2008年9月17日水曜日
小津の魔法
『大人は愉しい』(内田樹・鈴木晶/ちくま文庫)から。▼ところで、暮れからお正月にかけて、日本のテレビ全局が小津安二郎全作品「だけ」を一週間ぶっつづけで朝から晩まで放映する、ということをしたらどうなるでしょう。それしか見るものがないし、ちょっと見始めると面白くってもう止まらないので、全日本人が一週間のあいだ、朝から晩まで小津漬けになってしまうんです。そして休みが明けて学校や会社に行くと、みんな小津安二郎の映画の中みたいなしゃべり方になっているんです。若い男は佐田啓二みたいに前髪をかきあげながら「いやあ」と微笑み、若い女は原節子みたに「ふふふ、そうですかしら?」と問いかけ、おじさんたちは笠智衆みたいに「やあ、どうも」と帽子を脱ぎ、おばさんたちは杉村春子みたいにぱたぱた走り回るのです。日本人全員の「小津化」、すてきだと思いません?▼小津ごっこ、いいですね。では、さっそく。九月十七日(水)
2008年9月16日火曜日
sentimental journey
『感傷教育』(武谷牧子・日本経済新聞出版社)から。▼今でも思い出せば、何か喚いてその辺を駆け回りたくなるほど格好の悪い出来事だが、その類の不細工なことを、和久井は彼女の前で数え切れないほどしてしまった。多分、彼女は、誰よりも多くの和久井の恥部を見ているだろう。肉体的にも、精神的にも未熟な部分を、彼女には洗いざらい見せてしまい、彼女から泣かれたり、笑われたり、怒られたり、愛されたり、いろんな喧嘩をして、謝ったり謝られたり、仲直りした。和久井も怒ったし、泣いたし、笑ったし、慰めたし慰められたし、愛したし、愛された。あんな四年間は、最初で最後だろう。学生だったから、学問的な意味で学んだし、知識量は確実に増えた。でも、彼女との生活で醸成されていった感傷教育は、和久井により多くを与え、より深くを学ばせた。喧嘩もたくさんした。▼柴田翔『されど我らが日々』は40年前。九月十六日(火)
2008年9月1日月曜日
盆踊はだれと踊っているのか (370)
『古代から来た未来人 折口信夫』(中沢新一・ちくまプリマー新書)から。▼柳田國男が共同体に同質な一体感をもたらす霊を求めていたのにたいして、折口信夫はそれと反対のことを考えていた。折口は神観念のおおもとにあるのは、共同体の「外」からやってきて、共同体になにか強烈に異質な体験をもたらす精霊の活動であるにちがいない、と考えたのである。そこから折口の「まれびと」の思想は、生まれたのだ。▼芸能者は死者たちの息吹に直に触れている。それと同時に、芸能者は若々しく荒々しいみなぎりあふれるばかりの生命力にも素手で触れている。彼らの芸は、生と死が一体であることを表現しようとしている。別の言い方をすれば、芸能者自身が死霊であり荒々しい生命であるという矛盾をしょいこんでいる。だから、彼らはふつうの人たちとは違う、聖なる徴を負っている人々として、共同体の「外」からやってくる、「まれびと」としての性格を持つことになったのだ。折口は村々に残された古い芸能のかたちを深く探求しながら、芸能者の原像を描き出そうとした。▼そのような「芸能者の原像」を「鬼」があざやかに表現している。鬼は共同体の外からやってきて、死の息吹を生者の世界に吹きかけ、そこに病や不幸をもたらすこともある。しかし、荒々しい霊力を全身から放ちながら出現してくる鬼の存在を間近に感じるとき、共同体の人々は、自分たちの世界に若々しい力が吹き込まれ、病気や消耗から立ち直って、再び健康な霊力にみたされ、生命のよみがえりを得ることができたように感ずるのである。▼『死者の書』では、そうやって死霊の世界が生者の世界に、有無を言わさぬ力をもって迫ってくるのである。小説は古代社会の末期を舞台としている。古代人の世界では、生者と死者はおたがいがごく身近なところにいた。縄文人たちは自分たちの村を円環状につくり、その真ん中にできた広場に、死者を埋葬していた。昼間は広場に立ち入ることを慎んでいた人たちが、夜になると広場に集まり、死者を埋葬した上で、踊るのである。踊りのステップに合わせて、地中から死霊が立ち現れてきて、生者といっしょになって踊りだす。いまの盆踊りの原型である。▼その昔「やっぱり柳田國男とオリクチノブオだね」と訳知りにいったら、そのノブオって誰、と失笑を買った。九月一日(月)
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