2009年4月18日土曜日
獄中ノート六十二冊
『獄中記』(佐藤優・岩波書店)から。▼独房生活も二カ月になると、廊下を歩く職員の鍵束の音を聞くだけで、自分の独房の扉が開けられるのかどうかがだいたいわかるようになります。死刑囚にとっては、この鍵束の音が何よりも脅威だと思います。▼それにしても語学の勉強に着手すると時間があっというまに過ぎていく。ドイツ語の辞書読みのみならず、『岩波国語辞典』も通読して、漢字練習をしておくというのも日本語力向上のために役立つと思う。▼外に出て、将来家を建てることになったら、東京拘置所の独房そっくりに小部屋を作り、思索と集中学習用の特別室にしたいと考えています。それくらい現在の生活を気に入っているということです。▼書籍の差し入れと文房具、コーヒー、食料品の購入が担保されるならば、あと二・三年この生活が続いても十分平気である。集中して勉強できる環境が保障されるのはよいことで、過去十五年の研究の遅れを取り戻すべく全力を尽くそう。▼外交の世界(特に秘密外交の世界)では、経済合理性では測れない世界があります。例えば、日本はエリツィン大統領と北方領土問題の突破口を切り開こうとしているが、同大統領に健康不安がある場合は、主治医治(ターゲット)と人脈を作って情報を得ることはとても重要になります。ターゲットと人脈ができても医師の口の堅さはどこの国でも一緒なので、この先の情報入手は深い知恵を働かす必要があります。このためには特別の便宜供与も必要になれば、接待にカネもかかります。どの程度が適切かは、工作担当者にしかわからないのです。「この工作を行う」ということが組織によって決定されれば、基本的に青天井で工作費が出るというのがこの世界の常識です。もちろん、他国の元首の健康状態を探るというのは表には出せない話なので、このような努力も闇の中に隠しておかなくてはなりません。しかしエリツィンが引退してしまえば、このような工作は意味がなくなります。結果としては、この工作に費やされたカネと努力は無駄になるわけです。「庶民の常識」から見るならば「税金の無駄遣い」ということになります。秘密外交上の工作などというのはこのようなことの繰り返しなのです。しかし、このような、作業なしに外交交渉を日本に有利な方向に導くことはできません。その時点で必要であった工作が、後から「庶民の常識」で断罪されるのでは、誰も秘密外交には従事しません。従って、このような「断罪」から秘密工作に従事する外交官を守るのが「政治」の役目なのです。しかし、今回は「政治」がわれわれを潰すことにした訳ですから、私の側ではなす術がないのです。▼国策捜査は必要な場合もあります。しかし、今回の外務省絡みの国策捜査の結果、日本の外交官は事務次官や主管局長、会計課長の決裁を得ても背任で逮捕、起訴されるわけですから、誰もリスクをおかす企画はもとより、日常業務もできるだけ縮小するようになります。仕事をしないならば、引っかけられることはないからです。問題はこの不作為がいかに国民の利益を毀損することになるかです。▼情報活動、それも諜報(インテリジェンス)に関与する業務については、外務省の器では少々不安な部分があった。活動を担保するためには政治サイドの支援が不可欠であった。政治と外務省の「ちょうつがい」役をつとめることが私には期待されていた。さらに、組織運営上のカネの問題や、内部抗争についてはチームメンバーには基本的に関与させず、私が個人的にリスクを負担した。▼この権力闘争が、日本国家システムのパラダイム転換期に発生したため、私の事件は歴史的性格を帯びることになりました。私は歴代の内閣総理大臣の命令に従って、鈴木宗男さん、東郷和彦さんたちとともに日本の国益のために日露平和条約交渉という難しい任務を遂行していました。▼人間の活動において、道具は決定的に重要である。同じ人間でもハンマーで刺身を作ることはできないし、包丁で論文を書くことはできず、万年筆で犬小屋を作ることはできない。それに暴力装置の利用を射程に収めると、「汚い手法できれいな目標を実現する」という問題設定が出てくる。▼間抜けた兵隊がいれば、戦争でいつか弾に当たるだけだが、隊長が間抜けだと部隊が全滅する。また、一人の人間によって勝つことはできないが、一人の人間によって戦争に負けることはよくある。▼フーコーが『監獄の誕生』の中で分析しているが、独房でたいていの人間は従順な人間に改造され、多くの場合、世界観まで変わってしまう。死刑囚も例外ではない。ほとんどの死刑囚が死を恐れない(同時に過去の犯罪についても一切反省しない)人間に造りかえられ、比較的平穏に処刑されていくのだと思う。死刑囚が前非を悔いるというのは、外の世界の人々が信じたがっている「物語」に過ぎないと僕は思う。▼獄中生活では、断片的なメモはいくつも作り(ノートはB5判六十二冊六千頁)、学術書も二百冊を読んだが、まとまった著述活動はしなかった。どうせ外に出てから全面的にやり直すことになるので、獄中ではあえて原稿の基になる断片的なメモ作りに活動を抑制したというのが正直なところである。▼検察との取引を避けたいがため著者は保釈請求をしなかったそうだ。512日間の拘置所生活。四月十八日(土)
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