2009年9月18日金曜日
依代と神輿
『神仏たちの秘密』(松岡正剛・春秋社)から。▼日本の古典芸能や武芸百般はいつもこの「間」に体で向かっているんです。日本のリズムはそもそも間拍子です。しかも、拍子に表と裏がある。「いちとぉ、にいとぉ、さんとぉ」というように、打ったところがリズムではなく、「とぉ」と打って上げたところに表の間と裏の間が入る。これを能楽ではコミとも言う。▼私は母から、「お客さんにお茶を出すときには、湯呑茶碗をテーブルに置いて、そのあとちょっと手を添えて勧めなさいね」ということを教わりました。茶碗を動かさなくてもいいから、「どうぞ」と言いながらちょっと手を添える。このように、すでにそこにある何かに、もう一度赴いて「どうぞ」というふうに手を添えるかどうかというところに、日本の方法の何かがあるんです。▼日本の神というのは、実体をもっていません。ごくまれに神像をつくることはありますが、それは仏教の影響であとから作られたものであって、めったにつくらない。そのかわりエージェント、代りをするものはいっぱいある。その代表的なものは木ですが、岩や山も依代(よりしろ)になる。何もなければ柱のようなものを立てて、それを依代にします。これが各地のお祭りにたつ梵天(ぼんてん)とか左義長(さぎちょう)です。依代が決まると、そこに界を結び、御幣(みてぐら)を飾り、注連縄を張る。そして結界を印すための四囲四方の目印の木を決める。結界の境目に立てる木なので、これを境木(さかき)という。いまは「榊」と書きますが、じつはこの漢字は中国にはないもので、日本の国字です。日本はこういう漢字をもっと作った方がいいですね。例えば「峠」とか「裃(かみしも)」という字も国字です。とてもわかりやすい、編集的でおもしろい字です。このように境木が結ばれると、この結界の全体もまた「代」になります。そこで、ここに屋根をかけると「屋代」になる。これがのちに「社(やしろ)」になり神社になるわけです。あるいは、車輪を付けて依代全体を台として持ち上げると、祭りの山車や鉾になる。それを人間が担ぐようにすれば、それは神輿になります。九月十八日(金)
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