2009年5月20日水曜日
陰翳の日本
『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎・中公文庫)から。▼京都や奈良の寺院に行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難味を感じる。茶の間もいいにはいいけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。それらは必ず母屋から離れていて、青葉の匂や苔の匂のしてくるような植え込みの陰に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持ちは、何とも云えない。漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられている。繰り返して云うが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻(うな)りさえ耳につくような静けさとが、必須の条件なのである。▼日本の屋根を傘とすれば、西洋のそれは帽子でしかない。しかも鳥打帽子のように出来るだけ鍔(つば)を小さくし、日光の直射を近々と軒端に受ける。けだし日本家の屋根の庇が長いのは、気候風土や、建築材料や、その他いろいろの関係があるのであろう。たとえば煉瓦やガラスやセメントのようなものを使わないところから、横なぐりの風雨を防ぐためには庇を深くする必要があったであろうし、日本人とて暗い部屋より明るい部屋を便利としたに違いないが、是非なくああなったのでもあろう。が、美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされた我々の先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生まれているので、それ以外に何もない。西洋人が日本座敷を見てその簡素なのに驚き、ただ灰色の壁があるばかりで何の装飾もないという風に感じるのは、彼等としてはいかさま尤もであるけれども、それは陰翳の謎を解しないからである。我々は、それでなくても太陽の光線の這入りにくい座敷の外側へ、土庇を出したり縁側を附けたりして一層日光を遠のける。そして室内へは、庭からの反射が障子を通してほんのり明るく忍び込むようにする。我々の座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に外ならない。我々は、この力のない、わびしい、果敢(はか)ない光線が、しんみり落ち着いて座敷の壁へ沁み込むように、わざと調子の弱い色の砂壁を塗る。▼金蒔絵や僧侶の金襴の袈裟は、蝋燭や燈明の薄暗いところでなら、底光りと幽玄がある。近ごろは明るすぎる。五月二十日(水)
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