizi/
バルジェロ美術館(フィレンツェ):http://www.firenzemusei.it/00_english/bargello/index.html
カピトリーノ美術館(ローマ):http://es.museicapitolini.org/
ヴァチカン美術館(ヴァチカン市国):http://mv.vatican.va/2_IT/pages/MV_Home.html

■アイデンティティを伝えるミュージアム
九州国立博物館(福岡県太宰府市):http://www.kyuhaku.com/pr/
京都国立博物館:http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html
大英博物館(ロンドン):http://www.britishmuseum.org/visiting_menu.aspx?lang=ja
ビクトリア・アンド・アルバート美術館(ロンドン):http://www.vam.ac.uk/
ナショナル・ギャラリー(ロンドン):http://www.nationalgallery.org.uk/
ルーブル美術館(パリ)①:http://tk.kelly.free.fr/louvre/menu.html
ルーブル美術館(日本語版)②:http://www.louvre.fr/llv/commun/home.jsp?bmLocale=ja_JP
ベルリン美術館(ベルリン):http://www.smb.spk-berlin.de/smb/index.php
グリュップトテーク/アンティケン・サミュルンゲン(ミュンヘン):http://www.antike-am-koenigsplatz.mwn.de/glyptothek/index.html
アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン):http://www.pinakothek.de/alte-pinakothek/
ウィーン美術史博物館(ウィーン):http://www.khm.at/
フィラデルフィア美術館(フィラデルフィア):http://www.philamuseum.org/
ボストン美術館(ボストン):http://www.mfa.org/
スミソニアン博物館群(ワシントン):http://www.si.edu/
メトロポリタン美術館(ニューヨーク):http://www.metmuseum.org/home.asp
バーサ号博物館(ストックホルム):http://www.vasamuseet.se/
故宮博物院(北京):http://www.dpm.org.cn/
故宮博物院(台北):http://www.npm.gov.tw/
順益台湾原住民博物館(台北):http://www.museum.org.tw/
韓国国立中央博物館(ソウル):http://www.museum.go.kr/jap/index.jsp
国立慶州博物館(慶州/韓国):http://gyeongju.museum.go.kr/

■美しい展示空間のミュージアム
東京国立博物館・法隆寺宝物館(上野):http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=X00/processId=00
サントリー美術館(六本木):http://www.suntory.co.jp/sma/
MIHOミュージアム(滋賀県甲賀市):http://www.miho.or.jp/
ルクソール博物館(エジプト):http://homepage.powerup.com.au/~ancient/luxmus.htm
バイキング博物館(オスロ):http://www.ukm.uio.no/vikingskipshuset/
菊池寛実記念 智美術館(東京虎ノ門):http://www.musee-tomo.or.jp/
オルセー美術館(パリ):http://www.musee-orsay.fr/fr/accueil.html
ユダヤ博物館(ベルリン):http://www.juedisches-museum-berlin.de/site/EN/homepage.php?meta=TRUE
メトロポリタン美術館分館クロイスターズ(ニューヨーク):http://www.metmuseum.org/cloisters/events/
グッゲンハイム美術館(ニューヨーク):http://www.guggenheim.org/new_york_index.shtml
ロサンゼルス・カウンティ美術館(ロサンゼルス):http://www.lacma.org/
上海博物館(上海):http://www.shanghaimuseum.net/en/index.asp

■今を創るミュージアム
遊就館(東京・靖国神社):http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/
東京藝術大学大学美術館(上野):http://www.geidai.ac.jp/facilities/museum/index.html
東京大学総合研究博物館(東京・本郷):http://www.um.u-tokyo.ac.jp/
水戸芸術館(茨城県水戸市):http://www.arttowermito.or.jp/atm-j.html
森美術館(東京・六本木ヒルズ):http://www.mori.art.museum/jp/index.html
せんだいメディアテーク(仙台市):http://www.smt.city.sendai.jp/
テート・モダン(ロンドン):http://www.tate.org.uk/modern/
ゲティ・センター(ロサンゼルス):http://www.getty.edu/museum/
サムソン美術館Leeum(ソウル):http://leeum.samsungfoundation.org/html/main.asp
MOMA(ニューヨーク):http://www.moma.org/

■自然史・科学ミュージアム
国立科学博物館(上野):http://www.kahaku.go.jp/
ロンドン自然史博物館(ロンドン):http://www.nhm.ac.uk/index.html
パリ自然史博物館(パリ):http://www.mnhn.fr/museum/foffice/transverse/transverse/accueil.xsp
進化大陳列館(パリ):http://www.mnhn.fr/museum/foffice/tous/tous/GuideDecouverte/lieuxVisiter/LieuxAVisiter/FLieuAVisiter.xsp?AE_ID=203&INFO_ID=1&LIEU_ID=164&MAN_ID=259&SITE_ID=10&idx=3&nav=liste
ウィーン自然史博物館(ウィーン):http://www.nhm-wien.ac.at/
ドイツ博物館(ミュンヘン):http://www.deutsches-museum.de/
ゼンケンベルク自然史博物館(フランクフルト):http://www.senckenberg.uni-frankfurt.de/root/index.php?page_id=28
ラ・スペコラ(フィレンツェ):http://www.unifi.it/msn/CMpro-l-s-11.html
アメリカ自然史博物館(ニューヨーク):http://www.amnh.org/
ハーバード大学自然史博物館(ボストン):http://www.mcz.harvard.edu/
ロサンゼルス郡立自然史博物館(ロサンゼルス):http://www.nhm.org/
上海自然史博物館(上海):検索中

■そのほかのミュージアム
滋賀県立琵琶湖博物館:http://www.lbm.go.jp/
大阪市立自然史博物館:http://www.mus-nh.city.osaka.jp/
釧路市博物館:http://www.city.kushiro.hokkaido.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1141274577994&SiteID=0
帯広百年記念館:http://www.octv.ne.jp/~hyakunen/
千葉県立中央博物館(千葉市):http://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/
足寄動物化石博物館(足寄町):http://www.museum.ashoro.hokkaido.jp/
長崎大学付属図書館:http://www.lb.nagasaki-u.ac.jp/
文化遺産オンライン(文化庁):http://bunka.nii.ac.jp/Index.do;jsessionid=8A6DFF2A4C7FD8BEC35526E002D56F3Fキッザニア東京:http://www.kidzania.jp/
高知県立坂本龍馬記念館(高知市):http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~ryoma/
市立大町山岳博物館(長野県大町市):http://www.city.omachi.nagano.jp/sanpaku/alpine2.htm
私のしごと館(関西文化学術研究都市:京都府精華・西木津地区):http://www.shigotokan.ehdo.go.jp/watashi/info_acs.html
植村直己冒険館(兵庫県豊岡市):http://www3.city.toyooka.lg.jp/boukenkan/index.html
漂着物学会:http://www.drift-japan.net/
日本の博物館・美術館ガイド①:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
日本の博物館・美術館ガイドhttp://e-museum.jp/

link-2 (other)

ink-2 (あらかると)
■いろいろ
アフリカのサバンナ:http://www.safarikato.com/
英国の庭:http://www.bbc.co.uk/gardening/
City of Seward(Arasca):http://www.cityofseward.net/
City of Madison(Wisconsin):http://www.ci.madison.wi.us/
雲を愛でる会:http://www.cloudappreciationsociety.org/
植村直己・帯広野外学校:http://park16.wakwak.com/~uoos.obihiro/
田中優子の世界:http://lian.webup.co.jp/twin/
池田清彦web講義:http://eco.goo.ne.jp/business/csr/lesson/jun01-6.html
ちょっとエクササイズ:http://doraku.asahi.com/karada/health/list.html

■さまざま
NHKラジオ:http://www.nhk.or.jp/radiodir/
三重県御浜町:http://www.town.mihama.mie.jp/
宇宙カレンダー①:http://www.sci-museum.jp/news/text/a040822.html
宇宙カレンダー②:http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/~ishizaka/cosmology3.html
CAMUI(カムイ)型ハイブリッドロケット:http://www.hastic.jp/camui/default.htm宇宙航空研究開発機構:http://www.jaxa.jp/
グーグル・アース:http://earth.google.co.jp/

■くさぐさ
芝①:http://www5d.biglobe.ne.jp/~unoteto/garden/explan40.htm
芝②:http://www.green-site.com/lawn.html
芝③:http://www2.sanmedia.or.jp/herb/garden/sibahu/nihonsiba.html

■あれこれ
プカプカ通信:http://ukipuka.exblog.jp/
おびひろ編くいしん坊:http://www1.u-netsurf.ne.jp/~kamueku/obihirorec.html
東京都観察医務院:http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kansatsu/
生前契約(NPOりすシステム):http://www.seizenkeiyaku.org/home.html

2008年8月24日日曜日

link-1 (daily)

link-1(daily)
■news-1
アサヒコム:http://www.asahi.com/
毎日http://mainichi.jp/
読売:http://www.yomiuri.co.jp/
日経net:http://www.nikkei.co.jp/
産経:http://sankei.jp.msn.com/
東京新聞:http://www.tokyo-np.co.jp/
中日新聞:http://www.chunichi.co.jp/
西日本新聞:http://www.nishinippon.co.jp/
do-shin:http://www.hokkaido-np.co.jp/
Web tokati:http://www.tokachi.co.jp/
Yahoo Japan:http://www.yahoo.co.jp/
クローアップ現代:http://www.nhk.or.jp/gendai/

■news-2
BBC:http://www.bbc.co.uk/
BBC radio:http://www.bbc.co.uk/radio/
BBC 教育:http://www.bbc.co.uk/worldservice/learningenglish/
VOA:http://www.voanews.com/specialenglish/index.cfm
田中宇:http://tanakanews.com/
週刊こどもニュース:http://www.nhk.or.jp/kdns/

■くらし/たんけん
国土地理院・地図:http://watchizu.gsi.go.jp/
ふろ:http://homepage2.nifty.com/hidetoshi-yoshida/
いえ:http://www16.ocn.ne.jp/~urbann/
たべる:http://www.betterhome.jp/index.php
きょうの料理:http://www.nhk.or.jp/partner/ryouri/
えいが:http://www.h6.dion.ne.jp/~cine.tkc/
BS2えいが:http://www.nhk.or.jp/bs/genre/movie.html

■ daily-1
yahoo天気(十勝):http://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/1c/2000.html
気象庁:http://www.jma.go.jp/jp/amedas_h/today-20432.html?groupCode=16&areaCode=000
TOEIC test:http://stepup.yahoo.co.jp/shikaku/toeic/
yahoo:http://www.yahoo.co.jp/
google:http://www.google.co.jp/
映画検索:http://movie.goo.ne.jp/
wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/

■本/さがす
想・IMAGINE:http://imagine.bookmap.info/index.jsp
じんぼう古書:http://jimbou.info/
松岡正剛の千夜千冊:http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.html
文化遺産オンライン:http://bunka.nii.ac.jp/Index.do;jsessionid=865C1D528F95EB64CAB712D00D260274
闘病記ライブラリー:http://toubyoki.info/
テーマで探す新書ガイド:http://shinshomap.info/
Webcat Plus:http://webcatplus.nii.ac.jp/
BK1:http://www.bk1.co.jp/
古本:http://www.kosho.jp/servlet/bookselect.Kihon_result
週刊ブックレビュー:http://www.nhk.or.jp/book/

■あかでみー
内田樹:http://blog.tatsuru.com/
岡崎晴輝:http://www1.ocn.ne.jp/~aktiv/
上田修一:http://www.slis.keio.ac.jp/~ueda/home.html
長崎大学付属図書館の長崎学デジタルアーカイブス:http://www.lb.nagasaki-u.ac.jp/old_pic/index.html
山口二郎:http://www.yamaguchijiro.com/
NHK高校講座:http://www.nhk.or.jp/kokokoza/
宮本常一データベース:http://www.towatown.jp/database/

■daily-2
NHKラジオセンター:http://www.nhk.or.jp/radiodir/
NHK・BS:http://www.nhk.or.jp/bs/
ためしてガッテン:http://www.nhk.or.jp/gatten/
落語:http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/cat3238561/index.html

■しゅっぱん社
はる書房:http://www.harushobo.jp/
みすず書房:http://www.msz.co.jp/
講談社:http://www.kodansha.co.jp/
新潮社:http://www.shinchosha.co.jp/
筑摩書房:http://www.chikumashobo.co.jp/top.html
白水社:http://www.hakusuisha.co.jp/
岩波書店:http://www.iwanami.co.jp/
三省堂書店:http://www.books-sanseido.co.jp/
未来社:http://www.miraisha.co.jp/
中央公論社:http://www.chuko.co.jp/
文芸春秋社:http://www.bunshun.co.jp/

■いろいろ
山野楽器:http://www.yamano-music.co.jp/docs/soft/index.jsp
旅・ワールド:http://www.wastours.jp/
パン屋:http://www.octv.ne.jp/~harukoma/
雑木林サイト:http://www.octv.ne.jp/~dolce/
藤本マサル:http://www.fujimotomasaru.jp/
ぴあの:http://www.happypianist.net/
おびひろ市:http://www.city.obihiro.hokkaido.jp/
全国の動物園・水族館:http://www.jazga.or.jp/index.html
谷根千工房:http://www.yanesen.net/
sofmap:http://www.sofmap.com/index/exec/

■れぽーと
熊谷徹(ドイツレポート):http://www.tkumagai.de/
野口悠紀雄:http://www.noguchi.co.jp/
荒川じんぺい:http://www.jinpei.com/
リンボウ先生:http://rymbow.hp.infoseek.co.jp/
池澤夏樹:http://www.impala.jp/index.html

■さまざま
自転車ツーキニスト:http://japgun.hp.infoseek.co.jp/
庭サイト:http://www.garpara.jp/
庭サイト:http://snowman.whitering.net/garden/index.html
カカクコム:http://kakaku.com/
CHAI:http://www.chainet.jp/
kojiki:http://www.geocities.jp/tokati55/

■びょういん
e-クリニック:http://e-clinic21.or.jp/
けん三ことば館クリニック:http://www2u.biglobe.ne.jp/~ikutora/kotobakan.html
狩勝峠:http://www.sp-etm.hkd.mlit.go.jp/koutu/douro/karikati.htm
国立がんセンター:http://www.ncc.go.jp/jp/
帯広厚生病院:http://www.ja-hokkaidoukouseiren.or.jp/byouin/obihiro/
恵佑会札幌病院:http://www.keiyukaisapporo.or.jp/

2008年8月18日月曜日

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心身バラバラの極意2

▼『兵法家伝書』には、弓を射るときは、弓を射ようと思うな、と説明している。言い換えれば「弓を射る」という一つの動作を、ふたつに切り分けなさいということである。つまり、「弓を射る」という身体の動きと「弓を射る」という心の動きをリンクしてはいけないということである。不安や恐怖を身体能力の低下に結びつける回路は技法的に切断できる。伝書は「心と体はばらばらに使え」「精神と身体を切り離せ」と教えている。心と身体がばらばらに動けば、心がいくらマイナス思考をしても、運動能力に悪い影響を及ぼさない。この状態を伝書は「木人花鳥に対するが如し」というメタファーを使って説明する。目の動き、形の動き、足の動きなど、身体の徴候が「いまから攻撃します」という合図を出してから動いたのでは、物理的にどんなに早い動きも捕捉され、回避され、反撃されてしまう。だから武道では、絶対に身体的な動きの前に予備動作を行ってはならない。ごく日常的な身体の動きがなめらかに連続しているうちに、予告なしに、動きの質が「いきなり」変化する。これが「無拍子の動き」なのである。▼私の荷物は他人に担いでもらい、他人の荷物は私が担ぐ。これが、burden sharing である。多くの人は、他人の荷物は重たく、自分の荷物は軽い、と思っている。それは違う。逆である。自分の荷物は重たいが、他人の荷物は軽い。レヴィ=ストロースがそう言っている。「人間は自分の望むものを他人に与えることによってしか手に入れることはできない」とも言っている。この先生はつねに明晰な人です。だから、楽になりたかったら、自分の荷物を放り出して、他人の荷物を担げばいいのです。▼霊的、というのはその人個体の生命を超えたものに価値を見出すということだと思います。宇宙のなかのあなた、人類の歴史におけるあなたを意識する、ということが霊的である、ということでしょう。「人生五十年」という閉じられた時間のなかに自分の存在を限定しないで、もっと、時間、空間的に個体を超えた広がりを持った生命のあり方を想定しているんだと思います。DNAなどもそうですが、人間は個体であると同時に、脈々とつながっている存在でもあるわけです。ある長いリンクのなかの一片なわけです。その長い流れのなかで自分はいったい何なのか、どういう価値があるのかを考えるということでしょう。人間元気がでるのは「死んだらおしまい」という物語ではなくて、「君は死ぬ前も死んだ後も、ずっと連続しているし、死んだ後も他者とつながってるんだよ」っていう物語ですからね。サッカーでいうと、皆がゴールする必要はないわけです。いいアシストをすれば、次に誰かがゴールを決めてくれる。そのことを「自分に関係ない」と思うか、ともに喜べるかが分かれ目ですね。そういうパッサーとしての位置づけを喜んで受け入れるようになることが「霊性を高める」ことだと思います。自分の個体の生命の枠を超えて、自分自身の位置づけや意味を考える、そういう習慣ってなかなかないと思うんですが、とても大切なことだと思います。▼自分の荷物も、他人の荷物もさほど担がずにきてしまった。八月十八日(月)

2008年8月12日火曜日

心身バラバラの極意1 (366)

『私の身体は頭がいい』(内田樹・文春文庫)から。▼ですから中枢的な運動はダメなのです。武術的な身体運用とは「現場処理」する身体です。仕事をする身体部位だけが仕事をして、とりあえず用がない部位は「じゃあ、ひまだから別の仕事でもすっか」というばらけた働きをすると、その身体が「何をしょうとしているのか」ということが予測できなくなります。身体を中枢的に統御せず、個別的に仕事をしてもらう、ということが大切だ。おおわくの指示だけ出しておいて、「あとは、現場でよろしく」ということになると、現場には一種の「自己完結」性が求められます。それが「群雄割拠」的身体図式とおらずなるわけです。これまで中央の指示に従ってツリー状に組織されていた身体各部が、「地方自治」的、「軍閥割拠」的にランダムな動きをするようになります。▼「絶対的な稽古」というのは、いわば「交響楽に身を委ね、それに乗って演奏する」ような身体の使い方を学ぶことである。誰がどの音を演奏しているのかというようなことはどうでもよろしい。奏者の仕事は、「結界」に入ってくる楽音に「乗る」ことだけである。それは「反撃する」でもないし、「防御する」でもないし、「躱(かわす)」でもないし、「捌(さば)く」でもない。応じてはいるけれど、囚われてはいない。聴き取ってはいるけれども、固執してはいない。楽音に合わせて、自在に先を取り、拍子を合わせ、気が向けば裏に入る。そういう自在な応接は、「宇宙的な和音」のなかに「私」も「敵」も、すべてが、かけがいのないファクターとして含まれているというふうに考想することによってしか達成できないのである。私たちがめざしているのは、この「絶対的な稽古」である。そのためには、剣や杖を稽古することはたいへんに効果的なのである。▼澤庵禅師の武道の極意を説いた『不動智神抄録』でこう論じている。「〈止まる〉とは、なにごとによらずあることに意識が固着することである。あなたの武芸に関連して言うと、打ち込んでくる刀を見て、それに合わせて反撃しようとすると、相手の刀に意識が固着して、自分の動きが相手に筒抜けになってしまい、切られてしまう。これを〈止まる〉というのである」。意識が身体に局所的に徴候化することが武道においては絶対の禁忌であることは、これでお分かり頂けると思う。▼武道の身体所作の奥義をもっと知りたい。何か掴めそうです。 八月十二日(火)