2009年7月9日木曜日

生命のデフォルト2 (400)

▼不細工な仕上がり。生命の基本仕様はまず割れ目をつくり、そこに入り口(出口ともいえる)を持つ細い管を2本用意した。ミュラー管とウォルフ管である。二つの管は並んでいる。もし発生プログラムが基本仕様のままであれば、ミュラー管が成長し、膣、子宮、卵管という一連の生殖器になる。かたや、発生プログラムの途中にSRY(sex-determining region Y)が挿入され、そこからカスタマイズが進行するとすれば、ミュラー管は抑制因子によって萎縮し、かわりに男性ホルモンの促進作用によってウォルフ管が成長を始める。ウォルフ管は、割れ目の開口部に近い順に、射精管、精嚢、輸精管、精巣上体という一連の生殖器になる。そして不要となった割れ目を閉じ合わせ始める。しかしこのカスタマイズのプロセスでひとつだけ不都合なことが生じる。それは精子を放出する開口部が出口を失ってしまうことだ。また、尿の出口もうしなってしまうではないか。▼尿路の形成についてもまた、女性の構造を見ると生命の基本仕様がわかる。ミュラー管は膣、子宮、卵管を作る。ミュラー管と並行してそのすぐ上を走っているウォルフ管。これは男性では精管になるが、女性にとっては無用のものとなる。しかしひとつだけ用途がある。それが尿路の形成だ。尿路が合流したウォルフ管の出口。女性ではここが割れ目になって外界に通じる。今、男性化のカスタマイズはこの割れ目を肛門の側から縫い合わせて膣口を閉じた。左右の大陰唇を閉じ合わせて玉袋を作った。そして今はウォルフ管の出口ごと縫い合わせ作業を進めていこうとしている。▼しかしそのとき一つだけ配慮が行われた。完全に縫い合わせると、尿も、そして精子も外へ放出することができない。それゆえ縫い合わせる際、尿と精子が通過できる細い空洞を残しながら割れ目を閉じていったのである。このとき使われた左右の組織は、女性器でいえば小陰唇の部分である。小陰唇はやわらかい海綿状の組織でできている。その網目の毛細血管に血液が流れ込めば海綿は膨潤して大きくなる。内部に細い通路を残しながら小陰唇を全部左右に縫い合わせると最後に三角形の突起に行き当たる。小陰唇を合一した棹は最後にその頂にこの三角形の突起をドーム状に拾い上げて載せてから、その下側に通路の口をあけた。テストステロンの作用がこれらに参画するすべての細胞の増殖を促進し、一連の造形を太く、長くした。これで完成である。▼男性諸君、今一度、自分の持ち物の形状を仔細に点検してみよう。棹に当たる部分はあたかも「たらこ」のような紡錘形の海綿組織を左右から寄せ合わせたようになっている。鬼頭の部分もそうだ。こけしの頭の真ん中に穴をうがったような単純な半球状ではない。まさに爬虫類の頭部のように上側は丸く底面は平たい。そして尿道はその底面の中央をあたかも左右に寄せたような浅い通路を通って開口しているのだ。この不思議にも精妙な形状はすべて、女から男へのカスタマイズの明々白々な軌跡そのものなのである。▼男性は、生命の基本仕様である女性を作りかえて出来上がったものである。だから、ところどころに急場しのぎの、不細工な仕上がり具合になっているところがある。実際、女性の身体にはすべてのものが備わっており、男性の身体はそれを取捨選択しかつ改変したものにすぎない。基本仕様として備わっていたミュラー管とウォルフ管。男性はミュラー管を敢えて殺し、ウォルフ管を促成して生殖器官とした。それに付随して様々な小細工を行った。かくて尿の通り道が、精液の通り道を借用することになった。ついでに精子を子宮に送り込むための発射台が、放尿のための棹にも使われるようになった。女性は何も無理なことはしない。ミュラー管がそのまま育ち生殖器官となる。女性は何かを殺すこともしない。女性の身体にはいまでもウォルフ管の痕跡が残っている。▼アダムがイブを作ったのではない。イブがアダムをつくり出したのである。▼自然は、加速を感じる知覚、加速覚を生物に与えた。ジェットコースターがまさに落下せんとするとき、その落下感を受け止める感覚。これを私は、人間が持つ六番目の知覚として速覚と呼びたい。より正確にいえば加速覚。進化とは、言葉のほんとうの意味において、生物の連鎖ということである。生殖行為と快感が結びついたのは進化の必然である。そして、きわめてありていにいえば、できそこないの生き物である男たちの唯一の生の報償として、射精感が加速覚と結合することが選ばれたのである。七月九日(木)

2009年7月8日水曜日

生命のデフォルト1

『できそこないの男たち』(福岡伸一・光文社新書)から。▼トポロジー的にいってみれば、消化管は、ちょうどチクワの穴のようなものだ。口、食道、胃、小腸、大腸、肛門と連なるのは、身体の中心を突き抜ける中空の穴である。空間的には外部とつながっている。私たちが食べたものは、口から入り胃や腸に達するが、この時点ではまだ本当の意味では、食物は身体の「内部」に入ったわけではない。外部である消化管内消化され、低分子化された栄養素が消化管壁を透過して体内の血液中に入ったとき、初めて食べ物は身体の「内部」、すなわちチクワの身の部分に入ったことになる。▼生命の基本仕様(デフォルト)。子宮の奥の暗がりの中で受精が成立したら、受精卵はXXかXYにかかわらず、生命の基本仕様にしたがって展開する。受精卵は分裂して二つに、さらに分裂して四つに、八つにと倍々に増える。瞬く間に細胞は膨大な数となり、球状の細胞塊となる。やがてボールの皮の一部が内側にめり込む。U字形にめり込んだ皮はやがて向こう側に達する。そこに口が開く。最初に侵入が始まった部位が肛門となる。ミクロなチクワの誕生である。▼受精後、6週間ほどが経過すると生き物は1センチほどの大きさになる。さらに1週間経つと急に人らしくなる。頭が丸くなりそれを支える首ができる。手足が伸びる。体長は2センチになる。仮にもしこの時点で、不謹慎ながらも、太ももの間をのぞき見ることができたとしたら、染色体がXXであろうかXYであろうと、そこには同じものが見える。割れ目。これを見たらおそらくおしなべて皆こう思うだろう。ああ、この子は女の子だと。そうそのとおり。すべての胎児は染色体の型に関係なく、受精後約7週間までは同じ道を行く。生命の基本仕様。それは女である。このあと、基本仕様のプログラム進行に何ら干渉が働くことがなければ、割れ目は立派な女性の生殖器となる。▼基本仕様によれば、まず割れ目から細い陥入路(ミュラー管)が奥へと延びる。このミュラー管は、細胞分裂によって入り口の部分は膣に変化し、奥に行くにしたがって広がりつつ、子宮、そして卵管を作り上げる。卵管の一番奥には原始生殖細胞が鎮座し、それが卵子をつくり出す場所、卵巣となる。割れ目の中央にできた膣口の上に、腎臓へ伸びる尿道が開口する。さらに上方の舳先(へさき)には尖った陰核が作り出され、割れ目は舟形の、より割れ目らしい形となる。これが生命の発生プログラムにおけるデフォルト=基本仕様なのだ。▼では、もしこの子が男の子になろうと思うなら、まずしなければならない変更点は何か?それは何はともあれ、割れ目をとじ合わせることである。睾丸を含む陰嚢を持ち上げてみると、肛門から上に向かって一筋の縫い跡がある。それは陰嚢の袋の真ん中を通過してペニスの付け根に帆を張り、ペニスの裏側までまっすぐに続いている。俗にこれは、「蟻の門渡り(とわたり)」と呼ばれる細いすじである。男の子は早いうちからこのすじの存在に気づいている。知ってはいるけれど、なぜこんな線がこんなところについているのか、そのことについて、思いをめぐらせた少年はどれくらいいるだろうか。蟻が一列に並んで渡らなければならないほど狭い通路、そう名づけられたこのすじこそが、生命の基本仕様に介入してカスタマイズがかけられたことを示す、まごうことなき痕跡なのである。では誰が一体、カスタマイズを行ったのか。SRY(sex-determining region Y)である。▼プログラム開始後、約7週間目に、WT-1というタンパク質のスイッチがオンになり、SRY遺伝子のスイッチもオンになる。SRYの指令を受けた別の実行部隊は、膣が開口する必要のなくなった割れ目を閉じ合わせる作業を行う。肛門に近い側から細胞と細胞の接着によってたどたどしく縫い合わせが始まる。蟻の門渡りはこのような営みの痕跡として存在するのである。▼SRYの指令は他方でテストステロンという男性ホルモンを作り出す。胎児の生殖器にはミュラー管に並行してウォルフ管があるが、このウォルフ管がテストステロンにさらされると分化・成長を始めて、精巣上体、輸精管、精嚢など精子の輸送を行う管を形成することになる。ウォルフ管の奥の終点には原始生殖細胞が位置する。何ごともなければこの細胞は卵細胞になるはずだった。ところがテストステロンのシャワーを浴びることによって、ここでも原始生殖細胞はデフォルトからカスタマイズのわき道を歩むことになる。すなわち精子細胞を作り出す精巣となる。デフォルトでは原始生殖細胞は左右に分かれた卵管の奥に安住するはずだった。が、精巣に変わると徐々に下降することになる。▼下降した精巣は、割れ目を閉じ合わせてできたところまで下がる。その部分はちょうど女性器の割れ目にあった左右の大陰唇を縫い合わせてできた、だぶつきのある袋状の場所である。こうして陰嚢が出来上がる。陰嚢の中央には縫合痕がある。男の子の赤ちゃんが生まれるとすぐに看護師は左右の指先でそっと赤ちゃんの陰嚢を探る。ちゃんと精巣が下降して収まるべき場所に収まっているかどうかを確かめるためだ。七月八日(水)