和解の方法序説... 3
クリスマスとラマダーン.. 3
コーランの六信五行... 4
初冬の七冊... 5
動物と関わりたい... 6
中世を持たない国 (130) 7
母国語が怪しい... 8
ビンボーが普通... 8
磁石の孤立... 9
山賊ごはん... 9
夏休みの七冊... 10
ひと芝居、打つ。.. 11
抜いた大根で道を教え... 12
コピー&ペースト(2). 13
コピー&ペースト(1). 14
クモの糸(120). 14
広告代理店の関与... 15
炭になった弁当... 16
愛蘭土(3). 17
愛蘭土(2). 18
愛蘭土(1). 19
日曜の雨... 19
けんか... 20
キャベツ畑... 21
お賽銭... 21
本棚をのぞく(110). 22
書抜きの愉しみ... 23
まず現場... 24
屋根裏のムコウ... 25
ナノ?... 26
天皇と領土... 26
出遅れた出発... 27
正月のグローバリゼーション (03年). 28
和解の方法序説
▼ある国で極度の非人道的行為が行われている場合、それに対して他の国や人々が何をしてよいかは不明確である。ひとまず被害者を保護するのか、あるいは加害者に対して武力攻撃をすることまでを含むのか。このことに向きあう『人道的介入-正義の武力行使はあるか-』(最上敏樹・岩波新書)は、薄い本だが重い。▼まずは、国際法や国連憲章は、「武力介入は侵略と同義」であることから出発している。しかし、ソマリアの内戦には、1992年に国連のガリ事務総長が積極介入した。にもかかわず事態は、国連平和維持軍と現地武装勢力との戦争の様相になり、結局、武装解除も治安の回復もなしえぬまま、「人道的介入」は失敗に終わった。▼1994年のルワンダの事例では、国連および国際社会の対応が遅すぎた。早めに十分な武力行使をすべきだったという意味ではなく、早い時期に非武力行使型の兵員および文民警官を派遣していたなら、100万人もの虐殺はかなり防げたのではないか。フツ族とツチ族の部族対立は、歴史的怨念というより斧や鎌を用いた殺人だったからである。▼つぎは、NATOのユーゴ空爆。セルビア人が迫害・虐殺を行っているといわれたコソボや、首謀者がいるといわれる首都ベオグラードへは、出撃回数3万6千回、爆撃回数1万7千回と発表されている。だがこれは民間人への被害が大きかった。NATO空軍機は自分たちに危害が及ばぬよう1万5千フィートの高空から爆撃していた。それだけ高ければ、精確に軍事目標だけを爆撃することは難しくなる。付随的被害は避けがたい。それは過失というより故意に近い。このようなズレのある行動は、「人道的」介入とは呼びにくい。人道的であるというなら、手段もまた人道的でなくてはならない。▼やはり、迫害する人々を攻撃するのではなく、迫害されている人々を守ることである。日本は、迫害されている人々に住まいを確保し、食料と医薬品を届けることである。たしかにそういう活動に軍組織が役割を果たすことがあるが、軍隊だけでそれが出来るわけでもない。その活動の主力は、文民型の国連機関や、国境なき医師団やNGOなのである。国連の合意のもとに、日本は人道的介入を行い、国と国、民族と民族、人と人との和解へとつなぐことでしかない。▼この本は、一気には読めなった。閉じることが多く一ヶ月はかかった。紛争は得意だが、和解が不得手な「ひと・みんぞく・こっか」は、紛争や戦争に終止符をうてずにいる。地球の余命は残り45億年しかないのですよ。十二月二十六日(金)
クリスマスとラマダーン
社会的非対称とは不平等のこと。富む国と貧しい国は、社会的非対称という使われ方をする。イスラム圏にはその貧しい国々が多く、アッラーの教えにもとづき資本主義とは対極の経済をつくっている。コーランは「アッラーは商売を許し、利息を禁じておられる」と説き、貨幣が貨幣を生むことを禁止した。ユダヤ教の場合だと、同族や親類から利子を取ることは禁じたが、異教徒や異民族からは積極的に取り立てることにした。キリスト教は、「三位一体論」の創意工夫をした。「父」が「子」を算出し「精霊」がそこから発出。その精霊の働きが利潤・利子を生む。このあたりの理屈はちょっと理解力がいりますが、まあ、しかしこれで一神教を乗りこえ、資本主義と親和することになった。▼『緑の資本論』(中沢新一・集英社)はこうも言う。キリスト教徒の最大のお祭りがクリスマスであり、イスラムのそれがラマダーンであることは象徴的だ。ローマ人の農耕豊穣の祭りをキリスト生誕日に結びつけたクリスマスは、あらゆる意味で「増殖」をお祝いする祭りである。真冬のこの祭りには霊が沸き立ち、仮面の行列ともに出現した死者たちが、浮遊するシニフィアン(神のロゴスの表現者)をふりまき、来るべき年の豊穣を約束していく。だからクリスマスが資本主義のお祭りとなったのは、当然である。このとき、資本主義社会には、サンタクロースに象徴される「贈与の霊」が徘徊する。クリスマスのめざすものは、増殖なのであり、「毎日のクリスマス」こそが、資本主義の夢なのである。▼その同じ冬の季節に、イスラムはラマダーンの断食の儀式を祝う。ここでは増殖の反対のことが讃えられる。欲望を絶つこと、それができないまでも欲望を減らすことが、神を喜ばせる。もしこの時期に他者が襲いかかれば、「自分は断食している」と二度言えと、説いている。しかし、米国の一国主義は、お構いないで爆撃をした。▼イスラム経済は、なんといってもスークという市場を理解するのが手っ取り早い。狭い通りの両側に間口の狭い店々がひしめきあい、広告・宣伝の類は一切なく、定価の表示もない。スークでの買い物は、くじ引きやゲームのようなもの。その場その場の局面があり、どこへたどり着くかはあらかじめ決定しおくことのできないゲームのようなもの。うまくいかなければ商談は成立せず、お客は買わずに行ってしまう。うまくいけば、お客は喜んで、交渉の結果としてお代を払って、気に入った商品を持ち帰る。少しばかり手間ひまかかる。だが、大量生産、大量消費、流通機構、商品の規格化、一物一価といった近代資本主義がここにはない。イスラムとは、ひとつの「経済学批判」で、一冊の生きた「緑の資本論」でもある。イスラムはわれわれの世界にとって、なくてはならない鏡なのだ。▼クリスマスとラマダーンは社会的非対称のお祭りとはいえ、ずいぶんと向かう先が違う。日本の街にクリスマス・ソングが流れ、お正月をむかえ、やがてあの国に派兵するのだろうか。踏みとどまって、ふりかえれ。十二月五日(金)
コーランの六信五行
イスラム圏にすむ人々は、世界に十三億人。かれらの生活規範となるコーランには何が書いてあるのか。一般教養の指南役、アトーダ先生によるあつらえの本がありました。一読して、コーランは唯我独尊だなあ。でも、これは釈迦もおんなじ。▼『コーランを知っていますか』(阿刀田高・新潮社)から。コーランに先立つ二つの聖典、旧約聖書は古代ユダヤ王国の建国史として、新約聖書はイエス・キリストの伝記として読むことができる。記述の方法は、旧約聖書はこの世の誕生から始まり、アダムとイブ、ノアの箱舟、モーセのエジプト脱出、旧王国の建設、ダビデとソロモンの教え、多くの預言者たち、など時代を追ってユダヤ民族の歴史を教えてくれる。新約聖書は、イエス・キリストについて、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネが伝記を綴っている。じゃあ、コーランの記述はなにに似ているだろうか。歴史ではない。伝記でもない。論文でもない。親父の説教に似ている。「親の意見と冷酒は後になって効く」というではないか。コーランは新旧二つの聖書と違いストリーに乏しい。それに先発の聖典のいいとこ取りのようである。とはいっても、コーランは詩的であり、音楽であり、翻訳では会得できなものがある。やはりアラビア語で詠唱されるのが本筋なのだ。▼宗教は大乗に向かうものと、小乗に向かうものがある。外に向かうものと、内に向かうものといってもよい。コーランの場合、アラーの加護は絶大であり、たとえ敗れても、死に至ることがあっても、心正しい者については、ちゃんとアラーの帳面に記され、最後の審判で祝福される、これが基本ロジックだ。今日の聖戦(ジハード)というのも、もちろんこの理念に裏打ちされている。▼イスラム教には六信五行がある。イスラム教徒が信ずべき六信は、アラー、天使、啓典、預言者、来世、天命。六信を胸に抱いて実践すべき五行は、信仰告白、礼拝、斎戒、喜捨、巡礼をいう。礼拝はメッカに向けて行う。方角はメッカを指す磁石が売られているらしい。ちなみに、メッカが第一の聖地、マホメットの没したメディナが第二の聖地、エルサレムが第三の聖地である。喜捨にはザカートとサダカがある。ザカートは、義務的に課される喜捨で、むしろ税金に近い。商取引の利益、所有する家畜、農作物の収穫、所有する財産などに対して二~十パーセントくらいのザカートが求められる。サダカの方は、慈善的な献納に近く、金銭や物品だけでなく、奉仕活動や慰めの言葉などもこの中に含まれる。▼アラーは、利子を否定している。お金がお金を生む経済を認めていない。商行為は認めるが、金貸しの金融は認めていない。このコーランの掟があるため、アラブ社会には無利子銀行がある。預金者がお金を預けることにより共同経営者になる。これならアラーも商行為として許すということなのだ。▼アラーは人々の生前の行いを帳面につけていて最後に清算することはわかったが、これはエンマ大王もやってますね。ウソをつくと舌を抜かれるぞ。十一月二十八日(金)
初冬の七冊
▼日高山脈は冬本番。〇三年はひと月を残すものの、足早の年でした。市町村合併のむり強いや、日本の世界との関わり方が、官邸主導で瞬く間に転換してしまい、戸惑う年でもありました。辺境の地ですから、ラジオと本が頼りです。といいつつ世の動きから遠ざかりたい気分で読み終えた七冊です。▼まず、『即興詩人のイタリア』(森まゆみ・講談社)から。アンデルセン「即興詩人」の森鴎外訳にそってイタリアを旅する。この人からは、授かることが多い。でも本代しか払っていない。いつかお礼しなくちゃ。▼『ふしぎの博物誌』(河合雅雄編・中公新書)は、いろんな話が詰まっているが、ちょっと地味。編集しなおして楽しく読めるようにしたらいいのに。▼『ミミズのいる地球』(中村方子・中公新書)から。地球上には約3千種類のミミズがいる。オーストラリアには体長3.6mの20年くらい生きる巨大ミミズがいる一方で、肉眼では見えにくい0.4mmのもいる。ミミズは体の一端に口があり、他端に肛門がある。目はないが光には反応する。あのダーウィンが『腐葉土とミミズ』という著書で、もしミミズがこの世にいなくなったら植物は滅亡すると結論している。ミミズは毎日、土を食べて生きている。土はミミズの口から入って外へ出ると、また土になる。このお尻から出た土が大事。第一に、土と一緒に呑み込まれた草やワラなどが、ミミズの体内の分泌液によって豊かな黒い土になって出てくる。第二に、出てきた土は細かい団粒状だから、空気が通りやすく、ふわふわとして柔らかい。ダーウィンは、肥沃な土地はミミズの糞によって、毎年平均して五分の一インチの表土が加わると記している。▼『からくりからくさ』(梨木果歩・新潮文庫)から。伏線はいつでもいくらでも張られているが、それがわかるのは思い出になってからだ。人は何かを探すために生きるんではなく、きっと日常を生き抜くために生まれるのです。▼『裏庭』(梨木香歩・新潮文庫)から。パパとママは真面目に生きているけれど、誇りを持って生きていない。楽しんでもいない。光に向かう真っ直ぐさがない。一番深いところと、一番高いところがつながっていたのよ。▼『日本人の笑い』(暉峻康隆・みすず書房)から。歯は入歯目は眼鏡にて事たれど。あまったを不足へたして人はでき。天は人の上に人をのせて人をつくる。豆腐と鉄とはどっちが物の役に立つか知るまい。鉄は熱くなると柔らかくなるが、豆腐はお熱いのに入れると堅くなる。ここでは、十九世紀の日本人のあけっぴろげが横溢している。庶民の笑いを古川柳から味わいました。▼今年もクリスマスと晦日で一年を〆ますが、何かもの足りない。笑える酒席かな。十一月二十一日(金)
動物と関わりたい
▼若い人たちが、動物と関わりたがっている。十月の初めに、地元の畜産単科大学で動物園の話をしてきた。学生のうち九割は道外で、しかも半数は女子学生でした。将来の仕事を尋ねると、ボランティアでもいいから動物に関わりたいという返事。人間相手の社会が疎まれているのかな、という感じを持ちました。▼動物好きの人は、ファーブルやシートンなどを愛読するが、近頃は動物行動学が注目されている。『ソロモンの指輪』(コンラート・ロレンツ/日高敏隆訳・ハヤカワ文庫)から。動物同士のお互いの階級闘争やらイジメをみていると、その動物的な遺産が人間の中に多く残っていることに溜息がでる。また著者は、飼っていたハイイロガンの雛が最初にロレンツ氏を見たばかりに、親と思い込みヒョコヒョコついて回る、刷り込み理論で知られる。▼つぎに『動物とふれあう仕事がしたい』(花園誠編著・岩波ジュニア新書)から。動物に関わる仕事には、動物園の飼育係、犬の訓練士、動物病院の獣医、動物看護士、動物栄養管理士、トリマー、アニマル・セラピスト、乗馬療法の指導者、動物学者などがある。ここでは動物園の飼育係の仕事を覗いてみよう。飼育係にとってうれしいこと。それは、担当している動物の前で上がるお客さんの歓声。その動物のおもしろい行動をうまく見せることが出来た時には、この仕事をやっていてよかったと思える瞬間だという。飼育係の一日は、まず担当動物の見回りから始まる。一頭ずつ個体に異常がないかを見ながら、当日やるべきことを頭に整理していく。午前中は各動物舎の清掃をするが、単にきれいにするのではなく、糞の状態や、前日与えた餌の食べ具合もチェックをする。問題があれば獣医さんに連絡し、治療の段取りとなる。午後は、おもに餌の準備と給餌。そのほか朝決めた特別な作業、たいていは動物舎の修理や整備をする。また、動物園は入園者がいて初めて動物園として成り立つことから、お客さんの前で動物の話をすることも多い。午後の作業が終わると、その日の出来事を飼育日誌に記入して一日が終わる。そのほかにも解説版を作成したり、動物にとって住みよい環境づくりや魅力的な展示のために、本やインターネットで調べたり、海外の論文を読んだりもする。▼この本では畜産業は省かれていました。動物飼育が産業化するのは不自然な行為ということでしょうか。自然なものを嗅ぎ分け、そこに近づきたい気持ち。これは動物からの大いなる遺産です。十一月十九日(水)
中世を持たない国 (130)
もう一度『新世紀へようこそ』(池澤夏樹・光文社)から。▼テロについて言えば、第二次世界大戦中、ドイツ占領軍に対するフランスの武力による抵抗、いわゆるレジスタンスはドイツから見ればテロ以外のなにもにでもなかった。同じようにして、ロビン・フッドも、ウィリアム・テルも、赤穂浪士も、アラビアのロレンスも、ネルソン・マンデラも、相手の側から見ればテロリストだった。▼アメリカは、アフガニスタンに爆弾と食料を空からばら撒いた。食料がプレゼントなら手渡すのが筋だろう。投げ与えるという振る舞いが今のアメリカの貧国に対する姿勢をそのまま物語っている。アフガニスタンに住む人々は、どんな考えかというと、ヤクザのメンタリティに似ている。信用したらとことん信用する。▼この戦争はなぜ起きたか。カザフスタンには、サウジアラビアの埋蔵量300億バレルを上回る500億バレルの油田が見つかった。しかしこの国は内陸で地政学な難問をかかえる。タンカーを横づけにできない。パイプラインを最短にするには黒海がいいが、ロシア経由ではそのロシアが信用できない。次に短いのがイラン経由でペルシャ湾のルートだが、イランは一癖も二癖もある。最後の手は、隣国トルクメニスタン経由でパキスタンのカラチ港からタンカーに積み込む。しかし一つ問題がある。その間にアフガニスタンが挟まっている。これが資源戦争の疑惑です。▼さて、ヨーロッパには継承という思想がある。それに対してアメリカは過去との断絶から出発した。メイフラワー号は過去を捨て新天地に向けて出帆した。だからこそ彼らは社会の土台としてMayflower Compactという契約を必要とした。従って、アメリカ史には中世がない。近世もない。あるのは近代と現代しかない。アメリカ人が自由奔放にふるまえる理由の一端がここにある。アメリカは、元気で、わがままで、古いものに対する畏怖の念を欠いた、繊細であるかと思えばいきなり粗暴になる、貪欲で、浪費癖のある、セクシーで、魅力的な、コンプレックスに苛まれた、心に病気を持つ、銃を手にした、若い危なっかしい国。▼中世を持たないことでは、北海道も同じ。十一月七日(金)
母国語が怪しい
愛国主義と祖国主義は、混同しやすい。『祖国とは』(藤原正彦・講談社)から。英語で愛国心にあたるものに、ナショナリズムとペイトリオティズム(patriotism)があるが、二つは全く違う。ナショナリズムは他国を押しのけてでも自国の利益を追求する。ペイトリオティズムは、祖国の文化、伝統、歴史、自然などに誇りをもつもので、これが祖国愛である。▼さて、その祖国は何で成り立っているのだろうか。フランスのシオランがいう「祖国とは国語である」なら、小学校における教科の重要度は、一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数、あとは十以下でなくてはならない。しかも、「読む」「書く」「話す」に配分する割合は七対二対一くらいでいい。充分な読書量さえあれば、話したり書いたりは自然にできるようになる。寺子屋の「読み」「書き」「そろばん」は、いまも基本。▼英語がうまくなれば、グローバルに経済活動ができると思っている。世界で最も英語のうまいイギリスは二十世紀を通して経済的に斜陽だったが、最も英語の下手だった日本は前世紀に最大の経済成長をなしとげた。理数系は、国語や社会のように寝転がっては学べない。机に向かってじっくり取り組むという面倒に耐えねばならない。しかし、理数離れより読書離れは重大。理数離れは将来における科学技術力の低下、ひいては経済の退潮を意味するが、読書離れは、国民の知力崩壊を意味する。ゆとり教育が甘やかし教育なら、この国の将来は覚束ない。経済界の提言を取りいれて、英語・パソコンなどを小学生に教えていたら、ただでさえ少ない週二十時間の勉強時間では、国語や数学の基礎力を養うことができない。国語を用いて思考するのである。英語やパソコンが多少ぎこちなくても、文学、歴史、哲学、芸術そして日本人としての情緒などを身につけた者こそが、世界で活躍するための必須の、大局的判断力を備えることにならないか。▼現在、わが日本の政治、経済、社会、教育はどれもうまくいかないでいる。改革もうまくいかず、国家は危機にある。各界のリーダーたちも大局観を失っている。その底流には国民に教養や情緒力の低下があるのではないか。この回復には活字文化の復興なくしてありえない。と、藤原ていの息子さんは言い切る。▼教養と情緒の大半は、読書を通じて育つ。はずなのだが、近ごろの私の脳細胞は年頃ゆえ毎日一万個づつ消え、漢字も名前もふらふら遠のく。母国語が怪しいのは、大人も同じ。十月二十四日(金)
ビンボーが普通
百円ショップの原価は10円程度と言われている。中国の賃金は1ヵ月で1万円。日本人は30万円から50万円。安くてよいモノを作るということでは、もう中国には勝てない。日本の平均国民所得は600万円で、フランスはその6割、イタリアは5割と、欧州勢は年収300万円が平均といったところである。今のところは相対として優位な日本であるが、構造改革の行き着く先の競争社会では、景気はよくなるものの所得階層の多くを占めていた中間層が崩れ、年収300万円クラスが増えるらしい。▼『Bで生きる経済学』(森永卓郎・中公新書ラクレ)から。競争がきつくなる市場経済では、サラリーマンの中間層が淘汰される。その結果、年収3億円以上のA階層が1%、年収300万円程度のB階層が約90%、年収100万円のC階層が約10%の超階級社会が到来する。かつて清水幾太郎が、21世紀は1割のパワーエリートと9割の一般大衆で成り立つだろうと、言っていたがそれを上回ることになる。今まで中間層が築いていた中流生活がなくなり、「Bで生きる」以外に選択の余地がないらしい。でも、ものは考えよう。庶民は背伸びをせず、それでいてミジメでもない生き方。サンダルを突っかけて買い物に出かけ値切り倒す難波のオバちゃんの気概を持つなら、懐はビンボーでプアながら、気分だけはそこそこリッチになれるだろうか。▼給与所得者が年収300万円のB階層で生きるには、子供とマイホームと専業主婦という人生の三大不良債権をできる限り早く処理すべきである。これができれば、人生の重荷から解放されて身軽となり、欧州並みの充実した「B」の人生を送ることは可能になる。でも、それだけでは駄目かもしれない。B階層で気分を豊かに生きるには、まずは「読み・書き・ソロバン」が自分に備わっていなくちゃまずい。自分と周りにその文化素養がないと、ユニクロ着てても心は錦、という具合にはならない。十月十七日(金)
磁石の孤立
あの2001年9月11日のWTCテロから21世紀が始まる。と池澤夏樹は語る。その時に立ち上げたメールマガジンに書き込んだ『新世紀へようこそ』(光文社)を、再読してみた。この2年間の米国一国主義と日本の追随主義がうらめしい。続刊の『世界のために涙せよ』(池澤夏樹・光文社)にしても、米国が、結局あのテロリストたちと同じことをしてきたことを綴っている。イラク戦争前に緊急出版された『イラクの小さな橋を渡って』(池澤夏樹・光文社)は、小さい本ながらイラクの戦争前の人々を写真と文で伝えた。開戦を止めることは出来なかったが、皆の目には留まった。武力より弱い言葉。米英はイラクに、すでに1991年から爆撃とミサイル攻撃を頻繁に行なっている。1999年までに6千回の出撃と450の施設を破壊した。経済封鎖で食料と医薬品さえも止めた。アメリカの高官は、もう壊すべき軍事施設がない、奴らの屋外便所までこわしてしまった、と言っているくらいだ。イラクの大半は砂漠で平らで、偵察衛星で何でも見える時代に、山地もなく一体どこに武器を隠したというのだろう。米国は冷戦後、経済と軍事で一人勝ちの、地球上で唯一の強い磁石となった。その磁石に、くっついているのは日本だけ。他の国々は反発の極にあり、磁石にくっつかない石のよう。池澤夏樹の文の底には、民族や暮らす人々の目から、世界を組み立てようとする非戦の基準というかスタンダードがある。どんな人々や政府でも、イケザワ・スタンダードから話せるなら、道はある。氏は1945年帯広生まれ。十月十四日(火)
山賊ごはん
「山賊ごはん」が懐かしい。懐のさみしい二十歳ころのメシである。電気釜で炊き上がった白いご飯に、生卵を落とし、醤油差しを片手にヘラでかき混ぜ、鰹ぶしをトッピングする。それを、あろうことかヘラで食べる。アルバイトの実入りがいいときは、安売りのマグロをカラシ醤油づけにして、それを載せて食べる。粗野にして簡単。行儀は悪いが誰も見ていない気安さ。その後このメシをどん底に、たまの旅先での稀なる味で幅をひろげたりはしました。生きている間に50トンの食事をするそうですが、ご馳走はどんなに食べても1トンに満たないでしょう。そう考えると、毎日の常食が大事になる。健康の源ですからね。くわえて地産地消といわれ始めましたが、その土地の農産物と海産物を、その土地の風や菌で発酵すれば一番うまいものが出来上ります。そんな食べ方を続けたら言うことない。▼物書きの「食」語りは多数ありますが、その中の『ひなびたごちそう』(島田雅彦・朝日新聞社)から。はしがきに、こんな文を寄せています。「人並みに退廃の極みにあり、日々の退屈を、酒と哲学と家政で紛らわせている。長く自宅にいる職業柄、家政は趣味を超えた生活の知恵の域に達している、と自慢したい。中年が何らかの魅力を誇れるとしたら、退屈を紛らわす知恵と教養くらいである。オヤジが矜持を保とうと思ったら、オヤジには不可能と思われていることをさりげなくやってのける他ない。若者は不器用でも美しければよいが、オヤジが不器用であることは救いようがない」。こんなに卑下することもないだろうに。▼この方は、ひじきやするめや昆布、鰹節や煮干、高野豆腐や切干大根、麩などの乾物に郷愁が残り、胃が疲れると、何となくひなびたものが食べたくなるそうです。しかし、最後に行きつくのはなぜか生卵ご飯ともいう。醤油をからめた鯛の刺身をこの生卵ご飯に加え、もみ海苔を振りかけると、四国は宇和島の名物の鯛めしになるそうだ。あれっ、これは私の山賊ごはんに似てないか。貧しきご馳走。十月十九日(金)
夏休みの七冊
▼低温の夏だったから十勝平野の出来秋が心配。さりとて、なにも出来ず。お盆のころに読んだ本です。▼『いつか王子駅で』(堀江敏幸・新潮社)から。一文が長く言い回しにくせがある。「来ないものを待つこと、必ず来るものを待つことの差異があるとしたら、器の小さい方は後者だろう。待っても詮無いものを待つことにこそ意義がある…。普段どおりにしていることがいつのまにか向上につながるような心のありよう…。いつもと変わらないでいるってのはな、そう大儀なことじゃないんだ、変わらないでいたことが結果としてえらく前向きだったと後からわってくるような暮らしを送るのが難しいんでな、と正吉さんはピース缶を手によくつぶやいていた」。「旋盤でも木工でも、のりしろを残しておく。寸法ではなく匙加減が大事なのだ。なるほど、のりしろか。私に最も欠落しているのは、おそらく心の「のりしろ」だろう。他者のために、そして自分のために余白を取っておく気づかいと辛抱強さが私にはない。咲ちゃんといて疲れないのは、あっはと美しい歯を見せて笑う表向きの明るさや屈託のなさのせいだけでなく、周囲にいる人間にたいしていつも「のりしろ」になれるように、生まれつきの余白が備わっているせいかもしれない」。引用文の多い小説でしたが、味わいがありました。▼『草叢』(津島佑子・学芸書林)は、夢やイメージ、空想的な話がほとんど。現実から浮遊しながらも、この世とぎりぎり接している、そんな心の世界でした。それだから見えるものがあるんですね。自選の十一篇。▼『毎月新聞』(佐藤雅彦・毎日新聞)から。「単機能ばんざい」は今だからこそ肯ける。「おじゃんにできない」もいい。靴の紐を締めてから忘れ物を取り行くときどうするか。新聞を二枚広げて松の廊下「殿中でござる」の裾はこびでズルズルすすむ。靴を脱いでとはならないところが愉快で考え込ませる。▼『おわらない夏』(小澤征良・集英社)から。「過ぎた時間って、一体どこへいくの」。ニューヨークから三時間のタングルウッドでの森の生活。こんな清々しい思い出を持つ人は少ないでしょう。少年期が豊かな人は、老年期をどう始末するのでしょう。▼『ひきこもれ』(吉本隆明・大和書房)から。引っ込み思案ゆえに引っ込んでいても、十年続ければものになる。職人のすすめです。1960年代は、この著者による『共同幻想論』がテキストでした。▼『本の音』(堀江敏幸・晶文社)は、仏文専攻の著者ゆえの読書案内です。日本には枕草子や方丈記などの随筆という短編の伝統があるが、フランスでは書物といえば長編だからこの短編はおもしろそうと、『ビールの最初の一口とその他のささやかな楽しみ』(フィリップ・ドレルム/早川書房)をすすめる。『辻まことの思い出』(宇佐見英治・みすず書房)は、多芸の辻氏を友人がよく寝かせた思念の硬い言葉のノミで掘りあげたものだそうです。『ビル・エバンス』(ピーター・ペッティンガー/水声社)では、規律に基づいたロマンティシズムを求めてやまないビル・エバンスの評伝です。静かな活気が彼の演奏には確かにありますね。気になる本たちです。▼『たましいの場所』(早川義夫・晶文社)から。「あなたが一流で、私が三流なのではない。あなたの中に一流と三流があり、私の中に一流と三流があるのだ」。「話が面白い人は、作品も面白い。音楽もそうだ。話が面白い人は、曲もいい」。「仲間や同僚をライバルにするな。ライバルはお釈迦様かキリスト様にしろ」。『ぼくは本屋のおやじさん』(晶文社)の著者でもある。▼『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(米原万理・角川書店)の東欧報告から。「大きな国より小さな国、強い国より弱い国から来た子供の方が、母国を想う情熱が激しいことに気付いた。都会育ちの人間が、自分には故郷がないと感じているのに対し、地方の小さな村の出身者が絶えず胸中に懐かしい故郷の風景を抱いているに通じる」。「ロシアが優れているのは、才能に対する考え方の違い。西側では才能は個人の持ち物だが、ロシアには皆の宝。他人の才能を無私無欲に祝福する心の広さがある」。▼西側から聞くか、東側から話を仕入れるかで、見方が違ってくる。東欧のセルビア悪玉論にたやすく乗ってしまっている。危ない、アブナイ。八月二十二日(金)
ひと芝居、打つ。
▼芝居はのぞきの一種。劇場の造りがそもそも、それ向きにできていて、観客は壁のひとつを外して集団的にのぞき見している。そんな状態で、演技者と観客の違いがありながらの一体感のなかで、面白おかしく演じられ、ユーモアが発現する。やっかいなことで吊るし上げられている者の、話をかわしたり受け流したりを見守る。戯曲でも、毎日の暮らしでも、大きい小さいはあるが、苦しい場面でのユーモアの織り込み方が試されているし、それが笑いの種になる。どちらにも法則はありそうです。同じ土俵で面倒な勝負だと思えば、別な土俵に移す。そうすれば勝負にならず、同じ次元では調和できずとも異なった次元なら手を打てることもある。逃げるのではなく、肩すかし。それを観客が息をのんで見守る。日々の生活圏でもあります。そうです、あれです、サルシバイ。そう考えると、生活が演劇なのかということになるが、そうもいえるし、劇場で玄人が演じるのも演劇である。双方とも、浅からぬ溜息がでる。▼『シェイクスピアを楽しむために』(阿刀田高・新潮文庫)から。シェイクスピアの戯曲については、観客が面白がるドラマを抜きにしては語れない、それに断じて高踏的な学者先生のためだけの世界ではない、という。トルストイが物語に一貫性がないと噛みついているが、演劇の場合は観客を楽しませる度合いが小説よりずっと強いと言われる。歌を唄ったりダンスを踊ったりと、筋をはずれて展開していくこともあるようだが、これはこれで観衆は満足する。▼そんな訳で、世俗の愉しみごとを捨てるなんてもったいない。あまさず味わいたい。本物の芝居だって猿芝居だって、持ち味は同じ。八月十五日(金)
抜いた大根で道を教え
日本人が身につけたいもの。そして身につかないもの。ないものねだりなのだろうか。『ユーモアのレッスン』(外山滋比古・中公新書)から。▼正直者が勝るわが列島では、老婆は一日にしてならず、下戸にご飯、などひねった言い方がうける。江戸の川柳では、「本ぶりになって出ていく雨宿り」がよく知られている。「抜いた大根で道を教え」なども雑歌の類とはいえ、毎日のくらしに取り込みたい感覚です。かたやアメリカのラジオ番組から。「うちのママは、毎日、早く起きなさい、勉強しなさい、テレビを消しなさい、早く寝なさい。といって、うるさくて仕方ありません。ボクどうしたらいいでしょう」。回答者すかさず「毎日、早く起きなさい、勉強しなさい、テレビを消しなさい、早く寝なさい。以上、サヨウナラ」。これはオウム返しだけですが、あとからこみ上げてくるものがある。次もアメリカ。第二十八代大統領ウイルソンが、次のように言ったとか。二時間の講演なら今すぐでも始められるが、三十分の話だと、そうはいかない。二時間くらい用意の時間がほしい。三分間のスピーチなら、少なくとも一晩は準備にかかる。▼笑いは、面白いことを話すことにあるが、話し方にもある。ちょっと黙るとか、一息入れるところを続けてしまうとき、聞き手との間にズレがうまれ、つい笑いを誘う。▼あちらの国の、パーティでの一番のご馳走は、食べ物ではなく、おいしい話だということになっている。でも、手柄話は概して退屈であり、他人のしくじりを喜ぶのは、国を問わない。人の悪口では、これ。「一度も絵を描いたことない人に美術展の審査員はむり」と言う人にチャーチルは、「私は卵を産んだことは一度もない。それでも卵が腐っているかどうかは、ちゃんとわかります」。最後はアイルランドもの。「ガミガミいわれたけりゃ結婚しろ。ほめられたかったら死ね」とね。八月八日(金)
コピー&ペースト(2)
▼構造主義といえば、それは記号論から始まる。記号は「しるし」と「意味」がセットになってはじめて意味がある。「しるし」と「意味」の間には、意味するものと、意味されるものとの機能的関係だけがある。例えば、将棋をさしていて、歩が一個見当たらないときに、「じゃ、これ歩」といって、ミカンの皮をちぎってそれを将棋盤においても、対局者が合意さえすればゲームは続けられる。でも、ミカンの皮と歩の間には結びつきはない。このデタラメさが「記号」の本質です。言語を語るとき、私たちは記号を使い過ぎるか、使い足りないか、のどちらかになる。言おうとすることがままならず、言うつもりのなかったことが漏れ出す。人間が言語を用いるときの宿命である。言語による作品は、そのひと固有のものというより、自然的あるいは社会的な、さまざまな要素から織られたテクスチュア(織物)と見た方がいい。私たちは、インターネットのテクスト(文脈)を読むとき、それが、もともと誰が発信したものかということに、興味を持たなくなってきている。誰が最初に発信したものであろうと、それはインターネット上でコピー&ペーストが繰り返され、リンクされている間に変容と増殖を続け、もはや「元々誰が?」などと、オリジナルを問うこと自体が意味を失う。これは、ロラン・バルトの「作者の死」と同じ。最近では、私たちがリナックスのパソコン基本ソフトを自由に使うことができる。これは、一人によるオリジナル最終作品ではなく、よってたかって作り上げられ、公開された。▼さて、構造主義の旗手であるレヴィ・ストロースの『野生の思考』から。文明人と未開人は、その関心の持ち方が違う。文明人のように世界を見ないことが、未開人が知的に劣等であることを意味しない。サルトルは歴史の段階的な進化を考えていた。それは未開から文明へ、停滞から革命へと進む、といった歴史過程である。しかし歴史を持たない、新石器時代とほとんど変わらない生活をしている部族はまだこの地上に多く残っている。数千年前から繰り返してきたことを、この先も永遠に反復するだけ。しかし、だからといって、彼らに人間の尊厳や理性が欠如している訳ではない。実存主義は、ここで理論破綻することになる。さて、レヴィ・ストロースの親族論の二項対立から。私たちが自然で内発的と信じている親子、夫婦、兄弟姉妹の間の感情は、実は社会システム上の役割演技にほかならず、社会システムが違うところでは、親族間に育つ感情も違う。私たちは常識的に、人間が社会構造を作り上げてきたと考えている。しかしレヴィ・ストロースは、親子兄弟夫婦の間の自然な感情がまずあって、それに基づいて親族関係を作り上げてきたのではなく、社会構造が人間を作り出すことを、きっぱり言い切った。▼これらの論証は、親族構造における近親相姦禁止と贈与論にありますから、やはりここは彼の『構造人類学』を読むよりないですが、数学も出てくるから難しそう。でもその前に、『はじめての構造主義』(橋爪大三郎・講談社現代新書)で消化しておくのもいい。レヴィ・ストロースの親族論と神話論へ入門させてくれる。我が列島では、山口昌男がトリックスターや贈与論に取り組んでいた。これから、どういうふうに、考えてゆこうかという時、構造主義は避けられそうにない。思考の出直しのためにも。八月二日(土)
コピー&ペースト(1)
私たちは他人の言葉を語っている。▼『寝ながら学べる構造主義』(文春新書・内田樹)から。自分が見えるように他人にも見えているだろうか。懐疑についてはプラトンも、デカルトも、カントも哲学した。でも、それはイスに座して思弁したものである。日常の生き方にリンクする哲学をした人はマルクスが最初といわれ、それは構造主義の源流にもなる。▼まずは、言語論から。言葉を語っている私は、厳密に言えば、私そのものではない。それは私が習得した言語規則であり、私が身につけた語彙であり、私が聞き慣れた言い回しであり、私が読んだ本の一部である。とういう訳で、私の持論という袋に、一番たくさん入っているのは、実は他人の持論です。他人に意見を述べている場合、それは私が、誰かから聞かされたことを、繰り返していることと思って間違いありません。タクシー運転手さんの中には、社会問題について、実にきっぱりと意見をいう人がいるが、彼らが長時間ラジオを聴き続けていることと関係があるでしょう。「私が語る」とき、その言葉は国語の規則に縛られ、語彙に限定されるばかりか、そもそも語られている内容さえ、その大半は他人からの言葉、ということになると、「私が語る」という言い方は気恥ずかしい。私が語っているとき、そこで語られていることの起源はほとんどが、私の外部にあるのですから。▼国家は身体を操作する。ミッシェル・フーコーはいう。「十八世紀になると、兵士は造形されるものとなった。まるでパスタを練り上げるように、兵役不適格な身体を必要な機械に造りだす。姿勢が少しずつ矯正さる。計算ずくの束縛がゆっくりと全身にゆきわたり、身体の支配者となり、全身をたわめて、いつでも使用可能なものに変える。それは、さらに日常的な動作の中にそっと入り込み、自然な反応として根づく。こうして、身体から『農民臭さ』が追い払われ、『兵士の風格』が与えられる」。同じことは日本でも維新後、山県有朋によって徴兵制が導入された。人間の身体を政治的な技術で加工した。身体の支配を通じて、精神の支配をすることこそ、政治技術の最終目的である。それに自らの意思で、自らの内発的な欲望で、権力の網目の中に自己登録するように仕向ける。▼これは、丸山真男の超国家主義の論理と重ね合わせたくなる、くだりです。制度と身体と戦争の連鎖は、もはやこの時代に繰り返されることはないと、タカをくくりたいが、怪しい。この本、寝ながらどうぞ、となっていたが、起き上がってしまった。(つづく) 八月一日(金)
クモの糸(120)
▼クモの巣のむこうに夏空を仰ぎ、巣の張り方を観察する。まずは放射状の縦糸を張り、つぎに真ん中に密度の高い「こしき」をつくる。これはクモの住居部分。その後に足場糸をつくり、外側から内側に向けてネバネバの横糸をゆるく張っていく。これで獲物をとる。クモのなかでもオニグモは、夕方に現れ、残しておいた一本の糸を頼りに巣を張る。夜中に獲物をとり、明け方近くになると巣を取り壊し、集めた糸を口に入れて、一本の糸のみを残して隠れてしまう。毎日、店開きと店じまいをする。ガード下の屋台みたいなものである。▼さらに詳しくは、『クモの糸のミステリー』(大崎茂芳・中公新書)から。クモがつくる巣は、いくつかの種類の違う糸でできている。中でも大事なのは「牽引糸」である。巣に飛来した昆虫の捕獲や、クモ自身が巣から逃げ落ちるときには、中央の「こしき」に固定した牽引糸をつかう。牽引糸は命綱で強い。強度計算では自重で切れる値をもとめると約150km。これなら芥川龍之介『蜘蛛の糸』のお釈迦様の垂らしたクモの糸で、地獄から這い上がることもできるかもしれない。▼クモの糸は、四億年の進化の過程で生みだされた素材で、強度や弾力性などの点で優れている。いまは防弾チョッキや女性用ストッキングなどへの応用が考えられている。特に牽引糸は同質の二本の細いフィラメント(繊維)から作られている。一本が切れても、残りの一本で体重を支えることができる。命綱は二本がミニマム。この自然界の経験則は、エレベーター、橋、飛行機、紐、家屋、トンネルなどの素材の安全率を示唆する。それも二倍の強度が基準で、それ以上は無駄であり、それ以下は危険である。▼クモの糸が教えるこの「二」は、安全を考える上で、大事な値である。記念写真でも最低二回はシャッターを切る。さらに、危機管理を考えるなら、トンネルの場合なら英仏海峡トンネルのように単線二本(青函トンネルはコストから複線)とか、会社の社長と会長は同じ飛行機には乗らないなど、別ルートの「二」が大事になる。▼ところでクモは昆虫と、ずーっと思ってましたが、八本脚の節足動物でした。七月十一日(金)
広告代理店の関与
▼過去の戦争を知るには、証言と資料が残されている。今の戦争を知るには、報道メディアが頼りだ。これがアブナイ。『戦争報道』(武田徹・ちくま新書)から。▼戦争ニュースは情報メディアが、軍発信の情報をベースに従軍記者やフリージャーナリストの情報から組み立てる。ただ、情報の伝え方や内容にカタヨリが感じられる。むしろ『地獄の黙示録』のような映画の方が、戦争の狂気を余すところなく描かれている場合がある。では戦争の報道は、実際にどう作られているのか。「洪水のような情報操作」の元になる情報をパッケージするのは、今ではPR会社が手がける場合が多い。アメリカのPR会社は広告代理店の範囲を超えた幅ひろい仕事をしており、世界各地の地域戦争に関与している。▼例えば、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、ルーダー・フィン社が、サラエボの最新情報とボスニア関係情報のうち、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府に有利なように編集した『ボスニア・ファックス通信』をメディア関係者に送りつける。PR会社がニュース・リリースしたものを、メディアが重要な情報源としていく。ニュースの半分はこうして作られる。戦争広告代理店は、人々の関心を惹きやすいように「セルビア人は現代に蘇ったナチだ」というようにパッケージされた情報を提供する。セルビア人のイメージは一人歩きし、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府の支持を増幅させていく。コトバによる情報管制である。今ではマスメディアが、PR会社の情報操作の対象となっている、この事実。ジャーナリズムが戦争をつくり、戦火を焚きつけている面はないか。▼一方、インターネットで多くのことが知れるようになった時代は、何も信じられない時代である。情報収集のためのインターネットではなく、ジャーナリズムの出力回路としてのインターネットがブロードバンド環境で進むとしたら、希望はもてるかもしれないが。マスメディアは大きなシステムで動き、刺激のある情報を次々と発信する。信頼ある情報が不足してきているにも拘らず、多くのテレビ局、出版社は、危険な場所に自社社員を送り込まず、フリージャーナリストを前線取材に用いている。▼つくられた戦争情報でも、百ぺん繰り返せば真実になる。七月四日(金)
炭になった弁当
▼五月の中国地方へ仕事を兼ねて出かけた。瀬戸内海の魚と酒をいただきながら、北国にはない、のほほんとした人柄が味わえた。ヒロシマの半世紀前を訪ねようと、大勢の修学旅行生に押されながら原爆ドームと原爆資料館にも足を運んだ。その売店で買った『広島・長崎修学旅行案内』(松元寛・岩波ジュニア新書)から。▼著者はだし抜けに、いまは戦後というより第三次大戦の戦前ではないかと問いかける。さて、広島へ投下したウラニユム爆弾は、一般市民への無差別殺傷と思われているが、実は広島の第二総軍司令部(東京が第一総軍司令部)を中心とする軍事施設から数百メートルそれたところに投下されている。アメリカは、敗戦色が強まっていた日本になぜ原爆投下をしたか。ソ連軍が日本に進入する前にアメリカの手で日本を屈服しておきたかった。戦後の極東政治の舞台で主導権争いを想定した動きとの考え方がある。この地方は、毛利氏の戦国時代から明治維新まで特記するような歴史もなく、隣の長州藩のように、尊攘派である松田松陰門下生の高杉晋作、伊藤博文、山県有朋といった人材も輩出はしなかったが、瀬戸内海と中国山地の恵みのなかで、おだやかな気質を持つことになったのかもしれない。しかし、明治以降は、広島の人たちの意思によらない軍事都市としての役割が課せられた。日本が遂行した戦争である日清、日露、第一次大戦、シベリア出兵、満州事変、上海事変、日中事変では、軍人と物資の供給基地となった。ですから、原爆投下された被害者でありながら、知らずに加害者の位置にいたことになる。原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しません」との碑文が記されている。爆心地は原爆資料館の近くの島病院である。そこの説明版には「この病院の約五百八十メートル上空で人類に対する最初の原子爆弾が炸裂した。テニヤン島から飛来した米空軍機B29「エノラ・ゲイ号」が高度八千五百メートルから投下したウラニウム235爆弾であった。この一帯の爆発時の地上温度は、約六千度となり、高熱と爆風、放射線によってほとんどの人が瞬時にその生命を奪われた。時に一九四五年(昭和二十年)八月六日、午前八時十五分であった」。▼広島原爆資料館の展示資料に、炭になった弁当があった。七月一日(火)
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/vist_fr.html
愛蘭土(3)
▼歴史の大筋をもう一度。前四世紀ころケルト人が渡来、五世紀キリスト教が伝来、十二世紀以降イングランドの支配、十七世紀クロムウェルに征服され経済的・宗教的な圧迫をうける。十八世紀初頭からカトリック信教の自由を求める反乱が起こり、一八二九年カトリック解放法が出される。しかし農民の貧困と反抗はその後も続く。アイルランドの人々はそんな訳で、イギリス本国の新教徒をプロテストタント野郎とののしり、怨念を残す。▼しかし、アイルランドは、何んといってもゆたかな言語芸術の国であり、日常のなかでも、皮肉、諧謔、華麗なレトリック、痛烈な自己主張にあふれている。十八世紀、聖職者でありながら『ガリバー旅行記』というきわどすぎる人間批判を書いた厭世家ジョナサン・スウィフトを峰とすれば、くだって十九世紀末にはオスカー・ワイルド、もっと早い時期に日本の能に注目したイェイツ、つづいて二十世紀初頭の演劇に影響をあたえたシング、『ユリシーズ』の作品のジェイムス・ジョイス、そして『ゴドーを待ちながら』のベケット。▼英国国教会が、国王を頂点とする国家宗教であるのに対し、カトリックは普遍的で、ローマ教皇を頂点としている。なにしろ英国国教会は、十六世紀、ヘンリー八世が王妃と離婚したいがため教会をローマから独立させた宗教だから、諸事鷹揚である。初期にはカトリックにゆれたり、プロテスタントになったりしたが、やがて中道で落ちついた。たとえば儀式はカトリック、教義は新教という具合で、この中庸主義が、英国人の生活と文化あるは政治思想に根づよい影響を与えたに違いない。▼アイルランド人は、組織感覚がなく(中世的である)、統治される性格ではなく(古代的である)、大きな組織のなかの部品で甘んじるというところが少なく(近代的でない)、さらには部品であることが崇高な義務だというところが薄い。それらはイギリス人たちが持ち合わせているものであるが。▼魅力的な民族だが、すこし中世的じゃないかと思われる。アイルランドにあるのは、一枚の舌、それに激情。あるいは屈折したこころ。その屈折からくる華麗な言語表現だけである。アイルランド人には古ヨーロッパ人(ケルト人)の意識がある。それは気の毒にも辺境の地だが。アイルランドは、十四・五世紀のルネッサンスを知らず、十六世紀の宗教改革とも無縁で、十八・九世紀の産業革命では被害者の役割しか演じさせてもらえなかった。上代において文字をもたなかったため、歴史においては寡黙である。しかし今も昔も、どこか神秘的で魅力に富んでいる民族である。アイルランド人は普段でも大なり小なり演劇的である。話に興じてくると、直接話法になってきて、話の中の登場人物を、それらしい口癖で語らせたり、表情を入れて話し、演劇的である。▼ジョン・フォードが作った映画『静かなる男』には、アイルランドの人情と田園風景があふれる。そうそう、そもそもウィスキーの起源は、アイルランドであるにせよ、スコットランドであるにせよ、ケルト民族の発明であることにかわりがない。▼アイルランド人は、途方もない意固地さ、信じがたいほどの独り思い込み、底抜けの人のよさ、無意味な喧嘩好きと口論好き、それに瑣末なことでも自己の不敗を信じる超人的な負けずきらい、それに信心深いカトリック教徒でありながら迷信をとびっきり好み、そのくせ子羊のように服従する素朴がある。アイルランドには資源はないが、妖精だけはいっぱいいる。古代ケルトのドルイド信仰ならば、むろんゴーストや諸霊が存在し、人は死後、ゴーストとして、好きな地や古里をうろつく。▼ところで、アイルランド西方のアラン島にもひとは住む。岩だらけの不毛の地なのに。人間もタンポポも同じなんですね。種子が落ちたところが極楽だと思って住んでいる。六月二十三日(月)
愛蘭土(2)
▼さて、古代ローマがやってこなかった、アイルランドの話です。西洋人にとって、ギリシャ・ローマ文明の子孫でないと、どこか小馬鹿にされるのではないか。つまり大なり小なり古代文明を血脈に引く家系を誇示する人は多い。英国における第一級の秀才は、工学部や経済学部を選ばず、ギリシャ・ローマの古典学を専攻する。ギリシャ・ローマは重いのである。アイルランドにはシーザーこそやって来なかったが、その代りにローマに本山を置くカトリックがやってきた。当時のアイルランドに住む人々は、狂喜したに違いない。もしもキリスト教がローマでなくエルサレムが根拠地だったら、こうは広がらなかっただろう。イエスの昇天後、エルサレム教会を守り続けた漁夫のペトロは、晩年イエスを殺したローマ帝国の都に行って布教し、これまた皇帝ネロに処刑された。つづくパウロもローマへ行き処刑されるが、ローマで少しずつ信徒を増やしつづけた。その後ヨーロッパの町や村に広がるが、これは「ローマの宗教」というイメージが魅力だったに違いない。ローマ文明は、民族や階級をこえて普遍的なものだった。▼さて、舞台をアイルランドに移すと、聖パトリックが五世紀はじめに、当地にやってきてキリスト教を伝えた。彼はこの島の人々に、三つ葉のクローバーをかざし、「三つ葉もよく見ると、一枚の葉なのだよ」といって、三位一体のこむずかいしい教義を説いた。父(神)と子(イエス)と聖霊とは一つというものだと。聖パトリックの祝日の三月十七日は、クローバーの緑の服、緑の帽子、なければ緑のハンカチでもよい。(そういえば昨年のサッカー・ワールドカップでもアイルランドのサポーターたちも緑一色でした)。古代ケルト人の末裔のアイルランド人は、本国には約三百万人ほどしかいないが、移民とカトリック的多産のため、アメリカには約四千万人いるといわれている。聖パトリックはふしぎな宣教者だった。絶対神とその厳格な教義を押しつけることなく、アイルランドの土着神を認めているのである。しかしそのお陰で、アイルランドの土着の神々が、妖精として生き残った。大宗教は、仏教でも回教でも、土着の神々を否定する。古代的幻想を否定するのだが、カトリック世界でただ一ヵ所、アイルランドだけは、小人や妖精が生き残ることを許されたのである。森や湖や家の暗がりに住む妖精たちは大よろこびしたに違いない。この島は小さいながら、世界の文学史の中で大きな位置を占めるのは、「アイルランド人は、みな頭のどこかかに幻想をもっている」この民族の能力によるものであろう。詩人イエーツ、小説家ジョイス、ガリバー旅行記のスウィフト、劇作家ベッケト。そして日本に滞在した小泉八雲(ラデカオ・ハーン)も日本にお化けや妖精をみた。▼リバプール発のビートルズもアイリッシュを土壌とする。六月二十二日(日)
愛蘭土(1)
アイルランドを読む旅。『愛蘭土紀行 Ⅰ・Ⅱ』(司馬遼太郎・朝日文庫)から。まずは、アイリッシュ・カトリックのために五十頁を割いている。▼そもそものヨーロッパ宗教史をひも解けば、四世紀頃に西ローマ帝国がカトリック、東ローマ帝国がギリシャ正教へと分かれる。やがて十六世紀、カトリックからプロテスタント(新教)が分離する。当時のヨーロッパでのカトリック信者たちは、暢気なものであった。神については教会にまかせっきり、教会に行って罪を告解してさえいれば、あとは神父がよろしく神に対して処理してくれていた。ところが、産業革命と都市生活が盛んになるにつれ、農村から出てきた者たちに、個人の責任や義務といった、個々の自立が求められるようになった。商品取引は、あくまでも個人が個人に対して行う。神との取引も同様で、ローマ教会という中間業者を外して、神に対し自分がじかに取引せざるを得なくなった。それが新教、プロテスタントであった。マックス・ウェーバーが、その著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で社会学的に研究し、この時期に勃興してきたビジネス文明をささえる精神(エートス)を探り出した。「汝の額に汗せよ」「働かざる者食うべからず」。古代に成立した聖書が、あたかも近代のビジネス文明のために書かれたように、さまざまな聖句の読み直しをした。▼アイルランドはカトリック国であるから、この新教に憎悪がある。ここでややこしいのは、アイリッシュにとって大きらいな英国が英国国教会の国であることである。アイルランドの人々は、ゲルマン系でもラテン系でもなく、ケルト人である。古代ヨーロッパに中西部に住んでいた先住民族で、歴史的に強力な足跡はなく、蛮族と思われていた。古代ローマではケルト人のことをガリと呼び、その地をガリアと呼んでいた。シーザーのガリアの地は今のフランスで、そこにローマの大軍が駐屯し、植民地にした。今なお、フランス人はローマ文明の嫡流だとどこかで思っているらしい。負けたケルト人たちはローマ人と混血して後のフランス人の原型をつくったが、例外がブルターニュ半島に残っている。ほかでは英国本土のスコットランド人とウェールズ人である。次いで北海道ほどの広さのアイルランド島にケルト人が残った。▼日本のアイルランド人は、小泉八雲。アメリカ大統領では、ケネディやレーガンがいる。横道にそれるが、テレビのウルルンという番組で、アイルランドの黒ビールの泡にクローバを描いていたのを見た。なぜクローバなのかは次回に。六月二十日(金)
日曜の雨
▼トマトとナスの苗植えが六月になってしまった。お盆のころには食したいが、こらからの好天と慈雨に頼るほかない。この日曜は雨で、引きこもるには具合がいい。だらだらした気分でインターネットや本を繰っていたら、ナルホドに出くわしました。たいして努力もせず棚ボタのいい日になった。▼まずは、動物の適応色彩。わけのわからない動物の体の奇抜な模様が、その動物の生存にとって大事なことは知ってますよね。シマウマなどは群れになると一頭ごとの識別はムリで捕食されにくい。でも、それはなぜか。輪郭です。サンゴ礁などに群がる熱帯魚の鮮やかな縦じまや、蛾のはねの極彩色の斑紋は、はっきりした模様であるけれど、魚がサンゴ礁のなかを泳いでいたり、蛾が木の幹に止まっているときには、あの派手な配色とデザインのおかげで、体の輪郭がわからなくなる。輪郭が不明になることで、捕食から逃れられる。じゃ、そもそもこの派手なデザインは、しだいに進化したものか、いきなりの突然なのかを考え始めたら、やがて意識がうすれてきた。▼もう一つ。握り寿司はなぜ二個か。回転寿司でも二個一組で皿に盛られて回っている。これ、一カンって言いますね。靴下二枚で一足の要領です。現在は一つずつを一カンとしているようです。カンの字については、昔の貨幣単位の貫からとする説、巻き寿司が元になって巻と数える説とがある。さて、握り寿司はなぜ二カンずつなのか。これは江戸時代の握り寿司が、オニギリくらいの大きさで、そのままじゃ食べにくいというので二つにして出したことが始り。二カンはその名残りです。旧弊をあらためるわけではないが、
ノレンをくぐりオシボリで手を清めてから、畏れ多くも大将に「一カンずつ握って」と言ってみたい。こちらは、いろいろ味わいたいのだから。でも、握るリズムが狂うとかで、いい顔はしないだろうな。しかしこの不景気です。いよっお客さんいいこと言うねえ、こちとら少量多品種で商売繁盛につながるなら一カンずつでも、オニギリでも握りましょう。とかなるといいのですが。やってみる価値はあるだろうか。六月二日(月)
けんか
▼ケンカや格闘技の極意は、間合・殺気・残心にある。まず相手との間合のとり方で、一流か三流かがすぐわかる。スキのない構えでも、殺気がギラギラむき出しでは三流か五流だ。といって、殺気がなかったら、相手に気力を吸いとられて、間合を取ることができない。弱い犬ほど吠えるけれど、人間も自信のない奴ほど肩に力が入りすぎて、一見無造作な間合がとれない。ケンカだけでなく、何事も同じだ。勉強でもなんでも、挑戦するものとの静かでスキのない間合が、大切なんだ。と、『けんかの仕方教えます』((佐江衆一・岩波ジュニア新書)がジュニアに指南している。▼ケンカの話は、『バカの壁』(養老孟司・新潮新書)にも出てくる。武器の開発は、死体を見ずにすませる方向に進化している。面とむかって殺し合いをしている間は、抑止力が直接働いていた。しかし、見るがいい。今は武器による被害の規模は大きくなっていくばかり。それに世界の三分の二が一元論者だということを注意しなくてはいけない。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は結局、一元論の宗教である。さて江戸時代のシクミは、士農工商により支配階級を固定化して、武士だけに武器を持たせ有利にすることで、百姓との力のバランスを取り、社会的ケンカを避けてきた。裏返せば、そのくらい都会の人間というのは弱い存在である。百姓の強さは、人間にとって大事な食うことの前提を握っていることにある。基盤となるものを持たない人間がいかに弱いものか。その弱いところ入り込むのが宗教で、その典型が一元的な宗教といえる。イスラムとアメリカとのケンカは、多神教の日本からは、一神教同士の内輪もめにしか見えない。▼極東の我が列島も、他国とのケンカの仕方の有事三法を、立法府は議論もせず決める算段です。世にケンカの種は尽きまじ。まあまあとなだめる人もシクミも少なすぎて、一触触発の場面ばかり。五月十六日(金)
キャベツ畑
▼初夏のモンシロチョウ。この蝶は上昇したと思えば急降下の乱舞をする。これは捕食されないための目暗ましの動きなのだろうと思い込んでいたが、どうもそうではないらしい。『モンシロチョウ』(小原嘉明・中公新書)は解き明かす。▼モンシロチョウは卵から蛹まで一か月かかるが、蝶になってからは、わずか二週間の寿命。この間に結婚相手を見つけて交尾し、子供を遺す。この蝶は雄と雌が似ていて見分けがつかないが、雄は雌の翅の紫外線を感じて近づくことが解明された。雄は、雌たちがよく集まる花の咲いているところへ行くが、ここは交尾済みの雌が多い。だが、キャベツ畑は違う。ここはアオムシにとって格好の食卓なので、雌はそのキャベツにせっせと卵を産みつける。その結果たくさんの幼虫が発生し、蛹になる。やがてたくさんの雌が羽化する。この羽化したての雌こそ、雄が探し求めている未交尾の雌である。さて、この場面です。ここで雄のちょこまか飛びが始まる。雄はキャベツの葉裏や合間をせわしなく、ちょこまか飛んで雌を探す。上から見ただけでは、キャベツの葉裏に羽化したての雌を発見できない。もしかしたら葉の表でさえ、翅を閉じて垂直に止まっている雌を発見できないかもしれない。だから高度をぐっと下げて見て、雄だったらガッカリして、すぐ上昇し次を探す。これが雄のちょこまか飛びの理由だったのです。▼雌探しにも個性があるという。一日に三十分しか雌探しをしないチャランポランな雄がいる一方、その数倍も長い時間を費やす真面目な雄もいる。チャランポラン雄はなぜ淘汰されず生き残ってきたか。考えられることの一つは、一生懸命に探す雄は寿命が短くなり、生涯に雌を探す時間の合計が、チャランポラン雄と差がなくなることにある。それに雌を探す時間が長いほど、捕食の危険にさらされる。でも観察から、真面目な雄が早死にするという結果は得られていない。まだまだ不思議は山のよう。▼この動物行動学者の推理・実験・証明の手順や筋書きには、わくわくするものがある。推理がアタリなのか、ハズレなのか、こちらの気持ちも乱舞でした。夏になったら、キャベツ畑に行こう。四月二十五日(金)
お賽銭
▼人間、落ち着きが肝心。なのだが、それが続くと感覚もゆるみがち。時々足場をぐらつかせ、汚れを落とすというか覚醒することもしたい。でも足場が崩れてしまうと、感覚はむしろ鈍磨の方向にむかうようだ。今春で術後七年目を迎えた。思えばあの時は、鈍磨のなかで手を合わせた。いくばくかの時をと。その後は定期的に札幌の主治医を訪れている。かかりつけの病院は神社の一角にある。なんでも院長はその神社の娘婿らしい。神社に隣り合わせた病院なのだが違和感はなく、鎮守の杜にヒヨドリや四十雀が飛来して、気がまぎれる。さて当面の無事を診断されると、足は神社に向かう。「おさい銭、百円玉一ツぽんと投げて手を合わすお願いごとの多いこと」(相田みつを)をして、鈴をじゃらじゃら。それにしても、お賽銭の風俗は一体どこから来たのだろう。と道々思いながら、本屋に入ると出会うものです。▼『なぜ日本人は賽銭を投げるのか』(新谷尚紀・文春新書)。贈与が人間関係の基本であることは、M.モースのインデアン社会のポトラッチ研究から知られている。人々は贈与のくり返しで人間関係の絆を強める。ただ日本民族の贈与にはもう一つの意味がある。それは神社の賽銭や厄年の銭撒きの習俗にみられる厄払いである。人々が祓い清めたいと思っている、罪穢れ・災厄・疫病・犯罪・暴力・殺人など生活を脅かすものや、死に至らしめる危険なものをひとまとめにして、ケガレとしている。埼玉県の大野では、お金を供えた神輿を村境に捨て、村の災厄や疫病つまりケガレを祓え清める送神祭がある。神社でお賽銭を投げるのも、厄年の人がお金を撒くのも、ケガレを捨てて、祓い清めているのである。貨幣がケガレを吸引する。そもそも神社は祈願する場所なのだが、一方では賽銭箱にお金を投げ入れケガレを祓う場所でもあると言う。▼そうなると、ケガレの清めにポーンと一つ、お願いごとあるならチップをもう一つポーンということになる。四月十日(木)
本棚をのぞく(110)
▼ひとはどんな本を読んでいるのか。立花隆の『ぼくはこんな本を読んできた』(文春文庫)では、科学モノや社会モノが手広い。本読みをスタッフでやっているのだろうか。それとも氏オススメの拾い読みか。猫ビルでの知的生活もイラスト紹介されている。ある時期、私は立花基準で読んだけれど、いまは自由の身です。その鎖を最後に断ったのが、あのイジワル姉御、『趣味は読書。』(斉藤奈美子・平凡社)の著者です。今回はベストセラー本いじめをやってます。それに岩波新書な人々を「じっちゃん本」って言うんだから、まあ、口減らずの評論家だこと。たとえば『声に出して読みたい日本語』(齋藤孝・草思社)は、朗誦に適したテキストを選んで編んだだけの本である。でも売れた。これは「白波五人男」や「がまの油」も載ってるし、これを買うといえば、はっきりいってジジババでしょう(このわしも買ったが悪かったな)。大きな活字、総ルビ、現代かなづかいという一見子ども向きな編集も、見方を変えれば老眼のお年より向きだ。この本読んで、どうぞ長生きして下さい。とまあ、口悪い人だ。▼次はおもむきを変えて、『快楽の本棚』(津島佑子・中公新書)。二十ページあまりの序からすでに、静かな語りで、深い思索にさそわれる。この人は同世代だが、やっぱり姉御肌。さてそんなことより、中味を次に。一度、私がのぞきこんだ本は、その記憶をいつまでも失わずにいる。物語についての記憶と自分自身の記憶の境がはっきりしなくなってくる。言葉で語られることは、人の感受性に直接つながっており、言葉の経験が体験として記憶される。少なくとも、言葉から自由だった子ども時代が懐かしい。言葉から自由になりたい。言葉の牢獄から逃れたい。そうして一方では、本の中の、無数の言葉によって、生命の喜びを見つけ出そうとしている(あれ、二律背反させといて予定調和させるっていう弁証法を好むんだ)。▼でも、次がいい。論理的なキリスト教文化から生まれた文学から、目に見えるものだけがこの世界ではないという神話的想像力が多いアジア文学が、思いがけない生命力を示すのかもしれない。一八七二年に、イラクの砂漠から粘土板が発掘された。古代メソポタミアのシュメール人の神話が、楔文字で刻まれた、ギルガメッシュ叙事詩である。五千年以上前の物語として成熟し、旧約聖書に吸収されたり、ギリシャ時代にも知られたり、語り継がれ、その流れはやがてモンゴルに伝わり、アイヌに伝わり、日本にも伝わっていく。わくわくします。文学を通じて、時代も場所も違う、すばらしい人たちと「直接」出会うことができた(よくもまあ、この小さい本で世界を股にかけた文学史を講義するなんていい度胸してる)。でも、茶化さないで、このひとの小説を読もうという気になってきた。三月二十一日(金)
書抜きの愉しみ
▼本の抜粋を始めたのは一九九〇年。初めてのパソコン(東芝ダイナブック)の初仕事が書抜きだった。当時の文書作成ソフトの文字変換は、まだ滑らかとは言い難いものだった。それでもブラインド・タッチだけは、ものにしておきたかったので、入力練習にと始めた。自分好みのところを抜粋するのだけれど、年月を経ると、さほどでもないものもあり、骨折り損のことも多い。私の本棚は四・五百冊がやっと収まるくらいなので、書抜ぬかれた本は、どこかに引き取ってもらうことになる。図書館だって迷惑だろうから、今ではリサイクル本で出している。もう会うこともないので惜別の気持をこめて抜粋するのだが、多少自分好みに味付けし、手直しする。だから原文そのものではない。抜粋しようとするのは、これだけは忘れず保存しておこう、いつかはと期待する財形貯蓄のようなものか。こつこつ、ちびちびである。▼僧侶で、書抜きをすすめる人はいます。『心の眼を開く』(松原哲明・祥伝社)から。仕事を退いたら、私なりの設計で小さな書斎を作り、好きな音楽でも聴きながら、今まで読めなかった本を次から次へと読破して、それらの中から好きな言葉をワープロに組み入れて楽しむ。こんな愉快なことはないと今からワクワクしている。「井の中の蛙大海を知らず」、しかし「天の深さを知る」。という説法でした。▼ついでに仏教の無財七施も書き抜きました。眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施。こちらの方は、今ではなく仕事を退いてからの「行い」にしようと思う。それに「千軒あれば共過ぎ」ということもあり、隣人の話を聞き、隣の人にサービスするコトでもあれば、それはそれでいいなあ。無財七施にぴったり、と思い始めている。▼巷間、書抜き出版物はたくさんある。『世界名言集』(岩波書店)からの孫書抜きを。「いいえ昨日はありません 今日を打つのは今日の時計 昨日の時計はありません 今日を打つのは今日の時計」(三好達治詩集・「昨日はどこにもありません」)。三月十五(土)
まず現場
▼難民が増える。地域紛争(局地戦争)で彼らは逃げまどう。その第一次接触者である国連難民高等弁務官の仕事ぶりを、『私の仕事』(緒方貞子・草思社)で知った。緒方さんは、まず現場へ足を運び、話し合い、そこで考えを組み立てた。▼難民は、一九六〇年代の植民地解放、新興独立国における内乱や紛争、飢餓状態からの逃避、外国の軍事介入などにより大量流出した。とくにアジア・アフリカで頻発した。さらに一九八〇年代には、冷戦が第三世界に波及する中で、インドシナ、アフガニスタン、中央アメリカ諸国、さらにソマリア・エチオピア・スーダンなどの「アフリカの角」地域からも流出が続く。一九七〇年には二百五十万人と推定された難民が、一九八〇年代には千百万人となり、その後も増加し続けて、今日では千八百万人に到達している。▼最も犠牲が大きく痛ましかったのはルワンダ難民である。ルワンダは東アフリカの小国で遊牧民のツチ族と農耕土着民のフツ族の争いが歴代続いている。植民地時代はツチ族が登用されていたが、社会革命が起こってツチ族とフツ族が争い、六二年の独立後は多数派のフツ族主導の政権になる。この時はツチ族は同族が支配するブルンジやウガンダに難民として流出している。九四年大統領の飛行機撃墜死をきっかけにフツ族過激派によるツチ族虐殺が起こった。五十万人という大量殺戮である。今度は報復を恐れるフツ族が周辺諸国に逃れた。ザイールに百二十万人、タンザニアに五十八万人、ブルンジに二十七万人、ウガンダに一万人が流出した。コレラの流行がザイールに逃れた人々の命を奪った。ザイールの難民の中には軍人・民兵などの戦争犯罪人も含まれる。戦犯を含めた難民キャンプの経営には、避難轟々のこともあったが、「人の命を助ける」という緒方基準で、戦犯を牽制しながら経営にあたった。その後ルワンダには、避難先のウガンダから帰還した、かつての難民である新しいツチ族政権が誕生した。新政権はザールにいるフツ族の難民保護を避難し、ウガンダに残るツチ族難民に支援を望んだが、難民高等弁務官としては、両族には同じように復興援助した。彼らの家を直し、病院をつくり、学校を建てた。後年ルワンダを訪れたら、大統領が自分たちは若い国で経験が浅く、勲章をだすなどということはやったこともないからと、額をいただいた。「あなたはルワンダの友であることを布告する」と書かれていたそうだ。▼さらに緒方さんは続ける。人間は仕事を通して成長していかなければなりません。そのカギとなるのは好奇心です。それに心がけているのは、現場の裁量を増やすことです。任される裁量の大きさが仕事への動機づけになるからです。裁量が少ないということは、責任も少ないということで、そうすると職員は現場ではなく、本部とか偉い人を向いて仕事をするようになってしまいます。かつての日本の外交官は「スマイリング(薄笑い)、スリーピング(居眠り)、サイレント(だんまり)」の3Sといわれていました。スリーピングは世界共通としても、相変わらず決断が遅いことは、今の外交官にもいえて、国際会議などでは、日本の外交官は、他国がどうするかを調べるのが先、という訓練を受けているようです。こんな舞台ではなかなか主導権を握れず、モタモタした国だと見られるのは、この辺りに起因していると感じられます。と喝破している。▼難民を保護しながら、その主因となる地域紛争を後押ししている米国実情を『アホでマヌケなアメリカ白人』(マイケル・ムーア/柏書房)が告発している。粗野なコトバづかいが気になるが、「ブッシュ」なるものが暴かれている。三月六日(木)
屋根裏のムコウ
▼図書館は、使い方によっては共有だが街の書斎になる。『図書館へ行こう』(田中共子・岩波ジュニア新書)は、上手な利用をやさしく解きほぐしながら、何でも相談に乗ってくれるレファレンスをすすめる。ただし、人生相談・宿題・クイズの回答はダメで、医療や法律に関することも医師や弁護士などの専門家がいるものもダメ。もちろん図書館の本の探し方から司書の仕事ぶりまで丁寧に書かれている。それに、もし本好きで図書館に勤めたいと思っているなら、「人の話をよく聞けるか」どうかで決めたらと、若い人に手ほどきをしている。サービス業だから、お客の話が聞けないとコミュニケーションがとれないばかりか、仕事のことでもうまく教えてもらえないことになる。人の役に立つことが嬉しくないと勤まらない職場のようです。▼さて、個人的な書斎の方は、どう考えるといいのか。『書斎の造りかた』(林望・光文社)から。男たちは会社では会社の論理に押しひしがれ、家に帰れば妻の美学に服従するということになって、知的活動といえば、わずかに通勤電車のなかで本を読むだけという事態である。だから家庭内別居としての書斎をすすめる。まずテレビを捨てて、情報量が圧倒している新聞を選択すること。そしてまだ、取り返しのつく現役のうちになにか試行錯誤をして自己投資をしておく。いわゆるヒミツ練習をやってみて、継続して、ある程度目鼻をつけておく。ものになるには一万時間の投資が必要ともいわれるが、一日三時間程度だったら十年。昔から苦節十年です。十年続ければものになる。その場が書斎。自分時間が足りないからといって、一週間にドカンとやるより、毎日十五分でもやる方が、勘が戻りやすいし練習になる。車の暖気運転みたいなものだ。毎日のなかに虎の子としての自分の時間は必要である。イギリスの図書館には書見台があるが、あれは縦書きの文字を読むには、目の疲労がなくいいし、椅子は座りやすく疲れないOAチェアが一番。パソコンやピアノは両手をまんべんなく使うので脳が活性化される。左手は右脳を、右手は左脳を使う。自分を高めるような投資をしておかないと、その分人生の実りも少なく、人生のジリ貧となる。絵でも音楽でも一年前にやったものと比較すると、確かに上達している。上達は好循環し、下手は悪循環する。いずれの場合も、基礎というかメソッドの習得に起因するから注意のこと。音楽だったら一時間単位でまとめて練習しないと効果がないと思われる。文章の方は、事実の叙述は難しくないが、描写はボキャブラリーも要るから日頃の練習が欠かせない。▼ということで、私の場合は毎日のわずかな自由を、夜空だけみえる屋根裏で過ごしている。小さいパソコンと電気ピアノとオーデオと若干の本、それにラジオだけの根城だが、この分だと目鼻がつくのは、まだ先の話。二月二十六日(水)
ナノ?
▼生物のなぞが解かれつつある。『生き物をめぐる四つのなぜ』(長谷川眞理子・集英社新書)の雌雄の話から。哺乳類では、すべての固体はもともと雌になるように遺伝的にプログラムされているが、染色体がXYのときのみY染色体上にある遺伝子が、男性ホルモンのテストステロンを生産し、雄をつくり出すための遺伝子のスイッチを次々入れていく。それに比べて、女性ホルモンのエストロゲンの場合はごく自然に動きだす。ダーウィンの性淘汰の理論に「雌による雄の選り好み」があるが、これは200年間無視され続けた。しかし、雌は、雄の角・牙や大きな体を評価はするが、それにも増してインドクジャクにみるような装飾に惹かれて配偶者を選んでいることも解かってきた。では配偶者を獲得する競争が、なぜ雄間において激しいのか。雌の方が、卵という配偶子を育てるの時間と、子育てに要する時間が、雄より長くなることにより、雄余り状態が生じることから、雄間の争いが激しくなる。じゃ雌雄はなぜあるのか。親の遺伝子の組成を変えない無性生殖の方が、生きていく上で有利のようにみえる。そうみえるが、雄雌半分ずつ遺伝子を持ち寄る有性生殖の方が、親の世代に生じた遺伝子の傷を修復できるところに、有性の優位さがある。さて、今度は遺伝子の不思議である。ちなみに渡り鳥たちは、風の向きを考慮に入れて修正しながら、子午線に対して一定の方向をとる航法を身につけており、太陽の偏向面を利用した太陽コンパス、特定の星や星座の位置による星座コンパス、そして地磁気に頼りながら飛んでいることが解かってきた。プラネタリウムの中で実験したそうだ。話はそれるが、ヨーロッパからアフリカへ旅立つニワムシクイは、普段は16グラムしかないが、渡りの直前にはどんどん食べて30グラムまでになる。1グラムの脂肪でおよそ200キロメートルを飛ぶ。その飛行力やら確かな方向性には驚くほかない。もう一つ。富山名産でもあるホタルイカは何のために光るのか。海の上が明るいと体が黒い影になるので、ぼーっと幽かに発光しながら周りの明るさにあわせることによって自分の影を消し、捕食から逃れる。これをカウンター・シェイディングと呼ぶそうです。いずれも、生物の遺伝子のなせる技と学習・進化の賜物と理解できました。▼不思議ついでに『ナノテクノロジーの世紀』(餌取章男/菅沼定憲・ちくま新書)の超ミクロの世界から。1ナノメートルは1メートルの10億分の1。地球とピンポン玉くらいの比率を思えばいいそうで、ナノ以下の領域は100種類の原子があるだけの個性に乏しい世界である。ところがその原子を並べることで分子やDNAができる。サルモネラ菌の鞭毛は、ちいさな歯車が大きな歯車を動かす原理で動いており、この生物モーターの大きさは3ナノメートルで、一秒間に1700回も回転している。人間の五感や脳のメモリなどもナノの世界で、ただ今解明中ということも解かりました。生物学は面白いし、知りたい世界ナノです。二月十四日(金)
天皇と領土
たまには社会科の勉強もしなくては。『分割された領土』(進藤榮一・岩波現代文庫)から。日本の領土問題がアメリカ国務省で扱われたのは、真珠湾攻撃一年後の四二年に遡る。そこでは日本の降伏条件が検討され、終戦前夜の四五年ポツダム宣言に引き継がれる。基本的に「日本国の主権は、本州、北海道、九州及び四国並びに諸諸島に局限」の領土不拡大の原則が貫かれた。「諸諸島」とは南北二つの列島、琉球と千島である。当時は中国が琉球を、ソ連が千島の帰属を主張すると思われていたが、他方ではアメリカ軍部も琉球の直接統治を主張していた。四六年のヤルタ会談でルーズベルトは、千島を引き渡すことをスターリンに密約した。ただし、ソ連が南千島(色丹以南)を日本に返還することには反対しない立場をとった。さて、対日講和にあってソ連側が恐れたのは、日本軍国主義の復活ばかりでなく、領土処理によって南樺太と千島の領有権が否定され、南洋諸島と沖縄にアメリカの軍事基地がおかれ、日本が対ソ戦略の一環に組み込まれることであった。一方、四七年九月宮内庁御用掛の寺崎から天皇メッセージがアメリカ国務省に伝達された。「天皇はアメリカが沖縄を始め琉球の他の緒島を軍事占領し続けることを希望している。その占領はアメリカの利益になるし、日本を守ることにもなる」。ここに連合国の対日講和条約によらず、日米の二国間条約によって対ソ戦略を作りあげようとする日米安保体制の原像がある。提案は日本から、それも天皇側から発したものである。極東国際軍事裁判で天皇戦犯問題に決着がついていないのに、である。このメッセージは、沖縄を信託統治方式によらず、潜在主権を残しながら租借する方法であるが、当時沖縄統治の出費に悩む旧日本陸軍とアメリカ国務省の野合とも読める。もう一度整理すると、天皇メッセージはアメリカによる琉球の長期占領(租借)と、片面講和を薦めたものに他ならなかった。もう一つ、アメリカは原爆投下をどこに考えていたのか。すでに四四年段階でドイツではなく日本を選択していたらしい。その背景には、トルーマン語録からみても、ある種の人種差別意識があったのではないだろうか。しかも日本降伏にソ連参戦を求めず実行した。ソ連の南下を食い止めるために。という具合に、戦後処理の文献が公開され分析されるにつれて、日本社会の領土と主権の関わりへのアイマイさも際立つ。二月五日(水)
出遅れた出発
独りで始めて二年。先生はいない。入門用ビデオをみて初歩の初歩を、大人のための省略した楽譜でヨチヨチと、指の鍛錬は脳を刺激してボケないを信じて鍵盤をつついてきた。ついこの間までは両手をバラバラに動かすなんてムリだったのが、出来るようになった。無手勝流で十数曲をものにしたのだが、曲というには程遠く物足りない。毎日はグルダや内田光子を聴いているのになあ。もう少し何とか成らないものかと思案していたら、ありました。若い人に手による独学の本です。『おとなのピアノ独学のすすめ』(広瀬宣道・春秋社)からの書き抜きです。指の負担の少ない取り組みやすい曲は、バッハ「平均律クラヴィーア曲集」第一番、メンデルスゾーン「歌の翼にのせて」、ヘンデル「ラルゴ」、ベートーベン「月光の曲」。練習は、譜面だけ見て弾くブラインドタッチか、もしくは暗譜して曲を深める。二倍の速さでの練習も役に立つ。ペダル踏むなら、これだけは覚えておく。グランドピアノの場合は、左がシフティングペダル(ソフトペダル)で、このペダルを踏むと弦を叩くハンマーの位置がズレて、通常三本叩くところが二本しか当たらず、音が若干柔らかく細かい表現力がでる。ピアニシモの時にいい感じになる。真ん中のペダルはソステヌートペダルで、踏んだ瞬間に押さえていた鍵盤の音だけ持続できるが、これは初心者は使わない。右のペダルはダンパーペダルで、音を段々弱めるもので最も使用する。さて次は指の練習だが、バイエルなんて止めてハノンの曲を抜粋して強化するといい。薬指と小指は特に弱いので、トリルで机をたたき鍛える。オクターブはジャンケンのパーの形で、手首を内側に曲げた距離がちょうどいい。さて打鍵だが、これは手首の緊張をぬいた「マリつき」の要領で脱力すると、澄んだ、芯の透った音になる。フッと溜息をつきながら机の上に何気なく手をポンと置く感じで、弾く意識を捨てる。さて最後に、シャープやフラットの数によって黒鍵は決まっているから、規則性を覚えてしまい「フラットが三つだから、シ・ミ・ラが黒鍵だな」と解かれば、シャープやフラットがズラッと並んでいても、怖くなくなる、と言う。それにしてもいい加減な独学だけでは、音楽に大事な緊張と興奮が足らない。でも、まあこのまま続けよう。そう思いながらも独習仲間を作っている人たちのホームページを覗いては、思案投げ首。http://member.nifty.ne.jp/etude/ecudtop.html
一月二十日(月)
正月のグローバリゼーション (03年)
▼せっかくの正月だからと、餅腹で布団にくるまり天井をみつめていたんですが、何やらもやもやする。下界のことである。現世は米国が地軸となりぐるぐる自転しているよなあ、という思いが段々強くなる。世界の動きをブリ-フィグする『グローバリゼーション・トリック』(舟橋洋一・岩波書店)をめくった。中東やアジア事情に詳しい人である。ちなみに北朝鮮を米国が潰しにかかれば、中国が黙っていないし、北の脅威がなくなると韓国と日本の駐留米軍の意味づけが怪しくなってしまうから、なんじゃかんじゃと外交に持ち込みたいところに米国の立場があるそうだ。新聞をジッと見ていると解かることもある。ブッシュ戦略なのかうるさい国連を尻目に一国主義をみせつけると、EU諸国はあの手この手で抵抗するが、日本は「はいはい」と言うだけ。ドルと安全保障に支配され身動きできない。そうこうしているうちに、中国が世界第三位の経済大国として、公害や貧富の差を抱えてながらも台頭してきた。果たして十三億人が食いっぱぐれのない国づくりができるのだろうか。この地球にとっては未経験のスケールである。そこで私は中国や日本にも愛読者の多いという『水滸伝』(施耐庵・岩波少年文庫)を生まれて初めて読んでみた。幼少のころは本より魚釣りだったので、この年になって読書挽回である。これ、全編が争いの物語。仁義を重んじる儒教らしきものは感じたが、やはり覇道というか武断政治が中心の武闘の国である。中国人は容赦なく、しかも絶対に謝らない人たちとの確信を持った。これが朝鮮半島の人たちにも受け継がれているとしたら、周りのアジアの人たちとの付き合いはタフにならなくては、どうしようもない。ワールドカップがいい見本でした。トルシェ・ジャパンは隣の国々に比べて、ガッツが不足し守備が粘っこくなかった。こちらが百パーセント出力人間にならないと太刀打ちできない人たちだなあと思う。▼さて次は、食のグローバリゼーションですが、これはBSE(狂牛病)に極まります。『食の世界に何がおきているか』(中村靖彦・岩波新書)に詳しい。BSE発生の原因は、一九七三年の第四次中東戦争で油の値段が暴騰したことに始る。動物を再利用するレンダリング工場では、骨などを溶かすためのテトロクロエセリンという物質を入れていたが、これを入れると時間が余計にかかるので、燃料を節約するため止めた。さらに煮沸する時間を短くして温度も下げた結果が、病原体プリオンが活性化したまま肉骨粉に残ってしまい、それが牛の餌として与えられたと推測されている。あと気になるのは、巷にあふれている遺伝子組み換え食品だが、もっと追跡報告が欲しい。▼正月の最後の本は勧められるままに読んだ『不肖宮嶋・踊る大取材線』(宮嶋茂樹・新潮文庫)で、痛快体当たりのカメラ取材と前世紀末の報道写真を味わった。これは前二冊の文筆記者と違い、カメラを抱えて世界各地の現場に飛び込み、その瞬間を待つ。その瞬間というのは突然、なんの前触れもなくやってくるというものではないらしい。必ず何らかの前兆がある。ネコが走る。枯葉が落ちる。スズメが飛び去る。その瞬間の緊張が伝わってくる。江夏豊投手に会って怒られた話も印象に残る。バチバチ写真を撮り始めると「おもまえもプロやったら、一発で決めんかい」。一月八日(水)
2009年3月6日金曜日
cojiki-02
02年暮れる.. 2
同根... 2
室内の旅人(100). 3
ブック・カウンセリング... 3
秘伝公開... 4
女必殺剣「アイドル殺法」. 5
梟のメガネ... 6
低く暮らす... 7
時間銀行... 7
水しぶき.. 8
眉間... 8
悩ましきデジカメ.. 9
町で田舎暮らし (90) 9
遊びの地図... 10
団塊たちの法則... 11
庭二居マス... 11
沸く. 12
Show and tell 12
隣国の古層... 12
六十年後の陪審員... 13
冷えたティオ・ペペ... 14
きみには苦労かけるね... 14
誰でもいい絵は描けるんやで (80). 14
散蓮華... 15
おっとっと.. 15
取り違え... 15
週一冊の愉しみ... 16
日本語は畸形?... 16
おいらの由来がきえた... 17
モノクロ映画... 17
ふたりの博物誌... 18
小話に笑ふ... 18
内田光子の世界 (02年)(70). 18
02年暮れる
例年よりは揺れが大きく深い02年でした。多少の船酔いの心地を残しながらも、まずは生き延びて年を刻めそうです。周りの人たちも仕事と人間の関係に奮戦しています。つまり、少なくなる分け前をめぐっての争いと調整です。わざわざスローなライフにしなくとも、縮むデフレ経済のもとでは、残量メータをみながらトロトロ走るほかないのです。ゆっくりで貧しい生活といえば、半世紀前の私の生家は明治や江戸の暮らしぶりに近く、ランプと有畜農業の省エネ型だったなあ、と感慨深くして今年を閉じます。森まゆみ「谷根千の冒険」ちくま文庫。十二月二十八日(土)
同根
冬の夜長の抜書です。岩城宏之「オーケストラの職人たち」(文芸春秋)から。▼木の窪みに果実が落っこちる。果汁となって発酵する。猿だったころの人間の祖先が、手で掬って味を覚える。旨い。発酵しているから酔っぱらう。いい気持ちになって声を上げる。酒と歌の始まりである。嬉しくなって樹の幹をポカポカ叩く。打楽器の始まりである。自然に身体も揺れる。踊りの始まりだ。何千万年も前に、われわれ人間の音楽は、ウタとタイコとオドリを原点として出発した。人類の発祥地はアフリカ中部だと言われる。音楽は、楽器を増やしながら何百万年もかかって、インド大陸に伝わる。インドの音楽は東南アジアを経て、インドネシアでガムランとして発展した。さらにインド系の音楽は、ジプシーの移動とともに、中近東、ロシア、ヨーロッパ全土に広がった。ジプシー音楽は、イベリア半島で濃い溜まり方をし、スペインやポルトガルの音楽には強い影響を与えた。▼一方、インドネシアを通って中国大陸に伝わったインドの音楽は、雅楽の起源になり、朝鮮半島を経て、日本で雅楽として完成した。世界中のあらゆる楽器のオリジナルは、インド産である。糸をこすって音を出す楽器は、ヨーロッパに行ってバイオリン系の弦楽器になり、中国大陸に流れて胡弓になった。はじいて音を出すシタールはヨーロッパのギターやハープになり、日本の琴や三味線も中国大陸を経て来たものである。ラテンアメリカの音楽は、近世のスペインやポルトガルの侵略と征服の故であるが、北米のインディアンやペルーのインディオとか、南米の最南端の音楽にも、ユーラシア大陸の影響がある。アリューシャン列島を渡って、途方もない時間をかけて、南米最南端まで伝わったのだろう。人類の起源をアフリカだとすれば、地球を一周したのだ。アトランティス大陸の陥没で、ヨーロッパ・アフリカと南北アメリカ大陸が分断されたのが事実なら、アフリカと南米の南端はくっついていたわけだ。▼アフリカを源として、インドから世界中に伝播した音階の基本は、五音音階である。ド・レ・ミ・ソ・ラの五つの音だ。例えば、日本の伝統音楽、民謡、現代の演歌は、この典型だ。演歌の源流は朝鮮半島の歌だが、日本の文化はすべて朝鮮半島経由なのだ。五音音階は世界各地に広まって、それぞれの民族に合った音階に変化した。ヨーロッパでは中世の音階を経て、ファとシが加わり、ドレミファソラシドになった。不思議なのは沖縄の音階で、ド・ミ・ファ・ソ・シの五つだ。インドからマレー半島を通ってインドネシアで発達したガムラン音楽と同じなのだ。とにかくこの地球という星の人類がやっている音楽は、すべて親類同士なのである。クラシック音楽や、ロック、浪花節、教会のミサなどは、みんな同根なのだ。▼ついでに、渡邊健一「音楽の正体」(ヤマハミュージックメディア)から。寅さんのテーマ曲「男はつらいよ」を歌ってみるとファ・シが出てこない。日本的音楽の系譜や情緒についての説明がうなずける。もう一つ。ヨーロッパは三拍子のワルツに満ちていて、日本は二拍子。馬に乗ったら三拍子、稲を植えたら二拍子なのである。馬はパカパカ走っているだけのようだが、実はパカパ・パカパ・パカパと三拍子で走っており、田植えはヨイショ・ヨイショの農作業である。仕事と音楽のリズムは呼応していた。十二月十八日(水)
室内の旅人(100)
班で押したような毎日にも、小さな波乱はある。だが、もっと大きな振幅のある世界へ旅立とうと思い、少年向けの羅貫中「三国志」(岩波少年文庫)の三巻を読む。なんといっても名場面は後半の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」あたりの駆け引き。三国志の百年の年月には安寧はなく波乱万丈に果てる。漢の帝国が衰えて、魏・蜀・呉の三国に分かれ、その君主たちはみな自分こそ皇帝と称して対立抗争する。数十万人の軍勢の先頭は敵に圧倒されれば、早々に見限って相手に下り、後方は統制がとれず散り散り。人民は戦乱に巻きこまれ不運な時代だったが、戦いに秀でた人物にとっては乱世こそわが世と張り切る。平和な時代ならそれほど目立たず地味だろうなと思われる人たちも、チャンスに恵まれ燃焼し尽くす。むろん無駄死にも多い。本はテレビや映画に劣らないどころか、手軽に仮想世界を用意してくれる。本を読み始めれば、目的地はともかく、この地を後にして旅立てる。でもこれは外出の出かける旅ではなく、出かけない旅。本の中では別の人格になるが、ここでの経験だって、自分の経験の一部になり得る。そんな室内の旅人は、柴田敏隆「カラスの早起き、スズメの寝坊」新潮選書で、自然界をのぞいた。ヒトはむかし鳥だった。その名残か、この乱世を飛び交うアナーキーな鳥が目立つ。十一月二十六日(火)
ブック・カウンセリング
世界で六百万部を売った「話を聞かない男、地図が読めない女」(主婦の友社)はどんな本なのか。タイトルを超える面白みはないが、ケーススタディと所々のまとめがあり、アチラのレポートを思わせる。いくつかの命題が出される。男は狩の本能、女は巣作りの本能という自然の采配から自由ではなく、なぜ男と女が違うかの理由さえわかれば共存できる。男はモノ(仕事)が好きで、女はヒト(関係)が好きという、この事実をまず知ること。男は気持を隠し、女は感情を率直に表すように脳が配線されている。女はストレスでしゃべり、男はストレスで黙る。これらの配線の違いを延々と例証する。もう少し続けると、男は間違いなく北の方角がわかるが、一度に一つずつしかこなせない。女はお喋りでマルチチャネルの感覚でありながら、全体を読み取ってしまう。脳のパターンが、男っぽいか、女っぽいかは、受胎後六~八週間の間に、投薬などの影響で男性ホルモンと女性ホルモンのどちらを多く浴びていたかによって、脳がプログラミングされ、思考や行動を左右する。それを探るテストが付いていて、やってみると140点と普通でした。分析では、今の男は本来持っていないコミュニケーションが求められており、その能力を高めて、女っぽくもなく男っぽくもない融通の利くゾーンに近づけば、ずいぶんと問題解決になると結論している。だた、この得点が上がると「女脳」度も上がり、創造と芸術の分野に才能を発揮できるが、百八十点を超えるとゲイになる可能性が高いそうだ。日本人による類書では、人間行動学から見た岩月謙司「女は男のどこを見ているか」(ちくま新書)がある。若い女性の「幸せ恐怖症」には注目だが、赤ちゃんにベロベロバーをしてウケルほうがノーベル賞をとるより大事だとか、もっぱら男のコミュニケーション能力が問われている。この出版社から、小谷野敦「もてない男」(ちくま新書)、諸富祥彦「さみしい男」(ちくま新書)と、カウンセリング型の本が続々である。しかし自己診断にも限りがある。本の後は風呂かシネマでバランスを取りたい。少し古いがクロード・ルルシュー監督「男と女」は、あの麗しいフランシス・レイの音楽が付いて、カウンセリング時間は百四分です。十一月八日(金)
秘伝公開
あの切れ味のいい、斉藤美奈子「文章読本さん江」の必殺剣を受けて立とうというのか、林望は「文章術の千本ノック」(小学館)を出した。文筆家の出世の証しとして書いたとは思わないが、まずは、リンボウ先生の文章教室を覗いてみよう。▼人が見ないようなところまでよく観察し発見するという心がけがないと、人が読んでくれるような文書は書けない。着眼を鍛えることが文章の命。「です・ます調」の敬体は女性的文章で、男性はほとんど「だ・である調」の常体を使う。文章は常体が原則である。敬体の文章は形容詞がうまく扱えない。「美しかった」を「美しかったです」とか「美しいでした」では美しくない。敬体は、文章がもたもたして、すらりと書けない。▼読み物として成立する最低の文字数は、六百字だと言われている。山あり谷あり、起承転結宜しくあって、なおかつ余韻のようなものまで込めるとなると、それはもうプロの仕事だから、普通は八百字を目安に書くといい。書き出しで読者の心をとらえて、締めくくりで納得させる、この二つはどうしても最大の努力を払って、きちんと書かなければならない。文章には、三つのポイント(キーワード)をもって奥行を出して欲しい。注意すべきは、「かわいかった」などの概念を書かず、具体的な様子を綿密に写実的に描き出し、読者が自動的に「かわいいな」と思ってくれるように書くこと。▼尻切れトンボ文体「~楽しめる趣味のよう」「~してみては?」「~してみるのもいいかも」などの、叙述省略は、上品でもなく洒落てもいない。この中止法や体言止は、一つの短文に二つ以上使うのは禁じ手。それから、流行語とか紋切り型の言い方、いわゆる手垢のついた安易な表現は避ける。「なんともやりきれない」なんて、こんな思考停止のしめくくりの状態なら、文章なんか書かない方がいい。落語は、自分が楽しむのではなく、人を楽しませるためのユーモアの集大成である。自分はあくまで冷静でなくてはならない。もし何かをからかうのであれば、自分をからかって笑うべきであって、人をからかってはいけません。▼パソコンで文章を書く。第一次の草稿では所定の一・五倍くらいの長さをめどに書きたいように書いて、それを推敲し短縮して所定の枚数に仕上げる。緊密感のある文章を書くためには、望ましい道具です。最後に書式を設定して終えるのがいい。経験的には25字×32行で組むと、これが八百字に相当し、一番書きやすい。▼題名は、何か引きつける刺激が欲しい。手の内を明かしてしまうと、面白みに欠ける。しかも文章はアウトサイダーというか、どっか不良でなきゃだめです。次は、言葉をケチることです。無駄な言葉は一語もないように節約して書くのが文章を面白くするコツです。余計なことを書いていると、文章の流れが悪くなってスピードが落ちる。ちょっとフィクションを混ぜても、面白い方がいい。くれぐれも書くときは、具体的な描写、非常に具体的で目に見えるように書くことです。どう書くとリアルかをいつも考えること。文章を書いて、それで何かを人に伝えたいと思ったら、自分が感激していてはだめです。自分はあくまでも冷静でなければ。また、何か面白いことを買いて人に楽しんでもらおうと思ったら、自分は楽しまず、自分を戯画化して、読んだ人がゲラゲラ笑うような、そういう書き方をしなければいけません。▼自分の文章をもう一回、他人の目で眺める。自己批判できれば、削るという勇気が持てる。いかに自分の文章には冷酷になれるかがポイント。同じ言葉を近い所で繰り返えすと、下手くそな印象になる。何度も言うが、文章にはトピックやエピソードは三つぐらいあるといい。で、叙述は簡潔に、濃縮して書く。会話を「と言った」で受けると単調になるので、会話を三つくらい並べてしまうと、小説みたいな面白味が出る。全体が具体的な描写で成り立ち、概念的な文章がほとんどない、こういうのはとてもいい。書き慣れていない人の場合、男の文章は「説明」になりやすく、女の文章は「おしゃべり」に終始することが多い。書き出しと締めくくりが大切なのだが、その両方ともおざなりでは魅力がない。話題の自分をもっと戯画化して、いきいきと「話すように書く」と良い。▼長々と書き抜きました。斎藤美奈子は多分、新味もなく「今更」だよと言い切るだろうな。としても、私にはこの指南書はありがたい。リンボウ先生が、文章づくりの秘伝を一部公開したことで彼の叙述原則がわかったら。十月二十三日(水)
女必殺剣「アイドル殺法」
同時代の八人の物書きたちが、斎藤美奈子の「文壇アイドル論」(岩波書店)で、スパッと切られる。その太刀さばきは正統で、一刀両断の傷は深い。全編にわたって切り口は鮮やかで、わかりやすい。襲われた人たちは、どう読んだのだろう。愛読してきた人たちも、動揺させられる。加藤周一も、吉本ばななのお父さんも、これ程のことはない。私の住む北国は中心情報から遠い。世の兆しや世の動きが、遅れてでも届けばいいが、届かないこともある。立花隆は、その点で取材力があり、広範にして深く時代をつかんでいるようなその書きぶりに、時代の旗手というのは、さすがに先行しているものだと思わせていた。でも生命と科学だけでこの時代を割り切ろうとする、その考えの危うさは薄々感じられた。人間に引きつけた言い方が少なく、物足りなさがどこにあるのか解らないでいたので、彼女の切込みに同感すること頻りである。こんなことなら、ほかにも必殺剣を抜いているだろと、彼女の「文章読本さん江」(筑摩書房)にも手を出す。うんうんこれもいける。文章の目的は、情報伝達と自己表現があり、前者は的確さ、後者は面白さが求められる。で、伝達用の文章入門書はあまたの本があるので、いまさらこの手の読本など要ない。かたや表現のための文章修行は、自力で積み重ねるよりないという事情にある。のに、この斉藤美奈子の本が出て半年も経たない今月の新刊で、書きまくるリンボウ氏こと林望は文章の指南書を出した。どちらかと言うとエッセイ方面だが、添削の具体例もある。かくて文章読本はひきも切らず製造されるが、パロデイでもいいから、谷崎潤一郎や丸谷才一の「文章読本」を添削するくらいの気概ある人はいないのだろうか。ともかく文筆家にとって文章読本を書く行為は、人生の総仕上げ、出世の証し、双六の上がりにも似た名誉ある行為なのだという。彼女のこの二冊で切られた人たちの逆襲はないのか。傷口を手当てするだけでは済まないと思うのだが。蚊帳の外での楽しみが一つ増えた。十月二十二日(火)
梟のメガネ
梟(ふくろう)が夜に活動することから、ミネルバの梟は黄昏に飛ぶ、と哲学者ヘーゲルは申しているそうだ。知恵と哲学は夜に羽ばたくということか。文筆者・芸術家たちばかりでなく、誰にもじゃまされず創作できるのは夜の時間帯。それなら仕事帰りに縄のれんをくぐる人たちだって、タソガレ時の梟の仲間入りしてもいい。ただ、こちらは会社の話ばかりの、知恵を会社のためにだけ使う梟になっているような気はする。かたや夜ではなく昼に活動する梟もいることは居る。かの哲学者より緯度の高い地域にすむシロフクロウで、白夜のために環境適応したものだ。生き物は奥が深くさまざま。生き方がいろいろなのだ。さかのぼってギリシャ時代の梟はどんな風だったのだろうか。たぶんレバノン杉の森に生きていたと思われる。しかし都市文明は燃料と建築材で森林を食いつくし、やがて不毛の土地となる。そうなると梟はその地を捨てるほかなく、ギリシャ文明もしかる後にタソガレた。梟は不吉な鳥として見られていた時代もあったが、ギリシャ神話の女神アテナ(ローマ名はミネルバ)の聖鳥のおかげで知恵の象徴として、眼鏡をかけて本を読む姿を描かれるまでになった。私もあやかりたく、近視用のメガネ・フクロウを長年続けてきたのだが、つとに近くを見るのがつらい年頃となってしまった。このままでは幸せになれないと思い、ベッドにもぐり込んでの裸眼読書に切りかえた。牛がべろんと塩を舐めるくらいの距離に本がある。ややっ、活字の雰囲気は、こんなにも違いがあったのか。「岩波」より「みすず」や「筑摩」の方が、やわらかい字体で読みいい。メガネをはずして解ることもある。林望「恋の歌、恋の物語~日本の古典を読む楽しみ」岩波ジュニア新書。十月八日(火)
低く暮らす
イスの座面がもっと低くかったらなあ。座面が高いと踵が床につかず太ももあたりがうっ血しやすい。これは靴を履いたときの高さなのでは、と思いたくなる。テーブルも大抵が七十センチ。自宅なのに洋食屋の座りの緊張があると言ったら、おおげさか。だから食べ終わったら、ゆっくりできる畳かソファをつい探してしまう。勉強机も同じ高さで、うっぷして寝てしまうには、ちょうどよい高さ。そこでイスとテーブルの脚を五センチ、いやいっそ十センチくらい、切り落としたらさぞかしと思っていたので、ノコギリを握りしめてはみる。みるが、失敗したら元も子もない。失敗したときの接着剤だってまだまだ信用できない。こういう人達のためらいを見透かしてか、工業デザイナーの故秋岡芳夫さんが作りました。低いテーブルと胡坐できる低いイス。素材はナラ材。ゆったりしていて、踵が床について安定する。易しそうな工作だから自分でやってもいいのだが、脚四本が同じ高さにならないと、次々切りそろえるつもりで、その先が脚のない座椅子にでもなったらどうしよう。ここはひとつピタリと仕上げる家具職人に頼みたいところだが、来てもらうまでもないし。半人前くらいの腕でもいいのなら、自分の特技として脚きりを習得し、地域の人材銀行にでも載せてもらおうかなと、思ったりする。低く暮らすための、作ることのない壊しの職人として。身の丈に合わせた家具で暮らすことは、これからを考えても大事のひとつだと思えて仕方がない。秋岡さんは置戸町のオケクラフトに力を入れ、この十勝にもクラフトセンターをと語っていましたが、今は昔のこと。「古典落語志ん生」ちくま文庫。九月二十日(金)
時間銀行
新しいお金が流通している。生活通貨のことで、地域でモノやサービスが交換されている。エコマネーとも呼ばれるが、子ども銀行のようなものと揶揄する人もいる。元々はイタリアのパルマで始った。1991年に「時間銀行」が設立され、現在約300ヵ所1万人の参加者がいる。参加者は提供できるサービスの内容と提供できる時間と、受けたいサービスの内容を時間銀行に登録しておく。サービスを受けたいときは、事務局に電話をし、適当な人を探してもらう。交換が行われたら、小切手帳に時間数を記入し、サインをして時間銀行に持っていくと、各人の口座で時間を増減してくれる。ただ、稼いだ時間を自分や家族の将来のためには使えず、半年くらいで助け合う仕組みになっている。日本でも地域通貨の試験流通を始めたり、検討中のところが百を数える勢いにある。通貨単位も前橋市は「ありがとう」、伊那市は「「い~な」とか、わが北海道では栗山町の「クリン」、小樽市の「タル」など。この小さな、目に見えるサイズの経済循環は、単身世帯を含めて地域に受入れられ、広がっている。元祖イタリアは地域通貨ばかりでなく、昔も今も目に見える範囲の地域経済を大事にしてきた。とくに第1次産品は半径50kmの範囲で流通させるというから、旨いもの・安全なものを口にしようとする地域づくりの基本姿勢が感じられる。ところでこの地域通貨のやり方を、家庭のお金に換算されないシャドーワークに持ち込んでみたら新鮮ではないか。ご飯を用意したら1ポイント、草むしりを1時間したら1ポイントとして登録する。何かサービスを受けたいときはそのポイントを使う。通貨の単位はカインドとかボランテとか名づけておき、ワインのコルク栓でも代替コインしたらいい。核家族でメンバーが少なくて取引が偏ったら、月末に現金決済して清算。その時は交換レートで揉めるかもしれない。でも、ここまでやる人はいないだろうな。なだいなだ「人間、とりあえず主義」筑摩書房。九月六日(金)
水しぶき
餌台に訪れるスズメらの周りは、駅のプラットホームの賑わいがある。キオスクにちょいと寄っては、新聞や飲料ボトルを仕入れ、電車に飛び乗る、あの慌しげな様子。小鳥のプラットホームでは、チィチィと穀物をつまみ、水鉢の水を含んで、どこかへ出かける。時間をおいて、またやってくる。これを繰り返す鳥たちは時々、常備してある水鉢で水しぶきをあげる。見ているこちらが、ホーッと声が洩れるほど生き生きしていて、見応えがある。鳥たちは自分の体を清潔に保ち、病気にならないように水浴びをする。とくに羽毛は体温を保ち、雨を弾きとばす役目を持ち、軽く丈夫にできているが、その構造は微細なため汚れやすい。それを水浴びできれいにし、ついでにダニ、ノミも振るい落とす。さらに翼の部分の風切り羽は、より大切。飛ぶことによって身を守り、食物を得ているので、手入れは入念である。鳥の水浴びは、浅いところに立ち、両翼を水にたたきつけ、水をはねあげて行う。水浴びの後は羽づくろいの整羽行動をし、細かい羽糸の乱れを嘴で一枚いちまいしごいて直していく。スズメはこの後、砂浴びもするが、仕草がおどけていて、こちらは声を立てずに笑うことになる。鳥たちの水浴びは一年中のことなので、バードバスを設けている人は、冬になると氷を割ってやるのだが、この土地の場合は手の施しようがない。てんぷら油を固めたように一枚に凍ってしまう。中野雄「丸山真男・音楽の対話」文春新書。八月二十三日(金)
眉間
二千五百年前のお釈迦さんは悟りをひらき、説いた。観音さまの名前を唱えるだけでも苦しみから救われる。衆生のために観音さまは、いろいろな姿で私たちの身辺におられる。時には仏であったり、長者とか僧、女や子供、さらには夜叉・天竜・阿修羅などの八部衆のような姿で衆生を救っておられる。ということなんですが、その八部衆が実は極めつけのワルで、お釈迦さんの説法で平和な社会が作られては困る悪神たちであった。なかでも阿修羅は乱暴者でお釈迦さんの話の邪魔ばかりしていたのですが、いつの間にか聞き入ってしまう。ついには他の悪神たちが騒ぎ出すと「だまれ」と追い払い、進んで心静かに説法を聞くようになった。まさにその時の顔があの奈良の都にある。興福寺の国宝館にある阿修羅は、天平彫刻の名作として教科書にも載せられている。人々の悩みを一身に背負い、その苦しみに耐えて、静かに語りかけている。眉を寄せて、きびしい表情ではあるが清々しさを秘めている。正面の顔のほかに二面、腕は六本の三面六臂の乾漆の像である。漆に木屑をまぜたペイストで像の肉づけをするこの乾漆の技法が、あの眉間のきびしくも、やわらかな表現を可能にしている。この阿修羅に限っては、宗教の文脈で見なくとも鑑賞できる彫刻と言えないか。「梅原猛の授業・仏教」朝日新聞社。八月十四日(水)
悩ましきデジカメ
デジカメはカメラにあらず。あの銀塩のフィルム・カメラと違い、デジカメは出来事を説明するメモ帳に向いているという。文房具感覚なのだろうか。しかも電子処理だからお金がかからない。今までのように写真屋に出してプリントしなくていい。バシバシ写していいのですぞ。どんどんメモして下さい。そう言われても、ついケチ心が出て、必殺一枚で済ましてしまう。でも惜しみなく写しておいて、後から画像を見ながらレポート作ることも出来るのなら、そんな使い方もあるのかなとは思う。入門書によると、デジカメの五徳は、プロ並みのピント、その場での画像確認、インターネットで送信、画像かさばらず、カメラ扱いが簡単、とある。ただ悩まされるのが、買う時である。この手のカメラは高くても安くてもすぐに性能が古くなり、短命。三ヵ月で値引き競争。だから三ヵ月我慢して、初期不良が改良されたものを買うのが良いらしい。私は二度もしくじった。今は五パーセント失業の渋いご時世だから広告費は細り、写真は自ら撮りパソコン編集し、プリントするなりメールするのが主流。デジカメで写すコツでは、スナップならファインダーで素早く、複写や花などのクローズアップならモニターで構図を決める。人物撮影は銀塩と同じ。人物の目の高さ、少し斜めから、望遠系のフォーカスで、最低七枚、話しかけ反応が出たところで撮る、ことだそうです。それにしても、まだデジカメは操作ボタンが多すぎる。電源スイッチとシャッターボタンだけなら、瞬きだけで書けるメモ帳として認めてもいいのだが。赤瀬川源平「悩ましき買物」光文社文庫。八月一日(木)
町で田舎暮らし (90)
小川のそばに山小屋をつくって「北の国から」のように住む。この望みはずっと持ち続けたが、町でも田舎暮らしが出来るのではないか、と自ら実践する都市計画家に出会ってからは、その暮らし方に傾いた。どんな、と言われても庭仕事をしているに過ぎないのですが。でも一旦、扉を押して庭に入れば、そこには田舎の時間が流れ始める。動機は、小鳥が飛来する雑木林のような環境の庭づくり。餌台の周りに低木、すこし離れて中木を植え、少量の餌をおき水浴び用の鉢も備えた。それに近所には有難くもニセアカシアの高木が一本あり、この庭へのガイド役を果たしてくれている。さて庭仕事のために納屋も建てた。七つ道具やら、除草機、小枝の粉砕機、枯れ枝集塵機などを収納した。段取り八分です。庭木も十年経てばズンと大きくなる。ホプシー、ギンカエデ、ゴールデンニセアカシヤ、コブシ、カエデなどが育つ。離して植えなさいとの忠告もあったが、どうも初心者は密植になる。人も鳥も食べるベリー類などの果樹を植える隙間が不足してきた。小さな野菜畑も一カ所を休耕にして三カ所を輪作とした。小さな庭でも循環をと思い、家庭の生ごみは堆肥にし、切り枝は粉砕機でチップにしてマルチングか、堆肥と混ぜて土壌改良に使っている。庭仕事によって体の機嫌がよくなり、気分も同様に。一仕事に一缶のビールは約束されており、庭に飛来する小鳥たちの水浴びを眺めながらいただく。ドイツの小さな庭《クラインガルテン》の話を聞いたり見てなかったら、町での田園生活には踏み出さなかったかもしれない。ヘルマン・ヘッセ「庭仕事の愉しみ」草思社。七月十二日(金)
遊びの地図
小さい頃に遊んだ地図を作る。言うところのメンタルマップづくりで温故知新です。少年時代に遊んだことしか、大人になっても遊べない法則があるかもしれないと、うすうす感じていたので、まずは記憶を遡ることにした。犯罪捜査でも現場はもちろんだが出身地を洗えというではないか。さて、十勝平野東部に流れる忠類川の源流近くで私は育った。川は小さかったが水量もたっぷりあり、夏は冷たく、スイカがよく冷えた。小学生の頃は、下校するや馬糞の堆肥からミミズをほじくり、竹の一本竿を担いで毎日のように家の前の川で過ごした。釣果のヤマメ・イワナは笹や柳の枝に通してぶら下げて帰り、薪ストーブの上で焼いて食べた。カラス貝だって口の中にヨモギの茎を差し込めば釣れた。身は硬いので食べなかったが、内側は硬質な真珠の光が満ちていた。木洩れ日のなかの川はガラスの破片を水面につけると、水底まで見渡せるほどで、魚の動きに合わせヤスで突いた。顔を上げて流れを見つめていると、相対原理で岸のほうが動き出し、目まいでふらふらになるのを楽しんだ。夏休みは蝉時雨を浴びながら、長い畝の数条の草取りノルマもそこそこに、日暮し釣り糸をたれていた。近くの森の樹上につくった隠れ小屋で、お握りを食べた後はよく絵を描いた。遠出もした。一里先の裏山に松前藩が埋めたという金塊の伝説を信じて、友だちとその洞穴探検に夏休みの多くを費やし、いつもとっぷり暮れてから家路に向かった。少年は川と森と山で過ごした。それに、腹をすかした少年でもあった。食い物のことは深く心の地図に焼き付いている。あの頃の年の瀬には心踊るものがあった。豚一頭を出刃で殺し正月の食材とした。鶏も首を斧で落としたあとは、五右衛門風呂の煮えたぎった湯にいれ、毛をむしるが、これは子どもの仕事。母屋の隣に畜舎があり、馬、牛、豚、鶏、羊、山羊たちと共に暮らしていた。馬は畑起こしばかりでなく、荷馬車(ホドウ車)を牽いて町にも向かった。羊の毛は紡いで靴下やセーターになり、肉はジンギスカンとして食した。鶏の世話と卵の係りは子どもの役割。米は内地米でも、麦やキビ、野菜は自給できた。豚と鶏の餌は野菜くずや残飯で間に合ったし、彼らの糞は寝藁と混ぜ合わせ堆肥にして野菜畑に還元した。農作業はきつく、食べものは粗末であったが、ストーブを囲んでの日々の団欒が一日の区切りだった。幸いに水力の自家発電があったので、電灯が灯り、ラジオが聞けた。家の周りは雑木林で、近くにも手つかずの森や原野が大小いくつもあり、そこから届くフクロウの鳴声で、眠りに就いた。時田則夫「北の家族」(家の光協会)。七月五日(金)
団塊たちの法則
会社で一番やめて欲しいのは団塊の世代といわれ、ここにきて一気に邪魔者扱いされはじめた。経済記事も経営者は六十代から四十代にと囃したて、五十代の団塊世代ハズシが始まったかのよう。1947年から49年までに生まれた戦後世代は前後する世代より四割も多い。ヘビが飲み込んだタマゴで、いつも突出していた。大量消費の世代とか時代の先駆と持ち上げられてきた。この世代は舞台の左手より登場したが、いまは右袖にいる。学園紛争の現場で石を投げ、社会に出てからも時代を変えようと意気込んではいたが、七十年代は経済成長のただ中で、さほどの苦労もなく横並びでやっているうち、気がついたら豊かな社会になっていた。改革の旗手ではなく、日常の勤勉さが、意外にもふさわしい世代となってしまい、日和った日々を振りかえる人は、もう居ないかもしれない。時代も横並びの一律さではなく多様な世界へと移行して、団塊たちが三十年積み重ねてきた組織での経験と価値は、色褪せてきた。しかもこの黄昏に向かう世代の多さが、年金など生涯厚生のシクミを崩壊させるとして警戒されている。ともかく、団塊世代は厄介だ。どこになだれてゆくのか。この世代の多くは都市生活者であることから、もう一つの生活の質を求めて田園生活に向かうのか、それとも「これまで」に費やした事にしか「これから」も費やせない人生法則に従うことになるのか。もがく世代は定まらない。香山リカ「若者の法則」岩波新書。六月二十七日(木)
庭二居マス
一度袖を通したら着尽くすのがパジャマと野良着。いずれもコナレ捨てる間際のものが極上じゃないかと思う。土いじりや庭仕事に向いている着衣は、湿潤な気候帯では古くからの、あの田吾作どんの野良着を伝統とするが、冷涼な土地には学校着でお馴染みのジャージーの方が、保温と通気がほどよい。それに汚れたり引っ掻いたりしても、惜しげもなく着用でき、泥だらけの腕白になれる。だが、どんな体型になってもなじむ、その伸び縮みが仇になり、ルーズな人柄と思われるところが、その地位を低くしている。野良着ではないがデスクワークもできる作業服の場合は、もっと上位ある。ブルーあるいはラクダ色の、ヘルメットが似合うあの作業服である。焼鳥屋でも遠慮なく出入りできるので愛用者は多い。さて、たけしとさんまのトーク番組を覚えていますか。さんまがスナックの長い髪のママで、たけしが作業服の客になり、世間をからかう番組である。胸には確かアルプス工業とかいうネーム刺繍があり、居合わせたお客とごちゃごちゃ言い合いながら、本音をすっすっと織り交ぜ、いい味が出ていた。ブルーカラーの世界では気取るほど足元をすくわれるので、本音を原動力としてぶつかりあう。それにしても、六月はいい風が吹くのだが、指は酷使する。狭い庭ほど雑草が繁茂するのだろうか。いつものジャージー野良着をきて、ひざパッドをつけ、草をむしりながら、週末は「庭二居マス」。阿刀田高「ギリシャ神話を知っていますか」新潮文庫。六月十八日(火)
沸く
韓国がサッカーW杯に沸いている。日本はあれほどに沸騰していないが、でも中国も含めてアジア・サッカーが世界のどの位置にいるのかを今回確かめることができる。組織力や個人プレー、攻守の巧拙、体力差などが相対化していくのを目の当たりにできる。動きのいいアフリカ勢と伝統ある欧州勢との戦いぶりが見もので、にわかファンでも楽しめる。話は変わるが、戦後中国は毛沢東が牛耳り、蒋介石が台湾に逃れる。もともと太平洋戦争で中国に加担していた米国は、びっくりし反共の砦として日本の復興を強く望んだ。これが戦後日本の繁栄のシナリオだったのである。だからもともと中国・米国は反目しているように見えるが、その実は好意的なのである。大国に挟まれ、動かされてきた戦後日本の歴史ではあるが、これとは違う次元でサッカーを楽しみたいが、どうしても国民性が滲むのは致し方ない。先取先行して堅守だが、相手も同じ考えで戦うことは間違いない。緑ゆうこ「イギリスは理想がお好き」紀伊国屋書店。六月一日(土)
Show and tell
職に就いてから英会話教室に一度だけ通うことになるが、英語よりも会話の仕方に引かれた。先生は妙齢のイタリア系米国人で、教え方が新鮮なうえ、なにやらアチラの幼稚園の雰囲気を思わせた。なかでも「ショー・アンド・テル」。皆の前での口頭発表、言うところのプレゼンテーションです。自分の言いたいものを持ってきて、見せて(ショー)、その背景を話す(テル)します。それにクラスメイトが質問し、答える。私は何を見せたのかを思い出せないのは、いい加減なものを持っていったからでしょう。宿題もほとんどが、好きなもの、好きな本、好きな人などを述べなさいというものでした。いまこれを周りの人たちでやると愉しいだろうな、と思う。自分の言葉で語るプレゼンテーション文化はビジネスの世界だけではないのだが。かくて、かの地では幼稚園の「ショー・アンド・テル」を終えると、つぎは小学校で「プロジェクト」というのがあり、課題に合う本を読んで、その内容を紙芝居や模型で表現する。高校生になると「グループ・スタディ」があり、テーマと仮説をもち実際のデータを集めて検証する調査を5人ぐらいのチームで取り組む。幼稚園から社会人までプレゼンテーション能力を磨いている国があるのだから、敵いません。以心伝心の国はここでも分が悪い。五月十六日(木)
隣国の古層
韓国は、巨大な中国と激烈な日本に挟まって苦労してきたことは地政学的にわかるが、その心性はわかりにくい。古代韓国の穏やかな弥勒仏像をつくる文化をもつ民族だから気持は通じるだろうと思う一方で、最近の韓国人はつきあい難いとも感じている。その歴史のずれを深層から探ったものがありました。それは十六世紀の李朝中期にポイントがありそうです。この時代から繰り広げられた権力闘争である党争は、全国規模で世代を超えて繰り広げられた。それは儒教的であり自己を相対化せず、名分論をかざして白か黒かを迫り他者を斬る思考に特徴がある。一般の政争は一時期のものだが、李朝の党争の当事者たちは、子の代、孫の代になっても対立を続けているのは、朱子学のイデオロギーで武装した儒教的文化人だったことが大きい。朱子学で武装し、大義名分を論ずることを業とする人々には妥協が難しいという。「耽羅紀行」で司馬遼太郎はそのあたりのことを解く。朱子学は宋以前の儒学とはちがい、極端にイデオロギー学だった。正義体系であり、別の言葉でいえば正邪分別論の体系でもあった。朱子学がお得意とする大義名分論というのは、何が正で何が邪かということを論議することだが、こういう神学論は年代を経てゆくと、正の幅がせまく鋭くなり、ついには針の先端の面積ほどもなくなってしまう。その面積以外は、邪なのである。このように朱子学というのは大義名分を論じはじめると、カミソリのような薄刃を研ぎにといで、自傷症のようにみずからを傷つけ、他を傷つけたりもするイデオロギーの学といえる。とこれは抜書きの一部ですが、日本でもその朱子学が幕末の志士たちに水戸学として影響を与えたものの、内部抗争が激しく自滅した史実があります。朱子学を引きずっているのは韓国だけでもなさそうです。田中明「物語韓国人」文春新書。五月五日日(日)
六十年後の陪審員
確か一九七十年代に本多勝一氏が南京事件を掘り起こしていたのを覚えてますか。しかしその姿は今でも定まっていません。証言や史料はもちろん、戦後の東京裁判や南京裁判でも虚実相半ばです。一九三七年(昭和十二年)十二月に中国の南京に入城した日本軍は三十万人に及ぶ虐殺で裁かれた。東京裁判では十万人。これを今日、史料で吟味したらどうなのか、北村稔「南京事件の探求」(文春新書)をめくりつつ、およそ次のことが解った。中国側の大虐殺デッチあげという側面もぬぐいきれない。ハーグ条約を逸脱する捕虜二万人処刑は断罪の余地もないが、当時の安全区外の南京市内の記録からみても六週間も民間人の虐殺が続いたことへの疑問、当時の機械力や作業力から短期間に三十万体の死体処理はできたのか、当時の南京市の人口は二十五万人前後と史料から読めるがそれでも三十万人の虐殺の数字が使えるのか、などおよそ不自然なこともある。たぶん、南京陥落後の一九三七年十二月十七日に蒋介石が抗日戦争開始以来の全軍の死傷者三十万人と述べ自国民に奮起を促したことに由来しそうだという。中国人の愛国ゆえの誇張表現という向きもある。実事求是。日本軍は兵站補給をせず前進するのみで、捕虜の収容もできずせっぱ詰まって皆殺しせざるを得なかった。とどのつまりは、南方戦線での戦闘部隊の自滅・餓死の悲劇と重なる。日本軍国主義は残忍というよりも、無計画と場当たりな成り行きが支配していた面が強かったのか。その歴史経験がさらに矮小されて、例の有事関連法案が時代とのずれを生みながらも法制化の動きにある。成り行く民、内向きの民を今世紀も繰り返すとしたらおぞましい、というと論理飛躍ですか。四月二十日(土)
冷えたティオ・ペペ
自分を変えることはとても難しい。だがやり方次第ということもある。自分の好きなことをやれば、およそ心を解放できることをやれば、それをバネにして機嫌がよくなる。上機嫌な女は男の宝物だとしたら、男もある程度は機嫌をよくしておきたい。人間の上機嫌ほど、この世でめでたいことがあろか。ひとはみな寂し過ぎます。機嫌の風向きを変えウキウキ・ワクワクできる生き物なのに残念です。その辺のことを解って日々暮らしたら、と神様は微笑んでおられるような気がします。でもこの場合の神は上の方の誰かと言う意味であって、信じている訳ではありません。春の宵に、この先のあらまほしきことに思いを巡らす。それには冷えたティオ・ペペと生ハムも要りますねんけど。田辺聖子「かるく一杯」(ちくま文庫)。四月十二日(金)
きみには苦労かけるね
イタリア人は両手を縛られるとしゃべれなくなる。日本人はハッキリしろと言われたら黙り込む。この日本列島民族は成すことより成り行くままに国をつくってきたかもしれない。この心性は議員も役人も政府も同じであり、法人も同様です。さぁて今世紀のこの国の指導者はどうしたものか。国民に呼びかける時の直裁で味のない言いぐさ。言うところの構造改革には国民の痛みが伴うと。塩野七生「再び男たちへ」(文春文庫)は言っておる。国の指導者たる者は、国民を女と考えるべきなのだ。女は苦労がいやなのではない。きみには苦労かけるね、の一言だけでふるい立つのが、女というものである。女にかぎらず、苦労とは、「わかってはいるけれど」という想いだけでやるならばただの苦でしかないが、こちらがやる気になってする苦労は、苦ではなくなるのである。この辺の心理に通じている者だと、家庭なら良き亭主になり、国ならば良き指導者になるのだと思う。日本の進路は知識人タイプよりも、女の心理に通じている粋な男にまかせてはどうか、と。なるほど。マフィアと関わっていそうな指導者をもつイタリアでも、実はマンマ(おかあさんの意)が幅をきかせるお国柄ゆえか、EUの斜陽国と言われても中小企業は元気がよく、人々は陽気なのです。四月六日(土)
誰でもいい絵は描けるんやで (80)
北方の辺境に暮らしていても、近くの山や川や海は眼精疲労をいやす遠い景色です。毎日の中に生きものを育てたり飼ったりを取り込めずにいることが惜しい。若い世代も同じように自然や生産から遠ざかり、食べ物や生きものの現場を知らずにいる。こんなことではいけないとドイツのシュタイナー博士は生きるためのテーマ別エポック授業を考えた。確か小農園をやろうというのもあった。芋や野菜を育て、卵かけご飯のために鶏も飼うのもいい。未明のコケーコッコは近所迷惑としても、地方都市なら許される。さらに農園の出来事を写したり描いたりして、その相乗を楽しめるとなおいい。「兎の眼」(灰谷健次郎)の足立先生は、真似さえせーへんかったら、誰でもいい絵が描けるんやで、とエポック授業のようなことをやりながら生徒を納得させていた。今となっては頷けるが、幼い頃にそんな言葉はなかったように思う。さて森羅万象に感応しながら、ひとつひとつ描いていったら、まんだら絵のようなものに行き着くのだろうか。四月二日(火)
散蓮華
食堂で友人「汁すするさじ何だっけ」私からかい気味に「すみれと違ゃう?」友人「おばさん、すみれ」おばさん「すっ、すみれって」友人当然ふてました。汁をすする陶製のさじをレンゲ、散った蓮の花に似ているところから本当は散蓮華(ちりれんげ)というそうだ。食べ物で身近なものは何と言っても、おでん、きつねうどん、すきやき、お好み焼き、たこやきでしょう。ちょっと値は張るが、てっちり鍋も気にしたい。大阪心斎橋のてっちり屋で旧友が気ィつこうてくれた。河豚刺のてっさ、ちり鍋、白子焼き。でも最後に味がしみ出した汁にご飯をいれ卵をとじた雑炊を、散蓮華でいただいたのが一等うまかった。これも大阪の食いもんでしょう。思ったより安いし。田辺聖子「春情蛸の足」ちくま文庫。三月二十五日(月)
おっとっと
二度目のおっとっと。今度も際どかった。先週の夜にのどがつかえ救急医療に助けを求めた。でも直ぐにとはいかず翌一日準備にかかり、のどに管を通し広げて無事をえた。同音異義語のブジーというその措置は辛いものでしたが、開通したその時は蘇生できたことに目が潤んだ。最後にのどの流動をみるため造影剤を飲みながらレントゲン照射をする。医師「つぎは造影剤を飲みます」わたし「はい」、レントゲン技師「それでは飲んでください」わたし「えっ空っぽですが」、飲み下せる境遇に浮き足だちゴックンとやってしまった。医師「そうですか、ではもう一杯」わたし「はい何杯でもいただきます」という具合でした。こんなことも、どんなことも、出来事を丸呑みしようと思うようになってから気持が座りました。じたばたしても仕方がない。だから早々ではありますが、こっそり缶ビールをいただくことにしました。三月十七日(日)
取り違え
故人の池田弥三郎氏が福島県の山奥の温泉に泊まった時の話だそうです。下駄をつっかけ外へ散歩に出かけるたびに番頭さんが「じいさん、ばあさん、お出かけ」と大声で言う。自分は確かに若くはないがそんな風に言わなくてもと思ったので、糾してみた。実は部屋の番号が十三番で「ずうさんばんさんお出かけ」とのことでした。私もありました。東急ハンズの走りのころ、渋谷の交番で「東急ハンズは?」と道を尋ねたところ、オマワリさん「東急ハンドですか」。小声で「このひとなまってるね」と言われてしまった。金田一春彦「日本語を反省してみませんか」角川新書。三月十一日(月)
週一冊の愉しみ
本は寝床でしか読まないので文庫本か新書でないと具合が悪い。毎日のルーティンのなぐさみに三十ペイジほど読むが、本屋で週一冊の本を選ぶ愉しみもある。この春は藤本儀一、田辺聖子、灰谷健次郎といった関西三人衆からの選書です。ついでにお気に入りの書き抜きもしている。ではお披露目です。11PMでおなじみだった藤本氏からの書き抜き帖ですが、都合よく載せていますので怪しいところもあります。多くの人たち会った氏は人の顔に法則を見つけました。本当の笑いや人に何かを感じさせる表情の持ち主は例外なく謙虚であること。古本屋の親父さんしかり、苦労して会社を築いた創業者もそうです。数多くの顔を見てくると、心豊かな人は魅力に富んだ顔をしている。面白いのは人気のない人に限って表情が乏しい。いい表情の人に共通しているのは、自分はどうありたいのか、そのために何をすべきなのか、という自分を持っていることでしょう。将棋の大山さんに聞いた話だそうですが、勝負での自分の能力は八十五パーセントしか出せない。後の十五パーセントは体調だとか運やその他の要素なんだと。そう思って対戦すれば勝負に勝てるし、もし負けても納得できる。次もいい。文章でプロとアマの違いは省略の技法にある。いかに贅肉を落とし無駄を切り捨てるかである。説明文、論文、日記以外の文章を書くなら、激しいか毒を持っていないとまずい。商いと文章はカッとなったり悲しんだ時には決してやるな。藤本義一「モノの値打ち男の値打ち」ちくま文庫。三月一日(金)
日本語は畸形?
わが町の本屋に平積みされていた新書の一冊ですが、八重洲ブックセンターでも「はやり本」らしいですね。高島俊男「漢字と日本人」文春新書。日本語を漢字で書く困難と混乱は千数百年後のこんにちもまだつづいているという。漢字をその意味によって直接日本語でよむ乱暴な所業をなしてきた。たとえば「山」という字、これは音でサンとよんでいたが、日本語の「やま」に相当することがあきらかであるから、この「山」という漢字を直接「やま」とよむことにした。これをアタリマエと思うだろうけど、 mountain という英語を直接「やま」とよみ、dog を「いぬ」、cat を「ねこ」とよむ荒業である。しかも犬はケン、猫はビョーという本来のよみも保存した。これが日本人の漢字の音と訓の加工です。つぎは和語に漢字をあてるおろかさ。「はかる」には「計る」「図る」「量る」「測る」などあるが、これを使い分けるのはおろか。「はかる」でよい。和語に漢字をもちいる必要はない。形をかえた西洋語では、「権利」「義務」と言ったり書いたりするが、これは確かに日本語だが、その内容は西洋語である。形をかえた英語であり、漢籍におけるその語の意義を知らねばならぬという人があるとすれば、それは間違い。もともと日本人にとって漢字は借りものであり、日本語とあわなくて苦労しているのである。結論としては、音声が無力であるためにことばが文字のうらづけをまたなければ意味を持ち得ない、とうい点に着目すれば、日本語は、世界でおそらくただ一つの、きわめて特殊で、畸形な言語である。漢字は日本語にとってやっかいな重荷であるが、このまま生きてゆくより生存の方法はない。という。読んでいて気づいたのですが、である調とですます調の文が混在していても名調子。二月二十二日(金)
おいらの由来がきえた
それは一月二十九日の夕刻でした。翌日の現場では寒風が焼け残りの「十勝寶盟鑑」(大正十四年刊)をくっていた。明治二十三年日高国静内郡遠佛村に農業の目的を以って移住し…其の後十勝は土地肥沃なるを知り…同三十三年五月貸与を受け…八十二町歩余を出願し許可を受け、種牛種馬を求め繁殖飼育に努めたり…とそこには書かれていたはずである。淡路島出身の曾祖父と祖父は明治中期に北海道をめざし、その長子である私の父は設備投資の大型農業はめざさず、身軽な営農を心がけていた。でも趣味としては機械と電気がめっぽう好きでした。1950年代には水力の自家発電を設備して茶の間に電気を灯していた。小さなタービンに鮭が絡まると電球が薄暗くなり、水門を空けて鮭を採る。豊かな川でした。電気があるとラジオが聴ける。蓄音機を使って屋根の上から音楽を流していた。流しながら畑仕事なのだ。スッペ作曲の「詩人と農夫」を覚えている。あの田園生活は温かく深い少年時代の記憶である。だがおいらの由来はきえた。享年八十九歳でした。二月の練習曲はシューマンの「楽しき農夫」を弾くことにした。二月十五日(金)
モノクロ映画
四・五十年前のモノクロ映画が衛星放送で時々流れる。シドニー・ルメット監督「十二人の怒れる男」アメリカ・1957年がその一つ。NYのうだるような暑い夏の午後。法廷内の一室で十二人の陪審員たちが、父親殺し容疑の少年の「guilty」あるいは「no guilty」をめぐって一進一退の評決をくり広げる。郵便で通知されて陪審員となった普通の市民たちは、証拠と証言から誰もが有罪と思いこんでいる。これは思いこみの全体主義とでも言おうか。さて冒頭の場面から全員が有罪で一気に評決と思われたが、ただ一人少年の有罪を断定できないとする第8陪審員(ヘンリー・フォンダ)は証言の不確かさを粘り強く一つ一つ覆していく。ほかの陪審員も有罪と無罪のあいだを揺れながらも次第に少年の無実へと傾く。第8陪審員のたった一人の疑問と抵抗とが、ほかの人々の心を動かし遂に少年の無罪の表決を下す。誰が犯人かは定かではないが、疑わしきは罰せずが貫かれた。陪審員室から一歩も外へ出ることなく、お互い番号で呼び合うだけの名も知らぬ十二人の陪審員たちは、この一室で夕刻から翌日の朝までかけて無罪を確信するに至る。すべてを終え法廷を去る時、無罪を切り出した第8陪審員とそれを最初に支持した年老いた陪審員は、互いに名乗り合いはしたが別れはさらりとしたもの。たった一枚のカードがワンペアになり大勢を覆してゆくこの賭けは忘れがたい。単色の映画は愉しいですね。一月二十五日(金)
ふたりの博物誌
ルナールの「博物誌」(新潮文庫)は簡潔な言いまわしで「蝶、二つ折りの恋文が、花の番地を探している。」が知られている。かたや開高健の場合は一点凝集にむけて饒舌と技巧で迫る。ふたりとも好きなタイプです。では開高健の言いまわしを抜き書くと。ネコは人の生活と感情の核心へ忍び込んでのうのうと昼寝をするが、ときたまうっすらとあける眼はぜったいに妥協していないことを語っている。媚びながらけっして忠誠を誓わず服従しながら独立している。気ままに人の愛情をほしいだけ盗み、味わい終わるとプイとそっぽを向いてふりかえりもしない。爪の先まで野生である。これだけ飼いならされながらこれだけ野獣でありつづけている動物はちょっと類がない。横道にそれるが、生まれるのは偶然、生きるのは苦痛、死ぬのは厄介、というのも書いてありました。戻って、ペリカンはさびしくて、強健で、不屈である。などと表現する故開高氏を奥村大三郎は、彼は本来のナチュラリストではないという。そもそも何か物が好きという子供は、はじめのうちは誰でも機関車やおもちゃやカブトムシ、ザリガニなどと遊んでいるが、やがて機械や乗り物が好きな子と生き物の好きな子とに分かれる。それがやがて生涯の職業や趣味になるのである。一方、物が好きでない子供はいずれ抽象的なものを弄ぶようになる。つまりそれが文学者、思想家、芸術家、政治家という方向なのである。開高健という人は七歳になってから郊外の池や川で遊ぶが、やはり都会の人で、生まれながらの言葉の人で、物を詳しく見るより、それについての印象を言葉にして頭の中で練り上げる人であったと思われる。とのことです。奥本大三郎「開高健の博物誌」集英社新書。一月十八日(金)
小話に笑ふ
ジョークは巷に溢れているが、クスッとかニヤリと笑ふには遠い。腹を抱えて笑ったのは随分前だが、笑いすぎて内容は忘れてしまった。ベルグソンの笑いの本も、これは方法序説だから楽しくはなかったが、近頃の本にいいのがありました。靴下の話です。幼稚園の朝、子供が片方に赤、もう片方に緑の靴下を履いてきた。保母さんが、「あーら、マサオちゃん、珍しい靴下ね」マサオちゃん少しも騒がず「珍しくないよ、お家にもう一つ、同じのがあるもん」次のもなかなかいい。「グリーンランドの方がアイスランドより北にあるなんて、知ってた?信じられないよ。現実主義と理想主義の違いかなあ」と、こんな小話です。いくつか集めてみたくなる。阿刀田高「ユーモア革命」文春新書。一月十一日(金)
内田光子の世界 (02年)(70)
ピアニシモの内田光子はモーツアルトのピアノ協奏曲・ピアノソナタから始まり、ベートーベンのピアノ協奏曲、シューベルトのピアノソナタ、さらにショパン、シューマン、ドビュッシーのピアノ曲へと続き、音楽の深く暗い世界を垣間見させてくれた。特にシューベルトは極まっていると思う。この陰のある馥郁たる曲を聴けたのがうれしい。しかし彼女はこれに止まらず二十世紀音楽のシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンへと踏み込む。年末に内田光子率いる室内楽によるシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」を聴いたのだが、詩も歌うのでチンプンカンプン。でも無調時代の音楽とはいえシェーンベルクの「三つのピアノ」は愉しめる。因みにアルベール・ジロー原詩の「月に憑かれたピエロ」の「月に酔い」はこんな風に始まる。「夜の月は目で飲む酒を、波のように降り注ぐ、それで大潮は 静かな水平線を ひたしてあふれる。身震いするような甘い情欲が、潮の中を果てしなく泳ぎ渡る!夜の月は目で飲む酒を、波のように降り注ぐ。信心深い詩人は、聖なる飲み物に酔い、恍惚として頭を天に向け よろめきながら目で飲む酒を 吸いすする」と柴田南雄が訳していた。前世紀の不安と孤独は続いている。ところでシューベルトの即興曲を聴くならグルダもいい。虜になる。〇二年一月二日(水)
同根... 2
室内の旅人(100). 3
ブック・カウンセリング... 3
秘伝公開... 4
女必殺剣「アイドル殺法」. 5
梟のメガネ... 6
低く暮らす... 7
時間銀行... 7
水しぶき.. 8
眉間... 8
悩ましきデジカメ.. 9
町で田舎暮らし (90) 9
遊びの地図... 10
団塊たちの法則... 11
庭二居マス... 11
沸く. 12
Show and tell 12
隣国の古層... 12
六十年後の陪審員... 13
冷えたティオ・ペペ... 14
きみには苦労かけるね... 14
誰でもいい絵は描けるんやで (80). 14
散蓮華... 15
おっとっと.. 15
取り違え... 15
週一冊の愉しみ... 16
日本語は畸形?... 16
おいらの由来がきえた... 17
モノクロ映画... 17
ふたりの博物誌... 18
小話に笑ふ... 18
内田光子の世界 (02年)(70). 18
02年暮れる
例年よりは揺れが大きく深い02年でした。多少の船酔いの心地を残しながらも、まずは生き延びて年を刻めそうです。周りの人たちも仕事と人間の関係に奮戦しています。つまり、少なくなる分け前をめぐっての争いと調整です。わざわざスローなライフにしなくとも、縮むデフレ経済のもとでは、残量メータをみながらトロトロ走るほかないのです。ゆっくりで貧しい生活といえば、半世紀前の私の生家は明治や江戸の暮らしぶりに近く、ランプと有畜農業の省エネ型だったなあ、と感慨深くして今年を閉じます。森まゆみ「谷根千の冒険」ちくま文庫。十二月二十八日(土)
同根
冬の夜長の抜書です。岩城宏之「オーケストラの職人たち」(文芸春秋)から。▼木の窪みに果実が落っこちる。果汁となって発酵する。猿だったころの人間の祖先が、手で掬って味を覚える。旨い。発酵しているから酔っぱらう。いい気持ちになって声を上げる。酒と歌の始まりである。嬉しくなって樹の幹をポカポカ叩く。打楽器の始まりである。自然に身体も揺れる。踊りの始まりだ。何千万年も前に、われわれ人間の音楽は、ウタとタイコとオドリを原点として出発した。人類の発祥地はアフリカ中部だと言われる。音楽は、楽器を増やしながら何百万年もかかって、インド大陸に伝わる。インドの音楽は東南アジアを経て、インドネシアでガムランとして発展した。さらにインド系の音楽は、ジプシーの移動とともに、中近東、ロシア、ヨーロッパ全土に広がった。ジプシー音楽は、イベリア半島で濃い溜まり方をし、スペインやポルトガルの音楽には強い影響を与えた。▼一方、インドネシアを通って中国大陸に伝わったインドの音楽は、雅楽の起源になり、朝鮮半島を経て、日本で雅楽として完成した。世界中のあらゆる楽器のオリジナルは、インド産である。糸をこすって音を出す楽器は、ヨーロッパに行ってバイオリン系の弦楽器になり、中国大陸に流れて胡弓になった。はじいて音を出すシタールはヨーロッパのギターやハープになり、日本の琴や三味線も中国大陸を経て来たものである。ラテンアメリカの音楽は、近世のスペインやポルトガルの侵略と征服の故であるが、北米のインディアンやペルーのインディオとか、南米の最南端の音楽にも、ユーラシア大陸の影響がある。アリューシャン列島を渡って、途方もない時間をかけて、南米最南端まで伝わったのだろう。人類の起源をアフリカだとすれば、地球を一周したのだ。アトランティス大陸の陥没で、ヨーロッパ・アフリカと南北アメリカ大陸が分断されたのが事実なら、アフリカと南米の南端はくっついていたわけだ。▼アフリカを源として、インドから世界中に伝播した音階の基本は、五音音階である。ド・レ・ミ・ソ・ラの五つの音だ。例えば、日本の伝統音楽、民謡、現代の演歌は、この典型だ。演歌の源流は朝鮮半島の歌だが、日本の文化はすべて朝鮮半島経由なのだ。五音音階は世界各地に広まって、それぞれの民族に合った音階に変化した。ヨーロッパでは中世の音階を経て、ファとシが加わり、ドレミファソラシドになった。不思議なのは沖縄の音階で、ド・ミ・ファ・ソ・シの五つだ。インドからマレー半島を通ってインドネシアで発達したガムラン音楽と同じなのだ。とにかくこの地球という星の人類がやっている音楽は、すべて親類同士なのである。クラシック音楽や、ロック、浪花節、教会のミサなどは、みんな同根なのだ。▼ついでに、渡邊健一「音楽の正体」(ヤマハミュージックメディア)から。寅さんのテーマ曲「男はつらいよ」を歌ってみるとファ・シが出てこない。日本的音楽の系譜や情緒についての説明がうなずける。もう一つ。ヨーロッパは三拍子のワルツに満ちていて、日本は二拍子。馬に乗ったら三拍子、稲を植えたら二拍子なのである。馬はパカパカ走っているだけのようだが、実はパカパ・パカパ・パカパと三拍子で走っており、田植えはヨイショ・ヨイショの農作業である。仕事と音楽のリズムは呼応していた。十二月十八日(水)
室内の旅人(100)
班で押したような毎日にも、小さな波乱はある。だが、もっと大きな振幅のある世界へ旅立とうと思い、少年向けの羅貫中「三国志」(岩波少年文庫)の三巻を読む。なんといっても名場面は後半の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」あたりの駆け引き。三国志の百年の年月には安寧はなく波乱万丈に果てる。漢の帝国が衰えて、魏・蜀・呉の三国に分かれ、その君主たちはみな自分こそ皇帝と称して対立抗争する。数十万人の軍勢の先頭は敵に圧倒されれば、早々に見限って相手に下り、後方は統制がとれず散り散り。人民は戦乱に巻きこまれ不運な時代だったが、戦いに秀でた人物にとっては乱世こそわが世と張り切る。平和な時代ならそれほど目立たず地味だろうなと思われる人たちも、チャンスに恵まれ燃焼し尽くす。むろん無駄死にも多い。本はテレビや映画に劣らないどころか、手軽に仮想世界を用意してくれる。本を読み始めれば、目的地はともかく、この地を後にして旅立てる。でもこれは外出の出かける旅ではなく、出かけない旅。本の中では別の人格になるが、ここでの経験だって、自分の経験の一部になり得る。そんな室内の旅人は、柴田敏隆「カラスの早起き、スズメの寝坊」新潮選書で、自然界をのぞいた。ヒトはむかし鳥だった。その名残か、この乱世を飛び交うアナーキーな鳥が目立つ。十一月二十六日(火)
ブック・カウンセリング
世界で六百万部を売った「話を聞かない男、地図が読めない女」(主婦の友社)はどんな本なのか。タイトルを超える面白みはないが、ケーススタディと所々のまとめがあり、アチラのレポートを思わせる。いくつかの命題が出される。男は狩の本能、女は巣作りの本能という自然の采配から自由ではなく、なぜ男と女が違うかの理由さえわかれば共存できる。男はモノ(仕事)が好きで、女はヒト(関係)が好きという、この事実をまず知ること。男は気持を隠し、女は感情を率直に表すように脳が配線されている。女はストレスでしゃべり、男はストレスで黙る。これらの配線の違いを延々と例証する。もう少し続けると、男は間違いなく北の方角がわかるが、一度に一つずつしかこなせない。女はお喋りでマルチチャネルの感覚でありながら、全体を読み取ってしまう。脳のパターンが、男っぽいか、女っぽいかは、受胎後六~八週間の間に、投薬などの影響で男性ホルモンと女性ホルモンのどちらを多く浴びていたかによって、脳がプログラミングされ、思考や行動を左右する。それを探るテストが付いていて、やってみると140点と普通でした。分析では、今の男は本来持っていないコミュニケーションが求められており、その能力を高めて、女っぽくもなく男っぽくもない融通の利くゾーンに近づけば、ずいぶんと問題解決になると結論している。だた、この得点が上がると「女脳」度も上がり、創造と芸術の分野に才能を発揮できるが、百八十点を超えるとゲイになる可能性が高いそうだ。日本人による類書では、人間行動学から見た岩月謙司「女は男のどこを見ているか」(ちくま新書)がある。若い女性の「幸せ恐怖症」には注目だが、赤ちゃんにベロベロバーをしてウケルほうがノーベル賞をとるより大事だとか、もっぱら男のコミュニケーション能力が問われている。この出版社から、小谷野敦「もてない男」(ちくま新書)、諸富祥彦「さみしい男」(ちくま新書)と、カウンセリング型の本が続々である。しかし自己診断にも限りがある。本の後は風呂かシネマでバランスを取りたい。少し古いがクロード・ルルシュー監督「男と女」は、あの麗しいフランシス・レイの音楽が付いて、カウンセリング時間は百四分です。十一月八日(金)
秘伝公開
あの切れ味のいい、斉藤美奈子「文章読本さん江」の必殺剣を受けて立とうというのか、林望は「文章術の千本ノック」(小学館)を出した。文筆家の出世の証しとして書いたとは思わないが、まずは、リンボウ先生の文章教室を覗いてみよう。▼人が見ないようなところまでよく観察し発見するという心がけがないと、人が読んでくれるような文書は書けない。着眼を鍛えることが文章の命。「です・ます調」の敬体は女性的文章で、男性はほとんど「だ・である調」の常体を使う。文章は常体が原則である。敬体の文章は形容詞がうまく扱えない。「美しかった」を「美しかったです」とか「美しいでした」では美しくない。敬体は、文章がもたもたして、すらりと書けない。▼読み物として成立する最低の文字数は、六百字だと言われている。山あり谷あり、起承転結宜しくあって、なおかつ余韻のようなものまで込めるとなると、それはもうプロの仕事だから、普通は八百字を目安に書くといい。書き出しで読者の心をとらえて、締めくくりで納得させる、この二つはどうしても最大の努力を払って、きちんと書かなければならない。文章には、三つのポイント(キーワード)をもって奥行を出して欲しい。注意すべきは、「かわいかった」などの概念を書かず、具体的な様子を綿密に写実的に描き出し、読者が自動的に「かわいいな」と思ってくれるように書くこと。▼尻切れトンボ文体「~楽しめる趣味のよう」「~してみては?」「~してみるのもいいかも」などの、叙述省略は、上品でもなく洒落てもいない。この中止法や体言止は、一つの短文に二つ以上使うのは禁じ手。それから、流行語とか紋切り型の言い方、いわゆる手垢のついた安易な表現は避ける。「なんともやりきれない」なんて、こんな思考停止のしめくくりの状態なら、文章なんか書かない方がいい。落語は、自分が楽しむのではなく、人を楽しませるためのユーモアの集大成である。自分はあくまで冷静でなくてはならない。もし何かをからかうのであれば、自分をからかって笑うべきであって、人をからかってはいけません。▼パソコンで文章を書く。第一次の草稿では所定の一・五倍くらいの長さをめどに書きたいように書いて、それを推敲し短縮して所定の枚数に仕上げる。緊密感のある文章を書くためには、望ましい道具です。最後に書式を設定して終えるのがいい。経験的には25字×32行で組むと、これが八百字に相当し、一番書きやすい。▼題名は、何か引きつける刺激が欲しい。手の内を明かしてしまうと、面白みに欠ける。しかも文章はアウトサイダーというか、どっか不良でなきゃだめです。次は、言葉をケチることです。無駄な言葉は一語もないように節約して書くのが文章を面白くするコツです。余計なことを書いていると、文章の流れが悪くなってスピードが落ちる。ちょっとフィクションを混ぜても、面白い方がいい。くれぐれも書くときは、具体的な描写、非常に具体的で目に見えるように書くことです。どう書くとリアルかをいつも考えること。文章を書いて、それで何かを人に伝えたいと思ったら、自分が感激していてはだめです。自分はあくまでも冷静でなければ。また、何か面白いことを買いて人に楽しんでもらおうと思ったら、自分は楽しまず、自分を戯画化して、読んだ人がゲラゲラ笑うような、そういう書き方をしなければいけません。▼自分の文章をもう一回、他人の目で眺める。自己批判できれば、削るという勇気が持てる。いかに自分の文章には冷酷になれるかがポイント。同じ言葉を近い所で繰り返えすと、下手くそな印象になる。何度も言うが、文章にはトピックやエピソードは三つぐらいあるといい。で、叙述は簡潔に、濃縮して書く。会話を「と言った」で受けると単調になるので、会話を三つくらい並べてしまうと、小説みたいな面白味が出る。全体が具体的な描写で成り立ち、概念的な文章がほとんどない、こういうのはとてもいい。書き慣れていない人の場合、男の文章は「説明」になりやすく、女の文章は「おしゃべり」に終始することが多い。書き出しと締めくくりが大切なのだが、その両方ともおざなりでは魅力がない。話題の自分をもっと戯画化して、いきいきと「話すように書く」と良い。▼長々と書き抜きました。斎藤美奈子は多分、新味もなく「今更」だよと言い切るだろうな。としても、私にはこの指南書はありがたい。リンボウ先生が、文章づくりの秘伝を一部公開したことで彼の叙述原則がわかったら。十月二十三日(水)
女必殺剣「アイドル殺法」
同時代の八人の物書きたちが、斎藤美奈子の「文壇アイドル論」(岩波書店)で、スパッと切られる。その太刀さばきは正統で、一刀両断の傷は深い。全編にわたって切り口は鮮やかで、わかりやすい。襲われた人たちは、どう読んだのだろう。愛読してきた人たちも、動揺させられる。加藤周一も、吉本ばななのお父さんも、これ程のことはない。私の住む北国は中心情報から遠い。世の兆しや世の動きが、遅れてでも届けばいいが、届かないこともある。立花隆は、その点で取材力があり、広範にして深く時代をつかんでいるようなその書きぶりに、時代の旗手というのは、さすがに先行しているものだと思わせていた。でも生命と科学だけでこの時代を割り切ろうとする、その考えの危うさは薄々感じられた。人間に引きつけた言い方が少なく、物足りなさがどこにあるのか解らないでいたので、彼女の切込みに同感すること頻りである。こんなことなら、ほかにも必殺剣を抜いているだろと、彼女の「文章読本さん江」(筑摩書房)にも手を出す。うんうんこれもいける。文章の目的は、情報伝達と自己表現があり、前者は的確さ、後者は面白さが求められる。で、伝達用の文章入門書はあまたの本があるので、いまさらこの手の読本など要ない。かたや表現のための文章修行は、自力で積み重ねるよりないという事情にある。のに、この斉藤美奈子の本が出て半年も経たない今月の新刊で、書きまくるリンボウ氏こと林望は文章の指南書を出した。どちらかと言うとエッセイ方面だが、添削の具体例もある。かくて文章読本はひきも切らず製造されるが、パロデイでもいいから、谷崎潤一郎や丸谷才一の「文章読本」を添削するくらいの気概ある人はいないのだろうか。ともかく文筆家にとって文章読本を書く行為は、人生の総仕上げ、出世の証し、双六の上がりにも似た名誉ある行為なのだという。彼女のこの二冊で切られた人たちの逆襲はないのか。傷口を手当てするだけでは済まないと思うのだが。蚊帳の外での楽しみが一つ増えた。十月二十二日(火)
梟のメガネ
梟(ふくろう)が夜に活動することから、ミネルバの梟は黄昏に飛ぶ、と哲学者ヘーゲルは申しているそうだ。知恵と哲学は夜に羽ばたくということか。文筆者・芸術家たちばかりでなく、誰にもじゃまされず創作できるのは夜の時間帯。それなら仕事帰りに縄のれんをくぐる人たちだって、タソガレ時の梟の仲間入りしてもいい。ただ、こちらは会社の話ばかりの、知恵を会社のためにだけ使う梟になっているような気はする。かたや夜ではなく昼に活動する梟もいることは居る。かの哲学者より緯度の高い地域にすむシロフクロウで、白夜のために環境適応したものだ。生き物は奥が深くさまざま。生き方がいろいろなのだ。さかのぼってギリシャ時代の梟はどんな風だったのだろうか。たぶんレバノン杉の森に生きていたと思われる。しかし都市文明は燃料と建築材で森林を食いつくし、やがて不毛の土地となる。そうなると梟はその地を捨てるほかなく、ギリシャ文明もしかる後にタソガレた。梟は不吉な鳥として見られていた時代もあったが、ギリシャ神話の女神アテナ(ローマ名はミネルバ)の聖鳥のおかげで知恵の象徴として、眼鏡をかけて本を読む姿を描かれるまでになった。私もあやかりたく、近視用のメガネ・フクロウを長年続けてきたのだが、つとに近くを見るのがつらい年頃となってしまった。このままでは幸せになれないと思い、ベッドにもぐり込んでの裸眼読書に切りかえた。牛がべろんと塩を舐めるくらいの距離に本がある。ややっ、活字の雰囲気は、こんなにも違いがあったのか。「岩波」より「みすず」や「筑摩」の方が、やわらかい字体で読みいい。メガネをはずして解ることもある。林望「恋の歌、恋の物語~日本の古典を読む楽しみ」岩波ジュニア新書。十月八日(火)
低く暮らす
イスの座面がもっと低くかったらなあ。座面が高いと踵が床につかず太ももあたりがうっ血しやすい。これは靴を履いたときの高さなのでは、と思いたくなる。テーブルも大抵が七十センチ。自宅なのに洋食屋の座りの緊張があると言ったら、おおげさか。だから食べ終わったら、ゆっくりできる畳かソファをつい探してしまう。勉強机も同じ高さで、うっぷして寝てしまうには、ちょうどよい高さ。そこでイスとテーブルの脚を五センチ、いやいっそ十センチくらい、切り落としたらさぞかしと思っていたので、ノコギリを握りしめてはみる。みるが、失敗したら元も子もない。失敗したときの接着剤だってまだまだ信用できない。こういう人達のためらいを見透かしてか、工業デザイナーの故秋岡芳夫さんが作りました。低いテーブルと胡坐できる低いイス。素材はナラ材。ゆったりしていて、踵が床について安定する。易しそうな工作だから自分でやってもいいのだが、脚四本が同じ高さにならないと、次々切りそろえるつもりで、その先が脚のない座椅子にでもなったらどうしよう。ここはひとつピタリと仕上げる家具職人に頼みたいところだが、来てもらうまでもないし。半人前くらいの腕でもいいのなら、自分の特技として脚きりを習得し、地域の人材銀行にでも載せてもらおうかなと、思ったりする。低く暮らすための、作ることのない壊しの職人として。身の丈に合わせた家具で暮らすことは、これからを考えても大事のひとつだと思えて仕方がない。秋岡さんは置戸町のオケクラフトに力を入れ、この十勝にもクラフトセンターをと語っていましたが、今は昔のこと。「古典落語志ん生」ちくま文庫。九月二十日(金)
時間銀行
新しいお金が流通している。生活通貨のことで、地域でモノやサービスが交換されている。エコマネーとも呼ばれるが、子ども銀行のようなものと揶揄する人もいる。元々はイタリアのパルマで始った。1991年に「時間銀行」が設立され、現在約300ヵ所1万人の参加者がいる。参加者は提供できるサービスの内容と提供できる時間と、受けたいサービスの内容を時間銀行に登録しておく。サービスを受けたいときは、事務局に電話をし、適当な人を探してもらう。交換が行われたら、小切手帳に時間数を記入し、サインをして時間銀行に持っていくと、各人の口座で時間を増減してくれる。ただ、稼いだ時間を自分や家族の将来のためには使えず、半年くらいで助け合う仕組みになっている。日本でも地域通貨の試験流通を始めたり、検討中のところが百を数える勢いにある。通貨単位も前橋市は「ありがとう」、伊那市は「「い~な」とか、わが北海道では栗山町の「クリン」、小樽市の「タル」など。この小さな、目に見えるサイズの経済循環は、単身世帯を含めて地域に受入れられ、広がっている。元祖イタリアは地域通貨ばかりでなく、昔も今も目に見える範囲の地域経済を大事にしてきた。とくに第1次産品は半径50kmの範囲で流通させるというから、旨いもの・安全なものを口にしようとする地域づくりの基本姿勢が感じられる。ところでこの地域通貨のやり方を、家庭のお金に換算されないシャドーワークに持ち込んでみたら新鮮ではないか。ご飯を用意したら1ポイント、草むしりを1時間したら1ポイントとして登録する。何かサービスを受けたいときはそのポイントを使う。通貨の単位はカインドとかボランテとか名づけておき、ワインのコルク栓でも代替コインしたらいい。核家族でメンバーが少なくて取引が偏ったら、月末に現金決済して清算。その時は交換レートで揉めるかもしれない。でも、ここまでやる人はいないだろうな。なだいなだ「人間、とりあえず主義」筑摩書房。九月六日(金)
水しぶき
餌台に訪れるスズメらの周りは、駅のプラットホームの賑わいがある。キオスクにちょいと寄っては、新聞や飲料ボトルを仕入れ、電車に飛び乗る、あの慌しげな様子。小鳥のプラットホームでは、チィチィと穀物をつまみ、水鉢の水を含んで、どこかへ出かける。時間をおいて、またやってくる。これを繰り返す鳥たちは時々、常備してある水鉢で水しぶきをあげる。見ているこちらが、ホーッと声が洩れるほど生き生きしていて、見応えがある。鳥たちは自分の体を清潔に保ち、病気にならないように水浴びをする。とくに羽毛は体温を保ち、雨を弾きとばす役目を持ち、軽く丈夫にできているが、その構造は微細なため汚れやすい。それを水浴びできれいにし、ついでにダニ、ノミも振るい落とす。さらに翼の部分の風切り羽は、より大切。飛ぶことによって身を守り、食物を得ているので、手入れは入念である。鳥の水浴びは、浅いところに立ち、両翼を水にたたきつけ、水をはねあげて行う。水浴びの後は羽づくろいの整羽行動をし、細かい羽糸の乱れを嘴で一枚いちまいしごいて直していく。スズメはこの後、砂浴びもするが、仕草がおどけていて、こちらは声を立てずに笑うことになる。鳥たちの水浴びは一年中のことなので、バードバスを設けている人は、冬になると氷を割ってやるのだが、この土地の場合は手の施しようがない。てんぷら油を固めたように一枚に凍ってしまう。中野雄「丸山真男・音楽の対話」文春新書。八月二十三日(金)
眉間
二千五百年前のお釈迦さんは悟りをひらき、説いた。観音さまの名前を唱えるだけでも苦しみから救われる。衆生のために観音さまは、いろいろな姿で私たちの身辺におられる。時には仏であったり、長者とか僧、女や子供、さらには夜叉・天竜・阿修羅などの八部衆のような姿で衆生を救っておられる。ということなんですが、その八部衆が実は極めつけのワルで、お釈迦さんの説法で平和な社会が作られては困る悪神たちであった。なかでも阿修羅は乱暴者でお釈迦さんの話の邪魔ばかりしていたのですが、いつの間にか聞き入ってしまう。ついには他の悪神たちが騒ぎ出すと「だまれ」と追い払い、進んで心静かに説法を聞くようになった。まさにその時の顔があの奈良の都にある。興福寺の国宝館にある阿修羅は、天平彫刻の名作として教科書にも載せられている。人々の悩みを一身に背負い、その苦しみに耐えて、静かに語りかけている。眉を寄せて、きびしい表情ではあるが清々しさを秘めている。正面の顔のほかに二面、腕は六本の三面六臂の乾漆の像である。漆に木屑をまぜたペイストで像の肉づけをするこの乾漆の技法が、あの眉間のきびしくも、やわらかな表現を可能にしている。この阿修羅に限っては、宗教の文脈で見なくとも鑑賞できる彫刻と言えないか。「梅原猛の授業・仏教」朝日新聞社。八月十四日(水)
悩ましきデジカメ
デジカメはカメラにあらず。あの銀塩のフィルム・カメラと違い、デジカメは出来事を説明するメモ帳に向いているという。文房具感覚なのだろうか。しかも電子処理だからお金がかからない。今までのように写真屋に出してプリントしなくていい。バシバシ写していいのですぞ。どんどんメモして下さい。そう言われても、ついケチ心が出て、必殺一枚で済ましてしまう。でも惜しみなく写しておいて、後から画像を見ながらレポート作ることも出来るのなら、そんな使い方もあるのかなとは思う。入門書によると、デジカメの五徳は、プロ並みのピント、その場での画像確認、インターネットで送信、画像かさばらず、カメラ扱いが簡単、とある。ただ悩まされるのが、買う時である。この手のカメラは高くても安くてもすぐに性能が古くなり、短命。三ヵ月で値引き競争。だから三ヵ月我慢して、初期不良が改良されたものを買うのが良いらしい。私は二度もしくじった。今は五パーセント失業の渋いご時世だから広告費は細り、写真は自ら撮りパソコン編集し、プリントするなりメールするのが主流。デジカメで写すコツでは、スナップならファインダーで素早く、複写や花などのクローズアップならモニターで構図を決める。人物撮影は銀塩と同じ。人物の目の高さ、少し斜めから、望遠系のフォーカスで、最低七枚、話しかけ反応が出たところで撮る、ことだそうです。それにしても、まだデジカメは操作ボタンが多すぎる。電源スイッチとシャッターボタンだけなら、瞬きだけで書けるメモ帳として認めてもいいのだが。赤瀬川源平「悩ましき買物」光文社文庫。八月一日(木)
町で田舎暮らし (90)
小川のそばに山小屋をつくって「北の国から」のように住む。この望みはずっと持ち続けたが、町でも田舎暮らしが出来るのではないか、と自ら実践する都市計画家に出会ってからは、その暮らし方に傾いた。どんな、と言われても庭仕事をしているに過ぎないのですが。でも一旦、扉を押して庭に入れば、そこには田舎の時間が流れ始める。動機は、小鳥が飛来する雑木林のような環境の庭づくり。餌台の周りに低木、すこし離れて中木を植え、少量の餌をおき水浴び用の鉢も備えた。それに近所には有難くもニセアカシアの高木が一本あり、この庭へのガイド役を果たしてくれている。さて庭仕事のために納屋も建てた。七つ道具やら、除草機、小枝の粉砕機、枯れ枝集塵機などを収納した。段取り八分です。庭木も十年経てばズンと大きくなる。ホプシー、ギンカエデ、ゴールデンニセアカシヤ、コブシ、カエデなどが育つ。離して植えなさいとの忠告もあったが、どうも初心者は密植になる。人も鳥も食べるベリー類などの果樹を植える隙間が不足してきた。小さな野菜畑も一カ所を休耕にして三カ所を輪作とした。小さな庭でも循環をと思い、家庭の生ごみは堆肥にし、切り枝は粉砕機でチップにしてマルチングか、堆肥と混ぜて土壌改良に使っている。庭仕事によって体の機嫌がよくなり、気分も同様に。一仕事に一缶のビールは約束されており、庭に飛来する小鳥たちの水浴びを眺めながらいただく。ドイツの小さな庭《クラインガルテン》の話を聞いたり見てなかったら、町での田園生活には踏み出さなかったかもしれない。ヘルマン・ヘッセ「庭仕事の愉しみ」草思社。七月十二日(金)
遊びの地図
小さい頃に遊んだ地図を作る。言うところのメンタルマップづくりで温故知新です。少年時代に遊んだことしか、大人になっても遊べない法則があるかもしれないと、うすうす感じていたので、まずは記憶を遡ることにした。犯罪捜査でも現場はもちろんだが出身地を洗えというではないか。さて、十勝平野東部に流れる忠類川の源流近くで私は育った。川は小さかったが水量もたっぷりあり、夏は冷たく、スイカがよく冷えた。小学生の頃は、下校するや馬糞の堆肥からミミズをほじくり、竹の一本竿を担いで毎日のように家の前の川で過ごした。釣果のヤマメ・イワナは笹や柳の枝に通してぶら下げて帰り、薪ストーブの上で焼いて食べた。カラス貝だって口の中にヨモギの茎を差し込めば釣れた。身は硬いので食べなかったが、内側は硬質な真珠の光が満ちていた。木洩れ日のなかの川はガラスの破片を水面につけると、水底まで見渡せるほどで、魚の動きに合わせヤスで突いた。顔を上げて流れを見つめていると、相対原理で岸のほうが動き出し、目まいでふらふらになるのを楽しんだ。夏休みは蝉時雨を浴びながら、長い畝の数条の草取りノルマもそこそこに、日暮し釣り糸をたれていた。近くの森の樹上につくった隠れ小屋で、お握りを食べた後はよく絵を描いた。遠出もした。一里先の裏山に松前藩が埋めたという金塊の伝説を信じて、友だちとその洞穴探検に夏休みの多くを費やし、いつもとっぷり暮れてから家路に向かった。少年は川と森と山で過ごした。それに、腹をすかした少年でもあった。食い物のことは深く心の地図に焼き付いている。あの頃の年の瀬には心踊るものがあった。豚一頭を出刃で殺し正月の食材とした。鶏も首を斧で落としたあとは、五右衛門風呂の煮えたぎった湯にいれ、毛をむしるが、これは子どもの仕事。母屋の隣に畜舎があり、馬、牛、豚、鶏、羊、山羊たちと共に暮らしていた。馬は畑起こしばかりでなく、荷馬車(ホドウ車)を牽いて町にも向かった。羊の毛は紡いで靴下やセーターになり、肉はジンギスカンとして食した。鶏の世話と卵の係りは子どもの役割。米は内地米でも、麦やキビ、野菜は自給できた。豚と鶏の餌は野菜くずや残飯で間に合ったし、彼らの糞は寝藁と混ぜ合わせ堆肥にして野菜畑に還元した。農作業はきつく、食べものは粗末であったが、ストーブを囲んでの日々の団欒が一日の区切りだった。幸いに水力の自家発電があったので、電灯が灯り、ラジオが聞けた。家の周りは雑木林で、近くにも手つかずの森や原野が大小いくつもあり、そこから届くフクロウの鳴声で、眠りに就いた。時田則夫「北の家族」(家の光協会)。七月五日(金)
団塊たちの法則
会社で一番やめて欲しいのは団塊の世代といわれ、ここにきて一気に邪魔者扱いされはじめた。経済記事も経営者は六十代から四十代にと囃したて、五十代の団塊世代ハズシが始まったかのよう。1947年から49年までに生まれた戦後世代は前後する世代より四割も多い。ヘビが飲み込んだタマゴで、いつも突出していた。大量消費の世代とか時代の先駆と持ち上げられてきた。この世代は舞台の左手より登場したが、いまは右袖にいる。学園紛争の現場で石を投げ、社会に出てからも時代を変えようと意気込んではいたが、七十年代は経済成長のただ中で、さほどの苦労もなく横並びでやっているうち、気がついたら豊かな社会になっていた。改革の旗手ではなく、日常の勤勉さが、意外にもふさわしい世代となってしまい、日和った日々を振りかえる人は、もう居ないかもしれない。時代も横並びの一律さではなく多様な世界へと移行して、団塊たちが三十年積み重ねてきた組織での経験と価値は、色褪せてきた。しかもこの黄昏に向かう世代の多さが、年金など生涯厚生のシクミを崩壊させるとして警戒されている。ともかく、団塊世代は厄介だ。どこになだれてゆくのか。この世代の多くは都市生活者であることから、もう一つの生活の質を求めて田園生活に向かうのか、それとも「これまで」に費やした事にしか「これから」も費やせない人生法則に従うことになるのか。もがく世代は定まらない。香山リカ「若者の法則」岩波新書。六月二十七日(木)
庭二居マス
一度袖を通したら着尽くすのがパジャマと野良着。いずれもコナレ捨てる間際のものが極上じゃないかと思う。土いじりや庭仕事に向いている着衣は、湿潤な気候帯では古くからの、あの田吾作どんの野良着を伝統とするが、冷涼な土地には学校着でお馴染みのジャージーの方が、保温と通気がほどよい。それに汚れたり引っ掻いたりしても、惜しげもなく着用でき、泥だらけの腕白になれる。だが、どんな体型になってもなじむ、その伸び縮みが仇になり、ルーズな人柄と思われるところが、その地位を低くしている。野良着ではないがデスクワークもできる作業服の場合は、もっと上位ある。ブルーあるいはラクダ色の、ヘルメットが似合うあの作業服である。焼鳥屋でも遠慮なく出入りできるので愛用者は多い。さて、たけしとさんまのトーク番組を覚えていますか。さんまがスナックの長い髪のママで、たけしが作業服の客になり、世間をからかう番組である。胸には確かアルプス工業とかいうネーム刺繍があり、居合わせたお客とごちゃごちゃ言い合いながら、本音をすっすっと織り交ぜ、いい味が出ていた。ブルーカラーの世界では気取るほど足元をすくわれるので、本音を原動力としてぶつかりあう。それにしても、六月はいい風が吹くのだが、指は酷使する。狭い庭ほど雑草が繁茂するのだろうか。いつものジャージー野良着をきて、ひざパッドをつけ、草をむしりながら、週末は「庭二居マス」。阿刀田高「ギリシャ神話を知っていますか」新潮文庫。六月十八日(火)
沸く
韓国がサッカーW杯に沸いている。日本はあれほどに沸騰していないが、でも中国も含めてアジア・サッカーが世界のどの位置にいるのかを今回確かめることができる。組織力や個人プレー、攻守の巧拙、体力差などが相対化していくのを目の当たりにできる。動きのいいアフリカ勢と伝統ある欧州勢との戦いぶりが見もので、にわかファンでも楽しめる。話は変わるが、戦後中国は毛沢東が牛耳り、蒋介石が台湾に逃れる。もともと太平洋戦争で中国に加担していた米国は、びっくりし反共の砦として日本の復興を強く望んだ。これが戦後日本の繁栄のシナリオだったのである。だからもともと中国・米国は反目しているように見えるが、その実は好意的なのである。大国に挟まれ、動かされてきた戦後日本の歴史ではあるが、これとは違う次元でサッカーを楽しみたいが、どうしても国民性が滲むのは致し方ない。先取先行して堅守だが、相手も同じ考えで戦うことは間違いない。緑ゆうこ「イギリスは理想がお好き」紀伊国屋書店。六月一日(土)
Show and tell
職に就いてから英会話教室に一度だけ通うことになるが、英語よりも会話の仕方に引かれた。先生は妙齢のイタリア系米国人で、教え方が新鮮なうえ、なにやらアチラの幼稚園の雰囲気を思わせた。なかでも「ショー・アンド・テル」。皆の前での口頭発表、言うところのプレゼンテーションです。自分の言いたいものを持ってきて、見せて(ショー)、その背景を話す(テル)します。それにクラスメイトが質問し、答える。私は何を見せたのかを思い出せないのは、いい加減なものを持っていったからでしょう。宿題もほとんどが、好きなもの、好きな本、好きな人などを述べなさいというものでした。いまこれを周りの人たちでやると愉しいだろうな、と思う。自分の言葉で語るプレゼンテーション文化はビジネスの世界だけではないのだが。かくて、かの地では幼稚園の「ショー・アンド・テル」を終えると、つぎは小学校で「プロジェクト」というのがあり、課題に合う本を読んで、その内容を紙芝居や模型で表現する。高校生になると「グループ・スタディ」があり、テーマと仮説をもち実際のデータを集めて検証する調査を5人ぐらいのチームで取り組む。幼稚園から社会人までプレゼンテーション能力を磨いている国があるのだから、敵いません。以心伝心の国はここでも分が悪い。五月十六日(木)
隣国の古層
韓国は、巨大な中国と激烈な日本に挟まって苦労してきたことは地政学的にわかるが、その心性はわかりにくい。古代韓国の穏やかな弥勒仏像をつくる文化をもつ民族だから気持は通じるだろうと思う一方で、最近の韓国人はつきあい難いとも感じている。その歴史のずれを深層から探ったものがありました。それは十六世紀の李朝中期にポイントがありそうです。この時代から繰り広げられた権力闘争である党争は、全国規模で世代を超えて繰り広げられた。それは儒教的であり自己を相対化せず、名分論をかざして白か黒かを迫り他者を斬る思考に特徴がある。一般の政争は一時期のものだが、李朝の党争の当事者たちは、子の代、孫の代になっても対立を続けているのは、朱子学のイデオロギーで武装した儒教的文化人だったことが大きい。朱子学で武装し、大義名分を論ずることを業とする人々には妥協が難しいという。「耽羅紀行」で司馬遼太郎はそのあたりのことを解く。朱子学は宋以前の儒学とはちがい、極端にイデオロギー学だった。正義体系であり、別の言葉でいえば正邪分別論の体系でもあった。朱子学がお得意とする大義名分論というのは、何が正で何が邪かということを論議することだが、こういう神学論は年代を経てゆくと、正の幅がせまく鋭くなり、ついには針の先端の面積ほどもなくなってしまう。その面積以外は、邪なのである。このように朱子学というのは大義名分を論じはじめると、カミソリのような薄刃を研ぎにといで、自傷症のようにみずからを傷つけ、他を傷つけたりもするイデオロギーの学といえる。とこれは抜書きの一部ですが、日本でもその朱子学が幕末の志士たちに水戸学として影響を与えたものの、内部抗争が激しく自滅した史実があります。朱子学を引きずっているのは韓国だけでもなさそうです。田中明「物語韓国人」文春新書。五月五日日(日)
六十年後の陪審員
確か一九七十年代に本多勝一氏が南京事件を掘り起こしていたのを覚えてますか。しかしその姿は今でも定まっていません。証言や史料はもちろん、戦後の東京裁判や南京裁判でも虚実相半ばです。一九三七年(昭和十二年)十二月に中国の南京に入城した日本軍は三十万人に及ぶ虐殺で裁かれた。東京裁判では十万人。これを今日、史料で吟味したらどうなのか、北村稔「南京事件の探求」(文春新書)をめくりつつ、およそ次のことが解った。中国側の大虐殺デッチあげという側面もぬぐいきれない。ハーグ条約を逸脱する捕虜二万人処刑は断罪の余地もないが、当時の安全区外の南京市内の記録からみても六週間も民間人の虐殺が続いたことへの疑問、当時の機械力や作業力から短期間に三十万体の死体処理はできたのか、当時の南京市の人口は二十五万人前後と史料から読めるがそれでも三十万人の虐殺の数字が使えるのか、などおよそ不自然なこともある。たぶん、南京陥落後の一九三七年十二月十七日に蒋介石が抗日戦争開始以来の全軍の死傷者三十万人と述べ自国民に奮起を促したことに由来しそうだという。中国人の愛国ゆえの誇張表現という向きもある。実事求是。日本軍は兵站補給をせず前進するのみで、捕虜の収容もできずせっぱ詰まって皆殺しせざるを得なかった。とどのつまりは、南方戦線での戦闘部隊の自滅・餓死の悲劇と重なる。日本軍国主義は残忍というよりも、無計画と場当たりな成り行きが支配していた面が強かったのか。その歴史経験がさらに矮小されて、例の有事関連法案が時代とのずれを生みながらも法制化の動きにある。成り行く民、内向きの民を今世紀も繰り返すとしたらおぞましい、というと論理飛躍ですか。四月二十日(土)
冷えたティオ・ペペ
自分を変えることはとても難しい。だがやり方次第ということもある。自分の好きなことをやれば、およそ心を解放できることをやれば、それをバネにして機嫌がよくなる。上機嫌な女は男の宝物だとしたら、男もある程度は機嫌をよくしておきたい。人間の上機嫌ほど、この世でめでたいことがあろか。ひとはみな寂し過ぎます。機嫌の風向きを変えウキウキ・ワクワクできる生き物なのに残念です。その辺のことを解って日々暮らしたら、と神様は微笑んでおられるような気がします。でもこの場合の神は上の方の誰かと言う意味であって、信じている訳ではありません。春の宵に、この先のあらまほしきことに思いを巡らす。それには冷えたティオ・ペペと生ハムも要りますねんけど。田辺聖子「かるく一杯」(ちくま文庫)。四月十二日(金)
きみには苦労かけるね
イタリア人は両手を縛られるとしゃべれなくなる。日本人はハッキリしろと言われたら黙り込む。この日本列島民族は成すことより成り行くままに国をつくってきたかもしれない。この心性は議員も役人も政府も同じであり、法人も同様です。さぁて今世紀のこの国の指導者はどうしたものか。国民に呼びかける時の直裁で味のない言いぐさ。言うところの構造改革には国民の痛みが伴うと。塩野七生「再び男たちへ」(文春文庫)は言っておる。国の指導者たる者は、国民を女と考えるべきなのだ。女は苦労がいやなのではない。きみには苦労かけるね、の一言だけでふるい立つのが、女というものである。女にかぎらず、苦労とは、「わかってはいるけれど」という想いだけでやるならばただの苦でしかないが、こちらがやる気になってする苦労は、苦ではなくなるのである。この辺の心理に通じている者だと、家庭なら良き亭主になり、国ならば良き指導者になるのだと思う。日本の進路は知識人タイプよりも、女の心理に通じている粋な男にまかせてはどうか、と。なるほど。マフィアと関わっていそうな指導者をもつイタリアでも、実はマンマ(おかあさんの意)が幅をきかせるお国柄ゆえか、EUの斜陽国と言われても中小企業は元気がよく、人々は陽気なのです。四月六日(土)
誰でもいい絵は描けるんやで (80)
北方の辺境に暮らしていても、近くの山や川や海は眼精疲労をいやす遠い景色です。毎日の中に生きものを育てたり飼ったりを取り込めずにいることが惜しい。若い世代も同じように自然や生産から遠ざかり、食べ物や生きものの現場を知らずにいる。こんなことではいけないとドイツのシュタイナー博士は生きるためのテーマ別エポック授業を考えた。確か小農園をやろうというのもあった。芋や野菜を育て、卵かけご飯のために鶏も飼うのもいい。未明のコケーコッコは近所迷惑としても、地方都市なら許される。さらに農園の出来事を写したり描いたりして、その相乗を楽しめるとなおいい。「兎の眼」(灰谷健次郎)の足立先生は、真似さえせーへんかったら、誰でもいい絵が描けるんやで、とエポック授業のようなことをやりながら生徒を納得させていた。今となっては頷けるが、幼い頃にそんな言葉はなかったように思う。さて森羅万象に感応しながら、ひとつひとつ描いていったら、まんだら絵のようなものに行き着くのだろうか。四月二日(火)
散蓮華
食堂で友人「汁すするさじ何だっけ」私からかい気味に「すみれと違ゃう?」友人「おばさん、すみれ」おばさん「すっ、すみれって」友人当然ふてました。汁をすする陶製のさじをレンゲ、散った蓮の花に似ているところから本当は散蓮華(ちりれんげ)というそうだ。食べ物で身近なものは何と言っても、おでん、きつねうどん、すきやき、お好み焼き、たこやきでしょう。ちょっと値は張るが、てっちり鍋も気にしたい。大阪心斎橋のてっちり屋で旧友が気ィつこうてくれた。河豚刺のてっさ、ちり鍋、白子焼き。でも最後に味がしみ出した汁にご飯をいれ卵をとじた雑炊を、散蓮華でいただいたのが一等うまかった。これも大阪の食いもんでしょう。思ったより安いし。田辺聖子「春情蛸の足」ちくま文庫。三月二十五日(月)
おっとっと
二度目のおっとっと。今度も際どかった。先週の夜にのどがつかえ救急医療に助けを求めた。でも直ぐにとはいかず翌一日準備にかかり、のどに管を通し広げて無事をえた。同音異義語のブジーというその措置は辛いものでしたが、開通したその時は蘇生できたことに目が潤んだ。最後にのどの流動をみるため造影剤を飲みながらレントゲン照射をする。医師「つぎは造影剤を飲みます」わたし「はい」、レントゲン技師「それでは飲んでください」わたし「えっ空っぽですが」、飲み下せる境遇に浮き足だちゴックンとやってしまった。医師「そうですか、ではもう一杯」わたし「はい何杯でもいただきます」という具合でした。こんなことも、どんなことも、出来事を丸呑みしようと思うようになってから気持が座りました。じたばたしても仕方がない。だから早々ではありますが、こっそり缶ビールをいただくことにしました。三月十七日(日)
取り違え
故人の池田弥三郎氏が福島県の山奥の温泉に泊まった時の話だそうです。下駄をつっかけ外へ散歩に出かけるたびに番頭さんが「じいさん、ばあさん、お出かけ」と大声で言う。自分は確かに若くはないがそんな風に言わなくてもと思ったので、糾してみた。実は部屋の番号が十三番で「ずうさんばんさんお出かけ」とのことでした。私もありました。東急ハンズの走りのころ、渋谷の交番で「東急ハンズは?」と道を尋ねたところ、オマワリさん「東急ハンドですか」。小声で「このひとなまってるね」と言われてしまった。金田一春彦「日本語を反省してみませんか」角川新書。三月十一日(月)
週一冊の愉しみ
本は寝床でしか読まないので文庫本か新書でないと具合が悪い。毎日のルーティンのなぐさみに三十ペイジほど読むが、本屋で週一冊の本を選ぶ愉しみもある。この春は藤本儀一、田辺聖子、灰谷健次郎といった関西三人衆からの選書です。ついでにお気に入りの書き抜きもしている。ではお披露目です。11PMでおなじみだった藤本氏からの書き抜き帖ですが、都合よく載せていますので怪しいところもあります。多くの人たち会った氏は人の顔に法則を見つけました。本当の笑いや人に何かを感じさせる表情の持ち主は例外なく謙虚であること。古本屋の親父さんしかり、苦労して会社を築いた創業者もそうです。数多くの顔を見てくると、心豊かな人は魅力に富んだ顔をしている。面白いのは人気のない人に限って表情が乏しい。いい表情の人に共通しているのは、自分はどうありたいのか、そのために何をすべきなのか、という自分を持っていることでしょう。将棋の大山さんに聞いた話だそうですが、勝負での自分の能力は八十五パーセントしか出せない。後の十五パーセントは体調だとか運やその他の要素なんだと。そう思って対戦すれば勝負に勝てるし、もし負けても納得できる。次もいい。文章でプロとアマの違いは省略の技法にある。いかに贅肉を落とし無駄を切り捨てるかである。説明文、論文、日記以外の文章を書くなら、激しいか毒を持っていないとまずい。商いと文章はカッとなったり悲しんだ時には決してやるな。藤本義一「モノの値打ち男の値打ち」ちくま文庫。三月一日(金)
日本語は畸形?
わが町の本屋に平積みされていた新書の一冊ですが、八重洲ブックセンターでも「はやり本」らしいですね。高島俊男「漢字と日本人」文春新書。日本語を漢字で書く困難と混乱は千数百年後のこんにちもまだつづいているという。漢字をその意味によって直接日本語でよむ乱暴な所業をなしてきた。たとえば「山」という字、これは音でサンとよんでいたが、日本語の「やま」に相当することがあきらかであるから、この「山」という漢字を直接「やま」とよむことにした。これをアタリマエと思うだろうけど、 mountain という英語を直接「やま」とよみ、dog を「いぬ」、cat を「ねこ」とよむ荒業である。しかも犬はケン、猫はビョーという本来のよみも保存した。これが日本人の漢字の音と訓の加工です。つぎは和語に漢字をあてるおろかさ。「はかる」には「計る」「図る」「量る」「測る」などあるが、これを使い分けるのはおろか。「はかる」でよい。和語に漢字をもちいる必要はない。形をかえた西洋語では、「権利」「義務」と言ったり書いたりするが、これは確かに日本語だが、その内容は西洋語である。形をかえた英語であり、漢籍におけるその語の意義を知らねばならぬという人があるとすれば、それは間違い。もともと日本人にとって漢字は借りものであり、日本語とあわなくて苦労しているのである。結論としては、音声が無力であるためにことばが文字のうらづけをまたなければ意味を持ち得ない、とうい点に着目すれば、日本語は、世界でおそらくただ一つの、きわめて特殊で、畸形な言語である。漢字は日本語にとってやっかいな重荷であるが、このまま生きてゆくより生存の方法はない。という。読んでいて気づいたのですが、である調とですます調の文が混在していても名調子。二月二十二日(金)
おいらの由来がきえた
それは一月二十九日の夕刻でした。翌日の現場では寒風が焼け残りの「十勝寶盟鑑」(大正十四年刊)をくっていた。明治二十三年日高国静内郡遠佛村に農業の目的を以って移住し…其の後十勝は土地肥沃なるを知り…同三十三年五月貸与を受け…八十二町歩余を出願し許可を受け、種牛種馬を求め繁殖飼育に努めたり…とそこには書かれていたはずである。淡路島出身の曾祖父と祖父は明治中期に北海道をめざし、その長子である私の父は設備投資の大型農業はめざさず、身軽な営農を心がけていた。でも趣味としては機械と電気がめっぽう好きでした。1950年代には水力の自家発電を設備して茶の間に電気を灯していた。小さなタービンに鮭が絡まると電球が薄暗くなり、水門を空けて鮭を採る。豊かな川でした。電気があるとラジオが聴ける。蓄音機を使って屋根の上から音楽を流していた。流しながら畑仕事なのだ。スッペ作曲の「詩人と農夫」を覚えている。あの田園生活は温かく深い少年時代の記憶である。だがおいらの由来はきえた。享年八十九歳でした。二月の練習曲はシューマンの「楽しき農夫」を弾くことにした。二月十五日(金)
モノクロ映画
四・五十年前のモノクロ映画が衛星放送で時々流れる。シドニー・ルメット監督「十二人の怒れる男」アメリカ・1957年がその一つ。NYのうだるような暑い夏の午後。法廷内の一室で十二人の陪審員たちが、父親殺し容疑の少年の「guilty」あるいは「no guilty」をめぐって一進一退の評決をくり広げる。郵便で通知されて陪審員となった普通の市民たちは、証拠と証言から誰もが有罪と思いこんでいる。これは思いこみの全体主義とでも言おうか。さて冒頭の場面から全員が有罪で一気に評決と思われたが、ただ一人少年の有罪を断定できないとする第8陪審員(ヘンリー・フォンダ)は証言の不確かさを粘り強く一つ一つ覆していく。ほかの陪審員も有罪と無罪のあいだを揺れながらも次第に少年の無実へと傾く。第8陪審員のたった一人の疑問と抵抗とが、ほかの人々の心を動かし遂に少年の無罪の表決を下す。誰が犯人かは定かではないが、疑わしきは罰せずが貫かれた。陪審員室から一歩も外へ出ることなく、お互い番号で呼び合うだけの名も知らぬ十二人の陪審員たちは、この一室で夕刻から翌日の朝までかけて無罪を確信するに至る。すべてを終え法廷を去る時、無罪を切り出した第8陪審員とそれを最初に支持した年老いた陪審員は、互いに名乗り合いはしたが別れはさらりとしたもの。たった一枚のカードがワンペアになり大勢を覆してゆくこの賭けは忘れがたい。単色の映画は愉しいですね。一月二十五日(金)
ふたりの博物誌
ルナールの「博物誌」(新潮文庫)は簡潔な言いまわしで「蝶、二つ折りの恋文が、花の番地を探している。」が知られている。かたや開高健の場合は一点凝集にむけて饒舌と技巧で迫る。ふたりとも好きなタイプです。では開高健の言いまわしを抜き書くと。ネコは人の生活と感情の核心へ忍び込んでのうのうと昼寝をするが、ときたまうっすらとあける眼はぜったいに妥協していないことを語っている。媚びながらけっして忠誠を誓わず服従しながら独立している。気ままに人の愛情をほしいだけ盗み、味わい終わるとプイとそっぽを向いてふりかえりもしない。爪の先まで野生である。これだけ飼いならされながらこれだけ野獣でありつづけている動物はちょっと類がない。横道にそれるが、生まれるのは偶然、生きるのは苦痛、死ぬのは厄介、というのも書いてありました。戻って、ペリカンはさびしくて、強健で、不屈である。などと表現する故開高氏を奥村大三郎は、彼は本来のナチュラリストではないという。そもそも何か物が好きという子供は、はじめのうちは誰でも機関車やおもちゃやカブトムシ、ザリガニなどと遊んでいるが、やがて機械や乗り物が好きな子と生き物の好きな子とに分かれる。それがやがて生涯の職業や趣味になるのである。一方、物が好きでない子供はいずれ抽象的なものを弄ぶようになる。つまりそれが文学者、思想家、芸術家、政治家という方向なのである。開高健という人は七歳になってから郊外の池や川で遊ぶが、やはり都会の人で、生まれながらの言葉の人で、物を詳しく見るより、それについての印象を言葉にして頭の中で練り上げる人であったと思われる。とのことです。奥本大三郎「開高健の博物誌」集英社新書。一月十八日(金)
小話に笑ふ
ジョークは巷に溢れているが、クスッとかニヤリと笑ふには遠い。腹を抱えて笑ったのは随分前だが、笑いすぎて内容は忘れてしまった。ベルグソンの笑いの本も、これは方法序説だから楽しくはなかったが、近頃の本にいいのがありました。靴下の話です。幼稚園の朝、子供が片方に赤、もう片方に緑の靴下を履いてきた。保母さんが、「あーら、マサオちゃん、珍しい靴下ね」マサオちゃん少しも騒がず「珍しくないよ、お家にもう一つ、同じのがあるもん」次のもなかなかいい。「グリーンランドの方がアイスランドより北にあるなんて、知ってた?信じられないよ。現実主義と理想主義の違いかなあ」と、こんな小話です。いくつか集めてみたくなる。阿刀田高「ユーモア革命」文春新書。一月十一日(金)
内田光子の世界 (02年)(70)
ピアニシモの内田光子はモーツアルトのピアノ協奏曲・ピアノソナタから始まり、ベートーベンのピアノ協奏曲、シューベルトのピアノソナタ、さらにショパン、シューマン、ドビュッシーのピアノ曲へと続き、音楽の深く暗い世界を垣間見させてくれた。特にシューベルトは極まっていると思う。この陰のある馥郁たる曲を聴けたのがうれしい。しかし彼女はこれに止まらず二十世紀音楽のシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンへと踏み込む。年末に内田光子率いる室内楽によるシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」を聴いたのだが、詩も歌うのでチンプンカンプン。でも無調時代の音楽とはいえシェーンベルクの「三つのピアノ」は愉しめる。因みにアルベール・ジロー原詩の「月に憑かれたピエロ」の「月に酔い」はこんな風に始まる。「夜の月は目で飲む酒を、波のように降り注ぐ、それで大潮は 静かな水平線を ひたしてあふれる。身震いするような甘い情欲が、潮の中を果てしなく泳ぎ渡る!夜の月は目で飲む酒を、波のように降り注ぐ。信心深い詩人は、聖なる飲み物に酔い、恍惚として頭を天に向け よろめきながら目で飲む酒を 吸いすする」と柴田南雄が訳していた。前世紀の不安と孤独は続いている。ところでシューベルトの即興曲を聴くならグルダもいい。虜になる。〇二年一月二日(水)
cojiki-01
トルソの源流... 3
おいらの由来... 3
仏教経済学はどこへ... 3
不思議なことばかり.. 3
仏教の話2.. 4
仏教の話1.. 4
暮しのラジオ... 5
気持よい国タイ.. 5
お気に入り本Ⅲ... 6
お気に入り本Ⅱ (60). 6
八百万神の日本... 7
お気に入り本Ⅰ... 8
早めの冬支度... 9
うどん一杯450円の路地裏... 9
挨拶は一人芝居... 9
檻の動物たちよ.. 10
絵本をもう一度... 10
年齢ことば... 11
ハッとする.. 12
初歩の初歩 (50). 12
野に寝る.. 12
ゆれる雇用... 13
一枚の絵と長靴... 13
チョウの道... 14
公共事業のこの国... 14
四月の風... 15
表現の三角環境... 15
夜鳥を鳴く. 15
頭が回らない... 15
メモなし人生 (40). 16
自画像は苦手... 16
カラクリご存知ですか... 16
村の語り部... 16
反逆者不在... 17
薪割り.. 17
イヌとネコ.. 17
ホームページのボランテア... 18
イスラム・ワールド.. 18
偉大な凡人... 19
低く語る (30). 19
さらばオリジナル信仰... 19
坊主頭は考えた... 19
隠居の手習いは時間ドロボー... 20
かんたん生活を続けるとしても (01年). 20
トルソの源流
二千五百年前の古代ギリシャの彫像は頭部がなくても立派に存在理由を持つ。ところがローマ時代の彫像は顔がなければ大理石の塊と同じになってしまう。フィレンツェにあるミケランジェロのダビデ像でさえも、あの顔をとられたら凡作になる。ローマをはじめとするヨーロッパ各地の美術館に散らばっている、あの時代のすばらしい彫像を前にすれば、彫像の製作技術は古代で完成されてしまったのか。というくだりを見つけ膝を打つ。自分の顔が残らない資料を作ったり、会議に顔を出すだけではね。身を引き締めないと。塩野七生「男たちへ」文春文庫。十二月十日(月)
おいらの由来
おいらの村とおいらの由来をずーっと知らずに来たが、大正十四年刊の「十勝寶盟鑑」に昔のこと載ってたので書き留めた。「君(祖父冨岡嘉七)は兵庫県三原郡片田村に明治十六年七月十三日生れる。長じて父と共に明治二十三年日高国静内郡遠佛村に農業の目的を以って移住し、茲に於いて十ヶ年間農耕に従事し…其の後十勝は土地肥沃なるを知り、北海の牧草豊富なるを以て畜産に適することを認め、同三十三年五月貸与を受け…八十二町歩余を出願し許可を受け、種牛種馬を求め繁殖飼育に努めたり…」とある。淡路島出身の曾祖父と祖父は明治中期に北をめざし、その曾孫は南に焦れる。日本は欧州が二百年かけたことを百年で駆けた。十一月二十三日(金)
仏教経済学はどこへ
これは忘れ去られた経済学なのか。現代経済学は生産努力で〈消費の極大化〉をねらうが、仏教経済学は適正規模で〈人間としての満足を極大化〉することにある。アジアの国々が穏やかに緊張感なく暮らしていけるのは、実はこの経済原理があったからである。しかし歴史を計画する国々が増え、時間を逆算し加速する政策で足早な経済成長をめざすその因果から、世界の工場をアジアに移しつつある。仏教経済学の中心技術は、伝統産業を支える在来技術を先進技術にくわえ改良していく、いわゆる中間技術だが、これは農村と都市を結ぶ技術としても広く地域に根付くものと考えられている。穏やかな地縁技術でもある。日本では三十年前の自治体改革の波に少し遅れて登場したのが、この地域経済・技術の理論である。当時沖縄を舞台に地域主義が語られ、リージョナリズム理論の下敷きとなったのがシューマッハ「スモール・イズ・ビューティフル」講談社学術文庫であった。アジア圏の人々はこのやり方・考え方を色褪せたものとできるのだろうか。十一月十六日(金)
不思議なことばかり
動物の不思議さは、自然淘汰のなかで進化してきたと思っても、なお不思議さが残る。キリンは昔の恐竜時代ならいざ知らず、現在の生き物の中で一番背が高い。首の長さが三メートル。高いところの食べ物を取るには都合よいが、心臓から血を送るのはどう考えても大変であり合理的でない。肢の先だって血の巡りが悪くなりそうであるが、動物園でもアフリカのサバンナでもゆったり生きている。動物学者は心臓のポンプが強いだけで不思議でもなんでもないと言う。ではキリンの網目の意味はどうか。孫引きだが、寺田寅彦はあれは乾いた地面にできる割目と同じ模様で、それ自体には何の意味もないと言っているが、あの網目模様がキリンの姿をアカシヤの茂みに消し去ってしまうそうだが。それではもう1つ、人間なら何日も水を飲まずにいると血液が濃縮し死んでしまうが、ラクダは長い間水を飲まずに生きる。でも一度オアシスの水にありついたら猛烈に飲みだめできる。それを胃袋に貯めるのではなく、水分を失った組織に貯えていくのでラクダはみるみる元の太った体に戻る。こちらは神秘的である。動物個体は種族維持など考えておらず、自分のためにだけ生きているというのが、一般的な見方である。日高敏隆「動物の言い分・人間の言い分」角川新書。十一月九日(金)
仏教の話2
大乗仏教では、釈迦仏教を否定して現世肯定の仏教をつくりあげるが、なかでも浄土教が注目される。これは西の方に阿弥陀如来という光り輝く永遠な仏がいる。この世で良いことをすれば阿弥陀様のいる極楽浄土へ、悪いことをした人は地獄へ落ちるというもので、その流れの一つが六世紀半ばに日本にやって来た。当時の聖徳太子は儒教の礼と仏教の平等の精神にもとづいて十七条の憲法を制定し律令国家つくった。太子が重視した経典は法華経で、やがて比叡山延暦寺を建て日本天台宗をつくった最澄に受け継がれていく。さらにこの比叡山延暦寺の中から新しい宗教や密教や浄土教や禅宗を生み出すが、その反動で正教へ帰れという日蓮も登場する。天台宗は十一世紀には天台本学論の思想を生み出すが、これは仏教思想ではなく、全てに神が宿るという縄文以来の日本の土着思想であるといわれる。さて現在の日本での宗教的儀式のうち、葬式・お盆・お彼岸・年忌供養などの死の儀式は仏教がとり行い、結婚式・誕生・七五三などの生命再生の儀式は神道が行う神仏習合であるが、この風習については次に調べる。十一月四日(日)
仏教の話1
仏教の教えは、紀元前五世紀にインドのガンジス川流域で活躍した釈迦牟尼という人の教えをもとにしている。それ以前のインドはバラモン教が盛んで、日本の縄文時代のように輪廻を信じていたが、それより強い因果応報の輪廻観でカースト制を維持していた。しかし釈迦はこの輪廻を否定した。人間界は生老病死の苦の世界で、原因は愛欲の執着にあるとした。執着から苦が生まれる。愛欲を断つため戒・定・慧という戒律を守って瞑想し知恵を磨けば愛欲から自由になれ、輪廻からも逃れられると、次のように説いた。この世は地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の六道からなり、衆生はこれを輪廻するが、この業から外れ、現し身の現実世界から逃れ、生まれ変わりからも免れる。これを涅槃に入るという。しかもどんなカーストの人間でも涅槃に入り悟りを開くことができる。これが釈迦の解脱の教えと四姓平等であり、仏教の二つの中心思想となる。その後紀元前一世紀頃に、悟りのために山にこもって釈迦の教えを忠実に守る小乗仏教では駄目で、民衆の中に入って救うべきだとする大乗仏教が生まれた。この民衆救済者を菩薩と呼び新しい菩薩仏教が広がった。愛欲の否定も否定の執着、つまり無の執にとらわれているとして、有無の執にとらわれない空の境地を説いた。十一月三日(土)
暮しのラジオ
毎夜の九時台はこのテレビ、十一時台はこのラジオと判で押したように過ごしている。でもテレビの方は広告が疎ましくニュース以外は録画が多い。ラジオは専らNHK第一放送を小さく流しているが、定時のニュースは手短でいいし、昼の憩いで日本の農村にひたり、寄席を聞き流し、列島ジャーナルで出来事を知り、ラジオ深夜便の頃に眠りに就く。「ラジオ深夜便」は深夜に聴かれると思われているが、実は三時や四時に目覚めるおじいちゃんとおばあちゃんが多いそうだ。続いて一番ラジオを聴く人が増えるのは早起きの人達がスイッチを入れる朝の四時から五時。ラジオに詳しいのはタクシーの運転手さんという。なるほど。私は零時前の日出時刻を聴いてから眠るが、那覇は札幌より三十分ほど日出が遅い。三谷幸喜監督作「ラヂオの時間」の映画でも、番組づくりで忘れ去られたローテクによる花火の擬音づくりを、ガードマン役の藤村俊二が演じていたのを思い出した。テレビもいいがラジオの方が気が楽で、眼を奪われず身の自由がきくこの受信機がありがたい。秋の夜長は枕もとにラジオかな。秋山ちえ子・永六輔「ラジオを語ろう」岩波ブックレット。十一月二日(金)
気持よい国タイ
日々の愉しみの根拠をどこにおいて暮していくのか。タイの国では「サバーイ」「マイ・サバーイ」の気持よいと気持よくないが、コトを決めていく基準だという。分け方も気持いい。しかも奥地の村人はお金を使わずゆったり暮している。日本はといえば工業基準はうまく動いたがタイのような生活基準をなくしてしまい、いまは「人様に迷惑のかからない」ように暮すこと位しか残っていない。さらに価値は拡散し旨い物もたくさんあり、ひとつのコトで済まなくなっている。列島を見ても都会に集積されたヒトやコトは富士山頂点型からアルプス連山型へと散らばり始めた。その流れを読み取るように、若者も散らばり「自然か不自然か」の心理でコトを決め始めたようだ。これは生物多様性の社会からは好ましい。しかも女の子の方が自然体でやりたいことをハッキリもって生き生きしている。その後ろ盾のOBA-SANも舞台に上がってきた。女性主導社会へ向かう。かたやOZI-SANは戦後の一仕事を終えたのか、ねぐらを離れて釣りに出かけたり、裏山に登り「嗚呼」と俳句をひねることで帳尻をあわせ始めた。が片目はOBA-SANと若者を羨望している。思ったことを気持よく続ける。アジアの国々に学ぶことは多い。森まゆみ「アジア四十雀」平凡社。十月二十六日(金)
お気に入り本Ⅲ
楽しんで読む。「鬼平犯科長」(池波正太郎・文春文庫24巻);昭和42年「オール読物」から始まる長編の大衆小説。盗賊たちの捕物と世話物がからみながら江戸の市井が描かれる。続きが読みたくなり時間を費やすことになる。違うタイプで山本周五郎の世界もいい。「ぼくは本屋のおやじさん」(早川義夫・晶文社);なぜ本屋さんに欲しい本がないかがよく分かる。本屋さんの商品構成は、本屋さんのオジサンが決めるのではなく、長い時間をかけてお客さんが決めるという結論に至っている。晶文社には面白い本がある。「あの世と日本人」(梅原猛・NHK出版);日本人に欠けていると言われるあの世に関して古代宗教から解き明かす。同じく併読したいのは「地獄の思想」(中公新書);梅原学の入門書的な位置にある本。日本の仏教思想そして文学における「地獄と闇」の世界を覗くことが出来る。「地獄と極楽の出会い」のくだりも面白い。「世界大百科事典」(日立デジタル);百科事典が一枚のCD-R0Mになっている。身近なパソコンで調べられるこの驚き。小さな図書館にいるような気分になれる。とりあえず調べようという気分には応えてくれる。「CD-R0M 星の王子さま」(岩波書店);子供向けマルチメディアだが、大人も堪能できる。これは楽しい。こんな世界もあるんだなー。もうひとつ。「声が聞こえる野鳥図鑑」(上田秀雄・文一総合出版);図鑑にバーコードがついており、それを別売のリーダーで読み込んで、さえずりと地鳴きを聞くシクミだが、一緒に鳴いてみよう。「ネパール」(トニー・ハーゲン白水社);スイス人である著者は半世紀前に鎖国を解いたネパールに入国し民族・農業・交通など国土をつぶさに報告。この国を知るまず最初の入門書。ネパールは貧しいが魅力のある国であることが分かる。さらに興味があれば、古今書院の「ネパール叢書」(全3巻「神話と伝説の旅」「ネパールの集落」「ネパールの人びと」)へ進んではどうか。川喜多二郎氏がかかわっており、内容的にも深い理解が得られる。「現代の職人」(石山修武・晶文社);建築家・石山修武氏が約60人の職人を訪ね歩くが、その道一途の人々が現代の生活・生産の質を問うている。林のり子氏の「むかし女は職人だった」、安藤忠雄氏の「近代建築の大棟梁」など面白い。今度生まれ変わったら職人になるんだ。十月十九日(金)
お気に入り本Ⅱ (60)
集中して堅めなものを読む。「政治家の条件」(ヘンリー・テイラー 至誠堂);人の集まるところに政治力学が生ずる。著者は19世紀ビクトリア時代の官吏。政治ばかりでなく、野心の持ち方・ケンカの仕方・出世の技術など当世風の話もあり、思わずのめり込む羽目になる。現代政治・行政への愉快な入門書の趣もあるので、雨の休日でしかも家族のいない午後あたりにお勧めの本。「異端論断章」(藤田省三・みすず書房);正統と異端の思想史的な解明というと堅苦しいが、内容は少し難解ですが魅力的。特に第三章の丸山真男・石田雄・藤田省三のてい談は読みどころ。もしも気力があればこの人の著作集(全10巻)に取り組むと現代日本の思想史の奥底がつかめるんですが、半年位はかかるかもしれません。さらに「丸山真男集」(岩波書店)を併せて読むとより思想史の立体的な読書体験になりますが、これも含めると一年間は棒に振ることになりそうですが、いかがですか?くわえて「丸山真男座談」全九巻は、座談の名手丸山の本領発揮で、これはいける。音楽の話もある。「政治・行政の考え方」(松下圭一・岩波新書);日本国憲法はオシツケ憲法ではなく世界史的流れでとらえることの意味や、国会の政策決定過程の不透明さと公共事業・公共政策のあり方など現代政治学の基本を問うている。また同じ著者で「日本の自治・分権」(岩波新書)を併読すると地方自治の地平線を眺めることが出来る。二冊とも今日の国レベル・地方自治体レベルの政治状況を把握するための書。「地域のデザイン」(吉阪隆正・勁勁草書房);故吉阪氏は日本建築界の大御所。建築家の本は息苦しいものが多い中でこの人の本は違う。地域を考える上でのヒントも豊富。例えば時代は□から○に移ってゆくとか。旅先の街の描写や人生訓が素直に語られるところは好感が持てる。出来たら吉阪隆正全集(全17巻)もどうぞ。吉阪の輪廻建築論に遭遇できる。これらの堅いものと併読できる音楽の本は「クラッシック超入門」(砂川しげひさ・東京書籍);この手の入門書はゴマンとあるが、聴いてはいけない曲とか、定年音楽のすすめとか、よく聴きこんだ人の本音があり楽しい。同じ著者で「なんたってモーツアルト」「つべこべいわずにベートーベン」「のぼりつめたら大バッハ」(何れも東京書籍)の三冊はもっと楽しい。でもこの人の漫画で笑ったことは無い。十月十二日(金)
八百万神の日本
降雪前のアフガン山岳攻撃が静かに始まったことをラジオは伝えている。目標はテロリストなのかアフガンなのか。人民殺戮や難民をどうするのか。これらを国連で多国間の調整もせず、米国外交は一気に包囲網を築き上げた。日本政府も後方支援に躍起となるが、当事者の防衛庁が尻込みしている。いざとなれば彼らは制服を脱ぎ捨てるかもしれない。平和を味わうと逆コース厭だ。米国にしても中東政策は拙かった。これをイスラム教対キリスト教の文明の衝突戦争とせず、またパレスチナ問題とも絡めず、イスラム原理主義のテロに限定した制裁でなければ更に拙いことになる。一方、日本がやれることに中東和平への仲介役があるが、経済や軍事専門家たちはこの考えは素人過ぎると一蹴している。確かに日米安保のただ乗りで日本は経済的繁栄をしたのは確かである。この非常時に中東問題に直接関わることは、日米安保の破棄は言うに及ばず米国市場や世界経済を失うぐらいの覚悟がいるかもしれない。その影響は日本だけではなくアジア情勢を混乱させるかもしれない。しかし日本だからできるこの新たな役割は考えておきたい。戦場の人民は戦禍を避けたいし、職業軍人とて出来れば逃げ出したいのだ。これが今世紀に生きる人の当たり前の気持です。厭戦。ジョン・レノンのイマジン。物事は理屈ばかりでなく気持の方も片付かないと上手くいかない。政治からも経済からも見放された人々、弱い立場の人々がこの世を凌いでいくには、きれいごとでなく、同時代のひとたちの広いつながりと参加と調整が要る。弱さと強さの問題は個人から政府間まで複雑に重層しているが、強者も弱者も時として、あるいは歴史の動きのなかで逆転していく。しかも両者は背中合わせで不即不離にことが運ぶ。この両者の間を判官びいきの立場から国際調整する。弱い立場に身を沈めながら、強がる者たちの秩序制圧を手なずけるやり方はないのか。弱者は恨みを捨て、強者は謝る。日本は身を粉にして両者をなだめ調整する。日本人が得意とする三方一両損はこの時のもの。大事にいたる前に両者の間を走り回る日本人。一神教をもたない八百万神の日本が調停に立ちあうことは世界の人々が許すだろう。原爆投下国という弱者経験も生きる。このやり方は子供じみていると思う方、ではどうしますか。一気に詰め将棋ですよ。この国の一部リーダーたちは時限立法だからと、長考もせず、逆コースにコマを進めている。山本周五郎「さぶ」新潮文庫。十月五日(金)
お気に入り本Ⅰ
小型本で生物と宇宙と絵画を読む。「サンゴ礁の生物たち」(本川達雄・中公新書);南の海の生物たちは多様である。平べったく派手な縞模様はなぜあるのか。しかも北海道の魚のように均一大量でないため市場向きではない。ウニ・ヒトデ・ナマコの話も面白い。同じ著者で「ゾウの時間ネズミの時間」(中公新書)は小さい動物も大きい動物も一生の間に心臓鼓動数や総エネルギー量は同じだとか、物知りになる。いずれも楽しい生物学の入門書。「森林美学」(新島善直・北大図書刊行会);ドイツ林学の「森林美学」を土台に札幌農学校の新島教授が大正時代に執筆したものの復刻版。樹形や街路樹への考え方も散見され興味深い。農村と都市を結ぶ古くて新しい学問分野かもしれない。森林美学。いい響き。「宇宙の果てにせまる」(野本陽代・岩波新書);この人の文章は分かりやすく、宇宙の誕生・成長・消滅の過程がよく理解できる。同じ著者で「ハッブル望遠鏡の見た宇宙」(岩波新書)にある写真も併せて見ると一層楽しい。中でもワシ星雲は感動的で、見れば見るほど考えれば考えるほど宇宙は謎だらけ。いずれも宇宙論の最新の入門書であり秋の夜向き。「薔薇のイコノロジー」(若桑みどり・青土社);絵画における植物、特に薔薇の意味を追いつつイタリア・ルネッサンス絵画論を展開。日本の菊と蓮、花と髑髏、シュール絵画のエルンストやマグリットの話が楽しい。ホントにためになり楽しい本である。同じ著者で「イメージを読む」(筑摩書房)は絵のイメージに隠された意味を主にイタリア・ルネッサンスの絵画に求めているが、これが虜になるほど楽しい。ミケランジェロやダ・ビンチの絵の謎解きをしてくれるが、これが美術史の勉強にもなっている。また同じ著者で「絵画を読む」(日本放送出版協会)ではブリューゲル・レンブラントなど12人の名画を図像解釈学する。これをイコノロジーと言うそうだ。ローマのシスティーナ礼拝堂やフィレンツェのウフィフィツィ美術館へ訪れるなら、これだけは事前学習しないと理解できない。くわえて塩野七生の著作を併読するとイタリアが広がる。「読書癖」(池澤夏樹・みすず書房);帯広にゆかりのある作家ですが、その読書世界は自然科学を含め森羅万象といったところ。読書案内書は数多あるがこの人の薦めるものいい。それに広く深く楽しんでいることが伝わってくる。でも書店に注文すると品切れのものもあった。何を読もうかと思案のときは頼りになる。今のところ全3巻まで。九月二十八日(金)
早めの冬支度
戦争の世紀が終わり、21世紀には局地戦争はあっても平和と環境の時代へ移るだろうと楽観していたが、9月11日のニューヨーク・ワシントン同時多発テロリズムは未解決の闇を見せつけた。農村を後背地とした長期にわたるベトナム戦争とは様相が違い、自爆・都市型テロリズムは市民を巻きこみ、すさまじい破壊力と恐怖を持ち込んだ。これが今世紀の都市型戦争なのか。都市型ゲリラが世界を同時の戦争状態にひきずり込むとは想像しなかったが、欧米のすばやい対応をみると危機管理当局は解っていたのだろう。アフガンの山岳攻撃は来週か再来週に始まりそうだ。文明の衝突との言い方もあり、まだ世界戦争とは呼びたくない。しかし米国の押しに負けて日本は兵站ラインの後方を担おうとしている。戦争の紐の端をつかみかけている。軍事物資・武器弾薬の補給は戦争への直接の加担になるというのに。この国はいつも議論不足のまま、ずるずるとなし崩しの国内立法をしてきた。米国のあとにつかず、独自に中東和平交渉とイスラム圏への社会援助に乗り出すことが本筋なのだから、この日本列島に生きる市民の意志や行動の基本はそこに置きたい。でなければ原爆投下当事国としての戦争経験が生きない。と思いつつ、日々の生活にうずくまりながら配られた新聞を見てラジオに耳を傾ける。北国は早めの冬支度にかかる。小田実「日本の市民として考えること」9月13日付朝日新聞。九月二十一日(金)
うどん一杯450円の路地裏
うどんは大阪の新世界ジャンジャン横丁の「ホルモンうどん」が旨い。おばさん経営で一杯450円也。長いカウンターがあるだけで、設備投資が感じられない造り。うどんの具には牛内臓をじっくり煮ふくめたホロホロのホルモンがのっている。タレの色は濃いが、あっさり目のしょう油味。うどんを啜るといずれもうまくからんできて、暑い大阪に似合うヤツだなと合点がいく。この界隈には碁会所、呉服屋、コーヒー屋、装飾屋などが古い佇まいのまま狭い路地裏にひしめいていて懐かしい。狭い道ほど人が群がり賑わう。いままで広げるばかりの都市計画とまちづくりは一体なんだったんだろう。路地裏の生活をもつ街は楽しい。米国国立保健研究所「50歳からの健康エクササイズ」岩波書店。九月七日(金)
挨拶は一人芝居
挨拶は避けたいと思っていても、会合で突然の指名やらシゴト絡みでどうしてもの場面があるが、できる事なら原稿を作って丸ごと暗記し挨拶する、丸谷才一式がいい。その場ごとに当意即妙のアイデアを出せる訳もないし、笑わせる技量もないから当然のこと準備をしたい。暗誦力は日に日に衰えているので、わかりやすい言葉ですっきりと頭に入る、きれいな言い回しで、内容のあることを短く言ってみたい。加えて試したいのは、気分の整っていない場面をピシッと一つにする笑い。笑いとユーモアがうまくいけば、話が落ち着き奥行きがでる。挨拶のルールの第一は一般論や抽象論は言わない。どうしてもなら簡潔に面白く。第二にエピソードや悪口にならないゴシップなど具体的なものを使う。第三に原稿が出来あがったら題名をつけてみる。これが挨拶の黄金律で、とにかく一人芝居なんだから、せっせと台本と演出と演技を考えるのが大事ということです。丸谷才一「挨拶はたいへんだ」朝日新聞社。八月二十四日(金)
檻の動物たちよ
檻のあなたたちは哀しくて鳴いているのですか。動物園内の巡回では自在に動けるように長靴と帽子を身につける。まずは鳥類舎のキジバトの「デーデーポポー」を聞きながら、コンゴウインコやインドクジャクの極色彩を目にとめ、ペリカンとフラミンゴといった水辺の鳥たちの様子をみる。サル山では集団行動の具合、カバのでかい欠伸に見惚れつつ、極寒地の地味なヘラジカの食欲を調べて、エゾシカの角の成長を触診する。アメリカバイソンの子ども二人の成長を観察しながら、トナカイのこれまた角の成長を点検。ビーバーの泳ぎぶりを見て、ヘビや百年経つといわれるオオサンショウウオのじっとした姿をこちらもじっと凝視する。トラのぐるぐる散歩やライオンの昼寝と原っぱのラクダの咀嚼をみた後は、アシカとアザラシに「ヨーッ」とあいさつ。目が合うのでそうなってしまう。ゾウの鼻汁をかわし、哲学者マンドリルの歌舞伎顔をふしぎと思いつつ、キリンに柏の葉をやり、シロクマに手を振る。子ども動物園にはアライグマ、スカンク、エゾタヌキ、キタキツネ、ピグミーヤギ、アヒル、ウサギ、モルモット、エゾリス、モモンガ。猛禽舎にはオオワシ、ハイタカ、「ピーヒョロロ」のトビ。遊園地では豆汽車の汽笛を聞き、観覧車を見上げて巡回を終える。檻の中の動物たちよ、食事つきで暮らす都市生活になれて、もう古里のアジア・アフリカでみせた野生の血がたぎることはないだろうが、この地でゆっくり長生きするといい。竹田津実「食べられるシマウマの正義・食べるライオンの正義」新潮社。宮嶋康彦「日本カバ物語」情報センター出版局。八月十四日(火)
絵本をもう一度
この国には十二世紀の「絵巻」という世界でも屈指の物語絵の伝統があり、絵で物語る豊かな文化を持っていたことから今手にする絵本の水準も高いという。ひとは生涯に三度絵本を読む。まず自分が子どもの時、子どもを育てる時、人生の後半に入った時である。子どもには無論のこと大人にも厄介な生死を扱ったものでは、スーザン・バーレイ「わすれられないおくりもの」評論社、マーク&ダン・ジュリー写真文「おじいちゃん」春秋社、大塚敦子写真文「さよならエルマおばあさん」小学館、自分の人生の証をつかもうとした柳澤恵美「ポケットのなかのプレゼント」ラ・テール出版局などがある。また写真と文が一体となった質の高い星野道夫写真絵「クマよ」福音館書店、清々しい澄みきった気分にさせる谷内こうた文絵「なつのあさ」至光社、横長見開きの絵巻のようでしかも余白と余韻を楽しませるワンダ・ガアグ文絵「100まんびきのねこ」福音館書店、ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」と合わせ読みするとより深まるマリー・ホール・エッツ「もりのなか」福音館書店、姉崎一馬「はるにれ」福音館書店、創作絵本の佐野洋子「100万回生きたねこ」講談社、沢田としき作絵「アフリカの音」講談社、長新太文・茂木透写真「ふゆめがっしょうだん」福音館書店、ロバート・T・アレン文・ジョージ・パステック写真・藤原義久訳「ヴァイオリン」評論社などがある。これから読もうと思う。絵本は語りが少なく説明的でないのがいい。自分の絵本を作ることによって人生の証を掴む法がありそうです。河合隼雄他「絵本の力」岩波書店。八月一日(水)
年齢ことば
天命とは運命をいうが、天命に運命と使命の二義が含まれているため論語の「五十にして天命を知る」の天命は、運命(自分にはこれだけしかできない)なのか、使命(これだけはどうしてもしなければならない)なのか、解釈が分かれているという。故事の年齢ことばを並べると自分の歩みと位置が解る。孩提(がいてい)二、三歳の幼児で笑う(孩)ことを覚え抱きかかえられる(提)年齢。三尺童子(さんせきのどうじ)七、八歳で身長が三尺の歳。幼学(ようがく)昔十歳で師について学んだ。志学(しがく)十五歳で孔子が学問に志した年齢。笄年(けいねん)女子の十五歳で初めて髪に笄(かんざし)を挿す年齢。破瓜(はか)女子十六歳で爪の字を二分すると八と八になることから。男子は六十四歳で八かける八は六十四から。弱冠(じゃっかん)男子二十歳で二十歳を弱といって元服して冠をかぶったことから。丁年(ていねん)二十歳で一人前の人間として認められる年齢。壮年(そうねん)三十歳で働き盛りの年ごろ。而立(じりつ)三十歳で孔子が独り立ちできるようになった年齢。不惑(ふわく)四十歳で孔子が心の迷いが消えた年齢。強仕(きょうし)四十歳で『礼記』に「四十日強而仕」とある。桑年(そうねん)四十八歳で桑の異体字が四つの十と八に分解できることから。知命(ちめい)五十歳で孔子が天が自分に与えた使命を悟った年齢。耳順(じじゅん)六十歳で孔子が他人のいうことが素直に理解できるようになった年齢。還暦(かんれき)六十一歳(満六十歳)で干支が六十年で一回りして元にかえることから。従心(じゅうしん)七十歳で孔子が自分のしたいことを思いのままにしても人の道を踏み外すことがなくなった年齢。古稀(こき)七十歳で杜甫の詩「人生七十古来稀なり」から。さらに日本で使われる長寿のことばを並べると。喜寿(きじゅ)七十七歳で喜の字が七十七と書かれることから。傘寿(さんじゅ)八十歳で傘の略字「仐」が八十に似ていることから。米寿(べいじゅ)八十八歳で米の字を分解すると八十八になることから。卒寿(そつじゅ)九十歳で卒の略字「卆」が九十ににていることから。白寿(はくじゅ)九十九歳で百から一を引くと白になることから。茶寿(ちゃじゅ)は百八歳だがこれはどうして? 宮本輝「草原の椅子」幻冬舎文庫。七月二十七日(金)
ハッとする
出かける楽しみは旅にもあったし映画館や動物園にも心弾むものがあった。しかし今は分が悪い。茶の間が映画館になり、旅も野生動物も至れり尽せりの記録映像が提供されるので欠かさず見てしまう。見るより見ない方がいいのかもしれないと思うことさえある。映像経験は現地で味わう最初の感覚を弱めるだろうし、既視感がありハッとできない。万博やテーマパークにも出かける楽しみがあったが、あのお祭りも下火になってきた。いまの時代は、心弾む面白いエンタテイメントを絞りきれないでいる。集団ではなく個人化しているから産業側は大掛りに準備できなくなってきた。しかも個人の毎日と毎月と毎年を区切っていく心理や生活は液状化して掴みどころがない。四区分の季節のそれさえも毎日の強さに比べれば弱い。せめて旅の時は事前に知らない方がいいことが、これからはある。情報を少なくすることで自分の鮮度を保とうとするのは狭量ゆえだが、情報で捨てきれないのは朝刊くらいだろうか。これは朝のお祈りだから。宮本輝「ドナウの旅人」新潮文庫。七月十六日(月)
初歩の初歩 (50)
ごはんとみそ汁から教えてくれる料理の本がある。料理家の大原照子さんがお年よりのために実際に作りながらまとめた「男子七十にして厨房に立つ」(朝日新聞社)である。簡単で気に入ったのは「肉豆腐」。豚肉の上に豆腐を並べるだけのもので、豆腐が肉汁で色づいてきたら浅葱を散らす。シジミのみそ汁も作る。これが絵入りの同時進行表になっていて親しみやすいし、「ここは火を止めてゆっくり」とか書いてあり、慌てなくてすむ。こういうのが大事なんだと思う。十五年前の本なのでもう売れてないと思うが、若者というか小中学生用の読本として改訂したらと考えるのはお節介か。いずれどこかで男も料理することになるのだから。スウェーデンには老人たちが割引料金で安く食べられるレストランが街のあちこちにあるという。台湾やベトナムでは朝から家族で屋台で食べるそうだが、こういう社会も羨ましい。台所で料理もするが、お年よりが外食しやすい街は住みやすい。後半から始める初歩は下ろしたての山わさびの味。辛くて涙がじわーっとしただけではなさそう。七月四日(水)
野に寝る
オートバイはともかく野宿には縁がなかった。山奥に暮らしていたので隣街の高校へはホンダのカブに跨り往復50キロのジャリ道を転倒しながら通った。転んだついでにカラッポの空を見上げ取りとめもないことを考えていた。このままでもいいな。目的のある大人にならなくても。起き上がるのは面倒だったが腹が空いてはどうしょうもない。それからは皆と同じ行動をとり時間割のある歳月を送ったが、そこは喋り過ぎ、交わり過ぎの社会であった。ストレスのほとんどは対人関係から生じ、すべての不快は人の関係から生じた。だから人と交わらない一人旅や野宿をしようと思っていたが今まで実行はしなかった。本当に休まなければならない時は経験を積むとわかる。顔が歪むからわかる。動物は旅に出ない。人間だけが巣から出てプィと旅に出るが、人と交わらず野で寝ることは少ない。さてバイクでの野宿は尻込みしてしまうが、中古軽四駆の助手席を寝床に改造して釣りのあとは山奥で寝るとしようか。日本を北上するときは日本海沿い、南下の時は太平洋沿いだとつねに海を身近に感じることができるという。花村萬月「自由に至る旅‐オートバイの魅力・野宿の楽しみ」集英社新書。六月二十九日(金)
ゆれる雇用
安定感のない社会だと感じませんか。主因は勝者と敗者が経済や雇用をめぐって二極化に向かい、中流(意識)が崩れていくからだとも言われている。地域社会にも不安・不穏な風が流れ出す。事件も頻発。サラリーマンを時価評価で分類すると、第一分類「収入増」、第二分類「現状維持」、第三分類「収入減」、第四分類「解雇」に分けられ、その分布は10%、20%、50%、20%であろうと考えられている。しかしこの分類通りに実行すると雇用ショックを引起こす。理由は従業員が自己評価した場合、第一分類10%、第二分類80%、第三分類10%、第四分類0%になるからである。このギャップをどう社会制御していくかは未だ誰も回答を持たない。ただ雇用のかたちは多様化することは避けられない。すでに派遣、複数年契約、長期継続雇用の併用が進もうとしている。例えばフロントオフィス(企画・開発・営業など)では一部の幹部職員を除いて、その大半が三・四年の契約社員からなり、平均年収は千二百万円。そしてバックオフィス(総務・財務など)は正社員の長期継続雇用者で年収五百万円組と派遣社員で年収七百万円組といった具合である。さてわが自治体の場合はワークシェアリング方式を採用する時期にさしかかっているのではないか。現所得を半減しその分で雇用倍増するブラジル方式である。糸瀬茂「日本経済に起きている本当のこと」日本経済新聞社。六月二十二日(金)
一枚の絵と長靴
狭くもなく広くもない庭を五年前に手がけた。広さは約八十坪でテニスコートくらい。ガーディニングブームと重なったが、こちらは小鳥がくる小さな雑木林を考えた。石ころの多い荒地だったのでダンプで土を何十台も入れ三年間は土台づくり。街中なので了見が狭いと思いながら塀を回した。これは英国でいう家の裏のバックガーデンに当たり、焼肉も昼寝も自由な私的な庭とした。英国の庭がキレイに見えるのは実は家の前のフロント・ガーデンのお陰である。公的な空間なので皆手入れを怠らないことは民泊したとき解った。ともかく、好きな長靴を履き麦わら帽子をかぶり汗まみれになる。木と球根を植え翌年を待つ。越冬したあとの春、その後の短い夏。木草花が光合成しながら自ら描く一枚の絵は得がたい。ライラックの玄関アーチも出来つつある。小鳥のため実のなる木や飛んでいるときに目立つよう高木のゴールデンニセアカシヤも植えたが、いまだ五、六種類しか飛来しない。多くはスズメとカワラヒワ。たまにヒヨドリやシジュウカラやツグミ。園路は枕木なので雨の日はサンダルで歩ける。土止めも枕木だからレイアウトは自在。とココで息が切れ今年は雑草抜きをデメン(出面)さんに頼んでしまった。あるまじきことか。吉谷桂子「英国ガーデン日記」東京書籍。六月十五日(金)
チョウの道
モンシロチョウなどは花が沢山あるところは急にゆっくりフラフラと飛ぶ。しかも上下左右と目まぐるしい乱舞にパターンはあるのか。ずーっと気になっていた。この回答ではないがチョウの道というのが解った。チョウは日の当たっている木の葉に沿ってゆっくり飛ぶそうである。でも光や木の葉とだけ関係があるのではない。温度とも関係ある。春のように気温がそれほど高くないときは、日の当たっている場所を結ぶ線になる。ところが夏になり気温が上がると、こんどは日陰の涼しいところを飛ぶ。道は一定ではなく、季節によって、天候によって、一日の時間によって、そして気温によって、さまざまに変わる。飛ぶ好みの順序は、裸地より草地、草地より木、日陰より日向である。チョウの道は風か何かで決るのではなく、またナワバリでもなく、食物の在り処でもない。日の当たるチョウの道を飛びながら、そこで見つけた花のミツを吸い、見つけたメスと交尾し、見つけた草に卵を産む。チョウの生活は随分とゆきあたりばったりなのである。さて初夏の原っぱに出て確かめてみようか。日高敏隆「チョウはなぜ飛ぶか」岩波書店。六月一日(金)
公共事業のこの国
同じ川に架かる長大橋、キツネやタヌキがでる高速道路、過剰な農業基盤整備、ムダなダム。前世紀の後半に国も自治体も公共事業で日本の国土をいじり過ぎたことが、わかり始めた。しかし自治体に必要もない高水準の設計と高単価ではじき出された公共事業は、今も健在です。地域の経済と雇用に絡んだシクミ。このシクミは政官財でさらに強化され選挙で仕上げ。その公共事業を支える「道路特定財源」の再配分に手をつけだした。当然のなり行きです。一方PFIという新手の民間型公共事業が始まろうとしているが、これはイギリス生まれの考え方を焼き直ししたもの。介護福祉のお手本はドイツだったけど、またも密輸入。明治時代から「役所がやってくれる」「会社がやってくれる」という思い込みで働いてきた日本人と、外国手法の密輸入による国土づくりが対をなし今の日本のカタチができた。八、九年前ロンドンのコベントガーデン近くの小さなホテルに泊まっていた。夜になると何もすることがないので、ダフ屋からチト高いチケットを手に入れ「キャッツ」を見にいった。終幕であの歌「メモリィ」を聴いていた隣のインド人家族はグスッと。私もイミはわからなかったがジィーンとなり、帰り道で寄ったパブで独りビターを数杯。寂しい夜だったが気持ちは満たされていた。五十嵐敬喜「公共事業は止まるか」(岩波新書)。五月二十一日(月)
四月の風
四月の風が吹いた。自分が動き、世もわずかに動いた。ソシキから降りない限り、最大の自己研修の場はやはり人事異動。このシゴトを手がけようとは思いませんでしたが、今度はなんと動物園です。全国に96ヵ所の動物園のうち公立は69ヶ所あるそうですが、これから更にしんどい経営を迫られるでしょう。しかしゴミやお金だけを再生産する経済に公的資金を投入したり、むだな大型公共事業を続けるより、市民生活を楽しめる公共経済の方が市民は納得するのではとも思います。四月は風にゆれる帆掛け舟でしたが、五月からは小さなエンジンを積んだ独航船に乗りかえます。おびひろZ00のアドレスはです。五月一日(火)
表現の三角環境
何かを表したくなる手始めはやはり絵でしょう。小さいころは絵日記ですが、今は世界の美術館などに足を運びますから、どうも見る方に目が肥えて、自分の表現を怠ってしまう。感じたことを絵で表現し、それに短い文章を添えられたらいいですね。さらに描きつかれたら楽器でほぐす。こんな自己表現の三角環境があればうれしい。風間完「えんぴつ画のすすめ」(朝日文庫)。四月一日(日)
夜鳥を鳴く
夜の鳥を鳴いてみたくて練習中です。鳥の鳴き声をコード化した本を読み取り機械でなぞると、鳴り出す。その真似をする。夜は古いジャズを聴きながら少しの酒をいただく。一段落したころにコノハズクやフクロウの声を真似て鳴く。聞き做しはコノハズクが「仏法僧」、フクロウが「ボロ着て奉公」という具合。フクロウ類は大きな目なのでわずかな光で物を見る能力がある。さらに顔の前に目があるため物を立体的に見ることもできる。鳴きたい方は貸出しますので一報ください。夜鳥ばかりでなく日中の野鳥も鳴けます。三月二十三日(金)
頭が回らない
仕事ではじっと座っているのは苦手で、座ると頭が回らなくなってくる。ある程度まで考えこんでおいてから、建物をゆるりと一周でもすれば「あっこれだ」と思ったり手直しを発見できる。歩行と思考にはつながりがある。でも自分の生活時間になると逆にベッドに寝そべらないと頭が回らない。思いつき段階でシメタと缶ビールなどを手にすると、とろりと消えて雲散霧消。考えがぐるぐる回り出したら散歩が一番。しかし暇人と老人しか散歩しない国の場合は目立つ。そして怪しまれる。三月十六日(金)
メモなし人生 (40)
メモを印す代表的文房具は手帳だが、材質やデザインさらに記入様式まで含めると店頭での即日購入はむりで出直したくなるほどアマタ。ともかく「記憶より記録」ということでメモや手帳が使われる。これは梅棹忠夫氏が知的生産の方法で力説された。ところがメモも何もしてこなかった人もいます。メモを取らないマイナスは忘れて繰り返せない。プラスは必要ないことは消えて自分の判断で覚えている。利用できるかたちで覚えている。メモが持つ蓄積力に欠けるがペンも紙も要らない。そんな記録しない無文字人間がいるんです。国土計画の大家ですが。こういうメモを取らない人は、正確な意味で自分の知恵とかアイデアはないと言い、人の脳を頼りにしているから出来るだけ異分野の人にあったり本をざっと読むという。さて吾はくたびれた小さな手帳を使っているが仕事用なのでやがて不用になる。だが先の達人にはなれそうもなく21世紀の手帳なる小さなパソコンを仕入れた。通信機能つき。軽くて犬みたいにつれて歩けるから、やがて個人文化の介助犬となるのか。いやもう頼っている。三月十一日(日)
自画像は苦手
自分の顔を描いたことありますか。私はない。録音機の声を聞くのさえ照れるから。モノとかヒトに投影して自分を覗くことに馴れているので直接の自分は苦手だ。ひとはだれでも自画像を描いて生きるし、自画像を描くために生きている。としたら絵や文や音で自画像を求めて色々なコトやっているのでしょう。大正時代に描かれた村山槐多〈茶色の自画像〉の頑固で迷いの深い顔は忘れられない。それに〈尿する裸僧〉は赤黒い汚い絵だが自己崩壊と自己定立の同時を感じる。凝っていても理屈っぽくない。説得的だが重くない。デジカメで流行りの自分撮りをしてみよう。でも照れるネ。役者になるわけでもないのに。三月一日(木)
カラクリご存知ですか
なぜ日本がまだ成り立っているかと言えば、財政という虚構の貸借対照表によるカラクリです。公的資金によって救済した金融システムに巨額の国債を吸いこませ、貸借対照表の右と左を往来させる。そうして捻出したマネーでもって圧倒的な需要不足をバランスさせている。供給サイドから紙幣を注入するというフィクションによって、国家の正体を隠しながら権力を維持させているに過ぎない。という文に出くわしました。これマクロ経済ですね。誰かこのシクミを教えてください。本でもいいです。二月二十二日(木)
村の語り部
おらの村は今こそナウマン象と酪農の村だけど、ずっと昔は火山灰が運ばれてきたやせた土地で、それを先祖が苦労して除いて畑にしたんだ。育った家は木造の藁葺き屋根だったが、いつ頃だったかトタン屋根に葺き替えた。「北の国から」に出てくるような家さ。冬は今よりずっと寒かったけど薪ストーブが真っ赤になるほど燃やした。水は涌き水を引いてきたので夏でも冷たい水が飲めた。昔は街へ出るときは徒歩か馬が引くホドウ車だった。冬は踵の上がる長靴スキーで街へ出かけたし、裸馬で通学もしたね。家族も奉公人も皆な月が出るまで外で働いていて、祖母が一人で家事一切を仕切っていたな。何でも手作りさ。酒だって造ってた。密造だね。父兄参観日に街に出ると母親がよく生菓子を買ってくれた。柔らかな皮の中の餡が意外にさらっとしてて旨かったな。外食なんてしたことなかった。電気は自家用の水力発電機があったから小学五年の頃に街の電気屋からテレビを買った。父親はなにせ電気製品が好きだったからね。白黒だったけれど、大晦日には近所の人が来て寝っ転がりながら紅白を見てた。子供の頃のテレビはプロレスで力道山の空手チョップ。強かったね。喧嘩のときもチョップさ。ラジオは赤胴鈴之介と少年探偵団。続きものだから毎日楽しみにして聴いていた。ご飯のおかずはカボチャの煮付けにイモ汁だけとかね。昔の生活はこれでも楽しかった。二月十六日(金)
反逆者不在
薪割りの鉞で思い出したのは、「近頃はカミソリが多すぎる。マサカリがほしい。木を切り倒さなければ、紙だって作れやしない。ひとかどの人物とは反逆者のことである」(むのたけじ)だが、今はカミソリ人間ばかり。大勢同調者になってしまい、逆らうことがなくなってきたのは、もしかして老いの社会ヘ入ったからなのか。あるいは社会が成熟したからなのか。カミソリのように切れる人などと言うが、やたらピカピカしていて今では扱いに困る。マサカリ担いだ金太郎♪なんて歌がありました。二月十三日(火)
薪割り
仕事場までの雪道を週ニ・三回歩く。往復一万歩。今朝は氷点下ニ十ニ度でほっぺたは痛く手袋の中は拳固。ナナカマドの房も霜がついた乾し葡萄のような。厳寒期なると薪とマサカリの田舎生活を回想する。薪割は嫌だったが始まると夢中になった。パチパチ燃える薪ストーブで暖まりながらNHKのラジオを聴いた。同じ頃海の向こうでは、Ella FitzgeraldおばさんとLouis Armstrong おじさんの歌が流行っていた。年に数回「ELLA AND LOUIS」(1956)を聴く。半世紀前の人の声はこんなも太く低かったのか。夜道を歩きたくなる。居酒屋の方角へ。二月九日(金)
イヌとネコ
昔のわが生家は家畜で生業をたてていたがイヌやネコもいた。当然ウシは大勢いましたが気が合うのは子牛の時だけで、成牛になると給餌の時しかなつかない。ウマとは話したことありませんが大雪の時は背中に乗せてもらい通学しましたから分かるんですが、こちらの気持は理解している。いつも下向いて餌を食べているニワトリやブタやヒツジとは話したことはない。しかしイヌとは目を見ながら話ができる。ネコは通じるけれども通じない面もある。イヌはタレントのように何でもヤルが、ネコは役者のように何かをやってしまう。イヌは何でもやるから忙しくて自分を変える暇がない。尻尾はふるわおすわりはするわ、お手もする。ネコはこんなこと一切やらない。いったん目を覚ますと何かをやりたいネコだから、ヒトのオカズは取るわ障子は破るわで、自分も周りもまったく変えてしまう。雨の日はとことん眠いネコ。人の心を読むイヌ。動物のいる生活を再びと思う。森の生活があるならイヌ、縁側に座布団をおける家ならネコと同居したいが、都市生活ではムリ。加藤由子「雨の日のネコはとことん眠い」(PHP文庫)。中野孝次「犬のいる暮し」(岩波書店)。二月二日(金)
ホームページのボランテア
おばあちゃんたちのホームページを覗いたことありますか。次をクリックしてください。写真や俳句が載せられ、お絵描きの「柿」もいい味に仕上がっています。紙芝居は声まで出る。自分たちをジジババと居直っているのも素直でいい。これは全国公開型です。私は身近な人たちでヤリトリする半公開型ネットワークを考えたい。広げても年賀状を出し合う範囲とする。知り合いでHPを覗きあう。「おーっ近頃はそういうことやってるんだ」「へーっ意外な面があるんだ」とか思いながらメールを送る。知らない人たちに発信せずヤッフーにも登録しませんから同好会のようなものでしょう。見知らぬ人の覗きもなく不審なメールに困ることもありません。そんな訳でパソコンを持っていて「さーっやってみよう」という方は、声を掛けてください。プロバイダに繋いで一枚のホームページをつくることころまでは手伝います。「伝える・応える」の楽しみは古くからある手紙ですが、新しい通信道具で増幅させませんか。話題を蒔いておいて、居酒屋でそれを肴に盛り上がればまた楽し。電子公開手紙をやってみたい方にボランテアします。一月二十八日(日)
イスラム・ワールド
あいまいな日本で息をしているとイスラム世界に焦がれます。預言者マホメットによって興されたイスラム教は、神と人の間に介在者(聖職者)を認めていません。聖法コーランには、神の一元性、毎日五回の礼拝、金曜日のモスク集団礼拝、九月の断食、儀式、民法、刑法、経済法など広く具体的な規律が定められている。飲酒、豚肉、バクチなども聖法で禁じられています。とくにコーラン第2章275節における利子の禁止、投機の排除、買い占め禁止、貯蔵の禁止などの経済原理は、日本の金融・金拝社会の対極にあります。個人と神が直接契約するイスラム教。神の前に平等ですから、川や森や石油などの基本資源は集団あるいは社会の公的財産となります。イスラムは基本的にヨコ社会であり、タテの関係は神と人の約束で成り立つ。つまり他人の目がなくても神との約束が行動原理となるということですが、私は神と契約していませんから心の底は旅烏です。イスラム・ワールドに住む人々は十億人。一月二十六日(金)
偉大な凡人
東京に出た十八歳のとき、中村哲という憲法学者の先生を知った。確かズングリで丸顔だった。穏やかで人を包み込むような人柄は大講堂のマイクを通しても分かった。テキストは懇切丁寧なあまり分厚くなっていたが軟らかなザラザラした表紙で人柄が出ていた。穏健な性格からか多くの学生をそのゼミに集めた。でも私は当時三十代半ばで新進気鋭の松下ゼミを選んだ。中村哲教授は地味な学者であったが若い学者から「偉大な凡人」といわれ慕われていた。世の中を驚かす憲法理論を持たなかったが「柳田民俗学の研究」でも知られていた。偉大な凡人はやがて総長となり一生を終えたことを随分前の新聞で知った。一月二十二日(月)
低く語る (30)
日本人の行動は大勢順応主義で、個人が主体的に決めるのではなく、集団的にできたある大勢に従ってきた。戦争の過程がそのものであった。戦後のGHQも極東再生のため有能な官僚と技術者を戦犯の牢屋から解放して重要な地位に就けたことから、戦争責任を問わずに戦前戦後の連続を強めてしまった。しかも日本の政府とメディアは言葉をごまかしてきた。不快な事実、隠したい事実は遠まわしの言い方をした。敗戦を終戦、占領軍を進駐軍、日中戦争を日中事変などに言い換えた。正面からはっきり物を言わないから論戦ができず、破局まで行くことになる。そういう状況だからこそ文学が大事。文学がなぜ必要かといえば、人生または社会の目的を定義するためである。文学によって目的を決めるのです。その目的を達成するために科学技術や社会科学がある。一日は一日であって大したことないというのだと、永遠というものは見えない。だから一日の流れが永遠で、目の前の他者を抱きすくめるくらいの生き方をしないと、自分の存在が不用になる。最後のとき何をするかは、毎日していたことをするそうな。加藤周一「私にとっての20世紀」(岩波書店)から書抜き。一月二十日(土)
さらばオリジナル信仰
何かやっているうちに見つかることが近頃わかって来た。昔はオリジナルでなければ意味が無いと思い込んでいたので、とがった槍を持って何かをブスッと射止めるという感じが大事だったけど、今はザーザーこぼれるザルで取りあえず掬っていくと何かが引っかかる。そういう感じです。多田道太郎は「しぐさの日本文化」で民俗学もいいが、世の表層にでてくる風俗学を説いてみせた。本質が表層するということらしい。写真もとりあえず撮っていくうちに取りたいものが絞れてくる。やりたいことも絞れてくる。一月十八日(木)
坊主頭は考えた
ちょいと抹香くさい話。自己の修行の功徳によって悟りを得るのではなく、もっぱら阿弥陀仏の本願によって救済される他力浄土教をご存知ですか。私の頭は剃髪ではないが、本当のお坊さんに「どこのお寺でした」と尋ねられたことがあります。知人の勧めもあり、冗談の架空話ですが「他力本願寺」の副住職として仕えることにしました。檀家さんは般若心経を唱え、写経しようという気持ちがあれば充分。補助経典は特にありませんが、日本人の嗜みとして二千円程度の「国語辞典」がいいと思っています。ヒトやカミ・ホトケに頼りながら自己実現していくのは何とも「うふふ」。一月十二日(金)
隠居の手習いは時間ドロボー
大事なものに大事な時間を費やし、二番目に大事なもに二番目の時間を使う。時間が余ったら好きな音楽を聴き好きな本を読みご飯を食べ寝る。これが一日のぜーんぶ。隠居の手習いは上達せずだが暇つぶしにはうってつけ。すべては脳の萎縮を防ぐためです。このことと関連ありませんが、世の中が嫌になり蒸発して九州に行った男が数年後に元やっていた本屋を始めたという話を思い出した。一月八日(月)
かんたん生活を続けるとしても (01年)
自分の頭で考え、硬くなる体を柔らかくし、食べ物は一汁一菜。出来るだけ簡単な生活を続ける。としてもドキドキが足りません。「月下独酌一杯一杯復一杯はるけき李白相期さんかな」(佐々木幸綱)もいいし、仲間と「一杯一杯復一杯」のヤリトリもまた楽し。次の日が休みなら。〇一年一月四日(木)
おいらの由来... 3
仏教経済学はどこへ... 3
不思議なことばかり.. 3
仏教の話2.. 4
仏教の話1.. 4
暮しのラジオ... 5
気持よい国タイ.. 5
お気に入り本Ⅲ... 6
お気に入り本Ⅱ (60). 6
八百万神の日本... 7
お気に入り本Ⅰ... 8
早めの冬支度... 9
うどん一杯450円の路地裏... 9
挨拶は一人芝居... 9
檻の動物たちよ.. 10
絵本をもう一度... 10
年齢ことば... 11
ハッとする.. 12
初歩の初歩 (50). 12
野に寝る.. 12
ゆれる雇用... 13
一枚の絵と長靴... 13
チョウの道... 14
公共事業のこの国... 14
四月の風... 15
表現の三角環境... 15
夜鳥を鳴く. 15
頭が回らない... 15
メモなし人生 (40). 16
自画像は苦手... 16
カラクリご存知ですか... 16
村の語り部... 16
反逆者不在... 17
薪割り.. 17
イヌとネコ.. 17
ホームページのボランテア... 18
イスラム・ワールド.. 18
偉大な凡人... 19
低く語る (30). 19
さらばオリジナル信仰... 19
坊主頭は考えた... 19
隠居の手習いは時間ドロボー... 20
かんたん生活を続けるとしても (01年). 20
トルソの源流
二千五百年前の古代ギリシャの彫像は頭部がなくても立派に存在理由を持つ。ところがローマ時代の彫像は顔がなければ大理石の塊と同じになってしまう。フィレンツェにあるミケランジェロのダビデ像でさえも、あの顔をとられたら凡作になる。ローマをはじめとするヨーロッパ各地の美術館に散らばっている、あの時代のすばらしい彫像を前にすれば、彫像の製作技術は古代で完成されてしまったのか。というくだりを見つけ膝を打つ。自分の顔が残らない資料を作ったり、会議に顔を出すだけではね。身を引き締めないと。塩野七生「男たちへ」文春文庫。十二月十日(月)
おいらの由来
おいらの村とおいらの由来をずーっと知らずに来たが、大正十四年刊の「十勝寶盟鑑」に昔のこと載ってたので書き留めた。「君(祖父冨岡嘉七)は兵庫県三原郡片田村に明治十六年七月十三日生れる。長じて父と共に明治二十三年日高国静内郡遠佛村に農業の目的を以って移住し、茲に於いて十ヶ年間農耕に従事し…其の後十勝は土地肥沃なるを知り、北海の牧草豊富なるを以て畜産に適することを認め、同三十三年五月貸与を受け…八十二町歩余を出願し許可を受け、種牛種馬を求め繁殖飼育に努めたり…」とある。淡路島出身の曾祖父と祖父は明治中期に北をめざし、その曾孫は南に焦れる。日本は欧州が二百年かけたことを百年で駆けた。十一月二十三日(金)
仏教経済学はどこへ
これは忘れ去られた経済学なのか。現代経済学は生産努力で〈消費の極大化〉をねらうが、仏教経済学は適正規模で〈人間としての満足を極大化〉することにある。アジアの国々が穏やかに緊張感なく暮らしていけるのは、実はこの経済原理があったからである。しかし歴史を計画する国々が増え、時間を逆算し加速する政策で足早な経済成長をめざすその因果から、世界の工場をアジアに移しつつある。仏教経済学の中心技術は、伝統産業を支える在来技術を先進技術にくわえ改良していく、いわゆる中間技術だが、これは農村と都市を結ぶ技術としても広く地域に根付くものと考えられている。穏やかな地縁技術でもある。日本では三十年前の自治体改革の波に少し遅れて登場したのが、この地域経済・技術の理論である。当時沖縄を舞台に地域主義が語られ、リージョナリズム理論の下敷きとなったのがシューマッハ「スモール・イズ・ビューティフル」講談社学術文庫であった。アジア圏の人々はこのやり方・考え方を色褪せたものとできるのだろうか。十一月十六日(金)
不思議なことばかり
動物の不思議さは、自然淘汰のなかで進化してきたと思っても、なお不思議さが残る。キリンは昔の恐竜時代ならいざ知らず、現在の生き物の中で一番背が高い。首の長さが三メートル。高いところの食べ物を取るには都合よいが、心臓から血を送るのはどう考えても大変であり合理的でない。肢の先だって血の巡りが悪くなりそうであるが、動物園でもアフリカのサバンナでもゆったり生きている。動物学者は心臓のポンプが強いだけで不思議でもなんでもないと言う。ではキリンの網目の意味はどうか。孫引きだが、寺田寅彦はあれは乾いた地面にできる割目と同じ模様で、それ自体には何の意味もないと言っているが、あの網目模様がキリンの姿をアカシヤの茂みに消し去ってしまうそうだが。それではもう1つ、人間なら何日も水を飲まずにいると血液が濃縮し死んでしまうが、ラクダは長い間水を飲まずに生きる。でも一度オアシスの水にありついたら猛烈に飲みだめできる。それを胃袋に貯めるのではなく、水分を失った組織に貯えていくのでラクダはみるみる元の太った体に戻る。こちらは神秘的である。動物個体は種族維持など考えておらず、自分のためにだけ生きているというのが、一般的な見方である。日高敏隆「動物の言い分・人間の言い分」角川新書。十一月九日(金)
仏教の話2
大乗仏教では、釈迦仏教を否定して現世肯定の仏教をつくりあげるが、なかでも浄土教が注目される。これは西の方に阿弥陀如来という光り輝く永遠な仏がいる。この世で良いことをすれば阿弥陀様のいる極楽浄土へ、悪いことをした人は地獄へ落ちるというもので、その流れの一つが六世紀半ばに日本にやって来た。当時の聖徳太子は儒教の礼と仏教の平等の精神にもとづいて十七条の憲法を制定し律令国家つくった。太子が重視した経典は法華経で、やがて比叡山延暦寺を建て日本天台宗をつくった最澄に受け継がれていく。さらにこの比叡山延暦寺の中から新しい宗教や密教や浄土教や禅宗を生み出すが、その反動で正教へ帰れという日蓮も登場する。天台宗は十一世紀には天台本学論の思想を生み出すが、これは仏教思想ではなく、全てに神が宿るという縄文以来の日本の土着思想であるといわれる。さて現在の日本での宗教的儀式のうち、葬式・お盆・お彼岸・年忌供養などの死の儀式は仏教がとり行い、結婚式・誕生・七五三などの生命再生の儀式は神道が行う神仏習合であるが、この風習については次に調べる。十一月四日(日)
仏教の話1
仏教の教えは、紀元前五世紀にインドのガンジス川流域で活躍した釈迦牟尼という人の教えをもとにしている。それ以前のインドはバラモン教が盛んで、日本の縄文時代のように輪廻を信じていたが、それより強い因果応報の輪廻観でカースト制を維持していた。しかし釈迦はこの輪廻を否定した。人間界は生老病死の苦の世界で、原因は愛欲の執着にあるとした。執着から苦が生まれる。愛欲を断つため戒・定・慧という戒律を守って瞑想し知恵を磨けば愛欲から自由になれ、輪廻からも逃れられると、次のように説いた。この世は地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の六道からなり、衆生はこれを輪廻するが、この業から外れ、現し身の現実世界から逃れ、生まれ変わりからも免れる。これを涅槃に入るという。しかもどんなカーストの人間でも涅槃に入り悟りを開くことができる。これが釈迦の解脱の教えと四姓平等であり、仏教の二つの中心思想となる。その後紀元前一世紀頃に、悟りのために山にこもって釈迦の教えを忠実に守る小乗仏教では駄目で、民衆の中に入って救うべきだとする大乗仏教が生まれた。この民衆救済者を菩薩と呼び新しい菩薩仏教が広がった。愛欲の否定も否定の執着、つまり無の執にとらわれているとして、有無の執にとらわれない空の境地を説いた。十一月三日(土)
暮しのラジオ
毎夜の九時台はこのテレビ、十一時台はこのラジオと判で押したように過ごしている。でもテレビの方は広告が疎ましくニュース以外は録画が多い。ラジオは専らNHK第一放送を小さく流しているが、定時のニュースは手短でいいし、昼の憩いで日本の農村にひたり、寄席を聞き流し、列島ジャーナルで出来事を知り、ラジオ深夜便の頃に眠りに就く。「ラジオ深夜便」は深夜に聴かれると思われているが、実は三時や四時に目覚めるおじいちゃんとおばあちゃんが多いそうだ。続いて一番ラジオを聴く人が増えるのは早起きの人達がスイッチを入れる朝の四時から五時。ラジオに詳しいのはタクシーの運転手さんという。なるほど。私は零時前の日出時刻を聴いてから眠るが、那覇は札幌より三十分ほど日出が遅い。三谷幸喜監督作「ラヂオの時間」の映画でも、番組づくりで忘れ去られたローテクによる花火の擬音づくりを、ガードマン役の藤村俊二が演じていたのを思い出した。テレビもいいがラジオの方が気が楽で、眼を奪われず身の自由がきくこの受信機がありがたい。秋の夜長は枕もとにラジオかな。秋山ちえ子・永六輔「ラジオを語ろう」岩波ブックレット。十一月二日(金)
気持よい国タイ
日々の愉しみの根拠をどこにおいて暮していくのか。タイの国では「サバーイ」「マイ・サバーイ」の気持よいと気持よくないが、コトを決めていく基準だという。分け方も気持いい。しかも奥地の村人はお金を使わずゆったり暮している。日本はといえば工業基準はうまく動いたがタイのような生活基準をなくしてしまい、いまは「人様に迷惑のかからない」ように暮すこと位しか残っていない。さらに価値は拡散し旨い物もたくさんあり、ひとつのコトで済まなくなっている。列島を見ても都会に集積されたヒトやコトは富士山頂点型からアルプス連山型へと散らばり始めた。その流れを読み取るように、若者も散らばり「自然か不自然か」の心理でコトを決め始めたようだ。これは生物多様性の社会からは好ましい。しかも女の子の方が自然体でやりたいことをハッキリもって生き生きしている。その後ろ盾のOBA-SANも舞台に上がってきた。女性主導社会へ向かう。かたやOZI-SANは戦後の一仕事を終えたのか、ねぐらを離れて釣りに出かけたり、裏山に登り「嗚呼」と俳句をひねることで帳尻をあわせ始めた。が片目はOBA-SANと若者を羨望している。思ったことを気持よく続ける。アジアの国々に学ぶことは多い。森まゆみ「アジア四十雀」平凡社。十月二十六日(金)
お気に入り本Ⅲ
楽しんで読む。「鬼平犯科長」(池波正太郎・文春文庫24巻);昭和42年「オール読物」から始まる長編の大衆小説。盗賊たちの捕物と世話物がからみながら江戸の市井が描かれる。続きが読みたくなり時間を費やすことになる。違うタイプで山本周五郎の世界もいい。「ぼくは本屋のおやじさん」(早川義夫・晶文社);なぜ本屋さんに欲しい本がないかがよく分かる。本屋さんの商品構成は、本屋さんのオジサンが決めるのではなく、長い時間をかけてお客さんが決めるという結論に至っている。晶文社には面白い本がある。「あの世と日本人」(梅原猛・NHK出版);日本人に欠けていると言われるあの世に関して古代宗教から解き明かす。同じく併読したいのは「地獄の思想」(中公新書);梅原学の入門書的な位置にある本。日本の仏教思想そして文学における「地獄と闇」の世界を覗くことが出来る。「地獄と極楽の出会い」のくだりも面白い。「世界大百科事典」(日立デジタル);百科事典が一枚のCD-R0Mになっている。身近なパソコンで調べられるこの驚き。小さな図書館にいるような気分になれる。とりあえず調べようという気分には応えてくれる。「CD-R0M 星の王子さま」(岩波書店);子供向けマルチメディアだが、大人も堪能できる。これは楽しい。こんな世界もあるんだなー。もうひとつ。「声が聞こえる野鳥図鑑」(上田秀雄・文一総合出版);図鑑にバーコードがついており、それを別売のリーダーで読み込んで、さえずりと地鳴きを聞くシクミだが、一緒に鳴いてみよう。「ネパール」(トニー・ハーゲン白水社);スイス人である著者は半世紀前に鎖国を解いたネパールに入国し民族・農業・交通など国土をつぶさに報告。この国を知るまず最初の入門書。ネパールは貧しいが魅力のある国であることが分かる。さらに興味があれば、古今書院の「ネパール叢書」(全3巻「神話と伝説の旅」「ネパールの集落」「ネパールの人びと」)へ進んではどうか。川喜多二郎氏がかかわっており、内容的にも深い理解が得られる。「現代の職人」(石山修武・晶文社);建築家・石山修武氏が約60人の職人を訪ね歩くが、その道一途の人々が現代の生活・生産の質を問うている。林のり子氏の「むかし女は職人だった」、安藤忠雄氏の「近代建築の大棟梁」など面白い。今度生まれ変わったら職人になるんだ。十月十九日(金)
お気に入り本Ⅱ (60)
集中して堅めなものを読む。「政治家の条件」(ヘンリー・テイラー 至誠堂);人の集まるところに政治力学が生ずる。著者は19世紀ビクトリア時代の官吏。政治ばかりでなく、野心の持ち方・ケンカの仕方・出世の技術など当世風の話もあり、思わずのめり込む羽目になる。現代政治・行政への愉快な入門書の趣もあるので、雨の休日でしかも家族のいない午後あたりにお勧めの本。「異端論断章」(藤田省三・みすず書房);正統と異端の思想史的な解明というと堅苦しいが、内容は少し難解ですが魅力的。特に第三章の丸山真男・石田雄・藤田省三のてい談は読みどころ。もしも気力があればこの人の著作集(全10巻)に取り組むと現代日本の思想史の奥底がつかめるんですが、半年位はかかるかもしれません。さらに「丸山真男集」(岩波書店)を併せて読むとより思想史の立体的な読書体験になりますが、これも含めると一年間は棒に振ることになりそうですが、いかがですか?くわえて「丸山真男座談」全九巻は、座談の名手丸山の本領発揮で、これはいける。音楽の話もある。「政治・行政の考え方」(松下圭一・岩波新書);日本国憲法はオシツケ憲法ではなく世界史的流れでとらえることの意味や、国会の政策決定過程の不透明さと公共事業・公共政策のあり方など現代政治学の基本を問うている。また同じ著者で「日本の自治・分権」(岩波新書)を併読すると地方自治の地平線を眺めることが出来る。二冊とも今日の国レベル・地方自治体レベルの政治状況を把握するための書。「地域のデザイン」(吉阪隆正・勁勁草書房);故吉阪氏は日本建築界の大御所。建築家の本は息苦しいものが多い中でこの人の本は違う。地域を考える上でのヒントも豊富。例えば時代は□から○に移ってゆくとか。旅先の街の描写や人生訓が素直に語られるところは好感が持てる。出来たら吉阪隆正全集(全17巻)もどうぞ。吉阪の輪廻建築論に遭遇できる。これらの堅いものと併読できる音楽の本は「クラッシック超入門」(砂川しげひさ・東京書籍);この手の入門書はゴマンとあるが、聴いてはいけない曲とか、定年音楽のすすめとか、よく聴きこんだ人の本音があり楽しい。同じ著者で「なんたってモーツアルト」「つべこべいわずにベートーベン」「のぼりつめたら大バッハ」(何れも東京書籍)の三冊はもっと楽しい。でもこの人の漫画で笑ったことは無い。十月十二日(金)
八百万神の日本
降雪前のアフガン山岳攻撃が静かに始まったことをラジオは伝えている。目標はテロリストなのかアフガンなのか。人民殺戮や難民をどうするのか。これらを国連で多国間の調整もせず、米国外交は一気に包囲網を築き上げた。日本政府も後方支援に躍起となるが、当事者の防衛庁が尻込みしている。いざとなれば彼らは制服を脱ぎ捨てるかもしれない。平和を味わうと逆コース厭だ。米国にしても中東政策は拙かった。これをイスラム教対キリスト教の文明の衝突戦争とせず、またパレスチナ問題とも絡めず、イスラム原理主義のテロに限定した制裁でなければ更に拙いことになる。一方、日本がやれることに中東和平への仲介役があるが、経済や軍事専門家たちはこの考えは素人過ぎると一蹴している。確かに日米安保のただ乗りで日本は経済的繁栄をしたのは確かである。この非常時に中東問題に直接関わることは、日米安保の破棄は言うに及ばず米国市場や世界経済を失うぐらいの覚悟がいるかもしれない。その影響は日本だけではなくアジア情勢を混乱させるかもしれない。しかし日本だからできるこの新たな役割は考えておきたい。戦場の人民は戦禍を避けたいし、職業軍人とて出来れば逃げ出したいのだ。これが今世紀に生きる人の当たり前の気持です。厭戦。ジョン・レノンのイマジン。物事は理屈ばかりでなく気持の方も片付かないと上手くいかない。政治からも経済からも見放された人々、弱い立場の人々がこの世を凌いでいくには、きれいごとでなく、同時代のひとたちの広いつながりと参加と調整が要る。弱さと強さの問題は個人から政府間まで複雑に重層しているが、強者も弱者も時として、あるいは歴史の動きのなかで逆転していく。しかも両者は背中合わせで不即不離にことが運ぶ。この両者の間を判官びいきの立場から国際調整する。弱い立場に身を沈めながら、強がる者たちの秩序制圧を手なずけるやり方はないのか。弱者は恨みを捨て、強者は謝る。日本は身を粉にして両者をなだめ調整する。日本人が得意とする三方一両損はこの時のもの。大事にいたる前に両者の間を走り回る日本人。一神教をもたない八百万神の日本が調停に立ちあうことは世界の人々が許すだろう。原爆投下国という弱者経験も生きる。このやり方は子供じみていると思う方、ではどうしますか。一気に詰め将棋ですよ。この国の一部リーダーたちは時限立法だからと、長考もせず、逆コースにコマを進めている。山本周五郎「さぶ」新潮文庫。十月五日(金)
お気に入り本Ⅰ
小型本で生物と宇宙と絵画を読む。「サンゴ礁の生物たち」(本川達雄・中公新書);南の海の生物たちは多様である。平べったく派手な縞模様はなぜあるのか。しかも北海道の魚のように均一大量でないため市場向きではない。ウニ・ヒトデ・ナマコの話も面白い。同じ著者で「ゾウの時間ネズミの時間」(中公新書)は小さい動物も大きい動物も一生の間に心臓鼓動数や総エネルギー量は同じだとか、物知りになる。いずれも楽しい生物学の入門書。「森林美学」(新島善直・北大図書刊行会);ドイツ林学の「森林美学」を土台に札幌農学校の新島教授が大正時代に執筆したものの復刻版。樹形や街路樹への考え方も散見され興味深い。農村と都市を結ぶ古くて新しい学問分野かもしれない。森林美学。いい響き。「宇宙の果てにせまる」(野本陽代・岩波新書);この人の文章は分かりやすく、宇宙の誕生・成長・消滅の過程がよく理解できる。同じ著者で「ハッブル望遠鏡の見た宇宙」(岩波新書)にある写真も併せて見ると一層楽しい。中でもワシ星雲は感動的で、見れば見るほど考えれば考えるほど宇宙は謎だらけ。いずれも宇宙論の最新の入門書であり秋の夜向き。「薔薇のイコノロジー」(若桑みどり・青土社);絵画における植物、特に薔薇の意味を追いつつイタリア・ルネッサンス絵画論を展開。日本の菊と蓮、花と髑髏、シュール絵画のエルンストやマグリットの話が楽しい。ホントにためになり楽しい本である。同じ著者で「イメージを読む」(筑摩書房)は絵のイメージに隠された意味を主にイタリア・ルネッサンスの絵画に求めているが、これが虜になるほど楽しい。ミケランジェロやダ・ビンチの絵の謎解きをしてくれるが、これが美術史の勉強にもなっている。また同じ著者で「絵画を読む」(日本放送出版協会)ではブリューゲル・レンブラントなど12人の名画を図像解釈学する。これをイコノロジーと言うそうだ。ローマのシスティーナ礼拝堂やフィレンツェのウフィフィツィ美術館へ訪れるなら、これだけは事前学習しないと理解できない。くわえて塩野七生の著作を併読するとイタリアが広がる。「読書癖」(池澤夏樹・みすず書房);帯広にゆかりのある作家ですが、その読書世界は自然科学を含め森羅万象といったところ。読書案内書は数多あるがこの人の薦めるものいい。それに広く深く楽しんでいることが伝わってくる。でも書店に注文すると品切れのものもあった。何を読もうかと思案のときは頼りになる。今のところ全3巻まで。九月二十八日(金)
早めの冬支度
戦争の世紀が終わり、21世紀には局地戦争はあっても平和と環境の時代へ移るだろうと楽観していたが、9月11日のニューヨーク・ワシントン同時多発テロリズムは未解決の闇を見せつけた。農村を後背地とした長期にわたるベトナム戦争とは様相が違い、自爆・都市型テロリズムは市民を巻きこみ、すさまじい破壊力と恐怖を持ち込んだ。これが今世紀の都市型戦争なのか。都市型ゲリラが世界を同時の戦争状態にひきずり込むとは想像しなかったが、欧米のすばやい対応をみると危機管理当局は解っていたのだろう。アフガンの山岳攻撃は来週か再来週に始まりそうだ。文明の衝突との言い方もあり、まだ世界戦争とは呼びたくない。しかし米国の押しに負けて日本は兵站ラインの後方を担おうとしている。戦争の紐の端をつかみかけている。軍事物資・武器弾薬の補給は戦争への直接の加担になるというのに。この国はいつも議論不足のまま、ずるずるとなし崩しの国内立法をしてきた。米国のあとにつかず、独自に中東和平交渉とイスラム圏への社会援助に乗り出すことが本筋なのだから、この日本列島に生きる市民の意志や行動の基本はそこに置きたい。でなければ原爆投下当事国としての戦争経験が生きない。と思いつつ、日々の生活にうずくまりながら配られた新聞を見てラジオに耳を傾ける。北国は早めの冬支度にかかる。小田実「日本の市民として考えること」9月13日付朝日新聞。九月二十一日(金)
うどん一杯450円の路地裏
うどんは大阪の新世界ジャンジャン横丁の「ホルモンうどん」が旨い。おばさん経営で一杯450円也。長いカウンターがあるだけで、設備投資が感じられない造り。うどんの具には牛内臓をじっくり煮ふくめたホロホロのホルモンがのっている。タレの色は濃いが、あっさり目のしょう油味。うどんを啜るといずれもうまくからんできて、暑い大阪に似合うヤツだなと合点がいく。この界隈には碁会所、呉服屋、コーヒー屋、装飾屋などが古い佇まいのまま狭い路地裏にひしめいていて懐かしい。狭い道ほど人が群がり賑わう。いままで広げるばかりの都市計画とまちづくりは一体なんだったんだろう。路地裏の生活をもつ街は楽しい。米国国立保健研究所「50歳からの健康エクササイズ」岩波書店。九月七日(金)
挨拶は一人芝居
挨拶は避けたいと思っていても、会合で突然の指名やらシゴト絡みでどうしてもの場面があるが、できる事なら原稿を作って丸ごと暗記し挨拶する、丸谷才一式がいい。その場ごとに当意即妙のアイデアを出せる訳もないし、笑わせる技量もないから当然のこと準備をしたい。暗誦力は日に日に衰えているので、わかりやすい言葉ですっきりと頭に入る、きれいな言い回しで、内容のあることを短く言ってみたい。加えて試したいのは、気分の整っていない場面をピシッと一つにする笑い。笑いとユーモアがうまくいけば、話が落ち着き奥行きがでる。挨拶のルールの第一は一般論や抽象論は言わない。どうしてもなら簡潔に面白く。第二にエピソードや悪口にならないゴシップなど具体的なものを使う。第三に原稿が出来あがったら題名をつけてみる。これが挨拶の黄金律で、とにかく一人芝居なんだから、せっせと台本と演出と演技を考えるのが大事ということです。丸谷才一「挨拶はたいへんだ」朝日新聞社。八月二十四日(金)
檻の動物たちよ
檻のあなたたちは哀しくて鳴いているのですか。動物園内の巡回では自在に動けるように長靴と帽子を身につける。まずは鳥類舎のキジバトの「デーデーポポー」を聞きながら、コンゴウインコやインドクジャクの極色彩を目にとめ、ペリカンとフラミンゴといった水辺の鳥たちの様子をみる。サル山では集団行動の具合、カバのでかい欠伸に見惚れつつ、極寒地の地味なヘラジカの食欲を調べて、エゾシカの角の成長を触診する。アメリカバイソンの子ども二人の成長を観察しながら、トナカイのこれまた角の成長を点検。ビーバーの泳ぎぶりを見て、ヘビや百年経つといわれるオオサンショウウオのじっとした姿をこちらもじっと凝視する。トラのぐるぐる散歩やライオンの昼寝と原っぱのラクダの咀嚼をみた後は、アシカとアザラシに「ヨーッ」とあいさつ。目が合うのでそうなってしまう。ゾウの鼻汁をかわし、哲学者マンドリルの歌舞伎顔をふしぎと思いつつ、キリンに柏の葉をやり、シロクマに手を振る。子ども動物園にはアライグマ、スカンク、エゾタヌキ、キタキツネ、ピグミーヤギ、アヒル、ウサギ、モルモット、エゾリス、モモンガ。猛禽舎にはオオワシ、ハイタカ、「ピーヒョロロ」のトビ。遊園地では豆汽車の汽笛を聞き、観覧車を見上げて巡回を終える。檻の中の動物たちよ、食事つきで暮らす都市生活になれて、もう古里のアジア・アフリカでみせた野生の血がたぎることはないだろうが、この地でゆっくり長生きするといい。竹田津実「食べられるシマウマの正義・食べるライオンの正義」新潮社。宮嶋康彦「日本カバ物語」情報センター出版局。八月十四日(火)
絵本をもう一度
この国には十二世紀の「絵巻」という世界でも屈指の物語絵の伝統があり、絵で物語る豊かな文化を持っていたことから今手にする絵本の水準も高いという。ひとは生涯に三度絵本を読む。まず自分が子どもの時、子どもを育てる時、人生の後半に入った時である。子どもには無論のこと大人にも厄介な生死を扱ったものでは、スーザン・バーレイ「わすれられないおくりもの」評論社、マーク&ダン・ジュリー写真文「おじいちゃん」春秋社、大塚敦子写真文「さよならエルマおばあさん」小学館、自分の人生の証をつかもうとした柳澤恵美「ポケットのなかのプレゼント」ラ・テール出版局などがある。また写真と文が一体となった質の高い星野道夫写真絵「クマよ」福音館書店、清々しい澄みきった気分にさせる谷内こうた文絵「なつのあさ」至光社、横長見開きの絵巻のようでしかも余白と余韻を楽しませるワンダ・ガアグ文絵「100まんびきのねこ」福音館書店、ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」と合わせ読みするとより深まるマリー・ホール・エッツ「もりのなか」福音館書店、姉崎一馬「はるにれ」福音館書店、創作絵本の佐野洋子「100万回生きたねこ」講談社、沢田としき作絵「アフリカの音」講談社、長新太文・茂木透写真「ふゆめがっしょうだん」福音館書店、ロバート・T・アレン文・ジョージ・パステック写真・藤原義久訳「ヴァイオリン」評論社などがある。これから読もうと思う。絵本は語りが少なく説明的でないのがいい。自分の絵本を作ることによって人生の証を掴む法がありそうです。河合隼雄他「絵本の力」岩波書店。八月一日(水)
年齢ことば
天命とは運命をいうが、天命に運命と使命の二義が含まれているため論語の「五十にして天命を知る」の天命は、運命(自分にはこれだけしかできない)なのか、使命(これだけはどうしてもしなければならない)なのか、解釈が分かれているという。故事の年齢ことばを並べると自分の歩みと位置が解る。孩提(がいてい)二、三歳の幼児で笑う(孩)ことを覚え抱きかかえられる(提)年齢。三尺童子(さんせきのどうじ)七、八歳で身長が三尺の歳。幼学(ようがく)昔十歳で師について学んだ。志学(しがく)十五歳で孔子が学問に志した年齢。笄年(けいねん)女子の十五歳で初めて髪に笄(かんざし)を挿す年齢。破瓜(はか)女子十六歳で爪の字を二分すると八と八になることから。男子は六十四歳で八かける八は六十四から。弱冠(じゃっかん)男子二十歳で二十歳を弱といって元服して冠をかぶったことから。丁年(ていねん)二十歳で一人前の人間として認められる年齢。壮年(そうねん)三十歳で働き盛りの年ごろ。而立(じりつ)三十歳で孔子が独り立ちできるようになった年齢。不惑(ふわく)四十歳で孔子が心の迷いが消えた年齢。強仕(きょうし)四十歳で『礼記』に「四十日強而仕」とある。桑年(そうねん)四十八歳で桑の異体字が四つの十と八に分解できることから。知命(ちめい)五十歳で孔子が天が自分に与えた使命を悟った年齢。耳順(じじゅん)六十歳で孔子が他人のいうことが素直に理解できるようになった年齢。還暦(かんれき)六十一歳(満六十歳)で干支が六十年で一回りして元にかえることから。従心(じゅうしん)七十歳で孔子が自分のしたいことを思いのままにしても人の道を踏み外すことがなくなった年齢。古稀(こき)七十歳で杜甫の詩「人生七十古来稀なり」から。さらに日本で使われる長寿のことばを並べると。喜寿(きじゅ)七十七歳で喜の字が七十七と書かれることから。傘寿(さんじゅ)八十歳で傘の略字「仐」が八十に似ていることから。米寿(べいじゅ)八十八歳で米の字を分解すると八十八になることから。卒寿(そつじゅ)九十歳で卒の略字「卆」が九十ににていることから。白寿(はくじゅ)九十九歳で百から一を引くと白になることから。茶寿(ちゃじゅ)は百八歳だがこれはどうして? 宮本輝「草原の椅子」幻冬舎文庫。七月二十七日(金)
ハッとする
出かける楽しみは旅にもあったし映画館や動物園にも心弾むものがあった。しかし今は分が悪い。茶の間が映画館になり、旅も野生動物も至れり尽せりの記録映像が提供されるので欠かさず見てしまう。見るより見ない方がいいのかもしれないと思うことさえある。映像経験は現地で味わう最初の感覚を弱めるだろうし、既視感がありハッとできない。万博やテーマパークにも出かける楽しみがあったが、あのお祭りも下火になってきた。いまの時代は、心弾む面白いエンタテイメントを絞りきれないでいる。集団ではなく個人化しているから産業側は大掛りに準備できなくなってきた。しかも個人の毎日と毎月と毎年を区切っていく心理や生活は液状化して掴みどころがない。四区分の季節のそれさえも毎日の強さに比べれば弱い。せめて旅の時は事前に知らない方がいいことが、これからはある。情報を少なくすることで自分の鮮度を保とうとするのは狭量ゆえだが、情報で捨てきれないのは朝刊くらいだろうか。これは朝のお祈りだから。宮本輝「ドナウの旅人」新潮文庫。七月十六日(月)
初歩の初歩 (50)
ごはんとみそ汁から教えてくれる料理の本がある。料理家の大原照子さんがお年よりのために実際に作りながらまとめた「男子七十にして厨房に立つ」(朝日新聞社)である。簡単で気に入ったのは「肉豆腐」。豚肉の上に豆腐を並べるだけのもので、豆腐が肉汁で色づいてきたら浅葱を散らす。シジミのみそ汁も作る。これが絵入りの同時進行表になっていて親しみやすいし、「ここは火を止めてゆっくり」とか書いてあり、慌てなくてすむ。こういうのが大事なんだと思う。十五年前の本なのでもう売れてないと思うが、若者というか小中学生用の読本として改訂したらと考えるのはお節介か。いずれどこかで男も料理することになるのだから。スウェーデンには老人たちが割引料金で安く食べられるレストランが街のあちこちにあるという。台湾やベトナムでは朝から家族で屋台で食べるそうだが、こういう社会も羨ましい。台所で料理もするが、お年よりが外食しやすい街は住みやすい。後半から始める初歩は下ろしたての山わさびの味。辛くて涙がじわーっとしただけではなさそう。七月四日(水)
野に寝る
オートバイはともかく野宿には縁がなかった。山奥に暮らしていたので隣街の高校へはホンダのカブに跨り往復50キロのジャリ道を転倒しながら通った。転んだついでにカラッポの空を見上げ取りとめもないことを考えていた。このままでもいいな。目的のある大人にならなくても。起き上がるのは面倒だったが腹が空いてはどうしょうもない。それからは皆と同じ行動をとり時間割のある歳月を送ったが、そこは喋り過ぎ、交わり過ぎの社会であった。ストレスのほとんどは対人関係から生じ、すべての不快は人の関係から生じた。だから人と交わらない一人旅や野宿をしようと思っていたが今まで実行はしなかった。本当に休まなければならない時は経験を積むとわかる。顔が歪むからわかる。動物は旅に出ない。人間だけが巣から出てプィと旅に出るが、人と交わらず野で寝ることは少ない。さてバイクでの野宿は尻込みしてしまうが、中古軽四駆の助手席を寝床に改造して釣りのあとは山奥で寝るとしようか。日本を北上するときは日本海沿い、南下の時は太平洋沿いだとつねに海を身近に感じることができるという。花村萬月「自由に至る旅‐オートバイの魅力・野宿の楽しみ」集英社新書。六月二十九日(金)
ゆれる雇用
安定感のない社会だと感じませんか。主因は勝者と敗者が経済や雇用をめぐって二極化に向かい、中流(意識)が崩れていくからだとも言われている。地域社会にも不安・不穏な風が流れ出す。事件も頻発。サラリーマンを時価評価で分類すると、第一分類「収入増」、第二分類「現状維持」、第三分類「収入減」、第四分類「解雇」に分けられ、その分布は10%、20%、50%、20%であろうと考えられている。しかしこの分類通りに実行すると雇用ショックを引起こす。理由は従業員が自己評価した場合、第一分類10%、第二分類80%、第三分類10%、第四分類0%になるからである。このギャップをどう社会制御していくかは未だ誰も回答を持たない。ただ雇用のかたちは多様化することは避けられない。すでに派遣、複数年契約、長期継続雇用の併用が進もうとしている。例えばフロントオフィス(企画・開発・営業など)では一部の幹部職員を除いて、その大半が三・四年の契約社員からなり、平均年収は千二百万円。そしてバックオフィス(総務・財務など)は正社員の長期継続雇用者で年収五百万円組と派遣社員で年収七百万円組といった具合である。さてわが自治体の場合はワークシェアリング方式を採用する時期にさしかかっているのではないか。現所得を半減しその分で雇用倍増するブラジル方式である。糸瀬茂「日本経済に起きている本当のこと」日本経済新聞社。六月二十二日(金)
一枚の絵と長靴
狭くもなく広くもない庭を五年前に手がけた。広さは約八十坪でテニスコートくらい。ガーディニングブームと重なったが、こちらは小鳥がくる小さな雑木林を考えた。石ころの多い荒地だったのでダンプで土を何十台も入れ三年間は土台づくり。街中なので了見が狭いと思いながら塀を回した。これは英国でいう家の裏のバックガーデンに当たり、焼肉も昼寝も自由な私的な庭とした。英国の庭がキレイに見えるのは実は家の前のフロント・ガーデンのお陰である。公的な空間なので皆手入れを怠らないことは民泊したとき解った。ともかく、好きな長靴を履き麦わら帽子をかぶり汗まみれになる。木と球根を植え翌年を待つ。越冬したあとの春、その後の短い夏。木草花が光合成しながら自ら描く一枚の絵は得がたい。ライラックの玄関アーチも出来つつある。小鳥のため実のなる木や飛んでいるときに目立つよう高木のゴールデンニセアカシヤも植えたが、いまだ五、六種類しか飛来しない。多くはスズメとカワラヒワ。たまにヒヨドリやシジュウカラやツグミ。園路は枕木なので雨の日はサンダルで歩ける。土止めも枕木だからレイアウトは自在。とココで息が切れ今年は雑草抜きをデメン(出面)さんに頼んでしまった。あるまじきことか。吉谷桂子「英国ガーデン日記」東京書籍。六月十五日(金)
チョウの道
モンシロチョウなどは花が沢山あるところは急にゆっくりフラフラと飛ぶ。しかも上下左右と目まぐるしい乱舞にパターンはあるのか。ずーっと気になっていた。この回答ではないがチョウの道というのが解った。チョウは日の当たっている木の葉に沿ってゆっくり飛ぶそうである。でも光や木の葉とだけ関係があるのではない。温度とも関係ある。春のように気温がそれほど高くないときは、日の当たっている場所を結ぶ線になる。ところが夏になり気温が上がると、こんどは日陰の涼しいところを飛ぶ。道は一定ではなく、季節によって、天候によって、一日の時間によって、そして気温によって、さまざまに変わる。飛ぶ好みの順序は、裸地より草地、草地より木、日陰より日向である。チョウの道は風か何かで決るのではなく、またナワバリでもなく、食物の在り処でもない。日の当たるチョウの道を飛びながら、そこで見つけた花のミツを吸い、見つけたメスと交尾し、見つけた草に卵を産む。チョウの生活は随分とゆきあたりばったりなのである。さて初夏の原っぱに出て確かめてみようか。日高敏隆「チョウはなぜ飛ぶか」岩波書店。六月一日(金)
公共事業のこの国
同じ川に架かる長大橋、キツネやタヌキがでる高速道路、過剰な農業基盤整備、ムダなダム。前世紀の後半に国も自治体も公共事業で日本の国土をいじり過ぎたことが、わかり始めた。しかし自治体に必要もない高水準の設計と高単価ではじき出された公共事業は、今も健在です。地域の経済と雇用に絡んだシクミ。このシクミは政官財でさらに強化され選挙で仕上げ。その公共事業を支える「道路特定財源」の再配分に手をつけだした。当然のなり行きです。一方PFIという新手の民間型公共事業が始まろうとしているが、これはイギリス生まれの考え方を焼き直ししたもの。介護福祉のお手本はドイツだったけど、またも密輸入。明治時代から「役所がやってくれる」「会社がやってくれる」という思い込みで働いてきた日本人と、外国手法の密輸入による国土づくりが対をなし今の日本のカタチができた。八、九年前ロンドンのコベントガーデン近くの小さなホテルに泊まっていた。夜になると何もすることがないので、ダフ屋からチト高いチケットを手に入れ「キャッツ」を見にいった。終幕であの歌「メモリィ」を聴いていた隣のインド人家族はグスッと。私もイミはわからなかったがジィーンとなり、帰り道で寄ったパブで独りビターを数杯。寂しい夜だったが気持ちは満たされていた。五十嵐敬喜「公共事業は止まるか」(岩波新書)。五月二十一日(月)
四月の風
四月の風が吹いた。自分が動き、世もわずかに動いた。ソシキから降りない限り、最大の自己研修の場はやはり人事異動。このシゴトを手がけようとは思いませんでしたが、今度はなんと動物園です。全国に96ヵ所の動物園のうち公立は69ヶ所あるそうですが、これから更にしんどい経営を迫られるでしょう。しかしゴミやお金だけを再生産する経済に公的資金を投入したり、むだな大型公共事業を続けるより、市民生活を楽しめる公共経済の方が市民は納得するのではとも思います。四月は風にゆれる帆掛け舟でしたが、五月からは小さなエンジンを積んだ独航船に乗りかえます。おびひろZ00のアドレスはです。五月一日(火)
表現の三角環境
何かを表したくなる手始めはやはり絵でしょう。小さいころは絵日記ですが、今は世界の美術館などに足を運びますから、どうも見る方に目が肥えて、自分の表現を怠ってしまう。感じたことを絵で表現し、それに短い文章を添えられたらいいですね。さらに描きつかれたら楽器でほぐす。こんな自己表現の三角環境があればうれしい。風間完「えんぴつ画のすすめ」(朝日文庫)。四月一日(日)
夜鳥を鳴く
夜の鳥を鳴いてみたくて練習中です。鳥の鳴き声をコード化した本を読み取り機械でなぞると、鳴り出す。その真似をする。夜は古いジャズを聴きながら少しの酒をいただく。一段落したころにコノハズクやフクロウの声を真似て鳴く。聞き做しはコノハズクが「仏法僧」、フクロウが「ボロ着て奉公」という具合。フクロウ類は大きな目なのでわずかな光で物を見る能力がある。さらに顔の前に目があるため物を立体的に見ることもできる。鳴きたい方は貸出しますので一報ください。夜鳥ばかりでなく日中の野鳥も鳴けます。三月二十三日(金)
頭が回らない
仕事ではじっと座っているのは苦手で、座ると頭が回らなくなってくる。ある程度まで考えこんでおいてから、建物をゆるりと一周でもすれば「あっこれだ」と思ったり手直しを発見できる。歩行と思考にはつながりがある。でも自分の生活時間になると逆にベッドに寝そべらないと頭が回らない。思いつき段階でシメタと缶ビールなどを手にすると、とろりと消えて雲散霧消。考えがぐるぐる回り出したら散歩が一番。しかし暇人と老人しか散歩しない国の場合は目立つ。そして怪しまれる。三月十六日(金)
メモなし人生 (40)
メモを印す代表的文房具は手帳だが、材質やデザインさらに記入様式まで含めると店頭での即日購入はむりで出直したくなるほどアマタ。ともかく「記憶より記録」ということでメモや手帳が使われる。これは梅棹忠夫氏が知的生産の方法で力説された。ところがメモも何もしてこなかった人もいます。メモを取らないマイナスは忘れて繰り返せない。プラスは必要ないことは消えて自分の判断で覚えている。利用できるかたちで覚えている。メモが持つ蓄積力に欠けるがペンも紙も要らない。そんな記録しない無文字人間がいるんです。国土計画の大家ですが。こういうメモを取らない人は、正確な意味で自分の知恵とかアイデアはないと言い、人の脳を頼りにしているから出来るだけ異分野の人にあったり本をざっと読むという。さて吾はくたびれた小さな手帳を使っているが仕事用なのでやがて不用になる。だが先の達人にはなれそうもなく21世紀の手帳なる小さなパソコンを仕入れた。通信機能つき。軽くて犬みたいにつれて歩けるから、やがて個人文化の介助犬となるのか。いやもう頼っている。三月十一日(日)
自画像は苦手
自分の顔を描いたことありますか。私はない。録音機の声を聞くのさえ照れるから。モノとかヒトに投影して自分を覗くことに馴れているので直接の自分は苦手だ。ひとはだれでも自画像を描いて生きるし、自画像を描くために生きている。としたら絵や文や音で自画像を求めて色々なコトやっているのでしょう。大正時代に描かれた村山槐多〈茶色の自画像〉の頑固で迷いの深い顔は忘れられない。それに〈尿する裸僧〉は赤黒い汚い絵だが自己崩壊と自己定立の同時を感じる。凝っていても理屈っぽくない。説得的だが重くない。デジカメで流行りの自分撮りをしてみよう。でも照れるネ。役者になるわけでもないのに。三月一日(木)
カラクリご存知ですか
なぜ日本がまだ成り立っているかと言えば、財政という虚構の貸借対照表によるカラクリです。公的資金によって救済した金融システムに巨額の国債を吸いこませ、貸借対照表の右と左を往来させる。そうして捻出したマネーでもって圧倒的な需要不足をバランスさせている。供給サイドから紙幣を注入するというフィクションによって、国家の正体を隠しながら権力を維持させているに過ぎない。という文に出くわしました。これマクロ経済ですね。誰かこのシクミを教えてください。本でもいいです。二月二十二日(木)
村の語り部
おらの村は今こそナウマン象と酪農の村だけど、ずっと昔は火山灰が運ばれてきたやせた土地で、それを先祖が苦労して除いて畑にしたんだ。育った家は木造の藁葺き屋根だったが、いつ頃だったかトタン屋根に葺き替えた。「北の国から」に出てくるような家さ。冬は今よりずっと寒かったけど薪ストーブが真っ赤になるほど燃やした。水は涌き水を引いてきたので夏でも冷たい水が飲めた。昔は街へ出るときは徒歩か馬が引くホドウ車だった。冬は踵の上がる長靴スキーで街へ出かけたし、裸馬で通学もしたね。家族も奉公人も皆な月が出るまで外で働いていて、祖母が一人で家事一切を仕切っていたな。何でも手作りさ。酒だって造ってた。密造だね。父兄参観日に街に出ると母親がよく生菓子を買ってくれた。柔らかな皮の中の餡が意外にさらっとしてて旨かったな。外食なんてしたことなかった。電気は自家用の水力発電機があったから小学五年の頃に街の電気屋からテレビを買った。父親はなにせ電気製品が好きだったからね。白黒だったけれど、大晦日には近所の人が来て寝っ転がりながら紅白を見てた。子供の頃のテレビはプロレスで力道山の空手チョップ。強かったね。喧嘩のときもチョップさ。ラジオは赤胴鈴之介と少年探偵団。続きものだから毎日楽しみにして聴いていた。ご飯のおかずはカボチャの煮付けにイモ汁だけとかね。昔の生活はこれでも楽しかった。二月十六日(金)
反逆者不在
薪割りの鉞で思い出したのは、「近頃はカミソリが多すぎる。マサカリがほしい。木を切り倒さなければ、紙だって作れやしない。ひとかどの人物とは反逆者のことである」(むのたけじ)だが、今はカミソリ人間ばかり。大勢同調者になってしまい、逆らうことがなくなってきたのは、もしかして老いの社会ヘ入ったからなのか。あるいは社会が成熟したからなのか。カミソリのように切れる人などと言うが、やたらピカピカしていて今では扱いに困る。マサカリ担いだ金太郎♪なんて歌がありました。二月十三日(火)
薪割り
仕事場までの雪道を週ニ・三回歩く。往復一万歩。今朝は氷点下ニ十ニ度でほっぺたは痛く手袋の中は拳固。ナナカマドの房も霜がついた乾し葡萄のような。厳寒期なると薪とマサカリの田舎生活を回想する。薪割は嫌だったが始まると夢中になった。パチパチ燃える薪ストーブで暖まりながらNHKのラジオを聴いた。同じ頃海の向こうでは、Ella FitzgeraldおばさんとLouis Armstrong おじさんの歌が流行っていた。年に数回「ELLA AND LOUIS」(1956)を聴く。半世紀前の人の声はこんなも太く低かったのか。夜道を歩きたくなる。居酒屋の方角へ。二月九日(金)
イヌとネコ
昔のわが生家は家畜で生業をたてていたがイヌやネコもいた。当然ウシは大勢いましたが気が合うのは子牛の時だけで、成牛になると給餌の時しかなつかない。ウマとは話したことありませんが大雪の時は背中に乗せてもらい通学しましたから分かるんですが、こちらの気持は理解している。いつも下向いて餌を食べているニワトリやブタやヒツジとは話したことはない。しかしイヌとは目を見ながら話ができる。ネコは通じるけれども通じない面もある。イヌはタレントのように何でもヤルが、ネコは役者のように何かをやってしまう。イヌは何でもやるから忙しくて自分を変える暇がない。尻尾はふるわおすわりはするわ、お手もする。ネコはこんなこと一切やらない。いったん目を覚ますと何かをやりたいネコだから、ヒトのオカズは取るわ障子は破るわで、自分も周りもまったく変えてしまう。雨の日はとことん眠いネコ。人の心を読むイヌ。動物のいる生活を再びと思う。森の生活があるならイヌ、縁側に座布団をおける家ならネコと同居したいが、都市生活ではムリ。加藤由子「雨の日のネコはとことん眠い」(PHP文庫)。中野孝次「犬のいる暮し」(岩波書店)。二月二日(金)
ホームページのボランテア
おばあちゃんたちのホームページを覗いたことありますか。次をクリックしてください。写真や俳句が載せられ、お絵描きの「柿」もいい味に仕上がっています。紙芝居は声まで出る。自分たちをジジババと居直っているのも素直でいい。これは全国公開型です。私は身近な人たちでヤリトリする半公開型ネットワークを考えたい。広げても年賀状を出し合う範囲とする。知り合いでHPを覗きあう。「おーっ近頃はそういうことやってるんだ」「へーっ意外な面があるんだ」とか思いながらメールを送る。知らない人たちに発信せずヤッフーにも登録しませんから同好会のようなものでしょう。見知らぬ人の覗きもなく不審なメールに困ることもありません。そんな訳でパソコンを持っていて「さーっやってみよう」という方は、声を掛けてください。プロバイダに繋いで一枚のホームページをつくることころまでは手伝います。「伝える・応える」の楽しみは古くからある手紙ですが、新しい通信道具で増幅させませんか。話題を蒔いておいて、居酒屋でそれを肴に盛り上がればまた楽し。電子公開手紙をやってみたい方にボランテアします。一月二十八日(日)
イスラム・ワールド
あいまいな日本で息をしているとイスラム世界に焦がれます。預言者マホメットによって興されたイスラム教は、神と人の間に介在者(聖職者)を認めていません。聖法コーランには、神の一元性、毎日五回の礼拝、金曜日のモスク集団礼拝、九月の断食、儀式、民法、刑法、経済法など広く具体的な規律が定められている。飲酒、豚肉、バクチなども聖法で禁じられています。とくにコーラン第2章275節における利子の禁止、投機の排除、買い占め禁止、貯蔵の禁止などの経済原理は、日本の金融・金拝社会の対極にあります。個人と神が直接契約するイスラム教。神の前に平等ですから、川や森や石油などの基本資源は集団あるいは社会の公的財産となります。イスラムは基本的にヨコ社会であり、タテの関係は神と人の約束で成り立つ。つまり他人の目がなくても神との約束が行動原理となるということですが、私は神と契約していませんから心の底は旅烏です。イスラム・ワールドに住む人々は十億人。一月二十六日(金)
偉大な凡人
東京に出た十八歳のとき、中村哲という憲法学者の先生を知った。確かズングリで丸顔だった。穏やかで人を包み込むような人柄は大講堂のマイクを通しても分かった。テキストは懇切丁寧なあまり分厚くなっていたが軟らかなザラザラした表紙で人柄が出ていた。穏健な性格からか多くの学生をそのゼミに集めた。でも私は当時三十代半ばで新進気鋭の松下ゼミを選んだ。中村哲教授は地味な学者であったが若い学者から「偉大な凡人」といわれ慕われていた。世の中を驚かす憲法理論を持たなかったが「柳田民俗学の研究」でも知られていた。偉大な凡人はやがて総長となり一生を終えたことを随分前の新聞で知った。一月二十二日(月)
低く語る (30)
日本人の行動は大勢順応主義で、個人が主体的に決めるのではなく、集団的にできたある大勢に従ってきた。戦争の過程がそのものであった。戦後のGHQも極東再生のため有能な官僚と技術者を戦犯の牢屋から解放して重要な地位に就けたことから、戦争責任を問わずに戦前戦後の連続を強めてしまった。しかも日本の政府とメディアは言葉をごまかしてきた。不快な事実、隠したい事実は遠まわしの言い方をした。敗戦を終戦、占領軍を進駐軍、日中戦争を日中事変などに言い換えた。正面からはっきり物を言わないから論戦ができず、破局まで行くことになる。そういう状況だからこそ文学が大事。文学がなぜ必要かといえば、人生または社会の目的を定義するためである。文学によって目的を決めるのです。その目的を達成するために科学技術や社会科学がある。一日は一日であって大したことないというのだと、永遠というものは見えない。だから一日の流れが永遠で、目の前の他者を抱きすくめるくらいの生き方をしないと、自分の存在が不用になる。最後のとき何をするかは、毎日していたことをするそうな。加藤周一「私にとっての20世紀」(岩波書店)から書抜き。一月二十日(土)
さらばオリジナル信仰
何かやっているうちに見つかることが近頃わかって来た。昔はオリジナルでなければ意味が無いと思い込んでいたので、とがった槍を持って何かをブスッと射止めるという感じが大事だったけど、今はザーザーこぼれるザルで取りあえず掬っていくと何かが引っかかる。そういう感じです。多田道太郎は「しぐさの日本文化」で民俗学もいいが、世の表層にでてくる風俗学を説いてみせた。本質が表層するということらしい。写真もとりあえず撮っていくうちに取りたいものが絞れてくる。やりたいことも絞れてくる。一月十八日(木)
坊主頭は考えた
ちょいと抹香くさい話。自己の修行の功徳によって悟りを得るのではなく、もっぱら阿弥陀仏の本願によって救済される他力浄土教をご存知ですか。私の頭は剃髪ではないが、本当のお坊さんに「どこのお寺でした」と尋ねられたことがあります。知人の勧めもあり、冗談の架空話ですが「他力本願寺」の副住職として仕えることにしました。檀家さんは般若心経を唱え、写経しようという気持ちがあれば充分。補助経典は特にありませんが、日本人の嗜みとして二千円程度の「国語辞典」がいいと思っています。ヒトやカミ・ホトケに頼りながら自己実現していくのは何とも「うふふ」。一月十二日(金)
隠居の手習いは時間ドロボー
大事なものに大事な時間を費やし、二番目に大事なもに二番目の時間を使う。時間が余ったら好きな音楽を聴き好きな本を読みご飯を食べ寝る。これが一日のぜーんぶ。隠居の手習いは上達せずだが暇つぶしにはうってつけ。すべては脳の萎縮を防ぐためです。このことと関連ありませんが、世の中が嫌になり蒸発して九州に行った男が数年後に元やっていた本屋を始めたという話を思い出した。一月八日(月)
かんたん生活を続けるとしても (01年)
自分の頭で考え、硬くなる体を柔らかくし、食べ物は一汁一菜。出来るだけ簡単な生活を続ける。としてもドキドキが足りません。「月下独酌一杯一杯復一杯はるけき李白相期さんかな」(佐々木幸綱)もいいし、仲間と「一杯一杯復一杯」のヤリトリもまた楽し。次の日が休みなら。〇一年一月四日(木)
2009年3月5日木曜日
cojiki-00
繰り返し聴き、繰り返し読む... 2
目覚め... 2
一目置く. 2
無財七施... 2
アリは働き者か... 3
本は買って読む (20). 3
「捨てる」再考... 3
気にならない... 4
こどもニュース... 4
傾聴ボランテア... 4
声が低くなる.. 5
忘れたいことがあると泳ぐ.. 5
英数国社理... 5
その手は桑名の焼き蛤... 5
暮らしの三科目... 6
簡単な暮らし (10). 6
捨てる.. 6
像のインディラ.. 6
明治に浸る.. 7
動かず... 7
水たまり.. 7
途方にくれても腹は空く. 7
「たこ焼き」の夏休み... 8
雑草はエコガーデンの顔役... 8
この指に… (00年). 8
繰り返し聴き、繰り返し読む
今年繰り返し聴いたものは、内田光子の「シューベルト・ピアノソナタ」、若きアルゲリッチ23歳の時の「ショパン・ピアノソナタ3番(復刻盤)」。それにビルエバンス(CD七枚)、マイルス(CD十五枚)。就寝時にも携帯CDプレーヤーで聴きく。そのためか日中耳に憑いて離れないこともある。読み返しているのは、岩波Jr新書「日本の歴史」六~九巻、藤田省三「戦後精神の経験Ⅱ」、それにワープロで貯めた三十年分の「書抜帖」である。繰り返しは基本が欲しいからか。私は三十年間同じ仕事場で働いた。職人なら許せるがすでに手遅れ。十二月二十九日(金)
目覚め
今は遮光カーテンを開けると朝日が目に染みますが、昔の家での目覚めは、睡眠から覚醒への移行が穏やかです。曙の光が障子の広窓を通して侵入しながら、目覚めさせる役を引き受ける。眠っている者は、猪突にではなく、むしろ網膜の底を撫でながら、気づくともなく徐々に目覚めていくのです。日本人はかくて、日の出のその始めから日と一体となり、まず、ご飯と味噌汁と小魚をお腹に収める。やおら身支度をし、ゆるやかな目覚めのリズムと言うかメロディを体に残しながら出かける。しかし私の半世紀の朝は目覚し時計に頼っていた。それが今は目覚ましが鳴るのを待っている。十二月二十二日(金)
一目置く
チベット人には、規則とかタブーとかを要領よく融通を利かせるという特徴がある。それに彼らは個人主義者で個人の徳を率直に評価する。彼らが一目置く人間というのは、何らかの意味でピリッとした人間、あるいはバックボーンのある行動する人間だ。それが腕力であれ、知力であれ、寛容の徳であれ、狡さであれ、とにかく何らかの点で一本筋の通ったものに一目置くようである。川喜多二郎「鳥葬の国」講談社学術文庫より書き抜き。十二月十七日(日)
無財七施
何はなくても出来る無財七施の教えが仏教の経典にある。顔施(穏やかな顔)、言施(柔らかな言葉)、心施(やさしい心)、身施(体を使って手助けする)、眼施(暖かいまなざし)、座施(席を譲る)、宿施(訪れた人を快く迎える)の七つである。普段は「ふむふむ」「なるほど」「それで」「それから」いうように相手に絡みながらも相手を倒さないように生活するのがいい。でもこの教えに逆らって毒づきたいときは、最後は自分も笑いのタネになる器量がないと拙い。言う方が傷つかない毒舌は単なる嫌味。毒舌や悪口は必ず面と向かって言う。絶対に陰で言ったり、第三者に伝えたりしてはいけない。ということが最近ようやく分かってきた。それに、自らを空しくして、相手の存在をあるがままに受け入れ、中庸の気の中で見つめにくいことがいかに難しい技であるか。これは日頃の人間関係においても四六時中直面している問題である。それが出来ないから遠くへ行ってしまいたい気分になる。「落日を拾いに行かん海の果て」(壇一雄)。十二月八日(金)
アリは働き者か
アリは一見働き者のように見えるが、実は最も怠け者の昆虫である。アリの集団の中で働く固体は2割に限られ、あとの8割は完全に怠けている。では働く2割を隔離した場合はどうなるかというと、やはりその中の8割が怠け始める。その怠けている8割の固体を隔離した場合、その中の2割が働き始める。こうなると生物集団の生命維持原理が見えてきます。我々の肉体でもDNAなどは9割以上は重複情報であり、実用性からいえば全く役にたっていないというから、怠け者や役立たずの八割の部分にも生物の存在理由が認められることになる。今は迷わず、私は八割の方で怠けていたい。十二月一日(金)
本は買って読む (20)
本屋さんにも図書館にも欲しい本がない。本屋さんに言わせると、店頭陳列期間は三か月で、代理店が主導権を握り書店の自由にはならない。注文は「版元品切れ再版予定不明」と回答するが、実際には出版社の倉庫に死蔵されていることが珍しくないと、早川義夫「ぼくは本屋のおやじさん」(晶文社)はぼやく。一方、著者の側からは、林望が文藝春秋12月号で「図書館は無料貸本屋か」と問うている。図書館で借りたり、知人から借覧した書物のことは、もうみな忘れてしまった。そんなものなのだ。一夕ビールを呷るなら本は買って読め。また図書館は同じ流行本を何冊も何十冊も所蔵するものではない。娯楽本は自分で買って読むというのが当たり前。図書館は次第に無料貸本屋の様相だし、館員は納税者たる市民に何の顔(かんばせ)あってあい見えることができようか。重複本を制限し別の本を揃え、どんな要望にでも応えられる多面的重層的な蔵書とすべき。全国の公共図書館二千六百館が地道な良書を選書するとしたら、それだけで二千六百部の有効需要が生まれ、流行本の陰で書店からすぐ姿を消す小部数本が救われる。図書館が、出版界の衰退を助長し、良書の普及を妨げ、著作権の無料使用をさせているだけの「タダ読み館」だとしたら、これはどうしたものか。十一月二十五日(土)
「捨てる」再考
「捨てる・捨てない」が誌上で白熱。立花隆が文藝春秋12月号で辰巳渚「捨てる技術」(宝島社新書)こそが最初に捨てられるべき本と一刀両断。捨てるための考え方が誤っているらしい。あなたがモノへの執着を本質的に断ち出家した瀬戸内寂聴になれないなら、捨てないことが基本であると言う。どうしても捨てる必要に迫られた時は脳のとっさの判断に任せるのが良いらしい。しかし、写真、書かれたものなどの情報記憶媒体は記憶のキャリアとして最も強力なもので、「思い出のモノ」は捨てられない筈。情報のゴミでも、その人が生きている限り、大事なもの。モノで溢れた場所をスッキリさせる自己切捨ての快感を、他人に押し付けるのは異常行動である。文化の中核の担い手はみんな「捨てない派」である。ストックを捨てることはポテンシャルを捨てること。捨てる捨てないは本人以外がしてはならない。生命システムは、桂離宮とデザイン原理が正反対で、無駄なものの集積と言える。私自身は立花氏や辰巳氏と多少違い、不用本は図書館かリサイクルショップへ、写真と資料はパソコンに収納するなど、資料変換しながら選択廃棄し持物縮小をしているが、やはりポテンシャルとなると少し物足りないのは事実。十一月十七日(金)
気にならない
何時からか、他人にどのように見られているかを気にしなくなってきた。初対面のオバさんやオジさんとも自然体で話せるようになった。人にものを尋ねるのも平気になった。これは奇跡的な出来事だ。人見知りする性格もあり、以前は他人に質問するのが苦手だった。知らないことを教えて下さいと頼むのが下手だった。自分の殻が硬かったかもしれない。今では夏なら短パン・Tシャツ、冬なら綿入れ姿で、靴下の踵が薄くなっていても平気で人前に出られる。鷹揚になったのか。人の目を省略すると、装飾する言葉とモノは僅かで済むから気楽になりつつある。しかし気楽はダラシナイと誤解される。十一月十一日(土)
こどもニュース
子供向けのTVニュースは侮りがたい。欠かさず見ているのが土曜夕飯時の「NHK週刊こどもニュース」です。風呂上りのビールを嗜みながらビデオでじっくり見る。噛み砕いた言葉は、大人向けのニュース番組をしのぎます。しかも模型など多彩な方法が駆使されていて、「なるほど」と立ち止まって思考することが出来ます。毎日の中では「チョット待てョ」と留まることがありませんから、1週間のうちで集約された大事な時間となります。そのことと関係はありませんが、私は動かない写真を贔屓にしていますが、あなたは動画と写真のどちらを好みますか。(池上彰「これが週刊こどもニュースだ」集英社文庫)。十一月三日(金)
傾聴ボランテア
やるとしたら「聴くボランテア」かもしれない。老人病院やホスピスの患者が、ポツリポツリと語る人生の回顧や心の中にある悲しみに耳を傾ける。意見は言わない。「そうだったのですか、辛かったのですね」と肯定的に対応する。傾聴を重ねるうちに、患者はいつの間にか自分の人生を長編の物語のように辿ることになる。患者が希望すれば語ったことをワープロで打って冊子にまとめる。自分の一代記を語ると心が癒され、自分が他の誰でもない人生を生きたことに納得して、穏やかに死を迎えることが出来ると言う。重兼芳子「たとえ病むとも」(岩波現代文庫)は絶筆となったが、辛いけど光はある。十月二十九日(日)
声が低くなる
子供の声の音域が三度ほど低くなっている(服部公一「子どもの声が低くなる」ちくま新書)。五十年前は真中のドから上にレミファソラシドレミの十度の音域で「七つの子」「かもめの水兵さん」などの童謡が作曲されていた。それが近頃はラシドレミファソラシドと三度低くなって、「だんご三兄弟」の登場である。かの低音の魅力フランク永井なら上手く歌えることになる。かって木と紙のスカスカの家屋構造が地声を大きくさせ高音の声を必要とさせたが、今は硬い構造の家屋で大声を出す必要もない。東京の人たちは低く囁くように話すし、女性アナウンサーも低音です。ところで人はなぜ歌うのか。楽しいからか。首狩が上手い種族は歌も上手いが、歌の下手な種族は滅びたという話を思い出した。十月二十二日(日)
忘れたいことがあると泳ぐ
思い出したいときは風呂につかり、忘れたいことがあるときは泳ぐ。脱力した腕の手先から入水。水中で肘を引き付けて伸ばし、そこで力を抜く。顔を水から半分出して空気を吸う。筋肉を一定のリズムで動かし、その作業に心肺を持続させる。プールから上がり帰路につくといつもイイ気分になっている。でも今はからだの事情が変わったため水中ウォーキングと半々にしているが、体の調子が整うと気分も整う。丘沢静也「からだの知恵こころの筋肉」(岩波書店)。十月十七日(月)
英数国社理
大学生の学力低下の元凶は3割以上の推薦入学方式にあるという(川成洋「大学崩壊」宝島新書)。特に分数を含む算数が出来ない。ちなみに次の計算ができますか。第1問 7/8-4/5=? 第2問 3×{5+(4-1)×2}-5×(6-4÷2)=? 第3問 2÷0.25=? 正解は国立大理系で8割、早慶大経済学部で7割の正解率だそうです。現在の一芸、面接、論文、推薦、スポーツ推薦などといった入試の多様化を一切やめ、学力テスト一本に絞らないと危ない。背伸びをせず自分の能力に応じた大学を選ぶ安全第一主義もオットリとしていいが、「英数国社理」の五科目を復活しないと他国に基礎学力で負け続けることになる。事実、英語力の国際比較でも隣の中国・韓国に水をあけられている。日本人の『どう考えるのか』ではなく『何々を知っているか』という思考習慣でさえ、「これから」の人たちの基礎学力不足で液状化するのだろうか。十月十六日(日)
その手は桑名の焼き蛤
「〇〇さんですか」「はい」と電話口に出るや「××金融証券ですが…」と延々まくし立てる。押されっぱなしも癪なので「もう結構です」と言ってみたが「判っていただけたということですね」とくる。憮然としながら「断るということ」と言って電話を切る。毎度憤慨するがうまい殺し文句はないものか。せめて次は「ちょいと その手は桑名の焼き蛤 出直しな」くらいのセリフは吐きたいと構えています。皆さんはドナイしてますか。十月七日(土)
暮らしの三科目
モノを少なくすると、暮らしの味つけに目が向きます。体を動かしたい、気持ちを奏でたい、字を覚えたい。ところが体育・音楽・語学という風に翻訳すると、途端に気持ちが萎むのは学齢の頃から不得手だからか。でも始めました。まず歩く水泳。水中逆立ちで足拍子もできます。次は芸ごと。ハモニカは息切れるので、ピアノを思案中ですが、周りの者たちは長続きませんョとお節介してくれます。伊太利亜語も三年目なので片言はモノにしたい。自分の嗜好の、有形から無形へのオキカエです。暮らしの味つけを好む動物なのです。曲水の宴。九月三十日(金)
簡単な暮らし (10)
身軽で簡単な暮らしの実験です。持ち物を減らしました。小型本箱に本三百冊とCD三百枚。食卓に小型電子辞書。百科辞典はパソコンにインストール。シンプル環境が部分的に整いました。これは「辞典とウィスキーだけあればいい」の詩人・田村隆一を下地にしました。ものが増えたらポィ、記憶もポィです。気楽で簡単な暮らしぶりになりました。ちょっと早過ぎた楽隠居と見えなくもない。九月二十六日(火)
捨てる
本や身の回りの「捨て上手」を自認していましたが、間違ってパソコンのスキャナーを動かす大事なCD-ROMをゴミに出したことが判って唖然。メーカーに泣きついたら、インターネットでダウンロードできることが判明。社会(会社?)にバックアップされているのなら、大事なものもドンドン捨てて身軽になれるのか。「捨てて困るものはほとんどないから安心せい」と若手の辰巳渚「捨てる技術」(宝島社新書)もハッパをかけていますが。憧れの明窓浄几。九月二十八日(土)
像のインディラ
森まゆみ「明治東京奇人伝」(新潮文庫)から拾った上野動物園の話。戦時中、食料難で猛獣類は毒殺され像は餓死したが、戦後すぐにブタ、アヒル、ニワトリ、ウサギたちで開園した。しかし動物園でなく「ブタ園」と揶揄された。昭和21年に東京の子供たちがインドのネール首相に手紙を書いたところ、自分の娘と同じ名前の像「インディラ」が送られてきた。「世界中の子供は皆似かよっているが、大人になると異なってきて時々喧嘩をする。インディラはインドの子供たちからの愛情と好意の使者です。像は賢く、辛抱強く、力はあるが優しい。この性質を身につけたいものです」とのメッセージを添えて。天地有情。九月二十一日(木)
明治に浸る
庭の雑草退治をしなきゃ。でも休みの日だから本の一冊くらいと、積んでおいた文庫本に手を出した。森まゆみ「鴎外の坂」(新潮文庫)。森鴎外はドイツ留学や軍医として日露戦争に従軍する起伏ある人生を歩み、強い人と思われているが、意外に周りの人たちに気を使い優しい。若き鴎外は明快、正直、恬淡、真摯、率直であり、この裏切らない人柄をみこんで文人墨客が集う。こんな明治の男たちと明治の女たちの世界に浸りました。司馬遼太郎の描く「この国のかたち」とは味が違います。読み終えると外は暗く除草はオジャン。九月十四日(木)
動かず
「くどくなる気短になる愚痴になる心はひがむ身は古うなる(狂歌)」という新聞の切り抜きが、読み止しの本から出てきました。ちょいと酔うともうイケマセン。話は何度も繰り返し、できもしない絵空事をついつい。素面でも身に覚えがあります。これに効く特効薬はないのですが、「寡黙」の練習です。自分で話すより聞いたほうが楽だし、ためになることの方が多いというばかりでなく、じっとしてると相手や事柄が向こうから語ってくれます。ウォッチングでもこちらが動いてはだめです。相手が動くまで待つのです。でも焦れてつい先に動いてしまうのはどうしたものか。「ひたものをご覧ぜよ」(世阿弥)を思い出しました。九月九日 (土)
水たまり
公園の池の周りを散歩していた親子のセリフ。こども「お父さんこれ海?」。お父さん「違う」。こども「じゃ川?」。「違う」。「じゃ何?」。「池」。こども「池って何?」。お父さん「水たまり」。こども「ふうーん」。わたし「じゃ沼や湖も水たまり?」と聞きたいところでしたが調べ学習をしました。そうなんです。湖沼は海と直接つながらない水たまりで、沼は湖より浅く植物が繁茂。池は人工的なものでこれも水たまり。庭園の池や田んぼは「水の貯金箱」なり。水たまりは日本の美と生業のミナモトでした。九月五日 (火)
途方にくれても腹は空く
震災に遭った神戸でタクシーの運転手が語ってくれました。あの日の未明にトランポリンのように何度かバウンドし気がついたら布団に瓦が落ちていた。昼近くに奥さんと「こんな時でも昼になるとお腹は空くもんや」と呆れて笑ってから、半年は笑うことはなかったと述懐してました。街は修復した建物と新しい住宅群が混在し、人々は忘れはしない出来事をかかえながら、足取りは快活でした。王子動物園へ向かう途中のことです。九月一日 (金)
「たこ焼き」の夏休み
半ズボンに手ぬぐいスタイルで、ルーツの淡路島を初訪問。花博もやってましたが、木陰もなく汗が流れるばかり。冷たいものを飲んだだけで、すぐ船に乗って明石に向かいました。明石焼が食べたかったのです。たこ焼きなんですが、卵でふわっと焼き上げた中にタコが柔らかく迎えてくれます。つけ汁でいただきます。15コがなぜか斜めに傾いた板にのせられて運ばれてきました。「昼網」といって海から採れたてのタコ・シャコ・サヨリが地面で踊っている鮮魚店がズラリとならぶ「魚の棚商店街」にその店(たこ磯)はありました。八月三十一日 (木)
雑草はエコガーデンの顔役
除草剤や殺虫剤をつかわない庭。クモは風が通るところに巣をはり、虫を捕らえる。蝶は不規則な舞いをしながら蜜を求める。土の上ではスギナ・アカザ・クローバーが、大事な花に混じって雑草の意地をみせる。ほじくり返すとミミズがくねくね。きれいにする手間が足りないから、雑木林のような庭になってきました。八月二十五日(金)
この指に… (00年)
この指に止まりて居りオニヤンマ空に忘れしこれまでのこと。カラッとした十勝平野も最近は蒸し暑く、なんと車庫に「マダラ・カマドウマ」が生息しはじめました。サッカー選手のような名前で、日本語の当て字も竈(かまど)馬。でも触覚が長く嫌な虫です。コオロギは好きなくせに、なぜスキ・キライが分かれるのか。多分これは幼児体験からくるものです。小さいころの体験はF1(一世代)だけに影響が現れますが、遺伝子より生活に及ぼす力は強いかもしれません。〇〇年八月十六日 (水)
目覚め... 2
一目置く. 2
無財七施... 2
アリは働き者か... 3
本は買って読む (20). 3
「捨てる」再考... 3
気にならない... 4
こどもニュース... 4
傾聴ボランテア... 4
声が低くなる.. 5
忘れたいことがあると泳ぐ.. 5
英数国社理... 5
その手は桑名の焼き蛤... 5
暮らしの三科目... 6
簡単な暮らし (10). 6
捨てる.. 6
像のインディラ.. 6
明治に浸る.. 7
動かず... 7
水たまり.. 7
途方にくれても腹は空く. 7
「たこ焼き」の夏休み... 8
雑草はエコガーデンの顔役... 8
この指に… (00年). 8
繰り返し聴き、繰り返し読む
今年繰り返し聴いたものは、内田光子の「シューベルト・ピアノソナタ」、若きアルゲリッチ23歳の時の「ショパン・ピアノソナタ3番(復刻盤)」。それにビルエバンス(CD七枚)、マイルス(CD十五枚)。就寝時にも携帯CDプレーヤーで聴きく。そのためか日中耳に憑いて離れないこともある。読み返しているのは、岩波Jr新書「日本の歴史」六~九巻、藤田省三「戦後精神の経験Ⅱ」、それにワープロで貯めた三十年分の「書抜帖」である。繰り返しは基本が欲しいからか。私は三十年間同じ仕事場で働いた。職人なら許せるがすでに手遅れ。十二月二十九日(金)
目覚め
今は遮光カーテンを開けると朝日が目に染みますが、昔の家での目覚めは、睡眠から覚醒への移行が穏やかです。曙の光が障子の広窓を通して侵入しながら、目覚めさせる役を引き受ける。眠っている者は、猪突にではなく、むしろ網膜の底を撫でながら、気づくともなく徐々に目覚めていくのです。日本人はかくて、日の出のその始めから日と一体となり、まず、ご飯と味噌汁と小魚をお腹に収める。やおら身支度をし、ゆるやかな目覚めのリズムと言うかメロディを体に残しながら出かける。しかし私の半世紀の朝は目覚し時計に頼っていた。それが今は目覚ましが鳴るのを待っている。十二月二十二日(金)
一目置く
チベット人には、規則とかタブーとかを要領よく融通を利かせるという特徴がある。それに彼らは個人主義者で個人の徳を率直に評価する。彼らが一目置く人間というのは、何らかの意味でピリッとした人間、あるいはバックボーンのある行動する人間だ。それが腕力であれ、知力であれ、寛容の徳であれ、狡さであれ、とにかく何らかの点で一本筋の通ったものに一目置くようである。川喜多二郎「鳥葬の国」講談社学術文庫より書き抜き。十二月十七日(日)
無財七施
何はなくても出来る無財七施の教えが仏教の経典にある。顔施(穏やかな顔)、言施(柔らかな言葉)、心施(やさしい心)、身施(体を使って手助けする)、眼施(暖かいまなざし)、座施(席を譲る)、宿施(訪れた人を快く迎える)の七つである。普段は「ふむふむ」「なるほど」「それで」「それから」いうように相手に絡みながらも相手を倒さないように生活するのがいい。でもこの教えに逆らって毒づきたいときは、最後は自分も笑いのタネになる器量がないと拙い。言う方が傷つかない毒舌は単なる嫌味。毒舌や悪口は必ず面と向かって言う。絶対に陰で言ったり、第三者に伝えたりしてはいけない。ということが最近ようやく分かってきた。それに、自らを空しくして、相手の存在をあるがままに受け入れ、中庸の気の中で見つめにくいことがいかに難しい技であるか。これは日頃の人間関係においても四六時中直面している問題である。それが出来ないから遠くへ行ってしまいたい気分になる。「落日を拾いに行かん海の果て」(壇一雄)。十二月八日(金)
アリは働き者か
アリは一見働き者のように見えるが、実は最も怠け者の昆虫である。アリの集団の中で働く固体は2割に限られ、あとの8割は完全に怠けている。では働く2割を隔離した場合はどうなるかというと、やはりその中の8割が怠け始める。その怠けている8割の固体を隔離した場合、その中の2割が働き始める。こうなると生物集団の生命維持原理が見えてきます。我々の肉体でもDNAなどは9割以上は重複情報であり、実用性からいえば全く役にたっていないというから、怠け者や役立たずの八割の部分にも生物の存在理由が認められることになる。今は迷わず、私は八割の方で怠けていたい。十二月一日(金)
本は買って読む (20)
本屋さんにも図書館にも欲しい本がない。本屋さんに言わせると、店頭陳列期間は三か月で、代理店が主導権を握り書店の自由にはならない。注文は「版元品切れ再版予定不明」と回答するが、実際には出版社の倉庫に死蔵されていることが珍しくないと、早川義夫「ぼくは本屋のおやじさん」(晶文社)はぼやく。一方、著者の側からは、林望が文藝春秋12月号で「図書館は無料貸本屋か」と問うている。図書館で借りたり、知人から借覧した書物のことは、もうみな忘れてしまった。そんなものなのだ。一夕ビールを呷るなら本は買って読め。また図書館は同じ流行本を何冊も何十冊も所蔵するものではない。娯楽本は自分で買って読むというのが当たり前。図書館は次第に無料貸本屋の様相だし、館員は納税者たる市民に何の顔(かんばせ)あってあい見えることができようか。重複本を制限し別の本を揃え、どんな要望にでも応えられる多面的重層的な蔵書とすべき。全国の公共図書館二千六百館が地道な良書を選書するとしたら、それだけで二千六百部の有効需要が生まれ、流行本の陰で書店からすぐ姿を消す小部数本が救われる。図書館が、出版界の衰退を助長し、良書の普及を妨げ、著作権の無料使用をさせているだけの「タダ読み館」だとしたら、これはどうしたものか。十一月二十五日(土)
「捨てる」再考
「捨てる・捨てない」が誌上で白熱。立花隆が文藝春秋12月号で辰巳渚「捨てる技術」(宝島社新書)こそが最初に捨てられるべき本と一刀両断。捨てるための考え方が誤っているらしい。あなたがモノへの執着を本質的に断ち出家した瀬戸内寂聴になれないなら、捨てないことが基本であると言う。どうしても捨てる必要に迫られた時は脳のとっさの判断に任せるのが良いらしい。しかし、写真、書かれたものなどの情報記憶媒体は記憶のキャリアとして最も強力なもので、「思い出のモノ」は捨てられない筈。情報のゴミでも、その人が生きている限り、大事なもの。モノで溢れた場所をスッキリさせる自己切捨ての快感を、他人に押し付けるのは異常行動である。文化の中核の担い手はみんな「捨てない派」である。ストックを捨てることはポテンシャルを捨てること。捨てる捨てないは本人以外がしてはならない。生命システムは、桂離宮とデザイン原理が正反対で、無駄なものの集積と言える。私自身は立花氏や辰巳氏と多少違い、不用本は図書館かリサイクルショップへ、写真と資料はパソコンに収納するなど、資料変換しながら選択廃棄し持物縮小をしているが、やはりポテンシャルとなると少し物足りないのは事実。十一月十七日(金)
気にならない
何時からか、他人にどのように見られているかを気にしなくなってきた。初対面のオバさんやオジさんとも自然体で話せるようになった。人にものを尋ねるのも平気になった。これは奇跡的な出来事だ。人見知りする性格もあり、以前は他人に質問するのが苦手だった。知らないことを教えて下さいと頼むのが下手だった。自分の殻が硬かったかもしれない。今では夏なら短パン・Tシャツ、冬なら綿入れ姿で、靴下の踵が薄くなっていても平気で人前に出られる。鷹揚になったのか。人の目を省略すると、装飾する言葉とモノは僅かで済むから気楽になりつつある。しかし気楽はダラシナイと誤解される。十一月十一日(土)
こどもニュース
子供向けのTVニュースは侮りがたい。欠かさず見ているのが土曜夕飯時の「NHK週刊こどもニュース」です。風呂上りのビールを嗜みながらビデオでじっくり見る。噛み砕いた言葉は、大人向けのニュース番組をしのぎます。しかも模型など多彩な方法が駆使されていて、「なるほど」と立ち止まって思考することが出来ます。毎日の中では「チョット待てョ」と留まることがありませんから、1週間のうちで集約された大事な時間となります。そのことと関係はありませんが、私は動かない写真を贔屓にしていますが、あなたは動画と写真のどちらを好みますか。(池上彰「これが週刊こどもニュースだ」集英社文庫)。十一月三日(金)
傾聴ボランテア
やるとしたら「聴くボランテア」かもしれない。老人病院やホスピスの患者が、ポツリポツリと語る人生の回顧や心の中にある悲しみに耳を傾ける。意見は言わない。「そうだったのですか、辛かったのですね」と肯定的に対応する。傾聴を重ねるうちに、患者はいつの間にか自分の人生を長編の物語のように辿ることになる。患者が希望すれば語ったことをワープロで打って冊子にまとめる。自分の一代記を語ると心が癒され、自分が他の誰でもない人生を生きたことに納得して、穏やかに死を迎えることが出来ると言う。重兼芳子「たとえ病むとも」(岩波現代文庫)は絶筆となったが、辛いけど光はある。十月二十九日(日)
声が低くなる
子供の声の音域が三度ほど低くなっている(服部公一「子どもの声が低くなる」ちくま新書)。五十年前は真中のドから上にレミファソラシドレミの十度の音域で「七つの子」「かもめの水兵さん」などの童謡が作曲されていた。それが近頃はラシドレミファソラシドと三度低くなって、「だんご三兄弟」の登場である。かの低音の魅力フランク永井なら上手く歌えることになる。かって木と紙のスカスカの家屋構造が地声を大きくさせ高音の声を必要とさせたが、今は硬い構造の家屋で大声を出す必要もない。東京の人たちは低く囁くように話すし、女性アナウンサーも低音です。ところで人はなぜ歌うのか。楽しいからか。首狩が上手い種族は歌も上手いが、歌の下手な種族は滅びたという話を思い出した。十月二十二日(日)
忘れたいことがあると泳ぐ
思い出したいときは風呂につかり、忘れたいことがあるときは泳ぐ。脱力した腕の手先から入水。水中で肘を引き付けて伸ばし、そこで力を抜く。顔を水から半分出して空気を吸う。筋肉を一定のリズムで動かし、その作業に心肺を持続させる。プールから上がり帰路につくといつもイイ気分になっている。でも今はからだの事情が変わったため水中ウォーキングと半々にしているが、体の調子が整うと気分も整う。丘沢静也「からだの知恵こころの筋肉」(岩波書店)。十月十七日(月)
英数国社理
大学生の学力低下の元凶は3割以上の推薦入学方式にあるという(川成洋「大学崩壊」宝島新書)。特に分数を含む算数が出来ない。ちなみに次の計算ができますか。第1問 7/8-4/5=? 第2問 3×{5+(4-1)×2}-5×(6-4÷2)=? 第3問 2÷0.25=? 正解は国立大理系で8割、早慶大経済学部で7割の正解率だそうです。現在の一芸、面接、論文、推薦、スポーツ推薦などといった入試の多様化を一切やめ、学力テスト一本に絞らないと危ない。背伸びをせず自分の能力に応じた大学を選ぶ安全第一主義もオットリとしていいが、「英数国社理」の五科目を復活しないと他国に基礎学力で負け続けることになる。事実、英語力の国際比較でも隣の中国・韓国に水をあけられている。日本人の『どう考えるのか』ではなく『何々を知っているか』という思考習慣でさえ、「これから」の人たちの基礎学力不足で液状化するのだろうか。十月十六日(日)
その手は桑名の焼き蛤
「〇〇さんですか」「はい」と電話口に出るや「××金融証券ですが…」と延々まくし立てる。押されっぱなしも癪なので「もう結構です」と言ってみたが「判っていただけたということですね」とくる。憮然としながら「断るということ」と言って電話を切る。毎度憤慨するがうまい殺し文句はないものか。せめて次は「ちょいと その手は桑名の焼き蛤 出直しな」くらいのセリフは吐きたいと構えています。皆さんはドナイしてますか。十月七日(土)
暮らしの三科目
モノを少なくすると、暮らしの味つけに目が向きます。体を動かしたい、気持ちを奏でたい、字を覚えたい。ところが体育・音楽・語学という風に翻訳すると、途端に気持ちが萎むのは学齢の頃から不得手だからか。でも始めました。まず歩く水泳。水中逆立ちで足拍子もできます。次は芸ごと。ハモニカは息切れるので、ピアノを思案中ですが、周りの者たちは長続きませんョとお節介してくれます。伊太利亜語も三年目なので片言はモノにしたい。自分の嗜好の、有形から無形へのオキカエです。暮らしの味つけを好む動物なのです。曲水の宴。九月三十日(金)
簡単な暮らし (10)
身軽で簡単な暮らしの実験です。持ち物を減らしました。小型本箱に本三百冊とCD三百枚。食卓に小型電子辞書。百科辞典はパソコンにインストール。シンプル環境が部分的に整いました。これは「辞典とウィスキーだけあればいい」の詩人・田村隆一を下地にしました。ものが増えたらポィ、記憶もポィです。気楽で簡単な暮らしぶりになりました。ちょっと早過ぎた楽隠居と見えなくもない。九月二十六日(火)
捨てる
本や身の回りの「捨て上手」を自認していましたが、間違ってパソコンのスキャナーを動かす大事なCD-ROMをゴミに出したことが判って唖然。メーカーに泣きついたら、インターネットでダウンロードできることが判明。社会(会社?)にバックアップされているのなら、大事なものもドンドン捨てて身軽になれるのか。「捨てて困るものはほとんどないから安心せい」と若手の辰巳渚「捨てる技術」(宝島社新書)もハッパをかけていますが。憧れの明窓浄几。九月二十八日(土)
像のインディラ
森まゆみ「明治東京奇人伝」(新潮文庫)から拾った上野動物園の話。戦時中、食料難で猛獣類は毒殺され像は餓死したが、戦後すぐにブタ、アヒル、ニワトリ、ウサギたちで開園した。しかし動物園でなく「ブタ園」と揶揄された。昭和21年に東京の子供たちがインドのネール首相に手紙を書いたところ、自分の娘と同じ名前の像「インディラ」が送られてきた。「世界中の子供は皆似かよっているが、大人になると異なってきて時々喧嘩をする。インディラはインドの子供たちからの愛情と好意の使者です。像は賢く、辛抱強く、力はあるが優しい。この性質を身につけたいものです」とのメッセージを添えて。天地有情。九月二十一日(木)
明治に浸る
庭の雑草退治をしなきゃ。でも休みの日だから本の一冊くらいと、積んでおいた文庫本に手を出した。森まゆみ「鴎外の坂」(新潮文庫)。森鴎外はドイツ留学や軍医として日露戦争に従軍する起伏ある人生を歩み、強い人と思われているが、意外に周りの人たちに気を使い優しい。若き鴎外は明快、正直、恬淡、真摯、率直であり、この裏切らない人柄をみこんで文人墨客が集う。こんな明治の男たちと明治の女たちの世界に浸りました。司馬遼太郎の描く「この国のかたち」とは味が違います。読み終えると外は暗く除草はオジャン。九月十四日(木)
動かず
「くどくなる気短になる愚痴になる心はひがむ身は古うなる(狂歌)」という新聞の切り抜きが、読み止しの本から出てきました。ちょいと酔うともうイケマセン。話は何度も繰り返し、できもしない絵空事をついつい。素面でも身に覚えがあります。これに効く特効薬はないのですが、「寡黙」の練習です。自分で話すより聞いたほうが楽だし、ためになることの方が多いというばかりでなく、じっとしてると相手や事柄が向こうから語ってくれます。ウォッチングでもこちらが動いてはだめです。相手が動くまで待つのです。でも焦れてつい先に動いてしまうのはどうしたものか。「ひたものをご覧ぜよ」(世阿弥)を思い出しました。九月九日 (土)
水たまり
公園の池の周りを散歩していた親子のセリフ。こども「お父さんこれ海?」。お父さん「違う」。こども「じゃ川?」。「違う」。「じゃ何?」。「池」。こども「池って何?」。お父さん「水たまり」。こども「ふうーん」。わたし「じゃ沼や湖も水たまり?」と聞きたいところでしたが調べ学習をしました。そうなんです。湖沼は海と直接つながらない水たまりで、沼は湖より浅く植物が繁茂。池は人工的なものでこれも水たまり。庭園の池や田んぼは「水の貯金箱」なり。水たまりは日本の美と生業のミナモトでした。九月五日 (火)
途方にくれても腹は空く
震災に遭った神戸でタクシーの運転手が語ってくれました。あの日の未明にトランポリンのように何度かバウンドし気がついたら布団に瓦が落ちていた。昼近くに奥さんと「こんな時でも昼になるとお腹は空くもんや」と呆れて笑ってから、半年は笑うことはなかったと述懐してました。街は修復した建物と新しい住宅群が混在し、人々は忘れはしない出来事をかかえながら、足取りは快活でした。王子動物園へ向かう途中のことです。九月一日 (金)
「たこ焼き」の夏休み
半ズボンに手ぬぐいスタイルで、ルーツの淡路島を初訪問。花博もやってましたが、木陰もなく汗が流れるばかり。冷たいものを飲んだだけで、すぐ船に乗って明石に向かいました。明石焼が食べたかったのです。たこ焼きなんですが、卵でふわっと焼き上げた中にタコが柔らかく迎えてくれます。つけ汁でいただきます。15コがなぜか斜めに傾いた板にのせられて運ばれてきました。「昼網」といって海から採れたてのタコ・シャコ・サヨリが地面で踊っている鮮魚店がズラリとならぶ「魚の棚商店街」にその店(たこ磯)はありました。八月三十一日 (木)
雑草はエコガーデンの顔役
除草剤や殺虫剤をつかわない庭。クモは風が通るところに巣をはり、虫を捕らえる。蝶は不規則な舞いをしながら蜜を求める。土の上ではスギナ・アカザ・クローバーが、大事な花に混じって雑草の意地をみせる。ほじくり返すとミミズがくねくね。きれいにする手間が足りないから、雑木林のような庭になってきました。八月二十五日(金)
この指に… (00年)
この指に止まりて居りオニヤンマ空に忘れしこれまでのこと。カラッとした十勝平野も最近は蒸し暑く、なんと車庫に「マダラ・カマドウマ」が生息しはじめました。サッカー選手のような名前で、日本語の当て字も竈(かまど)馬。でも触覚が長く嫌な虫です。コオロギは好きなくせに、なぜスキ・キライが分かれるのか。多分これは幼児体験からくるものです。小さいころの体験はF1(一世代)だけに影響が現れますが、遺伝子より生活に及ぼす力は強いかもしれません。〇〇年八月十六日 (水)
2009年2月25日水曜日
武器の流れ
『インテリジェンス/武器なき戦争』(手嶋龍一・佐藤優/幻冬舎新書)から。▼中東と北朝鮮のリンケージ(連携)が日本には見えていない。ミサイル実験が成功したか失敗したかを考える上で大事なのは、スカッドと日本を射程に収めるノドンは五発の連射に成功したということです。その発射現場に、イランのバイヤーが十人以上来ていたという情報がある。取引のために、目の前でノドンの性能を見せたということです。そこで重要なのは、イランの「シャハブ3」というミサイルがノドンのコピーだという「公然の秘密」です。つまり、日本がODA(政府開発援助)やアザデガン油田開発でイランに落とす金が、北朝鮮のミサイルを向上させることに使われる可能性がある。ですから、イランから石油を買う場合でも、それが大量破壊兵器の拡散につながらないという言質をとらないといけません。▼その点で注目すべきは、「X55」というウクライナ製の巡航ミサイルです。ウクライナ政府は、X55がイランと中国に少なくとも六基ずつ流れたことを認めている。未解明ですが、そのうちのいくつかが、最終的に北朝鮮に流れている可能性がある。▼僕(佐藤優)が外務省の同僚に言ったのは、まずコーランを読めということです。岩波文庫三冊だから、二週間あれば読めるんです。ゲルナーの『民族とナショナリズム』も五日で読める。それからもう一つ、イスラムの現代の政治について書かれたオックスフォード大学出版局からでてる『イスラム・真っすぐな道』という定本も含めた三冊を読んでこいといったわけです。▼佐藤ラスプーチンは「秘密情報の98%は公開情報を再整理することで得られる」と言う。これは田中宇のレポートが証明している。二月二十五日(水)
2009年2月19日木曜日
トロツキストの陰謀
田中宇の古いブログから。オバマ政権に移行しても、このことは知っておいた方が。▼米本土に米軍を駐留させて、テロリストの疑いがある国民(貧乏人)を取り締まれ、と最初に言い出したのは、911からイラク泥沼化まで、ブッシュ政権内で力を持っていた「ネオコン」であるが、その元祖的存在であるアービン・クリストルらは、かつてニューヨークでトロツキストとして活動していた。トロツキスト(トロツキー派)は、ロシア革命に参加した勢力の中で、革命をロシア一国だけでなく、世界に拡大すべきだと主張していた革命家たちで、ユダヤ人が多かったが、ロシア第一主義のスターリンは、トロツキストの国際主義に疑いを持ち、政権から追放した。▼トロツキーは革命に参加する前、ニューヨークに滞在しており、革命に参加するとすぐに指導者となり、ソ連の初代の外務大臣になって国際共産主義運動を指揮し、中国などへの革命の拡大を図った。トロツキーらは、ニューヨークの資本家から支援され、国家資本主義の効率をさらに上げるための世界革命を起こそうとした疑いがある)▼ トロツキストがネオコン(新保守主義)になり、表向きは「保守」を掲げて米単独覇権主義を標榜しつつ、実際には重過失的にイラク戦争とテロ戦争の大失敗を引き起こし、結果的に、左翼革命家が果たせなかった米資本主義の崩壊を、内側から実現した。「資本家」と「左翼」は敵どうしのはずだという常識を外して考えると、そのような推測が成り立つ。 ▼虚実こもごもだが、この推測は考えられます。二月十九日(木)
2009年2月7日土曜日
なつめろ読み
『「甘えの」の構造・増補版』(土居健夫・弘文堂)から。▼人情は依存性を歓迎し、義理は人々を依存的な関係に縛るということもできる。義理人情が支配的なモラルであった日本の社会はかくして甘えの瀰漫した世界であったといって過言ではない。▼伊丹十三が、日本人論は土居健夫「甘えの構造」と川島武宜の「日本人の法意識」を読めばいいとう話を思い出し増補版を再読。甘えの例証・傍証が多様かつ膨大でありました。図式化すれば数ページで収まりそうでした。ということで、さらに思い起こせば、70年代は、イ・オリョン「縮み志向の日本人」とか中根千枝「タテ社会の日本人」などの日本人論が盛んでした。二月七日(土)
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