2009年9月17日木曜日

宿題をちゃんとしよう

『ゲーテさん こんばんは』(池内紀・集英社文庫)から。▼ゲーテは日ごろ、ごくつましい生活をしていた。生前つくられた彫像の一つは、身につけたフロックコートが左前になっている。ボタンのつくところが反対だ。彫刻家がまちがったとされているが、そうは思わない。以前、人々がよくしたように、色がはげると、仕立屋にたのんで服を裏返しにしてもらう。色ぐあいは新着だが、ボタン穴はかえられない。▼ゲーテが壮年期には、フランスでは、ナポレオンが格調高いナポレオン法典を掲げて王座についた。プロシアではどうだったか。フリートリヒ・ヴィルヘルム三世は四十年あまりの在位にあって、もっぱら「ビア樽とビア樽のような奥方」を愛しているほか、とりたてて何もしなかった。大国プロシアにして、このありさまである。ほかの小国は、おして知るべしである。老人と小官僚がのさばっていて、若い才能の入る余地がない。むしろ才あればあるだけ排除され、冷遇される。詩人ヘルダーリンは狂気に陥り、シラーは吹けば飛ぶような小新聞に寄稿して、ようやく息をついていた。ゲーテがありついたのは、ワイマールという小国の執政官だった。才あって世にいれられない者たちの精神生活を支えたものは「内的世界」であった。外の世界と縁を切って、内部の世界にとじこもる。ドイツの文学や思想にくり返しいわれる観念性のはじまりである。▼ゲーテの最後の病床での言葉は「もっと光を」である。天井の低い小部屋で、窓が小さかったのでそう呟いたのだろう。その病床につく十日前の知人の孫へ一文を認めている。それが絶筆文となる。「戸口を掃除しよう。すると町はきれいだ。宿題をちゃんとしよう。するとすべて安心だ」。九月 十七日(木)

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