2009年1月28日水曜日
色彩に乏しい生活
『意味がなければスイングはない』(村上春樹・文藝春秋)のづづき。▼「ジャズというのはね」と彼(スタン・ゲッツ)は晩年、あるインタビューの中で、まるで家庭の不快な秘密を打ち明けるように語った、「夜の音楽(night music)なんだ」。▼ブルース・スプリングスティーンはニュージャージー州の小さな町に生まれた。家は貧しく、両親は月々の支払いをし、テーブルの上に日々の食事を並べ、なんとか生き延びていくことで精一杯だった。子供たちはハイスクールを卒業したら(うまく卒業したらということだが)父親や祖母と同じ工場に就職し、ユニオン・カードを手に入れ、父親や祖母と同じような(色彩に乏しい)人生を送るのが当然と見なされていた。大学に進学するものはきわめて稀だった。多くの若者はワイルドで気ままな青春時代を送りはするが、そのような輝かしい日々もすぐに終わり、二十代初めには結婚して家庭を持ち、生活に追われながらそれぞれに退屈な大人になっていく。毎朝ピックアップ・トラックに乗って工場に出かけ、代り映えのしない仕事をし、日が暮れるとバーに寄って仲間とビールを飲み、相も変わらぬ昔話をする。それがアメリカの無数の小さな町で、世代から世代へと送り継がれてきた人生のパターンだった。そこには出口もなく、見るべき夢もない。その閉塞感は、名曲「グローリー・ディズ」の中で実に切々と語られている。▼ジャズは、日にちを跨ぐmidnight music。一月二十八日(水)
2009年1月27日火曜日
シューベルトの「ばらけ」
『意味がなければスイングはない』(村上春樹・文藝春秋)から。▼真摯で誠実な、気骨のあるマイナー・ポエト(minor poet)というのが、僕がその夜のシダー・ウォルトンから受けた印象だった。吉行淳之介氏がよく「僕は本質的にマイナー・ポエトなんだよ」と言われていたが、それに通じるところがあるかもしれない。時代を画する巨大な長編小説を書くことはないけれど、鋭敏な感覚で細部を穿つ短編小説や、淡色のヴェールがかかった親密な空間を描きあげる中編小説の領域にあっては、余人に真似のできない持ち味を発揮する。あえて言うまでもないことだが、人の心に届く音や言葉は、その物理的な大きさで計量できるものではないのだ。何もミュージシャンや小説家に限らずとも、数としてはそれほど多くはないにせよ、世の中には、こういうタイプの人が存在する。普段はおとなしくて、積極的に前に出て発言することもないから、そんなに目立たないけれど、大事なときがくると立ち上がって、言葉少なに、しかし整然と正論を述べる。その言葉にはたしかな重みがある。しゃべり終えると席につき、また静かにほかの人の意見に耳を傾ける。そういう人がいればこそ、世界のおもりみたいなものが、しかるべき位置に微調整されて収斂するのだという印象がある。シダー・ウォルトンはまさにそういうタイプのミュージシャンで、彼のような実力のある「隠し味」的な人がいてこそ、ジャズの世界も陰影と奥行きが生まれてくるのではないだろうか。▼シューベルトのピアノ・ソナタには、「冗長さ」や「まとまりのなさ」や「はた迷惑さ」がある。ベートーベンやモーツァルトにはない、心の自由なばらけのようなものがある。スピーカーの前に座り、目を閉じて音楽を聴いていると、そこにある世界の内側に向かって自然に、個人的に、足を踏み入れていくことができる。音を素手ですくい上げて、そこから自分なりの音楽的情景を、気の向くまま描いていける。そのような、いわば融通無碍な世界が、そこにはあるのだ。ベートーベンやモーツァルトのピアノ・ソナタでは、僕らはその音楽の流れに、造形性に、あるいは宇宙観のようなものに身を任せるしかない。しかしシューベルトの音楽はそうではない。目線がもっと低い。むずかしいこと抜きで、我々を温かく迎え入れ、彼の音楽が醸し出す心地よいエーテルの中に、損得抜きで浸らせてくれる。そこにあるのは、中毒的と言ってもいいような特殊な感覚である。▼シューベルトの「ピアノ・ソナタ第17番ニ長調」なんかを聴いていると気持ちがばらける。まとまりはない。それがまたいい。一月二十七日(火)
2009年1月16日金曜日
2009年1月6日火曜日
宇宙はどこから
『宇宙論入門』(佐藤勝彦・岩波新書)から。▼宇宙がうまれたときには、この世界にはある一つの力しかなかった。まず重力という力が生まれた。さらに温度が下がり、大統一理論に対応する力が生まれ、そこから強い力が分岐した。またしばらく経つと弱い力と電磁力とが分岐した。こうして現在われわれの宇宙を支配している四つの力が生まれてきた。▼私は大統一理論が予言する、宇宙の温度10の28乗度で起こる相転移が第一次相転移ならば、どのように宇宙の進化が変わるかを調べた。まず、相転移が遅れる効果により宇宙は過冷却を起こす。しかし、相転移が起こらないための真空のエネルギーは高いままである。真空が相転移を起こす前の宇宙の状態は、現在の真空よりエネルギーが高い。このエネルギーの差を「真空のエネルギー」と呼ぶ。真空のエネルギーは、アインシュタイン方程式の宇宙項と同じように、空間を押し広げる斥力のはたらきをする。宇宙の初期には、この真空のエネルギーの巨大な斥力が生じ、指数関数的な膨張が起こったのである。いわば倍々ゲームの膨張である。宇宙が素粒子のような小さな大きさから始まったとしよう。水素原子の中心にある陽子の半径は10のマイナス15乗メートルである。宇宙が最初この陽子の大きさだったとして、倍々ゲームを100回繰り返すとこの宇宙は太陽系を超え、140回繰り返すと現在見えている宇宙の大きさを超える。▼この急激な加速膨張はいつまでも続くものではない。真空の相移転の終了とともに、何百桁と増大した真空のエネルギーは潜熱として開放され、ふつうのエネルギーとなる。これは水蒸気が水になるとき、また水が氷になるときと同様である。このエネルギーによって、いろいろな素粒子(クォーク、レプトン、光子など)が生まれ、宇宙は過冷却の状態から一挙に火の玉宇宙が生まれる。ビックバン宇宙の誕生である。▼われわれの太陽は、あと50億年もすれば、大きな赤色巨星になって、地球も呑み込んでしまうであろう。いや、その前に、「知的生命体の社会は、高度な文明を獲得したときに100年程度で不安定になり自滅する」とイタリア生まれの原子核物理学者フェルミはいう。▼となると、今世紀が人類の「Our Final Century」 ということですね。一月六日(火)
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