2008年10月22日水曜日

viba じぶんち

内田樹のブログから。▼そのあと6、7回パリに来ているが、いずれも語学研修の付き添いであり、日程の最後の頃にはつねに疲弊し果てており、早く日本に帰って、「viva じぶんち」でごろごろしたいと涙ぐむ。今回も同じ。別にパリに文句があるわけではない。これがハワイでも、バリでも同じである。私に1週間以上海外旅行をさせることに無理がある。地上に3分間しかいられないウルトラマンと同じく、私も「じぶんち」を離れては長く生きていられない人間なのである。しかし、幸いに今の自分には「仕事」という逃げ道がある。ipod でモーツァルトを聴きながら、Mac Book Air のキーボードを叩き、心に浮かぶよしなしごとを書き連ねてゆけば、いつのまにか日は暮れている。▼自分の家にいれば幸せなのである。朝、大学に行くのが面倒だなあと思うこともしばしばある。むろん大学が嫌いなわけではない。行けば行ったで、楽しいのである。しかし、それも我が家でごろごろしている幸福には比較すべくもない。ごろごろと掃除をし、ごろごろと洗濯をし、ごろごろとアイロンをかけ、ごろごろと本を読み、ごろごろとご飯を作り、ごろごろと仕事をし、ごろごろと酒を飲み、ごろごろと映画を見て、ごろごろと漫画を読みつつ眠りに就く。「ごろごろと昼寝をし」というのが抜けているのではないかと疑問に思われる方もおられるであろうが、上記の文中の「ごろごろ」は擬態語ではなく、総じて「昼寝をしつつ」という意味なのである。私はほんとうに「昼寝をしながら飯を作る」というようなことをするのである(蕎麦をゆでている間にソファーで3分間のまどろみ…というように)。アイロンかけはさすがに危険があるので昼寝は避けているが、「縫い物」などの場合は、しばしば途中でふと気づくと、手に針を持ったまま眠っている。世間の人は私のことをハイパーアクティヴな人間のように思いなしているが、実は私は「ハイパーごろごろ」の人なのである。この「ごろごろ」の間に、私は夢を見、よしなき想像をめぐらせ、半睡半覚の夢幻境にある。私が「変わったことを言う人間」だと思われている理由の過半は、実は私が「半睡半覚の夢幻境」において得たアイディアをそのまま紙に書いているからなのである。「現実から離脱する」ことが現実を解析する上できわめて重要であると信じる点で、私は荘子に深く同意するものである。▼そうなのである。十月二十二日(水)

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