2009年3月6日金曜日

cojiki-04

自転車3.. 2
自転車2.. 2
自転車1 (180). 3
米国ウォッチ3.. 3
米国ウォッチ2.. 3
米国ウォッチ1.. 4
ユーラシア冷戦... 4
経済、もう一つの道... 5
二つの経済... 5
気負わず... 6
人はみな肌が黒かった3.. 6
人はみな肌が黒かった2.. 7
人はみな肌が黒かった1(170). 7
ええーっ.. 8
弱肉強食のホント.. 9
旅する本... 9
文学賞は就職試験... 10
同じパターンの同じミス... 10
重大なことを軽く決める.. 11
書評3.. 11
書評2.. 12
書評1.. 12
メッセージ (160). 13
動物たちの自己治療5.. 13
動物たちの自己治療4.. 14
動物たちの自己治療3.. 14
見て見ぬふり.. 14
動物たちの自己治療2.. 15
動物たちの自己治療1.. 16
すべてを持ち歩くオバサン.. 16
神は細部に宿る.. 16
泥脚傭雲... 17
町のヘリテージ(150). 17
インターネット・ラジオ... 18
魂の銭湯... 18
ランボーと俊太郎... 19
捨てちまった教科書... 19
山に向かう、川に向かう.. 19
一を聞いて十を知る.. 20
文学は実学... 20
あれあれ... 21
真夜中のトリオ... 21
夜は学芸王国(140). 21
家ホタル... 22
イワナミ文化... 22
パンキョーって... 23
とんぼの本(136). 23


自転車3
つづき。▼いま生きている三千万種の生物はすべて共通の祖先から進化してきたのだ。最初は同じであったものがこれだけ多種多様になってきたのはDNAのなせる業だ。DNAの得意技はいくらでもコピーを作れるということだ。しかしいつでも間違いなく同じものを作っていたら、生物はこれほど多様にはならなかったはずだ。遺伝子の正体はDNAで、化学分子である。紫外線、放射線、環境ホルモンなど他の化学物質によって構造に変化がおき、コピーミスをする。このコピーミスがあるからこそ変異があり、進化があって、これだけの多様な生物が生まれたのだ。でたらめコピーは、いい方向に進化するとは限らない。進化は進歩ではない。▼生物たちは、お互いに複雑に連絡しあい、依存しあって生きている。チベット仏教の最高僧ダライ・ラマ十四世は、「地球上のあらゆるものがつながっていて、何ひとつとして関係性のないものはない」と言う。一本一本の木々はその拡散に多くの動物の世話になっている。害虫を駆除するために幾種類かの鳥類が、受粉のために幾種類かの昆虫が、その種子を糞と一緒に散布するのに幾種類かの動物が寄与している。そしてこれらの鳥類、昆虫、動物が必要としている生物もそれぞれ何種類、何十種類あるいは何百種類とある。このように生物はお互いに複雑に絡みあい、支えあい、絶妙なバランスのもとに生態系を維持している。チベット仏教の高僧の行きついた地球観と、科学者の観察から得られた生物の実相は似ているのだ。▼宇宙カレンダーからみると、百五十億年前のビックバン(宇宙の大爆発)から現在までを一年として、地球史をみると、恐竜が生まれたのがクリスマス、人類は大晦日の午後十時半に生まれたことになる。人類史というスケールでみると、農耕を始めたのがやはり大晦日。地球外生命体が地球を見たら、案外ペットや家畜が地球の主人で、それをせっせと世話する人間が雇われていると見るかもしれません。▼人口では二割に満たない人びとが、八割近いエネルギー資源を使っている。南の人たちが都市住民と同じに暮らすなら、地球が三つも四つも必要になる。▼再び、成長の限界を思い知る。十二月十日(金)

自転車2
自転車で南米からアフリカまで旅する人もいる。『グレートジャーニー・原住民の知恵』(関野吉晴・知恵の森文庫)から。▼モンゴルのエルデネメチグさんは、長い旅で出会った人のなかでも、とくに印象的な人だった。母親としてなんでも包み込むような暖かさと温もりがあった。遊牧民としてのたくましさと、ほとんど当てもなく盗まれた馬を長期にわたって探しに行く、楽天性と行動力を持っていた。▼ペルーのマチゲンガの人たちは川を中心に生きている。彼らは、頭の中に私たちと違う地図を持っている。地球という概念はない。国という概念もない。世界は森と川からできていると思っている。仲良くなると、彼らから尋ねられる。「あんたはどこの川からきたの?」「その川にはどんな魚がいるの?」。▼チンパンジーの交尾には、メスが必ずしも強いオスだけの交尾を望んでいるとは限らない。強いオスの目を盗んで、結構弱いオス、あるいは若いオスとの交尾に積極的になることが多い。弱肉強食だけではない動物の世界がある。▼二十万年前にアフリカで生まれたわれわれの直接の先祖である新人(ホモ・サピエンス)は、五万年ほど前から世界中に拡散していった。なかでも難関は海と極北だ。海はおよそ五万年前に航海術を身につけて進出を始め、四万年前にオーストラリアまで達した。極北に進出するためには、植物食を中心とする雑食から、肉食に切り替えなければならない。北に行けばマンモスなどの大型哺乳類がたくさんいる。その捕獲技術と肉食への代謝能力が必要だ。寒さへの適応、衣服と住居の改良。およそ三万年前、とうとうそれをやり遂げた人びとの子孫がアラスカに渡り、アメリカ大陸を南下して、南米大陸に達した。人類は、欲望と好奇で旅したということか。▼アフリカ、カラハリ砂漠のブッシュマンやピグミーは、採取・狩猟民だが、モノを蓄えない。この社会で最も大切なことは、「モノをあげたり、貰ったりすること」と「人びとが集うこと」だと言う。人びとの結びつきを強くしておく。人のネットワークを強固にしておくことが、将来の蓄えとなる。十二月九日(木)

自転車1 (180)
自転車はどこを走るか。原則は車道であり、緊急措置として歩道を使うことができる。実際は両使い。ということで、自転車は法の強い規制もなく自由の身である。これがペダルを踏むときの快感となる。著者のおかげで、みずからの古い自転車を見直し油をさすことにした。その『自転車ツーキニスト』(疋田智・知恵の森文庫)から。Webサイトは次を。http://japgun.hp.infoseek.co.jp/welcome.html ▼鍵の話。イタリア映画「自転車泥棒」では鍵なしを乗り逃げられたが、いまはチェーンロック。それでも盗まれる。鍵をかけるときに四桁数字の右端の一桁しか動かさない。これは誰でも覚えがある。泥棒たちはそれを知っていて、リングの鍵を一回転するうちに外してしまう。人の癖を知る泥棒。▼自転車の移動には、駐車料金も要らないからお金がかからない。自転車に乗っていると、何となくお金を使わなくなっている自分に気づく。▼自動車評論家の徳大寺有恒は、あのプリウスだって、やっぱり排気ガスはだすんだよ。ボクはもう二十年間も「小さなクルマの方が良いんだ」って言い続けてきた。だけど日本が豊かになるにつれて、クルマはどんどん大きくなった。本来ね、クルマの排気量は1リットル、それ以上はいらない。クルマに乗るなら、リッターカーに乗るのが一番格好いいんだよ。自転車に乗るのはもっと格好いいけどと、おっしゃる。▼サイクリストにとっては、テントを張るという行為の「大地ある限り、どこで俺の寝床だ」という感覚がたまらない。▼初心者にオススメの自転車は、ロードとMTBの中間、街乗りに特化した「クロスバイク」がいい。前輪サスペンションつきで、細めのタイヤを履き、スピードもそこそこで乗り心地も悪くない。▼通勤には自転車。会社までは意外に簡単に行けるし、それを毎日続けて行くことで、自分なりのノウハウがたまっていく。坂道の上がり方、風が強いとき、交差点での車との渡り合い方、その他のコツはいろいろあるが、実践で身につく。▼私流の着替え。通勤で着替えがムリな人は、背中にタオルを差し込んでおいて抜き取れば、すっきりしますよ。十二月八日(水)

米国ウォッチ3
つぎは、世界の多極化の動き。▼ネオコン・タカ派が中東を不安定化させていくのを尻目に、国際協調派が中東の外側の周辺地域を安定化させようとする動きは、リビア、イラン、トルコ、キプロスなどでも行われている。それらを行っているのは、アメリカの国務省、国連、EUという、国際協調派連合である。このように、国際協調派はアメリカ以外の国が国際的に力を持つことで世界的なパワーバランスをとり、外交によって国際問題を解決できる状態をつくり、アメリカが単独覇権主義者に牛耳られても世界が混乱しないようにしようとしている。いわゆる多極化である。▼すでに、アメリカが異常であることは誰の目にも明らかである。これからもアメリカによる支配状態が長く続く可能性もあるが、その逆に金融危機などによってアメリカの支配があっさりと崩壊する可能性もある。日本はアメリカの敵にされないように注意しながら、いつ異変がおきてもいいようにしておく必要がある。▼どう考えても、世界システムは多極化に向かう。またその方がいい。生物の多様化同様に、元々の地球システムではないか。十一月二十八日(日)

米国ウォッチ2
つぎは、国務省と国防総省の対立から。▼アメリカのネオコンはイスラエル右派を支持しているが、そのイスラエル当局はイラク占領が泥沼化するのと歩調をあわせるように「シリアがテロ組織を支援している」としてブッシュ政権にシリア制裁を強化させたり、「イランは核兵器を開発している。イスラエルはイランの原発をミサイル攻撃するかもしれない」と言い出している。ネオコンとイスラエルは、アメリカの戦線をシリアやイランにも拡大させ、戦争の泥沼に沈めようとしている。▼90年代当初のソ連崩壊後は、国連を強化して国際紛争の解決役にしようとする、パウエル国務長官の国際協調主義の立場が強かった。その後、ボスニアなどで国連の紛争解決がうまくいかず、国連には任せられないといった主張が幅をきかせ、アメリカは世界最強なのだから、国連など無視して外交をやればいいとする単独覇権主義が1996年ごろから強くなってきた。ラムズフェルド国防総省長官の登場である。▼協調主義は、世界は一国だけが強い状態ではなく、多国間の力がバランスしている状態の方が安定する、という均衡戦略の概念にもとづき、アメリカは第二次大戦後に世界最強の国になった状態に固執せず、他の国々が強国になることに手を貸すべきだという考えに立つ。そのパウエル長官は、イラク・イラン・北朝鮮が悪の枢軸なら、ロシア・インド・中国を「ユーラシア安定の枢軸」と考える。中国に対しては2003年初めに北朝鮮問題は北京中心で解決していくことを決めた。中国も自国を中心に東アジアを安定させようとし、韓国とタイはすでにこの体制下で自国の外交を行っている。▼9・11事件から「アメリカはおかしい」と世界の多くの人びとが思い始めた。アメリカに頼らない国際社会づくり、ゆるやかな非米の同盟体がつくられつつあるように感じる。十一月二十七日(土)

米国ウォッチ1
アメリカの動きを、日本の新聞だけで理解できるだろうか。インターネット記事から国際情勢を広範囲に読み解く人がいる。既存の記事、各国当局や他の勢力の発表をよみ、その上で出来事の意味を考える。公開されている情報が歪曲されていないか、騙されていないかを吟味する。『非米同盟』(田中宇・文春新書)はそれを実践している。▼さて、2001年の9・11事件の犯人をめぐるおかしな話。この計画に参加したとされて起訴された人物のほとんどが証拠不十分で釈放されていることはご存知だろうか。奇妙なことだ。いろいろな角度から分析していくと、この9・11は「奇襲」ではなかったのではないか。アメリカ政府の上層部は、この大規模なテロ事件が起きると知りつつ意図的に放置したか、もしくはテロ事件そのものに関与していたと考えたくもなる。アメリカは仮想敵として「世界的な悪」がほしかった。ソ連崩壊は対立すべき「悪」の対象を失わせた。しかしイスラム過激派という敵が存在することにより、アメリカ政府は戦略的に重要だと思われる世界のあちこちの国に対し「テロ防止のために貴国に米軍を駐留させたい」と宣言することができる。かたや米国内では、景気が悪化しても連邦政府の軍事予算を拡大することができ、政界と結びつきが深い関連産業が潤う。▼9・11事件には、ハンチントンの「文明の衝突」がよく引き合いにだされる。彼の国づくりの考えは次のとおり。危機を誘発させ、民主主義を超える超法規的なパワーエリートとなる大統領直属の千人が、非常時の交通通信、マスコミ、発電所などのエネルギー施設などを押さえ、議会を通さず法律を制定し、裁判所に代って司法権を発動し、国民を兵役その他の仕事に強制動員させる。非常事態においては、政策決定に時間がかかる民主主義より、こうした独裁に近い体制の方が効率がよい。これを自国や他国に応用させる。ブッシュ政権は、このハンチントンの考えに沿って、2002年に「国土安全保障省」という新しい巨大な官庁をつくった。職員数18万人、年間予算5兆円の巨大組織の誕生である。▼スパイというか、ウォッチの仕方には常道があるようです。敵深く侵入して活躍する映画ダブル・オー・セブンのタイプもあるにはあるが、英国MI6がやるように新聞や公式発表の情報分析が決め手になる。十一月二十六日(金)

ユーラシア冷戦
▼東アジアの安全保障はどうなっていくのか。ロシア語を短波ラジオで習得したという下斗米さんは粘り強く、ソ連崩壊後の公開資料を分析する。ユーラシア・レポートである『アジア冷戦史』(下斗米伸夫・中公新書)から。▼四九年に中国革命があり、同じ四九年、劉少奇・スターリン会談でアジアの個別の問題は中国に委ねることに決めた。五〇年、中ソ同盟で再確認。とくにソ連は、北朝鮮の扱いを中国に任せた。だが中ソ対立の間をぬって、金日成は抑圧社会への度合いを強め、中ソの思惑を超えた航路をたどり始めたのである。特に核をめぐっては熾烈であった。▼人民中国が作られ、ソ連が核開発を成功させた四九年は、冷戦のもっとも緊張した時期であった。そのソ連から技術提供を断られた中国が核開発を成功させた六四年以降、毛沢東は国内の親ソ派を一掃する文化大革命を発動させる。それらの動きを見ていた北朝鮮も、ソ連・ロシアとの同盟条約がなくなる九〇年代に「核の傘」を提供されなかったことから、九〇年代はじめに核開発を進めた。核はいまや最貧国が先進工業国を威嚇する手段となった。弱者の恐喝である。同時にコストのかかる核開発は数百万人単位の餓死者を出した。▼この核問題を抱えながら、アジアは多極化していく。七六年に周恩来、つづいて毛沢東が亡くなった。アジア全体に大きな変動をもたらしたし、偉大にして残酷な指導者の時代が終る。毛の死後、中ソは接近する。この冷戦終焉の過程で、東アジアの社会主義国は、それぞれ独自の道を選んだ。モンゴルの民主化、中国共産党による経済成長、北朝鮮の抑圧社会化など、それぞれの手段で冷戦後の政治危機を乗り切ろうとしてきた。▼九一年のソ連崩壊後のロシア連邦は、民主化や市場経済へ移行したが、結果はプーチン大統領が二〇〇〇年当初に認めたように、中国経済の五分の一となる。風向きが変わって米国が唯一の超大国となり、アジアは多極化へ向う。東西両方にまたがるユーラシアのロシアが極東でパートナーを求めるとすれば、日本と中国であろう。しかし経済の規模からすると、韓国経済の方がパートナーとしてふさわしい。朝鮮半島問題をめぐる六者協議(日米中ロ)と東アジアの安全保障への期待は高いが、首脳会談にまではこぎつけていない。▼眉が焦げ始めた朝鮮半島問題はあるが、ユーラシア全体が多極構造になれば「力の均衡」への期待がつながる。十一月十九日(金)

経済、もう一つの道
▼この国にも意気高い小企業やベンチャー企業がある。『共生の大地-新しい経済がはじまる』(内橋克人・岩波新書)から。▼しのぎを削る情報産業のなかで、福武書店(現在はベネッセコーポレーション)に惹かれる。二万六千人の主婦による「赤ペン先生」がなんといっても出色。通信教育の「進研ゼミ」を支えるのは、教員免許を持ちながら、教職に就くことのできない主婦たち。すなわち在宅勤務の赤ペン先生である。なぜ赤ペンなのか。コンピュータではなく一人ひとりの在宅教員がすべて肉筆で答案に添削をほどこすからである。生徒たちから寄せられる相談事にも「おばさん」が親身になって答える。東京・多摩にある本社には千六百人の社員が勤める。事務机は桜材、床はコルク、各自の机を仕切るやわらかい感触のパーティション、机上には電話がない。かわって各フロアにはセクレタリーが三十五人に一人の割合で配置され、電話を一括とりしきる。外部への電話は特別のブースでかける。このオフィスにはQタイムと呼ばれる時間がある。毎日午後一時半から三時半まで「考える」ことを妨げるようなことは、電話をはじめいっさい行わない。上司が部下を呼びつけることもない。社員は誰に妨げられることもなく、企画・編集をはじめ自分の仕事に没頭できる。「日本の事務所で行われているのは仕事ではなく、作業です」と社主の福武総一郎氏は言う。▼わが身の場合は、九割が雑事と作業で毎日が暮れる。十一月十二日(金)

二つの経済
アメリカの保守主義とリベラリズムの差異はどこにあるか。市場万能、自助努力と自己責任、小さな政府、低福祉低負担、これが保守主義の経済理念。かたや、市場は不完全ゆえに、政府介入による経済安定、高福祉高負担による不均衡是正はやむを得ないとするのが、リベラリズムの経済理念。この二つの流れを『市場主義の終焉』(佐和隆光・岩波新書)から。▼二つの立場を象徴している経済学者は、「政府の市場介入は害あって益なし」というのがハイエクで、対極にいるのがケインズ。政府の財政政策で市場介入しなければ、失業、インフレ、貿易赤字などの不均衡は解消されないとする。このケインズ主義をどこの国も採用してきた。が、やがてアメリカ、ついでイギリスは財政赤字と国債発行増にうめき、70年代から80年代は、反ケインズを旗印とするサッチャリズムやレーガノミックスへと風向きがかわり、市場主義が強くなる。▼さて、21世紀当初の十年間に起こる「変化」はなにか。第一に、ポスト工業化がすすみ不確実性とリスクが増大する。その結果、少数の勝者と多数の敗者が生まれ、社会の結束がゆらぎ、犯罪が増え、新興宗教への帰依者が増える。市場主義の競争に負けないためには、反市場となる不正なインサイダー取引が横行する。第二に、情報技術革新が、個人間、国家間の生産性格差と所得格差を途方もなく拡大する。政府は、個人所得の累進課税や福祉予算の拡大による所得の再分配にだけに頼ることはむりである。福祉のあり方や、平等・不平等などを見直し、第三の道をさぐらなくてはならない。第三に、自由競争の結果が「一人勝ち」なる。マイクロソフト社の基本ソフトは追随する応用ソフトの余勢をかい、閾値を超え市場占有率を一気に高め90%を超えてしまう。ウィンドウズが他の基本ソフトより優れていたためではない。▼経済学の祖・アダム・スミスが言うところの、市場での神の「見えざる手」の予定調和は、地球上の二百余国の市場経済までは手がまわらないようだ。グローバリゼーションは短期資本(ヘッジファンド)のひんぱんな移動をうながし、97年から98年にかけての東アジア通貨危機から国債金融危機を誘発させた。もともとは、東アジア諸国が80年代に工業化社会への離陸をとげ、工業製品の供給能力の過剰が通貨危機をおこしたと言われている。しかも、途上地域の中東・アフリカがその製品を飲み込めないでいる。グローバルなデフレ現象である。▼そんな潮流のなかで、経済的に落ちこぼれた人たちの弱者救済としてのセフティネットをどうするか。失業保険や再教育により敗者復活の機会を与えることである。建前はそうであるが、能力なき人たちには、無理に働いてもらうより、公的資金をつかうセフティネットで、惰眠をむさぼっていてもらう方が、再教育でコストをかけるより社会的費用は安くてすむ、という市場主義者もいる。▼しかし、市場主義と機会均等だけでは、結果の不平等をうみ、社会が安定しない。税と福祉による所得分配の平等化をめざすケインズ経済学を修正するような経済政策はないのだろうか。資本主義経済の活力源は、不確実性とリスクへの挑戦にある。リスクに挑戦するひとに報奨金を与えたり、リスクに挑戦して失敗した人へは補償したりが大事になる。失業保険は、労働力の再配置のため、転職というリスクへ挑戦への報奨金とみなすことである。▼90年代に世界の市場経済がそれなりに機能し、また98年に勃発しかけた国際金融危機を回避できたのは、強大な軍事力と経済力をもつアメリカが、グローバル市場経済のガバナンスをしたからである。しかし、そのアメリカも陰ってきた。▼グローバル資本主義のガバナンスを司る国際機関の創設へと向かわざるを得ないのだが。ブッシュ再選で保守主義の経済政策がさらに濃くなり、二つのアメリカは揺籃していく。平和と安全はまだまだなのだ。もしかしてないものねだりか。十一月六日(土)

気負わず
語り口は気負わず。日常からくみ上げるのがうまい。ひんやりと味ある井戸水かな。飲み、いや、読み心地がいい。『ゼロ発信』(赤瀬川源平・中公文庫)から。▼ぼくの美術の楽しみ方。ぼくは展覧会に行くときはポケットに五十億円ほど持って行く。持っているつもりで、ピカソやマチスやゴッホのどの絵を買おうかと思ってみると、思想やその他の知識で見るのとは違って自分の本心があらわれてくる。それから、展覧会は短く早く、三十分ぐらいの早足でさっと見る。そうするとムダな知識の干渉のいとまがなくて、これも自分の本心が得られる。▼現場は待ってくれない。時間も迫るし、手詰まり状態であっても、逃げるわけにはいかぬ、とにかくやらなければというぎりぎりのところで、乱暴力が発揮される。人のセンスというのは、結局はそこで出てくる。そうじゃないと、人間はどうしても逃げたがるのだ。余裕があると結局計算ばかりして、人のセンスも姿を消してしまう。▼そうだ、動物園に行こう。動物を見たかったんだ、動物を見るのは気持ちいい。動物を見ることが、何だかからからに乾いた口の中に、ごくごくと水を飲むような実感があるのだ。頭の中が理論ばかりで固められて、仕事が詰まり過ぎていたのか。人間の生活とはまるで違う象や、山猫や、オランウータンが、現実に目の前で生きて呼吸をしている。その生態を目の当たりにすることが、凄く気持ちいい。一つの型に固まりそうな気持ちが、ぐすぐすとほぐれていく。だってあんな考えられないような生き物が、とても考えられないような生活をしているんだもの。じーっと動かなくても、その体の中にとんでもない動きを秘めている。その窺いしれないものの存在に、何故かこちらの気持ちがほぐれて、気持ちの肩凝りがすーっと消えていく。これからはときどき動物園に行こうと思った。動物園では一人で無口に、じーっと動物を見ているのがいいように思った。自分は生きもので、向こうも生きもので、両方呼吸している。これがぱっと入れ変わったら、どんな感触だろうか。そんな妄想で、こちらの気持ちに、空気の入れ換えが出来るのである。▼世の中、何が隠れているのかわからない。隠れているものは見ようとしないと見えないから、一生それを見ずに終ることもある。でも見えてしまうと世界は深まり、深まるというのは世界が広がることである。▼きのうは腹を下したあとの無気力感を、立ち食いそばに救われた。十一月三日(水)

人はみな肌が黒かった3
▼石器を作ったのは誰か。二百五十万年前にヒトが初めて石器を発明し、それが全アフリカに伝わったことは間違いないだろう。石器は、人類が手にした初めてのテクノロジーであった。目的はいうまでもなく、肉を切るためである。▼気候変動で、東アフリカの森林が縮小し、サバンナが広がれば、ライオン、ヒョウ、チーター、リカオンなどの肉食獣は活動しやすいが、樹上の猿人にとっては危機的だ。新たな環境に適応するしかない。環境の大変動に適応できずに大量の動物は死に絶えるが、同時に爆発的に種を新生させるチャンスともなる。この混沌の中から脳の大きな雑食性のヒト属が選択されのだろう。ヒト属は肉食動物の食べ残しを漁ることになる。肉は高蛋白、高カロリーの完全食品である。従来からの果実、根茎類などの植物食に加えて、肉食を大幅に採り入れた雑食化によって、ヒト属が脳を拡大させたのは確かである。▼肉食には、石器が不可欠である。この石器でいきなり初期ヒト属が狩りをしたわけではない。大型の草食獣を狩猟する実力などなかったので、まずは死肉あさりである。サバンナに野垂れ死にした動物の死体を見つけ、ハイエナ、ハゲワシに先んじて、石器で厚い皮を裂き、肉片に切り分けたのである。▼ヒト属はなぜ、肉にこだわったか。肉がうまいからだけではない。生理学的に脳は、ひどいエネルギー消費型の組織なのである。現代人の場合、体重の二%ほどしかない脳が、全代謝エネルギーの二十%を消費している。脳を養うために高栄養の肉を食べざるをえなかったのだ。こう考えると、脳の拡大→石器の発明→肉食化は、密接に関連しあい、おそらく同時に始まったことなのだろう。どの歯車が狂っても、ヒト属の進化は頓挫したに違いない。▼さて、ヒトはどうしてアフリカを出たのだろうか。明快な答えはないが、おそらく百五十万年前頃、大型ネコ科動物がユーラシアに分布を広げた。基本的に死肉あさり屋だったヒト属は、彼らの後を追ったという可能性もある。▼最古のホミニドはアフリカでうぶ声をあげ、ヒト属の進化もアフリカで起こった。そしてホモ・サピエンス化もまたアフリカで進行し、この中の一部がついにユーラシアに進出して、やがて世界に分布したのである。十月二十四日(日)

人はみな肌が黒かった2
▼ヒトはなぜ直立したか。手が歩行から解放されれば、自由になり、道具を作れるようになる。直立すれば遠目がきく。ライオンやヒョウなどの捕食動物に対し、自らの体を大きく見せることができる。サバンナ暮らしには有利だ。しかしこの考えは、人類の誕生の場がサバンナでなかったことから破綻した。▼最近の説は、脳を冷やすために直立したという考えだ。脳は活発に活動する組織だから、常に冷やす必要がある。それには頭を高い位置にした方が、風に当たって有利だ。それに、熱帯雨林で覆われていた東アフリカの気候が悪化し、ジャングルが狭まり、パッチワークみたいになった森から森を移動するために、樹上性のヒトの祖先がやむなく直立二足歩行を始めた。▼一千万年前以降、地球のプレート運動によって東アフリカに大きな地溝帯が形成されつつあった。広大な熱帯雨林が東西に分断され、東は乾燥化を始めた。この雨林に棲んでいた化石類人猿は、東西に分断されたために遺伝的に隔離され、互いに別々の進化をした。西に残された集団はチンパンジーへと進化し、東の集団がヒトになった。と言う筋書きもある。▼チンパンジーはヒトに進化するか。その可能性はない。なぜなら共通先祖から分岐して以来、ヒトはますますヒトらしくなり、ついには現代人になったように、チンプもますますチンプらしく進化・特殊化し、今日に至った。極端に特殊化したグループが、反対側の極端に特殊化した別のグループのようになる事態は、進化という生物史の中ではありえない。特殊化とは環境に適応しようとした生物側の努力の結果である。適応できなかった個体群は死に絶え、その数は生き残った種数よりはるかに多い。その流れを逆流させ、別方向へ進化するなどという芸当はありえない。逆流すれば、その過程で当然に自然淘汰で排除されてしまう。▼二足歩行のためには、内臓をきっちり受け止めるボール型の腰が、絶対必要だ。チンプのような骨盤だったら、重力を受けて下がり落ちようとする内臓を支えきれない。だから現代人の腰痛と痔は直立の代償なのだ。十月二十三日(土)

人はみな肌が黒かった1(170)
死蔵本のほとんどを廃棄・リサイクルしたら、本棚がスカスカになった。持ち物が少なくなり気楽になる。軽くなるとちょっと重めのものが読める。『ネアンデルタールと現代人-ヒトの500万年史』(河合信和・文春新書)は、ヒトのソモソモをあつかう。▼人類は、起源地であるアフリカから旅立った。「出アフリカ」は、おそらく百五十万年前頃で、その五十万年後にはヨーロッパにたどりつく。最近では七十八万年前の人類化石が、スペインとイタリアで見つかっている。▼十九七〇年代の分子生物学は、ミトコンドリアDNAを利用して人類の進化系統樹をつくりはじめた。このミトコンドリアDNAは、母親からしか受け継がれないのが特徴。つまり母方の系統を精確に追跡していくと、現代人(ホモ・サピエンス)はアフリカの一女性に行きつく。この遺伝子の証拠からみて、起源的現代人が二十万年前にアフリカにいたのは動かないところだろう。▼それでは、何がホモ・サピエンスを生み出したのだろう。繰り返される氷河期をのりきるために、彼らは骨の針をもつことになる。ここが大事な点。これで毛皮を縫い防寒とした。間氷期になれば、サハラは砂漠が小さくなり、緑になるのでホモ・サピエンスが集まるが、気候の寒冷化とともにやがて中東に向かう。人類の西進である。▼クロマニヨン人の現代的特徴の起源はアフリカにあり、南アフリカとエチオピアで遅くとも十万年前には暮らしていた。その子孫がヨーロッパに進出してクロマニヨン人を出現させた。数千年間はヨーロッパのネアンデルタール人と共存し、その後交替した。▼ヨーロッパの白人もかつては黒人だった。人類の西進とともに、黒い皮膚を白い皮膚に変えた。強烈な太陽光のアフリカでは、肌が黒いことは、有害な紫外線をカットできるから適応的だ。しかし陽光の乏しいヨーロッパなら、肌が黒いままではカルシウム代謝に必要なビタミンDを合成できない。それでは、くる病によって早晩絶滅せざるをえない。また、瞳も、青く変わる必要があった。▼氷河期ヨーロッパでの、ネアンデルタール人とクロマニヨン人(ホモ・サピエンス)は競争的共存をしたが、石刃技法や骨角器の細工においてクロマニヨン人が優れていた。クロマニヨン人の骨角器は本格的なもので、マンモスの牙、トナカイの骨、食肉獣の歯を素材にして、道具をつくりあげていた。この差は、生存技術の上でかなりの差となり、ネアンデルタール人はひっそりと死に絶えた。人類誕生以来、少なくとも二百五十万年前以降は、ヒト科には常に複数種が共存していたが、このネアンデルタール人の絶滅で、ホモ・サピエンスは唯一種のヒトとなった。こうして残ったホモ・サピエンスに、地球の未来が委ねられることになったのである。十月二十二日(金)

ええーっ
職場の上司をあつかったこの新書は、本屋の一等地に何冊も平積みされている。薄い本ながら会社と社会を写し取り、現場からの上昇気流に期待が込められている。『上司は思いつきでものを言う』(橋本治・集英社新書)から。▼部下と上司とのすれ違いの原点はつぎにある。部下の提案が、上司の責任と過去の怠慢に結びつく場合は、うまくことが運ばない。それに現場を統括する管理職は、現場の都合と会社の都合の両方を股にかける立場にあり、ここで二つの流れは当然のように衝突がつきまとう。▼ところで、どうして上司は思いつきでものが言えるか。寒流と暖流のぶつかるところは、思いつきの魚場になる。たとえば会議で、この会社はこのままでは駄目だと、現場と会社の都合がぶつかり、寒流と暖流がぶつかる。だいたいの事実認識が共通になりそうなところで、「じゃ、そういうことで。わが社も安閑としていられないので、あとは各自それぞれ、何かを考えるように」で締めくくられる。その後はふっきれたように、上司はほとんど連想ゲームのように思いつきで反応することになる。そしてそれがまかり通る。▼会社からの風と、現場からの風はどう吹くか。建設的な提言は、ほとんど現場から吹きます。逆に会社からは、現場は努力せよの命令です。会社からの風だけだと、現場はやせます。しかし、会社はこれに無頓着です。理由は会社が上から下への命令系統によって出来上がっていて、下から上への現場の声を反映しにくいようになっているからです。でも部下の建設的な提言は、辛抱強く提案すれば必ず受け入れられます。だたし、上司の思いつきも招き寄せます。企画書を見た上司は「いいじゃないか。ところで、ここなんだがね」と必ず「思いつき回路」を作動させる。上司と現場は断たれているが、上司もかつては現場が故郷だったので、部下の提案に自分の限られた権限を振り回してみるのです。上司の優位性の誇示。これが、上司の思いつきが発動される主因です。▼上司とは、現場を離れてなおかつ現場を包括する能力のある者で、だからこそ部下は、上司に対し「ちょっといいですか」と言って、そのチェックを求めてくるのです。上司とは命令するものである、などという考えは捨ててもらっていいのです。▼さて、思いつきでものを言う上司にはどうしたらいいか。あきれればいいのです。「ええーっ」と言えばいいのです。ちゃんと練習をして、途中でイントネーションをぐちゃぐちゃにして、語尾をすっとんきょうに上げてください。上司は部下にあきれられた経験がありません。上司にあきれるためには、声の出し方だけでなく、どこが理論矛盾を発見しておかなくてはなりません。でもこれで論争に持ち込んではだめです。▼上司への企画書は、上司の頭のレベルにあわせて、分かるように書かなければならない。これが書き手の原則です。上司をバカにせず、バカかもしれない可能性も考えて書くことです。会社には二つの風が吹いています。暖められた空気は下から上へ、上がると冷えて重くなって下がります。同じ空気が下から上へ、上から下へと循環します。それには温度差があって当然です。これは初めからあるのです。▼そういうことだから人間の社会には厄介が起こる。十月十九日(火)

弱肉強食のホント
アフリカ・サバンナの写真やレポートは楽しい。▼『食べられるシマウマの正義、食べるライオンの正義』(竹田津実・新潮社)から。まずはアフリカのザイールでの話。ムブティ族(ピグミー族とも)は、捕獲したオカピのための餌集めの仕方がなんともポレポレである。オカピの餌となる植物は30種を超える。ある朝その採集作業につきあった。なかなかに楽しい。急ぐでもなく、競うでもなく、そのくせ仕事をさぼることもしない。皆が小さな鼻歌を歌いながらあちこちと立ち止まり、登り、しゃがんで、その日の必要な量を採集する。立ち止まり、背伸びし、下草に鼻をつっこんで、野生のオカピの菜食リズムを真似ている。各自が1種類を採集するために、集まる餌の種類はその日の出番の人数による。作業が終ると、集めた食草を頭にのせ、列をつくって帰ってゆく。静かに低く、歌をうたいながら。森の民ですね。▼つぎは、草食哺乳類の死亡要因。セレンゲティ公園内の調査では、捕食によるものは全頭数の3分の1程度だとわかった。残りは病死か餓死だというのだから、死体は肉食哺乳類の主要な餌であると考えられるというのだ。人類も道具の発達していない初期の段階では、屍肉食者であったはずである。人間もスカベンジャーだった。スカベンジャーの代表選手みたいに言われるハイエナは、研究者の報告によると、ライオンなどと同じ程度の狩をやっているという。▼さてつぎは、弱肉強食の話。野生の生き物たちに流行病がほとんどみられない。タンザニアのセレンゲティやマサイマラの自然保護区は、野生動物と人間、それに家畜との接点は無数にある。事実サバンナを歩けば、マサイの飼育する牛とヌーは隣り合わせの生活をし、草も水も同じ場所。ロバとシマウマ、ヤギとガゼル、皆んな共通の場を利用しあっている。もしそれが、あの100万頭をはるかに超えるヌーの中に発生したらどうなるか。だが現地の人に尋ねても、大感染で大量死なんてことは見たことがないという。チーターは、うじゃうじゃいたトムソンガゼルの中の一頭をめがけて狩をはじめた。どうも最初からターゲットを決めている様子。走り始めて一番弱そうなものをねらったのではない。狩るべき相手を決めてから走り出している。なぜか。同行のマサイ族のガイドは、「おいしそうに見えた」といった。そうなら、狩られる、殺される者たちがおいしそうに見せたりすることがあるとしたら、狩りをする側は、ただその表現に応えているに過ぎないということになる。さてそこでです。一般に伝染力の強い病気であっても、感染直後ではその個体は他者に対して伝染能力を持たない。一定期間の潜伏期をへて発病する。発病することによって初めて病原菌は外に飛び出す。ウィルスにしても菌にしても、発病前では体外に出ることはまずない。発病前に殺され、食べられたら、病気はその個体だけで終る。いかなる病原体であっても、流行することはないと考えられる。このシステムが野生動物の中に存在するんじゃなかろうか。もしそうなら、どんな流行病であっても単独個体で終息することになる。このメデタシ、メデタシのシステムを存在させるために感染個体は早く殺されなければならない。そこで編み出した形としてとったのが、「美味しそうに見せる」行動ではなかったのか。美味しいよと出す信号に、ただ応えただけに過ぎない行動。それが狩りであったんじゃなかろうか。そうすると弱肉強食、そんなものは皆んなウソ。死ぬのは正義なら、殺すのも正義。そして皆んな健康になる。▼これは竹田津実さんの仮説です。サバンナの狩りは、弱肉強食ではないかもしれない。いいなあ、今夜はぐっすり眠れそう。十月十日(日)

旅する本
出かける旅は日常をおき去りにした分だけ、気分が熱気球のように膨らみ上昇していく。それがふたたび日常に降りたつと、あれあれという間にしぼむ。この致し方ない気分。でもなんとか手入れさえしておけば、ある程度は膨らむ。膨らむように、ちょっと関係のありそうな本を探す。▼ケニアのマサイマラ動物保護区への旅行記がありました。『マサイマラに楽園をみた』(降分小鹿・文芸社)から。ここには電話がない。テレビがあるけれどそれはビデオのため。日本で生活しているときよりも感覚が鋭くなってきた。風、空、光、大地から受ける視覚、聴覚、臭覚、味覚、そして心の感覚すべてがマサイマラに訪れてから変わってきた。フィラデルフィアからきたおばあちゃんは「もう七十三歳なの。先が長くはないと思うけから、どうしても今のうちに野生の動物をこの目で見るのが夢だったの」「フィラデルフィアで生活していた時より、旅に出てから心も体も調子がいい。いつも飲んでいた薬を飲まなくてもね、不思議だわ」。「まあ残念、もう帰るの。せっかく初めて出来た日本人のお友達だったのに」。旅には出会いもある。▼つぎは、『世にもマニアな世界旅行』(山口由美・新潮社)から。旅は、その場にいる臨場感が大切なのに、南の島を訪れる日本人ダイバーは、概して魚の種類をたくさん見ることにこだわる。それにトラベルの語源がトラブルなんだから、多少のトラブルは楽しむくらいでないと。▼次の本は出かける本ではなく、こちらへ来た本。D・H・コラールの「アジアの旅」(未来社1967年)から。ヨーロッパの朝は厚いカーテンを開けるといちどに光が満ちるが、日本の朝は障子から徐々に光がさしこみ目覚めがゆるやか。▼かつてのおだやかな日本。古い日本の生活に旅したい。十月九日(土)

文学賞は就職試験
このひとの本を読むと、論証もうまく、そうかもなあと思えてきてしまい、結局は説得されてしまっている。▼『読者は踊る』(斉藤奈美子・文春文庫)から。今の若い人たちにとって一発当てるには、まんが家かミュージシャンの方が効率がよいのだが、そっちの才能がないので文章が選ばれる。だが本格的エンタテイメントには技と知識の蓄積がいる。ノンフィクションには取材が不可欠。シナリオも多少は勉強が必要だ。手間暇かけず、日本語が書けるだけでイケそうな分野って、身辺雑記的なエッセイか純文学くらいなんだよね。▼じゃ、そんな流れのなかで、芥川賞・直木賞とは何なのか。選考委員が全員作家である点に注目したい。つまり両賞は、新しい作品を見きわめて励ますためのものではない。新人作家の中から自分たちの仲間に入れてやってもよさそうな人材を一方的にピックアップする、一種の就職試験なのです。選考委員はいわば文壇の人事部で、だからこそ受賞予備軍の人たちが結果に一喜一憂するのです。どうみても会社の人事ですよ、これは。▼そういっちゃ身も蓋もないと思うが、そういうことなのだ。十月八日(金)

同じパターンの同じミス
▼ひきたいんですか、できますよ。大人になってからでも、だいじょうぶ。音楽産業のY楽器などは、「もしもピアノが弾けたなら」というおっさんを、そそのかすように営業のウィングを広げている。以前は四、五歳ではじめなければものにならないと言っていたのに、それがこのごろは、四十代、五十代からでもたのしめると、甘言を弄する。▼『アダルト・ピアノ』(井上章一・PHP新書)は、そこを突く。ピアノ教室の先生は、譜面を見ながらひけという。いつまでも暗譜にたよっていると、譜面がよめないままでおわりますよ。これが中年からのピアノ学習者にはつらい。幼児からピアノをひいてきた人は、言語でいうところのネイティブ、つまりネイティブ・ピアニストなのだ。彼らを基準にして、おじさんたちのレッスン法を考えるのは、まちがっている。ではなぜ、ネイティブのピアノ熟達者は、鍵盤を見なくてもひけるのか。それは、彼らが小さいころから、ハノンの練習できたえられているからである。八十八個ある鍵盤の位置を、彼らは体でおぼえこんでいる。だから、極端にいえば目をつむっていても、正確にひけるのだ。そんなことを、おじさんにもとめられても、こまる。バイエルもそうだが、ハノンのたいくつな練習なんか、大人につづけられるわけがない。▼ピアノをやっていると、どうしても指がうごいてくれない展開なんかがでてくる。ピアノの前へすわって、何度練習をしてもひっかかる。いつもそこで失敗してしまうという箇所が、かならずある。家族にいちばんめいわくがられるのも、そういうところだ。同じパターンの同じミスをくりかえし聞かされる。家族が悲鳴をあげる。▼基礎練習は大事か。だいじである。だが、たいていのピアニスト志望者は、基礎練習をつみかさねることで、表現をうしなう。そして、ごくまれに規律の圧倒的な重圧下に、表現すべき自己を堅持する。そういうひとにぎりの人びとだけが、ステージ・ピアニストなりおおせるのだ。考えてみれば残酷な世界である。基礎訓練という名のもとに、生徒は自分をおさえることが、まずもとめられる。最終的には、その規律をはねかえす才能がもとめられる。そのはねかえす力のない音大生が大勢いる。技術だけはあるというピアニスト断念者が死屍累々と存在する。ピアノ教室の先生になったりするのは、たいていこういう人たちだ。▼中高年のピアノ入門者は、技術ではなく、数十年の人生とそれゆえの情感をこそ、かもしだしたいのである。それこそ音大生とはちがう、大人のピアノのひびきをもちたいのだ。それにはハノンの基礎練習より、コード理論。コード進行の理論につうじておれば、むずかしい譜面の音を省略できるし、お好みのサウンドを加算できる。自分なりに編曲できるのである。それにクラッシクの鑑賞がゆたかになる。バイエルやハノンは指の鍛錬をめざすが、コード学習は和音の把握につうじる途である。中高年の学習者よ、コードでたのしめ。▼ほほーっ、コードか。いいかもしれない。十月六日(水)

重大なことを軽く決める
▼『すばらしい新世界』(池澤夏樹・中公文庫)から。▼冒険したほうがいいよ。同じ仕事を十年もやると疲れがたまるから。▼ともかく、私はこの小さな風車という計画に力を注ぐと決めた。ネパールのナムリンという小王国に行って、小型風車を作る。現地の人々が管理できるよう、理科と技術の教育もする。重大なことは軽く決めたらいい。▼そうそう、『朗読者』(ベルンハルト・シュリンク、松永美穂訳、新潮文庫)にも、決断の話が出てきた。人生においてぼくはもう十分すぎるほど、決断しなかったことを実行に移してしまい、決断したことを実行に移さなかった。ガールフレンドたちからときおり、ぼくには自発性がなくて、頭ばかりでものを考え、お腹で考えることがないと非難された。とあった。▼ふたたび、池澤の本に戻る。もう人は畑に行かないのです。土の匂いを嗅いで、あの湿り気を足の裏に感じて、全身の筋力で耕して、芽が出るのを待つ。そういう喜びはもうないのです。みんな抽象的な、たよりにならないバリューだけを相手に、宙に浮いた生活をしているのです。それが畑を捨てて都会に出てきたことの報いなのです。畑の祈りは単純でした。豊作を願い、かなえられたら感謝する。不作ならばまた祈る。しかし、都会の祈りにはそういう手応えのある対象がない。抽象的にならざるを得ないから、それだけ強力な神を作り出すようになった。強力で危険な神々。しかし魂の問題は火薬のようなもので、うまく使えば山を崩して道を造れるけれど、間違えるとたくさんの人が死ぬ。気をつけなければいけない。▼小型風車で電力を提供できれば、山の木を切らないですむ。木を切って燃やす限り、いずれは限界がくる。どこの古代文明もそれで滅びた。その先はないんです。▼今、先進国の市民は百人の家内奴隷をかかえたローマ帝国の貴族よりもずっと贅沢な日々を過ごしている。ローマ皇帝とて夏場にアイススケートをすることはできなかった。一日にして千キロの旅をすることはできなかった。▼豊かな暮らしという欲望に技術は十分応えた。この一世紀間くらい、成長なし戦争なしで一息つかないと、地球がもたない。みな疲れてるし、太平の安楽だってわるくない。九月二十四日(金)

書評3
わたしは、手軽な千円以下の本を好むから、新書の書評にも目が向く。▼われわれの起源についての本がある。『ネアンデルタールと現代人』(河合信和・文春新書)は、結局ヒトの歴史を遡ればすべてアフリカに戻ってゆくことを説く。ホモ・サピエンスはアフリカで誕生し、われわれの祖先をたどると、二十万年にアフリカにいた一人の女性に帰するというミトコンドリア・イブ説は相当に確実である。ではなぜ彼らはアフリカを出たのか。これも先端の話題である。▼『物理学と神』(池内了、集英社新書)は、物理学がどうやって神の領土を少しずつ縮めてきたか、という視点からすべてを語り直している。神は創造主ですべてを造り、その後もずっと運営してきた。だから人は畑に十分な雨が降るよう神に祈った。やがて、神は創造主ではあるけれど、その後の運営には関わっていないと人は気づいた。スタートボタンを押したところで退場したのではないか。自然は自動的に進行する自律的システムであるらしい。▼『市場主義の終焉』(佐和隆光、岩波新書)は、要は金の動きを論じながらどこかで金を超える理念に展開。経済学の門外漢ならなおさら必読。これだけの内容が頭に入っていれば毎朝の新聞紙面が二割くらいくっきりと見えるという意味でこれは優れた啓蒙書である。▼『歴史とはなにか』(岡田英弘、文春新書)は、一読三嘆。自分の歴史観を解放する、快刀乱麻のような読後感。▼『戦争を記憶する』(藤原帰一、講談社現代新書)は、日本人の歴史観や戦後処理の混乱をみごとに整理してくれる本である。▼『民族とは何か』(関廣野、講談社現代新書)は、なぜイギリスが最初に近代国家として離陸しえたのか、フランス革命はどこでつまずいたのか、なぜドイツの政治は極端に左右に分裂し、その中からナチスが台頭したのかが、具体的に論理的に展開されている。それと日本民族の課題。▼つぎは、文庫本から。『読者は踊る』(斉藤奈美子・文春文庫)は、ある分野に関する本を一通り読んで、誉めるでもなく叩くでもなく、その本の束全体を論じながら、そんな本が出る今の日本を評論するという豪腕の書評である。▼『朗読者』(ベルンハルト・シュリンク、松永美穂訳、新潮文庫)は、相当の傑作で、読後感もすばらしくいい。九月六日(月)

書評2
▼『死んでいる』(ジム・クレイス、渡辺左智江訳、白水社)は、死体が海岸の小さな生物に発見され、少しずつ食われ、また微生物によって分解され、非生物化してゆく過程を、抑制された叙情の筆致で美しく描く。これがとてもいい。イギリスの無常観がある。だいたい普段からわれわれは自分たちがしていることに意味を与えすぎる。神を発明し、うぬぼれ鏡を見ながら歴史を書き、偶然をおおげさに評価し、一回ずつの食事を讃え、お互いの顔色を誉め合い、親しい者の死を嘆く。しかし、ことはなるようになってゆく。それだけのことだ。▼『ヒツジの絵本』(武藤浩史編、スズキコージ絵、農文協)は、農と牧の楽しさを子供に伝える。トマト、ナス、ジャガイモにはじまって、ナタネ、アサガオ、シイタケまで三十五点。動物はカイコ、ヤギ、ニワトリとこのヒツジ。人間に衣食住のすべてを提供してくれる動物はヒツジしかいない。衣と食はわかるとして、住は何か。モンゴルに人びとが暮らすゲルという大きなテントはフェルトで作るのだ。これ一冊を手元におけば、ヒツジが飼える。▼『人類最古の哲学』(中沢新一、講談社選書メチエ)は、神話という言葉をぴかぴかに磨きなおす名著だ。▼『ゼラニウム』(堀江敏幸、朝日新聞社)は、短編六編とも隙のないよくできた構成で、文体も心地よい。▼『セーヌは左右を分かち、漢江は南北を隔てる』(洪世和、米津篤訳、みすず書房)は、フランス社会が持つトレランス(寛容)の資質を高く評価し、まだまだ未熟な韓国社会を激しく批判している。美の問題では、学校に通う子どもがなぜ石膏デッサンをしないのかと洪は教師に尋ねた。理由は、一つのモデルを注入すべきではない。石膏像は一つのモデルにすぎない。それは唯一の真理ではない。石膏像を見てデッサンさせると、価値観を画一化させる恐れがある。それでは創造的な個性を生かすことはできません。それに、一つの対象をもとにデッサンをすると、子どもたちはお互いに描いたものを比べます。子ども同士が優劣を競うのはいいことではありません。だいたい、三十人の子どもが一つの死んだ静物を眺める姿は、少しも美しくありません。そうじゃないですか。と若い教師は云う。▼『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』(上野千鶴子、平凡社)は、住宅を通じて家族を問いなおす本である。衣と食は商業資本に、住は国家管理された、その間に挟まれた家族や個人の自由を挑発している。▼『だから、国連はなにもできない』(リンダ・ポルマン、富永和子訳、アーティストハウス)は、オランダ出身の女性ジャーナリストによる優れたルポルタージュで、ソマリアやルワンダなどこの十年に国連が抱えた紛争地の現地レポート。実態はまこと惨憺たるものだ。国連の決定の裏は知らない方がよいかもしれない。ホットドックと一緒で、ソーセージの製造過程を知ったら食えなくなる。九月五日(日)

書評1
わたしは、文理系をあわせもつ池澤夏樹の書評を好んできた。今回は『風がページを』(池澤夏樹・文藝春秋社)から。▼『水俣病の科学』(西村肇・岡本達明、日本評論社)は、在野の研究者による、はじめての科学的な解明の書である。あれだけの大きな社会問題になっていながら、科学的な解明は済んでいなかったことがわかる。▼『図説インド神秘事典』(伊藤武・講談社)は、一見軽く見えて実はずっしりと重い本。ヒッピーの旅行記ではなく、もったいぶった学者の解説書でもない。インドについてこんなにもすごい本が書かれるようになったかと感心した。▼『銃・病原菌・鉄』(ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰訳、草思社、上下巻)は、各大陸の人間が置かれた自然の違いが、今という時点におけるこれだけの違いを生んだ。子供でもちゃんと理解できるよう検証していく。人類が採取狩猟から農耕へと進んだのは誰でも知っている。では、なぜ新大陸と旧大陸との間に、文明の差が生じたか。新大陸に渡ったモンゴロイドも野生植物の栽培を試みた。しかし、小麦や米やマメ類のような、人間にとって都合のいい植物が新大陸にはなかった。大型の草食動物を家畜化しようとしても、新大陸には馬や牛に相当する動物がいなかった。北アメリカにバイソン(野牛)はいたけれど、性格の点で家畜化はムリだった。アフリカでもシマウマは従順性を欠いているから家畜にはならない。現代科学の目で見ても、家畜になる動物はすべて家畜になっており、そうならなかった動物にはそれなりの理由があった。それ以前に、ユーラシア大陸がアフリカや南北アメリカに対して格段に有利だった理由が一つある。地図を見れば一目瞭然だが、ユーラシアは東西に長い。アフリカと南北アメリカは南北に伸びている。この違いが重要。東西に伸びた大陸がなぜ有利かと言えば、ある地域で確立した農業技術が伝播しやすいのだ。東西に移動しても気候はあまり変わらない。品種の選び方、播種の時期、収穫期などについて、前の土地の知識がそのまま応用できる。南北方向の移動ではそうはいかない。気温や降水量、日照時間といった基本的な条件が移動につれ大きく変わる。だから北米・中米で穀物に似た位置をしめていたトウモロコシは南米には普及しなかった。食糧供給の量が文明のサイズを決める。▼『日本とは何か』(網野善彦、講談社「日本の歴史」シリーズ初回本)は、網野の描く日本は地方がそれぞれに元気で、農民以外の庶民、つまり商人や職人が元気で、全体として沸き立つようだ。古代から無数の高田屋嘉兵衛たちがいたのだ。司馬遼太郎の日本像も悪くないが、しかし彼が描いたのは才覚によって功名をあげた者ばかりだった。その群像を以って元気だった日本を垣間見させた。終身雇用のサラリーマン社会を活性化するのには力を発揮した。▼『縄文の生活誌』(岡村道雄、講談社「日本の歴史」シリーズ初回本)は、弥生人は来なかったという。縄文人がいたところへ稲作文化を持った弥生人が来たというのが今までの日本列島史の常識だが、しかし岡村は、文化は伝わったが弥生人が多数渡来したわけではなく、縄文人が水田稲作や食生活などの変化によって形質が変化して弥生時代の人、すなわち弥生人になった、という。九月四日(土)

メッセージ (160)
▼池澤夏樹からの配信メッセージです。十年以上住んだ沖縄を引き払って、この夏からしばらくフランスで暮らすらしい。今後の日本について、雑誌に不吉な予言を書いていた。▼「十年後」(月刊『現代』7月号)から。毎月この欄で悲観的なことを書いている。政治家の質は落ちる一方だし、今や国政には論旨というものがない。違憲的な政策が議論もなくどんどん決まってゆく。食言は無視され、政府の目くらましを有権者は素直に受け入れる。全体が右へ右へとシフトする。「心のノート」とか国歌強要とか、国は国民の心の中に踏み込むようになった。景気はよくならない。「リストラに成功した」会社ばかりが黒字に転化し、社会ぜんたいでは失業者が増える。中高年男性の自殺者は減らないし、未来に希望がないのだから出生率が下がるのは当然。この先、事態はいよいよ悪くなるとしたら、具体的には何が起こるか。経済が低迷し、社会不安が増す。それに対して有効な策を持たない分だけ国は強権化し、内外に対して攻撃的になる。中では私権が制限され、外に向かっては資源と市場を確保するために武力の役割が強調される。アメリカへの依存は変わらないが、そのアメリカは冷戦以来の影響力を大きく削がれていよいよ武力に頼るようになる。その傭兵としてやがて日本軍は中南米あたりでゲリラ掃討作戦を請け負うだろう。国民が硝煙の匂いに慣れたころ、ちょっとしたきっかけで起こった隣国との小競り合いが意外に大きな規模の戦闘になり、戦死者の数と共に軍の存在感は増す。原発の事故が起こり、被曝した周辺住民の封じ込めのために核戦争装備の兵士が出動する。個々の現象としてこのままではないかもしれないが、そちらに向かう流れは歴然とある。根底にあるのは個人に対する国家の優位の思想だ。国民のための国家ではなく、国家のための国民。兵士が国のために死んでいるのだからきみたちも文句を言わずに奉仕しろ。悲観論が好きなわけではない。願わくば十年後にこの文章を読み返して、ことごとく外れと知り、不明を恥じたいものだ。▼この国はあやうい。気になるのは誰しも。八月二十七日(金)

動物たちの自己治療5
私たちは、進化してきた。といえるのならいいが。▼旧石器時代の人たちは、野生のチンパンジーやゴリラと同じようなものを食べていた。新鮮な果物と水、種子、葉、昆虫、脂肪の少ない野生動物の肉などである。1年間100種類から300種類を食べていたと推定される。現代では健康を意識している人であっても、20殻あるいは30種類以上の植物を食べる人はいないだろう。多様な植物の摂取からは、ビタミンやミネラルだけでなく、予防薬や治療薬のもととなる植物性二次化合物を得ることができる。私たちの体は数百万年にわたって、アフリカの平原で小さな群れをつくって狩猟採取生活をするようにつくられてきた。私たちの遺伝子も、狩猟採取時代の食事をベースに進化してきた。進化と適応は続いているが、狩猟採取民で少なくとも10万世代、農業に依存するようになってからは500世代で、産業革命後は10世代にすぎず、調理済みのファーストフードで育ったのは2世代。もしかすると私たちの体はこの急激な変化に適応できなかったのではいか。現代病の多くは、私たちの体が進化しきれず、現代の食事および環境との落差から生じているようでもある。▼今日の栽培作物は、世界の食物の75%がわずか12種と、少ない品目になってしまった。くわえて工業製品ともいわれる加工食物は、栄養価でも薬効面でも質が落ちて、エネルギーとタンパク質しか得られない。▼アフリカのマサイ族は、唯一のタンパク源として牛や山羊の肉を食べ、その血液とミルクを飲んでいるが、西欧人より心臓病が少ない。わけがある。動物性食品を摂るときにはかならず苦い抗酸化性の薬草をまぜる。肉のスープには28種類、ミルクには12種類もの薬草をくわえる。マサイ族は、酸化化合物と抗酸化化合物をバランスよく摂取している。▼野生動物たちは、何百万年にもわたる自然淘汰のすえに、健康維持の仕方を身につけてきた。おなじく、私たちもいろんな野草(野菜)を欲しているはずだ。野菜・薬草の一坪畑をつくろう。お互いに交換すれば種類が増える。八月十三日(金)

動物たちの自己治療4
つぎはゾウの話。▼アフリカやアジアのゾウたちは、傷口に泥をのせたり、自分の背中に泥を吹きかけたりして、傷口の殺菌をしている。動物たちは、病気の仲間の世話をするが、とりわけ看護上手なのはゾウである。ゾウたちはお互いに刺さっている槍や矢を抜きあい、立ち上がるのを手伝い、密猟者の急襲にあうとお互いに救助しあうことすらある。▼砂浴びは、鳥がよくやる。砂地にうずくまって羽毛と皮膚に土砂をふりいれて砂浴びをする。砂は余分な羽毛の脂肪をぬぐい、皮膚の表面を乾かして、細菌がすみにくい状態にする。土の粒子は、寄生虫の外骨格を壊す。哺乳類のなかでも、ゾウは砂浴びが大好きである。▼動物は独りになって死ぬといわれる。自分の運命を知っているかのように。ネコの飼い主は、愛猫が知らぬ間に姿を消し、屍体を遺さないので弔ってやることもできないと嘆く。死を目前にしたゾウの場合は、群れからはなれてゾウの墓場に行くという説がまかり通っている。しかし、長年野外研究がされてきたにもかかわらず、ゾウの墓場に行くところを見た者はいない。ただ、アフリカの平原の一か所にたくさんのゾウの骨が散らばっていたり、積み重なっているところがある。そこは、木陰や水が近くにあって柔らかく消化のいい植物が生えた場所である。これがほんとうなら、ゾウはいわゆる墓場に、死ぬためではなく生きようとして行くことになる。▼ゾウはゾウの死骸を見かけたら埋葬する。枝や砂をかける。それは、ハエがむらがり感染症をひろげないためといわれる。人間の目からは、弔いの行為にみえる。ゾウの生涯に自分を重ねてみたくなる。八月六日(金)

動物たちの自己治療3
動物たちが病気になった場合。▼病気になった動物は奥まったところに引っ込み、回復するまで断食する。人の場合でも、伝統医学の薬草医は、絶食は病気に対する自然な、意味のある反応だと考える。感染した身体は、病原菌が必要とする鉄分を減らそうとする。それが断食である。だから病気の動物や患者にむりやり食べさせることは逆効果であり、病気を長引かせることになる。▼動物は痛みを隠す。ウマは激しい痛みにみまわれても、ほんのちょっと姿勢を変えることでしか苦痛をあらわさない。鼻にちょっと皺をよせるか、まぶたを下げるだけである。負傷したキツネは鳴き声をあげることもなく、追手のハンターから逃げつづける。歯に痛い膿瘍ができたイヌはやはりじっとしたままである。このように痛みを表に出さないため、動物たちが私たちと同じように痛みを感じていないことと受け取られやすい。しかし怪我をしたり病気をしたりした動物は、捕食者に気づかれないようにそれを隠す。生き延びるためには、元気であるだけでなく、元気そうに見えなくてはならない。飼われている動物で、も、合併症で死ぬまで飼育係や獣医に気づかれないほどうまく隠し通すことがよくある。鳥は傷を隠すのがとりわけ巧妙で、前触れもなく死んでいるのに、飼育係がびっくりすることが多い。▼唾液の効能。イヌが熱心に傷口をなめると、その傷口は清潔になり細菌感染がおこらないことが知られている。イヌの唾液にはブドウ球菌、大腸菌、連鎖球菌などの細菌を殺すことのできる抗菌物質が含まれている。▼ということで、哺乳類の唾液はもっとも身近な消毒剤となる。べろべろ。七月三十日(金)

見て見ぬふり
▼藤原道長に追い落とされた、関白・藤原道隆の側に仕える清少納言。しかも、道長側の女房・紫式部からは思いっきり悪口を書かれる。この敗北感と哀しみが通奏低音として流れているのが、枕草子。その随筆をとりあげた『枕草子REMIX』(酒井順子・新潮社)から。▼この時代の貴族女性達は、やたらと「待って」いる。当時の貴族にとって、結婚は男性が女性のもとに三日連続して通うと成立した。婿取り婚なので、結婚しても夫が妻のもとに通うことになる。今のようにいきなり夫婦同居ということはなかった。それゆえ結婚しても妻はやはり、「今日は来るのかしら…」と、夫を待たなければならなかった。それに誰かと連絡一つとるにしても、その唯一の通信手段は、文すなわち手紙。使者が急いで相手方に届けに行く。▼当時の和歌は毎日の暮らしに欠かせないものだった。待ち心を詠む。旅をすればその感動や感情を詠む。今で言えば、写実と通信を兼ねたカメラ付きケータイといえる。▼さて、平安時代の宮中にプライバシーはあったか。というと、なかった。清少納言のような宮仕えの女房は、宮中に住み込みで働いていた。彼女たちの居場所は「局」というが、ワンルームマンションのような寮があったわけではない。渡殿(わたどの)とか細殿(ほそどの)といった廊下兼用の場所を、几帳(きちょう)、障子、御簾(みす)、といったパーテーションで仕切って住んでいた。となれば声も漏れましょう。気配も感じましょう。完璧なプライバシーなど、ハナからありません。それでは平安時代の宮中におけるプライバシーは何によって守られていたのかといえば、それは鍵とか壁ではなく、人間の意識によって。几帳(きちょう)の向こうに人がいるのはわかっていても、その几帳をむやみにめくらないという意識。夜に隣の局で人の気配、それはすなわち男性の気配であるわけですが、あっ、誰かが来ているのだな、と思っても、それ以上は詮索しないという意識。その手の不文律化した意識が、宮中の暮らしには存在した。とはいっても「見えてません」「聞こえてません」とシラを切る習慣もなく、「覗き」は日常のことであったようだ。▼さらに、この時代の服装の特徴は、「とりあえず型は決っている」ことにある。清少納言のような女房が着るものは、まずは単衣(ひとえ)、その上に袿(うちぎ)を何枚か重ね、さらに打衣(うちぎぬ)、表着(うわぎ)、唐衣(からぎぬ)という順で、下半身は袴と裳(も)であり、これがいわゆる十二単。とまあ、こんな風に型が決っている。どこでセンスを表したかといえば、それは衣の色。たくさん重ね着している衣をどのように配色するかによって、おしゃれが判断される。その配色のことを「襲(かさね)の色目」という。染色は貴族女性の仕事でもあったので、配色を限りなく楽しんだに違いない。▼まったくの自由な状況下にいるよりも、ある程度の「型」が存在していた方が、日本人の想像力は活発になり易いのでしょう。平安貴族の服装は「制服だけど、色は自由」というところに妙味がある。千年前の人たちと今のわたしらも同じなかと思えるところあり。七月二十三日(金)

動物たちの自己治療2
土を食べて毒を消す動物たち。▼ネコが草を食べ嘔吐するのは知られている。動物が毒を処理するもう一つの方法が、土食である。これは草食動物に多くみられる。植物の二次化合物の解毒や、新陳代謝でナトリウムを失うため、ナトリウムをふくむ土を食べて補充する。粘土は昔から料理でも伝統薬でも、解毒作用のある材料として使われてきた。古代文明でも現代でも、粘土は毒を含む食物にまぜて食べてきたし、アメリカ先住民は、昔からタンニンたっぷりのドングリに粘土をまぜてパン用の粉をつくってきた。▼タンザニアの野生チンパンジーは、シロアリの蟻塚の土を口に放り込むし、崖面や河岸にあらわれた下層の土をすくいとるが、キリン、ゾウ、サル、サイなども同じように利用している。これは薬剤師が人間の胃腸障害用に買いつける粘土と同じ種類である。ただし、表土は寄生虫の卵、有害なバクテリア、重金属などで汚染されているので、古い下層土の方が、有害物質がすくない。いろいろな動物が利用する蟻塚の土は、シロアリが地表にもちあげた下層土である。主成分はカオリンで、胃腸障害の特効薬でもある。▼野生動物は、山火事や落雷のあとの、こげた炭に集まる。ミツバチまで焼け跡に群がる。これも消化器の障害を直すためのものらしい。炭食は、アメリカ先住民が炭を砕いて水に混ぜて飲んだり、先史時代のネアンデルタール人も炭を食べていたことが、糞の化石からわかっている。かたや家畜や動物園動物には土を与えることはめったにないから、慢性胃腸炎になりやすい。▼人間の私たちも、嘔吐と下痢という中毒にたいする効果的な反応を、投薬によって抑えない方がいいのかもしれない。それに、炭のドリンクや粘土の錠剤、ミネラルウォーターを、自然からの薬としていただくのは、人間も動物も同じ。ともかく、世界中の救急箱に粘土の錠剤を備えることは容易である。七月十六日(金)

動物たちの自己治療1
動物たちは、植物を食べて自己治療している。食事療法である。▼そんな話を『動物たちの自然健康法』(シンディ・エンジェル、羽田節子訳・紀伊国屋書店)から。動物は生きていくのに必要な化学物質をつくれないので、植物に依存することになる。緑色植物は日光、大気、土壌中の水から、炭水化物、タンパク質、脂質、ホルモン、ビタミン、酵素など、成長や傷の治癒、繁殖に必要なものをつくりだす。この薬理のはたらきのほかに、草食の動物などの捕食から身を守るための毒性もつくる。▼キリンがアカシアを食べると揮発性の物質を発散する。近隣のアカシアはそれを感知し、自分の葉にも渋いタンニンを送りこむ。味がまずくなると、キリンは次を探して遠く移動する。植物は保身のため、さまざまな化学物質をつくる。リンゴの場合だと153種類の化学物質を含み、そのうち67種類に薬効が認められている。▼次は、タンザニアのセレンゲティ平原の話。子連れのヌーの群れは、土や植物にふくまれるミネラルをもとめて、北部から南部の平原に移動し、火山の麓に育つ草を食べる。この火山灰地には、乳の分泌に欠かせないカルシウムと燐酸が豊富。▼さて、ナトリウムはあらゆる陸生動物にとって貴重である。これは尿や汗として失われるので、たえず補充しなくてはならない。それは人間にとっても重要で、ローマの兵士は給料を塩で支払われていた。「サラリー」はラテン語の塩を指す「サラリウム」。草食動物は塩への渇望が強く、それを手に入れるためなら死の危険をもいとわない。猟師たちは獲物をおびきだすために塩の塊を利用してきた。▼動物の食餌は、そのときの気分で選んでいるのだが、自然淘汰は、それなりの感覚を養ってきた。つまり、エネルギー豊かな食物であることをうかがわせる甘い味を好み、毒性を感じさせる苦い味を嫌い、大事なミネラルであるナトリウムの存在をほのめかす塩味をおいしく感じる動物が生き残ってきた。▼動物は動物にではなく、植物に依存してきたことを、つい忘れてしまう。七月九日(金)

すべてを持ち歩くオバサン
月刊PR誌「ちくま」の巻頭言に書かれていたこと。ふだんは、世の活字離れを嘆いているくせに、嘆いた自分にあぐらをかき、ついうっかり映画と音楽とインターネットに山ほど時間を捧げている。買ってきた本は置き去りにされ、新聞は届けられたままの姿で折り重なっていたりする。文字を追った記憶はパソコンの画面上にしかない。▼まったく同感だなあと思って、この人の本を読んだ。『針が飛ぶ』(吉田篤弘・新潮社)から。乗客の少ない午後一時の電車の中。たまたま前に座っていた初老の女性。彼女はすべてを持って歩いていた。鞄はふたつ。その中に彼女の「すべて」がしまってあるのだ。彼女はその鞄の中からまず朝刊を取り出す。それから林檎。豪快にかじっている。それから辞書を出してきて調べもの。新聞に気になる言葉があったのだ。もちろん虫眼鏡も出てくる。ここまではまだ序の口。その次に彼女が取り出したのは洗濯ばさみのついた細いロープ。それを吊り革三つに通し、さらに取り出された湿ったハンカチ二枚を見事に干してみせた。ぱんぱんと手でひとつふたつ叩き、それから眼鏡と編みかけの毛糸玉を出して優雅に何かを編みはじめる。その間にもせんべいを食べたり、ラジオを出してきてイヤホンを耳にさし、編み物を中断して葉書をかいたり。なんだか、うらやましいかぎり。後日、銀座でF氏と偶然ばったり。コーヒーを飲みにゆく。さっそくこのあいだ見た「すべてを持って歩くおばさん」の話を披露。するとF氏、感極まって「それでよいのです!」と大きな声。コーヒー屋の客、全員こちらを振り返る。▼ゆくゆくは、こんなオバサンをめざすことにしよう。七月二日(金)

神は細部に宿る
本の題名はケッタイだが、愉しめた。▼『文学的商品学』(斉藤奈美子・紀伊国屋書店)から。モノを観れば作品がわかるということで、小説でのモノの描かれ方が暴かれている。とくに現代の男性作家の、食べもの、着るものへの表現が乏しいとミソクソ。ところで風俗小説は評価が下にみられがちだが、これは知力も体力も情報収集力も必要な、たいへんにパワーの要るジャンルだ。芸術映画だと安上がりの自主制作でもつくれるが、娯楽大作映画は衣装代やセット代に莫大な費用がかかるのに似ている。神は細部に宿り、小説はモノの表現に宿る。▼ところで日本文学の世界では、野球小説であっても、「痛快」より「哀愁」、「ゲーム」より「人生」の方にウエイトがかかる。しかも日本人は「敗者の美学」を好む。『平家物語』しかり『忠臣蔵』しかり新撰組しかり特攻隊しかり全共闘しかり。▼この著者、「小説はどんな風に読んだっていいんだ」と、あるとき気づいた。小説を読んで感動するときは、主人公が形而上の悩みにもだえ苦しむときでも、ヒロインが世紀の大恋愛に身を焦がすときでもない、「ここんとこのお洋服の書きっぷりが、すげえ気合がはいってんな」と感じたりするときだったりする。モノの記述に気合が入ると、小説はおもしろくなる。▼という訳で、平成の作品ばかりでなく、明治の作品と引き合わせたりで、服飾の比較社会学のような本だなあと思いながら読了。六月三十日(水)

泥脚傭雲
自治体の懐は底をつき、まちづくりを支える人達の言動も弱まっている。下降ぎみではあるけど、まちづくりを捨てるわけにはいかない。町を居心地よく、長持ちするように、住民の負担を考えながらが、基本です。▼そんな自治体の現場経験から、『自治体まちづくり-まちづくりをみんなの手で!』(原昭夫・学芸出版)が、政策の立て方とやり方の報告している。▼まずは、人口構成から町をみる。人口予測では、おもに地域にどのくらいの人びとが、どんな生活様式や居住形態をもって住んだり、働いたりするのだろうという、マクロな把握をしてみよう。現地を知るには、自転車。裏通りまで小まめに調査できる。地図の縮尺にも慣れること。5万分の1の地図は、分母の末尾の0を二つとり、それにメートルをつける。それがその地図での1センチの長さとなる。都市地図によくある2千5百分の1は、1センチが25メートルとなる。あとはボディ・スケール(身体尺度)を身につける。自分の両手の広がり、歩幅などを知っておくと便利。伊能忠敬にもなれる。それに地図のたたみ方も知っておくと便利。見たいところを広げておける楽しい折り方がある。本編57頁を参照のこと。▼まちをつくる手法は、自治法に定める「基本構想」に始まるものと、都市計画法に定める「都市計画マスタープラン」がある。いずれも長い間、しっかりした担当者がその仕事をし続けることが大事。都市防災についても、危機管理のプログラムとシミュレーションの実験をしておこう。▼学校の総合学習で「まちづくり」を取り上げられないか。ボディ・スケールを使って、公園を歩行実測したり、新旧の地図をならべて見比べたり。まちづくでは、「人づくり」より「人になる」ことである。まちづくりの当事者になることである。吉阪隆正はそれを「泥脚傭雲(でいきゃくよううん)」といった。頭はつねに雲の上において大所を見渡し、足はつねに泥の中にあって地面を這えということである。これには修行がいるが、プランナーなら、この境地に立たちたい。▼まちづくり十二の原則。計画感覚を磨け。まちへ出ろ。都市の出来事に興味を持て。「地域型」で仕事を進めろ。市民との共同をはかれ。皆で仕事をせよ。自分の仕事を他の仕事につなげろ。アンテナを敏感にしておけ。つねに「やる方向」で考えよ。失敗・クレーム・紛争から学べ。職場のよい人間関係をつくろう。仕事は元気に面白くやろう。それに、プランナーの四つの資質としては、好奇心、現地主義、発見的方法、施策化への意欲が欠かせない。▼私なりの私家版「まちづくり手帖」なるものをつくろうと思っていたが、この著者がおおむね記したことだし、止めにした。この知人からは、おおらかな人柄と、おだやかな計画づくりを学んだ。六月四日(金)

町のヘリテージ(150)
▼古い建物は古い友だち。自分の町に由緒ある建物があり、それにまつわる物語があるのは楽しいし、自慢できる。ヘリテージのない、新しいだけの都市には風格がない。▼町の古建築を残す。そのやり方と運動の持続の話を『東京遺産』(森まゆみ・岩波新書)から。人は町のどんなところに愛着を感じているのか。路地の中の稲荷や井戸や植木や電柱といった身近な「小さな環境」に愛着を感じている。それに古くからある建物といった「大きな環境」も大事に思っている。建物が残れば、それだけでなく、文書も絵草紙も位牌も人も、そして何より物語が残る。▼不忍池の景観を守るため、「しのばずの池算数プログラム」を企画した。大人だけの文学散歩をしてもはじまらないと思い、子どもと一緒に戸外で「体で算数」をやろうという試みである。東照宮の石段の数を数えたり、一段の高さから山の高さを計算したり、不忍池周囲の木の数を数え、その間隔からその周囲の長さを手で測ったり、池の面積を掛算したり、といくつもの問題を用意し、子どもたちと歩いて好評だった。▼景観の保護に手を染めたお年寄りの一人は云う。「この十年はとても勉強になりました。この年になって、樹の名前、鳥の名前を覚えた。するとまた面白くなって勉強し、という風に深みにはまっていったんです」。風景遺産を守る運動が思うようにいかないこともある。「富士山は永遠にそびえているが、マンションなんてのは五十年、百年の命だ。次の建て替えのときはあんな高いビルが建たないように、今から運動していきましょう」と云いきったおじいさんがいた。▼残った古建築が、例えば古い酒屋が小体(こてい)な飲屋に変わって生き延びてもいいのです。まちづくりの今昔を味わえるなら。五月二十八日(金)

インターネット・ラジオ
ひさしぶりだなあ、こんなハウツー本を手にするのは。▼『超英語法』(野口悠紀雄・講談社)から。英会話学校で話す練習をするのは、浮き輪を使って泳ぐ練習をするようなもの。自己紹介から始まり、あとはなんとかなるだろうは、イリュージョンである。実用的な英会話に必要なのは、「聞く訓練」である。「話す訓練」ではない。聞くことができれば話せる。そして、「聞く訓練」は自分だけで出来てしまう。その方がはるかに効率的だ。ここには、英会話学校の出番はほとんどない。▼いまや、外国とのやりとりは、電話でなくeメールが多く、会話ではなく文章英語の重要性が高い。英会話ではなく英作文である。▼正式な英語を聞き取るのは楽だが、正式でない英語を聞き取るのは非常に大変である。聞き取れないのは「早い」からではなく、「正式でないから」なのだ。▼ヒアリングの注意点は、子音の消失。b、d、g、k、p、tなどの子音が語尾に来るとサイレントになる。それに暗いエルは消える。battery、waterのt音がr音に変化するように。▼日本人になじみがない表現は次のようなもの。He has → He’s got his own house. I must do it. → I’ve gotta do it. ▼ハンバーガー屋では、注文後おばさんは必ずpotatoes ? と聞く。食べたくなければ no と答える。すると、おばさんは必ずno potatoes? と再確認してくる。このときもno なのだが、yes と答えたくなる。この場合は、no potatos とオウム返しする。私の場合は、right とかcorrect と答えることにしている。▼つぎは日本人の癖。「例えばどんなもの?」と質問する場合に、For example となりがちだが、これはLike what?という。これとIt’s a kind of ~. It’s something like ~.を駆使すれば大抵の説明場面には十分である。これはぜひ使いたい。▼リスニングの勉強法としては、同じ内容を何度も繰り返し聞くのがいい。慣れてきたら、口に出さずサイレント・シャドゥイングを試みる。せめて2年はは続けることになるので、「面白いからやめられない」条件をつくり上げることだ。「こういう内容のことを聞いたのだが、いったい日本語で聞いたのか英語で聞いたのか」が区別できない。そうした段階に達するまで、ぜひ勉強を続けたいもの。▼インターネットのニュース英語サイトは、VOA special Englishをダウンロードして繰り返し聞くのがいい。トランスクリプトもついている。PBS Online Newshourのessays & dialoguesも飽きない。▼映画はスラングが多くて、難しい。「ローマの休日」なら正式英語に近いから、聞きやすい。DVDの字幕を消して聞くのもいい。文章丸暗記もいいものだ。最初さえ思い出せば、あとはイモずる式に思い出す。記憶で重要なのは、「覚えること」ではなく「思い出すこと」なのだ。▼トルストイは老年になってからイタリア語を習得した。シュリーマンは六十四歳になってからも新しい外国語に挑戦した。仕事でつかう投資としての勉強もいいが、勉強そのものが面白くてたまらない、「消費」としての勉強もいいものだ。私は、映画の英語がすべて聞けるようになったら、新しい外国語に挑戦したい。イタリア語はそのために残してある。オペラの台詞が聞けるようになれば、どんなにか楽しいだろう。▼語学は惜しげもなく時間を費やすから、覚悟しなさいといったところか。五月二十一日(金)

魂の銭湯
北緯43度で生活していると、首都はさておき、西日本ひいきになりがち。▼『森まゆみの大阪不案内』(森まゆみ・筑摩書房)から。地元の人は「大阪は見るとこおまへんなー」というが、東京人にとって大阪のイメージは、多く歌謡曲で作られる。大阪生まれで大阪育ちの河島英五が四十八歳で亡くなった日、私はずっと「酒と泪と男と女」を口ずさんでいた。そしてこの歌は標準語で書かれているのにメロディーの揺すり方がBOROの「大阪で生まれた女」にそっくりだ。どっちもせつない。酔うほどにこの二つの歌は混ざっていく。最近、大阪は、高村光太郎風にいうと私の「魂の銭湯」になってしまった。大阪の友達と焼肉やら何やらたらふく食べ、五穀粥でお腹を癒し、そのあとカラオケ「うたっちゃえ」で盛り上がる。それが私の大阪欲望解放戦線。大阪では高くてうまいのは当たり前、安くてうまいところがたくさんあって、それを若者もサラリーマンも目的別に使いたおしている。「ほな、今日はオッサンバージョンで行きまひょうか」。▼首都の話もついでに。『明治・大正を食べ歩く』(森まゆみ・PHP新書)から。高村光太郎は、どなたも扱いが一緒の入れ込み式の店、浅草にある米久の牛鍋屋を「魂の銭湯」とまで呼んだ。ここでは誰もが正直まっとうな食欲をあからさまにし、心を丸裸にしてしゃべりあう。銀座ライオンのビヤホールの場合は、昼間、晴れた日は、高い窓から日が射して、さながら銭湯の洗い場にいるようだ。人が働いている時間にビールを飲むという至福。▼とまあ、森さんの舌で列島のニシ・ヒガシを味わいました。さて、ちょっと出かけてくるか。近くの三百八十円の銭湯へ。五月十四日(金)

ランボーと俊太郎
▼かつては出発のことばかり考えていたような気がする。ゴールを考えずにきたためか、気もちの捨てどころを失ったきらいがある。▼『地獄の季節』(ランボオ・岩波文庫)の「出発」から。見飽きた。夢は、どんな風にでも在る。持ち飽きた。明けても暮れても、いつみても、街々の喧騒だ。知り飽きた。差し押さえをくらった命。ああ、『たわ言』と『まぼろし』の群れ。出発だ、新しい情と響きとへ。▼さて、力まない『谷川俊太郎詩集』(ハルキ文庫)からの抜き書きを。「昨日のしみ」~まっさらみたいに思えても 今日には昨日のしみがある。「朝のリレー」~カムチャッカの若者が きりんの夢を見ているとき メキシコの娘は 朝もやの中でバスをまっている ニューヨークの少女が ほほえみながら寝がえりをうつとき ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウインクする この地球では いつもどこかで朝がはじまっている ぼくらは朝をリレーするのだ 経度から経度へと そうしていわば交替で地球を守る 眠る前のひととき耳をすますと どこか遠くで目覚し時計のベルが鳴っている それはあなたの送った朝を 誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ。「おならうた」~いもくって ぶ くりくって ぶ すかして へ ごめんよ ば おふろで ぽ こっそり す あわてて ぷ ふたりで ぴょ。「うんこ」~うんこよ きょうも げんきに でてこい。▼ご両人の語り口は、いまも響く。四月二十三日(金)

捨てちまった教科書
▼あわれ花びらながれ をみなごに花びらながれ をみなごしめやかに語らいあゆみ うららかの跫音空にながれ をりふしに瞳をあげて 翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり み寺の甍みどりにうるほひ 廂々に 風鐸のすがたしづかなれば ひとりなる わが身の影をあゆまする甍のうへ ▼これは、三好達治「甍のうへ」ですが、高校の国語教師が暗唱させた詩です。今でもたまに諳んじたくなります。かつて教科書に載っていたものを、『教科書でおぼえた名詩』(ネスコ編・文藝春秋)から抜き書きすると。▼丸山薫「汽車に乗って」~汽車に乗って、アイルランドのようないなかへ行こう。人々が祭りの日かさをくるくるまわし、日が照りながら雨の降る、アイルランドのようないなかへ行こう。まどにうつった自分の顔を道づれにして、湖水をわたりトンネルをくぐり、めずらしい顔のおとめや牛の歩いている、アイルランドのようないなかへ行こう。▼山村暮鳥「春の河」~たっぷりと 春の河は ながれてゐるのか ゐないのか ういてゐる 藁くずのうごくので それとしられる。▼中原中也「骨」~ホラホラ、これが僕の骨だ、生きてゐた時の苦労にみちた あのけがらわしい肉を破って、しらじらと雨に洗われ ヌックと出た、骨の先。…生きてゐた時に、これが食堂の雑踏の中に、座ってゐたこともある、みつばのおしたしを食ったこともある、と思えばなんとも可笑しい。… ▼茨木のり子「自分の感受性くらい」~ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて … 初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった … 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ ▼佐藤春夫「雪」~太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降り積む。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降り積む。▼尾崎放哉~咳をしても一人。▼ということで、もうとうの間に捨ててしまった教科書と詩を、なつかしむことができました。四月十六日(金)

山に向かう、川に向かう
▼山歩き、岩魚釣りの名手である辻まことの本をのぞきました。▼『あてのない絵はがき』(小学館ライブラリ)から。小鳥たちの声を聴くと、よくあんなちっぽけなノドから大きな音がでるもんだと感心してしまう。ウグイスなんか一息でケキョケキョを三十回ぐらい続けるのがいる。専門家に言わせると、小鳥は歌っているのではなく叫んでいるので、領有空間の宣言だそうだと、ちょいとその方のことに詳しそうな人はすぐ教えてくれる。もう何十人もの人から聴かせられてこっちはマタコイツモクダラヌ学説信者ダナとおもう。一定の目的がなければ行為はあり得ないと考えるのは、いかにもガリ勉の優等生の意識だ。行為があったためになんとなく目的が生じることだってある。なんだか楽しくてじっとしていられないから唱歌する小鳥がいたってちっとも不思議ではない。人間だってタレントばかりが歌っているわけではなかろう。▼一人旅というのは見かけだけで、むしろ一人のほうがよっぽど仲間のお世話になり、それに頼ったりしているのだ。えっちらおっちら山路を歩いているボクの頭の中に先達友人の言葉が、姿が、たえず出没し、見知らぬ著者の本のページがひるがえる。そのとき彼らはすべてわがパーティの一員である。しばしば時と国を超越し俊英を一堂に網羅した大パーティである。▼辻まことの、釣り人や川、魚の絵には、静かでひたひたするものがある。なかにはブリューゲルを思わせる絵もある。四月九日(金)

一を聞いて十を知る
▼辻まこと、って誰だろう。人も知る、諸芸万能、スキーの名手、稀な風刺家、著述家、ギターの名手らしい。すでに故人。なかでも『虫類図譜』などの風刺画が知られている。例えば知識人という風刺画では、絵の脇に短い文が添えられる。彼は近眼であった。それでいつも彼自身の視野は書物に遮断されていた。という風に。▼彼の友人が著した『辻まことの思い出』(宇佐見英治・みすず書房)が、氏のエピソードを伝えている。著者が辻まことに、一を聞いて十を知るという諺があるが、どう思うかと訊いた。こう答えた。「いや、僕はちょっと違うな。一を聞いて、いや三でもよいが、十を知るというその想像力は大したものではない。ましてそれで『知った』と思うのは大変危険だと思う。そうではなく、十の経験を重層してたった一つを知りうるのはまだいい方かもしれない。その一つさえ知りえない、それが現実かもしれない。しかしもし反復して、さらに反復してただ一つのことでも知りえたら、想像力よりもそれはもっと尊いことではあるまいか」。▼つぎは、著者自身の文から。大抵の人は朝、目覚めるとまもなく新聞を開いて頭を共通の世界になじませ、それから家を出て、電車に乗り、会社や学校に通う。共通の尺度である時計と集団の通念によって自己機制を行い、社会や家族の中で自分を定位する。ときに分別や目算が狂うと、人間は感情の動物であるとか、俺はお前たちが思っているような人間ではないとかわめき、感情の密室のドアを閉めたり開けたりする。しかし、結局は同じ電車に乗って同じ道を歩き、同じ家のなれたベッドにもぐり夢うつつに寝てしまう。多くの人は住みなれた世界を一層住み慣らすことを正常だと考える。▼自分の鏡像は自分にとっては異邦人。私だが私ではないと思う。自分はこの顔に閉じこめられているようなものではないと思う。鏡に映った顔のような物になることは拒みたい。もっと茫洋とした雰囲気みたいなのが自分なのだ。▼何も死んだからといって、いなくなるわけではないからと、生前、辻まことは言っていたそうです。四月二日(金)

文学は実学
本のなかでも、みすず書房のは少々値は張るが、ぴったりくるものが多い。▼『忘れられる過去』(荒川洋治・みすず書房)から、まねの話。人間には、二通りしかない。まねをする人と、まねをしない人。しない人は、おそらくこんな人だと思う。人前ではまねなんて笑われてしまうから、しない。あるいは、プライドがあって、自分がそのときだけでも、自分以外のものになりかわること、化けることが、とても恥ずかしいのである。そんな身体表現は、はしたないと思うのでしない。する人は、しない人より心が自由であることは確かだ。いつまでも自分をにぎりしめていないからだ。まわりを見渡すと、しない人が最近は多いように思う。自己愛が進んでいる証拠であろう。ひとつしか自分の姿をもっていないためだろう。話していることのなかみや考えはとてもやわらかいのに、しない人がいる。ほんとうは心がそれほどやわらかくはないのだろうと思う。これからもしない人はずっとしないだろう。人が体をつかって、たとえちょっとした何かを表現するとき、その場の空気は明るくなる。光がひろがる。それによって世界が、具体的に見え出す。それは自分にとっても、まわりの人にとっても、いいことであり、楽しいことなのである。でも、しない人はしない。▼つぎは、文学の話。文学は実学である。文学は、経済学、法律学、医学、工学などと同じように、実学なのである。社会生活に実際に役立つものなのである。社会問題が、もっぱら人間の精神に起因する現在、文学はもっと「実」の面を強調品ければならない。この世をふかく、ゆたかに生きたいのだ。漱石、鴎外ではありふれているというなら、田山花袋「田舎教師」、徳田秋声「和解」、室生犀星「蜜のあわれ」、安部知二「冬の宿」、梅崎春生「桜島」、伊藤整「氾濫」、高見順「いやな感じ」、三島由紀夫「橋ずくし」、色川武大「百」、詩なら石原吉郎など、なんでもいいが、こうした作品を知ることと、知らないことでは人生がまるっきりちがったものになる。それくらいの激しい力が文学にはある。読む人の現実を生活を一変させるのだ。▼と、抜き書きしてみたら、これらを一編も読んでいませんでした。知ると知らないでは、まるっきり違ったものになる。こう云われてしまうと。三月十九日(金)

あれあれ
▼あれあれ、あの人なんていったっけ。そのつど思い出さないと、神経が修復しないらしい。誰だったかなあ。池澤夏樹の父親、誰だったかなあ。疎開先の帯広で教えていた作家。伊藤整なんかと仲良しだったはず。だめだ、インターネットにお世話になろう。ありました、その人の名が。ちかごろはインターネットに介護されることが多い。▼『神も仏もありませぬ。』(佐野洋子・筑摩書房)は、もの忘れを痛快に嘆いている。その中の一編。人からもらったものも、あげたものもすぐ忘れる。いつかマリちゃんのところに、どこからかもらった漬物を持って行ったら、「ヤダ、これ私があげたものよ」と云われた。もの忘れトラブルが絶えない。じゃどうする。どうにもならん。と、この居直りも清々しい。つぎはもの忘れとは関係ない話。友人の購入する古い民家の平面図を見せてもらった。「この部屋は?」「わたしの部屋」「これは」「これもわたしの部屋」「じゃこっちは」「これも」「ヒロナガさんのとこは?」「納屋、納屋」。こぶしの花にまみれて、本当に女は偉い。とか、近所の農家の話もいい。「百姓はむずかしいもんだ。俺が五十年百姓しても五十回しか経験は出来ねエんだよ。トマトならトマト五十回しか経験できねエんだよ」と云われた。などなど、著者は周りのことを料理して食べさせるのがうまい。なだいなだ、と似たとこあります。▼地元出版の『木呂子俊彦著作集・鳥の目みみずの目』(木呂子俊彦・ふるさと十勝)は、八百八十ページの確かな記憶と記録の大著。中ほどのソ連抑留は圧倒する。ここに氏の始まりがありますが、いまだ鎮魂してはいない。忘れることができる過去と、忘れ去られてしまう過去がある。三月十二日(金)

真夜中のトリオ
▼ジャズのピアノ・トリオなら、ビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』のアルバムを挙げる人は多い。やさしく簡潔でメロディアス。一日が終わろうとするころ、ほろ酔い加減でこのライブ盤を聴くのが愉しみ。エヴァンスのピアノとラファロのベースが絡む。モチアンのドラムが囁くように、ときに煽るようにリズムを保つ。正確で邪魔にならないドラムを土台に、エヴァンスとラファロは心おきなくインタープレイする。▼エヴァンスはどんな人だったのか。『ビル・エヴァンス』(ピーター・ペッテンガー/相川京子訳、水声社)から。エヴァンスは感情で表現することはあっても、感傷的にはならなかった。彼はクラシックの技法と、ジャズの文法を基礎として、規律に基づいたロマンティシズムが最も美しい形であると考えていた。彼は観客を喜ばせる演奏努力をしなかった。内向的でサービス精神のなさは、多くの観客を遠ざけたから、オスカー・ピーターソンやデイヴ・ブルーベックのような有名人にはなれなかった。エヴァンスにとってのジャズとは、方法なのだ。特定のラインや、感情的な、あるいは厳密にいうと音楽的な内容を必要とせずに演奏することだった。もしピアノの前で何かをしようと熟考して、五分の曲を書くのに五時間かかったとする。それは作曲された音楽になる。これはクラシックだとか、作曲された音楽に分類されることになる。つまり音楽には、「作曲された音楽」と「ジャズ」というのがある。彼にとっては、ジャズで用いる方法を使って音楽を作る人が、ジャズを演奏している、ということなる。クラシック音楽で失われてしまった即興音楽をもちだし、それをジャズとした。もちろん瞬間の音楽を演奏する能力があっての話だが。▼エヴァンスは、マイルス・デイビスに認められた数少ない白人ピアニストのひとりであったが、薬づけと波乱の生涯でもあった。初期の『ポートレイト・イン・ジャズ』をついでに聴いたりすると、その日を跨ぐことなる。三月五日(金)

夜は学芸王国(140)
▼高校の夜学は下火らしいが、社会人むけの夜間大学院はどこも盛況のようす。かたや身近な仲間たちと縄のれん談義、あるいは外出せず自分だけの、寝るまでのわずかの時間を学芸に費やすなら、それはそれで自分なりの夜学ということになる。▼そんな夜学タイプもあれば、自由時間をもつようになったオジサン・オバサンたちがテーマを掘り下げ発信している姿もある。『パソコンでいきいき人生』(荒川じんぺい・岩波書店)は、そんな人たちのホームページを紹介。多くは絵や写真に文をそえて、草花鑑賞や山歩き、農園・菜園、ボランテアなどの出来事をこまめにレポートしている。植物の詳細や紅葉の時期などを載せ、自分でも時々読みかえし再確認するという。サイトに残すことで、質問にもすぐ答えられ、知人友人にパソコン画面で見せることもできる。趣味と実益を兼ねるのがうまいのがオジサン・オバサン方。うきうきしながら発信している。それを受信し、返信する。この手のコミュニケーションは増えるばかりで、サブカルチャどころか本流の勢いとみた。▼さて、前から気になっていた教養の源流を探してみました。村瀬章「東北は唱う」(筑摩書房)から。西洋文化のなかには、アカデミズムとともにリベラル・アーツliberal artsの伝統がある。それは、ヨーロッパ中世の大学における科目群なのだが、古代ギリシアの、肉体労働から解放された自由人にふさわしい教養という考え方にまでさかのぼる。ローマ末期の四~五世紀には七つの科目に限られ、言語に関する三科すなわち文法、修辞学、論理学、それと数に関連した四科すなわち算術、幾何、音楽、天文学である。それがキリスト教世界の法学や医学の、さらには神学の基礎科目となる。文法はラテン語の基礎から古典文学の理解まで、修辞学は話し言葉より書き言葉に重点をおき、公文書の作成法から歴史や法律の知識までを含む。論理学はアリストテレスが大成した形式論理学をおもな内容とした。算術は、はじめ教会暦の祝祭日の算定法が主であったがしだいに内容が広がる。幾何はユークリッドの体系を学ぶことが中心であったが地理や博物の知識も含んでいた。音楽は聖歌の歌い方と作曲法に限られていたが音楽理論や音楽の歴史にまで広がり、天文学は古代の天体運行の数量的記録よりも占星術の性格が強かった。その後、多少の変化はあるが、近代に至るまで西欧の知的エリートの教養を支配することになる。▼リベラル・アーツは、日本で教養と思われている範囲よりもはるかに広いものです。リベラル・アーツを教養と訳するより、自由学芸とする方がぴんとくる。夜の自由の王国で、たっぷり学芸をたしなむ。でも夜は眠いからなあ。二月二十七日(金)

家ホタル
▼寝静まった部屋。棚に、机に、台所に、いるいる。ぼんやり浮かぶ家ホタル。家に棲みついたこのオレンジ色の発光体は、家電の通電や予約を知らせている。どこの家でも五、六匹は飼っていて、ソニー、松下、日立、東芝生まれが多い。なかでも、あのソニーはどんなカンパニーだろうか。▼『ソニーの壁』(城島明彦・小学館文庫)から。ソニー社員といえば、まずは買い手にうったえかける訴求力を持ち、他社が嫌がることでもずけずけ言うらしい。正しいのだか、辟易する。高飛車。ちなみに前大賀社長の五か条は、リーダーシップ、言語の明瞭さ、語学力、国際性、カレントな技術にたいする嗅覚、だそうです。それにプレゼンテーションは、偶数より奇数の方が耳に残り、目に焼きつく。三匹の子豚、五つの銅貨、七人の侍、という具合に、三、五、七の奇数で、提示の仕方まで気を配っていたようです。この会社は、世の中の生きていく上で必要なものとしての洗濯機や冷蔵庫を作っているのではなく、AV機やゲーム機のように無くてもよいものをムリヤリ買わせている。という意識を全員がもって仕事をしているところが凄い。また、「要らないものを作る」という危機意識から出発しているので、商品企画も鋭い。▼でも今は、ソニーより、白モノに強くて基礎技術を蓄えてきた松下の方に分がある。白といえば、パソコンも白が主流で、家電扱いされている。▼さて、1分あたりの生産コスト(02年)をアジアの国々で比べると、比べようもない数字が浮かぶ。中国1~2円、インドネシア2~3円、タイ3~4円、マレーシア4~5円、日本50円。ということで、これからも日本以外のアジア・ホタルが増える。二月二十日(金)

イワナミ文化
パンキョーが幅を利かせていた時代があった。『教養主義の没落』(竹内洋・中公新書)が、ここ五十年間の教養主義をざっと見わたしている。▼かつての『中央公論』『世界』に代表される総合雑誌は、社会科学論文から小説、映画、音楽まで多くの分野をふくんでいた。人々は総合雑誌で教養主義者になり、教養の共同体を形成していった。掲載された論文やエッセイは、しばしば学生同士の話題となり、週刊誌の『朝日ジャーナル』や『平凡パンチ』と併読されていた。それにカバンの中の岩波文庫も、教養主義の担い手だった。▼この教養主義は、歴史、哲学、文学など、人文系の読書を中心としたものであり、旧帝大文学部が奥の院であった。教養主義の別名は岩波文庫主義ともいわれる。岩波文庫を何冊読むかで、自分の教養の目安にした。ただ、岩波書店は破壊的文化を担ったのではなく、既存文化の高尚さを担い尊重された。そういう意味で教養主義であった。岩波文化は、東大や京大の教授の著作を出版することで、官学アカデミズムの正当性を賦与された。また、官学アカデミズムは自らの正当性を証明するために岩波文化によりかかった。岩波文化と官学アカデミズムは象徴資本(シンボル)を増幅させた。▼私が上京した1966年頃は、まだ教養主義が規範文化として残っていましたが、70年代に入るやそれも衰退し、よく読まれる雑誌は『スクリーン』『文藝春秋』『プレイボーイ』『平凡パンチ』『少年マガジン』へと変わり、もはや『中央公論』『世界』『エコノミスト』は登場しなくなった。80年代には、『ぴあ』『少年ジャンプ』『FOCUS』といった立ち読み本が主になる。また、この頃の大学生が選んだ日本の代表文化人は、第一位が夏目漱石、二位がビートたけしである。才に富んだガキ大将「たけし」は、教養主義を笑い殺した。今の若い人には「読書で人格形成」という考え方がわかりづらい、らしい。そうこうしているうちに時代は変わり、松下圭一氏が見抜いたように、身分的特権をもつ教養インテリは没落し、専門知識を駆使できる政策インテリへと転換していく。▼そのいずれにも属さず、定期購読雑誌のない私は、二、三の出版社のPR誌だけを毎月のぞく。大きめの本屋なら無料配布なので、時々失敬している。二月六日(金)

パンキョーって
いまの大学は、パンキョーと呼ばれる二年間の一般教養カリキュラムはなく、高校の勉強をもう一度しているらしい。教養学部の老舗では、国際基督教大と東大が知られている。でもねー、教養ってなんだろうと思いながら、『無敵の一般教養』(島田雅彦・メタローグ)を読みました。▼まずは、地球物理学での話です。地球と似たような惑星が存在するとすれば、ある程度の大気と、海をもちうる惑星は地球くらいの大きさということになる。重力とか、太陽からの距離はけっこう重要な意味をもつ。熱過ぎず、冷た過ぎず、大き過ぎず、小さ過ぎず。その地球の場合です。現人類は、生物圏のなかに「人間圏」をつくり生き始めた。しかも言語をつかい、神とか、貨幣、民主主義、市場経済、人権などの概念や制度について、脳のなかに「共同幻想」をもちながら、生きるようにつくり上げた。▼つぎは言語学の話。英語を学ぶのは、英語や英米文学に興味があるというよりは、それを知っていると資本主義の身過ぎ世過ぎに有利ということがある。近頃は、結論を先に求める感じがあって、ショートカットばかり。悶々として悩む時間がないと、言語が洗練されないんじゃないか。▼この対談集は、斯界の人たちとの話ですから、ほほーっ、でありました。知っておいて損はないと思いましたが、教養を身につけるための手ほどきはありませんでした。知識、品性、感性の三位一体が教養だと、手元の辞書には載っています。なら反意語は、無知、下品、愚鈍となるわけで、これだと、世の中の大半がこれです。教養を中心には動いていない。無教養の力の方が圧倒している。自分の中の大半もこれです。中をくりぬいた、餡のないドーナツだってうまいじゃないか。といったらコジツケですか。一月三十日(金)

とんぼの本(136)
穏やかで何もない正月は、新潮社の『とんぼの本』が手ごろと思い、三冊仕入れる。▼まず、『やさしく読み解く日本絵画』(前田恭二・新潮社)。雪舟などの日本絵画は、ルネッサンス絵画と同じなんですね。読み解き本があると、倍、愉しめる。▼つぎは、『向田邦子・暮らしの愉しみ』(向田邦子&向田和子・新潮社)から。妹さんの店「ままや」の黒幕だったそうですが、いまは閉めてしまった。ただ、当時の板前だった人が新橋に「向嶋」として、その味を受け継いでいるらしい。それに彼女の行きつけの店は、庶民レストラン「たいめいけん」と東京ラーメンの老舗「直久」というから、うれしくなるね。さて選書の一冊に『男のだいどこ』(荻昌弘・文藝春秋)がありましたが、この本、懐かしいなあ。向田邦子の世界は、手軽でありながら、きちっと生活の質を感じさせるものでした。いいですね、こういうの。▼さいごは、『アイルランドへ行きたい』(深谷哲夫&リチャード・ホートン&月川和雄・新潮社)から。ご当地は、メキシコ湾流の暖流のせいだろうか、頻繁に表情を変える雲の流れが、光をさらに微妙にさせる。そんな光と雲が、ケルトの妖精たちを生んだという。さして高くない山の、その下を雲が流れる。風や光がそれを縫うようにすり抜けていく。宇宙や自然が循環する一部に、自分が内包されているんだという風景の中で生活している。そんなアイリッシュは、恥ずかしがりやで、お人よし。それにビール好き。一月九日(金)

cojiki-03

和解の方法序説... 3
クリスマスとラマダーン.. 3
コーランの六信五行... 4
初冬の七冊... 5
動物と関わりたい... 6
中世を持たない国 (130) 7
母国語が怪しい... 8
ビンボーが普通... 8
磁石の孤立... 9
山賊ごはん... 9
夏休みの七冊... 10
ひと芝居、打つ。.. 11
抜いた大根で道を教え... 12
コピー&ペースト(2). 13
コピー&ペースト(1). 14
クモの糸(120). 14
広告代理店の関与... 15
炭になった弁当... 16
愛蘭土(3). 17
愛蘭土(2). 18
愛蘭土(1). 19
日曜の雨... 19
けんか... 20
キャベツ畑... 21
お賽銭... 21
本棚をのぞく(110). 22
書抜きの愉しみ... 23
まず現場... 24
屋根裏のムコウ... 25
ナノ?... 26
天皇と領土... 26
出遅れた出発... 27
正月のグローバリゼーション (03年). 28


和解の方法序説
▼ある国で極度の非人道的行為が行われている場合、それに対して他の国や人々が何をしてよいかは不明確である。ひとまず被害者を保護するのか、あるいは加害者に対して武力攻撃をすることまでを含むのか。このことに向きあう『人道的介入-正義の武力行使はあるか-』(最上敏樹・岩波新書)は、薄い本だが重い。▼まずは、国際法や国連憲章は、「武力介入は侵略と同義」であることから出発している。しかし、ソマリアの内戦には、1992年に国連のガリ事務総長が積極介入した。にもかかわず事態は、国連平和維持軍と現地武装勢力との戦争の様相になり、結局、武装解除も治安の回復もなしえぬまま、「人道的介入」は失敗に終わった。▼1994年のルワンダの事例では、国連および国際社会の対応が遅すぎた。早めに十分な武力行使をすべきだったという意味ではなく、早い時期に非武力行使型の兵員および文民警官を派遣していたなら、100万人もの虐殺はかなり防げたのではないか。フツ族とツチ族の部族対立は、歴史的怨念というより斧や鎌を用いた殺人だったからである。▼つぎは、NATOのユーゴ空爆。セルビア人が迫害・虐殺を行っているといわれたコソボや、首謀者がいるといわれる首都ベオグラードへは、出撃回数3万6千回、爆撃回数1万7千回と発表されている。だがこれは民間人への被害が大きかった。NATO空軍機は自分たちに危害が及ばぬよう1万5千フィートの高空から爆撃していた。それだけ高ければ、精確に軍事目標だけを爆撃することは難しくなる。付随的被害は避けがたい。それは過失というより故意に近い。このようなズレのある行動は、「人道的」介入とは呼びにくい。人道的であるというなら、手段もまた人道的でなくてはならない。▼やはり、迫害する人々を攻撃するのではなく、迫害されている人々を守ることである。日本は、迫害されている人々に住まいを確保し、食料と医薬品を届けることである。たしかにそういう活動に軍組織が役割を果たすことがあるが、軍隊だけでそれが出来るわけでもない。その活動の主力は、文民型の国連機関や、国境なき医師団やNGOなのである。国連の合意のもとに、日本は人道的介入を行い、国と国、民族と民族、人と人との和解へとつなぐことでしかない。▼この本は、一気には読めなった。閉じることが多く一ヶ月はかかった。紛争は得意だが、和解が不得手な「ひと・みんぞく・こっか」は、紛争や戦争に終止符をうてずにいる。地球の余命は残り45億年しかないのですよ。十二月二十六日(金)

クリスマスとラマダーン
社会的非対称とは不平等のこと。富む国と貧しい国は、社会的非対称という使われ方をする。イスラム圏にはその貧しい国々が多く、アッラーの教えにもとづき資本主義とは対極の経済をつくっている。コーランは「アッラーは商売を許し、利息を禁じておられる」と説き、貨幣が貨幣を生むことを禁止した。ユダヤ教の場合だと、同族や親類から利子を取ることは禁じたが、異教徒や異民族からは積極的に取り立てることにした。キリスト教は、「三位一体論」の創意工夫をした。「父」が「子」を算出し「精霊」がそこから発出。その精霊の働きが利潤・利子を生む。このあたりの理屈はちょっと理解力がいりますが、まあ、しかしこれで一神教を乗りこえ、資本主義と親和することになった。▼『緑の資本論』(中沢新一・集英社)はこうも言う。キリスト教徒の最大のお祭りがクリスマスであり、イスラムのそれがラマダーンであることは象徴的だ。ローマ人の農耕豊穣の祭りをキリスト生誕日に結びつけたクリスマスは、あらゆる意味で「増殖」をお祝いする祭りである。真冬のこの祭りには霊が沸き立ち、仮面の行列ともに出現した死者たちが、浮遊するシニフィアン(神のロゴスの表現者)をふりまき、来るべき年の豊穣を約束していく。だからクリスマスが資本主義のお祭りとなったのは、当然である。このとき、資本主義社会には、サンタクロースに象徴される「贈与の霊」が徘徊する。クリスマスのめざすものは、増殖なのであり、「毎日のクリスマス」こそが、資本主義の夢なのである。▼その同じ冬の季節に、イスラムはラマダーンの断食の儀式を祝う。ここでは増殖の反対のことが讃えられる。欲望を絶つこと、それができないまでも欲望を減らすことが、神を喜ばせる。もしこの時期に他者が襲いかかれば、「自分は断食している」と二度言えと、説いている。しかし、米国の一国主義は、お構いないで爆撃をした。▼イスラム経済は、なんといってもスークという市場を理解するのが手っ取り早い。狭い通りの両側に間口の狭い店々がひしめきあい、広告・宣伝の類は一切なく、定価の表示もない。スークでの買い物は、くじ引きやゲームのようなもの。その場その場の局面があり、どこへたどり着くかはあらかじめ決定しおくことのできないゲームのようなもの。うまくいかなければ商談は成立せず、お客は買わずに行ってしまう。うまくいけば、お客は喜んで、交渉の結果としてお代を払って、気に入った商品を持ち帰る。少しばかり手間ひまかかる。だが、大量生産、大量消費、流通機構、商品の規格化、一物一価といった近代資本主義がここにはない。イスラムとは、ひとつの「経済学批判」で、一冊の生きた「緑の資本論」でもある。イスラムはわれわれの世界にとって、なくてはならない鏡なのだ。▼クリスマスとラマダーンは社会的非対称のお祭りとはいえ、ずいぶんと向かう先が違う。日本の街にクリスマス・ソングが流れ、お正月をむかえ、やがてあの国に派兵するのだろうか。踏みとどまって、ふりかえれ。十二月五日(金)

コーランの六信五行
イスラム圏にすむ人々は、世界に十三億人。かれらの生活規範となるコーランには何が書いてあるのか。一般教養の指南役、アトーダ先生によるあつらえの本がありました。一読して、コーランは唯我独尊だなあ。でも、これは釈迦もおんなじ。▼『コーランを知っていますか』(阿刀田高・新潮社)から。コーランに先立つ二つの聖典、旧約聖書は古代ユダヤ王国の建国史として、新約聖書はイエス・キリストの伝記として読むことができる。記述の方法は、旧約聖書はこの世の誕生から始まり、アダムとイブ、ノアの箱舟、モーセのエジプト脱出、旧王国の建設、ダビデとソロモンの教え、多くの預言者たち、など時代を追ってユダヤ民族の歴史を教えてくれる。新約聖書は、イエス・キリストについて、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネが伝記を綴っている。じゃあ、コーランの記述はなにに似ているだろうか。歴史ではない。伝記でもない。論文でもない。親父の説教に似ている。「親の意見と冷酒は後になって効く」というではないか。コーランは新旧二つの聖書と違いストリーに乏しい。それに先発の聖典のいいとこ取りのようである。とはいっても、コーランは詩的であり、音楽であり、翻訳では会得できなものがある。やはりアラビア語で詠唱されるのが本筋なのだ。▼宗教は大乗に向かうものと、小乗に向かうものがある。外に向かうものと、内に向かうものといってもよい。コーランの場合、アラーの加護は絶大であり、たとえ敗れても、死に至ることがあっても、心正しい者については、ちゃんとアラーの帳面に記され、最後の審判で祝福される、これが基本ロジックだ。今日の聖戦(ジハード)というのも、もちろんこの理念に裏打ちされている。▼イスラム教には六信五行がある。イスラム教徒が信ずべき六信は、アラー、天使、啓典、預言者、来世、天命。六信を胸に抱いて実践すべき五行は、信仰告白、礼拝、斎戒、喜捨、巡礼をいう。礼拝はメッカに向けて行う。方角はメッカを指す磁石が売られているらしい。ちなみに、メッカが第一の聖地、マホメットの没したメディナが第二の聖地、エルサレムが第三の聖地である。喜捨にはザカートとサダカがある。ザカートは、義務的に課される喜捨で、むしろ税金に近い。商取引の利益、所有する家畜、農作物の収穫、所有する財産などに対して二~十パーセントくらいのザカートが求められる。サダカの方は、慈善的な献納に近く、金銭や物品だけでなく、奉仕活動や慰めの言葉などもこの中に含まれる。▼アラーは、利子を否定している。お金がお金を生む経済を認めていない。商行為は認めるが、金貸しの金融は認めていない。このコーランの掟があるため、アラブ社会には無利子銀行がある。預金者がお金を預けることにより共同経営者になる。これならアラーも商行為として許すということなのだ。▼アラーは人々の生前の行いを帳面につけていて最後に清算することはわかったが、これはエンマ大王もやってますね。ウソをつくと舌を抜かれるぞ。十一月二十八日(金)

初冬の七冊
▼日高山脈は冬本番。〇三年はひと月を残すものの、足早の年でした。市町村合併のむり強いや、日本の世界との関わり方が、官邸主導で瞬く間に転換してしまい、戸惑う年でもありました。辺境の地ですから、ラジオと本が頼りです。といいつつ世の動きから遠ざかりたい気分で読み終えた七冊です。▼まず、『即興詩人のイタリア』(森まゆみ・講談社)から。アンデルセン「即興詩人」の森鴎外訳にそってイタリアを旅する。この人からは、授かることが多い。でも本代しか払っていない。いつかお礼しなくちゃ。▼『ふしぎの博物誌』(河合雅雄編・中公新書)は、いろんな話が詰まっているが、ちょっと地味。編集しなおして楽しく読めるようにしたらいいのに。▼『ミミズのいる地球』(中村方子・中公新書)から。地球上には約3千種類のミミズがいる。オーストラリアには体長3.6mの20年くらい生きる巨大ミミズがいる一方で、肉眼では見えにくい0.4mmのもいる。ミミズは体の一端に口があり、他端に肛門がある。目はないが光には反応する。あのダーウィンが『腐葉土とミミズ』という著書で、もしミミズがこの世にいなくなったら植物は滅亡すると結論している。ミミズは毎日、土を食べて生きている。土はミミズの口から入って外へ出ると、また土になる。このお尻から出た土が大事。第一に、土と一緒に呑み込まれた草やワラなどが、ミミズの体内の分泌液によって豊かな黒い土になって出てくる。第二に、出てきた土は細かい団粒状だから、空気が通りやすく、ふわふわとして柔らかい。ダーウィンは、肥沃な土地はミミズの糞によって、毎年平均して五分の一インチの表土が加わると記している。▼『からくりからくさ』(梨木果歩・新潮文庫)から。伏線はいつでもいくらでも張られているが、それがわかるのは思い出になってからだ。人は何かを探すために生きるんではなく、きっと日常を生き抜くために生まれるのです。▼『裏庭』(梨木香歩・新潮文庫)から。パパとママは真面目に生きているけれど、誇りを持って生きていない。楽しんでもいない。光に向かう真っ直ぐさがない。一番深いところと、一番高いところがつながっていたのよ。▼『日本人の笑い』(暉峻康隆・みすず書房)から。歯は入歯目は眼鏡にて事たれど。あまったを不足へたして人はでき。天は人の上に人をのせて人をつくる。豆腐と鉄とはどっちが物の役に立つか知るまい。鉄は熱くなると柔らかくなるが、豆腐はお熱いのに入れると堅くなる。ここでは、十九世紀の日本人のあけっぴろげが横溢している。庶民の笑いを古川柳から味わいました。▼今年もクリスマスと晦日で一年を〆ますが、何かもの足りない。笑える酒席かな。十一月二十一日(金)

動物と関わりたい
▼若い人たちが、動物と関わりたがっている。十月の初めに、地元の畜産単科大学で動物園の話をしてきた。学生のうち九割は道外で、しかも半数は女子学生でした。将来の仕事を尋ねると、ボランティアでもいいから動物に関わりたいという返事。人間相手の社会が疎まれているのかな、という感じを持ちました。▼動物好きの人は、ファーブルやシートンなどを愛読するが、近頃は動物行動学が注目されている。『ソロモンの指輪』(コンラート・ロレンツ/日高敏隆訳・ハヤカワ文庫)から。動物同士のお互いの階級闘争やらイジメをみていると、その動物的な遺産が人間の中に多く残っていることに溜息がでる。また著者は、飼っていたハイイロガンの雛が最初にロレンツ氏を見たばかりに、親と思い込みヒョコヒョコついて回る、刷り込み理論で知られる。▼つぎに『動物とふれあう仕事がしたい』(花園誠編著・岩波ジュニア新書)から。動物に関わる仕事には、動物園の飼育係、犬の訓練士、動物病院の獣医、動物看護士、動物栄養管理士、トリマー、アニマル・セラピスト、乗馬療法の指導者、動物学者などがある。ここでは動物園の飼育係の仕事を覗いてみよう。飼育係にとってうれしいこと。それは、担当している動物の前で上がるお客さんの歓声。その動物のおもしろい行動をうまく見せることが出来た時には、この仕事をやっていてよかったと思える瞬間だという。飼育係の一日は、まず担当動物の見回りから始まる。一頭ずつ個体に異常がないかを見ながら、当日やるべきことを頭に整理していく。午前中は各動物舎の清掃をするが、単にきれいにするのではなく、糞の状態や、前日与えた餌の食べ具合もチェックをする。問題があれば獣医さんに連絡し、治療の段取りとなる。午後は、おもに餌の準備と給餌。そのほか朝決めた特別な作業、たいていは動物舎の修理や整備をする。また、動物園は入園者がいて初めて動物園として成り立つことから、お客さんの前で動物の話をすることも多い。午後の作業が終わると、その日の出来事を飼育日誌に記入して一日が終わる。そのほかにも解説版を作成したり、動物にとって住みよい環境づくりや魅力的な展示のために、本やインターネットで調べたり、海外の論文を読んだりもする。▼この本では畜産業は省かれていました。動物飼育が産業化するのは不自然な行為ということでしょうか。自然なものを嗅ぎ分け、そこに近づきたい気持ち。これは動物からの大いなる遺産です。十一月十九日(水)

中世を持たない国 (130)
もう一度『新世紀へようこそ』(池澤夏樹・光文社)から。▼テロについて言えば、第二次世界大戦中、ドイツ占領軍に対するフランスの武力による抵抗、いわゆるレジスタンスはドイツから見ればテロ以外のなにもにでもなかった。同じようにして、ロビン・フッドも、ウィリアム・テルも、赤穂浪士も、アラビアのロレンスも、ネルソン・マンデラも、相手の側から見ればテロリストだった。▼アメリカは、アフガニスタンに爆弾と食料を空からばら撒いた。食料がプレゼントなら手渡すのが筋だろう。投げ与えるという振る舞いが今のアメリカの貧国に対する姿勢をそのまま物語っている。アフガニスタンに住む人々は、どんな考えかというと、ヤクザのメンタリティに似ている。信用したらとことん信用する。▼この戦争はなぜ起きたか。カザフスタンには、サウジアラビアの埋蔵量300億バレルを上回る500億バレルの油田が見つかった。しかしこの国は内陸で地政学な難問をかかえる。タンカーを横づけにできない。パイプラインを最短にするには黒海がいいが、ロシア経由ではそのロシアが信用できない。次に短いのがイラン経由でペルシャ湾のルートだが、イランは一癖も二癖もある。最後の手は、隣国トルクメニスタン経由でパキスタンのカラチ港からタンカーに積み込む。しかし一つ問題がある。その間にアフガニスタンが挟まっている。これが資源戦争の疑惑です。▼さて、ヨーロッパには継承という思想がある。それに対してアメリカは過去との断絶から出発した。メイフラワー号は過去を捨て新天地に向けて出帆した。だからこそ彼らは社会の土台としてMayflower Compactという契約を必要とした。従って、アメリカ史には中世がない。近世もない。あるのは近代と現代しかない。アメリカ人が自由奔放にふるまえる理由の一端がここにある。アメリカは、元気で、わがままで、古いものに対する畏怖の念を欠いた、繊細であるかと思えばいきなり粗暴になる、貪欲で、浪費癖のある、セクシーで、魅力的な、コンプレックスに苛まれた、心に病気を持つ、銃を手にした、若い危なっかしい国。▼中世を持たないことでは、北海道も同じ。十一月七日(金)

母国語が怪しい
愛国主義と祖国主義は、混同しやすい。『祖国とは』(藤原正彦・講談社)から。英語で愛国心にあたるものに、ナショナリズムとペイトリオティズム(patriotism)があるが、二つは全く違う。ナショナリズムは他国を押しのけてでも自国の利益を追求する。ペイトリオティズムは、祖国の文化、伝統、歴史、自然などに誇りをもつもので、これが祖国愛である。▼さて、その祖国は何で成り立っているのだろうか。フランスのシオランがいう「祖国とは国語である」なら、小学校における教科の重要度は、一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数、あとは十以下でなくてはならない。しかも、「読む」「書く」「話す」に配分する割合は七対二対一くらいでいい。充分な読書量さえあれば、話したり書いたりは自然にできるようになる。寺子屋の「読み」「書き」「そろばん」は、いまも基本。▼英語がうまくなれば、グローバルに経済活動ができると思っている。世界で最も英語のうまいイギリスは二十世紀を通して経済的に斜陽だったが、最も英語の下手だった日本は前世紀に最大の経済成長をなしとげた。理数系は、国語や社会のように寝転がっては学べない。机に向かってじっくり取り組むという面倒に耐えねばならない。しかし、理数離れより読書離れは重大。理数離れは将来における科学技術力の低下、ひいては経済の退潮を意味するが、読書離れは、国民の知力崩壊を意味する。ゆとり教育が甘やかし教育なら、この国の将来は覚束ない。経済界の提言を取りいれて、英語・パソコンなどを小学生に教えていたら、ただでさえ少ない週二十時間の勉強時間では、国語や数学の基礎力を養うことができない。国語を用いて思考するのである。英語やパソコンが多少ぎこちなくても、文学、歴史、哲学、芸術そして日本人としての情緒などを身につけた者こそが、世界で活躍するための必須の、大局的判断力を備えることにならないか。▼現在、わが日本の政治、経済、社会、教育はどれもうまくいかないでいる。改革もうまくいかず、国家は危機にある。各界のリーダーたちも大局観を失っている。その底流には国民に教養や情緒力の低下があるのではないか。この回復には活字文化の復興なくしてありえない。と、藤原ていの息子さんは言い切る。▼教養と情緒の大半は、読書を通じて育つ。はずなのだが、近ごろの私の脳細胞は年頃ゆえ毎日一万個づつ消え、漢字も名前もふらふら遠のく。母国語が怪しいのは、大人も同じ。十月二十四日(金)

ビンボーが普通
百円ショップの原価は10円程度と言われている。中国の賃金は1ヵ月で1万円。日本人は30万円から50万円。安くてよいモノを作るということでは、もう中国には勝てない。日本の平均国民所得は600万円で、フランスはその6割、イタリアは5割と、欧州勢は年収300万円が平均といったところである。今のところは相対として優位な日本であるが、構造改革の行き着く先の競争社会では、景気はよくなるものの所得階層の多くを占めていた中間層が崩れ、年収300万円クラスが増えるらしい。▼『Bで生きる経済学』(森永卓郎・中公新書ラクレ)から。競争がきつくなる市場経済では、サラリーマンの中間層が淘汰される。その結果、年収3億円以上のA階層が1%、年収300万円程度のB階層が約90%、年収100万円のC階層が約10%の超階級社会が到来する。かつて清水幾太郎が、21世紀は1割のパワーエリートと9割の一般大衆で成り立つだろうと、言っていたがそれを上回ることになる。今まで中間層が築いていた中流生活がなくなり、「Bで生きる」以外に選択の余地がないらしい。でも、ものは考えよう。庶民は背伸びをせず、それでいてミジメでもない生き方。サンダルを突っかけて買い物に出かけ値切り倒す難波のオバちゃんの気概を持つなら、懐はビンボーでプアながら、気分だけはそこそこリッチになれるだろうか。▼給与所得者が年収300万円のB階層で生きるには、子供とマイホームと専業主婦という人生の三大不良債権をできる限り早く処理すべきである。これができれば、人生の重荷から解放されて身軽となり、欧州並みの充実した「B」の人生を送ることは可能になる。でも、それだけでは駄目かもしれない。B階層で気分を豊かに生きるには、まずは「読み・書き・ソロバン」が自分に備わっていなくちゃまずい。自分と周りにその文化素養がないと、ユニクロ着てても心は錦、という具合にはならない。十月十七日(金)

磁石の孤立
あの2001年9月11日のWTCテロから21世紀が始まる。と池澤夏樹は語る。その時に立ち上げたメールマガジンに書き込んだ『新世紀へようこそ』(光文社)を、再読してみた。この2年間の米国一国主義と日本の追随主義がうらめしい。続刊の『世界のために涙せよ』(池澤夏樹・光文社)にしても、米国が、結局あのテロリストたちと同じことをしてきたことを綴っている。イラク戦争前に緊急出版された『イラクの小さな橋を渡って』(池澤夏樹・光文社)は、小さい本ながらイラクの戦争前の人々を写真と文で伝えた。開戦を止めることは出来なかったが、皆の目には留まった。武力より弱い言葉。米英はイラクに、すでに1991年から爆撃とミサイル攻撃を頻繁に行なっている。1999年までに6千回の出撃と450の施設を破壊した。経済封鎖で食料と医薬品さえも止めた。アメリカの高官は、もう壊すべき軍事施設がない、奴らの屋外便所までこわしてしまった、と言っているくらいだ。イラクの大半は砂漠で平らで、偵察衛星で何でも見える時代に、山地もなく一体どこに武器を隠したというのだろう。米国は冷戦後、経済と軍事で一人勝ちの、地球上で唯一の強い磁石となった。その磁石に、くっついているのは日本だけ。他の国々は反発の極にあり、磁石にくっつかない石のよう。池澤夏樹の文の底には、民族や暮らす人々の目から、世界を組み立てようとする非戦の基準というかスタンダードがある。どんな人々や政府でも、イケザワ・スタンダードから話せるなら、道はある。氏は1945年帯広生まれ。十月十四日(火)

山賊ごはん
「山賊ごはん」が懐かしい。懐のさみしい二十歳ころのメシである。電気釜で炊き上がった白いご飯に、生卵を落とし、醤油差しを片手にヘラでかき混ぜ、鰹ぶしをトッピングする。それを、あろうことかヘラで食べる。アルバイトの実入りがいいときは、安売りのマグロをカラシ醤油づけにして、それを載せて食べる。粗野にして簡単。行儀は悪いが誰も見ていない気安さ。その後このメシをどん底に、たまの旅先での稀なる味で幅をひろげたりはしました。生きている間に50トンの食事をするそうですが、ご馳走はどんなに食べても1トンに満たないでしょう。そう考えると、毎日の常食が大事になる。健康の源ですからね。くわえて地産地消といわれ始めましたが、その土地の農産物と海産物を、その土地の風や菌で発酵すれば一番うまいものが出来上ります。そんな食べ方を続けたら言うことない。▼物書きの「食」語りは多数ありますが、その中の『ひなびたごちそう』(島田雅彦・朝日新聞社)から。はしがきに、こんな文を寄せています。「人並みに退廃の極みにあり、日々の退屈を、酒と哲学と家政で紛らわせている。長く自宅にいる職業柄、家政は趣味を超えた生活の知恵の域に達している、と自慢したい。中年が何らかの魅力を誇れるとしたら、退屈を紛らわす知恵と教養くらいである。オヤジが矜持を保とうと思ったら、オヤジには不可能と思われていることをさりげなくやってのける他ない。若者は不器用でも美しければよいが、オヤジが不器用であることは救いようがない」。こんなに卑下することもないだろうに。▼この方は、ひじきやするめや昆布、鰹節や煮干、高野豆腐や切干大根、麩などの乾物に郷愁が残り、胃が疲れると、何となくひなびたものが食べたくなるそうです。しかし、最後に行きつくのはなぜか生卵ご飯ともいう。醤油をからめた鯛の刺身をこの生卵ご飯に加え、もみ海苔を振りかけると、四国は宇和島の名物の鯛めしになるそうだ。あれっ、これは私の山賊ごはんに似てないか。貧しきご馳走。十月十九日(金)

夏休みの七冊
▼低温の夏だったから十勝平野の出来秋が心配。さりとて、なにも出来ず。お盆のころに読んだ本です。▼『いつか王子駅で』(堀江敏幸・新潮社)から。一文が長く言い回しにくせがある。「来ないものを待つこと、必ず来るものを待つことの差異があるとしたら、器の小さい方は後者だろう。待っても詮無いものを待つことにこそ意義がある…。普段どおりにしていることがいつのまにか向上につながるような心のありよう…。いつもと変わらないでいるってのはな、そう大儀なことじゃないんだ、変わらないでいたことが結果としてえらく前向きだったと後からわってくるような暮らしを送るのが難しいんでな、と正吉さんはピース缶を手によくつぶやいていた」。「旋盤でも木工でも、のりしろを残しておく。寸法ではなく匙加減が大事なのだ。なるほど、のりしろか。私に最も欠落しているのは、おそらく心の「のりしろ」だろう。他者のために、そして自分のために余白を取っておく気づかいと辛抱強さが私にはない。咲ちゃんといて疲れないのは、あっはと美しい歯を見せて笑う表向きの明るさや屈託のなさのせいだけでなく、周囲にいる人間にたいしていつも「のりしろ」になれるように、生まれつきの余白が備わっているせいかもしれない」。引用文の多い小説でしたが、味わいがありました。▼『草叢』(津島佑子・学芸書林)は、夢やイメージ、空想的な話がほとんど。現実から浮遊しながらも、この世とぎりぎり接している、そんな心の世界でした。それだから見えるものがあるんですね。自選の十一篇。▼『毎月新聞』(佐藤雅彦・毎日新聞)から。「単機能ばんざい」は今だからこそ肯ける。「おじゃんにできない」もいい。靴の紐を締めてから忘れ物を取り行くときどうするか。新聞を二枚広げて松の廊下「殿中でござる」の裾はこびでズルズルすすむ。靴を脱いでとはならないところが愉快で考え込ませる。▼『おわらない夏』(小澤征良・集英社)から。「過ぎた時間って、一体どこへいくの」。ニューヨークから三時間のタングルウッドでの森の生活。こんな清々しい思い出を持つ人は少ないでしょう。少年期が豊かな人は、老年期をどう始末するのでしょう。▼『ひきこもれ』(吉本隆明・大和書房)から。引っ込み思案ゆえに引っ込んでいても、十年続ければものになる。職人のすすめです。1960年代は、この著者による『共同幻想論』がテキストでした。▼『本の音』(堀江敏幸・晶文社)は、仏文専攻の著者ゆえの読書案内です。日本には枕草子や方丈記などの随筆という短編の伝統があるが、フランスでは書物といえば長編だからこの短編はおもしろそうと、『ビールの最初の一口とその他のささやかな楽しみ』(フィリップ・ドレルム/早川書房)をすすめる。『辻まことの思い出』(宇佐見英治・みすず書房)は、多芸の辻氏を友人がよく寝かせた思念の硬い言葉のノミで掘りあげたものだそうです。『ビル・エバンス』(ピーター・ペッティンガー/水声社)では、規律に基づいたロマンティシズムを求めてやまないビル・エバンスの評伝です。静かな活気が彼の演奏には確かにありますね。気になる本たちです。▼『たましいの場所』(早川義夫・晶文社)から。「あなたが一流で、私が三流なのではない。あなたの中に一流と三流があり、私の中に一流と三流があるのだ」。「話が面白い人は、作品も面白い。音楽もそうだ。話が面白い人は、曲もいい」。「仲間や同僚をライバルにするな。ライバルはお釈迦様かキリスト様にしろ」。『ぼくは本屋のおやじさん』(晶文社)の著者でもある。▼『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(米原万理・角川書店)の東欧報告から。「大きな国より小さな国、強い国より弱い国から来た子供の方が、母国を想う情熱が激しいことに気付いた。都会育ちの人間が、自分には故郷がないと感じているのに対し、地方の小さな村の出身者が絶えず胸中に懐かしい故郷の風景を抱いているに通じる」。「ロシアが優れているのは、才能に対する考え方の違い。西側では才能は個人の持ち物だが、ロシアには皆の宝。他人の才能を無私無欲に祝福する心の広さがある」。▼西側から聞くか、東側から話を仕入れるかで、見方が違ってくる。東欧のセルビア悪玉論にたやすく乗ってしまっている。危ない、アブナイ。八月二十二日(金)

ひと芝居、打つ。
▼芝居はのぞきの一種。劇場の造りがそもそも、それ向きにできていて、観客は壁のひとつを外して集団的にのぞき見している。そんな状態で、演技者と観客の違いがありながらの一体感のなかで、面白おかしく演じられ、ユーモアが発現する。やっかいなことで吊るし上げられている者の、話をかわしたり受け流したりを見守る。戯曲でも、毎日の暮らしでも、大きい小さいはあるが、苦しい場面でのユーモアの織り込み方が試されているし、それが笑いの種になる。どちらにも法則はありそうです。同じ土俵で面倒な勝負だと思えば、別な土俵に移す。そうすれば勝負にならず、同じ次元では調和できずとも異なった次元なら手を打てることもある。逃げるのではなく、肩すかし。それを観客が息をのんで見守る。日々の生活圏でもあります。そうです、あれです、サルシバイ。そう考えると、生活が演劇なのかということになるが、そうもいえるし、劇場で玄人が演じるのも演劇である。双方とも、浅からぬ溜息がでる。▼『シェイクスピアを楽しむために』(阿刀田高・新潮文庫)から。シェイクスピアの戯曲については、観客が面白がるドラマを抜きにしては語れない、それに断じて高踏的な学者先生のためだけの世界ではない、という。トルストイが物語に一貫性がないと噛みついているが、演劇の場合は観客を楽しませる度合いが小説よりずっと強いと言われる。歌を唄ったりダンスを踊ったりと、筋をはずれて展開していくこともあるようだが、これはこれで観衆は満足する。▼そんな訳で、世俗の愉しみごとを捨てるなんてもったいない。あまさず味わいたい。本物の芝居だって猿芝居だって、持ち味は同じ。八月十五日(金)

抜いた大根で道を教え
日本人が身につけたいもの。そして身につかないもの。ないものねだりなのだろうか。『ユーモアのレッスン』(外山滋比古・中公新書)から。▼正直者が勝るわが列島では、老婆は一日にしてならず、下戸にご飯、などひねった言い方がうける。江戸の川柳では、「本ぶりになって出ていく雨宿り」がよく知られている。「抜いた大根で道を教え」なども雑歌の類とはいえ、毎日のくらしに取り込みたい感覚です。かたやアメリカのラジオ番組から。「うちのママは、毎日、早く起きなさい、勉強しなさい、テレビを消しなさい、早く寝なさい。といって、うるさくて仕方ありません。ボクどうしたらいいでしょう」。回答者すかさず「毎日、早く起きなさい、勉強しなさい、テレビを消しなさい、早く寝なさい。以上、サヨウナラ」。これはオウム返しだけですが、あとからこみ上げてくるものがある。次もアメリカ。第二十八代大統領ウイルソンが、次のように言ったとか。二時間の講演なら今すぐでも始められるが、三十分の話だと、そうはいかない。二時間くらい用意の時間がほしい。三分間のスピーチなら、少なくとも一晩は準備にかかる。▼笑いは、面白いことを話すことにあるが、話し方にもある。ちょっと黙るとか、一息入れるところを続けてしまうとき、聞き手との間にズレがうまれ、つい笑いを誘う。▼あちらの国の、パーティでの一番のご馳走は、食べ物ではなく、おいしい話だということになっている。でも、手柄話は概して退屈であり、他人のしくじりを喜ぶのは、国を問わない。人の悪口では、これ。「一度も絵を描いたことない人に美術展の審査員はむり」と言う人にチャーチルは、「私は卵を産んだことは一度もない。それでも卵が腐っているかどうかは、ちゃんとわかります」。最後はアイルランドもの。「ガミガミいわれたけりゃ結婚しろ。ほめられたかったら死ね」とね。八月八日(金)

コピー&ペースト(2)
▼構造主義といえば、それは記号論から始まる。記号は「しるし」と「意味」がセットになってはじめて意味がある。「しるし」と「意味」の間には、意味するものと、意味されるものとの機能的関係だけがある。例えば、将棋をさしていて、歩が一個見当たらないときに、「じゃ、これ歩」といって、ミカンの皮をちぎってそれを将棋盤においても、対局者が合意さえすればゲームは続けられる。でも、ミカンの皮と歩の間には結びつきはない。このデタラメさが「記号」の本質です。言語を語るとき、私たちは記号を使い過ぎるか、使い足りないか、のどちらかになる。言おうとすることがままならず、言うつもりのなかったことが漏れ出す。人間が言語を用いるときの宿命である。言語による作品は、そのひと固有のものというより、自然的あるいは社会的な、さまざまな要素から織られたテクスチュア(織物)と見た方がいい。私たちは、インターネットのテクスト(文脈)を読むとき、それが、もともと誰が発信したものかということに、興味を持たなくなってきている。誰が最初に発信したものであろうと、それはインターネット上でコピー&ペーストが繰り返され、リンクされている間に変容と増殖を続け、もはや「元々誰が?」などと、オリジナルを問うこと自体が意味を失う。これは、ロラン・バルトの「作者の死」と同じ。最近では、私たちがリナックスのパソコン基本ソフトを自由に使うことができる。これは、一人によるオリジナル最終作品ではなく、よってたかって作り上げられ、公開された。▼さて、構造主義の旗手であるレヴィ・ストロースの『野生の思考』から。文明人と未開人は、その関心の持ち方が違う。文明人のように世界を見ないことが、未開人が知的に劣等であることを意味しない。サルトルは歴史の段階的な進化を考えていた。それは未開から文明へ、停滞から革命へと進む、といった歴史過程である。しかし歴史を持たない、新石器時代とほとんど変わらない生活をしている部族はまだこの地上に多く残っている。数千年前から繰り返してきたことを、この先も永遠に反復するだけ。しかし、だからといって、彼らに人間の尊厳や理性が欠如している訳ではない。実存主義は、ここで理論破綻することになる。さて、レヴィ・ストロースの親族論の二項対立から。私たちが自然で内発的と信じている親子、夫婦、兄弟姉妹の間の感情は、実は社会システム上の役割演技にほかならず、社会システムが違うところでは、親族間に育つ感情も違う。私たちは常識的に、人間が社会構造を作り上げてきたと考えている。しかしレヴィ・ストロースは、親子兄弟夫婦の間の自然な感情がまずあって、それに基づいて親族関係を作り上げてきたのではなく、社会構造が人間を作り出すことを、きっぱり言い切った。▼これらの論証は、親族構造における近親相姦禁止と贈与論にありますから、やはりここは彼の『構造人類学』を読むよりないですが、数学も出てくるから難しそう。でもその前に、『はじめての構造主義』(橋爪大三郎・講談社現代新書)で消化しておくのもいい。レヴィ・ストロースの親族論と神話論へ入門させてくれる。我が列島では、山口昌男がトリックスターや贈与論に取り組んでいた。これから、どういうふうに、考えてゆこうかという時、構造主義は避けられそうにない。思考の出直しのためにも。八月二日(土)

コピー&ペースト(1)
私たちは他人の言葉を語っている。▼『寝ながら学べる構造主義』(文春新書・内田樹)から。自分が見えるように他人にも見えているだろうか。懐疑についてはプラトンも、デカルトも、カントも哲学した。でも、それはイスに座して思弁したものである。日常の生き方にリンクする哲学をした人はマルクスが最初といわれ、それは構造主義の源流にもなる。▼まずは、言語論から。言葉を語っている私は、厳密に言えば、私そのものではない。それは私が習得した言語規則であり、私が身につけた語彙であり、私が聞き慣れた言い回しであり、私が読んだ本の一部である。とういう訳で、私の持論という袋に、一番たくさん入っているのは、実は他人の持論です。他人に意見を述べている場合、それは私が、誰かから聞かされたことを、繰り返していることと思って間違いありません。タクシー運転手さんの中には、社会問題について、実にきっぱりと意見をいう人がいるが、彼らが長時間ラジオを聴き続けていることと関係があるでしょう。「私が語る」とき、その言葉は国語の規則に縛られ、語彙に限定されるばかりか、そもそも語られている内容さえ、その大半は他人からの言葉、ということになると、「私が語る」という言い方は気恥ずかしい。私が語っているとき、そこで語られていることの起源はほとんどが、私の外部にあるのですから。▼国家は身体を操作する。ミッシェル・フーコーはいう。「十八世紀になると、兵士は造形されるものとなった。まるでパスタを練り上げるように、兵役不適格な身体を必要な機械に造りだす。姿勢が少しずつ矯正さる。計算ずくの束縛がゆっくりと全身にゆきわたり、身体の支配者となり、全身をたわめて、いつでも使用可能なものに変える。それは、さらに日常的な動作の中にそっと入り込み、自然な反応として根づく。こうして、身体から『農民臭さ』が追い払われ、『兵士の風格』が与えられる」。同じことは日本でも維新後、山県有朋によって徴兵制が導入された。人間の身体を政治的な技術で加工した。身体の支配を通じて、精神の支配をすることこそ、政治技術の最終目的である。それに自らの意思で、自らの内発的な欲望で、権力の網目の中に自己登録するように仕向ける。▼これは、丸山真男の超国家主義の論理と重ね合わせたくなる、くだりです。制度と身体と戦争の連鎖は、もはやこの時代に繰り返されることはないと、タカをくくりたいが、怪しい。この本、寝ながらどうぞ、となっていたが、起き上がってしまった。(つづく) 八月一日(金)

クモの糸(120)
▼クモの巣のむこうに夏空を仰ぎ、巣の張り方を観察する。まずは放射状の縦糸を張り、つぎに真ん中に密度の高い「こしき」をつくる。これはクモの住居部分。その後に足場糸をつくり、外側から内側に向けてネバネバの横糸をゆるく張っていく。これで獲物をとる。クモのなかでもオニグモは、夕方に現れ、残しておいた一本の糸を頼りに巣を張る。夜中に獲物をとり、明け方近くになると巣を取り壊し、集めた糸を口に入れて、一本の糸のみを残して隠れてしまう。毎日、店開きと店じまいをする。ガード下の屋台みたいなものである。▼さらに詳しくは、『クモの糸のミステリー』(大崎茂芳・中公新書)から。クモがつくる巣は、いくつかの種類の違う糸でできている。中でも大事なのは「牽引糸」である。巣に飛来した昆虫の捕獲や、クモ自身が巣から逃げ落ちるときには、中央の「こしき」に固定した牽引糸をつかう。牽引糸は命綱で強い。強度計算では自重で切れる値をもとめると約150km。これなら芥川龍之介『蜘蛛の糸』のお釈迦様の垂らしたクモの糸で、地獄から這い上がることもできるかもしれない。▼クモの糸は、四億年の進化の過程で生みだされた素材で、強度や弾力性などの点で優れている。いまは防弾チョッキや女性用ストッキングなどへの応用が考えられている。特に牽引糸は同質の二本の細いフィラメント(繊維)から作られている。一本が切れても、残りの一本で体重を支えることができる。命綱は二本がミニマム。この自然界の経験則は、エレベーター、橋、飛行機、紐、家屋、トンネルなどの素材の安全率を示唆する。それも二倍の強度が基準で、それ以上は無駄であり、それ以下は危険である。▼クモの糸が教えるこの「二」は、安全を考える上で、大事な値である。記念写真でも最低二回はシャッターを切る。さらに、危機管理を考えるなら、トンネルの場合なら英仏海峡トンネルのように単線二本(青函トンネルはコストから複線)とか、会社の社長と会長は同じ飛行機には乗らないなど、別ルートの「二」が大事になる。▼ところでクモは昆虫と、ずーっと思ってましたが、八本脚の節足動物でした。七月十一日(金)

広告代理店の関与
▼過去の戦争を知るには、証言と資料が残されている。今の戦争を知るには、報道メディアが頼りだ。これがアブナイ。『戦争報道』(武田徹・ちくま新書)から。▼戦争ニュースは情報メディアが、軍発信の情報をベースに従軍記者やフリージャーナリストの情報から組み立てる。ただ、情報の伝え方や内容にカタヨリが感じられる。むしろ『地獄の黙示録』のような映画の方が、戦争の狂気を余すところなく描かれている場合がある。では戦争の報道は、実際にどう作られているのか。「洪水のような情報操作」の元になる情報をパッケージするのは、今ではPR会社が手がける場合が多い。アメリカのPR会社は広告代理店の範囲を超えた幅ひろい仕事をしており、世界各地の地域戦争に関与している。▼例えば、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、ルーダー・フィン社が、サラエボの最新情報とボスニア関係情報のうち、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府に有利なように編集した『ボスニア・ファックス通信』をメディア関係者に送りつける。PR会社がニュース・リリースしたものを、メディアが重要な情報源としていく。ニュースの半分はこうして作られる。戦争広告代理店は、人々の関心を惹きやすいように「セルビア人は現代に蘇ったナチだ」というようにパッケージされた情報を提供する。セルビア人のイメージは一人歩きし、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府の支持を増幅させていく。コトバによる情報管制である。今ではマスメディアが、PR会社の情報操作の対象となっている、この事実。ジャーナリズムが戦争をつくり、戦火を焚きつけている面はないか。▼一方、インターネットで多くのことが知れるようになった時代は、何も信じられない時代である。情報収集のためのインターネットではなく、ジャーナリズムの出力回路としてのインターネットがブロードバンド環境で進むとしたら、希望はもてるかもしれないが。マスメディアは大きなシステムで動き、刺激のある情報を次々と発信する。信頼ある情報が不足してきているにも拘らず、多くのテレビ局、出版社は、危険な場所に自社社員を送り込まず、フリージャーナリストを前線取材に用いている。▼つくられた戦争情報でも、百ぺん繰り返せば真実になる。七月四日(金)

炭になった弁当
▼五月の中国地方へ仕事を兼ねて出かけた。瀬戸内海の魚と酒をいただきながら、北国にはない、のほほんとした人柄が味わえた。ヒロシマの半世紀前を訪ねようと、大勢の修学旅行生に押されながら原爆ドームと原爆資料館にも足を運んだ。その売店で買った『広島・長崎修学旅行案内』(松元寛・岩波ジュニア新書)から。▼著者はだし抜けに、いまは戦後というより第三次大戦の戦前ではないかと問いかける。さて、広島へ投下したウラニユム爆弾は、一般市民への無差別殺傷と思われているが、実は広島の第二総軍司令部(東京が第一総軍司令部)を中心とする軍事施設から数百メートルそれたところに投下されている。アメリカは、敗戦色が強まっていた日本になぜ原爆投下をしたか。ソ連軍が日本に進入する前にアメリカの手で日本を屈服しておきたかった。戦後の極東政治の舞台で主導権争いを想定した動きとの考え方がある。この地方は、毛利氏の戦国時代から明治維新まで特記するような歴史もなく、隣の長州藩のように、尊攘派である松田松陰門下生の高杉晋作、伊藤博文、山県有朋といった人材も輩出はしなかったが、瀬戸内海と中国山地の恵みのなかで、おだやかな気質を持つことになったのかもしれない。しかし、明治以降は、広島の人たちの意思によらない軍事都市としての役割が課せられた。日本が遂行した戦争である日清、日露、第一次大戦、シベリア出兵、満州事変、上海事変、日中事変では、軍人と物資の供給基地となった。ですから、原爆投下された被害者でありながら、知らずに加害者の位置にいたことになる。原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しません」との碑文が記されている。爆心地は原爆資料館の近くの島病院である。そこの説明版には「この病院の約五百八十メートル上空で人類に対する最初の原子爆弾が炸裂した。テニヤン島から飛来した米空軍機B29「エノラ・ゲイ号」が高度八千五百メートルから投下したウラニウム235爆弾であった。この一帯の爆発時の地上温度は、約六千度となり、高熱と爆風、放射線によってほとんどの人が瞬時にその生命を奪われた。時に一九四五年(昭和二十年)八月六日、午前八時十五分であった」。▼広島原爆資料館の展示資料に、炭になった弁当があった。七月一日(火)
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/vist_fr.html 

愛蘭土(3)
▼歴史の大筋をもう一度。前四世紀ころケルト人が渡来、五世紀キリスト教が伝来、十二世紀以降イングランドの支配、十七世紀クロムウェルに征服され経済的・宗教的な圧迫をうける。十八世紀初頭からカトリック信教の自由を求める反乱が起こり、一八二九年カトリック解放法が出される。しかし農民の貧困と反抗はその後も続く。アイルランドの人々はそんな訳で、イギリス本国の新教徒をプロテストタント野郎とののしり、怨念を残す。▼しかし、アイルランドは、何んといってもゆたかな言語芸術の国であり、日常のなかでも、皮肉、諧謔、華麗なレトリック、痛烈な自己主張にあふれている。十八世紀、聖職者でありながら『ガリバー旅行記』というきわどすぎる人間批判を書いた厭世家ジョナサン・スウィフトを峰とすれば、くだって十九世紀末にはオスカー・ワイルド、もっと早い時期に日本の能に注目したイェイツ、つづいて二十世紀初頭の演劇に影響をあたえたシング、『ユリシーズ』の作品のジェイムス・ジョイス、そして『ゴドーを待ちながら』のベケット。▼英国国教会が、国王を頂点とする国家宗教であるのに対し、カトリックは普遍的で、ローマ教皇を頂点としている。なにしろ英国国教会は、十六世紀、ヘンリー八世が王妃と離婚したいがため教会をローマから独立させた宗教だから、諸事鷹揚である。初期にはカトリックにゆれたり、プロテスタントになったりしたが、やがて中道で落ちついた。たとえば儀式はカトリック、教義は新教という具合で、この中庸主義が、英国人の生活と文化あるは政治思想に根づよい影響を与えたに違いない。▼アイルランド人は、組織感覚がなく(中世的である)、統治される性格ではなく(古代的である)、大きな組織のなかの部品で甘んじるというところが少なく(近代的でない)、さらには部品であることが崇高な義務だというところが薄い。それらはイギリス人たちが持ち合わせているものであるが。▼魅力的な民族だが、すこし中世的じゃないかと思われる。アイルランドにあるのは、一枚の舌、それに激情。あるいは屈折したこころ。その屈折からくる華麗な言語表現だけである。アイルランド人には古ヨーロッパ人(ケルト人)の意識がある。それは気の毒にも辺境の地だが。アイルランドは、十四・五世紀のルネッサンスを知らず、十六世紀の宗教改革とも無縁で、十八・九世紀の産業革命では被害者の役割しか演じさせてもらえなかった。上代において文字をもたなかったため、歴史においては寡黙である。しかし今も昔も、どこか神秘的で魅力に富んでいる民族である。アイルランド人は普段でも大なり小なり演劇的である。話に興じてくると、直接話法になってきて、話の中の登場人物を、それらしい口癖で語らせたり、表情を入れて話し、演劇的である。▼ジョン・フォードが作った映画『静かなる男』には、アイルランドの人情と田園風景があふれる。そうそう、そもそもウィスキーの起源は、アイルランドであるにせよ、スコットランドであるにせよ、ケルト民族の発明であることにかわりがない。▼アイルランド人は、途方もない意固地さ、信じがたいほどの独り思い込み、底抜けの人のよさ、無意味な喧嘩好きと口論好き、それに瑣末なことでも自己の不敗を信じる超人的な負けずきらい、それに信心深いカトリック教徒でありながら迷信をとびっきり好み、そのくせ子羊のように服従する素朴がある。アイルランドには資源はないが、妖精だけはいっぱいいる。古代ケルトのドルイド信仰ならば、むろんゴーストや諸霊が存在し、人は死後、ゴーストとして、好きな地や古里をうろつく。▼ところで、アイルランド西方のアラン島にもひとは住む。岩だらけの不毛の地なのに。人間もタンポポも同じなんですね。種子が落ちたところが極楽だと思って住んでいる。六月二十三日(月)

愛蘭土(2)
▼さて、古代ローマがやってこなかった、アイルランドの話です。西洋人にとって、ギリシャ・ローマ文明の子孫でないと、どこか小馬鹿にされるのではないか。つまり大なり小なり古代文明を血脈に引く家系を誇示する人は多い。英国における第一級の秀才は、工学部や経済学部を選ばず、ギリシャ・ローマの古典学を専攻する。ギリシャ・ローマは重いのである。アイルランドにはシーザーこそやって来なかったが、その代りにローマに本山を置くカトリックがやってきた。当時のアイルランドに住む人々は、狂喜したに違いない。もしもキリスト教がローマでなくエルサレムが根拠地だったら、こうは広がらなかっただろう。イエスの昇天後、エルサレム教会を守り続けた漁夫のペトロは、晩年イエスを殺したローマ帝国の都に行って布教し、これまた皇帝ネロに処刑された。つづくパウロもローマへ行き処刑されるが、ローマで少しずつ信徒を増やしつづけた。その後ヨーロッパの町や村に広がるが、これは「ローマの宗教」というイメージが魅力だったに違いない。ローマ文明は、民族や階級をこえて普遍的なものだった。▼さて、舞台をアイルランドに移すと、聖パトリックが五世紀はじめに、当地にやってきてキリスト教を伝えた。彼はこの島の人々に、三つ葉のクローバーをかざし、「三つ葉もよく見ると、一枚の葉なのだよ」といって、三位一体のこむずかいしい教義を説いた。父(神)と子(イエス)と聖霊とは一つというものだと。聖パトリックの祝日の三月十七日は、クローバーの緑の服、緑の帽子、なければ緑のハンカチでもよい。(そういえば昨年のサッカー・ワールドカップでもアイルランドのサポーターたちも緑一色でした)。古代ケルト人の末裔のアイルランド人は、本国には約三百万人ほどしかいないが、移民とカトリック的多産のため、アメリカには約四千万人いるといわれている。聖パトリックはふしぎな宣教者だった。絶対神とその厳格な教義を押しつけることなく、アイルランドの土着神を認めているのである。しかしそのお陰で、アイルランドの土着の神々が、妖精として生き残った。大宗教は、仏教でも回教でも、土着の神々を否定する。古代的幻想を否定するのだが、カトリック世界でただ一ヵ所、アイルランドだけは、小人や妖精が生き残ることを許されたのである。森や湖や家の暗がりに住む妖精たちは大よろこびしたに違いない。この島は小さいながら、世界の文学史の中で大きな位置を占めるのは、「アイルランド人は、みな頭のどこかかに幻想をもっている」この民族の能力によるものであろう。詩人イエーツ、小説家ジョイス、ガリバー旅行記のスウィフト、劇作家ベッケト。そして日本に滞在した小泉八雲(ラデカオ・ハーン)も日本にお化けや妖精をみた。▼リバプール発のビートルズもアイリッシュを土壌とする。六月二十二日(日)

愛蘭土(1)
アイルランドを読む旅。『愛蘭土紀行 Ⅰ・Ⅱ』(司馬遼太郎・朝日文庫)から。まずは、アイリッシュ・カトリックのために五十頁を割いている。▼そもそものヨーロッパ宗教史をひも解けば、四世紀頃に西ローマ帝国がカトリック、東ローマ帝国がギリシャ正教へと分かれる。やがて十六世紀、カトリックからプロテスタント(新教)が分離する。当時のヨーロッパでのカトリック信者たちは、暢気なものであった。神については教会にまかせっきり、教会に行って罪を告解してさえいれば、あとは神父がよろしく神に対して処理してくれていた。ところが、産業革命と都市生活が盛んになるにつれ、農村から出てきた者たちに、個人の責任や義務といった、個々の自立が求められるようになった。商品取引は、あくまでも個人が個人に対して行う。神との取引も同様で、ローマ教会という中間業者を外して、神に対し自分がじかに取引せざるを得なくなった。それが新教、プロテスタントであった。マックス・ウェーバーが、その著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で社会学的に研究し、この時期に勃興してきたビジネス文明をささえる精神(エートス)を探り出した。「汝の額に汗せよ」「働かざる者食うべからず」。古代に成立した聖書が、あたかも近代のビジネス文明のために書かれたように、さまざまな聖句の読み直しをした。▼アイルランドはカトリック国であるから、この新教に憎悪がある。ここでややこしいのは、アイリッシュにとって大きらいな英国が英国国教会の国であることである。アイルランドの人々は、ゲルマン系でもラテン系でもなく、ケルト人である。古代ヨーロッパに中西部に住んでいた先住民族で、歴史的に強力な足跡はなく、蛮族と思われていた。古代ローマではケルト人のことをガリと呼び、その地をガリアと呼んでいた。シーザーのガリアの地は今のフランスで、そこにローマの大軍が駐屯し、植民地にした。今なお、フランス人はローマ文明の嫡流だとどこかで思っているらしい。負けたケルト人たちはローマ人と混血して後のフランス人の原型をつくったが、例外がブルターニュ半島に残っている。ほかでは英国本土のスコットランド人とウェールズ人である。次いで北海道ほどの広さのアイルランド島にケルト人が残った。▼日本のアイルランド人は、小泉八雲。アメリカ大統領では、ケネディやレーガンがいる。横道にそれるが、テレビのウルルンという番組で、アイルランドの黒ビールの泡にクローバを描いていたのを見た。なぜクローバなのかは次回に。六月二十日(金)

日曜の雨
▼トマトとナスの苗植えが六月になってしまった。お盆のころには食したいが、こらからの好天と慈雨に頼るほかない。この日曜は雨で、引きこもるには具合がいい。だらだらした気分でインターネットや本を繰っていたら、ナルホドに出くわしました。たいして努力もせず棚ボタのいい日になった。▼まずは、動物の適応色彩。わけのわからない動物の体の奇抜な模様が、その動物の生存にとって大事なことは知ってますよね。シマウマなどは群れになると一頭ごとの識別はムリで捕食されにくい。でも、それはなぜか。輪郭です。サンゴ礁などに群がる熱帯魚の鮮やかな縦じまや、蛾のはねの極彩色の斑紋は、はっきりした模様であるけれど、魚がサンゴ礁のなかを泳いでいたり、蛾が木の幹に止まっているときには、あの派手な配色とデザインのおかげで、体の輪郭がわからなくなる。輪郭が不明になることで、捕食から逃れられる。じゃ、そもそもこの派手なデザインは、しだいに進化したものか、いきなりの突然なのかを考え始めたら、やがて意識がうすれてきた。▼もう一つ。握り寿司はなぜ二個か。回転寿司でも二個一組で皿に盛られて回っている。これ、一カンって言いますね。靴下二枚で一足の要領です。現在は一つずつを一カンとしているようです。カンの字については、昔の貨幣単位の貫からとする説、巻き寿司が元になって巻と数える説とがある。さて、握り寿司はなぜ二カンずつなのか。これは江戸時代の握り寿司が、オニギリくらいの大きさで、そのままじゃ食べにくいというので二つにして出したことが始り。二カンはその名残りです。旧弊をあらためるわけではないが、
ノレンをくぐりオシボリで手を清めてから、畏れ多くも大将に「一カンずつ握って」と言ってみたい。こちらは、いろいろ味わいたいのだから。でも、握るリズムが狂うとかで、いい顔はしないだろうな。しかしこの不景気です。いよっお客さんいいこと言うねえ、こちとら少量多品種で商売繁盛につながるなら一カンずつでも、オニギリでも握りましょう。とかなるといいのですが。やってみる価値はあるだろうか。六月二日(月)

けんか
▼ケンカや格闘技の極意は、間合・殺気・残心にある。まず相手との間合のとり方で、一流か三流かがすぐわかる。スキのない構えでも、殺気がギラギラむき出しでは三流か五流だ。といって、殺気がなかったら、相手に気力を吸いとられて、間合を取ることができない。弱い犬ほど吠えるけれど、人間も自信のない奴ほど肩に力が入りすぎて、一見無造作な間合がとれない。ケンカだけでなく、何事も同じだ。勉強でもなんでも、挑戦するものとの静かでスキのない間合が、大切なんだ。と、『けんかの仕方教えます』((佐江衆一・岩波ジュニア新書)がジュニアに指南している。▼ケンカの話は、『バカの壁』(養老孟司・新潮新書)にも出てくる。武器の開発は、死体を見ずにすませる方向に進化している。面とむかって殺し合いをしている間は、抑止力が直接働いていた。しかし、見るがいい。今は武器による被害の規模は大きくなっていくばかり。それに世界の三分の二が一元論者だということを注意しなくてはいけない。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は結局、一元論の宗教である。さて江戸時代のシクミは、士農工商により支配階級を固定化して、武士だけに武器を持たせ有利にすることで、百姓との力のバランスを取り、社会的ケンカを避けてきた。裏返せば、そのくらい都会の人間というのは弱い存在である。百姓の強さは、人間にとって大事な食うことの前提を握っていることにある。基盤となるものを持たない人間がいかに弱いものか。その弱いところ入り込むのが宗教で、その典型が一元的な宗教といえる。イスラムとアメリカとのケンカは、多神教の日本からは、一神教同士の内輪もめにしか見えない。▼極東の我が列島も、他国とのケンカの仕方の有事三法を、立法府は議論もせず決める算段です。世にケンカの種は尽きまじ。まあまあとなだめる人もシクミも少なすぎて、一触触発の場面ばかり。五月十六日(金)

キャベツ畑
▼初夏のモンシロチョウ。この蝶は上昇したと思えば急降下の乱舞をする。これは捕食されないための目暗ましの動きなのだろうと思い込んでいたが、どうもそうではないらしい。『モンシロチョウ』(小原嘉明・中公新書)は解き明かす。▼モンシロチョウは卵から蛹まで一か月かかるが、蝶になってからは、わずか二週間の寿命。この間に結婚相手を見つけて交尾し、子供を遺す。この蝶は雄と雌が似ていて見分けがつかないが、雄は雌の翅の紫外線を感じて近づくことが解明された。雄は、雌たちがよく集まる花の咲いているところへ行くが、ここは交尾済みの雌が多い。だが、キャベツ畑は違う。ここはアオムシにとって格好の食卓なので、雌はそのキャベツにせっせと卵を産みつける。その結果たくさんの幼虫が発生し、蛹になる。やがてたくさんの雌が羽化する。この羽化したての雌こそ、雄が探し求めている未交尾の雌である。さて、この場面です。ここで雄のちょこまか飛びが始まる。雄はキャベツの葉裏や合間をせわしなく、ちょこまか飛んで雌を探す。上から見ただけでは、キャベツの葉裏に羽化したての雌を発見できない。もしかしたら葉の表でさえ、翅を閉じて垂直に止まっている雌を発見できないかもしれない。だから高度をぐっと下げて見て、雄だったらガッカリして、すぐ上昇し次を探す。これが雄のちょこまか飛びの理由だったのです。▼雌探しにも個性があるという。一日に三十分しか雌探しをしないチャランポランな雄がいる一方、その数倍も長い時間を費やす真面目な雄もいる。チャランポラン雄はなぜ淘汰されず生き残ってきたか。考えられることの一つは、一生懸命に探す雄は寿命が短くなり、生涯に雌を探す時間の合計が、チャランポラン雄と差がなくなることにある。それに雌を探す時間が長いほど、捕食の危険にさらされる。でも観察から、真面目な雄が早死にするという結果は得られていない。まだまだ不思議は山のよう。▼この動物行動学者の推理・実験・証明の手順や筋書きには、わくわくするものがある。推理がアタリなのか、ハズレなのか、こちらの気持ちも乱舞でした。夏になったら、キャベツ畑に行こう。四月二十五日(金)

お賽銭
▼人間、落ち着きが肝心。なのだが、それが続くと感覚もゆるみがち。時々足場をぐらつかせ、汚れを落とすというか覚醒することもしたい。でも足場が崩れてしまうと、感覚はむしろ鈍磨の方向にむかうようだ。今春で術後七年目を迎えた。思えばあの時は、鈍磨のなかで手を合わせた。いくばくかの時をと。その後は定期的に札幌の主治医を訪れている。かかりつけの病院は神社の一角にある。なんでも院長はその神社の娘婿らしい。神社に隣り合わせた病院なのだが違和感はなく、鎮守の杜にヒヨドリや四十雀が飛来して、気がまぎれる。さて当面の無事を診断されると、足は神社に向かう。「おさい銭、百円玉一ツぽんと投げて手を合わすお願いごとの多いこと」(相田みつを)をして、鈴をじゃらじゃら。それにしても、お賽銭の風俗は一体どこから来たのだろう。と道々思いながら、本屋に入ると出会うものです。▼『なぜ日本人は賽銭を投げるのか』(新谷尚紀・文春新書)。贈与が人間関係の基本であることは、M.モースのインデアン社会のポトラッチ研究から知られている。人々は贈与のくり返しで人間関係の絆を強める。ただ日本民族の贈与にはもう一つの意味がある。それは神社の賽銭や厄年の銭撒きの習俗にみられる厄払いである。人々が祓い清めたいと思っている、罪穢れ・災厄・疫病・犯罪・暴力・殺人など生活を脅かすものや、死に至らしめる危険なものをひとまとめにして、ケガレとしている。埼玉県の大野では、お金を供えた神輿を村境に捨て、村の災厄や疫病つまりケガレを祓え清める送神祭がある。神社でお賽銭を投げるのも、厄年の人がお金を撒くのも、ケガレを捨てて、祓い清めているのである。貨幣がケガレを吸引する。そもそも神社は祈願する場所なのだが、一方では賽銭箱にお金を投げ入れケガレを祓う場所でもあると言う。▼そうなると、ケガレの清めにポーンと一つ、お願いごとあるならチップをもう一つポーンということになる。四月十日(木)

本棚をのぞく(110)
▼ひとはどんな本を読んでいるのか。立花隆の『ぼくはこんな本を読んできた』(文春文庫)では、科学モノや社会モノが手広い。本読みをスタッフでやっているのだろうか。それとも氏オススメの拾い読みか。猫ビルでの知的生活もイラスト紹介されている。ある時期、私は立花基準で読んだけれど、いまは自由の身です。その鎖を最後に断ったのが、あのイジワル姉御、『趣味は読書。』(斉藤奈美子・平凡社)の著者です。今回はベストセラー本いじめをやってます。それに岩波新書な人々を「じっちゃん本」って言うんだから、まあ、口減らずの評論家だこと。たとえば『声に出して読みたい日本語』(齋藤孝・草思社)は、朗誦に適したテキストを選んで編んだだけの本である。でも売れた。これは「白波五人男」や「がまの油」も載ってるし、これを買うといえば、はっきりいってジジババでしょう(このわしも買ったが悪かったな)。大きな活字、総ルビ、現代かなづかいという一見子ども向きな編集も、見方を変えれば老眼のお年より向きだ。この本読んで、どうぞ長生きして下さい。とまあ、口悪い人だ。▼次はおもむきを変えて、『快楽の本棚』(津島佑子・中公新書)。二十ページあまりの序からすでに、静かな語りで、深い思索にさそわれる。この人は同世代だが、やっぱり姉御肌。さてそんなことより、中味を次に。一度、私がのぞきこんだ本は、その記憶をいつまでも失わずにいる。物語についての記憶と自分自身の記憶の境がはっきりしなくなってくる。言葉で語られることは、人の感受性に直接つながっており、言葉の経験が体験として記憶される。少なくとも、言葉から自由だった子ども時代が懐かしい。言葉から自由になりたい。言葉の牢獄から逃れたい。そうして一方では、本の中の、無数の言葉によって、生命の喜びを見つけ出そうとしている(あれ、二律背反させといて予定調和させるっていう弁証法を好むんだ)。▼でも、次がいい。論理的なキリスト教文化から生まれた文学から、目に見えるものだけがこの世界ではないという神話的想像力が多いアジア文学が、思いがけない生命力を示すのかもしれない。一八七二年に、イラクの砂漠から粘土板が発掘された。古代メソポタミアのシュメール人の神話が、楔文字で刻まれた、ギルガメッシュ叙事詩である。五千年以上前の物語として成熟し、旧約聖書に吸収されたり、ギリシャ時代にも知られたり、語り継がれ、その流れはやがてモンゴルに伝わり、アイヌに伝わり、日本にも伝わっていく。わくわくします。文学を通じて、時代も場所も違う、すばらしい人たちと「直接」出会うことができた(よくもまあ、この小さい本で世界を股にかけた文学史を講義するなんていい度胸してる)。でも、茶化さないで、このひとの小説を読もうという気になってきた。三月二十一日(金)

書抜きの愉しみ
▼本の抜粋を始めたのは一九九〇年。初めてのパソコン(東芝ダイナブック)の初仕事が書抜きだった。当時の文書作成ソフトの文字変換は、まだ滑らかとは言い難いものだった。それでもブラインド・タッチだけは、ものにしておきたかったので、入力練習にと始めた。自分好みのところを抜粋するのだけれど、年月を経ると、さほどでもないものもあり、骨折り損のことも多い。私の本棚は四・五百冊がやっと収まるくらいなので、書抜ぬかれた本は、どこかに引き取ってもらうことになる。図書館だって迷惑だろうから、今ではリサイクル本で出している。もう会うこともないので惜別の気持をこめて抜粋するのだが、多少自分好みに味付けし、手直しする。だから原文そのものではない。抜粋しようとするのは、これだけは忘れず保存しておこう、いつかはと期待する財形貯蓄のようなものか。こつこつ、ちびちびである。▼僧侶で、書抜きをすすめる人はいます。『心の眼を開く』(松原哲明・祥伝社)から。仕事を退いたら、私なりの設計で小さな書斎を作り、好きな音楽でも聴きながら、今まで読めなかった本を次から次へと読破して、それらの中から好きな言葉をワープロに組み入れて楽しむ。こんな愉快なことはないと今からワクワクしている。「井の中の蛙大海を知らず」、しかし「天の深さを知る」。という説法でした。▼ついでに仏教の無財七施も書き抜きました。眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施。こちらの方は、今ではなく仕事を退いてからの「行い」にしようと思う。それに「千軒あれば共過ぎ」ということもあり、隣人の話を聞き、隣の人にサービスするコトでもあれば、それはそれでいいなあ。無財七施にぴったり、と思い始めている。▼巷間、書抜き出版物はたくさんある。『世界名言集』(岩波書店)からの孫書抜きを。「いいえ昨日はありません 今日を打つのは今日の時計 昨日の時計はありません 今日を打つのは今日の時計」(三好達治詩集・「昨日はどこにもありません」)。三月十五(土)

まず現場
▼難民が増える。地域紛争(局地戦争)で彼らは逃げまどう。その第一次接触者である国連難民高等弁務官の仕事ぶりを、『私の仕事』(緒方貞子・草思社)で知った。緒方さんは、まず現場へ足を運び、話し合い、そこで考えを組み立てた。▼難民は、一九六〇年代の植民地解放、新興独立国における内乱や紛争、飢餓状態からの逃避、外国の軍事介入などにより大量流出した。とくにアジア・アフリカで頻発した。さらに一九八〇年代には、冷戦が第三世界に波及する中で、インドシナ、アフガニスタン、中央アメリカ諸国、さらにソマリア・エチオピア・スーダンなどの「アフリカの角」地域からも流出が続く。一九七〇年には二百五十万人と推定された難民が、一九八〇年代には千百万人となり、その後も増加し続けて、今日では千八百万人に到達している。▼最も犠牲が大きく痛ましかったのはルワンダ難民である。ルワンダは東アフリカの小国で遊牧民のツチ族と農耕土着民のフツ族の争いが歴代続いている。植民地時代はツチ族が登用されていたが、社会革命が起こってツチ族とフツ族が争い、六二年の独立後は多数派のフツ族主導の政権になる。この時はツチ族は同族が支配するブルンジやウガンダに難民として流出している。九四年大統領の飛行機撃墜死をきっかけにフツ族過激派によるツチ族虐殺が起こった。五十万人という大量殺戮である。今度は報復を恐れるフツ族が周辺諸国に逃れた。ザイールに百二十万人、タンザニアに五十八万人、ブルンジに二十七万人、ウガンダに一万人が流出した。コレラの流行がザイールに逃れた人々の命を奪った。ザイールの難民の中には軍人・民兵などの戦争犯罪人も含まれる。戦犯を含めた難民キャンプの経営には、避難轟々のこともあったが、「人の命を助ける」という緒方基準で、戦犯を牽制しながら経営にあたった。その後ルワンダには、避難先のウガンダから帰還した、かつての難民である新しいツチ族政権が誕生した。新政権はザールにいるフツ族の難民保護を避難し、ウガンダに残るツチ族難民に支援を望んだが、難民高等弁務官としては、両族には同じように復興援助した。彼らの家を直し、病院をつくり、学校を建てた。後年ルワンダを訪れたら、大統領が自分たちは若い国で経験が浅く、勲章をだすなどということはやったこともないからと、額をいただいた。「あなたはルワンダの友であることを布告する」と書かれていたそうだ。▼さらに緒方さんは続ける。人間は仕事を通して成長していかなければなりません。そのカギとなるのは好奇心です。それに心がけているのは、現場の裁量を増やすことです。任される裁量の大きさが仕事への動機づけになるからです。裁量が少ないということは、責任も少ないということで、そうすると職員は現場ではなく、本部とか偉い人を向いて仕事をするようになってしまいます。かつての日本の外交官は「スマイリング(薄笑い)、スリーピング(居眠り)、サイレント(だんまり)」の3Sといわれていました。スリーピングは世界共通としても、相変わらず決断が遅いことは、今の外交官にもいえて、国際会議などでは、日本の外交官は、他国がどうするかを調べるのが先、という訓練を受けているようです。こんな舞台ではなかなか主導権を握れず、モタモタした国だと見られるのは、この辺りに起因していると感じられます。と喝破している。▼難民を保護しながら、その主因となる地域紛争を後押ししている米国実情を『アホでマヌケなアメリカ白人』(マイケル・ムーア/柏書房)が告発している。粗野なコトバづかいが気になるが、「ブッシュ」なるものが暴かれている。三月六日(木)

屋根裏のムコウ
▼図書館は、使い方によっては共有だが街の書斎になる。『図書館へ行こう』(田中共子・岩波ジュニア新書)は、上手な利用をやさしく解きほぐしながら、何でも相談に乗ってくれるレファレンスをすすめる。ただし、人生相談・宿題・クイズの回答はダメで、医療や法律に関することも医師や弁護士などの専門家がいるものもダメ。もちろん図書館の本の探し方から司書の仕事ぶりまで丁寧に書かれている。それに、もし本好きで図書館に勤めたいと思っているなら、「人の話をよく聞けるか」どうかで決めたらと、若い人に手ほどきをしている。サービス業だから、お客の話が聞けないとコミュニケーションがとれないばかりか、仕事のことでもうまく教えてもらえないことになる。人の役に立つことが嬉しくないと勤まらない職場のようです。▼さて、個人的な書斎の方は、どう考えるといいのか。『書斎の造りかた』(林望・光文社)から。男たちは会社では会社の論理に押しひしがれ、家に帰れば妻の美学に服従するということになって、知的活動といえば、わずかに通勤電車のなかで本を読むだけという事態である。だから家庭内別居としての書斎をすすめる。まずテレビを捨てて、情報量が圧倒している新聞を選択すること。そしてまだ、取り返しのつく現役のうちになにか試行錯誤をして自己投資をしておく。いわゆるヒミツ練習をやってみて、継続して、ある程度目鼻をつけておく。ものになるには一万時間の投資が必要ともいわれるが、一日三時間程度だったら十年。昔から苦節十年です。十年続ければものになる。その場が書斎。自分時間が足りないからといって、一週間にドカンとやるより、毎日十五分でもやる方が、勘が戻りやすいし練習になる。車の暖気運転みたいなものだ。毎日のなかに虎の子としての自分の時間は必要である。イギリスの図書館には書見台があるが、あれは縦書きの文字を読むには、目の疲労がなくいいし、椅子は座りやすく疲れないOAチェアが一番。パソコンやピアノは両手をまんべんなく使うので脳が活性化される。左手は右脳を、右手は左脳を使う。自分を高めるような投資をしておかないと、その分人生の実りも少なく、人生のジリ貧となる。絵でも音楽でも一年前にやったものと比較すると、確かに上達している。上達は好循環し、下手は悪循環する。いずれの場合も、基礎というかメソッドの習得に起因するから注意のこと。音楽だったら一時間単位でまとめて練習しないと効果がないと思われる。文章の方は、事実の叙述は難しくないが、描写はボキャブラリーも要るから日頃の練習が欠かせない。▼ということで、私の場合は毎日のわずかな自由を、夜空だけみえる屋根裏で過ごしている。小さいパソコンと電気ピアノとオーデオと若干の本、それにラジオだけの根城だが、この分だと目鼻がつくのは、まだ先の話。二月二十六日(水)

ナノ?
▼生物のなぞが解かれつつある。『生き物をめぐる四つのなぜ』(長谷川眞理子・集英社新書)の雌雄の話から。哺乳類では、すべての固体はもともと雌になるように遺伝的にプログラムされているが、染色体がXYのときのみY染色体上にある遺伝子が、男性ホルモンのテストステロンを生産し、雄をつくり出すための遺伝子のスイッチを次々入れていく。それに比べて、女性ホルモンのエストロゲンの場合はごく自然に動きだす。ダーウィンの性淘汰の理論に「雌による雄の選り好み」があるが、これは200年間無視され続けた。しかし、雌は、雄の角・牙や大きな体を評価はするが、それにも増してインドクジャクにみるような装飾に惹かれて配偶者を選んでいることも解かってきた。では配偶者を獲得する競争が、なぜ雄間において激しいのか。雌の方が、卵という配偶子を育てるの時間と、子育てに要する時間が、雄より長くなることにより、雄余り状態が生じることから、雄間の争いが激しくなる。じゃ雌雄はなぜあるのか。親の遺伝子の組成を変えない無性生殖の方が、生きていく上で有利のようにみえる。そうみえるが、雄雌半分ずつ遺伝子を持ち寄る有性生殖の方が、親の世代に生じた遺伝子の傷を修復できるところに、有性の優位さがある。さて、今度は遺伝子の不思議である。ちなみに渡り鳥たちは、風の向きを考慮に入れて修正しながら、子午線に対して一定の方向をとる航法を身につけており、太陽の偏向面を利用した太陽コンパス、特定の星や星座の位置による星座コンパス、そして地磁気に頼りながら飛んでいることが解かってきた。プラネタリウムの中で実験したそうだ。話はそれるが、ヨーロッパからアフリカへ旅立つニワムシクイは、普段は16グラムしかないが、渡りの直前にはどんどん食べて30グラムまでになる。1グラムの脂肪でおよそ200キロメートルを飛ぶ。その飛行力やら確かな方向性には驚くほかない。もう一つ。富山名産でもあるホタルイカは何のために光るのか。海の上が明るいと体が黒い影になるので、ぼーっと幽かに発光しながら周りの明るさにあわせることによって自分の影を消し、捕食から逃れる。これをカウンター・シェイディングと呼ぶそうです。いずれも、生物の遺伝子のなせる技と学習・進化の賜物と理解できました。▼不思議ついでに『ナノテクノロジーの世紀』(餌取章男/菅沼定憲・ちくま新書)の超ミクロの世界から。1ナノメートルは1メートルの10億分の1。地球とピンポン玉くらいの比率を思えばいいそうで、ナノ以下の領域は100種類の原子があるだけの個性に乏しい世界である。ところがその原子を並べることで分子やDNAができる。サルモネラ菌の鞭毛は、ちいさな歯車が大きな歯車を動かす原理で動いており、この生物モーターの大きさは3ナノメートルで、一秒間に1700回も回転している。人間の五感や脳のメモリなどもナノの世界で、ただ今解明中ということも解かりました。生物学は面白いし、知りたい世界ナノです。二月十四日(金)

天皇と領土
たまには社会科の勉強もしなくては。『分割された領土』(進藤榮一・岩波現代文庫)から。日本の領土問題がアメリカ国務省で扱われたのは、真珠湾攻撃一年後の四二年に遡る。そこでは日本の降伏条件が検討され、終戦前夜の四五年ポツダム宣言に引き継がれる。基本的に「日本国の主権は、本州、北海道、九州及び四国並びに諸諸島に局限」の領土不拡大の原則が貫かれた。「諸諸島」とは南北二つの列島、琉球と千島である。当時は中国が琉球を、ソ連が千島の帰属を主張すると思われていたが、他方ではアメリカ軍部も琉球の直接統治を主張していた。四六年のヤルタ会談でルーズベルトは、千島を引き渡すことをスターリンに密約した。ただし、ソ連が南千島(色丹以南)を日本に返還することには反対しない立場をとった。さて、対日講和にあってソ連側が恐れたのは、日本軍国主義の復活ばかりでなく、領土処理によって南樺太と千島の領有権が否定され、南洋諸島と沖縄にアメリカの軍事基地がおかれ、日本が対ソ戦略の一環に組み込まれることであった。一方、四七年九月宮内庁御用掛の寺崎から天皇メッセージがアメリカ国務省に伝達された。「天皇はアメリカが沖縄を始め琉球の他の緒島を軍事占領し続けることを希望している。その占領はアメリカの利益になるし、日本を守ることにもなる」。ここに連合国の対日講和条約によらず、日米の二国間条約によって対ソ戦略を作りあげようとする日米安保体制の原像がある。提案は日本から、それも天皇側から発したものである。極東国際軍事裁判で天皇戦犯問題に決着がついていないのに、である。このメッセージは、沖縄を信託統治方式によらず、潜在主権を残しながら租借する方法であるが、当時沖縄統治の出費に悩む旧日本陸軍とアメリカ国務省の野合とも読める。もう一度整理すると、天皇メッセージはアメリカによる琉球の長期占領(租借)と、片面講和を薦めたものに他ならなかった。もう一つ、アメリカは原爆投下をどこに考えていたのか。すでに四四年段階でドイツではなく日本を選択していたらしい。その背景には、トルーマン語録からみても、ある種の人種差別意識があったのではないだろうか。しかも日本降伏にソ連参戦を求めず実行した。ソ連の南下を食い止めるために。という具合に、戦後処理の文献が公開され分析されるにつれて、日本社会の領土と主権の関わりへのアイマイさも際立つ。二月五日(水)

出遅れた出発
独りで始めて二年。先生はいない。入門用ビデオをみて初歩の初歩を、大人のための省略した楽譜でヨチヨチと、指の鍛錬は脳を刺激してボケないを信じて鍵盤をつついてきた。ついこの間までは両手をバラバラに動かすなんてムリだったのが、出来るようになった。無手勝流で十数曲をものにしたのだが、曲というには程遠く物足りない。毎日はグルダや内田光子を聴いているのになあ。もう少し何とか成らないものかと思案していたら、ありました。若い人に手による独学の本です。『おとなのピアノ独学のすすめ』(広瀬宣道・春秋社)からの書き抜きです。指の負担の少ない取り組みやすい曲は、バッハ「平均律クラヴィーア曲集」第一番、メンデルスゾーン「歌の翼にのせて」、ヘンデル「ラルゴ」、ベートーベン「月光の曲」。練習は、譜面だけ見て弾くブラインドタッチか、もしくは暗譜して曲を深める。二倍の速さでの練習も役に立つ。ペダル踏むなら、これだけは覚えておく。グランドピアノの場合は、左がシフティングペダル(ソフトペダル)で、このペダルを踏むと弦を叩くハンマーの位置がズレて、通常三本叩くところが二本しか当たらず、音が若干柔らかく細かい表現力がでる。ピアニシモの時にいい感じになる。真ん中のペダルはソステヌートペダルで、踏んだ瞬間に押さえていた鍵盤の音だけ持続できるが、これは初心者は使わない。右のペダルはダンパーペダルで、音を段々弱めるもので最も使用する。さて次は指の練習だが、バイエルなんて止めてハノンの曲を抜粋して強化するといい。薬指と小指は特に弱いので、トリルで机をたたき鍛える。オクターブはジャンケンのパーの形で、手首を内側に曲げた距離がちょうどいい。さて打鍵だが、これは手首の緊張をぬいた「マリつき」の要領で脱力すると、澄んだ、芯の透った音になる。フッと溜息をつきながら机の上に何気なく手をポンと置く感じで、弾く意識を捨てる。さて最後に、シャープやフラットの数によって黒鍵は決まっているから、規則性を覚えてしまい「フラットが三つだから、シ・ミ・ラが黒鍵だな」と解かれば、シャープやフラットがズラッと並んでいても、怖くなくなる、と言う。それにしてもいい加減な独学だけでは、音楽に大事な緊張と興奮が足らない。でも、まあこのまま続けよう。そう思いながらも独習仲間を作っている人たちのホームページを覗いては、思案投げ首。http://member.nifty.ne.jp/etude/ecudtop.html 
一月二十日(月)

正月のグローバリゼーション (03年)
▼せっかくの正月だからと、餅腹で布団にくるまり天井をみつめていたんですが、何やらもやもやする。下界のことである。現世は米国が地軸となりぐるぐる自転しているよなあ、という思いが段々強くなる。世界の動きをブリ-フィグする『グローバリゼーション・トリック』(舟橋洋一・岩波書店)をめくった。中東やアジア事情に詳しい人である。ちなみに北朝鮮を米国が潰しにかかれば、中国が黙っていないし、北の脅威がなくなると韓国と日本の駐留米軍の意味づけが怪しくなってしまうから、なんじゃかんじゃと外交に持ち込みたいところに米国の立場があるそうだ。新聞をジッと見ていると解かることもある。ブッシュ戦略なのかうるさい国連を尻目に一国主義をみせつけると、EU諸国はあの手この手で抵抗するが、日本は「はいはい」と言うだけ。ドルと安全保障に支配され身動きできない。そうこうしているうちに、中国が世界第三位の経済大国として、公害や貧富の差を抱えてながらも台頭してきた。果たして十三億人が食いっぱぐれのない国づくりができるのだろうか。この地球にとっては未経験のスケールである。そこで私は中国や日本にも愛読者の多いという『水滸伝』(施耐庵・岩波少年文庫)を生まれて初めて読んでみた。幼少のころは本より魚釣りだったので、この年になって読書挽回である。これ、全編が争いの物語。仁義を重んじる儒教らしきものは感じたが、やはり覇道というか武断政治が中心の武闘の国である。中国人は容赦なく、しかも絶対に謝らない人たちとの確信を持った。これが朝鮮半島の人たちにも受け継がれているとしたら、周りのアジアの人たちとの付き合いはタフにならなくては、どうしようもない。ワールドカップがいい見本でした。トルシェ・ジャパンは隣の国々に比べて、ガッツが不足し守備が粘っこくなかった。こちらが百パーセント出力人間にならないと太刀打ちできない人たちだなあと思う。▼さて次は、食のグローバリゼーションですが、これはBSE(狂牛病)に極まります。『食の世界に何がおきているか』(中村靖彦・岩波新書)に詳しい。BSE発生の原因は、一九七三年の第四次中東戦争で油の値段が暴騰したことに始る。動物を再利用するレンダリング工場では、骨などを溶かすためのテトロクロエセリンという物質を入れていたが、これを入れると時間が余計にかかるので、燃料を節約するため止めた。さらに煮沸する時間を短くして温度も下げた結果が、病原体プリオンが活性化したまま肉骨粉に残ってしまい、それが牛の餌として与えられたと推測されている。あと気になるのは、巷にあふれている遺伝子組み換え食品だが、もっと追跡報告が欲しい。▼正月の最後の本は勧められるままに読んだ『不肖宮嶋・踊る大取材線』(宮嶋茂樹・新潮文庫)で、痛快体当たりのカメラ取材と前世紀末の報道写真を味わった。これは前二冊の文筆記者と違い、カメラを抱えて世界各地の現場に飛び込み、その瞬間を待つ。その瞬間というのは突然、なんの前触れもなくやってくるというものではないらしい。必ず何らかの前兆がある。ネコが走る。枯葉が落ちる。スズメが飛び去る。その瞬間の緊張が伝わってくる。江夏豊投手に会って怒られた話も印象に残る。バチバチ写真を撮り始めると「おもまえもプロやったら、一発で決めんかい」。一月八日(水)

cojiki-02

02年暮れる.. 2
同根... 2
室内の旅人(100). 3
ブック・カウンセリング... 3
秘伝公開... 4
女必殺剣「アイドル殺法」. 5
梟のメガネ... 6
低く暮らす... 7
時間銀行... 7
水しぶき.. 8
眉間... 8
悩ましきデジカメ.. 9
町で田舎暮らし (90) 9
遊びの地図... 10
団塊たちの法則... 11
庭二居マス... 11
沸く. 12
Show and tell 12
隣国の古層... 12
六十年後の陪審員... 13
冷えたティオ・ペペ... 14
きみには苦労かけるね... 14
誰でもいい絵は描けるんやで (80). 14
散蓮華... 15
おっとっと.. 15
取り違え... 15
週一冊の愉しみ... 16
日本語は畸形?... 16
おいらの由来がきえた... 17
モノクロ映画... 17
ふたりの博物誌... 18
小話に笑ふ... 18
内田光子の世界 (02年)(70). 18


02年暮れる
例年よりは揺れが大きく深い02年でした。多少の船酔いの心地を残しながらも、まずは生き延びて年を刻めそうです。周りの人たちも仕事と人間の関係に奮戦しています。つまり、少なくなる分け前をめぐっての争いと調整です。わざわざスローなライフにしなくとも、縮むデフレ経済のもとでは、残量メータをみながらトロトロ走るほかないのです。ゆっくりで貧しい生活といえば、半世紀前の私の生家は明治や江戸の暮らしぶりに近く、ランプと有畜農業の省エネ型だったなあ、と感慨深くして今年を閉じます。森まゆみ「谷根千の冒険」ちくま文庫。十二月二十八日(土)

同根
冬の夜長の抜書です。岩城宏之「オーケストラの職人たち」(文芸春秋)から。▼木の窪みに果実が落っこちる。果汁となって発酵する。猿だったころの人間の祖先が、手で掬って味を覚える。旨い。発酵しているから酔っぱらう。いい気持ちになって声を上げる。酒と歌の始まりである。嬉しくなって樹の幹をポカポカ叩く。打楽器の始まりである。自然に身体も揺れる。踊りの始まりだ。何千万年も前に、われわれ人間の音楽は、ウタとタイコとオドリを原点として出発した。人類の発祥地はアフリカ中部だと言われる。音楽は、楽器を増やしながら何百万年もかかって、インド大陸に伝わる。インドの音楽は東南アジアを経て、インドネシアでガムランとして発展した。さらにインド系の音楽は、ジプシーの移動とともに、中近東、ロシア、ヨーロッパ全土に広がった。ジプシー音楽は、イベリア半島で濃い溜まり方をし、スペインやポルトガルの音楽には強い影響を与えた。▼一方、インドネシアを通って中国大陸に伝わったインドの音楽は、雅楽の起源になり、朝鮮半島を経て、日本で雅楽として完成した。世界中のあらゆる楽器のオリジナルは、インド産である。糸をこすって音を出す楽器は、ヨーロッパに行ってバイオリン系の弦楽器になり、中国大陸に流れて胡弓になった。はじいて音を出すシタールはヨーロッパのギターやハープになり、日本の琴や三味線も中国大陸を経て来たものである。ラテンアメリカの音楽は、近世のスペインやポルトガルの侵略と征服の故であるが、北米のインディアンやペルーのインディオとか、南米の最南端の音楽にも、ユーラシア大陸の影響がある。アリューシャン列島を渡って、途方もない時間をかけて、南米最南端まで伝わったのだろう。人類の起源をアフリカだとすれば、地球を一周したのだ。アトランティス大陸の陥没で、ヨーロッパ・アフリカと南北アメリカ大陸が分断されたのが事実なら、アフリカと南米の南端はくっついていたわけだ。▼アフリカを源として、インドから世界中に伝播した音階の基本は、五音音階である。ド・レ・ミ・ソ・ラの五つの音だ。例えば、日本の伝統音楽、民謡、現代の演歌は、この典型だ。演歌の源流は朝鮮半島の歌だが、日本の文化はすべて朝鮮半島経由なのだ。五音音階は世界各地に広まって、それぞれの民族に合った音階に変化した。ヨーロッパでは中世の音階を経て、ファとシが加わり、ドレミファソラシドになった。不思議なのは沖縄の音階で、ド・ミ・ファ・ソ・シの五つだ。インドからマレー半島を通ってインドネシアで発達したガムラン音楽と同じなのだ。とにかくこの地球という星の人類がやっている音楽は、すべて親類同士なのである。クラシック音楽や、ロック、浪花節、教会のミサなどは、みんな同根なのだ。▼ついでに、渡邊健一「音楽の正体」(ヤマハミュージックメディア)から。寅さんのテーマ曲「男はつらいよ」を歌ってみるとファ・シが出てこない。日本的音楽の系譜や情緒についての説明がうなずける。もう一つ。ヨーロッパは三拍子のワルツに満ちていて、日本は二拍子。馬に乗ったら三拍子、稲を植えたら二拍子なのである。馬はパカパカ走っているだけのようだが、実はパカパ・パカパ・パカパと三拍子で走っており、田植えはヨイショ・ヨイショの農作業である。仕事と音楽のリズムは呼応していた。十二月十八日(水)

室内の旅人(100)
班で押したような毎日にも、小さな波乱はある。だが、もっと大きな振幅のある世界へ旅立とうと思い、少年向けの羅貫中「三国志」(岩波少年文庫)の三巻を読む。なんといっても名場面は後半の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」あたりの駆け引き。三国志の百年の年月には安寧はなく波乱万丈に果てる。漢の帝国が衰えて、魏・蜀・呉の三国に分かれ、その君主たちはみな自分こそ皇帝と称して対立抗争する。数十万人の軍勢の先頭は敵に圧倒されれば、早々に見限って相手に下り、後方は統制がとれず散り散り。人民は戦乱に巻きこまれ不運な時代だったが、戦いに秀でた人物にとっては乱世こそわが世と張り切る。平和な時代ならそれほど目立たず地味だろうなと思われる人たちも、チャンスに恵まれ燃焼し尽くす。むろん無駄死にも多い。本はテレビや映画に劣らないどころか、手軽に仮想世界を用意してくれる。本を読み始めれば、目的地はともかく、この地を後にして旅立てる。でもこれは外出の出かける旅ではなく、出かけない旅。本の中では別の人格になるが、ここでの経験だって、自分の経験の一部になり得る。そんな室内の旅人は、柴田敏隆「カラスの早起き、スズメの寝坊」新潮選書で、自然界をのぞいた。ヒトはむかし鳥だった。その名残か、この乱世を飛び交うアナーキーな鳥が目立つ。十一月二十六日(火)

ブック・カウンセリング
世界で六百万部を売った「話を聞かない男、地図が読めない女」(主婦の友社)はどんな本なのか。タイトルを超える面白みはないが、ケーススタディと所々のまとめがあり、アチラのレポートを思わせる。いくつかの命題が出される。男は狩の本能、女は巣作りの本能という自然の采配から自由ではなく、なぜ男と女が違うかの理由さえわかれば共存できる。男はモノ(仕事)が好きで、女はヒト(関係)が好きという、この事実をまず知ること。男は気持を隠し、女は感情を率直に表すように脳が配線されている。女はストレスでしゃべり、男はストレスで黙る。これらの配線の違いを延々と例証する。もう少し続けると、男は間違いなく北の方角がわかるが、一度に一つずつしかこなせない。女はお喋りでマルチチャネルの感覚でありながら、全体を読み取ってしまう。脳のパターンが、男っぽいか、女っぽいかは、受胎後六~八週間の間に、投薬などの影響で男性ホルモンと女性ホルモンのどちらを多く浴びていたかによって、脳がプログラミングされ、思考や行動を左右する。それを探るテストが付いていて、やってみると140点と普通でした。分析では、今の男は本来持っていないコミュニケーションが求められており、その能力を高めて、女っぽくもなく男っぽくもない融通の利くゾーンに近づけば、ずいぶんと問題解決になると結論している。だた、この得点が上がると「女脳」度も上がり、創造と芸術の分野に才能を発揮できるが、百八十点を超えるとゲイになる可能性が高いそうだ。日本人による類書では、人間行動学から見た岩月謙司「女は男のどこを見ているか」(ちくま新書)がある。若い女性の「幸せ恐怖症」には注目だが、赤ちゃんにベロベロバーをしてウケルほうがノーベル賞をとるより大事だとか、もっぱら男のコミュニケーション能力が問われている。この出版社から、小谷野敦「もてない男」(ちくま新書)、諸富祥彦「さみしい男」(ちくま新書)と、カウンセリング型の本が続々である。しかし自己診断にも限りがある。本の後は風呂かシネマでバランスを取りたい。少し古いがクロード・ルルシュー監督「男と女」は、あの麗しいフランシス・レイの音楽が付いて、カウンセリング時間は百四分です。十一月八日(金)

秘伝公開
あの切れ味のいい、斉藤美奈子「文章読本さん江」の必殺剣を受けて立とうというのか、林望は「文章術の千本ノック」(小学館)を出した。文筆家の出世の証しとして書いたとは思わないが、まずは、リンボウ先生の文章教室を覗いてみよう。▼人が見ないようなところまでよく観察し発見するという心がけがないと、人が読んでくれるような文書は書けない。着眼を鍛えることが文章の命。「です・ます調」の敬体は女性的文章で、男性はほとんど「だ・である調」の常体を使う。文章は常体が原則である。敬体の文章は形容詞がうまく扱えない。「美しかった」を「美しかったです」とか「美しいでした」では美しくない。敬体は、文章がもたもたして、すらりと書けない。▼読み物として成立する最低の文字数は、六百字だと言われている。山あり谷あり、起承転結宜しくあって、なおかつ余韻のようなものまで込めるとなると、それはもうプロの仕事だから、普通は八百字を目安に書くといい。書き出しで読者の心をとらえて、締めくくりで納得させる、この二つはどうしても最大の努力を払って、きちんと書かなければならない。文章には、三つのポイント(キーワード)をもって奥行を出して欲しい。注意すべきは、「かわいかった」などの概念を書かず、具体的な様子を綿密に写実的に描き出し、読者が自動的に「かわいいな」と思ってくれるように書くこと。▼尻切れトンボ文体「~楽しめる趣味のよう」「~してみては?」「~してみるのもいいかも」などの、叙述省略は、上品でもなく洒落てもいない。この中止法や体言止は、一つの短文に二つ以上使うのは禁じ手。それから、流行語とか紋切り型の言い方、いわゆる手垢のついた安易な表現は避ける。「なんともやりきれない」なんて、こんな思考停止のしめくくりの状態なら、文章なんか書かない方がいい。落語は、自分が楽しむのではなく、人を楽しませるためのユーモアの集大成である。自分はあくまで冷静でなくてはならない。もし何かをからかうのであれば、自分をからかって笑うべきであって、人をからかってはいけません。▼パソコンで文章を書く。第一次の草稿では所定の一・五倍くらいの長さをめどに書きたいように書いて、それを推敲し短縮して所定の枚数に仕上げる。緊密感のある文章を書くためには、望ましい道具です。最後に書式を設定して終えるのがいい。経験的には25字×32行で組むと、これが八百字に相当し、一番書きやすい。▼題名は、何か引きつける刺激が欲しい。手の内を明かしてしまうと、面白みに欠ける。しかも文章はアウトサイダーというか、どっか不良でなきゃだめです。次は、言葉をケチることです。無駄な言葉は一語もないように節約して書くのが文章を面白くするコツです。余計なことを書いていると、文章の流れが悪くなってスピードが落ちる。ちょっとフィクションを混ぜても、面白い方がいい。くれぐれも書くときは、具体的な描写、非常に具体的で目に見えるように書くことです。どう書くとリアルかをいつも考えること。文章を書いて、それで何かを人に伝えたいと思ったら、自分が感激していてはだめです。自分はあくまでも冷静でなければ。また、何か面白いことを買いて人に楽しんでもらおうと思ったら、自分は楽しまず、自分を戯画化して、読んだ人がゲラゲラ笑うような、そういう書き方をしなければいけません。▼自分の文章をもう一回、他人の目で眺める。自己批判できれば、削るという勇気が持てる。いかに自分の文章には冷酷になれるかがポイント。同じ言葉を近い所で繰り返えすと、下手くそな印象になる。何度も言うが、文章にはトピックやエピソードは三つぐらいあるといい。で、叙述は簡潔に、濃縮して書く。会話を「と言った」で受けると単調になるので、会話を三つくらい並べてしまうと、小説みたいな面白味が出る。全体が具体的な描写で成り立ち、概念的な文章がほとんどない、こういうのはとてもいい。書き慣れていない人の場合、男の文章は「説明」になりやすく、女の文章は「おしゃべり」に終始することが多い。書き出しと締めくくりが大切なのだが、その両方ともおざなりでは魅力がない。話題の自分をもっと戯画化して、いきいきと「話すように書く」と良い。▼長々と書き抜きました。斎藤美奈子は多分、新味もなく「今更」だよと言い切るだろうな。としても、私にはこの指南書はありがたい。リンボウ先生が、文章づくりの秘伝を一部公開したことで彼の叙述原則がわかったら。十月二十三日(水)

女必殺剣「アイドル殺法」
同時代の八人の物書きたちが、斎藤美奈子の「文壇アイドル論」(岩波書店)で、スパッと切られる。その太刀さばきは正統で、一刀両断の傷は深い。全編にわたって切り口は鮮やかで、わかりやすい。襲われた人たちは、どう読んだのだろう。愛読してきた人たちも、動揺させられる。加藤周一も、吉本ばななのお父さんも、これ程のことはない。私の住む北国は中心情報から遠い。世の兆しや世の動きが、遅れてでも届けばいいが、届かないこともある。立花隆は、その点で取材力があり、広範にして深く時代をつかんでいるようなその書きぶりに、時代の旗手というのは、さすがに先行しているものだと思わせていた。でも生命と科学だけでこの時代を割り切ろうとする、その考えの危うさは薄々感じられた。人間に引きつけた言い方が少なく、物足りなさがどこにあるのか解らないでいたので、彼女の切込みに同感すること頻りである。こんなことなら、ほかにも必殺剣を抜いているだろと、彼女の「文章読本さん江」(筑摩書房)にも手を出す。うんうんこれもいける。文章の目的は、情報伝達と自己表現があり、前者は的確さ、後者は面白さが求められる。で、伝達用の文章入門書はあまたの本があるので、いまさらこの手の読本など要ない。かたや表現のための文章修行は、自力で積み重ねるよりないという事情にある。のに、この斉藤美奈子の本が出て半年も経たない今月の新刊で、書きまくるリンボウ氏こと林望は文章の指南書を出した。どちらかと言うとエッセイ方面だが、添削の具体例もある。かくて文章読本はひきも切らず製造されるが、パロデイでもいいから、谷崎潤一郎や丸谷才一の「文章読本」を添削するくらいの気概ある人はいないのだろうか。ともかく文筆家にとって文章読本を書く行為は、人生の総仕上げ、出世の証し、双六の上がりにも似た名誉ある行為なのだという。彼女のこの二冊で切られた人たちの逆襲はないのか。傷口を手当てするだけでは済まないと思うのだが。蚊帳の外での楽しみが一つ増えた。十月二十二日(火)

梟のメガネ
梟(ふくろう)が夜に活動することから、ミネルバの梟は黄昏に飛ぶ、と哲学者ヘーゲルは申しているそうだ。知恵と哲学は夜に羽ばたくということか。文筆者・芸術家たちばかりでなく、誰にもじゃまされず創作できるのは夜の時間帯。それなら仕事帰りに縄のれんをくぐる人たちだって、タソガレ時の梟の仲間入りしてもいい。ただ、こちらは会社の話ばかりの、知恵を会社のためにだけ使う梟になっているような気はする。かたや夜ではなく昼に活動する梟もいることは居る。かの哲学者より緯度の高い地域にすむシロフクロウで、白夜のために環境適応したものだ。生き物は奥が深くさまざま。生き方がいろいろなのだ。さかのぼってギリシャ時代の梟はどんな風だったのだろうか。たぶんレバノン杉の森に生きていたと思われる。しかし都市文明は燃料と建築材で森林を食いつくし、やがて不毛の土地となる。そうなると梟はその地を捨てるほかなく、ギリシャ文明もしかる後にタソガレた。梟は不吉な鳥として見られていた時代もあったが、ギリシャ神話の女神アテナ(ローマ名はミネルバ)の聖鳥のおかげで知恵の象徴として、眼鏡をかけて本を読む姿を描かれるまでになった。私もあやかりたく、近視用のメガネ・フクロウを長年続けてきたのだが、つとに近くを見るのがつらい年頃となってしまった。このままでは幸せになれないと思い、ベッドにもぐり込んでの裸眼読書に切りかえた。牛がべろんと塩を舐めるくらいの距離に本がある。ややっ、活字の雰囲気は、こんなにも違いがあったのか。「岩波」より「みすず」や「筑摩」の方が、やわらかい字体で読みいい。メガネをはずして解ることもある。林望「恋の歌、恋の物語~日本の古典を読む楽しみ」岩波ジュニア新書。十月八日(火)

低く暮らす
イスの座面がもっと低くかったらなあ。座面が高いと踵が床につかず太ももあたりがうっ血しやすい。これは靴を履いたときの高さなのでは、と思いたくなる。テーブルも大抵が七十センチ。自宅なのに洋食屋の座りの緊張があると言ったら、おおげさか。だから食べ終わったら、ゆっくりできる畳かソファをつい探してしまう。勉強机も同じ高さで、うっぷして寝てしまうには、ちょうどよい高さ。そこでイスとテーブルの脚を五センチ、いやいっそ十センチくらい、切り落としたらさぞかしと思っていたので、ノコギリを握りしめてはみる。みるが、失敗したら元も子もない。失敗したときの接着剤だってまだまだ信用できない。こういう人達のためらいを見透かしてか、工業デザイナーの故秋岡芳夫さんが作りました。低いテーブルと胡坐できる低いイス。素材はナラ材。ゆったりしていて、踵が床について安定する。易しそうな工作だから自分でやってもいいのだが、脚四本が同じ高さにならないと、次々切りそろえるつもりで、その先が脚のない座椅子にでもなったらどうしよう。ここはひとつピタリと仕上げる家具職人に頼みたいところだが、来てもらうまでもないし。半人前くらいの腕でもいいのなら、自分の特技として脚きりを習得し、地域の人材銀行にでも載せてもらおうかなと、思ったりする。低く暮らすための、作ることのない壊しの職人として。身の丈に合わせた家具で暮らすことは、これからを考えても大事のひとつだと思えて仕方がない。秋岡さんは置戸町のオケクラフトに力を入れ、この十勝にもクラフトセンターをと語っていましたが、今は昔のこと。「古典落語志ん生」ちくま文庫。九月二十日(金)

時間銀行
新しいお金が流通している。生活通貨のことで、地域でモノやサービスが交換されている。エコマネーとも呼ばれるが、子ども銀行のようなものと揶揄する人もいる。元々はイタリアのパルマで始った。1991年に「時間銀行」が設立され、現在約300ヵ所1万人の参加者がいる。参加者は提供できるサービスの内容と提供できる時間と、受けたいサービスの内容を時間銀行に登録しておく。サービスを受けたいときは、事務局に電話をし、適当な人を探してもらう。交換が行われたら、小切手帳に時間数を記入し、サインをして時間銀行に持っていくと、各人の口座で時間を増減してくれる。ただ、稼いだ時間を自分や家族の将来のためには使えず、半年くらいで助け合う仕組みになっている。日本でも地域通貨の試験流通を始めたり、検討中のところが百を数える勢いにある。通貨単位も前橋市は「ありがとう」、伊那市は「「い~な」とか、わが北海道では栗山町の「クリン」、小樽市の「タル」など。この小さな、目に見えるサイズの経済循環は、単身世帯を含めて地域に受入れられ、広がっている。元祖イタリアは地域通貨ばかりでなく、昔も今も目に見える範囲の地域経済を大事にしてきた。とくに第1次産品は半径50kmの範囲で流通させるというから、旨いもの・安全なものを口にしようとする地域づくりの基本姿勢が感じられる。ところでこの地域通貨のやり方を、家庭のお金に換算されないシャドーワークに持ち込んでみたら新鮮ではないか。ご飯を用意したら1ポイント、草むしりを1時間したら1ポイントとして登録する。何かサービスを受けたいときはそのポイントを使う。通貨の単位はカインドとかボランテとか名づけておき、ワインのコルク栓でも代替コインしたらいい。核家族でメンバーが少なくて取引が偏ったら、月末に現金決済して清算。その時は交換レートで揉めるかもしれない。でも、ここまでやる人はいないだろうな。なだいなだ「人間、とりあえず主義」筑摩書房。九月六日(金)

水しぶき
餌台に訪れるスズメらの周りは、駅のプラットホームの賑わいがある。キオスクにちょいと寄っては、新聞や飲料ボトルを仕入れ、電車に飛び乗る、あの慌しげな様子。小鳥のプラットホームでは、チィチィと穀物をつまみ、水鉢の水を含んで、どこかへ出かける。時間をおいて、またやってくる。これを繰り返す鳥たちは時々、常備してある水鉢で水しぶきをあげる。見ているこちらが、ホーッと声が洩れるほど生き生きしていて、見応えがある。鳥たちは自分の体を清潔に保ち、病気にならないように水浴びをする。とくに羽毛は体温を保ち、雨を弾きとばす役目を持ち、軽く丈夫にできているが、その構造は微細なため汚れやすい。それを水浴びできれいにし、ついでにダニ、ノミも振るい落とす。さらに翼の部分の風切り羽は、より大切。飛ぶことによって身を守り、食物を得ているので、手入れは入念である。鳥の水浴びは、浅いところに立ち、両翼を水にたたきつけ、水をはねあげて行う。水浴びの後は羽づくろいの整羽行動をし、細かい羽糸の乱れを嘴で一枚いちまいしごいて直していく。スズメはこの後、砂浴びもするが、仕草がおどけていて、こちらは声を立てずに笑うことになる。鳥たちの水浴びは一年中のことなので、バードバスを設けている人は、冬になると氷を割ってやるのだが、この土地の場合は手の施しようがない。てんぷら油を固めたように一枚に凍ってしまう。中野雄「丸山真男・音楽の対話」文春新書。八月二十三日(金)

眉間
二千五百年前のお釈迦さんは悟りをひらき、説いた。観音さまの名前を唱えるだけでも苦しみから救われる。衆生のために観音さまは、いろいろな姿で私たちの身辺におられる。時には仏であったり、長者とか僧、女や子供、さらには夜叉・天竜・阿修羅などの八部衆のような姿で衆生を救っておられる。ということなんですが、その八部衆が実は極めつけのワルで、お釈迦さんの説法で平和な社会が作られては困る悪神たちであった。なかでも阿修羅は乱暴者でお釈迦さんの話の邪魔ばかりしていたのですが、いつの間にか聞き入ってしまう。ついには他の悪神たちが騒ぎ出すと「だまれ」と追い払い、進んで心静かに説法を聞くようになった。まさにその時の顔があの奈良の都にある。興福寺の国宝館にある阿修羅は、天平彫刻の名作として教科書にも載せられている。人々の悩みを一身に背負い、その苦しみに耐えて、静かに語りかけている。眉を寄せて、きびしい表情ではあるが清々しさを秘めている。正面の顔のほかに二面、腕は六本の三面六臂の乾漆の像である。漆に木屑をまぜたペイストで像の肉づけをするこの乾漆の技法が、あの眉間のきびしくも、やわらかな表現を可能にしている。この阿修羅に限っては、宗教の文脈で見なくとも鑑賞できる彫刻と言えないか。「梅原猛の授業・仏教」朝日新聞社。八月十四日(水)

悩ましきデジカメ
デジカメはカメラにあらず。あの銀塩のフィルム・カメラと違い、デジカメは出来事を説明するメモ帳に向いているという。文房具感覚なのだろうか。しかも電子処理だからお金がかからない。今までのように写真屋に出してプリントしなくていい。バシバシ写していいのですぞ。どんどんメモして下さい。そう言われても、ついケチ心が出て、必殺一枚で済ましてしまう。でも惜しみなく写しておいて、後から画像を見ながらレポート作ることも出来るのなら、そんな使い方もあるのかなとは思う。入門書によると、デジカメの五徳は、プロ並みのピント、その場での画像確認、インターネットで送信、画像かさばらず、カメラ扱いが簡単、とある。ただ悩まされるのが、買う時である。この手のカメラは高くても安くてもすぐに性能が古くなり、短命。三ヵ月で値引き競争。だから三ヵ月我慢して、初期不良が改良されたものを買うのが良いらしい。私は二度もしくじった。今は五パーセント失業の渋いご時世だから広告費は細り、写真は自ら撮りパソコン編集し、プリントするなりメールするのが主流。デジカメで写すコツでは、スナップならファインダーで素早く、複写や花などのクローズアップならモニターで構図を決める。人物撮影は銀塩と同じ。人物の目の高さ、少し斜めから、望遠系のフォーカスで、最低七枚、話しかけ反応が出たところで撮る、ことだそうです。それにしても、まだデジカメは操作ボタンが多すぎる。電源スイッチとシャッターボタンだけなら、瞬きだけで書けるメモ帳として認めてもいいのだが。赤瀬川源平「悩ましき買物」光文社文庫。八月一日(木)

町で田舎暮らし (90)
小川のそばに山小屋をつくって「北の国から」のように住む。この望みはずっと持ち続けたが、町でも田舎暮らしが出来るのではないか、と自ら実践する都市計画家に出会ってからは、その暮らし方に傾いた。どんな、と言われても庭仕事をしているに過ぎないのですが。でも一旦、扉を押して庭に入れば、そこには田舎の時間が流れ始める。動機は、小鳥が飛来する雑木林のような環境の庭づくり。餌台の周りに低木、すこし離れて中木を植え、少量の餌をおき水浴び用の鉢も備えた。それに近所には有難くもニセアカシアの高木が一本あり、この庭へのガイド役を果たしてくれている。さて庭仕事のために納屋も建てた。七つ道具やら、除草機、小枝の粉砕機、枯れ枝集塵機などを収納した。段取り八分です。庭木も十年経てばズンと大きくなる。ホプシー、ギンカエデ、ゴールデンニセアカシヤ、コブシ、カエデなどが育つ。離して植えなさいとの忠告もあったが、どうも初心者は密植になる。人も鳥も食べるベリー類などの果樹を植える隙間が不足してきた。小さな野菜畑も一カ所を休耕にして三カ所を輪作とした。小さな庭でも循環をと思い、家庭の生ごみは堆肥にし、切り枝は粉砕機でチップにしてマルチングか、堆肥と混ぜて土壌改良に使っている。庭仕事によって体の機嫌がよくなり、気分も同様に。一仕事に一缶のビールは約束されており、庭に飛来する小鳥たちの水浴びを眺めながらいただく。ドイツの小さな庭《クラインガルテン》の話を聞いたり見てなかったら、町での田園生活には踏み出さなかったかもしれない。ヘルマン・ヘッセ「庭仕事の愉しみ」草思社。七月十二日(金)

遊びの地図
小さい頃に遊んだ地図を作る。言うところのメンタルマップづくりで温故知新です。少年時代に遊んだことしか、大人になっても遊べない法則があるかもしれないと、うすうす感じていたので、まずは記憶を遡ることにした。犯罪捜査でも現場はもちろんだが出身地を洗えというではないか。さて、十勝平野東部に流れる忠類川の源流近くで私は育った。川は小さかったが水量もたっぷりあり、夏は冷たく、スイカがよく冷えた。小学生の頃は、下校するや馬糞の堆肥からミミズをほじくり、竹の一本竿を担いで毎日のように家の前の川で過ごした。釣果のヤマメ・イワナは笹や柳の枝に通してぶら下げて帰り、薪ストーブの上で焼いて食べた。カラス貝だって口の中にヨモギの茎を差し込めば釣れた。身は硬いので食べなかったが、内側は硬質な真珠の光が満ちていた。木洩れ日のなかの川はガラスの破片を水面につけると、水底まで見渡せるほどで、魚の動きに合わせヤスで突いた。顔を上げて流れを見つめていると、相対原理で岸のほうが動き出し、目まいでふらふらになるのを楽しんだ。夏休みは蝉時雨を浴びながら、長い畝の数条の草取りノルマもそこそこに、日暮し釣り糸をたれていた。近くの森の樹上につくった隠れ小屋で、お握りを食べた後はよく絵を描いた。遠出もした。一里先の裏山に松前藩が埋めたという金塊の伝説を信じて、友だちとその洞穴探検に夏休みの多くを費やし、いつもとっぷり暮れてから家路に向かった。少年は川と森と山で過ごした。それに、腹をすかした少年でもあった。食い物のことは深く心の地図に焼き付いている。あの頃の年の瀬には心踊るものがあった。豚一頭を出刃で殺し正月の食材とした。鶏も首を斧で落としたあとは、五右衛門風呂の煮えたぎった湯にいれ、毛をむしるが、これは子どもの仕事。母屋の隣に畜舎があり、馬、牛、豚、鶏、羊、山羊たちと共に暮らしていた。馬は畑起こしばかりでなく、荷馬車(ホドウ車)を牽いて町にも向かった。羊の毛は紡いで靴下やセーターになり、肉はジンギスカンとして食した。鶏の世話と卵の係りは子どもの役割。米は内地米でも、麦やキビ、野菜は自給できた。豚と鶏の餌は野菜くずや残飯で間に合ったし、彼らの糞は寝藁と混ぜ合わせ堆肥にして野菜畑に還元した。農作業はきつく、食べものは粗末であったが、ストーブを囲んでの日々の団欒が一日の区切りだった。幸いに水力の自家発電があったので、電灯が灯り、ラジオが聞けた。家の周りは雑木林で、近くにも手つかずの森や原野が大小いくつもあり、そこから届くフクロウの鳴声で、眠りに就いた。時田則夫「北の家族」(家の光協会)。七月五日(金)

団塊たちの法則
会社で一番やめて欲しいのは団塊の世代といわれ、ここにきて一気に邪魔者扱いされはじめた。経済記事も経営者は六十代から四十代にと囃したて、五十代の団塊世代ハズシが始まったかのよう。1947年から49年までに生まれた戦後世代は前後する世代より四割も多い。ヘビが飲み込んだタマゴで、いつも突出していた。大量消費の世代とか時代の先駆と持ち上げられてきた。この世代は舞台の左手より登場したが、いまは右袖にいる。学園紛争の現場で石を投げ、社会に出てからも時代を変えようと意気込んではいたが、七十年代は経済成長のただ中で、さほどの苦労もなく横並びでやっているうち、気がついたら豊かな社会になっていた。改革の旗手ではなく、日常の勤勉さが、意外にもふさわしい世代となってしまい、日和った日々を振りかえる人は、もう居ないかもしれない。時代も横並びの一律さではなく多様な世界へと移行して、団塊たちが三十年積み重ねてきた組織での経験と価値は、色褪せてきた。しかもこの黄昏に向かう世代の多さが、年金など生涯厚生のシクミを崩壊させるとして警戒されている。ともかく、団塊世代は厄介だ。どこになだれてゆくのか。この世代の多くは都市生活者であることから、もう一つの生活の質を求めて田園生活に向かうのか、それとも「これまで」に費やした事にしか「これから」も費やせない人生法則に従うことになるのか。もがく世代は定まらない。香山リカ「若者の法則」岩波新書。六月二十七日(木)

庭二居マス
一度袖を通したら着尽くすのがパジャマと野良着。いずれもコナレ捨てる間際のものが極上じゃないかと思う。土いじりや庭仕事に向いている着衣は、湿潤な気候帯では古くからの、あの田吾作どんの野良着を伝統とするが、冷涼な土地には学校着でお馴染みのジャージーの方が、保温と通気がほどよい。それに汚れたり引っ掻いたりしても、惜しげもなく着用でき、泥だらけの腕白になれる。だが、どんな体型になってもなじむ、その伸び縮みが仇になり、ルーズな人柄と思われるところが、その地位を低くしている。野良着ではないがデスクワークもできる作業服の場合は、もっと上位ある。ブルーあるいはラクダ色の、ヘルメットが似合うあの作業服である。焼鳥屋でも遠慮なく出入りできるので愛用者は多い。さて、たけしとさんまのトーク番組を覚えていますか。さんまがスナックの長い髪のママで、たけしが作業服の客になり、世間をからかう番組である。胸には確かアルプス工業とかいうネーム刺繍があり、居合わせたお客とごちゃごちゃ言い合いながら、本音をすっすっと織り交ぜ、いい味が出ていた。ブルーカラーの世界では気取るほど足元をすくわれるので、本音を原動力としてぶつかりあう。それにしても、六月はいい風が吹くのだが、指は酷使する。狭い庭ほど雑草が繁茂するのだろうか。いつものジャージー野良着をきて、ひざパッドをつけ、草をむしりながら、週末は「庭二居マス」。阿刀田高「ギリシャ神話を知っていますか」新潮文庫。六月十八日(火)

沸く
韓国がサッカーW杯に沸いている。日本はあれほどに沸騰していないが、でも中国も含めてアジア・サッカーが世界のどの位置にいるのかを今回確かめることができる。組織力や個人プレー、攻守の巧拙、体力差などが相対化していくのを目の当たりにできる。動きのいいアフリカ勢と伝統ある欧州勢との戦いぶりが見もので、にわかファンでも楽しめる。話は変わるが、戦後中国は毛沢東が牛耳り、蒋介石が台湾に逃れる。もともと太平洋戦争で中国に加担していた米国は、びっくりし反共の砦として日本の復興を強く望んだ。これが戦後日本の繁栄のシナリオだったのである。だからもともと中国・米国は反目しているように見えるが、その実は好意的なのである。大国に挟まれ、動かされてきた戦後日本の歴史ではあるが、これとは違う次元でサッカーを楽しみたいが、どうしても国民性が滲むのは致し方ない。先取先行して堅守だが、相手も同じ考えで戦うことは間違いない。緑ゆうこ「イギリスは理想がお好き」紀伊国屋書店。六月一日(土)

Show and tell
職に就いてから英会話教室に一度だけ通うことになるが、英語よりも会話の仕方に引かれた。先生は妙齢のイタリア系米国人で、教え方が新鮮なうえ、なにやらアチラの幼稚園の雰囲気を思わせた。なかでも「ショー・アンド・テル」。皆の前での口頭発表、言うところのプレゼンテーションです。自分の言いたいものを持ってきて、見せて(ショー)、その背景を話す(テル)します。それにクラスメイトが質問し、答える。私は何を見せたのかを思い出せないのは、いい加減なものを持っていったからでしょう。宿題もほとんどが、好きなもの、好きな本、好きな人などを述べなさいというものでした。いまこれを周りの人たちでやると愉しいだろうな、と思う。自分の言葉で語るプレゼンテーション文化はビジネスの世界だけではないのだが。かくて、かの地では幼稚園の「ショー・アンド・テル」を終えると、つぎは小学校で「プロジェクト」というのがあり、課題に合う本を読んで、その内容を紙芝居や模型で表現する。高校生になると「グループ・スタディ」があり、テーマと仮説をもち実際のデータを集めて検証する調査を5人ぐらいのチームで取り組む。幼稚園から社会人までプレゼンテーション能力を磨いている国があるのだから、敵いません。以心伝心の国はここでも分が悪い。五月十六日(木)

隣国の古層
韓国は、巨大な中国と激烈な日本に挟まって苦労してきたことは地政学的にわかるが、その心性はわかりにくい。古代韓国の穏やかな弥勒仏像をつくる文化をもつ民族だから気持は通じるだろうと思う一方で、最近の韓国人はつきあい難いとも感じている。その歴史のずれを深層から探ったものがありました。それは十六世紀の李朝中期にポイントがありそうです。この時代から繰り広げられた権力闘争である党争は、全国規模で世代を超えて繰り広げられた。それは儒教的であり自己を相対化せず、名分論をかざして白か黒かを迫り他者を斬る思考に特徴がある。一般の政争は一時期のものだが、李朝の党争の当事者たちは、子の代、孫の代になっても対立を続けているのは、朱子学のイデオロギーで武装した儒教的文化人だったことが大きい。朱子学で武装し、大義名分を論ずることを業とする人々には妥協が難しいという。「耽羅紀行」で司馬遼太郎はそのあたりのことを解く。朱子学は宋以前の儒学とはちがい、極端にイデオロギー学だった。正義体系であり、別の言葉でいえば正邪分別論の体系でもあった。朱子学がお得意とする大義名分論というのは、何が正で何が邪かということを論議することだが、こういう神学論は年代を経てゆくと、正の幅がせまく鋭くなり、ついには針の先端の面積ほどもなくなってしまう。その面積以外は、邪なのである。このように朱子学というのは大義名分を論じはじめると、カミソリのような薄刃を研ぎにといで、自傷症のようにみずからを傷つけ、他を傷つけたりもするイデオロギーの学といえる。とこれは抜書きの一部ですが、日本でもその朱子学が幕末の志士たちに水戸学として影響を与えたものの、内部抗争が激しく自滅した史実があります。朱子学を引きずっているのは韓国だけでもなさそうです。田中明「物語韓国人」文春新書。五月五日日(日)

六十年後の陪審員
確か一九七十年代に本多勝一氏が南京事件を掘り起こしていたのを覚えてますか。しかしその姿は今でも定まっていません。証言や史料はもちろん、戦後の東京裁判や南京裁判でも虚実相半ばです。一九三七年(昭和十二年)十二月に中国の南京に入城した日本軍は三十万人に及ぶ虐殺で裁かれた。東京裁判では十万人。これを今日、史料で吟味したらどうなのか、北村稔「南京事件の探求」(文春新書)をめくりつつ、およそ次のことが解った。中国側の大虐殺デッチあげという側面もぬぐいきれない。ハーグ条約を逸脱する捕虜二万人処刑は断罪の余地もないが、当時の安全区外の南京市内の記録からみても六週間も民間人の虐殺が続いたことへの疑問、当時の機械力や作業力から短期間に三十万体の死体処理はできたのか、当時の南京市の人口は二十五万人前後と史料から読めるがそれでも三十万人の虐殺の数字が使えるのか、などおよそ不自然なこともある。たぶん、南京陥落後の一九三七年十二月十七日に蒋介石が抗日戦争開始以来の全軍の死傷者三十万人と述べ自国民に奮起を促したことに由来しそうだという。中国人の愛国ゆえの誇張表現という向きもある。実事求是。日本軍は兵站補給をせず前進するのみで、捕虜の収容もできずせっぱ詰まって皆殺しせざるを得なかった。とどのつまりは、南方戦線での戦闘部隊の自滅・餓死の悲劇と重なる。日本軍国主義は残忍というよりも、無計画と場当たりな成り行きが支配していた面が強かったのか。その歴史経験がさらに矮小されて、例の有事関連法案が時代とのずれを生みながらも法制化の動きにある。成り行く民、内向きの民を今世紀も繰り返すとしたらおぞましい、というと論理飛躍ですか。四月二十日(土)

冷えたティオ・ペペ
自分を変えることはとても難しい。だがやり方次第ということもある。自分の好きなことをやれば、およそ心を解放できることをやれば、それをバネにして機嫌がよくなる。上機嫌な女は男の宝物だとしたら、男もある程度は機嫌をよくしておきたい。人間の上機嫌ほど、この世でめでたいことがあろか。ひとはみな寂し過ぎます。機嫌の風向きを変えウキウキ・ワクワクできる生き物なのに残念です。その辺のことを解って日々暮らしたら、と神様は微笑んでおられるような気がします。でもこの場合の神は上の方の誰かと言う意味であって、信じている訳ではありません。春の宵に、この先のあらまほしきことに思いを巡らす。それには冷えたティオ・ペペと生ハムも要りますねんけど。田辺聖子「かるく一杯」(ちくま文庫)。四月十二日(金)

きみには苦労かけるね
イタリア人は両手を縛られるとしゃべれなくなる。日本人はハッキリしろと言われたら黙り込む。この日本列島民族は成すことより成り行くままに国をつくってきたかもしれない。この心性は議員も役人も政府も同じであり、法人も同様です。さぁて今世紀のこの国の指導者はどうしたものか。国民に呼びかける時の直裁で味のない言いぐさ。言うところの構造改革には国民の痛みが伴うと。塩野七生「再び男たちへ」(文春文庫)は言っておる。国の指導者たる者は、国民を女と考えるべきなのだ。女は苦労がいやなのではない。きみには苦労かけるね、の一言だけでふるい立つのが、女というものである。女にかぎらず、苦労とは、「わかってはいるけれど」という想いだけでやるならばただの苦でしかないが、こちらがやる気になってする苦労は、苦ではなくなるのである。この辺の心理に通じている者だと、家庭なら良き亭主になり、国ならば良き指導者になるのだと思う。日本の進路は知識人タイプよりも、女の心理に通じている粋な男にまかせてはどうか、と。なるほど。マフィアと関わっていそうな指導者をもつイタリアでも、実はマンマ(おかあさんの意)が幅をきかせるお国柄ゆえか、EUの斜陽国と言われても中小企業は元気がよく、人々は陽気なのです。四月六日(土)

誰でもいい絵は描けるんやで (80)
北方の辺境に暮らしていても、近くの山や川や海は眼精疲労をいやす遠い景色です。毎日の中に生きものを育てたり飼ったりを取り込めずにいることが惜しい。若い世代も同じように自然や生産から遠ざかり、食べ物や生きものの現場を知らずにいる。こんなことではいけないとドイツのシュタイナー博士は生きるためのテーマ別エポック授業を考えた。確か小農園をやろうというのもあった。芋や野菜を育て、卵かけご飯のために鶏も飼うのもいい。未明のコケーコッコは近所迷惑としても、地方都市なら許される。さらに農園の出来事を写したり描いたりして、その相乗を楽しめるとなおいい。「兎の眼」(灰谷健次郎)の足立先生は、真似さえせーへんかったら、誰でもいい絵が描けるんやで、とエポック授業のようなことをやりながら生徒を納得させていた。今となっては頷けるが、幼い頃にそんな言葉はなかったように思う。さて森羅万象に感応しながら、ひとつひとつ描いていったら、まんだら絵のようなものに行き着くのだろうか。四月二日(火)

散蓮華
食堂で友人「汁すするさじ何だっけ」私からかい気味に「すみれと違ゃう?」友人「おばさん、すみれ」おばさん「すっ、すみれって」友人当然ふてました。汁をすする陶製のさじをレンゲ、散った蓮の花に似ているところから本当は散蓮華(ちりれんげ)というそうだ。食べ物で身近なものは何と言っても、おでん、きつねうどん、すきやき、お好み焼き、たこやきでしょう。ちょっと値は張るが、てっちり鍋も気にしたい。大阪心斎橋のてっちり屋で旧友が気ィつこうてくれた。河豚刺のてっさ、ちり鍋、白子焼き。でも最後に味がしみ出した汁にご飯をいれ卵をとじた雑炊を、散蓮華でいただいたのが一等うまかった。これも大阪の食いもんでしょう。思ったより安いし。田辺聖子「春情蛸の足」ちくま文庫。三月二十五日(月)

おっとっと
二度目のおっとっと。今度も際どかった。先週の夜にのどがつかえ救急医療に助けを求めた。でも直ぐにとはいかず翌一日準備にかかり、のどに管を通し広げて無事をえた。同音異義語のブジーというその措置は辛いものでしたが、開通したその時は蘇生できたことに目が潤んだ。最後にのどの流動をみるため造影剤を飲みながらレントゲン照射をする。医師「つぎは造影剤を飲みます」わたし「はい」、レントゲン技師「それでは飲んでください」わたし「えっ空っぽですが」、飲み下せる境遇に浮き足だちゴックンとやってしまった。医師「そうですか、ではもう一杯」わたし「はい何杯でもいただきます」という具合でした。こんなことも、どんなことも、出来事を丸呑みしようと思うようになってから気持が座りました。じたばたしても仕方がない。だから早々ではありますが、こっそり缶ビールをいただくことにしました。三月十七日(日)

取り違え
故人の池田弥三郎氏が福島県の山奥の温泉に泊まった時の話だそうです。下駄をつっかけ外へ散歩に出かけるたびに番頭さんが「じいさん、ばあさん、お出かけ」と大声で言う。自分は確かに若くはないがそんな風に言わなくてもと思ったので、糾してみた。実は部屋の番号が十三番で「ずうさんばんさんお出かけ」とのことでした。私もありました。東急ハンズの走りのころ、渋谷の交番で「東急ハンズは?」と道を尋ねたところ、オマワリさん「東急ハンドですか」。小声で「このひとなまってるね」と言われてしまった。金田一春彦「日本語を反省してみませんか」角川新書。三月十一日(月)

週一冊の愉しみ
本は寝床でしか読まないので文庫本か新書でないと具合が悪い。毎日のルーティンのなぐさみに三十ペイジほど読むが、本屋で週一冊の本を選ぶ愉しみもある。この春は藤本儀一、田辺聖子、灰谷健次郎といった関西三人衆からの選書です。ついでにお気に入りの書き抜きもしている。ではお披露目です。11PMでおなじみだった藤本氏からの書き抜き帖ですが、都合よく載せていますので怪しいところもあります。多くの人たち会った氏は人の顔に法則を見つけました。本当の笑いや人に何かを感じさせる表情の持ち主は例外なく謙虚であること。古本屋の親父さんしかり、苦労して会社を築いた創業者もそうです。数多くの顔を見てくると、心豊かな人は魅力に富んだ顔をしている。面白いのは人気のない人に限って表情が乏しい。いい表情の人に共通しているのは、自分はどうありたいのか、そのために何をすべきなのか、という自分を持っていることでしょう。将棋の大山さんに聞いた話だそうですが、勝負での自分の能力は八十五パーセントしか出せない。後の十五パーセントは体調だとか運やその他の要素なんだと。そう思って対戦すれば勝負に勝てるし、もし負けても納得できる。次もいい。文章でプロとアマの違いは省略の技法にある。いかに贅肉を落とし無駄を切り捨てるかである。説明文、論文、日記以外の文章を書くなら、激しいか毒を持っていないとまずい。商いと文章はカッとなったり悲しんだ時には決してやるな。藤本義一「モノの値打ち男の値打ち」ちくま文庫。三月一日(金)

日本語は畸形?
わが町の本屋に平積みされていた新書の一冊ですが、八重洲ブックセンターでも「はやり本」らしいですね。高島俊男「漢字と日本人」文春新書。日本語を漢字で書く困難と混乱は千数百年後のこんにちもまだつづいているという。漢字をその意味によって直接日本語でよむ乱暴な所業をなしてきた。たとえば「山」という字、これは音でサンとよんでいたが、日本語の「やま」に相当することがあきらかであるから、この「山」という漢字を直接「やま」とよむことにした。これをアタリマエと思うだろうけど、 mountain という英語を直接「やま」とよみ、dog を「いぬ」、cat を「ねこ」とよむ荒業である。しかも犬はケン、猫はビョーという本来のよみも保存した。これが日本人の漢字の音と訓の加工です。つぎは和語に漢字をあてるおろかさ。「はかる」には「計る」「図る」「量る」「測る」などあるが、これを使い分けるのはおろか。「はかる」でよい。和語に漢字をもちいる必要はない。形をかえた西洋語では、「権利」「義務」と言ったり書いたりするが、これは確かに日本語だが、その内容は西洋語である。形をかえた英語であり、漢籍におけるその語の意義を知らねばならぬという人があるとすれば、それは間違い。もともと日本人にとって漢字は借りものであり、日本語とあわなくて苦労しているのである。結論としては、音声が無力であるためにことばが文字のうらづけをまたなければ意味を持ち得ない、とうい点に着目すれば、日本語は、世界でおそらくただ一つの、きわめて特殊で、畸形な言語である。漢字は日本語にとってやっかいな重荷であるが、このまま生きてゆくより生存の方法はない。という。読んでいて気づいたのですが、である調とですます調の文が混在していても名調子。二月二十二日(金)

おいらの由来がきえた
それは一月二十九日の夕刻でした。翌日の現場では寒風が焼け残りの「十勝寶盟鑑」(大正十四年刊)をくっていた。明治二十三年日高国静内郡遠佛村に農業の目的を以って移住し…其の後十勝は土地肥沃なるを知り…同三十三年五月貸与を受け…八十二町歩余を出願し許可を受け、種牛種馬を求め繁殖飼育に努めたり…とそこには書かれていたはずである。淡路島出身の曾祖父と祖父は明治中期に北海道をめざし、その長子である私の父は設備投資の大型農業はめざさず、身軽な営農を心がけていた。でも趣味としては機械と電気がめっぽう好きでした。1950年代には水力の自家発電を設備して茶の間に電気を灯していた。小さなタービンに鮭が絡まると電球が薄暗くなり、水門を空けて鮭を採る。豊かな川でした。電気があるとラジオが聴ける。蓄音機を使って屋根の上から音楽を流していた。流しながら畑仕事なのだ。スッペ作曲の「詩人と農夫」を覚えている。あの田園生活は温かく深い少年時代の記憶である。だがおいらの由来はきえた。享年八十九歳でした。二月の練習曲はシューマンの「楽しき農夫」を弾くことにした。二月十五日(金)

モノクロ映画
四・五十年前のモノクロ映画が衛星放送で時々流れる。シドニー・ルメット監督「十二人の怒れる男」アメリカ・1957年がその一つ。NYのうだるような暑い夏の午後。法廷内の一室で十二人の陪審員たちが、父親殺し容疑の少年の「guilty」あるいは「no guilty」をめぐって一進一退の評決をくり広げる。郵便で通知されて陪審員となった普通の市民たちは、証拠と証言から誰もが有罪と思いこんでいる。これは思いこみの全体主義とでも言おうか。さて冒頭の場面から全員が有罪で一気に評決と思われたが、ただ一人少年の有罪を断定できないとする第8陪審員(ヘンリー・フォンダ)は証言の不確かさを粘り強く一つ一つ覆していく。ほかの陪審員も有罪と無罪のあいだを揺れながらも次第に少年の無実へと傾く。第8陪審員のたった一人の疑問と抵抗とが、ほかの人々の心を動かし遂に少年の無罪の表決を下す。誰が犯人かは定かではないが、疑わしきは罰せずが貫かれた。陪審員室から一歩も外へ出ることなく、お互い番号で呼び合うだけの名も知らぬ十二人の陪審員たちは、この一室で夕刻から翌日の朝までかけて無罪を確信するに至る。すべてを終え法廷を去る時、無罪を切り出した第8陪審員とそれを最初に支持した年老いた陪審員は、互いに名乗り合いはしたが別れはさらりとしたもの。たった一枚のカードがワンペアになり大勢を覆してゆくこの賭けは忘れがたい。単色の映画は愉しいですね。一月二十五日(金)

ふたりの博物誌
ルナールの「博物誌」(新潮文庫)は簡潔な言いまわしで「蝶、二つ折りの恋文が、花の番地を探している。」が知られている。かたや開高健の場合は一点凝集にむけて饒舌と技巧で迫る。ふたりとも好きなタイプです。では開高健の言いまわしを抜き書くと。ネコは人の生活と感情の核心へ忍び込んでのうのうと昼寝をするが、ときたまうっすらとあける眼はぜったいに妥協していないことを語っている。媚びながらけっして忠誠を誓わず服従しながら独立している。気ままに人の愛情をほしいだけ盗み、味わい終わるとプイとそっぽを向いてふりかえりもしない。爪の先まで野生である。これだけ飼いならされながらこれだけ野獣でありつづけている動物はちょっと類がない。横道にそれるが、生まれるのは偶然、生きるのは苦痛、死ぬのは厄介、というのも書いてありました。戻って、ペリカンはさびしくて、強健で、不屈である。などと表現する故開高氏を奥村大三郎は、彼は本来のナチュラリストではないという。そもそも何か物が好きという子供は、はじめのうちは誰でも機関車やおもちゃやカブトムシ、ザリガニなどと遊んでいるが、やがて機械や乗り物が好きな子と生き物の好きな子とに分かれる。それがやがて生涯の職業や趣味になるのである。一方、物が好きでない子供はいずれ抽象的なものを弄ぶようになる。つまりそれが文学者、思想家、芸術家、政治家という方向なのである。開高健という人は七歳になってから郊外の池や川で遊ぶが、やはり都会の人で、生まれながらの言葉の人で、物を詳しく見るより、それについての印象を言葉にして頭の中で練り上げる人であったと思われる。とのことです。奥本大三郎「開高健の博物誌」集英社新書。一月十八日(金)

小話に笑ふ
ジョークは巷に溢れているが、クスッとかニヤリと笑ふには遠い。腹を抱えて笑ったのは随分前だが、笑いすぎて内容は忘れてしまった。ベルグソンの笑いの本も、これは方法序説だから楽しくはなかったが、近頃の本にいいのがありました。靴下の話です。幼稚園の朝、子供が片方に赤、もう片方に緑の靴下を履いてきた。保母さんが、「あーら、マサオちゃん、珍しい靴下ね」マサオちゃん少しも騒がず「珍しくないよ、お家にもう一つ、同じのがあるもん」次のもなかなかいい。「グリーンランドの方がアイスランドより北にあるなんて、知ってた?信じられないよ。現実主義と理想主義の違いかなあ」と、こんな小話です。いくつか集めてみたくなる。阿刀田高「ユーモア革命」文春新書。一月十一日(金)

内田光子の世界 (02年)(70)
ピアニシモの内田光子はモーツアルトのピアノ協奏曲・ピアノソナタから始まり、ベートーベンのピアノ協奏曲、シューベルトのピアノソナタ、さらにショパン、シューマン、ドビュッシーのピアノ曲へと続き、音楽の深く暗い世界を垣間見させてくれた。特にシューベルトは極まっていると思う。この陰のある馥郁たる曲を聴けたのがうれしい。しかし彼女はこれに止まらず二十世紀音楽のシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンへと踏み込む。年末に内田光子率いる室内楽によるシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」を聴いたのだが、詩も歌うのでチンプンカンプン。でも無調時代の音楽とはいえシェーンベルクの「三つのピアノ」は愉しめる。因みにアルベール・ジロー原詩の「月に憑かれたピエロ」の「月に酔い」はこんな風に始まる。「夜の月は目で飲む酒を、波のように降り注ぐ、それで大潮は 静かな水平線を ひたしてあふれる。身震いするような甘い情欲が、潮の中を果てしなく泳ぎ渡る!夜の月は目で飲む酒を、波のように降り注ぐ。信心深い詩人は、聖なる飲み物に酔い、恍惚として頭を天に向け よろめきながら目で飲む酒を 吸いすする」と柴田南雄が訳していた。前世紀の不安と孤独は続いている。ところでシューベルトの即興曲を聴くならグルダもいい。虜になる。〇二年一月二日(水)