2009年8月10日月曜日

まち美学2

▼イタリア・トスカーナ地方の街、例えばアッシジ。教会と井戸を取り囲んだこの広場には、不思議なことに樹木がなく、この広場を規定している周辺の石造建築の脚もとまでしっかりした石の舗装がなされている。イタリア人は世界でもっとも広いリビングルームをもっているといわれてように、この広場は街の人々のもっとも広いリビングルームの延長である。人々は一日何回となくこの広場に出て、語ったり休んだり子供を遊ばせたりするのみならず、日曜の礼拝には街の社交場ともなるのである。このような城壁に囲まれた一軒の建築ともいうべき都市の内部に繰り広げられた見慣れない街並みは、日本人にとっては異質のものであろう。「境界」を意識して境界から内部に向かって求心的に秩序を整えていくこれらの都市と、「境界」を意識しないで外部に向かって遠心的にアーバン・スプロールしていくわが国の都市と、都市の空間秩序を創造していく際に二つの異なった方向があるのではないかと思い至るのである。▼当初は一階の家が多く、その後の人口増加に対応して、二階、三階を増築してゆく。この点が石造の特質である。その場合、二階や三階の玄関に到達するための屋外階段がつくられ、それがこの街の特色をなしているし、またこの屋外階段の美しさが街の誇りであるともいわれている。道路の上にもアーチやヴォールトをかけて家を増築する。その結果、城壁の内部には、まるで一軒の大きな家のような「内的秩序」のある街ができあがる。市民の意識としては、自分達の家も城壁の内側の街は、足袋はだしで歩けるような、大きな屋敷のような「内的秩序」の街である。イタリア人はここを靴をはいて屋外も屋内も歩く。▼ボローニアの柱廊(ポルティコ延長40キロ⇒日本は酒田市の雁木)は気候上有用であるばかりか、市民はこの回廊を一日中往き来している。正午および夕暮時に、たくさんの人々がこの回廊をぐるぐる歩き回る。その時友達にまったく出会わないことなどは不可能だといえる。イタリア人にとって街路は生活の一部であり、愛着のあらわれである。▼このことは、街路のみならず、都市のオープン・スペースとして、イタリア人は人々の出会いの場としての人為的な広場(ピアッツァ)をつくってきたし、イギリス人は人々の出会わない休息の場所としての自然的な公園(パーク)をつくってきた。わが国では、外部空間には無関心であり、芸術的に優れた室内空間はあっても、公共的に優れた街路空間やオープン・スペースを芸術的につくることでは見劣りがする。八月十日(月)

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