2009年7月8日水曜日

生命のデフォルト1

『できそこないの男たち』(福岡伸一・光文社新書)から。▼トポロジー的にいってみれば、消化管は、ちょうどチクワの穴のようなものだ。口、食道、胃、小腸、大腸、肛門と連なるのは、身体の中心を突き抜ける中空の穴である。空間的には外部とつながっている。私たちが食べたものは、口から入り胃や腸に達するが、この時点ではまだ本当の意味では、食物は身体の「内部」に入ったわけではない。外部である消化管内消化され、低分子化された栄養素が消化管壁を透過して体内の血液中に入ったとき、初めて食べ物は身体の「内部」、すなわちチクワの身の部分に入ったことになる。▼生命の基本仕様(デフォルト)。子宮の奥の暗がりの中で受精が成立したら、受精卵はXXかXYにかかわらず、生命の基本仕様にしたがって展開する。受精卵は分裂して二つに、さらに分裂して四つに、八つにと倍々に増える。瞬く間に細胞は膨大な数となり、球状の細胞塊となる。やがてボールの皮の一部が内側にめり込む。U字形にめり込んだ皮はやがて向こう側に達する。そこに口が開く。最初に侵入が始まった部位が肛門となる。ミクロなチクワの誕生である。▼受精後、6週間ほどが経過すると生き物は1センチほどの大きさになる。さらに1週間経つと急に人らしくなる。頭が丸くなりそれを支える首ができる。手足が伸びる。体長は2センチになる。仮にもしこの時点で、不謹慎ながらも、太ももの間をのぞき見ることができたとしたら、染色体がXXであろうかXYであろうと、そこには同じものが見える。割れ目。これを見たらおそらくおしなべて皆こう思うだろう。ああ、この子は女の子だと。そうそのとおり。すべての胎児は染色体の型に関係なく、受精後約7週間までは同じ道を行く。生命の基本仕様。それは女である。このあと、基本仕様のプログラム進行に何ら干渉が働くことがなければ、割れ目は立派な女性の生殖器となる。▼基本仕様によれば、まず割れ目から細い陥入路(ミュラー管)が奥へと延びる。このミュラー管は、細胞分裂によって入り口の部分は膣に変化し、奥に行くにしたがって広がりつつ、子宮、そして卵管を作り上げる。卵管の一番奥には原始生殖細胞が鎮座し、それが卵子をつくり出す場所、卵巣となる。割れ目の中央にできた膣口の上に、腎臓へ伸びる尿道が開口する。さらに上方の舳先(へさき)には尖った陰核が作り出され、割れ目は舟形の、より割れ目らしい形となる。これが生命の発生プログラムにおけるデフォルト=基本仕様なのだ。▼では、もしこの子が男の子になろうと思うなら、まずしなければならない変更点は何か?それは何はともあれ、割れ目をとじ合わせることである。睾丸を含む陰嚢を持ち上げてみると、肛門から上に向かって一筋の縫い跡がある。それは陰嚢の袋の真ん中を通過してペニスの付け根に帆を張り、ペニスの裏側までまっすぐに続いている。俗にこれは、「蟻の門渡り(とわたり)」と呼ばれる細いすじである。男の子は早いうちからこのすじの存在に気づいている。知ってはいるけれど、なぜこんな線がこんなところについているのか、そのことについて、思いをめぐらせた少年はどれくらいいるだろうか。蟻が一列に並んで渡らなければならないほど狭い通路、そう名づけられたこのすじこそが、生命の基本仕様に介入してカスタマイズがかけられたことを示す、まごうことなき痕跡なのである。では誰が一体、カスタマイズを行ったのか。SRY(sex-determining region Y)である。▼プログラム開始後、約7週間目に、WT-1というタンパク質のスイッチがオンになり、SRY遺伝子のスイッチもオンになる。SRYの指令を受けた別の実行部隊は、膣が開口する必要のなくなった割れ目を閉じ合わせる作業を行う。肛門に近い側から細胞と細胞の接着によってたどたどしく縫い合わせが始まる。蟻の門渡りはこのような営みの痕跡として存在するのである。▼SRYの指令は他方でテストステロンという男性ホルモンを作り出す。胎児の生殖器にはミュラー管に並行してウォルフ管があるが、このウォルフ管がテストステロンにさらされると分化・成長を始めて、精巣上体、輸精管、精嚢など精子の輸送を行う管を形成することになる。ウォルフ管の奥の終点には原始生殖細胞が位置する。何ごともなければこの細胞は卵細胞になるはずだった。ところがテストステロンのシャワーを浴びることによって、ここでも原始生殖細胞はデフォルトからカスタマイズのわき道を歩むことになる。すなわち精子細胞を作り出す精巣となる。デフォルトでは原始生殖細胞は左右に分かれた卵管の奥に安住するはずだった。が、精巣に変わると徐々に下降することになる。▼下降した精巣は、割れ目を閉じ合わせてできたところまで下がる。その部分はちょうど女性器の割れ目にあった左右の大陰唇を縫い合わせてできた、だぶつきのある袋状の場所である。こうして陰嚢が出来上がる。陰嚢の中央には縫合痕がある。男の子の赤ちゃんが生まれるとすぐに看護師は左右の指先でそっと赤ちゃんの陰嚢を探る。ちゃんと精巣が下降して収まるべき場所に収まっているかどうかを確かめるためだ。七月八日(水)

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