2008年9月16日火曜日
sentimental journey
『感傷教育』(武谷牧子・日本経済新聞出版社)から。▼今でも思い出せば、何か喚いてその辺を駆け回りたくなるほど格好の悪い出来事だが、その類の不細工なことを、和久井は彼女の前で数え切れないほどしてしまった。多分、彼女は、誰よりも多くの和久井の恥部を見ているだろう。肉体的にも、精神的にも未熟な部分を、彼女には洗いざらい見せてしまい、彼女から泣かれたり、笑われたり、怒られたり、愛されたり、いろんな喧嘩をして、謝ったり謝られたり、仲直りした。和久井も怒ったし、泣いたし、笑ったし、慰めたし慰められたし、愛したし、愛された。あんな四年間は、最初で最後だろう。学生だったから、学問的な意味で学んだし、知識量は確実に増えた。でも、彼女との生活で醸成されていった感傷教育は、和久井により多くを与え、より深くを学ばせた。喧嘩もたくさんした。▼柴田翔『されど我らが日々』は40年前。九月十六日(火)
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