2008年10月3日金曜日

rentier

『街場の現代思想』(内田樹・文春文庫)から。▼酒井順子『負け犬の遠吠え』は、フランスのrentier(ランティエ/国債による金利生活者)を連想させた。ヨーロッパではデカルトの時代から1914年までは、貨幣価値がほとんど変わらなかった。ということは、先祖の誰かが小金をためて、それでアパルトマンと国債を買って遺産として残すと、相続人は、贅沢さえ云わなければ、無為徒食することができた。そういう人々がフランスだけで何十万人か存在した。仕事をしないでひねもす肘掛椅子で妄想に耽っている。なにしろ彼らは暇である。しかたがないので、本を読んだり、散歩をしたり、劇場やサロンを訪れたり、哲学や芸術を論じたり、殺人事件の犯人を推理したりして生涯を終えるのである。もちろん結婚なんかしない。せいぜい同性の友人とルームシェアするくらいである。ホームズとワトソンのように。しかるに、このランティエこそヨーロッパにおける近代文化の創造者であり、批評者であり、享受者だったのである。▼それも当然である。新しい芸術運動を興すとか、気球に乗って成層圏にゆくとか、「失われた世界」を探し出すとか、そのような冒険に嬉々としてつきあう人間は「扶養家族がいない」「定職がない」「好奇心が強い」「教養がある」などの条件をクリアしなければならない。「ねえ、来週から北極に犬橇(そり)で出かけるんだけど、隊員が一人足りないんだ」「あ、オレいく」というようなことがすらっと言える人間はなかなかいない。ブルジョアジーは金儲けに忙しく、労働者たちはその日暮らしと革命の準備で、そんな「お遊び」につきあっている暇はない。残念ながら、このランティエという遊民たちは1914-18年の第一次世界大戦によって社会階層としては消滅した。インフレのせいで金利では生活できなくなってしまったからである。彼らはやむなく「サラリーマン」というものになり、世界からホームズたちは消えてしまった。▼「ありあまる時間と小金の欠如」という理由から、今日の人々に「ランティエ」的生き方を禁じている。これが現代の文化的衰退の大きな原因であることはどなたにもお分かりいただけるであろう。しかし、ここに「負け犬」という新しい社会階層が登場したのである。彼女たちは「パラサイト」であるか一人暮らしか、同性の友人とルームシェアしているか、とにかく「扶養家族」というものに縛られていない。職業についても男性サラリーマンに比べて、はるかに流動性が高く、「定職」というものに縛られていない。扶養家族がなく、定職への固着がなく、ある程度の生活資源が確保されていると、人間は必ず「文化的」になる。「衣食足りて礼節を知る」いうが、「時間と小金」があると人間は、学問とか芸術とか冒険というものに惹きつけられてゆくものなのである。▼人間の体はリアルタイムで動いているのではない。ちょうどリールが釣り糸を巻き込むように、「未来」が「現在」を巻き取るような仕方で動くのである。私たちは、輪郭の鮮明な「未来像」をいわば「青写真」に見立てて、その下絵のとおりに時間をトレースしてゆく。だからネガティブな未来像を繰り返し想像する習慣のある人間は、その想像の実現に向かってまっすぐ突き進んでゆくことになる。▼強く念じたことは必然する。それに暇と小金です。十月五日(金)

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